イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その204☆イーダちゃんの 「日本全国特上温泉べストテン!」PART1☆

2015-03-24 23:20:12 | ☆湯けむりほわわん温泉紀行☆
                 


   第1位 ★「別府温泉保養ランド」★ 大分県別府市明礬紺屋地獄 0977-66-2221

 九州の別府は、僕の聖地です。
 もうね、ここよりほかに聖地なしって感じの、一種とびきりの場所なんスよ。
 別府には、マゼラン星雲クラスのグレートなお湯は、いっぱいあるの---「鉱泥温泉」さんとか「神丘温泉」さんとか、あと、別府って町の顔である、あの風格満々の共同浴場「竹瓦温泉」(なぜか、ここ歓楽街のまんなかにあるね)さんとか…。
 でもね、イーダちゃんにとってのベスト・オブ・別府はね、ここしかない。
 イエス、「別府温泉保養ランド」---。
 こちら、僕、個人的には、世界一の温泉だと思っちょります。
 いま調べなおしてみたら、僕、こちらに 2007年の 3/28 3/29 に立ち寄りで3回、 2008年の 3/19 に泊まりでいってます。
 街としては、別府って案外都会なんですよ。
 那須の北温泉みたいに、仙境気分を味わうためにいったって、そりゃあむり。
 ひなびた感じが楽しめるっていうんじゃない、あと、旅館自体に風情があるとかそういうんでもない、僕は、ここ泊まったけど、正直、飯はまずかったし、部屋もボロかった。
 だけど、ここ、湯がね、

 湯が、もう、神…。(ToT;>

 こちらの湯にはじめて訪れたとき、イーダちゃんは、もうカルチャーショックの極みみたいな感覚に襲われたものです。
 まず、施設自体のボロさにびっくりした。
 それから、風呂入口前の畳の休憩所に、プロレスラーの藤波辰巳の写真があることに、またまたびっくりして。
 藤波さん、リングで腰壊したとき、ここに静養にきてたんですねえ、知らなかったよ。
 でも、そんなことよりなにより---長ーい廊下を歩き、着替処ですっ裸になって、地下のほの暗い黒湯部分を歩いて抜けて、あの野外の広大な露天の泥湯にはじめてお目見えしたとき---

----うおっ、こ、これは…。

 と、きっと誰もがどもると思う。
 てゆうか、どもらなきゃ温泉好きぢゃないってば。
 だってさ、視野がいきなりひらけて、由布岳と別府大橋が大パノラマでばーっと見えて---
 しかも、なによ、この池みたいに広い、とろっとろの麗しい天国露天の大群は?
 こちらの露天って、文明的なチャチい、あの湯船って仕切りが、まず、ないんですよ。
 原始の時代から自然に湧きだした天然のままの温泉を、簡単な木枠で申しわけ程度に囲ってあるだけ。
 生まれたままの温泉なのよ---しかも、それが、世界的にも貴重な、鼠色のアチチの、濃ゆい、効能まるだしの、極上の泥湯ときた…。
 足先からそろそろ入ると、こちら、足が、温泉の底にズブズブ埋まります。
 気をつけてないと、片足だけいきなり深く埋もれて、バランスを崩し、自慢の乳房をドワンと公開してくれるレディーが、ほらね、あっちにもこっちにも--- w (ここ、混浴なんス)
 
 濃厚な泥湯は、なんとも形容しがたい、滑らかで、肌に吸いつくような、魅惑の柔らかさ。
 それと、通常のお湯じゃ絶対に味わえない、泥湯ならではの重げな質量が加味されて、なんというか別格の、ふしぎなあったかさがあるんです。
 このあったかさと共に、かぐわしい、別府独自の超・濃ゆい硫黄の香りでしょ?---それを顔に塗りつけると、硫黄の匂いはことさらにプーンと濃く香り、なんちゅーか意識が飛びそうになるの。さらに、ぐわしと掴んだアチチ状の泥の塊のなかに、なんかの葉っぱの切れ端がまじってて、それがほほに貼り残ったり---

----あらーっ、そこの粋なお姉さん、肩のところに葉っぱがぺとーって貼りついてられますよー!

 野趣満載、情緒凛凛、そして、そこはかとないお色気も。
 さらにさらに、ここ、奇跡の足元湧出湯なんです…。
 だから、油断してると、お尻の底の泥部分から、いきなしアチチの泥あぶくがぶくぶくってやってきて、そのふいの熱さの来訪に、ときどき飛びあがったりもしちゃうんだ。

----た、愉しいー。

 うぐいすが遠くでピーヒョロロって鳴いてます。
 湯面の鏡のなかの青空を、ゆーっくりとちぎれ雲が流れていきます。
 おのずから呼吸も深くなり、胸のあたりにしこっていた下界のストレスもすーっと淡くなっていって。
 で、湯のなかの身体中の組織が、毛穴が、爪が、踵が、肛門が、ひよひよ喜んでるのが、だんだん伝わってくる。
 これ以上いうことなんか、なんもないっス…。
 こんなお風呂があっていいんだろうか?
 さながら、温泉界のメリーゴーランドって感じじゃないですか。
 僕は、こちら、世界温泉のトップだと思ってる。
 ですから、これをお読みの皆さん---死ぬまえにナポリを、じゃなくって、死ぬまでにぜひとも奇跡の湯「別府温泉保養ランド」に巡礼しにいきませう---(^0^)/!



                 

   第2位 ★乳頭温泉「鶴の湯」★ 秋田県仙北市田沢湖田沢先達沢国有林 0187-46-2139

 出たーっ、横綱、乳頭温泉---! 
 恐らく、全国でアンケートをとったら、栄冠ある温泉人気第1位を勝ちとるのは、乳頭温泉の、この「鶴の湯」さんなんじゃないでせうか?
 僕は、この「鶴の湯」さんっていうのは、多くの日本人がもっている「温泉」のイメージをいちばん表象してる温泉だ、と思うんだ。
 茅葺屋根の本陣の風情ある並び、極上の濁り湯にブナ林、すすきに熊笹、そして、ほろほろと舞い散る雪の粒…。
 ニッポンの温泉の原風景とでもいうのかな?
 僕が第1位にあげた「別府温泉保養ランド」は、湯は超・極上なんだけど、施設がちとボロじゃないですか?
 あと、名前ね、「別府温泉保養ランド」---ちーっと即物的すぎて、なんちゅーか含みに欠けるキライがある。
 施設自体も町のなかにあって、どう考えても秘境ってイメージとは結びつかないし。
 そこいくと、この「鶴の湯」さんは、国有林のブナの森のまんなかに位置してる---オゾン臭プンプンの秘境っスよ。
 さらには宿の風情---茅葺屋根の本陣さんでしょ? 囲炉裏を囲んだ食事でしょ? さらには、写真を見るだけでため息が漏れてきそうな、極上のバランシーな濁り湯でしょ?
 これはね、強いよ---。 
 僕は、おなじ乳頭温泉の「黒湯」さんに2泊したことがあって、「黒湯」さんのワイルドな佇まいも超好きなんだけど、やはり、やーっぱりこの「鶴の湯」さんの格別の魅力には抵抗できません。
 僕は、こちら、2006年の12/19に1泊しました。
 この夜、僕は、憧れの本陣さんには泊まれなかったんだけど、宿の食事は、こちら、皆、本陣さんででるんですね。
 雪のなか、全国各地からやってきたひとが、みんな、本陣さんにいそいそと集まって。
 建物の外の雪の気配をそれぞれに感じながら、囲炉裏を囲んで、鶴の湯特製のもてなし食「山の芋鍋」を食べて---。

 さて、人気のある宿のお風呂を独占しようと思ったら、それはもう方法はふたつきりしかありません。
 夜中に入るか、夕食直後にソッコーINするか---。
 この夜、僕が敢行したのは、後者の技でした。
 みーんな、やっぱ、鶴の湯の雪と旅情に酔って、日本酒飲んだりして、僕の読み通り、出足、遅れたんですよ。
 で、この夜、僕は、あの「鶴の湯」の伝説露天を、ひとり、独占することができたってわけ。
 この夜の湯浴みは、忘れられません。

 写真にもある、湯中の岩を枕にして、僕は、仰向けに、舞い落ちる雪を見ながらの、極上露天と決めこんだのです。
 雪は、ごんごん降ってます。
 夜の彼方の天の袖から。
 結構、大粒なの---ためしに口をあけたら、口のなかにひゅーって飛びこんできたり。

----うっ、ちべたっ…!

 でも、湯に埋まってる身体部分は、そんな夜空への突起部分と反比例して、超・ぬくぬくなの。
 ときどき、足元湧出の源泉のあぶくが、身体を伝って湯面にぶくぶくと昇ってくるのが、嗚呼、なんとも愛おしい。
 湯けむりもこう、顎から鼻筋に伝ってそーっと流れてきてね、馨しい硫黄の香りを顔面付近でいったんふり撒いて、それから楚々と天に昇っていくの。
 降りしきる雪、雪---ねえ、空一面の雪模様…。
 自分が海底の底にいて、プランクトンの死骸が降ってくるのを茫洋と見ているような、あれは、なんともふしぎな感触でした。
 通常の時間軸から外れた場所で呼吸するみたいな、あんな湯浴みは、たぶん、もう二度とできないだろうなあ。
 うん、あれは、プレイバック不可の、一期一会の湯浴みだったのです。
 「鶴の湯」さんにいったのは、あれっきり、それからは一度もいったことはありません。
 けれども、身体が芯まで凍えそうな寒い晩、僕は、いまでもときどき瞼をとじて、秋田のあの「鶴の湯」の湯にむけて、想いを飛ばしてみたくなるんです…。


                 

   第3位 ★屈斜路湖「コタン温泉」★ 北海道川上郡弟子屈町古丹 01548-2-2191

 2010年の8月、僕は、長年勤めた会社を辞め、北海道放浪の旅にでました。 
 愛車に飯盒炊爨セットとひとり用テントとをつめこんでの気ままなひとり旅は、言葉じゃいい表せないくらい楽しかった。
 社会で生きてるとニンゲンの視野って狭くなるんですよ。
 人間関係だとか対客用営業仕様とか、そっち系のセンサーばっかりやたら発達しちゃってね、ニンゲンとして本来備わっているフツーの五感は、むしろ封印しちゃってるケースが多いの。
 空の色調の時刻ごとの繊細微妙な変化に翳り、風の香り、草の匂い、雲のかたち---そういった広大な世界を感知する鋭すぎるセンサーは、人工物と気苦労とに満ちた、多忙で世知辛い街で生きていくうえでは、ある意味重荷であり邪魔ですから。
 その意味で、この北海道行は、目からウロコの連続でした。
 北海道の自然って、本州のニンゲンからしたら、信じられないくらい「濃い」んスよ。
 特に、8月の盛りなんかに山間部をクルマで飛ばしてると、フロンガラスに、ほとんど5秒おきくらいの感覚で、さまざまな虫がブチブチブチーってあたっては潰れていくの。
 なんという豪奢な生命の蕩尽か!
 そもそもの自然の生命力自体の桁がちがうっていうのかな。
 空はどこまでも高く、山は、町慣れしたニンゲンの罪深い胸を破るほど青く…。
 そんな僕の北海道旅のいちばんの収穫が、こちら、屈斜路湖(くっしゃろこ)湖畔にあるコタン温泉でした---。

 このお湯には、僕、2010年の8月13と14日に訪れました。
 屈斜路湖から17キロの弟子屈(てしかが)の「桜ヶ丘公園キャンプ場」ってとこにテントを張って---
 弟子屈から243をまっすぐいって、美幌峠屈斜路湖の看板を右折、52を5分ばかり走ったら、風靡な屈斜路湖と湖畔のアイヌの資料館が道路沿いに見えてくる。
 それが目印---こちらの湯、そのアイヌの資料館のご主人が管理されてるお湯なんです。
 無料の混浴の、塩素もなにも投入されてない、生のままの掛け流しのモール泉。
 大きさはさほどじゃないんだけど、ここ、見ての通り、石造りの湯舟のすぐ30センチ先がもう屈斜路湖なの…。
 冬場は、ここ、湯舟の暖かさに惹かれて、湖から白鳥がいっぱい寄ってくるんです。
 僕もなにかでその写真を見て以来、ずっとこちらのお湯に憧れてたわけなんでありまして…。
 で、実際に入ったこちらのお湯は、どうだったのか?

 至高、でした…。
 僕の温泉歴史のなかでも指折りに数えられる、たまんない湯浴みでした、あれは。
 仏教で「山川草木悉皆成仏-さんせんそうぼくしつかいじょうぶつ-」という思想があるんだけど、これはね、山や木や草々なんかとおなじように、川とか谷なんかの土地土地も生命をもったひとつの生き物である、といったような考えかたなんです。
 つまり、その土地土地での温泉経験は、ただの肌と源泉との物理的接触なんていうものじゃなくて、もっともっと深い、一個のニンゲンの魂とその土地との出会いであり、コミュニケーションであり交わりでもあるってわけ。
 この考えが、これほどの説得力でもって実感される湯浴みはありませんでした。
 だって、目のまえすぐが広大な屈斜路湖ですよ---!
 摩周湖のブラザーでもある、北海道屈指の美麗な湖のひとつ、神秘で深い屈斜路湖---。
 空気の鮮度、オゾンの濃度、空の高さと澄みぐあいからして、ほかの土地とぜんぜんちがう。
 ただでさえ自然のオーラの立ちまくっているこんな場所で湯浴みしたら、そりゃあ、染みないわけないよ。
 失業旅行中の未来不確定当時の不安定な僕に、この「コタン温泉」は、たとえようもないくらい優しい、言葉じゃない言葉で、なにかを語りかけてくれたのです。
 うん、実際、この温泉につかっていたら、僕内のネガティヴな数々の感情が、次々とほぐれて、融解していったんだから。
 じゃあ、実際に「コタン温泉」が僕に対してなにをいったのか?
 そりゃあ、分かんない…。
 人間よりずっと大きくて長命な屈斜路湖と、そのまわりのすべての地霊のコトバだもん。
 たかが一介のニンゲン風情に、解明なんてできるわきゃない。
 でもね、このときの「コタン温泉」」の湯浴みほど、染みた温泉っていうのが、かつて一度もなかったっていうのは、たしかなホント。
 朝方、湖畔の露天に肩までつかりながら、湖面の色が夜から夜明けの色に刻々と染まりかわっていくのをぼーっと眺めてるのは、よかった。
 なにがどうよかったのか、コトバで説明するのは、とても難しいんだけど…。
 あと、僕がここで湯浴みしたのは、お盆前の8月の13~14日でして、北海道ってこの時期、昼の盛りはまだ夏まっ盛りって感じなんだけど、夕をすぎるといきなり秋なの---特に屈斜路湖あたりでは、夕暮れ時には、鳴いてるのはもう秋の虫なのよ---リーリーリーって涼しげな調べでね。
 

 追憶の遠き北海道---
 碧く、はるけく広がる空と、地平までまっすぐ続く一本道と。
 弟子屈---深い藍の沈んだ屈斜路湖。
 そのほとりにひっそりと咲く、屈斜路湖自身の吐息のような、この「コタン温泉」は、ええ、いつまでも僕内の最強温泉のひとつです…。


                

    第4位 ★那須「北温泉」★ 栃木県那須町湯本151 0287-76-2008

 好きな温泉は数多くあるんですけど、いま、いちばんどこにいきたいか? と問われれば、僕の場合、いつもまっさきにアタマに浮かぶのが、那須のこの「北温泉」なんです。
 ここって、たぶん、僕がもっとも多く泊まってるお宿だと思う。
 いま、つらつらと調べてみましたら、2006年11/28、2007年11/19に1泊、2008年の6/28に1泊、8/18、19と連泊、さらに10/27、8、9と3連泊---
 2009年の5/11、12も連泊、8/17、18にも2連泊、11/23に1泊、さらにさらに、2010年3/6、2011年の5/18にも泊まりときた!
 もー、どんだけ「北温泉」が好きなのよって自分に突っこみたくなるくらい…(^.^;>
 ここにあげただけも16泊じゃないですか。
 数えもらしたぶんもあると思うし、あと立ち寄りのぶんまで加えたら、それこそ膨大な訪湯時間になると思います。

----「北温泉」のどこがそんなにいいのさ?

----うーんと、まずは土地かな…。このあたりってもともと修験道の土地でさ、たとえば「北温泉」前の駐車場にこう立って、宿のほうを見下ろしただけで、土地の醸しだす凛とした空気に、僕はいつも打たれるわけ。杉の木々が山肌に針みたいにピンと立ってるし、夜笹川の瀬音も通常の川よりどっか厳しい響きがして、背筋のあたりが自然にピンと立ってくる気がするの。ていうか、理性よりさきに全身の毛穴で実感するんだよ、ああ、また「北温泉」にきたんだなあって…。

----へえ、空気か…。ほかには?

----「北温泉」までに至る道かな…? あのさ、「北温泉」ってクルマではとちゅうまでしかいけないのよ。宿のすぐまえまでならクルマでいけるんだけど、その駐車場からさきの下りの800mは歩きなの。その、つづら折りの下りの細道の過程がね、これがまたいいんだなあ…。秋にくると赤とんぼがそれこそ雲霞のように舞っててね、誇張じゃなしに淡い靄みたいに見えるのよ。冬にきたらきたで、ここ、超・雪道じゃない? 一歩一歩転ばないように注意しいしい歩いて行って、とちゅうの坂でようやく「北温泉」の全景が見下ろせたときのあの喜び---アレは、そう、何物にも代えがたいよ…。

----へえ、ずいぶん奇特な趣味に聴こえるけどな。ほかには?

----建物。「北温泉」ってね、基本的に魔窟なの。江戸、明治、昭和にそれぞれ建てられた建物が、縦横無尽に交錯して、複雑に繋がりあって、総括的な「北温泉」って場をかたち作っているわけ。僕は泊まるときは必ず江戸期の3階建の宿に部屋をとるんだけど、ここ、凄いよお…。なにが凄いって、ぐにゃぐにゃに張り巡らされた細い廊下の構造が、なんというか、もう複雑怪奇すぎ。ほの暗い廊下の角々ごとに小さな神社があるわ、そのなかで線香が灯されていて、おかげで建物中がいつも抹香臭いわ、しかも、居室に許された暖房器具は基本的に炬燵だけだから、冬場の居室は超・寒いわ、なんちゅーかシュールなノリなのよ…。あの宮崎駿が「千と千尋の神隠し」の参考にしたっていうのもうなずけるほどの出来だわね。あ。ただ、こちらのお宿の廊下の床下には、四六時中温泉が流れてててね、その効果で廊下はとても暖かいんです。宿猫のミミがいつもトイレ前の廊下板のうえで居眠りしてるのが、なんちゅーか、ねえ、こちらのお宿の風物詩なんですよ(トなぜか目を細めて)…。

----ほう、魔窟、ですか?

----うん、魔窟…。温泉と猫と魔窟の三位一体が、要するに「北温泉」の魅力の肝なわけ。お分かり?

----そう決めつけられるとちょっと…抵抗感じちゃうんスけど…。だって、魔窟なんて…

----誇張じゃないよ。マジネタよ。だって、ここ、座敷童でるんだもん…。

----マジ…?

----うん、マジ。長年、先代と帳場を斬りまわしていたAさん(注:彼はいま北温泉にはいらっしゃいません)から、僕、直接聴いたもん。○○○号室で座敷童見たお客が、かつて何人もいたって…。

----ゲロゲロ! 本当だとしたら、それは凄いな…。

----本当だってば。べつの温泉で出会った「北温泉」マニアのひとからも、僕、おなじ話を聴いたことあるもの。

----へえ(トいくらか感心して)…。

----ただ、誤解してほしくないんだけど、「北温泉」の根本って、やっぱり温泉なのよ…。宿も魔窟風味もそれなりに素晴らしいんだけど、それは、やはり「北温泉」の根幹であるところの温泉の素晴らしさがあるからであって…。

----「北温泉」の湯っていったら、それは、やっぱ「天狗の湯」だっけ?

----うん、「天狗の湯」だね…。あれに、尽きる。宿前の広大な温泉プールも、目の湯も、夜笹川まえの露天もいいけど、あの「天狗の湯」のまえでは、すべての風呂が色あせる…。

----そんなに? そんなに「天狗の湯」っていいの…?

----うむ…。「天狗の湯」はね、「北温泉」のいちばん古くからのお湯なんです。源泉は「天狗の湯」脇の石段をあがったとこの「天狗神社」のお山から、次々と豊富に流れ落ちてきてる…。ここ、もともと修験道のための湯でね、お風呂に天狗の面がかかっているのは、それの名残りだとか…。いいよー、目の前の大天狗の面を眺めながら、鮮度バリバリの、極上の掛け流しの湯につかる心地は…。ここのお湯は透明な単純泉。でも、お湯のなかには湯の花がいっぱいあふれてて、しかも、ラジウムも混入してるらしいんだ…。

----へえ…。

----お風呂自体の立地もまた凄いよ。ここ、江戸期に建てられた旧館の二階の奥手にあるんだけど、お風呂場と廊下を隔ててるのが、なんと、簡単なすだれだけなの。つまり、二階の住人が戸をあけてついと奥手を見たら、もうモロ入浴客らの裸が見えるわけ。場合によっちゃあ、いきなり中年男性の局部と御対面なんてケースが、日常のあたりまえの風景なの。あ。ちなみに、ここ、混浴ね。お風呂に着替処がなくて、籠を入れた棚しかないから、入浴客らのまんまえで脱がなきゃいけなくて、そのぶん女性入浴のハードルは高いけど、入ってくる勇者の女性、ときどきいらっしゃいますよー。

----それは、なかなか興味深いですな…。

----鼻の下を伸ばすんじゃない! 「天狗の湯」に入って助平心を催すなんて不謹慎な…。ここでの混浴は、もっと神聖なものなんです。大天狗の面をぼーっと眺めながら、極上の湯につかって、たまたまご一緒したおっさんやお嬢さんやおばちゃんと何気に言葉を交わして---で、湯疲れしたら、風呂脇の、温泉神社に至る階段上にすっ裸であぐらをかいて、身体冷めるまで那須の山々を無心に眺めて…。

----むーっ、それはよさげですな…?

----でしょ? ここほど仙境気分にひたれる温泉ってないのよ。だから、僕は、何年にもわたって、ここに通いつめてるわけで。でも、何年たっても、飽きるってことはないな。

----いいですね…。話、聴いてたら、なんか、急に行きたくなってきた。どうです、今度の休みにでも?

----うむ、(微笑して)いきましょう…。

(注:「北温泉」は僕ブログの過去記事、徒然その44☆北温泉逗留物語☆にて特集してます。ご興味がおありの方はどんぞw)


                 


    第5位 ★奥津温泉「東和楼」★ 岡山県苫田郡鏡野町奥津33 0868-52-0031

 2007年の10月4日の12時05分、僕は、島根の「長楽園」さんの有名な庭園風呂のなかで、絶望しておりました。
 この日は中国温泉遠征旅の3日目でして、僕は、前日に岡山の「砂湯」「真賀温泉」などを攻め、ひそかに岡山の温泉レベルの高さに驚嘆していたんです。
 特に「真賀温泉」の「幕湯」には、やられた。
 マジ? こんなに中国の温泉ってのはレベル高いのか…。
 賞賛5割・羨望3割・嫉妬2割のそんな気持ちに胸に抱いていたら、出雲のあの「長楽園」さんに無性に足をのばしてみたくなったのです。
 「長楽園」さんは、創業120年の歴史を誇る、老舗宿---
 なかでも宿自慢の広大な庭園風呂は、日本の庭園風呂を語るとき、必ず引き合いにだされるほどの存在です。
 僕は根城が関東だし、この機会を逃したら、もう二度と「長楽園」さんにはいけないかも…。
 そう思ったら矢も楯もたまらず、はるかな出雲にむけ、クルマを駆っていたのです。
 目的の玉造温泉到着は、朝の7時すぎ---。
 早すぎてどこもやってないの---仕方なしにパン屋さんでパン買って、近くの玉湯川で足湯したり、玉造ゆ~ゆでバイキングを食したりして、立ち寄りの12時まで時間をつぶしていたのです。
 長い待ち時間だったけど、なに、これからあの「長楽園」さんの湯につかれると思うと、辛さなんか微塵もありません。
 で、12時ジャストに宿にいって、いそいそと全裸になって、あの伝説の庭園風呂に入ったわけです。
 そしたら、信じられない---こちら、塩素湯でした---!
 入るまえからそれっぽい気配はしてたんですよ、けど、まさかあの「長楽園」さんが温泉に塩素を投入するなんか信じられなかったんです。
 でもね、長大な庭園風呂をあっちにいったりこっちにいったりしてるあいだに、事情は厭でも飲みこめてきます。

----信じられない…。これは、塩素だ…!

 悲しかった。
 通常だったら5秒ででるんですが、庭園風呂はあまりに広く、しかも胸までお湯が深いんで、でるまでに30秒ほど費やしたように思います。
 髪も身体もびしょ濡れのままクルマに乗りこみ、速攻で玉造温泉をあとにします。
 なにも考えてなかった。とにかくそこを離れたかったんです。
 さて、玉造温泉では上天気だったんですけど、岡山にもどるころになると、なぜか雨脚が凄まじくなってまいりました。
 僕の失望した胸中の鏡のように、涙雨が降るわ降る---!
 で、そんな豪雨のなかをやけくそに飛ばし、3時間ほどあとに辿りついたのが、ここ、奥津温泉だったのです…。
 PM4:00---雨は、そろそろやみはじめていました。

----へえ、ここが奥津温泉なんだ…。
 
 クルマのドアをあけ、丸まった背筋をのばし、ちょっと町の散策としゃれこんでみます。
 雨あがりの草のにほい。いいなあ、洗われたばかりの空気まで、なにか新鮮に感じられます。
 奥津温泉は、ちっちゃな町でした---旅館なんてほんの数件っきゃないの。
 町を貫く吉井川の清流を囲むように、有志が町を形成したって感じでせうか?
 そのほとりにある有名な露天である「洗濯湯」(現在、さまざまな都合により、ここでの遊浴みは禁止されます)と。
 もういちど旅館のあるあたりにいってみると、温泉教授大推薦の宿「東和楼」を見つけることができました。
 なお、このときの時刻は16:50---立ち寄りには、たぶん遅すぎる時刻なんだろうけど、ダメモトで入浴を申しこんでみると、

----ああ、どうぞ、いいですよ…。

 お金払って、トンネルをくぐって、地下一階の源泉風呂にいそいそと向かいます。
 湯舟は、正直、ちっちゃめ---天然の岩がそのまま湯舟になってる形式です---洗い場のスペースだってそんなにない---ふたりか三人入ったら満員になってしまうようなお風呂です。
 でもね、お風呂から立ちのぼってくる香りが、こちらフツーじゃなかった。
 名湯の予感がひしひしとしてきます。
 が、焦りは禁物!---逸る心をいなして、あえて入念に駆け湯なんぞして、足首からはんなりと入り湯すれば----

----……!

 僕、思わず息をのんで、黙っちゃいました…。
 いい透明湯の説明って一般に濁り湯よりも難しいんだけど、特にここ「東和楼」さんのお湯の魅力は、コトバで表現することがやりにくい。
 入っちゃえば一発で、誰にでもすぐ分かることなんだけど。
 それにしても、こちら、綺麗なお湯でした。
 それに、ほら、ここ、なんという柔らかい肌触りでせうか---!
 手の指も爪先も、お湯のなかでくつくつと歓喜してるのが、よーく分かるのよ。
 源泉は足元からときどきあぶくになって湧いてくるものと、ホースでぶわーっと組みあげているのとの、二通り。
 あえて分類するなら、ええ、無色・無味の単純泉ってことになるのだと思う---なのに、どうして、ここのお湯、こんなにもいいの?
 温泉マニアの僕からすると、どうしたって分析したくなるお湯です---けど、上窓から漏れてくる夕日に照らされて、この極上の湯にぷかぷかとつかっていたら、僕の頭脳からだんだんその種の分析力は失われていくようでした。
 というか、これだけのお湯につかりながら、五感をそんなせせこましいことに使うなんて、あまりにもったいないっていうか。

----それよりも、いまだけのこの極上湯を、全身で繊細に味わいつくさなきゃ…!

 ええ、こちらのお湯って、入ったひとを温泉の求道者に変えてしまうんですよ。
 そんなつもりで入ったわけじゃないんだけど、2、3分肩までつかっていたら、僕もいつのまにか温泉求道者になっちゃってました。
 ここのお風呂に部屋借りて1年くらい住んでみたいなあ、なんて結構マジに思ってみたりして…。


                          ×             ×             ×

 奥津温泉の「東和楼」さんは、僕的にとてもスペシャルなお湯なんですよ---。
 僕、基本的に「濁り湯党」なんですけど、やっぱり、極上の透明湯と出会えたら、その喜びには格別なものがあるわけで。
 だって、なんといっても、透明湯って温泉の原点なんスから。
 「東和楼」さんを出たら、夕日、だいぶ傾いてました。
 雨あがりの奥津温泉は、ひなびてたけど、きらきらと輝いて、とても綺麗でした。  
 近くの雑貨屋で練乳入りのアイスキャンディーを買って、それ齧りながら、吉井川のほとりをぶらぶらと歩いてみました。
 吉井川の清流と、草のにおいと、うなじを通る風と---あの秋の夕暮れどきの小さな恍惚が、僕は、いまもって忘れられません…。


                                                              (第一部、了)
  
 


 
 
 
 

 

徒然その203☆<2015.3.13 不正選挙裁判ドキュメント!-君は、うそうそ国を見たか?->☆

2015-03-23 18:01:34 | ☆<不正選挙訴訟>の巻☆



 2015年の3月13日金曜日---イーダちゃんは、不正選挙裁判の原告として、霞ヶ関・東京高裁の門をくぐりました。
 前回の不正選挙裁判、行ケ101号でもいちど原告を勤めているので、今回の行ケ2号での参戦は、2度目となります。
 いや、厳密にいいますと、僕、2014年の秋にも、不正選挙の刑事告発ってのをやったんですよ。
 (このときは、福生警察に内容証明付きの訴状を送付しました---が、その2日後、10/10 13:23分に福生警察組織犯罪対策課 刑事 橋本司という男から、この書類は受け取れない、と電話があり、翌日、ソッコーで訴状書類が一式送り返されてきた)
 ですから、裁判関係の仕事は、今回で3回目となるわけ。
 クレイジーですな!---実際、法科をでたわけでもない、法律に興味もぜんぜんない自分が、地検ならいざ知らず、天下の東京高等裁判所の門をくぐる日はがこようとは、夢にも思っちょりませんでした。
 前回の不正選挙裁判は---正直にいわせていただきますと---少々怖くもあったんです。
 リチャード・コシミズ氏の提唱に応じてというのが訴訟の動機だったのですが、やっぱり、ほら、初体験ってコワイじゃないですか?
 ただね、実際この眼であれだけのイカサマ裁判ぶりを見せつけられ、真面目な訴訟がこんだけコケにされちゃうとね…。
 (前回の不正選挙裁判について知りたい方がおられましたら、マイブログ☆不正選挙訴訟の巻☆の過去記事をあたられたし(^.-y☆
 こりゃあ、燃えないわけないじゃないですか! 
 というわけで、燃えに燃えていってまいりました---東京高裁429法廷へ---以下は、そのレポートであります---。
 

                       ×             ×             ×

        §1 現代ニッポン最大のタブー「不正選挙裁判」を秘するためどんなことがなされたか?

 さて、3月13日の午前9時に高裁入りしてみると---もちろん、入館にあたっては恒例の金属探知機と手荷物検査と(違法)が必要です---ただ、警備の連中にどのようなご用件で問われたとき、原告です、の一言ですむというのは楽でしたが---午前の裁判の傍聴については(僕等の裁判行ケ2号は、午後の1:30からでした)抽選の傍聴券を発行するので、9:30より高裁の玄関脇にならんでくれとのこと---
 で、僕はこれに並んだんですが、この抽選には外れ、午前中のリチャードさん絡みの裁判を傍聴することできないことになりました。
 ただ、前回の8F法廷での傍聴券の当確数が48席だったのに比べ、今回の当たり傍聴券は全部で三十数席だとか。

----ということは、おいおい、429法廷って、いちばんちっちゃな法廷なんじゃないの…? 

 これは、前回の撮影拡散で懲りた高裁が(あえて高裁が、といわせてもらうよ。だって、高裁でやったんだからね!)、せめてもの防止策として、撮影者の摘発をやりやすいように、あえて小さめな法廷をセレクトしてきたようでした。
 向こうさんの打ってくる手は、あいかわらずいじましく、卑しく、ケツの穴が小さいですなあ。
 で、まあぼちぼち集まりはじめた知りあいとロビーでダベってたんですが、さっすが不正選挙裁判! あらかじめ声をかけていたマスコミの取材陣、誰もきてやがりません。
 ただ、今回は、強力な助っ人として、あのベンジャミン・フルフォード氏が参戦されましたから。
 時間ぎりぎりで、大きな半纏を着た氏が、金属探知機ロビーをくぐって例の顔を見せられたときは、盛りあがりました。
 あらかじめ準備していた当たり傍聴券を氏にお渡しすると、初対面の氏は、僕に丁寧にお辞儀してくださいました。(これは、嬉しかった)
 しっかし、リチャード・コシミズ氏とベンジャミン・フルフォード氏との揃い踏みは壮観でしたねえ---ちょっとまえのプロレスの最強コンビ---ブルーザー・ブロディとスタン・ハンセンの超獣コンビみたいでしたよ、アレは!
 で、時刻は10:00---429法廷のある4FのEVまえは、このような状況でした。


          
               上フォト↑はRKブログよりの転載。撮影者は不明です。

 不正選挙裁判について未知な方であっても、この異様な警備陣を見たら、どれだけこの裁判が異常な裁判であるか分かると思う。 
 分かんなきゃバカチンだよ。
 だって、御覧---この警備陣、誰も名札をつけてない! 警備会社の名称もない! 高裁関係であるっていう身分提示もない!
 要するに、誰よ、こいつら? って感じですよ。
 しかも、身元不詳のこいつらが、傍聴人の手荷物検査をやるわけです。
 もちろん、これ違法ね---警察だって手荷物検査をやるには、制服と令状とがいるというのに、こいつらは、庁舎内の規則?(いうまでもないことですが、たかが庁舎内規則が基本的人権---勝手に手荷物検査とかされない権利---を上回れるはずがありません)とかいうものを振りかざし、ひとさまの持ち物をあれこれとチェックしやがるのです。
 これ、当然、犯罪っス。
 おのずからあちこちで質問と非難の小競り合いが巻きおこり、裁判の開廷は遅れに遅れました。
 EVまえの裁判応援人員は、このとき、だいたい150人くらいになってました---これ、あくまで裁判を傍聴できない、法廷に入廷できなかっただけの人数ですからね---上フォトにいらっしゃる警備陣総数と、裁判の原告、傍聴人らが裁判終わって出てきたら、こりゃあ大変な騒ぎになるだろうなあ、と僕は予感し、ほかの大多数の方もそう予感されていたようです。 
 この予感は、もうじき実証されることになります。
 しかし、裁判の待ち時間は、長かった。
 裁判自体は、例によって、2、3人の原告に少しだけ発言させると、なんの脈絡もなく裁判長(この午前の件では杉原裁判長)がふいに「結審!」といって強引に裁判を終わらせてしまう、といったいつもながらの手口であり、原告としてはたまらなく不満だったというのですが、法廷内の様子も進行具合もさっぱり分からない、待ち組の身からしたら、この待ち時間はなんとも焦れましたねえ…。
 なかのひとたちの力になりたい、けれど、なれない…。
 そういった忸怩たる思いが、皆の肩口のあたりから、欲求不満のオーラとなって立ちのぼっているのが見えるようでした。
 血の気の多いY氏なんかと話していると、この裁判の違法性についてしゃべっている声が、彼、どんどんヒートアップしていくんです。

----だいたい、日本国憲法82条では、政治犯罪と基本的人権にかかわる裁判は必ず公開されなくてはいけない、と定められているんです。それをなんですか、これは? 庁舎内規則により撮影を禁じる? これこそ、21条2項で禁じている「検閲」じゃないですか…。

----うん、まったくですね…。まったくもって民主国家じゃない…。ていうかナチそのものだ。ねえ、ここ、ほんとにニッポンなんですかねえ?(聴こえよがしに) 

 ほかにも手近な警備員をつかまえては質問攻めにする奴、警備人にむかって、あなた方はいま犯罪を犯してるんだから、日本が正常化した暁には内乱罪で裁かれるはめになる、だから、家族のためを思い、いまのうちに悔い改めろ、と懇々と説教する奴…。
 いや、ヴァラエティー豊かで面白かった---。(^o^;>

 手荷物検査による開廷の遅れと、裁判自体の時間も含め、計1時間ほど待ったころ、閉ざされていた法廷の扉があけられ、なかから凄まじい怒号が聴こえはじめました。
 ええ、やっと裁判が終わったようです。
 いちばん先にゲート外に出てきたのは、顔を真っ赤にほてらしたベンジャミン・フルフォード氏でした。
 不正裁判目撃直後の興奮冷めやらぬ口調で、彼は、こうシャウトしました。

----これは…犯罪です! 私、見ました…。これから、全世界に発信します---!

 これで、EV前でくすぶってた待ち組、爆発しましたね。
 あちこちで賛同の雄叫びがあがります。
 携帯でそんなベンジャミンを撮ろうとするひとも。
 すると、すかさず警備陣が飛び出してきて、

----やめてください! 庁舎内での撮影は禁止です!
 
 でも、なんでもいいから俺の荷物返せよー! と怒鳴りながらリチャード・コシミズ氏がでてくると、この騒ぎ、いよいよ収拾がつかなくなってきたました。

----だから、なんで禁止するんだよ。庁舎内規則が憲法を上回るのかよ。禁止するなら相応の憲法の条文もってこいよ!

----だいたい、おまえ誰よ? 身分も呈さず権力だけ行使する? それじゃ、ただの暴力だろうが!

 あちこちではじまる警備陣と傍聴人の押しあい、もみあい、もつれあい。
 飛び交う啖呵と携帯&カメラのフラッシュ!

----あ。撮影だ! やめなさーい!

 と飛んでいく警備陣。
 でも、今回は、前回の不正選挙裁判のときとちがって、みんな本気でした。
 前回の2013年時の裁判では、みんな、日本の司法というものに、まだ一抹の信頼と敬意をもっていたのです。
 いわば、おぼこ娘のごとくウブだった。
 でも、みんな、前回の斉藤隆ヴィッキー裁判長で学習しましたからね---日本の司法がいかにあくどく、かつ汚く、しかも、この裁判自体がでっちあげの架空裁判じゃないかって疑惑すらもっている。
 だから、そのような不当な命令に従う気なぞ、誰にもありませんでした。

----殴られたーっ!

----傷害だ! 傷害罪…! 見たぞーっ。

----荷物返せよー。いいから返せって…。

 もー あちこちでスゲー大騒ぎ…。
 150もの人間が本気で撮影をしようと思ったら、恐らく、それを強引に押しとどめることができるのは、機動隊か軍隊しかありません。
 まして、いまの時代じゃ、誰だって撮影可能の携帯もってるし。
 ですが、あいにくこの日の高裁には、軍隊も、警察も、機動隊もおりませんでした。
 つまり、高裁4Fは正義と抗議の撮影パラダイス大通りとあいなったのです---♪


  
              他ブログより転載。撮影者不明。  

       §2 不正選挙裁判の具体的なつぶし方<適当に発言させたら、あとはちゃっちゃと結審大作戦>について

 さて、午後の1時からは、僕等の行ケ2号裁判の開廷です---。
 原告は、K美姉さん、Pさん、僕の3名です。
 おととしの行ケ101号裁判では、僕が訴状を書き、準備書面なんかもこしらえましたが、今度の裁判でそれらをなし、リーダーシップをとってくれたのは、主にK美姉さんでした。
 つづいてPさん---Pさんは頑丈げな体格で、見た目非常に頼り甲斐がある印象の好男子なのです。
 今回、僕は、打ちあわせのほかは、ほとんどなにもしてない---彼等ふたりの補助輪のような役割だったといってもいいかも。
 午前とおなじく429法廷での開廷---リチャードさんが原告の午前の裁判に傍聴券が必要なのはまあ分かりますが、僕等の行ケ2号でも傍聴券が発行されたのには驚きました。
 あ。あとね、僕等の裁判、不正選挙行ケ6号の裁判とひとつにまとめられちゃってね、Nさん方2名もおなじ原告席に座ることになったのですよ。
 すなわち、行ケ2号の3名、及び、行ケ6号の2名の計5名が、この午後の法廷の原告席に座ったわけ。
 裁判長は、浜裁判長---開廷は例によって手荷物検査なんかでゴタゴタで遅れに遅れ、結局、具体的に裁判がはじまったのは午後1:30すぎでした。

 開廷。書類の確認。
 事前に準備書面を読みあげたいといっていた行ケ2号の原告側の意向を裁判長が確認し、K美姉さんの準備書面の読みあげがはじまりました…。
 以下、姉さんが読みあげたままに---準備書面の詳細を記述してみます。


----東京高等裁判所、第15民事部裁判長殿
 
 平成7年(行ケ)2号の主張は、

 ●公職選挙法40条1項 違反

 ●民法第1条、第2条 違反

 ●憲法(13項目)違反

 憲法前文 11条12条13条14条15条1項及び2項 31条44条但し書き 56条の2項 97条98条99条について訴え
 陳述しているものである。

 特に憲法56条2項と公選法40条1項については、住所により1人1票の価値が、なされてないうえ、恣意的に投票時間の繰り上げを全国1万7109
 もの投票所にて行ったことは、有権者の投票の機会を奪っているに等しく、1人1票の公平原理にも、違反している。

 また、投票時間の繰り上げ理由は、公選法40条の「特別の事情のある場合」に該当しない。よって公選法40条の違反に該当する。

 本来、午後6~7時代に投票していたであろう有権者は、非常に多く、時点落選者に付け加えれば、明らかに最低当選者の票を上回る。
 これは公選法205条の「選挙の結果に異動を及ぼす虞れがある場合」に該当する。よって、当該選挙は、違憲違法で無効である。

 また、この選挙は、選挙管理委員会がきちんと選挙管理をしていないため、多くの開票所にて、不正があったと推定される事例が数多く出ている。
 それは、期日前投票箱の中身のすりかえ、同一人物が書いたと思われる票が多数出てたこと、バーコード部分の不正があったと思われる事象などがあるが、
 このことは、選挙管理委員会が「適正な管理」をしていないために起こった事であり、憲法31条の「適正な手続保障」に違反しており、即刻無効とすべきである。

 尚、不正選挙の経緯に至っては、戦後、一部のアメリカの勢力によって、日本が完全に牛耳られ、司法、マスコミ、官僚、野党、財界も含め、この不正選挙を
 黙認、強力、維持、継続しているのが現状である。

 不正選挙は、民主主義の根幹を揺るがす大犯罪である。
 総務省や、司法、警察の協力も必要で、また、体制を支える多くの実行犯も必要となる。実行部隊は、日本のカルト、創価学会、統一教会、幸福の科学であり、
 総務省中枢の不正選挙実行部隊が選管と協力し、あらかじめ決めた得票数に、実際の数字を合わせる必要があるため、現場で混乱が起きて、あちこちで辻褄の合わない結果が生じた。
 集計ソフトに工作をすれば、偽りの選挙結果を演出でき、アメリカによる、アメリカのための売国政治を行うことが目的で、不正選挙が実行されたと我々は確信している。

 我々の1票が、きちんと反映されていなければ、もはや民主主義国歌とは言えない。
 日本国憲法前文に「国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動する」とあるが、正当に選挙されていない代表者たちの決めた、政策に従って行動するわけにはいかない。
 よって、直ちに違憲違法を認め、当該選挙を無効にするよう求める。

 以上の次第である…。


                      ×             ×             ×

 姉さんのこの朗読、一見淡々としてたけど、声の端々に真情がこもってて、素晴らしかった…。
 (注:このときの姉さんの朗読は、RKブログで視聴可能です)
 まえから思ってたけど、姉さんの声って透るんですよ。
 上手な論客やそこそこ話のうまいひとは結構いる、けれど、この透る声をもってるひとって案外いない。
 RK氏なんかも、僕は、この数少ない「透る」声の持ち主だと思ってるんだけど。
 「透る」っていうのは、すなわち浸透するってこと---それは、いってる言葉を他人に信じさせるだけのなんらかのパワーを、人格のどこかに宿しているってことです。
 もうひとつつけ加えるとしたら「勇気」かな?
 僕はこのとき姉さんの右隣りの原告席にいたんですけど、読みながら、姉さんの指先、かすかに震えているんですよ。
 でも、おっかながるそんな内心を抑えて、姉さんは、上記の不正選挙マフィア一派を攻撃する準備書面を、淡々と読みきったのです。
 これこそ、本当の勇気だと僕は思ったな---。

 で、姉さんの次には、Pさんが準備していた書類を読む手筈になっていたのですが、ここで、ふいに浜裁判長が聴きとりにくい小声で、

----では…、これにて当裁判は、結審します…。

 はあ? というか目が点状態ですよ。
 なにいってんの、このひとって感じ---だって、裁判どころか、まだこっち準備書面読んだっきりよ。
 それに、僕等行ケ2号の隣りにいる行ケ6号の原告のふたりはどうなるの?
 彼等、まだ、証拠書類の確認もやってないんだってばさ。
 裁判の「さ」の」字にも至ってないよ。
 傍聴席で憤激の声が、怒涛のごとく湧きあがります。
 僕も立ちあがって叫んだ、

----ちょっと待って! なにいってんの、犯罪長…? ちゃんと裁判してよ、ねえ、浜犯罪長ーっ…!

 そんな僕等・原告団を囲むように、わらわらと所属不明の海賊警備員が寄ってくる。

----退廷を願います…。裁判長の指示です…!

----なにが裁判長だよ…。裁判の真似事をしただけじゃねえか、ふざけんな、イカサマ、不当裁判だーっ…!

 あとはもういつも通り---怒号と悲鳴と警備勢との小競り合いと…。
 
 こうして僕等の午後の裁判は、ええ、予想通りに封殺されたのでありました---。


            §3 総括:今度の不正選挙裁判で見えてきたこと

 けれども、今回の不正選挙裁判は、明らかに前回のそれとはちがっていました。
 それは、まず、警備陣の老齢化があげられると思います。
 前回には、が○ょうかいっぽい、若い、ガタイのいい警備人がわんさかいたんですよ。
 ですが、今回、彼等の姿は、とんと見当たらなかった。
 これは、前回の不正選挙裁判関係の情報が行きわたって、彼等の写真も相当数でまわったため、派遣したくてもできない状況に陥り、やむなく、どっかの民間から派遣業務かなにかで警備員を募集したんじゃないか、と推察されます。
 実際、上にあげたおじいちゃん警備員の幾人かは、不正選挙裁判の暴動光景を見て、まっ青になっていました。
 下むいて震えてるひとも何人か見受けられました。
 いわれて出向いてみたら、よもやよもやの犯罪現場にいきなり直面し、さぞびっくりされたことでせう。
 帰って新聞を見たら、どこにも高裁でのことが乗ってないので、二重に驚かれたたことと思います。
 でもね、おじいちゃん---あなたが体験し、見聞きしたほうが、ほんとうのニッポンの素顔なんですよー、と僕はいいたい。

 ふたつめ---不正選挙に対する怒りパワーの増幅、でせうかねえ。
 高裁に集まったみんな、前回より深く強く、ヴォルテージ高く怒っていました。
 そりゃあそうだ、実際に起こったこれらセンセ-ショナルな事象が、マスコミでまるきり報道されないんだもの。  
 生で目撃したことが本当の日本の真相で、マスコミで報道しているニッポンが虚飾でしかないことは、誰でも、高裁にきてこれらの騒動を目撃しさえすれば、すーぐ分かる。
 その意味、不正選挙裁判を絶対に報道ラインに乗せようとしない、連中の気持ちはよく分かります…。
 
 でもさ、そんなのむりだってば…。 
 アメリカのいうがまま、前の大戦のときみたいにニッポンを戦場に引きこみたいんだろうけど、当時といまとじゃまったく異なる点がいくつかあるじゃないですか。

その1:それは、絶対的な天皇への帰依心といったものが、いまの国民からは失われている、ということです。
 大戦時には、これと完璧なマスコミ支配というのがワンセットとなり、なんとか日本を戦争へのレールに乗せあげることができたのです。
 でも、いまは? 天皇信仰という片方の大事な車輪がまずないわけでしょ?
 あと、完璧なマスコミ支配ってのも、ネット社会のいまじゃ完璧な「幻想」でしかない。
 なんとかそれらの代理物として、「イスラム国」なんてものを作ってみたり、いろいろ努力しているようだけど、そーんな3流プロ制作の安手のフィルムごときで、世知に長けた1億以上の国民をまんまと騙しきれるはずがないじゃないですか…。
 もうね---動脈硬化の認知症・よいよい政府とでも呼ぶしかないですよ、いまのニッポンは---。

その2;BRICS、AIIBなんか,アジア主体の世界政府みたいな連合が着実にできてきて、時代はもう確実に日中戦争みたいな20世紀型悪夢とは縁切りの方向にむかっているということ---。
 ヨーロッパも韓国も新しい時代にむかいつつあるというのに、日本だけアメリカの片棒担いで、20世紀型のアナクロ戦争に舞いもどれ、ですか?
 この情報化時代に、なんちゅー石器時代的手口をいまだ考えてるんだかねえ…。

 僕は断言します---不正選挙裁判の情報を圧殺・封印することに失敗したように、連中の戦争プロジェクトも結局座礁するでせう。
 だって、物理的にムリだもん…。
 世界史のページは大きくめくれ、アメリカさんはいまや過去のオヤブン、現在の覇者は、中国であり、ロシアであり、BRICSなんですよ。
 この大きな歴史の本流を見失った国は、これからギャグのように覇者ロードからどんどん階段堕ちしていくでせう。 
 それは、そんなに遠い日のことじゃない、しかし、いくらなんでも長くなりすぎ---今夜はこのへんで当記事をフィニッシュしたく思います---お休みなさい…。(^.-y☆