イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その33☆花形敬のレクイエム☆

2010-12-10 21:33:19 | ☆格闘家カフェテラス☆
                             

 この☆格闘家カフェテラスのコーナーは、ここだけの話、あんま人気ないんですよ。
 自分的には非常に気に入ってて、前回のルー・テーズ以外にもいろいろと暖めているネタはあるんですが、なにせ人気がない。アクセスしてくる方がとんとおられない。
 というわけでいま現在、必然的にやり甲斐のない、秋口のとぼとぼ散歩道的なたそがれページとなりつつあるんですが、実をいうと僕、どうにも好きなんですよねえ、このページ。
 ブログ、というジャンルであることを最大限利用してこれからも細々とやっていけたらなあ、なんていまのんきに思ったりしているのですが、今回のカフェテラスのゲストは凄いですよ---なんと、あの伝説の喧嘩師!---花形敬さんなんであります。
 うわーい、ぱちぱちぱち。(口笛、指笛等の高い音も)
 なぬ、この方をご存じない?
 話のそとだ、そんなのは、おとといおいで! と勢いにまかせていいたいところですが、そんな傲慢対応かましていた日にゃあ僕自身の明日もないし、わざわざ訪ねていただいたお客さんに対しても申しわけない、ということで改めて初心にかえって、この方のプロフィールを紹介させていただきませう。

  -----花形敬。
     1930年小田急沿線の経堂に、良家の子息として生まれる。
     千歳中学校を自主退学ののち国士舘中学に移籍。そののち明治大学予科に進みラグビー部に所属。身長182センチ。
     1950年、渋谷の安藤昇の舎弟となり、無類の喧嘩の強さから大幹部に引きたてられる。
     前科7犯、22回の逮捕歴あり。相手が何人いようが刃物をもっていようが、自らは決して武器をもたない
     「素手喧嘩(ステゴロ)」で通し、いざ喧嘩となった際の凄まじさは、あらゆる暴力団関係者から例外的な
     伝説としていま現在も語り継がれているほどの特別の存在。いわば暴力世界のカリスマ。
     漫画「グラップラー刃鬼」の花山薫のモデル。
     東映映画「疵」では陣内孝則が、「安藤組外伝」では哀川翔が、それぞれ花形役を演じた。
     全盛期の力道山をビビらせたこともある。1963年9月27日、組関係の抗争から刺殺される。33才だった。

 どのエピソードも人間離れしていて凄いんですが、現(?)住吉連合常任相談役の石井福造氏のこの回想が極めつけにすさまじいので、この場を借りてちょっと紹介しておきませう。
 渋谷の盛り場で、この石井さんが若い衆に命じて、なんか金品巻きあげのようなことをやっていたらしいんですよ。
 で、ひとりになって靴磨きに靴を磨かせていると、いつのまにか10人をこえる土方の一団にまわりをすっかり囲まれていたことに気づくんです。めいめいがツルハシとかハンマーをもってて---要するにお礼まいりにやってきたというわけなんです---石井さんも普通のおひとじゃない、腕には自信がある、しかし、いくらなんでも相手が多すぎるし、皆、武装までしてるんだからこれは分がわるい。

----靴磨いてんだ。終るまで待ってろ。

 とはいったものの、さて、どうしたものかと困っていたら、そこに花形敬が現れたというんですよ。
 以下、本田靖春氏の著書より引用します。

「兄貴、どうしたんですか」
 花形は石井を立てるように、丁寧な物言いをした。
「いや、この連中が話したいというもんだから」
「ああ、そうですか。じゃあ、ここはまかせておいて下さい」
 土方たちをうながして先に立った花形は、渋谷大映裏の空地に入っていった。
 ここでも片がつくのに「何秒」しかかからない。リーダー格と目される男の顔面に、いきなり花形の右ストレートが伸びた。その一発で、男は横倒しになり、完全に失神した。
 パンチの勢いに驚いて、他の連中は四方へ逃げた。その中の一人を追い掛けた花形は、追いつきざま、相手の腰に飛びついた。千歳の生タックルである。
 三メートルは飛んだと石井はいう。地べたに叩きつけられた男の顔を三つ、四つ踏みつけておいて花形は石井に声を掛けた。
「さあ、行こうか」
 息も乱れていない。
「そういうとき、花形は格好つけないんですね。何事もなかったような顔してる。強いのも強かったけど、度胸が凄い。十人くらいいたって、平気なんだから。負けるなんて、全然、考えたことないんじゃないですか」
 これは、いまになっての石井の感想である…。(「疵-花形敬とその時代-」文春文庫より)

 ああ、楽しい。花形敬の最強伝説を語るときほど楽しいことって、僕にはそうありません。
 なんしろ強いんです。ハンパないんです。しかも、僕ら素人がそう評するのじゃなくて、花形の場合、むしろ暴力のプロの方々のほうがそうおっしゃられるわけなんですよ。自分はいついつのどこで花形と喧嘩して負けた、とかね。普通だったらそういうことってありえないんです。負けても勝ったといいはらねば、たちまちメシが喰えなくなる業界です。
 しかし、そうした修羅界の常連さんがたにとってすら、花形は別格の存在なんです。
 花形が相手なら負けて当然と誰もが思ってる、だから、自分がいかに簡単に花形に叩きのめされたかを得々と語るのです。これは、きわめて異常な事態です---つまり、花形敬とは、まさにそのような異常な語られ方をされるような、「特別な」男であったというわけなんですよね。
 この「特別さ」は、このエピソードに端的に顕れていると思います。
 ええ、あまりにも有名な、例の花形銃撃事件です。
 1958年、渋谷宇田川町のバー「どん底」の前で花形は背中から声をかけられます。

「敬さん」
 青白い疵だらけの顔が振り向いた。特徴のある目は深い酔いで焦点が定まらないようであったが、向けられた銃口にはすぐ気づいた。
「いったい何の真似だ、それは」
 ドスのきいた低い声に動じた気配はない。恐怖にかられたのは牧野の方であった。身体の正面を彼に向け直した花形が一歩一歩迫ってきたからである。
 撃たなければ殺される。牧野は夢中で引き金をしぼった。しかし、弾は花形をそれた。
「小僧、てめえにゃおれの命はとれないぞ」
 後ずさりしながら牧野は二発目を発射した。弾はその掌を射抜き、衝撃で花形の長身が半回転した。続いて第三弾が左の腹部に撃ち込まれた。さしもの花形もその場に崩れ落ちる。
「やりました」
「やったか」
 これで、やっと枕を高くして眠れる。そう思って石井が安堵の胸を撫で下ろしていると、花形の動静を探らせるために放っておいた森田の若い衆二人が、血相変えて現れた。花形が石井と森田の居所を探し求めて、渋谷の街をうろついている、というのである…。(「疵-花形敬とその時代-」文春文庫より)

 驚異---撃たれても死んでない。
 さらには、運び込まれた病院を脱走して、自分を撃った相手を探して渋谷中歩きまわってたっていうんですから…。
 これには、撃ったほうの一団もまっ青だったと思います。これはコワイよ。
 しかも、花形のこのときの怪我の具合をあとから分析してみると、決して軽いものじゃないんです、弾の一発は左掌の人差し指と中指近くを貫通して穴をあけてましたし、腹に撃ちこまれたほうの弾は左腰貫通して坐骨骨折を起こしてました。通常でいうなら最低でも4ケ月の入院が必要なところだったとか。
 けれども、花形さんはそうしない、それどころか仇の居所を夜更けすぎまであちこち探しまわり、そのあいだも酒を煽り、焼き肉を二人前平らげ、夜明けには女をつれて宇田川町の旅館にしけこんだというのだから絶句です……。
 これはもう空手何段だとかベンチプレスで120キロあげれるとかいったレベルじゃぜんぜんんない。 
 恐らく、脳天のさきまで響くような歯痛の極みみたいな激痛が、一晩中、身体中のすみずみまで駆けまわっていたはずです。
 1秒1秒が地獄だったと思います。
 歩くたびに限界致死の痛みが脳髄の奥までギチギチと響きわたってくるというのに。
 なのに、焼き肉を食べ、あまつさえ女まで抱いてるんですから---これは、異常な耐久力であり異常な根性ですよ。
 僕は歯医者とかにいくたびに彼のこのエピソードを思いだして、痛みに耐えようとまあ思うんですが、いつも2.5秒あまりで挫折しちゃう。花形はちがう。恐らく、麻酔抜きで歯を全部抜いても悲鳴すらあげないんじゃないでせうか。そんな人間はいないと僕も以前なら思ってた。でも、花形なら、やっちゃうと思いますね。

 東興業の安藤昇さんがこの事件を知ったのは、翌日の昼すぎに事務所にでてきてからでした。
 すぐにひとをやらせて花形を呼んだそうですが、いくら尋ねても花形はなんにもいわない。そのうち、花形が身体を動かしたとき、何かのはずみかでそのズボンの裾から、撃たれた拳銃の弾が床にコロンとこぼれ落ちたということです---。

 ルー・テーズの師匠であるジョージ・トラゴスは、若いころ、よくテーズにこういっていたそうです。

----いいか、ルー、世の中、上には上がいることをを決して忘れるな…。(ジョージ・トラゴス:米国のレスラー。サブミッションの達人)

 ええ、花形敬とは、トラゴスがこのようにいっていた「上の上」---ぶっちゃけていうならまさに喧嘩の天才だった、とイーダちゃんは思ってます。
 どんな分野にも天才っていますから。そして、とっても悔しいけど、天才には凡人は絶対敵わない。
 この花形銃撃事件は、僕はたまたま起こった銃撃事件を花形自身があえて「演出」して、自分をとりまく新たな「伝説」作りに利用したんじゃないか、と解釈しています。痛みはすさまじかっただろうけど、彼自身は案外新しいタイプの喧嘩みたいなつもりで、やっててけっこう楽しかったんじゃないのかな。
 闘いのために生まれてきたようなこんな男に勝てる奴なんて、まず、いなかったでせう。ランクがちがいますもん。
 知り合いのムエタイ・マスターは、僕がこの説を述べると怒るんですが、僕は、喧嘩の強さっていうのは、生まれつきあらかじめ決定されてるもんだと思ってます。後天的な鍛錬やら格闘技の習得である程度までならこの溝を埋めることは可能でせうが、完璧に埋めきることは恐らくむりでせう。
 この花形敬という男には、結局、誰もかなわなかった。
 格闘技のチャンピオンだとか暴力世界で名を知られた無類の喧嘩名人とか---ちょっと比類のないランクの強者たちであればあるほど---逆に、生前の花形とは注意深く距離をおいて、徹底的に対決を避けてました。
 恐らく、強い奴には強い奴がわかるんでせうね。本能でもって。
 安藤組の武闘派ななかでも極めつけといわれていた、50人からの舎弟頭、空手4段の西原健吾氏も、花形と喧嘩になりそうになったとき、運転手に耳打ちしてクルマを停めさせ、ドアをあけるなり一目散に逃げだしたそうですから。

---あの喧嘩の強いのが、物凄い勢いで逃げましたからねえ。必死なんてもんじゃない。いまも目に浮かぶようです…。(元安藤組幹部、M氏の証言)

 あの世界チャンピオン、ルー・テーズも喧嘩の強者として認めていた、全盛の力道山にしても、花形をまえにした際には、対処法は西原さんとごいっしょでした。引用いきます。

 昭和三十年の暮れ、そうした新しいビルの一つに、キャバレー「純情」がオープンする。その挨拶がないというので、開店の当日、花形が出向いて行き、マネージャーに経営者を呼ばせた。
 ところが、出て来たのは、力道山であった。
「何の用だ」
「てめえに用じゃない。ここのおやじに用があるんだ」
「この店の用心棒はおれだから、話があれば聞こう」
「てめえ、ここをどこだと思ってるんだ。てめえみてえな野郎に用心棒がつとまるか」
 花形に野郎呼ばわりされて、力道山の顔に血が上った。怒りで両手がぶるぶる震えていた。
 朱に染まったような力道山の顔面に花形がぐっと鼻先を寄せて、初対面の二人のにらみ合いが数秒のあいだ続く。
「中に入って飲まないか」 
 折れて出たのは力道山の方であった…。(本田靖春「疵-花形敬とその時代-」より)

 セメントマッチの強者・力道山は、このとき、花形の目のなかの「ただならぬもの」をたしかに目撃したんだと思います。
 それは、いったん目にしてしまったら、あの力道山すら一歩引かざるを得ないような類いの危険なものでした。
 花形の映像はそう残ってはいませんが、僕がこのページの冒頭に掲げた写真からも、それなりの「鼻」があれば、花形のその種の危険な匂いが嗅ぎだせるのでは、とイーダちゃんは感じてます。
 というのは、この写真なかの花形、顔の表情にリミッターがなんもかかってないんですよ。
 リミッター---ええ、僕ら、一般人って普段の自分の表情にもある限界線を決め、そこから先に感情が暴走しないよう案外入念にコントロールしてるもんなんです。普段の笑いならせいぜい大笑いまで、酒の席でならまあ馬鹿笑いまで、しかし、狂的な笑いまでにはいかないようにって常に注意深く自粛してる。
 日常生活をつつがなく送るために我々が調整してる、いわゆる理性作業の表情抑制リミッター---それが、この写真の花形の顔には見事なまでにありません。
 これは、行くとなったら、とことん行くところまで行く顔ですね。
 命が惜しいとか、迷いとか、そんなことはまったく思ってもいない、修羅の顔であり鬼の顔である、とイーダちゃんは思います。
 しかし、この鬼ときたらふしぎな鬼ですよ。死んでから何十年もたつというのに、ずいぶんいろんなひとから愛されているやうじゃないですか。

----拘置所に面会に行きますね。他の連中は番号で呼ばれて出てくるのに、花形さんだけは名前で呼ばれるんです。そのアナウンスがあると、百人からの面会人のあいだから、何ともいえないどよめきが起こるんだな。来ているのは、ほとんどが稼業人ですから。花形さんというのは、そういう存在だったんです…。

 今宵の僕のこのページも、そういった拘置所のどよめきのなかの小さな声のひとつです。
 強い者に憧れるごく単純な心理でもって、ここまで綴ってきたこのささやかなページを---たぶん天国にいるだろう花形敬さんにむけて、こっそり捧げたいと思うイーダちゃんなのでありました。m(_ _)m