イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その97☆「雲」のテーマによる腰痛変奏曲☆

2012-02-23 08:32:01 | 身辺雑記
                             


 2012年2月19日昼---通勤のために部屋の扉をあけたイーダちゃんの腰に、そのとき、ふいに電気が走りました。
 神経に響く、白光みたいな鋭い痛みが、脊椎付近にピシッと。

----あら。あらららっ。なんだ、これは? イタイぞ。いや、イタすぎるというかなんちゅーか…。

 違和感は、3、4日まえからあったんです。
 だから、予防のために、会社帰りに鍼灸なんかに寄ったりもしてた。
 しかし、その違和感は、実は、効果的な爆破時を狙っていたんですね。
 で、たまってたそれが、いよいよそのとき破裂しちゃったってわけなんでせう、あえて分析してみるならば。
 アパートの廊下とちゅうでまったく動けなくなっちゃって、5分くらいかけて自室の玄関まで這うようにしてようやく辿りつき、動かない指でなんとか携帯を操作しいしいTAXIを呼び、そのTAXI運ちゃんの肩を借りてTAXIの後部座席にむりやり身体を押しこめ、呻りながら近くの形成外科までいってみると、
 病名、ぎっくり腰。
 全治、1週間とのことでした---。(ToT)
 なんというトホホな事態か…。会社に電話をかけ、その日の夜勤の断りの連絡を入れました。
 断腸の思いなり。しかし、一歩も動けんのだから、こればかりは、どーにもなりません。


                       


 このとき以来、富士登山の際に買い求めたぶっとい杖が、イーダちゃんの力強い友となりました。
 これには、登山用の鈴が中間部にくくりつけられてて、杖を動かすたびに鈴がチリーン、チリーンと涼しげな音で鳴るんです。
 僕のいきつけの外科さんは、薬局が外科とちょい離れた場所に位置してまして、ここには外科でもらったカルテを携えて、自分でクスリを取りにいかなくちゃいけないんです。
 この際、僕は、富士登山の杖にすがるように歩き、鈴を鳴らしながら薬局のなかによろめき入っていくのでありますが、こーゆーのは、いうまでもなく大変目立つ挙動なんであります。
 自動ドアがあいて、入ってくるのは苦痛に顔をゆがめた中腰の男、彼は、杖にもたれるようにしていかにも不安定にいざり歩き、しかも、その動きにあわせて、杖につけられた鈴がチリーン、チリーンと鳴るとなりゃあ、
 こりゃあ、薬局にいる皆さんは…当然のごとく見ますよね?
 うーむ、意図してやったわけじゃないけれど、コレ、結構いい見せモンだもん。
 ま、笑われるくらいなら、僕的にはぜんぜんかまわないんですが、この初体験の腰痛ってシロモノにはまったくまいりました。
 だって、超・痛いんですよ、コイツ。(xox)
 たとえば蒲団に寝てて、枕元に置いておいた携帯が鳴るとします。
 平常のときなら、それをすかさず取って「はい、俺だけど…」なんて返すのが当然動作なんですが、腰痛が凄すぎるとコレがやれない。
 指先が携帯に触れても、それを手のひら全体で握るのに必要なあと5ミリが、腰のつっかえでどーしても伸びなかったりすることがままあるんです。
 これは、味わってみないとたぶん分からんと思うんですが、結構切ないもんです。
 いつも難なく取れる携帯がぜんぜん取れないんですから。
 距離感の目分量ちがいっていうのかな?
 逆に、指先でかえって携帯を遠くにはじいちゃって、さらにつかもうとむりに背中を伸ばしたら、またまた遠くのほうに携帯を滑らしちゃったりするんですから。
 落したウルトラアイに手が届かないモロボシ・ダンの心境さながら---これは、歯がゆいよ。
 背中の動きが規制されると、こんな簡単な動作もやれないのか、となんか愕然。
 痛みのせいもあって、自分がこのさきこの仕事(いま現在イーダちゃんは介護関係の仕事に従事しているんです)をつづけられるのかと考えて、なんともいえない不安感に包まれたり…。
 しかし、まあ、僕が今回書きたいなと思ったのは、そっち系の陰気な打ち明け話なんかじゃなくて、もっとスピリチュアル系の、雲の警告話なんですよ。
 ええ、このぎっくり腰発生の2日前、イーダちゃんは出勤時にそれとなく警告を受けていたんです---そう、雲に。
 それが、当ページ冒頭にUPした、この雲の写真なんですよ。
 僕は、今回、これを証拠写真として提示したいと思ってるわけ---だって、ねえ、この雲、なんか怖くない?
 ええ、この腰痛に襲われる2日前、出勤とちゅうのイーダちゃんは、何気に見あげた雲のすがたに視線を吸いとられました。
 率直にいって、僕はこの雲が怖かった。
 そこまで脅威を感じてはいなかったにしても、この雲に多大なインパクトを感じたというのは、まぎれもない事実なんです。
 だもんで、通勤時の忙しいときなのに、わざわざ写真を撮ったりしたんですよ。
 この雲のあとにも、さらに2枚ほど、ほかの雲の写真を撮りました---これらの雲も怖く見えた---まあ試しに御覧になってくださいな---。


       


 如何? いかにも「何か」をいいたげな面持ちの雲でせう?
 僕は、雲の問いかけになんとか答えたかった---けど、雲の言葉は読み解けなかったのです。
 いまならなんとか解読することもできそうですけど、たとえば、左上写真の雲はこういってるみたいじゃないですか。

----おーい、気をつけろー。波、くるぞー!

 対して、右の雲は、もうちょっと危機感のこもった声でもって、

----やーばいゾー…! 気イつけやー…。

 なんて感じかな?
 でも、そのときはそう読めなかった。
 イーダちゃんは、雲語の翻訳に失敗したのです。
 その結果、避けがたい腰痛に襲われ、1週間苦しむこととあいなった……。

 むろん予言者じゃないですから、仮に雲語がまえもって訳せたとしても、この災難が避けられたどうかは分かりません。
 たぶん、駄目だったでせう…。
 違和感から鍼灸とかいってましたけど、ぎっくりの完全予防はむりでしたから。
 なにより、雲語を訳して未来予知に利用しようって発想に、そもそもむりがあるのかも。
 こういってる当人の僕にしてから、自分のいってることを100パー信じてるわけじゃない。
 雲語の予感の耳打ちがマジかなあ? と思ってる気持ちは、全体の2割くらいですかね。
 ただ、2割くらいはマジかもなあって、たしかにいまも思ってる。
 よく映画の占い師が水晶玉を見て未来を透視したりするじゃないですか?---超・勘の鋭いひとなら、雲見て、それとおんなじことがやれるんじゃないか、と、うっすら思ってる。
 それが、イーダちゃんのいまのところの本音です---。

 ところで雲といえば、ちょっとまえに流行った、スピリチュア系の「雲消しゲーム」って、貴方、ご存知?
 これね、ベティ・シャインってヒーラーの女性が提唱者のゲームなの。
 いい機会だから、それ、ここに紹介しておきませう。
 
1.空にうかんだ雲---自分の気に入ったものを決めて---それに向けて、雲は消えました、ありがとうございます、と過去形でいう。
2.雲が消えることを信じて疑わない。自分の心からエネルギーが発射されていることをゆったりイメージする。
3.すると、3分か4分で、その雲が消えてしまう…。

 人間の意志力の何よりの証明メソッドとでもいうべき、この「雲消しゲーム」---僕は、これ、「水は答えを知っている(サンマーク)」の江本勝さんの著作で知りました。
 これ、一時期、結構日本のあちこちで流行ったりしてたんですよ。
 僕もいい天気の日に、温泉につかりながらこれを何度かやってみた。
 すると、たしかに5、6分のあいだに狙った雲が消えるんですね。
 最初は僕も「おおっ!」と思った。
 けど、よく見ると、それ以外の雲も消えたり、かたちが変わったりしてるんですよ。
 なお観察をつづけていると、雲って案外短時間で形態が変わるもんだってことが徐々に呑みこめてくる。
 僕がゲーム的に狙った以外の、とても意志の力じゃ消せそうにないからって敬遠してた、大陸みたいなでっかい雲も、10分もしたら散り散りの綿飴みたいになって空の一角から消え失せていたりするんです。
 だから、意志の力で雲を消せたという証明は、できません。
 偶然、かもしんない。
 その確率はそうとう高いでせう。
 でも、ひょっとして意志の力が消したのかもしれない。
 どちらの確率もゼロじゃない。
 結局、どちらにしても決定はできないんですよね---うん、総じて、事象っていうのは、そういう性質のものなんですよ。
 とどのつまり、人間だって雲や空とおんなじ事象の一部にすぎないんですから…。
 すべての事象を見下し目線で裁定しきれるほど偉いものじゃない。
 だからってあんまり自分の価値を見下げていると卑屈になっちゃうし、うーむ、このあたりの傲慢と謙虚さとの兼ねあいが、いささか難しいかもわかりませんね。
 ひょっとして、これ、あらゆる分野に通じうる、人生上の要諦かもしれません。 

 うーんと、なんの話をしてたんでしたっけ…?
 そーそー、腰痛の話だった。
 ま、でも、これくらい脱線できるまでに身体が回復してきたってことで、今回はよしと結論しておきますか。
 何より1時間以上PCにむかってパチパチとキーボードを打てたっていうのは、いままでの僕にしたら長大な進歩ですもの。
 いま、これを打っている窓の外の西空を、夕雲がすーっと流れていくのが見えてます。
 その雲は、いままでの雲たちより元気そうにみえますね。
 明日は僕、実は仕事はじめなんです---腰痛休暇明けの初日なの。
 腰にまだじゃっかん不安の要素はありますが、窓の外のあの雲を見て、その「雲語」をとっさに翻訳したイーダちゃんは、うん、なに、大丈夫だ、と、おもむろにひとりうなづいて、腰に巻いた腰痛ベルトに軽く左手をあてながら、明日の仕事のことにちょっとばかし思いを馳せてみるのでありました…。(^.^;>
                                                                                       -- fin.