イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その202☆川治温泉「登隆館」神の湯におののく! ☆

2015-02-24 02:07:28 | ☆湯けむりほわわん温泉紀行☆
    


 2015年の2月中旬、イーダちゃんはひさびさの温泉旅にいってまいりました---。
 いままでは試験があるから自制してたんですが、試験が終わってしまうと、もうどうにも自制ききませんでした。
 休みに入るやいなや---ためてたもんが爆発寸前、急いた手つきでリュックに荷物をかろうじてつめて、いざ、旅電車へ!
 行き先は? なんも決めてない。
 方角も…決めておりやせん。
 三輪山に行こうかと最初は思ってたんですよ。
 ただ、試験明けにいい温泉を味わいたい気持ちがあまりにも強くて、関西行きは---関西は調べないでいくと塩素湯にあたる確率が高いんで。関西在住者、あい失礼---直前になって中止、結局、イーダちゃんは上野経由で北にむけて進路をとったのです。 
 目指すは北! とにかく北へ---!
 で、車内でポテチを喰いながら、浅草から東京スカイツリー電車に乗って、一路、栃木の鬼怒川温泉へ---。
 鬼怒川温泉に到着したのは、お昼の2時過ぎでありました。
 最初は、鬼怒川から恒例の湯西川でも行こうかなあって思ってたんですけど、お気に入りの湯西川の金谷旅館さんにTELしてみたら、ごめんなさい、今日はお休みにしちゃったの、とくる。
 仕方ねえ、なら鬼怒川のかけ流しの宿でも狙ってみるか、と駅前の観光協会にいって尋ねると、いやあ、すみませんが、基本的にうちで紹介してるのは、循環のお湯だけなんです、というトホホな返答…。

----あ。そうなんですか。じゃあ、結構です…。

 というわけで、イーダちゃんは、鬼怒川温泉からさらに野岩鉄道(会津・鬼怒川線)を乗り継いで、前回行きそびれた、川治温泉をめざすことにいたしました。
 宿の予約は、あいかわらずしてません。
 ぶっつけ本番、でたとこ勝負が醍醐味の温泉旅なりき。
 で、まあ、ごとごととのんびりペースでいったわけですが、鬼怒川公園駅あたりじゃそうでもなかったのに、龍王峡をこえたあたりから、いきなり雪の降りがもの凄くなってきたんですよ。
 川治についたときは、なんちゅーかもうほとんどブリザード状態!
 ただひたすらに、さ、寒いっ…。 
 川治温泉駅から川治温泉街までは、だいたい徒歩20分あまりうの距離なんですけど、吹雪のなか、革靴で歩くその道中の長いことったら。
 リュックから傘をとりだすのが面倒だったので、ポケットに手をつっこみながら歩いていたら、川治温泉街についたころには、イーダちゃんはほとんど雪ダルマ状態---超・寒かったですねえ。
 電線の上にもすでに雪が積もりはじめてるし、身体の芯まですっかり凍えきっちゃってるし、いちばん目立つ○○閣さんの豪奢なロビーにすかさず飛びこんで、

----あのー、予約ないんですが、今日ひとりで宿泊は可能でせうか?

 と、まあ避難民のフィーリングでいつものようにやったわけです。
 こちらの○○閣さん、お部屋とかはよかったんですが、残念ながら塩素湯でして、僕は、夕べのいちどっきりしかここのお風呂入らなかったんだけど、今回僕が書こうと思ってるのはこちらさんじゃない、べつのお宿のことなんですわ。

 さて、2月13日の晩、雪はしんしんと降りつづきまして、翌朝、目が覚めたら、外は一面の銀世界---
 お見事って感じです---朝早くから町の中心部を貫くルート121を、除雪車が2台、しきりに走りまわってました。
 

         


 で、転倒に注意しいしい、イーダちゃんが121の通りを何気にぶらぶらしてたら、○○閣さんのすぐ近くに、ずいぶんと古風なお宿があるじゃあありませんか。
 昨日は、吹雪があんまりすぎて、まったく気づきませんでした。
 道路から奥まった場所に建ってるせいで、気づきにくかったっていうのもあるかもしれない。
 でも、僕、ここのお宿になんんとなくビビビってきたんです。
 見れば、奥のほうに雪かきしてる男性がいる---ひょっとして宿の方でせうか?(写真奥に写ってる方がそうです)
 ものは試しに聴いてみることにしました。


         


----こんにちはーっ。昨日はずいぶん降りましたねえ。大変ですねえ…!

----ああ、こんにちは…(ト雪かきとちゅうの手をとめて)…。ええ、降りましたねえ。でも、まあ、いつものことですから…。

 で、なんとなく世間話がはじまって---僕等、雪の積もった玄関前で、しばし白い息ながら立ち話をいたしました。
 僕は、いい温泉に入りたくて鬼怒川温泉までやってきたんだけど、観光協会にいったら鬼怒川はほとんど循環湯になっちゃってて、やむなくここ川治温泉までやってきた経由と、けれども、昨日泊まった宿は、部屋と食事はよかったけど、あいにくの塩素消毒湯でがっかりしたことなんかを正直に話しました。
 すると、こちらの宿関係らしき方、

----そうなんですよ…。実をいうと、いまねえ、鬼怒川さんのほうは、お湯が枯れかけてるんです…。地震のせいか、お湯の湧出量ががくんと減っちゃってね、まあ、でも、その点じゃうちのほうも一緒かな? ここ川治でも、いまじゃ源泉掛け流しの、無塩素でやってるとこは、うちと、あと○○さんと、もう2軒きりしかないんですよ…。

----そう…なんですかぁ…。

 と思わぬ内部情報にたじろぐ僕。
 しかし、こちら「登隆館(とうりゅうかん、と読みます)」さん、実は、川治でいちばん古い歴史ある宿であり、全国区で有名な川治の露天「薬師の湯」へお湯を提供してるのもこちらのお宿なんだとか…。
 さらにはこの方、静かな自信を目線にこめて、こうもおっしゃりました。

----ええ、うちの湯は、源泉そのままのお湯ですよ。源泉自体の湯温が41度なんでいくらかぬるめのお湯ですが、塩素も循環もしていない生のままの湯ですから、ゆっくり浸かっていれば、効能はもう保障つきです…。

 こうまでいわれちゃ、温泉大好き人間のイーダちゃんとしては、これはもう捨ててはおけません。
 気がついたら、即刻、こちらのお宿「登隆館」さんに、その日の宿泊を申しこんでおりました。
 あとになって、僕、この自分の決断と、この朝、この宿のおじさんに巡りあわせてくれた運とに、非常に感謝することになります---。


                           ×             ×             ×

 ですが、まあ、そのときはまだ朝の9時まえでして、宿には3時からしか入れないわけだから、僕は、このおじさんに3時の再訪を約束して、川治温泉の駅まで雪道を歩いて、電車に乗って、鬼怒川温泉のほうにまた戻ったんですよ。
 で、鬼怒川温泉近郊の栃木銀行でお金おろして、3時ちょっとすぎにこっちの川治温泉にまたもどってきて、宿の手続きして、「いまなら誰も入ってないから、入るといいよ。気持ちいいですよ」と宿のひとにいわれて、さっそくこちらの自慢のお風呂にいってみたわけ。
 それがね、記事冒頭のフォト。
 ちょっと震えるでしょ? 僕も震えた。
 なんちゅーか、予測してたよりずっといいお風呂なんだもん。
 名湯のオーラがわんわんしてるの---露天はなしの内湯だけ---そのへんの潔さも、なんか、いい。
 で、若干うわずり気味の心をいなしつつ、掛け湯して、ちゃぽんとこちらのお風呂に身体を沈めました。

 そしたら、僕、黙っちゃった。
 「神の湯」です、ここ…。
 なんちゅー綺麗なお湯だろうか。
 入ってすぐ鹿児島・川内(せんだい)の紫美温泉の「しび荘」の湯を連想しました。
 あれとじゅうじゅう匹敵できる、とんでもない名湯です、ここ!
 基本は、PH8の、くせのない素直な湯なんです。
 なんともいえない柔らかさと、あと、ちょっとこれは表現しがたいんだけど、ほかのどの湯にもない、一種特別な繊細さがあるんですよ。
 なにより凄いのは加温してないとこ。
 こちらの湯、源泉温度が41度だから、そのままだとこの季節はちとぬるいのよ、でも、むりに加温したら、たぶん、この極上の繊細さは脆く壊れちゃう、それを見越して、こちらのお湯をあくまで生のままの姿で管理されている、宿の方の慧眼とこだわりには、心底敬服しました。

----やられたぁ、仕事人だわ…。凄え、凄えや…!

 と半ば白痴のように呆けた顔で、イーダちゃんは、湯のなかで蕩けてぶくぶく…。
 ただひたすら嬉しくってね、この瓢箪型の広いお風呂のなかを、にこにこしながらあっちにいったりこっちにいったり、鼻孔からの源泉吸いを敢行したり、お湯のなかで阿呆みたいに両掌をいつまでもゆらゆらさせたり、両手ですくったお湯を何度も顔にぱしゃーっとやったり、もーねー、ほとんど幼な児のような、至福の1時間半をすごせていただきました---。
 まさか、九州でも岡山でもない身近な関東の近郊に、これほどハイレベルのお湯があったとは…。
 認識不足でしたねえ、ええ、午前中にいった露天の「薬師の湯」もむろんよかったけど、その御本家たるここ「登隆館」さんの湯処は、それ以上の奇跡の天上湯なのでありまして。
 味はなし、香りも特別になんかの香りが目立ってるってわけじゃありません。
 この先の湯西川だと硫黄の香りが底のほうに潜んでいるんだけど、川治の湯はちがう、基本的に無味無臭で、塩気もありません。
 で、最初にここのお湯に入った感触はたしかにぬるいのよ---たぶん、39度くらいなんじゃないのかな?---でもね、そのまま極上の湯の肌触りを愉しんでいると、5分ほどして、予想をはるかに上回る至福感がゆーっくりやってくるの。
 この感触、特に女性の方に知ってもらいたいですね。
 僕なんかより肌の繊細な女性がこの湯にふれてどう感じるのかは、非常に興味深いところです。
 おお、窓の外では、大粒の雪がまたごんごんと降ってきてるじゃないですか。

----こりゃあ、積もりそうだなあ…。

 なんて眠たげな声でいってみる。
 すると、掛け流しの多量の湯が、排水溝に吸いこまれ、ごお、という音をたててそれに答えて。
 うーむ、凄いや、まるで青森・碇ヶ関の「古遠部温泉」みたいじゃないですか。
 ええ、こちらの温泉ね、あったまったら、湯船からこぼれた多量のお湯でもって、タイルの床にごろりとなってなんと寝湯まで楽しめるんですよ。


                   

                 


 これほど素晴らしい湯っこを堪能させていただけたら、僕としては、もう感謝以外いうことはありません。
 あ。こちらの「登隆館」さん、宿自体は古びた木造の感じだったんですが、お客さん、ずいぶん泊まってられました。
 これだけのお湯だもの、やっぱり、人気のあるお宿なんですねー。
 夕餉も、美味しかった。
 イワナの塩焼きに、湯豆腐に、刺身に、豚の味噌焼き、ご飯に、お吸い物に、あと、山の歓待の最たる料理「ごたごた鍋」---。
 これ、里芋とか地元のキノコなんかがメインの鍋なんスけど、これがまた絶品でしした。
 いつも銭を浮かすために素泊まりが身についている僕なんかからすると、サイッコーのご馳走でしたねえ、この夕は。


         

          
 というわけで、栃木・川治温泉の名宿「登隆館」を推薦します---。

                      川治温泉登隆館
                   栃木県日光市川治温泉高原41-2
                   TEL 0288-78-0006

 

 お値段は、朝、夕食コミで、7710円---安ッ!
 女遊びなんかいいの、カラオケいらない、酒もほどほどでいい、男鹿川の滔々たる流れを聴きながら、ただ、静かに、いいお湯につかりたいだけなんだ、と希う御仁にとっては、こちら、最上の憩いの宿となってくれることと思います…。


                  

P.S. あ。近々、「イーダちゃんの日本全国特上温泉12選!」という特集をやるつもり。乞うご期待---!


                   
 
 

 



 

徒然その201☆ 前略チャーリー・パーカーさま!☆

2015-02-20 09:54:08 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
                          

  ----1950年の冬、私は、フィラデルフィアのショー・ボートという店で歌っていました。バディ・デフランコと小編成のグループが、私にバックをつけてくれていたのです。ある夜、セットの3曲目に入ったとき、私のうしろから、美しいアルトのソロが聞こえてきたのです。私の歌を推し進め、うたうための霊感を吹きこんでくれるようなソロでした。私は、振りかえって見たりせずに、そのまま歌いとおしていきました。誰が吹いているのかを知るのが怖く感じられたほどだったのです。やっとのことで振りかえってみますと、その人の姿はもう見えませんでした。私は、「私の空耳かしら? いま吹いていたのは誰なの?」とバディに訊いたのです。「バードだよ」と彼は答えました。「たしかに鳥にはちがいないわ」と私は言ったものです。「ぱっと飛んできて、さっと帰ったから」
                                                          (アニタ・オデイの証言「チャーリーパーカーの伝説・晶文社」より)


 Hello、1.25に受けた国歌試験の結果がなんとか合格見込ってことになって、ホッと胸をなでおろしているイーダちゃんデス。
 皆さんはお元気?
 僕は、元気---今日はひさびさの休みなんですが、窓の外はあいにくスゲー雪。
 だもんで、飲み会の予定をキャンセルして、いまさっき豆カレーをつくって、それ食って、ベランダで食後のコーヒーを飲みつつ、雪見がてらタバコ吹かしてウオークマン聴いてました。
 聴いてたのは、グールドとパーカー。
 どっちも稀有の天才なんだけど、特にパーカーにはぶっ飛びましたねえ。
 何度も何度も聴いてとうに聴きあきてるはずなのに、ホントにパーカーだきゃあ慣れるってことがない、いつ聴いても何度聴いてもぶっ飛ぶの。
 まえから彼について書こうと思ってたんだけど、あいにく僕 Jazz のイディオムにはあんま詳しくなくてね、でしゃばるのはちっと遠慮してたんですよ。
 でもね、さっきベランダで聴いたパーカーがあまりにも凄かったもんだから、今日は、彼について書いてみたいと思います。

 チャーリー・パーカー。
 通称バード。
 Jazz史上最大最強の巨人、ていうか、天才のなかの天才。
 ピアノの魔神ウラディミール・ホロヴィッツも、純潔の天才グールドも、ロシアの暴露怪物フョードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーも、ビートルズの吟遊詩人ジョン・レノンも、放浪のロバート・ジョンソンも、テキサスの稲妻野郎ライトニンも、世界の宮崎駿も、詩人の寺山修司も、無頼派の安吾も、露の切貼職人ユール・ノルシュタインも、伊太利のサーカスフェチの大監督フェデリコ・フェリーニも、みんなみんな凄いけど、僕は、もって生まれた才能って見地から見たら、彼・チャーリー・パーカーがいちばんじゃないかって思うんだ。

 うん、そのくらいパーカーってちがってる。
 位相がちがう、排気量とリズムがちがう、音の孕んでる質量自体がダンチでちがう。
 それにこのひと、音楽の出処がまったく見えないの---音符が、通常音の生まれる場所よりもっと最奥の場所からやってきてる気配がしてる---あえていうなら音楽の戸籍からしてすでにちがうわけ。
 インスピレーションが肉体を経過して音化する際、フツーは肉体の癖というか経験値なんかにあわせて、その音はいくらかの現世的「濁り」を帯びるはずなのに、ことパーカーに関してはそうじゃない、あの世で生まれた生のままの音楽の精髄---つまりぜんぜん苦労の跡の見えない、まぶしいくらいの、完璧無類の圧倒的な音楽---が、ほかに類を見ないイジョーな迫力でもってきらきらと降臨してくるの。
 なにからなにまで桁ちがいのアンビリーバブゥー!
 これほど俗世と「切れた」ミュージックって、僕は、寡聞にして知りません。
 僕は、出口王仁三郎の言霊録ってCDもってて、それたまに聴くんだけど、パーカーの音ってぜーんぶあれクラスですよ。
 Jazz の前身は Blues っていう泥臭い労働歌なのに、パーカーの音には、その種の四畳半的なしみったれ感がかけらもない。
 なんちゅーか振りきっちゃってるんですね---日常の苦悶の音をだしたとしても、だした瞬間に、音自体が刹那にして天界と地獄まで突きぬけちゃう、とでもいうのか…。
 ほかのミュージシャンとじゃ、もう比較自体不可能な別格の存在ですよ。
 唯一比較できるクラスの天才としちゃあ、あのモーツァルトくらいしか見つからないな---ただ、僕は、モーツァルトの同時代人じゃなく、当然のごとく彼の生音も聴いたことないわけで、今回、彼は、比較の対象からは外させていただきました。
 これは、あくまで演奏家としての天才性に光をあてる企画ですので---。
 まあ、伝説の天才モーツァルトくらいしか比較できる対象がないという、パーカーというのは、それっくらい飛びぬけた存在なんであります。
 「アルトサックスをもった無邪気で残酷な陽気顔の天使」とでも形容するしかないんじゃないのかな?

 実際、南米の俊英作家フリオ・コルターサルは、パーカーをモデルにして「追い求める男」なんて短編を書いてます。
 これ、とってもよく分かる。てゆうか、パーカー聴いて、創作欲を刺激されない芸術家なんかいないってば。
 もっとも、その「追い求める男」自体の出来は、僕は、対象であるパーカーより、むしろコルターサル内面のしみったれた思索のほうが前面にでちゃった失敗作だと思うけど、でも、ああやってこっち側のしみったれ臭でいちいち隈取りしなくちゃ、パーカーのあの光は表現できないっていう戦略というか間合いはよく分かります。
 Jazz界イチの切れ者、あのマイルス・デイヴィスにしても、パーカーのまえじゃ謙虚もいいとこでした。

----いつも私はパーカーのリードにくっついて演奏していた。バードがメロディを吹いているときには、私は、ただバードについて演奏するだけで、バードが、どのノートをも、ひとりでスウィングさせていた。私がそこに加えられるものといえば、パーカーよりも大きな音の演奏だけだった。パーカーと演奏した夜には、きまって、私は途中でやめてしまっていた。「なぜ私などが必要なんですか?」と、よく私は彼にいったものだ…。(チャーリー・パーカーの伝説<晶文社>マイルス・デイヴィスの証言より)

 僕はね、突きつめていうなら、マイルスの音楽ってニヒリストの音楽だと思うのよ。
 いわば、川端康成やカフカなんかの系統---このひとら、基本的に希求はしないの、己の収監された枠組のなかで感性の秤をゆらし、いかに美しく諦めと無常とを歌いきるかが彼等にとっての勝負なわけ。
 つまりは抒情詩人っていうの? 抒情詩人は繊細極まる感性のひだでもって、絶妙な美を歌いはするけど、だけど、現実的行為の領分では、彼等の仕事はそこどまり、彼等の根本の性質として前進はしない。
 感性と行為は、ある意味反比例しますから。
 行動的前進は、いわば彼等の辞書にない単語なわけ。
 叙情派の仕事はあくまで詠嘆---詠嘆するためには、まず立ちどまらなきゃ---だって、走りながら詠嘆はやれないでしょ?
 運命のドラマチックな岐路ごとにしばし立ちどまって、この世の表舞台からいちど降り、それから自らの手順でそれぞれに詠嘆して、己のその詠嘆とともに美しい塵となって世界に霧散してゆくのが彼等の仕事なの。

 僕は、彼等、叙情派族の仕事も大好き---だって、世の詩人の9割はこっちのタイプだもん。
 でもね、パーカーはちがってた---彼は、圧倒的に叙事詩人のほうのひとでした。
 叙事詩人はね、野太い声で朗々と歌うのよ---ホメロスやイーリアス、あるいは、万葉の時代のあの柿本人麿のように。
 歌っていうのは、僕は、彼等のように、青空にむかって投げつけるように歌うのが、正式の作法だと思う。
 綺麗にまとめた、よくできた小奇麗な詠嘆を紙の上にちまちまと紡いでいくのが近代の歌の作法みたいにいわれてずいぶん久しいけど、僕は、それ、ちがうと思うんだ。
 こういうのはあくまで近代限定の狭い時期のみの一時的流行でしかなくて、万葉の時代から脈々とつづいてきた本来の歌の伝統っていうのは、絶対にパーカーの系譜上にあったんじゃないかなあ。
 そいうってみるなら、ビートルズのジョン・レノンなんかも、やっぱ、こっちの系列ですよね?
 紙の上に詠嘆をしこしこ書き綴るんじゃない、青空に向かって声高に It's been a HardDay's Night! なんつって…。
 そのような本来筋の生まれながらの叙事詩人であったパーカーの凄かったところは、もって生まれたその天然の詩心にくわえて、空前絶後の音楽性をもちあわせていたところにありました。
 音楽っていうのは、もともと即興性の高い藝術なんですけど、パーカーの凄さは、この即興演奏---一般的にいうならアドリブっちゅうやつです---これが、空前の高みにあったことでせう。
 僕は、空前絶後っていいきっちゃってもいいと思う。
 マイルスにしても、モンクにしても、それから、あの気ち○いピアニストのバド・パウエルにしても、ある「一線」を超えた音楽家ならば、みんなこのへんの事情はよく飲みこめてました。

 Jazz の最高峰は、パーカー---
 これに追随する者は世界中のどこにもいないし、今後もたぶん現れない…。
 これは、数学の定理に近い、すでに厳正な「事実」なんです---。

 こんな風に書くと、独断だ、とか、いいすぎだ、とか反発される方は、当然いるでせう。
 でもね、いっぺん褌締めなおして、本気になってパーカーの音楽、聴いてみそ!---絶対、あなた、僕の意見になびくと思うから。
 あえて格闘技流にいうなら、パーカーっていうのは、王向斉と植芝盛平と塩田剛三と花形とテーズとホッジとを総計して120を掛けたような存在なわけ。
 ありえないしょ?
 そう、フツーこういうのってありえない。 
 でもさ、そのありえないことが実現しちゃったのが、いわゆるチャーリー・パーカーという奇跡の現象なんでありました。
 世界には、この種の奇跡が人称化しちゃうことが、ごく稀にあるんっスよ。
 僕は、この「チャーリー・パーカー現象」っていうのは、あのジャンヌ・ダルクやモーゼの紅海割れに比すべき、とんでもないレベルの奇跡だったと思ってる。
 音楽やってるひとなら、絶対、このパーカーの凄さは分かるはず。
 ていうか、分かんなきゃうそだって。
 おんなじブルーズの12小節のコードをアドリブで3度吹いて、どのテイクも水々しく、ワイルドで、完璧無比の極上の「音楽」に仕上がってしまう---あのロシアの業師のショスタコーヴィッチにしても、こんな真似は決してやれなかったろう、と僕は思いますね。
 マジ、こーゆーのってありえないことなんです---なのに、人間業を超えたそのようなことが、いとも易々と実現してしまった。
 それがパーカー---だからこそ、周りのみんなも自然に「バード」と呼んだのよ。
 誰が聴いてもすぐ分かる、なにもかも踏みこえて飛翔しちゃうあっち戸籍のひとだから。
 僕的視点からいえば、パーカーだけはいつも別格なの。
 人間業を易々と超えて翔びすぎちゃってるから、そうした破格の突破者の常として、バードの音楽には、当然「魔界」の風がごおごおと吹き荒れています。

----素晴らしい、感動的だ、それにしても、なんちゅーアンビリーバルな悪魔的ノリだろう!

 あまりにも尖りすぎてて、ときとして人間の美醜の秤の限界すら踏みこえちゃうような特殊すぎる音楽だから、この種の異常な刺激臭を受けつけないひとは、パーカーはたぶん聴けないでせう。
 実際、僕のまわりにも、ロリンズやオーネットやハードパップはいいんだけど、パーカーだきゃあどうもダメなんだよなあ、という寺島泰邦タイプは結構いますねえ。
 世間的安寧なんて、かけらもない音楽だもん。
 聡明なマイルスはそのあたりの機微をよく分かってました--- Charlie Parker On Daial の収録曲 Yardbird Suite では、パーカーのあまりに美しいソロに聴き惚れて、若いマイルスは自分のプレイの出だしを失敗してます。
 Klact-Oveeseds-Teen の Take1 でも、パーカーのソロのあまりの凄まじさに茫然として、オー、若きマイルス、またしてもエンドテーマの吹きしなをミスってる!
 でも、パーカーを聴いてそうなるのは、至極まっとうな反応なんでありまして。

----このような音楽のリハーサルの現場の雰囲気を理解しようとして、顔をしかめて彼は真剣になっていた。ミュージシャンたちが楽器のチューニングを行っているところを、ヒップスターたちが大勢、歩きまわっていた。バードがやっと楽器を取りだし、ストラップを首にかけ、ホーンを口にあてた。クラッシック音楽のヴァイオリニストは、コントロールルームのなかからバードを見守っていたのだが、バードのアルトサックスホーンから、いきなり、機関銃のように音が飛び出してくるのを聴いて、その男は、くらくらとよろめいたのだ---ほんとうに銃で撃たれでもしたように、彼は、二、三歩、うしろによろめくみたいに下がったのだ。そして、「あれはいったい誰だ!」と叫んでいた。(ロス・ラッセルの証言)

 ほかにも、ヒップなひとたちが集まるダンスパーティーの席で、バードが吹きはじめたら、すべてのひとが茫然自失状態になって、踊りが凍結しちゃった、なんて逸話もいっぱいあります。
 「ストレンジャー・ザン・パラダイス」のジム・ジャームッシュの卒制作品「パーマネント・ヴァケーション」のなかでも、あのジャームッシュ、パーカーの「スクラップル・フロム・ジ・アップル」Take1 にあわせて、ヒロインの女子学生にもの凄いアナーキーな、熱狂・首ふりダンスを踊らせていましたし。
 
 Jazz ピアニストの知性派の旗手レニー・トリスターノは、そんなパーカー数々の奇跡のアドリブについて、次のように分析しています。

----バードはたいへんな独創を生みだしただけではなく、いつもとっさにすばらしい演奏ができるという、確実に安定していた一面も、持っていた。バードの音楽は、あまりにも完璧にできあがっているため、科学的とさえ呼べるほどだ。もし彼が作曲家だったならば、なん百という曲をつくることができたはずだ。即興のソロでバードが創り出していくもののなかには、プレリュード、フーガ、シンフォニー、コンチェルトなどに仕立てることのできる素材が、たくさんあった。バードの音楽は、トータルな音楽だった。ほかの誰の音楽にもまさるとも劣らぬトータルなものだった。バードの音楽は、構造的にあまりにも完璧にできているため、さらに磨きをかける余地はどこにもなく、音符ひとつほかの音にかえることすら不可能なほどの完璧さを呈していた…。

 もうさ、ちがいすぎるんだってばさ…。
 なにからなにまで桁違いの、偉大なるひとりサーカス曲馬団!
 パーカーはいいよ---。
 奴がアルトサックスを吹くとなあ、青空いっぱいに目に見えない桜の花びらが無数に舞い散るのさ。
 口じゃちょっといい表せねえ、さながら、千人の花魁がそろって踊りはじめたみたいな塩梅さ。
 見ていて、これほど美しいものはねえ---これほど哀しいものもねえ…。
 あまりに神品な舞いすぎて、しまいには美しいのか哀しいかのけじめもつかなくなってくる。
 奴が、神なのか鬼なのか誰も知らねえ---知らねえが、ともかく、これほどいいものは、おいそれとは見つからねえ…。
 それほどのお宝さ…おおさ、お宝のなかのお宝だとも……。

 そんな稀人チャーリー・パーカーへの入門編として、ええ、さきにも述べた「チャーリー・パーカー・オン・ダイアル」をあげて、この長すぎる記事もそろそろ終わりにいたしませうかねえ。
 この「チャーリー・パーカー・オン・ダイアル」は、パーカーの全盛期の1946~47年の「音」を捕えきった、超・貴重な録音集なんです。
 後年の Verve 録音もいいけど、パーカーをはじめて聴くなら、やっぱりコレでせう。


                   

 ここまで読んでくれたひとがいたら、ありがとう…。
 Dear Friend、三千世界のどこかでいつか会えたら、きっときっとアチチなパーカー談義をやりましょう---!(ダイアル録音 Charlie's Wig を聴きながら)