イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その210☆ 高貴な自閉症児<マグリッド >☆

2015-05-11 23:37:33 | ☆文学? はあ、何だって?☆
                


 先月と今月、多忙の隙をぬって、六本木の新東京美術館で開催されている「ルネ・マグリッド展」にいってきました。
 絵とはだいぶ離れてる時期ってのが僕にはあって、正直、疎遠の度合いは相当レベルで進んでいたの。
 でも、最近知りあった絵好きのギャルの影響で、そっち系の世界にまた関心もつようになってきた。
 で、そのギャルがいっちゃん好きな画家が、マグリッドなんですよ。
 だから、まあ、マグリットを実際に「体感」しにいってみたわけ---まえのバルデュス展のとき、印刷された絵と実物絵とのあいだに、それこそ数光年の隔たりがあることに気づいて、まさに愕然とした経験がありましたから。
 
 バーチャルじゃない、展覧会という現場で体験した生「マグリッド」は、ふしぎでした…。
 たぶん、このへんなんじゃないのかなあ? なんて僕のさもしい高さ予測を見事なまでに飛びこした、圧倒的なふしぎ感が会場いっぱいにクールに充満してて、その空気にすっかりあてられた僕は、ひさしぶりに日常のごたごたオーラと完璧に切れた、無心の散歩を愉しむことができたんです。
 展示場の角をまがって新しい絵がバンと視野に入るたび、僕、ぷっと吹いちゃった。
 爆笑というんじゃないけど、自然に笑っちゃうの。
 あまりにも生真面目で、突飛で、偏屈で、ひねくれてて、こっちの意表をついて、とにかくユニークなんだもん。
 でも、これは僕だけじゃなく、同行したギャルも、それから、ほかのお客さんらも、結構な確率で笑ってました。
 これ、案外、重要な特徴じゃないか、と僕は思います。
 うん、マグリッドの絵って、笑いを呼ぶんですよ。
 ピカソは?---僕は、笑えない。
 ダリは?---絵にまとわりついてる情念が濃すぎて、やっぱり笑いはでてこない。
 マグリッドって、なんていうか、ちょっと乾いてるんですよ---徹底的に自分を突きはなしてるというか、ものすごーく客観視してるというか。
 極端にいうと、自分自身の感情の動きすら、絵のための実験材料として、ほとんど科学者のような冷徹なまなざしで計量してる風に見える瞬間すらある。
 第3の眼というか、なにか超越的な視座を、肉体の外になんとしてでも設けようとしている動向とでもいうんでせうか。
 このほとんど本能的なまでのマグリッドの体臭隠しの性向が、マグリッドならではの超・個性的な宇宙を構築している主犯なんじゃないか、と今回僕は感じました。

 あとね、マグリッド作品全般に対する先入観として、なんか、このひとのアートってポスターチックだよなあっていうのが、僕的にあったんです。
 だってさあ---



 上の有名な2作品にしても、どっちとも非常に、なんちゅーかポップアート的佇まいじゃないですか。
 キャッチーなコピーを脇に添えれば、そのままどっかの会社の宣伝ポスターとして充分使えそう。
 絵に精魂こめて自らの祈りの世界を編みあげる、みたいな古典的作画姿勢はかけらもなくて、絵の主題自体が、絵そのものよぐーんと目立って見えちゃうというか---そういった姿勢をあえて匂わせているスタンス、というか…。
 あと、このひとの絵って「音」がしませんよね?
 うん、基本的に無音だと思う---マグリッドの提示してくるヴィジョンって。
 たとえば、ダリの絵なんかだと、いろんな音が溢れまくってるんですよね。
 僕は、ダリの絵世界には、古典的芸術家の真摯な感情のさまざまなきしみが、いっぱい盛られてるように感じます。
 だから、そっちの感情面のベクトル側から眺めてみるなら、ダリは、わりと分かりやすい画家なんですよ。
 提示してくる幻想はシュールであっても、それに付随して響いてくる感情の流れは、なんというか素直です。
 たとえば、あのサルバドール氏、ジョン・レノンが好きで、ジョンと会ったとき、とてもはしゃいで「僕はイモムシになっちゃった、イモムシになっちゃったよ~」といって絨毯を這いまわったそうです。
 少々エキセントリックだけど、僕は、こーゆー無邪気なふるまいって結構好き。
 その種の無邪気さって、よく見るとダリの絵世界のなかに、かなり投入されてるんですね。
 だから、僕等は、ダリの絵を見て、逢ったことのないサルバドール・ダリという異国の男の、一種の「人間臭さ」に触れることもできるわけ。
 でも、マグリッドは、そうじゃない。
 彼の絵のなかの時間は、とまってます。
 人間臭い情念の澱も、注意深く入念に漉しとられてる。
 画布と画家とのあいだに距離がある。 
 しかも、その距離は、マグリッド自身が企んだもの。
 マグリッドは、会ったことがないんでなんともいえないんだけど、たぶん、ただの無邪気人じゃない。
 どちらかといえば、複雑繊細な自我をもった、他人との距離感に非常に気を使う、いわゆる典型的な近代人の面影をもったひとだったように思います。
 会場で57年にマグリット自身が撮った家族間のホームビデオを公開してて、たまたま僕はそれを見たんですけど、それを見たかぎりじゃ、彼は、非常に夫婦間の愛情に厚い、ユーモアのある紳士といった印象でした。
 音楽家でいえば、めったにひとをわるくいわないピアニストのルービンシュタインにまでひどく嫌われて、「厭な奴」とまでいわしめたクロード・ドビッシーより、もっとラベル寄りのタイプ---。
「スイスの精密時計」とまでいわれた、あの完璧無比の技をもつ凄腕の音楽職人、あの「ボレロ」のモーリス・ラベルは、ルービンシュタインやホロヴィッツにいわせると、非常に人付きあいのいい、細かい心配りのできるナイスガイだったそうです。
 そんなナイスガイが、張りつめた神経の細糸で編みあげたような、あれほどの完成度の藝術をなぜつくれるのかは謎ですが、僕は、マグリッドの絵を眺めながら、どうしてかラベルの音楽のことを連想せずにはいれませんでした。
 タイプ的には少々異なるキャラのおふたりですが、根本のところでは両者には共通項がある。
 それは、ふたりとも「決して告白しない」芸術家である、という点です---。

 というより、告白しないことを自らの掟にしていたふたりである、といったほうがより正確かな?
 マグリッドもラベルも無類のメチエの冴えを誇った、いわゆる職人肌の芸術家でありました。
 「告白しない」「職人肌」と、こうふたつの特徴をならべてみると、我が国の三島由紀夫なんて方もちょっと思いうかんできますね---僕は、彼の文學は大嫌いなんだけど。
 ま、しかし、そのように自己を告白しようとしない、依怙地な子供がいいんと顔をゆがめた刹那の印象をそのまま形象化したような、彼の諸々の画布と美術館で実際に対面してみますと、なんというか、ゆらめくような凄いインパクトがあったんですね。
 去年、僕は、上野のバルティス展にもいったんだけど、バルティスの場合、絵世界がまだ文学的なんですよ。
 だから、自分がバルティスにやられてゆらめくときのゆらめきの総量が、なんとなく予測できるわけ。
 でも、マグリットは予想できなかった---美術展いってあんなに笑ったのは、僕、初めてです。
 笑うって、実は凄いことなんですよ。
 ギャグで笑うとか漫才で笑うとかはべつとして、あまりにも自分内予測を超えたものに遭遇すると、ひとって自然に笑うんです。
 そういえば全盛期のホロヴィッツの爆裂演奏を聴いたホールの聴衆が、演奏途中でげらげら笑いだした、なんて逸話が残ってますけど、そのときの聴衆のびっくり加減、僕もよく分かるなあ。

 マグリッドの絵には、そのような「笑い」があった。
 とっても淋しくて怖い世界なんだけどね---でも、どうしてか知らず知らず笑えてきちゃう。
 まあ、あんま能書きばかりならべてもしようがないので、美術展のなかで感銘を受けたいくつかをここに紹介しておきませうか----




 左上の絵は「記憶」、右上の絵は「人間の条件」---。
 どっちともネットで画像拾えなかったんで、仕方なしに携帯で絵葉書写してあげたものです。
 当然、画像も荒く、色も汚くて、現物の極上絵と比較できたもんじゃない。
 でもまあ、面影くらいは伝わってくれるんじゃないかな?
 どっちもわりに文学的読みの可能なタイプの絵なんですけど、特に右の「人間の情景」内の、透明なキャンパス越しに見える「木」のなんたる美しさ!
 僕は、この絵自体は知ってたんだけど、印刷写真は現物の絵の美しさをまったくといっていいほど写しきれておらず、この絵のまえに立ったときはマジびっくりした。
 ええ、この木の枝々と緑の葉のかもしだすみずみずしさに、目線を折りとられるようでした…。
 なんだろう、この匂いたつような、胸を締めるつける郷愁の翳りは…?
 けど、たぶん、このネット上の写真じゃ、ほぼ絶対この「感じ」は伝えられないと思う。
 いま自分でこれ見ても、右の絵の木はなんだかもやもやと輪郭がふたしかだし、左のね「記憶」にしたって、背景の荒さばかり目立って見えてきちゃうし。
 でもね、マグリッドの現物はちがうのよ---右絵の木は観察者の眼を痛くするほど鮮やかだし、左絵の曇り空も、幾層にも繊細に塗りわけられた影の感じが、見てるひとの深層心理までゆらすのよ。
 そう、理性にでなく、教養にでもなく、深層心理にむけて語りかけてくる絵なんだな…。
 饒舌か寡黙かというなら、もちろん寡黙のほう。
 というか、寡黙の極致といってもいいかも。
 普通のひとは意識や理性にむけて使う言葉を整備してるから、マグリットの使う言葉には、うまく対処できないし、よく理解もできにくい。
 なにせ、心の奥のそのまた奥にむかって発せられた言葉だから、聴きとめることすら難しいの。
 そもそもの受信回路がないんだから、むりないって。
 でも、彼の寡黙な「ふしぎな言語の響き」にふれると、やっぱり耳をとめて立ちどまるわけ。
 彼の投げかけてくる音のないふしぎな言葉は、それくらい魅力的な響きをさせてました。
 僕が、先月・今月とマグリット展にいって体験したのは、だいたいそんなようなことだったんじゃないか、と自分では思っています---。

       

 で、展覧会から帰って2、3日してから、ふいにその感覚を思いだしたんですね。

----あれ、そういえばあの絵の感覚、どっかで感じたことあったぞぉ…。

 記憶の引き出しをあちこちあけて検討してたら、やっと思いだせた。
 それって、いつか豊島区でひらかれた、自閉症児の展覧会でした。
 僕の仕事はいま福祉系だから、そっちの方面のことには自然興味がいって、そういった催しがあると、なるたけ出向くようにしてたんです。
 そのとき展示されていた自閉症児たちの絵と、マグリットの絵はとてもとく似ていたんです。
 絵のなかの時間がとまったような、あの感じ---。
 凍結した風景のなかで、無表情な子供がじーっと上目遣いでこちらのほうをうかがっているような、奇妙に薄ら寒い、あの独自の対峙感は、たしかにマグリッドの絵世界のもつノリに酷似してました。
 プライバシーとかもあるんで、あいにくのことそのときの展覧会の絵をそのままアップすることはできないんですけど、その代わりにネットで見つけたそれとよく似た香りのする自閉症の子の作品を、ひとつここにあげてみませうか---

                   

 マグリッドの時間を超越した、世界の終わりの情景をデッサンしたような、あの独自の世界の秘密は、僕は、そのあたりにあるんじゃないか、と睨んでる。  
 ひょっとしてマグリッドは、繊細で依怙地で頑なな、そんな自閉症気質の子供のまま、大人になったひとなんじゃないかしら?
 僕は、彼の生涯についてはあんま詳しくないんだけど、その気質から察すると、生きていくうえでの葛藤っていうのはハンパなかった、と思う。
 ホームビデオに見られるいかにも人の好さげな紳士顔のうしろに、これほど繊細深淵な世界を隠しもっていたマグリッド…。
 ただ、素直に「偉いなあ」って思います。
 マグリッドの絵が時代を超えて常に新しいのは、彼が、時代を超えた秘密のお城にひとりぼっちでずっと住みつづけていたためです。
 マグリッドは、生涯そのお城に居住しつづけました。
 そして、そのお城の窓から眺めた世界のありようが、そのまま彼の絵になった。
 彼に奇妙な絵に、ほかのシュールレアリズムの画家のような作為やあざとさが見えないのは、たぶん、そのおかげ。
 彼は、当時流行ったていた「苦悩の芸術家」みたいな仮面を、一度としてかぶりませんでした。
 シェークスピア役者のような大仰な愁嘆場を演じようとしたこともない。
 彼は、いつでも謙虚で、寡黙で、正直でした。
 生涯自分のままでありつづけ、また、そのような自身の宿命に黙って殉じきったのです。
 僕は、そんな風に読みたいなあ---。


×             ×             ×


 後半2つめにUPした絵は「ガラスの鍵」---僕のフェバリアットなマグリッド作品のひとつです。
 これ、今回の展覧会にも出品されているので、ぜひ現物をご覧になって、そのビザールな味わいにめまいしてください。
 僕的には、これ、とっても郷愁を感じる作品なんだけど…。
 今回の展覧会には、総計して10時間くらいいましたかねえ。
 幸い、六本木新国立美術館の「ルネ・マグリッド展」は、6月の中旬までやってます。
 マグリッドの絵に忍んだ「ガラスの鍵」でもって自身の心の鍵をあけ、自分自身もこれまで知らなかった、自分内の秘密の石造りの庭園にでて、ひっそりと午後の野のかおりを深呼吸するのは、人生で味わえる快楽のなかでも最上ランクの歓びのひとつであるか、と存じます…。
 


 

   
 
 
 

 
 
 
 

徒然その209☆箱根<大涌谷>511噴火大作戦を警戒せよ!☆

2015-05-07 22:02:43 | ☆<不正選挙訴訟>の巻☆
     

 2015年の5月7日のついさっき、クルマで箱根までいってきました。
 目的はシンプルです---大涌谷・箱根山の噴火危機状況の調査。
 いくとちゅうのカーラジオから、現在、箱根山の警戒レベルは2であり、大涌谷小涌谷道路(ルート735)が通行止めになったという情報が、何度もくりかえし流れてきます。
 実際、小田原厚木道路からルート1号の箱根湯本までの道程、こんなに道がすいてるのは初めてでした。
 正月の午前中だって、もうちょっと混んでます。
 観光客は、たぶん、噴火危機のニュースに惧れをなして、そろって家族旅行をキャンセルしちゃったんでせうねえ。
 旅館のほうの打撃もこりゃあ大変なものだろうなあ、なんて思いつつ、ハンドルを操ります。

 箱根湯本到着---12:00。
 天候は曇り。
 下は、湯本駅前の状況をフロントガラス越しに写したものです。

     

 いかが? すいてるっしょ?
 普段の湯本の混みようを知ってる方なら思わずのけぞるくらいの、これは、閑散ぶりです。
 噴火危機情報が効いてるんだろうなあ、これは。
 ちなみに、僕ことイーダちゃんは、マスコミの流布させる情報に、多大な不信感をもってるニンゲンであります。
 これより前の<不正選挙裁判記事シリーズ>を読んでもらえばお分かりのように、マスコミこそニッポン潰し大作戦の片翼じゃないか、と思ってる。
 マイ・ブログの<むーちゃんねる>というコーナーを攻めてもらえば判明するように、僕は、あの311も、それからその直後すぐに起こった福島原発事故も、いわゆるアメリカの利権のために、アメリカに飼われた日本の政財界+マスコミがぐるになって起こした、完璧な偽装テロだった、と思ってる。
 状況証拠は、それこそ1000くらいあります。
 それを証拠に仲間らと国相手に裁判起こしたんですけど、信じがたい不条理裁判長がでてきて、でたらめ極まる超・法規措置でもって、みーんな潰されちゃった!
 そのあたりの動向に興味のある方は---

       リチャードコシミズ・ブログ richardkoshimizu's blog

 を、すぐさまご訪問あれ---。
 こちらでは、世界最先端の、ぶっ飛びクラスのハード・インテリジュンスが、実に分かりやすく解説されています。
 アメリカの裏側、TPPの真意、アベの役割、イスラム国の正体、311の目的、さては、マハティール航空機はどこに消え、ドイツ機はなぜ堕ちたのか…。
 ま、ロシアの声 Voise of Rusia なんかでも最近そのあたりの情報を流しだしましたけど、いかんせん日本は北朝鮮並の情報統制古代国家ですから。
 マスコミ始発の情報なんて信じてたら、近々泥沼の戦争にひっぱりこまれるよ、マジで。
 ですから、今日、僕はわざわざ警戒レベル2の大涌谷くんだりまでいってきたのです。
 僕、いくついでに上海製の愛機・ガイガーカウンターをもっていきました。
 大涌谷近くまでいけたら、こいつで近辺の放射能量を計ってやろうという魂胆。
 で、がらがらのフジヤホテル越して、さらにがらがらのユネッサン(あんながらがらのユネッサン駐車場、初めて見たよ)も越え、湖尻から大湧谷までずっとつづいてるルート735へ左折しようとしたら---あちゃあ、情報通り、完璧な通行止めが実施されてます…。
 マスコミの取材車が道路の路肩にずらーっとならんでて、なんとなく不穏な空気です。
 ロープウェイも路線バスもどっちもとまっててて、上空では、これ見よがしに、さっきからヘリが威嚇的なプロペラ音を轟かせてるし…。

       

       

 12:20ルート735姥子前の放射線量は、0.12μsv でした---。
 これは、はっきりいって大した放射能量じゃない、僕の地元のヨコハマとほぼ同クラスの、通常の放射能量です。
 うーん、異常放射能、捕まえられなかったか、と、ややしんみりする僕…。
 あのね、いま現在、世界には「人工地震」とともに「人工噴火」のテクノロジーもあるんですよ。
 僕は、箱根の噴火もそっち系じゃないか、と睨んでた。
 いや、いまでもそう思ってるんだけど、それをやるためには、軍隊と技術者と小型の核兵器なんかが要るんです。
 小型核の爆発力でもって、地下のマグマが地表にあがってくる通路をつくってやれって戦略ですか。
 実際、これは、人工地震より簡単らしいね。
 ただ、爆発させたら、いくら小型核とはいえ、やはり中性子線やガンマ線、放射能なんかがある程度出るわけで。
 だから、異常な放射能値を測定できれば、すなわちその噴火が自然噴火じゃない、人工噴火だと立証できるはず。
 そのように思って張りきって測定したんですが、今回は、あいにくのこと、異常な放射能量は測定できませんでした…。
 (でも、一般人を封鎖して、その密室状態の土地で秘密裏になんかやってる、という可能性はありかも)

       
        

 でも、まあ、ひさしぶりに姥子くんだりまでくりだしてきたんだから、箱根一の名湯「姥子温泉 秀明館」のお湯にでもついでにつかっていくかなあ、と、ここでふいに欲がでてきちゃって---
 ルー734と735の接合部から姥子までは、ほんの2、3キロしかないんですよ。
 で、いってみた---いってみてよかったですね、施設のひとから思わぬお話を聴けたから…。
「姥子温泉秀明館」は、大岩から直接湯が自然湧出してくる、箱根でもとびっきりの名湯なんです。
 したがって施設は超・人気、いついってもクルマは駐車場に満杯のはずなんですが、さすがにこの日は、ひと、きてませんでした。
 
----信じらんない…、ここ、マジ秀明館なの? と、なんかおののく感じ。

 珍しく森閑として、鶯の声くらいしか聴こえないから、受付の宿の女性と、しばらくお話してたんですよ。
 最近大変ですねえ、と何気に僕が切りだすと、ええ、ここんところ毎朝、朝になると、地面からゴン! ゴン! となんか突きあげてくるんですよ。
 今朝はたまたまそれなかったんですけど、厭だわぁ、なんつって。
 で、僕は、もちろんそれに飛びついたわけ。

----えっ。下から毎朝ゴン! ゴン! ですか?

----ええ、地震ってああなんですかねえ? 噴火だからちがうのかしら? みんなしてヘンだヘンだっていってるんですよぉ…。

----ほほう、と思わず呻る僕。

----でもね、それだけならまだいいんですよ。もっと厭なのはね、やっぱり毎朝、ほら、富士の自衛隊の演習場のほうから、やっぱり毎朝、ドン! ドン! と凄い音がするんです。いえいえ、それは地面じゃないんです。空気を通して、あっちのほうから(ト方角を指さして)いつも響いてくるの…。なんですかね、アレ…?

 これ聴いて、僕、ちょっと震えました。
 これって人工地震(あるいは人工噴火)のための準備段階の、見事な状況証拠となる証言じゃないか、と思ったわけ。
 裏とるために帰りの湯本でも聴いてみたけど、ジモティーの幾割かは、だいたいにおいて似たような経験をされてるようでした。
 
----いまはいいんですよ、まだ警戒レベルがせいぜい2だから。でも、これが3になったら、国道735だけじゃなく、ユネッサンまで降りていく734まで閉鎖されちゃうんですって…。そうなったら困るわぁ…。

 ええ、ネットやRKブログに詳しいひとならいわずもがななんでせうが、今月の511---つまりはあと4日後の5月11日---
 あの311につづく人工地震の新たなプロジェクトがあるんじゃないか、と、いろんなひとが危惧しています。 
 時代の本流は、いまや欧米からアジアに移行しつつある、AIIBにBRICSなんぞは、それの顕著な一例です。
 むなしく取り残されるアメリカと米$---アメリカは幾年もまえから巨額破産の危機に直面しており、それを避けるために、残された軍事力をめいっぱい行使しようとしています---この超・キケンな国家が自らの生き残りと$防衛のために、今度はなにを仕掛けてくるのか?
 
 秀明館の素晴らしい岩湯につかりながら、僕は、岩湯の大岩前で両掌をあわせて、神よ、箱根を守りたまえ! なんてつい祈ったりしちゃいました。
 ふだんは手こそあわせるけど、それは、無心になるだけで、コトバでの祈りなんてめったにしないのよ。
 でも、、珍しくもそうしたら、その2、3秒後にいきなり浴室の窓から明るい日がさしてきてね---湯舟じゅうのお湯がきらきらと光ったの。
 さっきまであんあにどんより暗かったのに---あんまりそれが綺麗だったんで、思わず写真に撮りました。
 それが、これっス---。



 このときのふしぎな日差しのように、511の悪辣謀略も無為に終わることを祈りつつ、このへんで筆を置きたいと思います---お休みなさい!(^o-y☆彡


 

 

 

徒然その208☆ ボクシング、ボクシング! ☆

2015-05-01 20:11:31 | ☆格闘家カフェテラス☆



 ボクシングが好きなんですよ。
 格闘技全般、みんな好きなんですけど、ボクシングは特に好き。
 東京に勤めてたときには、暇ができると後楽園ホールによく通ったもんでした。
 職場が神奈川に移ってからは、さすがに疎遠気味になってたんですが、先月4月某日、夜に時間があいたんで、ひさびさバビューンとボクシング観戦にいってきました。
 川崎新田ジム主催のボクシング8回戦---!
 有名チャンピオンの試合ももちろんいいけど、僕、どっちかっていうと、しゃかりきにファイトする新人の試合のほうが好きなんだなあ。
 ここんとこ親戚の葬儀がつづいたり、仕事以外の所用が重なったりして、体調はイマイチだったんですが、南ウイングの後から6列目のいつもの席に腰かけると、やっぱ、気合い入りましたねえ。 
 で、この日のプログラムは、こーんな感じでありました。


                           

 ◆第1試合は、女子ライトフライ級4回戦<郷司利也子選手 VS 下岡由美子選手>
 郷士選手は、なんでもグラビアアイドルだとかで、えれー美人。
 試合後に南席のほうにやってきたんで、僕、たまたま近くでお顔を見ることができたんだけど、いかにも性格よさそうな、ただ、ハンパなく気ィ強そうな、実によさげなキュート女子…。
 ただ、宣伝のせいだと思うんだけど、セーラー服みたいなコスチューム着ててね、あれは、いただけなかった。
 でも、マジ、キュートな美人さんなんで、僕、とっさに彼女を応援することにしたんです。
 で、試合はじまったんですが、はじまるやいなや、郷司選手、ヤバイなあ、と僕は少うし心配になりました。
 彼女、ガードがすぐ下がるんですよ。
 それに、ジャブもあんまりでない。
 そりゃあね、4回戦だし、女の子だし、まして緊張バリバリの本番のリングのなか、熱いライトに照らされつつガードをあげて戦うってのが、ハンパなくシンドイことだっていうのはよく理解できます。
 でもさ、そのへんは締めなきゃ、やっぱ、勝てないじゃないですか。
 対する赤コーナーの下岡選手っていうのが、これがなかなかいい選手だったんですよ。
 足使って、ジャブ忘れず、しかも、ガードも下がらなない。
 そうとう走りこんだんでせうねえ---その成果が、フットワークと機敏な動作に如実にでてる。
 これは、利也子ちゃん、幸先わるいなあと思ってたら、案の定、2Rだかでダウン奪われちゃいました。
 あーん、残念、結果は判定で、横田スポーツジムの下岡選手の勝ちとなりました…。

 ◆第2試合 東日本新人王スーパーライト級4回戦<中野亮選手 VS 河田神二郎選手>
 名勝負って見地からいったら、これ、この日のメインエベントに匹敵する好試合だった、と思います。
 イケメンの中野選手と戦績3戦2勝(2KO)1敗の河田選手。
 中野選手がイケメンなので、僕は相手の河田選手のほうを応援してたんですが、どちらも正統派のいいボクサーでした。
 互いに譲らない伯仲勝負---ただ、中盤から河田選手のフックが入りだして…結果はドロー。 
 客席でも、おお、いい試合だったなあ、なんて評が飛びかってまして、僕も熱くなったヨ!

 ◆第3試合 ミニマム級4回戦<柏野晃平選手 VS 引地昭裕選手>
 この柏野選手っていうのは、なんと、東大卒の公認会計士さん。
 雑草派の僕としては、僻み根性もちょっと入り、相手の選手に肩入れせざるをえない---と思って相手選手を見たら、なんか見覚えある方---去年後楽園ホールにきたときにも、試合を見たひとではないですか。
 これは、応援せなば…。引地選手って、ただ小さいんスよ、ガタイが。
 今回はスキンヘッドにしてましたけど、柏野選手と対面すると、どう見ても2階級くらい下の選手に見える。
 リーチもないし、ジャブも少なくて、そんなに前にもでられなかったねえ---残念。
 柏野選手は、サウスポー---後半足とまってたけど、柏野選手の判定勝利は、これは、まあ妥当な線でせう。
 
 ◆第5試合 スーパーフェザー級6回戦<ソンナーライ・ソーバンカル選手 VS 渡邉卓也選手>
 長身の渡邉選手がリングに上がったとき、まず思ったこと。

----わあ。職場にこのひとがいたら、喧嘩ふっかけるの絶対にやめよう…!

 試合前の体慣らしでも、この選手あんまり上体をゆらさないんですが、鍛えぬかれた背中から、なんともいいがたい「殺気」が、僕のいる後6列目までびんびん届いてくるんですよ。
 柔らかい印象はそんなにない---でも、強いオーラを振りまいてました。
 前の席のおっちゃんに聴いてみると、どうやらこの方、べつの階級の王者さんだったようです---ああ、道理でね。
 ただね、そのオーラが、彼、ボクサーというよりは空手家みたいだった。
 何年かまえ、富樫さんの無門館空手を見にいったときの選手たちの佇まいを、僕、なんとなく連想しました。
 対する相手はタイの選手---いわゆる、噛ませ犬というわけですが、このひと、ガタイがよくて、肩にタトゥー入れてて、ムエタイ経験者なのかな? いかにも打たれ強そう。 
 渡邉選手は、連打・コンビネーションってタイプじゃなくて、狙いすました強打を、あくまで冷静に、そして効果的に、要所要所で打ちこんでいく感じです。
 試合自体は、さすが6回戦って感じの静かな立ち上がりでした。
 テンポの速い試合じゃなかったけど、1R開始の1分すぎ、渡邉選手がこっち席に背中むけた刹那に、もう相手のタイの選手ダウンしてて…。
 電光石火の1R1分57秒KO---なんのパンチだったか見えなかった---やったね、渡邉選手---!

 ◆第5試合 フェザー級6回戦 <小泉良太選手 VS 中川倭選手>
 サウスポー同士の対戦。
 オサムジムの中川選手が、フリッカーみたいな、よけにくそうなジャブ使ってるのが、印象的でした。
 いい勝負だったんだけど、中川選手が2R1分30秒で、小泉選手をTKO。
 ふたつもKO決着がつづいたんで、思わず客席がざわついたの、覚えてますねえ。

 ◆第6試合 女子スーパーバンタム級8回戦 <三好喜美佳選手 VS ムエレック・シットサイトーン選手>
 再び女子の試合です。
 でも、第1試合の「がんばれよぅ」的な応援したくなる心境を向こうから弾きかえしてくるような、これ、凄い試合でした。
 ていうか、三好選手、マジ女子? って呻りたくなる感じ。
 三好選手、マジ強かったのよ---ジャブもだすし、フットワークもいいし、なにより冷静だし---こりゃあいい選手だ、いい試合になりそうだなあって思ってたら、開始早々この三好選手が、相手のムエレック選手をささっとコーナーに詰めたんですよ。

----おっ、コーナーだ! どう逃げる?

 と思ったんだけど、これが、ちょっと逃げられない。
 というか、コーナーに詰めてからの三好選手のパンチの流れが、どれも冷静で、あまりに的確すぎる。
 いいのがふたつほど入ったかな、と思った瞬間、相手選手はよろよろと崩れて大の字にダウン。
 第1R1分ちょうどのフィナーレ---それは、この日いちばんの凄絶なノックダウンでした。
 ドクターが、トレーナーが心配げにかがんで、つづいて担架が入ってきて…。

       

 こういうシーン見ちゃうと、毎度のことだけど、ボクシングって危ねえなあって痛感します。
 そりゃあ危ないってば---ひとの看板である顔面を直接ボコボコと殴りあってるんだから。
 野球ならバットやグローブ、サッカーならサッカーボールって夾雑物があいだにクッションとして入るんだけど、ボクシングは、闘争2者のあいだに8オンスグローブの皮一枚しか介在しない。
 殴り勝てばウイナー、殴り負ければ、はい、それまでよ。
 つくづく恐ろしい、ある意味原始的な競技だと感じます。
 けど、その原始的な、根源的カオスのパワーにふれるのは、神社や寺院なんかに張りつめている空気を呼吸するときの感触に、ちょい似てる。
 太古の神々に捧げるための巫女の舞踏のような、峻厳で残酷なボクシング…。
 だから、僕はときどき文明に倦みすぎた自らの魂を鼓舞するために、伊勢神宮にいったり後楽園ホールに行ったりするわけ。
 栄光と挫折と残酷と慰謝とがごった煮になっている、ここ後楽園ホールは、ええ、僕にとって非常に厳かで神秘的な、一種特別な異空間でもあるんです…。

 
 ◆第7試合 セミファイナル ミドル級8回戦 <西田光選手 VS クンスック・ソーソムポン選手>     
 この試合もKOでした---なんと、この日5回目のKO決着!
 金太郎みたいにがっちりした体型の西田選手が、クンスッス選手をつかまえてバーン。
 2R39秒のKO劇でした。
 
 ◆第8試合 メインイベント フェザー級8回戦 <片桐明彦日本タイトル前哨戦 片桐明彦選手 VS 大坪タツヤ選手>
 フェザー級7位の片桐選手とここのところ連勝中の大坪選手との一戦です。
 片桐選手はオーソドックスな、左ジャブから試合をつくっていくタイプ。
 対して、大坪選手のほうは、上半身を大きくくの字に曲げて、ジャブのかわりに飛距離のあるロシアンフック(?)を振りまわす感じの、変則ファイターだと見受けられました。
 実力は相互伯仲してたけど、大坪選手がとにかく顔あげないんで、片桐選手はやりにくそうでしたねえ。
 片桐選手のパンチは効果的で、3Rに大坪選手のこめかみをカットしたりもしたけど、それ以上に大坪選手のロングフックは、片桐選手の顔面を捕えていたように思います。
 この試合のことを思いだそうとすると、情景とともに大坪選手のフックのあたるバチーン、バチーンって音が聴こえてくるほどだもん。
 結局、そうした印象を裏付けるように、大坪選手が判定勝ちし、片桐選手の日本タイトルへの挑戦権とランキングとをもってっちゃったんです…。


       

 しかしねえ、ボクシングはいいやなあ…。
 うん、何度見てもいい。
 近いうち、僕はまた必ずや見にいくだろうと思います。
 この日全力で闘ったすべての選手と関係者とに賞賛と礼の気持ちをここにめいっぱい捧げつつm(_ _)m、今日のところはこれにてBye---(^o-y☆!
                                

◇追記◇パッキャオ、負けた~っ! くそーっ! あーん(ToT)
 もち、イーダちゃんは、熱烈なパッキャオ・ファンです。
 でも、あのメイウェザー、たしかに負ける要素、見当たらなかったからなあ…。
 あんなボクシングのうまい男って、知らないもん、悔しいけど。
 ただ、贔屓の引き倒しになるかもだけど、2、3年前にこの対決が実現してたら?
 あるいは、パッキャオの右肩の故障がなく、ベスト・コンディションだったら?
 と、思わないではいれません。
 まあボクシングは結果がすべてだから、いまさらいっても仕方のないことでせうが…。
 とりあえず、いまは、マニー・パッキャオという比類なき男が身体をはって見せてくれた、これまでの数々の「夢のファイト」に感謝するのみです---。