イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その89☆箱根の霊地「精進ヶ池」探訪記☆

2011-11-25 20:22:08 | ☆パワースポット探訪☆
                      


 箱根といえばわが国でも指折りの観光地---早川のせせらぎに沿ってつづいている17湯に、あと、寄木細工に富士屋ホテルに旧街道---観光客を満載した箱根登山鉄道や観光バスが山間や山道をたえず行き交い、湯元、宮ノ下、強羅、姥子に仙石原と、とにかく、どこにいっても終日ひとがあふれてるにぎやかな土地だというのが、多くのひとの抱いている最大公約数的なイメージなんじゃないか、と思います。
 実際、そのイメージは、あながち外れでもない、箱根には、たしかに「そのような」顔もあるのですから。
 ただし、それが箱根という土地のすべてだ、といいきってしまうのは短絡なんでせうね、やはり。
 観光地というのは、あくまで箱根の一面でしかありません。
 今日、このページで僕が紹介しようと思っているのは、そうした表の箱根とは別の相の裏箱根---古来からつづいてきた「霊地としての」箱根の横顔にちょいとスポットをあててみたい、とまあ思ってるわけなんです。
 さーて、この目論見がうまいこと日の目を見れるのかどうか---いささかなりとも興味のある方は、お急ぎ途中のおみ足をとめられて、さあ、しばしのお立ちあい、お立ちあーい!(^0^)μ


                         ×          ×          ×

 箱根は僕の地元である横浜からわりに近いので---距離走行距離95キロ、時間にして述べ1時間半ってとこかなあ?---以前から僕は、あき時間ができるとすぐにクルマを飛ばして、箱根の各所を頻繁に訪れたものでした。
 都会に長くいると、息、つまっちゃいますから。
 深い呼吸がしたくなると、手近な場所は、僕にとっちゃ箱根だったんですね。
 まず温泉。そして、なによりオゾンがいっぱいに充満した、瀟洒で美しい箱根の山々。
 よく訪れたのは、第一に姥子にある姥子温泉「秀明館」さん---こちら、温泉チャンプのあの郡司さんがナンバーワンに推したこともある、自然湧出の名湯なんですわ---それから、湯元の有名な日帰り施設「天山」に「一休」あたり---あと、大平台の共同湯「姫の湯」や宮ノ下の共同湯「太閤湯」なんか---などが主な目的地だったのですが、たまにはそういったお決まりのコースから外れて、気のむくままの周遊ドライヴを楽しむことなどもありました。
 で、そういった無軌道ドライブのとうちゅうで、ある日見つけた場所が、ここ「精進ヶ池」だったんですね。
 ほんと、予備知識もなんもなく、たまたま、トイレがしたくて停めた場所がここだったんです。
 ここには旧街道散策のための解説小屋みたいなのが建ってるんですよ---結構大きくて立派な建物、そのなかにトイレもあるの---せっかくきたんだからと小屋のなかの懇切丁寧な解説の類いも読んで、池のほうに何気に降りてみたら---
 そしたら、池のほとりにでた途端、なんか空気が変わったの。
 静謐感。
 空気がすごくひんやりしてる。
 なに、いきなしこの別世界感覚は? と思った。
 なんだか怖くなって、いままで自分がクルマを飛ばしてきたルート1の道路をつい振りかえっちゃった。
 そこを見知らぬクルマが何台か流れていくのが見えると、心なしか安心したりして---なんというか、反射的ににぎやかなものが見たくなったんですよ---ということは、すなわち、日常との絆がそれだけ途切れやすい場所なんでせうね、ここ「精進ヶ池」っていう場所は。
 言葉を換えれば、この場所は、とっても非日常な場所ってことになる…。
 ぶっちゃけていうなら、いわゆる「異界」ってやつ?
 含みをこめたマイルドな表現を使えば、諸々の地霊っていうのかな。
 ここに足を踏み入れたとき、そうしたものの気配が濃く感じられたんですね。
 ま、でも、そのときはそれだけの印象でしかなくて、それ以上どうこうしようっていうのはありませんでした。
 イーダちゃんには霊感ありませんし、ここ、たしかに静かでひんやりしてるけど、凶暴でおっかない、なんて印象は皆無でしたから。こちら、場所的に芦の湯の湯さんの近くにあるんで、近郊の芦の湯さんを訪れたときなんかには、ああ、そういえばこの近くにはあのふしぎな池があったっけ、と思いだしついでに寄ってみたりすることはときどきあったけど。
 僕と「精進ヶ池」との縁(えにし)の結びはじめは、ま、そのような感じだったのでありますよ---。


                         ×           ×            ×


 そんな風だった「精進ヶ池」と僕との関係が変化しはじめたのは、たしかおととしくらい、神田の神保町で入手した一冊の古本が契機だったように記憶してます。
 それは、「霊能者・寺尾玲子の新都市伝説“闇の検証”第二巻(朝日ソノラマ)」という本---残念ながら現在は廃刊---なのでありました。
 寺尾玲子さんってご存知?
 彼女、少女向けの怪談漫画雑誌「HONKOWA--旧名:ほんとにあった怖い話(朝日新聞出版)」に連載されている人気レギュラー漫画「魔百合の恐怖報告(山本まゆり作)」に登場する、実在の霊能者さんなんですよね。一部では有名なひとなんだと思う---世間的な認知度があるかどうかはべつとして。
 いい年をした中年男ながら、僕はこのまゆりさん描くところの寺尾玲子さんのひそかなファンなんでありまして、彼女関連の企画本がでると大抵購入していたのでありますよ。
(ちなみにイーダちゃんは、過去のマイ・ブログ<徒然その58☆鎌倉・恐怖の「百八やぐら」探訪☆>と<徒然その27☆カレーと皇居のパワースポット☆>において、この玲子さん関連のページを編んでます。興味のある方はそちらも参照あれ)
 といっても「闇の検証」というシリーズは、山本まゆり先生の描く漫画ではありません。
 これは、実在の霊能者・寺尾玲子さんというキャラを日本各地の霊場へ赴かせて、その各地各所でさまざまな「霊視」を行ってもらうという、「ほんとにあった怖い話」の雑誌編集のスタッフが企画したシリーズ本だったんですよ。
 実在する歴史的な霊場を、寺尾玲子の霊的視点から新たに見つめなおしてみる、みたいなアングルが売りなわけ。
 うーん、じゃっかんキワモノっちゃあキワモノなのかなあ。
 でも、僕としては案外こーゆーの好きでして、古本屋で見つけたりするとけっこうマメに買い集めたりしてたんですよ。
 で、その帰りの地下鉄の席で買いたてのその本をひらいていたら、あらら、なんと箱根のあの「精進ヶ池」のページがあるじゃないですか。
 びっくりしました---喰い入るように読んじゃってましたね。
 この記事についてたコピーがまたふるってた---「箱根の山にミニ恐山を見た!」だもん。
 そして、実際に、ここ「精進ヶ池」まで足を運んだ玲子さんの感想はといえば、

----うん、そうね、似てる。恐山とそれから鎌倉の葛原ヶ丘を足して二で割ったような所よ…。(寺尾玲子談)

 恐山フリークのイーダちゃんとしては、これは黙っているわけにはいきません。
 よし、それじゃあ今度の休みあたりにまたいってみるか、と意気ごんでいたところ、降ってわいたようなリストラ騒ぎがもちあがりまして---それは、2010年7月のこと、イーダちゃんはふいのリストラを喰らってしまったのおじゃります---それにつづいて退職やら北海道旅行、苦難の求職活動などもあいだに挟まざるをえないはめになり、結局、「精進ヶ池」再訪の夢がかなったのは、ようやく先月末のこととなってしまったのです。 
 なんと、意識してからくるまでに1年以上! てなわけでえらい手間暇かかっちゃったわけなんですが、うん、ここは行くだけの価値のある場所でしたね。
 以下は、その検証レポートです---。

 まずは、ページ冒頭のフォトを御覧になってください。
 これが、「精進ヶ池」の全景---時刻は、午後の2時すぎ---なのに、人影がまったく見当たらないでせう?
 これは、僕が意図してそう撮ったわけじゃなくて、ここっていついってもひとの姿があまり見つけられない場所なんですよ。
 淋しい、というか、厳か、というのか、そのへんの区分はわからないけど、天下の箱根だというのに、とにかく人気がないの。
 なんともいえない冷涼とした空気---それは、ここにくるたびに僕が感じていたものです。この地を離れるとすぐに忘れてしまうのに、再訪するとすぐに「ああ、これは…」と思いだすの---が、この池近郊の地全般に漂っているように僕は感じました。
 この1枚の写真から、貴方にもそれを感知してもらえるでせうか?
 「精進ヶ池」は、箱根でもっとも高所の芦の湯の、すぐさきのところにあるの。
 湯本からバスでいくなら3番のバス停から乗って20分ほど---料金にして800円あまりかな?---蘇我兄弟の墓というバス停で下車してすぐさきのところ。
 ルート1号を歩いていくと、むかって右のほうにしんと静まりかえった池が見えてくるから、すぐにわかるはず。
 そこの空間だけ雰囲気がまったくちがうから---うむ、論より証拠---ここらで追加写真を2枚ほど挙げてみませうか。


    

 左上のフォトは「精進ヶ池」の全景の遠景ね---ルート1号から見ると「精進ヶ池」はこう見えるの。
 うん、たしかに! たしかに、これは、寺尾玲子さんいうように、あの「恐山」の雰囲気に似ています---ある意味、ミニ恐山と呼びたくなる気持ちもわからないじゃない---たちこめている静けさの質が、なにやらしんとした凄みをたたえていて、なるほど、恐山境内のの宇曽利湖のあの空気を思いださせるんですよ。
 ルート1号を隔てたところには、六道地蔵の祠がぽつんと建ってます。
 それが、右上のフォトね---ちなみに、これは、左写真の池の向こう岸から、こちらを振りかえったときの1枚---この六道地蔵のアップの写真もここにUPしておきませうね。


      


 左上のこれ↑が、精進ヶ池の六道地蔵ね---で、右手のほうは青森・恐山境内の慈覚大師堂。
 いかが? ねえ、なんとなくこの両者、似てません?
 これ、実際にいってみると、目に見えないすぐさきのところにもうすぐ死者の世界がひらけてて、そのちょうど境界の部分に、これらの祠が建てられているんだなあ、みたいな生々しいイメージが、どちらの祠からもビンビンに伝わってくるんですよ。
 アタマからじゃなくて、なんというか、もう肌ごしに---。
 スケール的には、それはもう恐山のほうが圧倒的に巨大で深いのですが、張りつめている空気の質はやはり同種のものなのでは、と感じます。
 ええ、「死」の香りと、それを悼む「鎮魂」の気配がいまも漂っている土地柄っていうのかな?
 案内板を見ても、「地の池」とか「死出の山」とかの、不気味な地名がやたら多いようですし。
 さらには、こちら、以前の正式名は「生死ヶ池」といっていたそうなんですよ---死者の霊は、池のまわりを3度まわって、死出の大山・駒ヶ岳におもむくというのが、いわゆる当時の死後の旅立ち用マニュアルだったとか…。
 しかし、よくよく考えてみれば、それ、当然の助動詞なんですよね。
 むかしむかしの箱根---しかも、こんな最高峰の深い山中といいますと、コンクリート舗装された道も自動車もなかった当時の人たちにとっちゃ、まさに人跡未踏の超・僻地だったわけですから。
 ひとの通わぬ、めったに足を運ぶこともない、さぞ恐ろしい場所だったにちがいありません。
 当時のひとたちにしてみれば、この世ならぬ異界---妖怪変化の跋扈する場所として認識されていたとしてもまったくふしぎじゃない。

----…浄化はしてるけどね、この辺一帯、死体の捨て場所だったんじゃないの…?(寺尾玲子談)

 ぞくぞくっ。だとすれば、この「精進ケ池」が人里離れた特別の霊地として育っていったのも、ある意味、歴史的必然だったのかもしれません---。

 イーダちゃんは、この「精神ケ池」のまわりを徒歩で一周してみました。
 平日の午後のいい天気の箱根です---とちゅうで誰かほかのハイキングのひととかがくるだろう、と高をくくっていたんですが、いくら歩いてもなぜか誰ひとりやってきません。
 とっても静か---やや心細い心持ちで、叢のなかの道を歩きます。
 池のまわりは舗装こそされていませんが、踏み固められた50センチ幅ほどの細い道ができてまして、ゆっくりとこの細道を歩いていきますと、いまさっき記述した六道地蔵さん、それから八百比丘尼の墓、平安期の武将である多田満仲の墓なんかを、散策がてら見ることができます。
 ほかの観光地でいきなりそういうのに出会うと「ギョッ」となっちゃうかもしれないけど、こちら「精進ヶ池」のなかで彼等と出会いますと、案外そうでもない、というか、なんかかえって落ちついて和めるような気さえしてきます。
 彼等のまえで、一応合掌して、許可もらって、何枚か携帯写真を撮影させてもらいました---。
 

          


 左が、ルート1号を隔てた丘のうえにある六道地蔵---その祠のなかの六道地蔵さんの本体ね。
 中央は、池周辺の元箱根石仏軍の磨崖仏---そうして、右端のが八百比丘尼の墓---。
 だーれもいない、平日の箱根で、午後のうららかな光に照らされて、彼等・石仏と時空を超えた会話をかわすのは、なかなか楽しゅうございました。
 あ。これも追加---これは、「精進ケ池」のいちばん奥の向こう岸から、こっちに向かって撮った一枚ね。


                       


 この写真はちょっと気に入ってるんだ---向こう岸に見える小屋は、箱根旧道の案内小屋ね。
 あと、池のこっち側ってね、道、ないんですよ。
 踏み固められた草葉が、結果的に道らしい跡を作りだしているだけでね。
 湖と岸とのあいだのけじめもないの。柵もない。一歩進んだら、そのまま足首が池にちゃぽんなわけ。
 ほかの地方ならいざ知らず、天下の箱根でここだけが、この「精進ケ池」だけが、いまでもそうした未開の印を残しているんですよ。
 人間どもの十八番である、あの浅ましい「開発」とやらも、まだここには届いていないんです。
 なぜ?
 そうさせまいとするなんらかの力が働いているから?
 これは、追求する価値のある問題だと僕的には思えるんですけど。


                         ×          ×           ×
 


 ええ、そんなこんなで、僕はこの午後「精進ケ池」の探索を楽しんでやれたわけなんですが、これは、天候に恵まれたせいもきっとあるんでせう。
 もし、黒くて厚い雲がごーんと低く垂れこめた、肌寒い冬の夕刻にここにきたら、とってもそんな余裕めいたことをいえる余裕はなかったでせうから。
 季節と時刻と天気によって、いくらでも表情の変わるとこなんじゃないのかな?---夜叉の残酷顔から地蔵の柔和顔まで、あらゆる表情ヴァリアーションを実はもちあわせていて、そのときの気分と相手のカルマによって、 敏感な猫みたいに手持ちの表情をころころ変えていく---この「精進ケ池」ってとこは、もしかしてそんなコワイ場所なのではないのかしら?
 今回、たまたま僕は「精進ケ池」の柔和な面のみを拝ませてもらったというわけなんだけど、それってひょっとして結構ラッキーだったってことなんじゃないかな?
 さわさわさわ。風の歩みにあわせて草の葉先がそよぎます---。
 そのささやきに何気に耳を傾けながら、イーダちゃんはそんなことを考えたのでありました…。(^.^;> 

 
 



 
 

徒然その88☆水瓶座生まれの詩人について--ジャック・プレヴェール礼賛--☆

2011-11-14 21:58:23 | ☆西洋占星術への誘い☆
                         
                               <副題:水瓶座生まれということは…>


 まえに「徒然その83☆格闘家のための太陽星座別人名録☆」や「徒然その24☆新・アーティストの太陽星座別人名録☆」なんかにもちろりと書いたんですが、イーダちゃんは、水瓶座生まれのアーティストを苦手としていた時期が長いことありました。
 ちなみにイーダちゃんは水瓶座生まれね(1.21~2.18)---その視点からすると、水瓶座のアーティストって、なんか中途半端に生ぬるい気がして、あんまり熱中の対象にはなりにくかったんですよ。
 たとえばルービンシュタインのショパンを聴いて---けっ、なに人類愛っぽいハンパなショパン弾いてるんだよ、なんて心中ひそかに毒づいたり。
 あまつさえ、あの大ボブ・マーレーのレゲエなんか聴いてても、それそれ、俺、アンタのその空中に拡散していくような、広大な優しさのポーズがイヤなのよ、なんて不遜にもイチャモンつけてみたり。
 (注:ポーランドの大ピアニストの故アルトゥール・ルービンシュタインもボブ・マーレーも共に水瓶座生まれです)
 僕的には、指揮に熱中するあまり、叫びながら懐中時計をオーケストラのなかに投げつけるような、牡羊座生まれの伊の大指揮者・トスカニーニの激情なんかがもっぱらの憧れだったんですね。
 牡羊座生まれのトスカニーニの猪突猛進---溶岩さながらに燃えさかるパトスのなんという美しさ!
 それから、なんとも男っぱい射手座生まれ---知性と野生との絶妙のブレンドを見せつける、全盛期のジミヘンの巨大な炎みたいな奇跡のステージ…。
 いやいや、どちらも憧れでしたねえ---。
 僕は、水瓶座のアーティストからも、そういった激しいモノをキャッチしたかったんですよ。
 ただ、そーゆーのと微妙にちがうんですよねえ、水瓶座のアーティストの発する藝術の芳香は。
 水瓶座の芸風ってもっとこう温和で静かなの。本質的に大人っていうのかなあ。でも、僕は、水瓶座独自のそのように「引いた」エセ坊主みたいな---有名どころでいうとヴァイオリニストのクライスラーとか、文学でいうならあの「クリスマス・キャロル」のディケンズとかの---ああいったテイストが苦手で、ずーっと嫌いに思ってました。
 でもってほかの星座生まれのひとたち---猪突猛進の単純さが至純なまでに美しい牡羊座生まれと、ほれ、オレサマの世界を聴かせてやるぜ、という無自覚な傲慢さがなんとも愛らしい獅子座生まれ---いわゆる「火」の星座群アーティストの芸風に特に惹かれてました。
 きちんと統計とったわけじゃないからはっきりとはいいかねるんだけど、友人連の評価なんかもざっとまとめていくと、どうも水瓶座生まれのひとは、自分とおなじ水瓶座生まれの藝術家の藝術を疎んずる傾向が導けるような気がします。
 むろん、これは水瓶座だけにかぎった話じゃなくて、牡牛座生まれのひともおなじ牡牛座のアーティストの藝術を過小評価したり、天秤座生まれのひとも天秤座の藝術家の藝術を「調子がよすぎる」みたいな感じで忌避するような傾向は、やっぱりあると思うんですよ。
 思うにこれは、自分と同質のモノを評価する場合、おのずと点数が辛くなるってアレではないかしら?
 誰だって自分にない特質に惹かれるのはごく自然なことだし、隣りの芝生が青く見えるっていうのも、ひととしての必然でせうから---。

 しかしながら、40の坂をこえたあたりから、そのような自分の偏った性癖の眼鏡を乗りこえて、ようやく水瓶座のアーティストの芸風を素直に認められるようになってきたんですね。
 この門戸解放のきっかけはなんだったのかな?
 ひょっとして、それは、トリフォーだったかもしれない。
 映画好きならご存じでせうが、トリフォーっていうのはフランソワ・トリフォー、1932年の2月6日にパリで生まれた、水瓶座生まれの映画監督のことなんです。
 あのゴダールなんかと同世代の、ヌーベルヴァーグの世界的な巨匠のひとり。
 代表作は、「大人は判ってくれない」とか「ピアニストを撃て!」とか「アメリカの夜」とかあのあたり---。
 同期のゴダールなんて見るからに才能の塊で、新作のたびに圧倒されたものですが、イーダちゃん的にいうなら、心理的に軍配をあげたいのは、むしろ圧倒的にこっちのトリフォーのほうなんですよ。
 才能は---悔しいけど、ゴダールのほうが上かもしらん---しかし、瑞々しい抒情の純粋性って見地からいったらね、この青春期のトリフォーに勝るひとはそうはいまい、といまも考えています。
 特に、同期のゴダールといっしょに、ジャン・ポール・ベルモンド、ジーン・セバーク主演の「勝手にしやがれ!」を撮影しているときに撮りはじめた、初期作品の「大人は判ってくれない(1959)」の胸のつまるような、切なくて、それでいて同時にノスタルジックな、あの圧倒的な抒情性ときたら!
 これは、映画史上、稀有な作品じゃないか、と僕は思ってるんですが。
 なにしろ、コレ、素直なんですよ---小技がない---ハッタリも斬新なテクも裏ワザもほとんど使わずに、旧来のクラッシックで素朴な物語技法だけで、パリの一不良少年の転落の歴史を、誠実にかつ地道に撮りだめて、しかも、それが結果として、極上の生きた「ポエジー」として結晶化してる…。
 これは、狙ってできるようなモンじゃありませんや。
 生誕に偶然までもが見方した、神に愛された傑作といいきっちゃっていいんじゃないかな?
 (ちなみに、ページ冒頭のフォトは、その「大人は判ってくれない」の一場面。少年院から脱走したルネ少年が、生まれてはじめて海を見るラストシーン)
 作中のどのシーンにも---家出のシーンにも、バルザックの祭壇にロウソクを灯すシーンにも---この主人公の少年・ルネを真摯に見つめるトリフォーのまなざしが、画面の背後からルネの肩口に寄りそって、息をひそめて、そっと貼りついているんです。
 主人公・ルネの苦悩や焦燥、喜びや怒りにあわせて、黒子であるところのトリフォーのこの呼吸がいかに繊細に、微妙に変化するのか。一見淡々とした観察としか見られかねないこの詩人のまなざしに、果たしてどれほどの労力と愛情とが賭けられているのか。映画が進むごとに、それが、痛いほど感じられてきます。
 これほどの感情移入は、はっきりいって珍しいんじゃないか、と思います。
 こんな風に感情移入しまくりのラインで撮っちゃうと、フツーは作品自体クサくて見られないモノになっちゃうか、監督の視線の強さに無意識の反発を覚えて、お客が作中世界に入れなくなっちゃうとかしそうなものなんですが、なぜか、この映画は見ていてもそういうことにはならないの。
 これほど真摯に、かつ熱く見つめているというのに、その視線が邪魔にならないってふしぎです。
 ゴダールなんかはどのシーンにも、監督自身のウンザリ視点がウザイほど貼りついていて、映画を見るうえでの障害になりそうになっているくらいだというのにね。それとまったく対照的なんですよ。
 この手の視線の「無私」加減---本人的にはものすごーく熱くなってるつもりなのに、それが個性としての自己主張の押しに結びつかないというか、自己主張しつつも、なぜかそれが「引き」の気配として相手に感知されるというか---これが、ひょっとして水瓶座独自の主張のスタンスなのかな? と、このごろ僕は思うようになってきました。
 占星学の大御所の松村潔氏にいわせると、水瓶座を含めた「風」星座に共通する特色は、「拡散」だということです。
 むーっ、なるほど、「拡散」か…。
 そう取れば、僕が長年にわたって、アチチの「火」の星座群---特に牡羊座や獅子座に対してもっていた、水瓶座のコンプレックスの要因も解けるかもしれません。
 つまり、水瓶座生まれのイーダちゃんは、自身の星座に対して、なんとも浮き世離れした弱々しい特性をずっと感知していたのですよ。自分的には、それは、世間を渡るうえで、非常に不利になる特質だと感じてました。
 なんというか、水瓶座という星座には、自身の肉体を寄りどころにして、思いっきり世間と闘って、自分の欲望やら野望をガンガンかなえていこうという執念が薄いというか、元々その手の野心が欠落してるようなところがあるんですよ。
 よくいえば、これは無欲ということになるんだろうけど、この世を魑魅魍魎渦巻く阿修羅界と定義した場合、この種の無欲者はタラットカードのゼロ番「ザ・フール」そのものですからね。
 牡羊座や獅子座となるとその点全然ちがうの---彼等はもっと生臭い生活力をたんまり所有してる、というか、彼等のもっている「生き抜いてやろう」という一途な執念には、淡泊な水瓶座風情には到底及びがたいものがある。
 生きるということに対して、彼等は非常に貪欲に、しゃにむになっているように僕からすると見えるわけ。
 僕は、知りあいや恋人の瞳のなかに、それの顕れを感知するとき、いまでも小動物のようにたじろぐんですよ。
 ああ、自分は動物として不完全だ。もっと生きることに対してしゃかりきに、がりがり亡者にならなくちゃ、このさきとてもやっていけないゾって憂鬱になるんです…。

 総論---自分の性癖だけを頼りにかようなまでの論を振りかざしちゃイカンのでせうが、僕は、水瓶座生まれっていうのは、基本的に闘争には不向きの星座だと思ってるんですよ。
 これは、徒然その83で「☆格闘家のための太陽星座別人名録☆」をつくったときにも痛感しました。
 ファイターの数が、ほかの星座群に比べて圧倒的に少ないんですもの。
 仮に、人生が野生のジャングルだとすると、冷静に見て、水瓶座生まれには生存のチャンスは少ない、と読まんわけにはいかんでせう。
 僕的には、それがひどいコンプレックスなんですよ、いまも。
 理想としては梶原一騎みたいに---ちなみに、あの昭和漫画の象徴・梶原一騎氏は、乙女座生まれです!---あくまでも雄々しく、かつきらびやかに闘いたいんですよ、僕の内面の背伸び好きの坊やはね。
 しかるに、僕の内面の生来のスッピン顔は、梶原一騎というよりは、むしろあだち充寄りなわけ。
 うーん、「タッチ」や「みゆき」はそれなりによくできた作品だと思うけど、いざ鎌倉という修羅場局面になると、やっぱり闘争心の総量において「あしたのジョー」とか「空手バカ一代」とかには及ばない気がしますもんね…。

 さて、ここまで読んでこられて、鋭い方はそろそろお気づきになったかと思いますが、僕は、あらゆるものを「闘争」と結びつけて考えるクセがあるんです。
 僕的なコンプレックスの発生要因は、すべてがそこに帰着します。
 なぜ、そうまでして「闘争」にこだわるのか?
 と問われれば、たぶん、自分本来の性格が、人一倍臆病なビビリ気質を有してるからだと思います。
 分析力って技自体、そもそもが不合理なモノから受ける恐怖を無化するために編みだされたテクですもん。
 逃げたがりの心情が、かえって天邪鬼に恐怖の本体に接近していっちゃうという、この矛盾したメカニズム。
 僕は、水瓶座の諸作家の作品のあちこちから、この手の「体臭」を嗅ぎとってしまう。
 水瓶座って、そう、他の星座群なんかとくらべると、やっぱり現世臭が弱い、というか総じて淡いんですよ。
 それを、エロス(男女間の肉身の生々しい愛のこと)ならぬアガペー(性別に囚われぬ神の愛)の顕著な表れだ、なんていうひともいますが、いやいや、そんなのはうそだと思いますね。
 肉身の愛の「エロス」こそ何よりのリアルです。
 だからこそ僕は、この「エロス」の上に立脚して見事な花を咲かせている、牡羊座や獅子座生まれの作家の、苦闘する汗まみれの、生々しい藝術に魅了されるわけ。
 水瓶座の作家のよくいわれる「精神性」っていうのは、逆に、この世にうまく立脚できてない、存在係数の低さの顕れ、なんじゃないのかな…。


                               
                                    <イラスト:イーダちゃん>


 といったようなわけで、水瓶座の作家たちとはいまだあんまり肌があっているとは思えないイーダちゃんなんですが、そんな僕にしても、やっぱり一目置くような水瓶座の作家さんも少数はいらっしゃるわけでありまして。
 で、今日やりたいと思ったのは、そんな作家さんのざっとした紹介なんですよ---なんか、今回はおっそろしく前口上が長くなっちゃいましたけど。
 てなわけでラングストン・ヒューズです---。
 ご存じですか?---ラングストン・ヒューズ---彼、1902年の2月1日生まれの、アメリカの、ブラックの詩人なんです。
 年齢からして、公民権法以前のアメリカを肌で知っていらっしゃる方。胸にじわーっと染みこんで、その余韻が長いこと消えないような、暖かくてブルージーな詩を数多く残しました。
 論より証拠、まずはこの一点---

        My People

    夜は美しい、
    わが同胞たちの顔もおなじ。

    星は美しい、
    わが同胞たちの目もおなじ。

    美しい、太陽も、また。
    美しい、わが同胞たちの魂も、また。
                    (木島始:訳)

 ひさびさ読んで、じわーっときました、いいなあ…。
 けど、このひと、やはり根本が非常に水瓶座的ですよね、視点の位置がとってもアクアリアン。
 水瓶座の作家って、あえて肉体の外側から対象を見つめようとするとこがあるんですよ。普通だったら自身の後頭部から対象にむかってまっすぐ伸びている、己が視線の矢を、あえて自身の後頭部スペースから外そうとするというか---「火」の星座の牡羊座や獅子座とちがって、自分の肉身を通して対象と交わろうとするのを厭う傾向というかね---そのような性癖がどうもある。
 「それが、水瓶座的な空気なんだよ」といわれれば、たしかにそうかもな、とある程度納得できそうな感じもするんですが、どうにも僕はその結論にうなずきたくないんだなあ。それが難儀なとこなのよ。

 さて、水瓶座の有名どころであとひとり---本日のメインデッシュとして---今度はパリ生まれの、ジャック・プレヴェール氏の紹介といきますか?
 この方もかなり古い世代のひと---ラングストン・ヒューズと同世代の、1900年2月4日生まれの、水瓶座の詩人です。
 いちばん有名なのは、シャンソンのスタンダードの「枯葉」の作詞者としての顔かなあ。
 それとも、フランス映画「天所桟敷の人々」の脚本家としての顔のほうでせうか。
 いずれにしても多才なひとでして、このムッシュ・プレヴェールは、いろんなところで多くの仕事をしてるんですね。
 そのどれもが今日の視点から見ても興味深いものであることはほぼまちがいないんでせうが、彼の仕事のなかで僕がもっとも傾注してるのは、あの「枯葉」ほど有名じゃない、でも、読んだ瞬間、胸底に一陣の爽快な風が駆け抜けていくような、以下の一篇の詩なんです。
 ま、とにかく目を通してみてください---ほい。

          劣等生

      彼は頭でノンと言う
     けれど 心ではウイと言う
    好きなひとにはウイと言うが
     学校の先生にはノンと言う
      彼は立ちんぼうのまま
       質問を受けている
     すっかり質問が出そろうと
    いきなり げらげらと笑いだし
     何もかも消してしまう
       数字も 単語も
       年代も 人名も
        文章も 罠も
     先生からはおどしつけられ
    できる子たちにからかわれても
     いろんなチョークで彼は書く
        不幸の黒板に
       幸福の顔かたちを
              (平田文也:訳)

 如何です? いい詩でせう?
 口のなかでこっそり朗読すると、なおよろし。
 この詩本来の高貴な芳香が、口腔内の上顎部分をふわーっと立ちのぼっていくのが体感できるはず。
 特にラストの2行---これを読んだ瞬間、貴方の背筋をどんな風が吹きぬけていったでせうか?
 僕はねえ、この詩がもー むちゃくちゃに好きなんです。
 この詩がなけりゃあ、ええ、ひょっとしてジャック・プレヴェール自体に関心をもつこともなかったかもしれない。
 それくらい超・好きなの!---というかこの詩って、トリフォーのあの名画「大人は判ってくれない」を、この一篇でほとんどいいつくしちゃってる気味すらありますよね?
 うーむ、素晴らしい---水瓶座独自の、己が本能臭から遠去かろうとしてるきらいは相変わらずあるけれど、にもかかわらず、これは、まったく素晴らしいですよ…。
 難しい言葉はまったく使ってないのに、人間の心のおっろしい深みまでまっすぐに届いてくるこのまなざしの素早さときたら、まるでモーツァルトの音楽のようではないですか---水瓶座作家の淡すぎる自我臭に不平たらたらだったイーダちゃんですが、ここに至って、初めて水瓶座生まれであることに誇りがもててきたような次第です…。


                 ×          ×           ×

 まあ、話としてはだいたいこんな感じでせうかねえ。
 占星術に関心のない方には、まったくのところ非科学的すぎて、読めない内容だったかも。
 そのへん勘弁、ご容赦あれ---ただね、イーダちゃん的には、自分が水瓶座生まれであるという事実が、長いことほんとに重荷だったのでありますよ。そのことがどーしてもいいたかった。
 最近、ようやく自分に与えられたこの運命と、なんとか友人付きあいできるほどの大人にはなってきたのですが、牡羊座や獅子座に対する片思いにも似た憧れの気持ちは、いまだにくすぶりつづけて消えないままですね。
 あの井上陽水さんは、二階の窓から祭りの神輿が通りすぎていくのを見てるのが好き、なんてことをまえにいっていましたが、僕にいわせるなら「陽水さん、貴方は乙女座生まれなんだからそんなこといっちゃダメ、それこそまさに水瓶座のスタンスなんですから」といったようなことになりそうですね。
 ええ、水瓶座という星座のなかには、なんというか非常に傍観者的な目線が、あらかじめ混入されているのですよ。
 僕はね、この傍観者みたいな、悟りすました、エセ坊主めいた目線がチョー嫌い。
 愚かであってもいい、クールな傍観者でいるよりは、熱き行為者でありたいと思います。
 これからさきの人生においても、二階の窓からの祭り見物より、叫びながら、汗まみれになって神輿を担ぐほうの役を選びたい---ええ、先生からは怒られ、生徒たちから馬鹿にされても、プレヴェールの描いたあの劣等生のように、さまざまな色のチョークでもって、「不幸の黒板に幸福の顔かたち」をしゃにむに書きつづけていきたいものだなあ、とイーダちゃんは切に願うのでありました…。(^.^;>



 
 
 
 
 

     
               
    

 

徒然その87☆「雪国」の故郷-越後湯沢の「山の湯」を訪ねて--☆

2011-11-05 01:52:41 | ☆湯けむりほわわん温泉紀行☆
                        


 2009年9月終わりの2泊3日の新潟温泉旅の帰路、越後湯沢の「山の湯」さんに寄ってみました。
 新潟の日本海沿いの「西方の湯」のある中条駅から、鈍行列車を乗り継いで、越後湯沢まで、ほぼ4時間半あまりの列車旅。僕のヤサは新横浜ですから、新幹線を使わずに道のりの半ばまで鈍行でいき、わざわざ越後湯沢で途中下車したってわけ。

----なに? じゃあ、お前は、たかが温泉だけのために、越後湯沢で下車したのか? 

 と問われれば、まあそうですねえ、と笑いながら答えるしかない。
 越後湯沢にある共同湯、この「山の湯さん」は、ええ、古くからイーダちゃんの座右の湯のひとつなんですよ。
 いままでに何度ここに訪れて、固く凍えた心と身体とを癒させてもらったか、もう勘定もできないくらいですねえ---ええ、それくらい繁く、ここには足を運んできています。
 思えば、温泉に凝りはじめた2006年のあたりから、この種の参拝ははじまったように記憶してます。
 なぜ、そうまでこの「山の湯」に魅かれるのか---?
 むろん、名湯だからです。それは、決まってる。
 澄んだお湯の底にほのかに香る硫黄臭がなんともたまらない、自然湧出のお湯をこちらの「山の湯」さんが、昔からいままで、しっかりと管理されているからです。
 これほどの名湯につかれるのは、温泉好きにとって至上のヨロコビですもん。
 こちら、湯口からお湯がボコッ、ボコッと湯舟に注ぐ、その注ぎ方が、自然湧出ならではの不規則な注ぎ方をしてるんですよ。ときには湯口からのお湯の流れが、とまったりすることもある。で、4、5秒後にまたボコッなんて溢れてくるのを、あったかい湯舟に肩までつかりながら眺めているときのあの至福…。
 ただ、僕がここに足繁く訪れるのには、もうひとつ、いわゆる第二の理由があるんですねえ。
 それは、あの川端康成の名作「雪国」の舞台になったのが、ここ、越後湯沢であったということなのであります。
 あのー イーダちゃんは、むかしっから骨がらみの川端フリークなんですよ。
 ですから、「山の湯」さんにつかっているとき、イーダちゃんの胸のうちには、いつでも川端さんのあの「雪国」がこだましているわけなんです。
 ところで、あなた、「雪国」は、読まれましたか?
 日本文学はじいさん臭いからイヤ、とか、陰気に枯れてる風情が苦手だからまだ未読だとか、そのようなことをおっしゃっているならあまりにもったいない…。
 未読の方のためにちょっとだけ解説させてもらえるなら、えーと、この「雪国」っていうのは、東京で虚名を売った著名な舞踏の批評家である島村って男が、冬のあいだだけ、越後湯沢の温泉に湯治にくるんです。
 で、現地にきたら芸者を呼んで、と---まあ、ひとことでいえば、彼、「女漁り」にきてるわけ。
 そうやって、こっちでたまたま引っかけた、若くて美しい芸者の名前が、駒子---。
 そのようなケシカラン情事の話なんですが、東京への遠い憧れと、この島村への思いがだんだんに募っていって、ヒロインの駒子がこの遊びのはずの恋愛にぐんぐん深入りしていっちゃうんですね。
 この種の恋愛劇にハッピーエンドなんてありっこないってことぐらい、骨の髄まで知りつくしているくせに…。
 こうして僕がストーリーを述べると、ありふれたただの薄汚い不倫モノになっちゃうんだけど、川端さんがこの話を書くと、話のどんな細部までもがきらきらと艶やかに光り輝くんだなあ。
 僕は、川端さんは天才だと思います---大江健三郎はちがうと思うけど。
 ま、能書きをいくら連ねても無駄撃ちにしかならないから、このへんでそろそろ川端さんの実弾紹介にいきますか---ほい。

----妻子のうちへ帰るのも忘れたような長逗留だった。離れられないからでも別れともないからでもないが、駒子のしげしげ会いにくるのを待つ癖になってしまっていた。そうして駒子がせつなく迫ってくればくるほど、島村は自分が生きていないかのような苛責がつのった。いわば自分のさびしさを見ながら、ただじっとたたずんでいるのだった。駒子が自分のなかにはまりこんでくるのが、島村は不可解だった。駒子のすべてが島村に通じてくるのに、島村のなにも駒子に通じていそうにない。駒子が虚しい壁に突きあたる木霊に似た音を、島村は自分の胸の底に雪が降りつむように聞いた。このような島村のわがままはいつまでも続けられるものではなかった。(川端康成「雪国」より)

 はあ、写してるだけでため息がでちゃうよなあ…。
 なんという名文、そして、それらすべての底に潜んで、すべてを冷酷に観察している、なんというこの「ひとでなし」目線---。
 川端さんは、ある高僧がかつて述べたように、一種の「鬼」じゃないか、と僕は思います。
 「鬼」は「鬼」でも、たぶん彼の場合、あてはまるのは「餓鬼」でせう。
 美の「餓鬼」、愛の「餓鬼」、それから、他者の生命のきらめきに対して羨望の吐息をもらすことしかできない、ひととしていちばん大事な部分があらかじめ欠落した、さまよえる「餓鬼」…。
 このひとは完璧にネガティヴ戸籍、この世の影の国在住の埒外者ですよ。
 もうはなからこの世に生きてないんですね---ただ、たまたまこの世に産まれてきちゃったから、かろうじてなんとか生存してる---おもしろいことなんかなんもない、薄暗くて淋しいばかりのこの世だけれど。
 他人の愛情も葛藤も、世の騒乱も混乱も、なーんも関係なし。
 どうせ煙のごとき世の中だもの、ふらふらと川べりを散歩しつつ、ときどき草むらのあいまに恋人たちがまぐわってるのを見つけたら、おお、いいなって餓鬼のまなこでじーっと眺めて、餓鬼の視線で情事の炎の最後のほむらまで見つくして飲みこんで……そうすればなんとか残りの行路もゆらゆらと歩いていける…。
 言葉はわるいけど、僕はこのひと「生命の乞食」じゃないか、と以前から感じてるんです。
 面白いことも、生き甲斐も夢も、なーんもないの。あるのは「むなしむなし」の退屈と孤独と。それと、たまさかの肉の情事---それ見て、男女の交合のエネルギーと光とをふかーく吸いこんで、ほんで、またゆらゆらと暗い叢のうえを飛んで、うつろっていくばかり…。
 なんか人間じゃない、むしろヒトダマとか浮遊霊みたいなイメージなんだけど、僕、川端さんの本質はそれだったと睨んでますね。
 このひとは大作家なんかじゃありません、ただの妖怪ですよ。
 妖怪というか、一種の「色情霊」なんじゃないかなあ。ひとと称するためには、ちょっとばかし壊れすぎているもの。
 ただ、壊れてはいるけど、感受性の冴えと繊細さにかけては、なんとも無類のモノがあるんです。
 
----「しかそんな夢を信じるもんじゃない。誰だってそんな夢は見るが、逆夢のことが多いんだ。そんな夢を信じると自己暗示にかかって、嘘がほんとになったりするからね」
  「そんなことを言ったってだめですよ」
  「どうしてだめだ」
  「なんて言ったってしかたがありませんもの。この秋に死にますね。枯葉が落ちる時分ですね」
  「それがいけないんだ。死ぬと決めてしまうのが」
  「私なんかどうなったっていいんです。死んだっていい人間は沢山あると思います」
 お夏は固くうつむいていた。突然私はこの自分の滅亡を予見したと信じている存在に痛ましい愛着を感じた。このものを叩毀してしまいたい愛着が私を生き生きとさせてきた。私はすっくと立上った。うしろからお夏の肩を抱いた。彼女は逃げようとして膝をついと前へ出した拍子に私に凭れかかった。私は彼女の円い肩を頤で捕えた。彼女は右肩で私の胸を刳るように擦りながら向直って顔を私の肩に打ちつけてきた。そして泣出した。
  「私よく先生の夢を見ます。---痩せましたね。---胸の上の骨が噛めますね」
 私は二人の死の予感に怯えながら、現実の世界に住んでいないようなお夏を現実の世界へ取戻そうとするかのように抱いていた。この静けさの底にあらゆる音が流れるのを聞いていた。(川端康成「白い満月」より)

 嗚呼、怖い。如何です、この暗いポエジーの怒濤の奔流は?
 読んでいて、そのあまりの地獄ぶりに、ギシギシとこの世ならぬ耳鳴りがしてきます。
 不吉な青白い炎がたえまなく飛び交っているさまなんかは、さながらあのホロヴィッツのピアノ演奏のようじゃないですか。

       
                  ×            ×              ×


 おっと。「雪国」からいくぶん話がずれてきちゃいましたね。軌道修正しませうか。
 そんなこんなで傑出した一代の詩人であった川端さんの足跡をたどる旅が、僕的には非常に愉しいわけなんです。
 興味ないひとには「なんのこっちゃ?」でしかないかもわかりませんが、川端さんが戦前の一時期この越後湯沢に滞在して、あの名作「雪国」を仕上げたっていうのは、動かしがたい事実ですからね。
 ちなみに、川端さんがここに滞在してたときのの宿の名は、「高半」っていいます。
 いまももちろん残ってます、ただ、現在は「雪国の宿 高半」なんて称しているようで---。
 この古びた共同湯「山の湯」さんのむかいの丘陵に、この「高半」さんは、ドーンと建ってます---ええ、近代的な、鉄筋コンクリートのでっかい宿ですよ。
 入口も赤系の絨毯が豪奢で、なんか凄いの。
 で、二階をあがったとこには、川端さんが「雪国」を執筆した当時の8畳間が、そっくりそのまま再現されてるの。
 有料で、入場料を払うと上にいくエスカレーターを宿のひとが動かしてくれて---この部屋を観覧することができます。
 僕も以前いってみた。すると、「雪国」の映画なんかも、1日に何度かここで上映してるんですね。
 ここのお風呂も入ってみたことありますよ---ガラス張りで、景観のいい、掛け流しのいい湯だったと記憶してます。
 しかし、あれやこれやと多くの策をこらすにつれ、原初「雪国」の素朴な情緒から、かえって「高半」さんはどんどん離れていっているように僕には感じられてしまう。
 ええ、「雪国」のなかにあったあの情緒は、むしろ当時の「高半」さんの真向かいにあった、この歴史ある小さな共同湯「山の湯」さんのほうが、より純粋に保持しえているんじゃないか、と思います。
 ですから、僕は、越後湯沢にきたら、いつもここ「山の湯」さん一本なんですよ。
 では、ちょっくらここらで「山の湯」さん周辺の風景なんかも、何点かUPしておきますか---。


   

 まずは、肝心の「山の湯」さんの三景ね---。
 正面入口のガラス戸と男湯の湯舟と着替処の天井---こちらのお風呂は実によくジモティーに根付いていて、いついっても大抵誰かほかに湯浴み客がいるんですが、このときは珍しく僕以外どなたもおられなかったんで、携帯でパチリとやっちゃいました。
 これはもう、見てるだけで涎がでてきそうな、質実剛健の湯舟じゃないですか。
 素朴でなんの飾りもないけど、これこそが真の意味での山のお湯だと思いますよ、うん。
 ちなみに、川端さんも越後湯沢に滞在中、この「山の湯」には何度も足を運んでこられたそうです。
 そうして、こちらは、この「山の湯」さんのある丘陵をさらにさきに登ったとこにある展望---小説「雪国」にも登場する穴沢河の風景です。

          
                       

 僕が以前ここに訪れたときには---いま nifty温泉さんのクチコミ投稿で調べなおしてみたら、2006.9.21のことでした---河の流れの中央の堤防のところに、猿がいっぱいたむろってました。
 さらに右に曲がった河の流れに沿って、河の向かって左の部分に、山道が細々と続いていってるの、見分けられるでせうか?
 これ、「雪国」のなかで島村がたどった散歩コースです。
 すなわち、当時の川端さんが散歩したままの道---それが、まだ、そっくりそのままあるの。
 僕もここをたどって奥までいったことあるんですが、道がつづら折りになって、結構山の奥まで入っていけちゃうんですよね---この道をいくと。
 「山の湯」さんで極上のお湯を堪能したあと、この穴沢河沿いの道をぶらぶら歩く、というのはイーダちゃんお気に入りの、お薦め散歩コースのひとつです。

 おっと。もうひとつ忘れもの---この「山の湯」さんの旬はね、なんと春先なんですよ。
 春先---越後の春は、僕の住む関東に比べるといくらか遅いんですが---その春になると、この「山の湯」さんの敷地内に生えているソメイヨシノの桜が、一斉に花ひらくんです。
 「山の湯」さんの湯舟にぼーっとつかってるとね、窓からすぐにそれが見えるの。
 はらはらはらーってね---これは、極上ですよ---この時期の「山の湯」さんの湯浴みの至純さは、これは、もう譲れない。

----願わくば花の下にて春死なん その如月の望月のころ

 なんて有名な西行法師の歌が、脳味噌の奥の忘却済みの記憶の書庫からぽろっとまろびでてくるような、それはそれはキュート極まりないお湯なんですから。
 温泉好きなひとは、この時期の「山の湯」さんを、是非自らの肌と心で体験してみてほしい、と思いますね---。(^.^;>