----この頃、これを人間と呼ぶことが許されるならば、魔術的力を持つ人間が出現せり。この人物を一部ギリシャ人は神の子と呼べり。しかしこの人の弟子らは、真の予言者と呼べり。この人物は死者をよみがえらせ、すべての疾病を癒すと言われたり。この人の性格と形は人間なり。普通の外見、大人、皮膚あさぐろく、背低く3キュービット(約153センチ)ほど、せむしで、顔長く、鼻長く、両の眉くっつきたり。それ故、同人を見ると恐がる人もいたり。髪の毛まばらで、これをナイリタス人にならい真ん中から分けていたり。あごひげほとんどなし…。
(コリン・ウィルソン「世界残酷物語(上)青土社刊)
これ、イエス・キリストの風貌について記された、珍しい資料の一節なんです。
著者は、ユダヤ人の歴史家であるヨセフス(AD37~100)、聖書の登場人物として有名な、あのローマのユダヤ代官ポンティウス・ピラトのサインが入っている「尋ね人布告」という文書からの抜き書きであります。
資料の内容が事実かどうかは定かでないですし、ま、はっきりいって、それは、いまでは永遠に誰にも分からない類いのことでせう。
ただ、この文書にふれて、少なからずびっくりするひともでてくるのではないか、と思います。
というのも、この文書に書かれているイエスの風貌が、あまりに僕らの知っているイエス像と隔たっているからです。
だって、身長153センチっていうのが、まず、どうよ?---歴史の教科書で習った絵のなかのイエスと、ぜんぜんちがっているじゃありませんか。
僕らが学校で習ったイエスというひとは、いつだって美しくて、聡明そうな、背の高い、鼻筋の通った白人の青年男性でした。
ところがこの書は、そうしたステレオタイプのイエスのイメージに、いちいち唾を吐きかけていくんです。
----普通の外見、大人、皮膚あさぐろく、背低く3キュービットほど、せむしで、顔長く、鼻長く、両の眉くっつきたり…。
えっ、なに? ちょっと待ってよって感じですよね。
皮膚あさぐろく、両の眉が濃くつながっていて---あたりまでならまあなんとか読み流せないこともないけど、「せむし」ってコトバに遭遇したときには、誰であろうと多少は引くだろう、と思います。
でも、一般的な反応として、そのような「引き」は正しいんじゃないかな。なにしろ、これは、いちども聴いたことのないセンセーショナルな歴史的ゴシップなわけですから。
一般に知られているイエス像へのここまで爽快な裏切りぶりは、これはちょっと凄いものがありますよね。
でも、ここでちょっとだけ再考---ほんとにこのネタ、ガセなのかしら?
ひょっとして、一般にいわれている、ステレオタイプのイエス像のほうがガセでフェイクである、という可能性もずいぶんあるんじゃないでせうか。
歴史なんて所詮、勝者の自己肯定のためのプロパガンダにすぎない、といったような考え方もございます。
真実のイエス像を探求したい僕なんかからすれば、そちらの猜疑方面からも、真実の歴史を検証してみないわけにはいきません。
ええ、ヨセフス(ペソ)のこの歴史書がいみじくもいっているように、古代社会がつくりあげて現代にまで脈々と語り継いできた、我々のクラッシックなイエス観は、もしかすると非常に政治的なもくろみの糸で長いことかかって編まれた、巨大なフェイクとしての幻想なんじゃないか、とイーダちゃんはむかしっから思っていたんです…。
ただ、時代的にそういうことはあんまりいいづらかったんですね、当時はまだいまより欧米が偉かったから。
西欧が没落して「神々のたそがれ」みたいになってきたころ、ようやくインターネットなんかが草の根単位で普及してきて、いままでタヴーだったことがいえるようになってきたんです。
イエス・キリストの人種的側面なんてのも、そのひとつです。
あらかじめいっておきますけど、イーダちゃんはまったく人種の差なんてものには興味がありません。
白も黒も黄色もカンケーないと思ってる---いちいちこんな話題にくちばしを突っこむのも面倒だと思ってるくらいのニンゲンです。
しかし、まあ、事実は事実としてきちんと認識しなきゃいかんでせう。
というわけで歴史的事実の列挙といきますか。
ええ、そうなんですよ---ナザレのイエスは、白人じゃありませんでした。---。
むろん、なんの根拠もなしに、こんなイチャモンをつけようっていうんじゃありません。
それどころか根拠はありすぎるほど! たとえば、ページ頭にUPした顔写真をご覧あれ。
カンのいい方はたぶんここまでの記述でもう察してられると思いますが、そう、これね、イエスの顔の復元なんです。
しかも、この像の製作責任は、英国のBBCとくる---実際の復元作業を担当したのは、マンチェスター大学の法医学教室だそうなんですが。
エルサレムで大量に発見された紀元1世紀のユダヤ人人骨のなかから、当時の典型的なユダヤ人男性の頭蓋骨を選んで復元したものなんだそうです。
ですから、まあ、たしかにイエス・キリスト当人の頭蓋骨ってわけではありません。ただし、歴史的・人種的に見て、それに限りなく近似値にいるところの頭蓋骨である、ということまでならいえるんじゃないかな。
で、ものは相談なんですが、これ見て、あなたはどう思われました?
うーむ、あんまり、美男、ではないですよね。
あと、色も浅黒いし、モロ中東のひとっぽい風貌です。
でも、これはいまとなっては特に驚くべき情報でもないんですよ。まともな歴史を研究してるひとなら、恐らくみんな知ってる程度のことでせう。ナザレのイエスはユダヤ人でした。そうして、パレスチナあたりのひとにじかに聴けば誰でも分かることですが、ユダヤ人っていうのはもともと白人種じゃないんですよ。そう、ユダヤ人はイエローなんです…。
もう少し詳しく解説するなら、聖書時代のイスラエルに住んでいた、イエローの、セム系のユダヤ人、または彼等の子孫全般のことを現代ユダヤ社会では、「オリジナル・ユダヤ」、あるいは「スファラディ・ユダヤ」なんて風に呼んでます。
彼等の1部は、いまだにイスラエルに住んでます---イエス直系のオリジナル・ユダヤとして。
もともと、1948年にイスラエルが建国されるまで、現地のパレスチナ人たちと肩をならべて生活してた、バリバリの中東人だったのですから、風貌がアラブしてるのは当たりまえなんです。
これに対して白系のユダヤ人---僕等がユダヤと聴いてすぐに連想する連中は、たとえばアインシュタインだとかホロヴィッツだとかキッシンジャーとかの、ああしたタイプじゃないですか? ノーベル賞のほとんどを独占しちゃうような超・優秀なあの連中!---しかし、過去の血統を追っかけていきますと、彼等は、古代イスラエルに住んでいたユダヤ人とはぜんぜんちがう、血統的にまるきり異なる人間なんだ、ということがだんだん分かってきます。
彼等、ユダヤ社会では「アシュケナージ・ユダヤ」と呼ばれてます。
古代イスラエル人じゃない、彼等のルーツは、紀元7世紀に中央アジアのカスピ海北岸にあった、ハザール汗国っていう国家なんですね。
ハザール汗国は、ビザンチン帝国とウマイヤ朝とに国境を接してました。
ビザンチン帝国の宗教はギリシア正教、ウマイヤ朝の宗教はイスラム教でした。
強力な両国に挟まれて国家として疲弊したハザール汗国は、両国からの干渉に堪えるため、あるとき、国をあげてユダヤ教に改宗しちゃうんです。(それまでは特定の宗教というのは、もってなかったようです)ギリシア正教でもイスラムでも大きくいえば聖書を聖典とする宗教だし、事実、旧約聖書は、両者ともに共通する聖典ですからね。そうすれば両国からの緊張をいなすことができる、という計算があったのかもしれません。
で、そういった知略をめぐらして、しばらくは繁栄していれたんですが、11世紀にあのモンゴル帝国の攻撃を受けて、国、滅んじゃうんですよ。
このときに発生した大量の難民が東欧に流れ、この「ハザール人ユダヤ教徒」の系譜が、だんだん「アシュケナージ・ユダヤ」と呼ばれていくようになっていくんですね。
要するに血統的なユダヤ人じゃない、宗教的なユダヤ人一派が、このときに誕生したのです---。
僕が最初にこの事実を知ったのは、アーサー・ケストラーの本からでした。
ええ、あの超有名な名著「ユダヤ人とは誰か?(三交社)」です。
著者であるアーサー・ケストラーは、「スペインの遺書」や「ホロン革命」などの著作で知られている作家---自身もハンガリー生まれの、アシュケナージ・ユダヤ人でした。この本は、自身のルーツを探求するために、1977年に書かれたものです。
----…今日のヨーロッパのユダヤ人達は本当に聖書が言っているセム系のユダヤ人なのか。それとも大多数は改宗したカザール人の子孫なのか。このコンパクトで興味をそそる本は……この問題に潜んでいる悲劇的かつ皮肉な結論を暗示している。……それゆえに人々の心を魅了してやまないであろう。(ウォール・ストリート・ジャーナル)
これをはじめて読んだときは、びっくりして思わずでんぐりがえっちゃいました。
目からうろことはこのことかって感じ。
しかし、いわれてみればもっとも至極な理屈なんですよ---中東のあのあたりの地域は、圧倒的にイエロー優位の植生地帯なんですから。
僕がびっくりしたのはもっとべつのこと---そんな重要な歴史的事実を、いままで文化があえて隠蔽してきたってことについてです。
ええ、ひそかに、デリケートに、しかし、それはもう徹底的に、総力をあげて見事に隠蔽しまくってきたんです。
その圧倒的な政治的手腕に対して、でんぐりがえったわけ---。
いま、僕は「文化が」なんてあえて婉曲な表現を使いましたが、このリミッターも邪魔っぽいんで、とっぱらいちゃいませう。
ええ、絶妙に隠しぬいてきたんですよ---「文化が」じゃなくって---いわゆる「西洋文明」そのものが…。
この種のユダヤ問題は、実は、いまでも世界史のタヴー中のタヴーなんですよ。
だって、あなた、週刊誌でも月刊誌でも新聞でもTVでも、こんな特集とか見たことないでせう?
学校でも決して教えないし、どんな教科書にもでてきやしません。
さすがに英米などの最近の民族別の遺伝子研究なんて草の根レベルの動きを阻めるほどではありませんが、そのような最新研究の成果が決して庶民的レベルでのメジャーな情報とならないように、非常に注意深くコントロールされていることは、いまだに感じます。
実際、この画期的な本を出版した直後、アーサー・ケストラー自身も不審な自殺を遂げちゃいましたしね---一説には殺されたともいわれてます---どっちにしても、あんまり素人が手を突っこんでいい分野じゃなさそうです。
しかし、まあそのはずですよ。いまみたいなネット環境が整備されるまでは、こうした事実は完全なタヴーに近くて、主張すればほとんどキ○ガイ扱い、それにこうしたテーマを扱った書籍自体も超・少数でしたから。
日本では「ユダヤ人とは誰か?」の訳者の宇野正美さんだとかが、この情報紹介分野でのパイオニアだったんじゃないかな。
僕の贔屓のサイエンス・エンターテイナーの飛鳥昭雄先生なんかも、この点では僕とまったく同意見でして、宇野さんのこの実績を本のなかで高く評価されてました。(飛鳥昭雄・三神たける 失われた原始キリスト教徒「秦氏」の謎 学研 mu books )
あの経済人類学の栗本慎一郎氏にしても、このハザール汗国の存在は長いこと知らなくて、「いやー むこうの辞書にでていないんだもの。知らなかったよ、ちきしょう、ダマされたあ…」なんてぼやいていたのをむかし読んだ記憶もありますね。
あの聡明な彼ですら騙されちゃうんですから、僕等一般人が騙されるのもむべなきことかもしれません…。
要するにイーダちゃんがいいたいのは、こういうことです---。
キリスト教のスーパースター、イエス・キリストは、よりメジャーな世界宗教のシンボルとして知名度を集めるために、ある勢力によって祀りあげられた存在だったんじゃないか?
イエス自身は、あくまでユダヤ教のラビのつもりで、新しい宗教を立ちあげる野心はなかったようなんですよ。
さまざまな文献から推察できる、その教えの内容にしても、輪廻転生についてときおり気さくに語ったりしてて、どちらかというと素朴で、いま現在知られているカトリックの教えよりもっと東方的で、ええ、いくらかグノーシス寄りの思想をもっていたように察せられるんです。
でも、それが中途からまるきり変わっちゃった。
そうさせたのが誰かといった話にやはりなりますよね?
まずは12弟子のひとりのパウロなんかがまっさきに槍玉にあげられるんでせうねえ。彼、実はスーパーインテリなんでありまして、当時の文化的中心であったギリシャの哲学者たちと論争して、そこでいちばんになっちゃうようなひとだったんですね。哲学者の梅原猛先生なんかもそのへんの事情については深く考慮されていて、こんなことをいってられます。
----私は、福音書そのものが、このパウロという偉大な宗教的天才---あるいは、宗教的演出家といってよいかもしれない---によって作られたみごとな神話あるいはドラマであるとみてさしつかえないかと思う…。(梅原猛「仏教の思想」角川文庫)
ふーむ、第一プロデューサーは、やはりパウロでありますか…。
しかし、いくら天才的創作家にしても単独じゃ世界制覇はやれない、それをこなすには、巨大な資本のバックが必要です。
それをやったのがヴァチカンだったんじゃないか、と僕は思うんですよ---。
----マジ? なら、ヴァチカンは、なにをやったのさ?
ひとことでいえば統一ですね。原始キリスト教が発達したのは、ヨーロッパやローマなんかじゃなくて、まず、シリアとトルコとエジプトだったんです。
もともとは大変東洋的な思想を宿した宗教だったんですよ。そうした諸々の東洋的神秘主義の枝葉を切り落とすことからまずはじめたんだと思います---余分な末端は切りおとして、誰にも見えやすい幹だけ残しておくの。
異端はすべからく処刑---一般受けしない多用性はざくざく切りとって、わかりやすい、キャッチーで耳触りのいい神話ばかりをずんずん伝播させていくわけ。
ハンサムな白いイエスさまモデルの宗教画を、お抱えの画家に次々と量産させて、それを無知な大衆に恩着せがましく披露して…。まあ、これは言葉はわるいけど、いまでいうブロマイド売りみたいな、完璧なイメージ戦略なんですよ。
超・狡猾。どっかで聴いたテクなんだよなあ、と何気に思案してたら、なんだかこれ、アイドル作りの手法とそっくりなんだってことにいま気づかされました。
驚いた---イエス・キリストってアイドルだったんですね!
すると、ヴァチカンというのは、さしずめジャニ○ズのプロダクションじゃないですか。
広範な世界に「売りまくる」ために、いろんな大事なものを切っていったんですよ---マグダラのマリア、グノーシス、死海文書、占い、聖書本編からはじかれた多くのべつの福音書、魔術、さまざまな森の妖術、魔女、オカルト……で、最終的には、これらすべての教えが収斂するところの、始祖イエス・キリストの実像までも…。
冬の夜長などに、僕はときどきこんな寸劇をふっと空想してみることがあります。
----なぜ、私の肌の色をまちがって世に伝えるのか?
----恐れながら、主よ、理由を申します…。そのほうが布教に都合がいいのです。ヨーロッパの連中は、差別意識と縄張根性に凝り固まった輩が多く、そのような連中のまえで主の肌のことなぞ申したら、宣教師がまっさきにリンチにあって、殺されてしまいます…。信仰より肌の色のほうに重きをおくひとが、世には大変多いのです、布教においてもいろいろと不都合ですし…。ですから、主よ、この小さな欺瞞を、あなたへの信仰が広がるための、やむないひとつの方便として、我等の罪を許してほしいのです……。
----許す? 欺瞞を許せと乞うのか?
----その通りです…御心にかないますならば…。
----私はそうまでして信仰を騙しとれ、といった覚えはない。おまえは民の信仰をそんなに集めてどうするつもりなのだ?
----ああ、主よ、そうすれば私は、少なくとも教区で優秀な神父だ、という評判を世からいただくことができます…。さすれば、私はまえよりも富み、仕えてくれる従者もふえ、まえよりも暖かい、居心地のいい部屋でくつろぐことができます…。
----すると、おまえが欲しいのは、信仰なのか? それとも、居心地のいい部屋のほうなのか? どちらなのだ?
----ああ、恐れながら主よ…。暖かい部屋のほうでございます…。ああ、お許しを…。
----汝、信仰薄き者たちよ…(憐れむように目を閉じて)……。
ある意味、ヴァチカンはたしかに世界制覇をなしとげたのだ、といってしまってもいいのかもしれません。
なにせ、信徒10億人ですもん。ただ、その勝利の過程で失ったものもさぞ多かったろう、と邪推せずにはいられません。
素朴な信徒の方々の信仰をゆさぶるつもりはまったくありませんが、僕は、ヴァチカンは制覇の道のとちゅうで肝心な「主」をどっかに取りおとしてきちゃったんじゃないか、と思ってるんですよ…。
(第一部、了。このテーマはいずれもっとつめていきたいですね)