イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その137☆<悪魔のキューピー>大西政寛の伝説☆

2013-03-30 23:01:36 | ☆格闘家カフェテラス☆
                                 
                     ----首を斬らされるもんは、斬られるもんより根性がいるけんのう…。(大西政寛)


 出たーっ、大西政寛です---あの「悪魔のキューピー」です!

 ☆格闘家カフェテラス☆のコーナーをやってく上で、彼を登場させるべきかそうしないでおくべきか、実は僕、ずーっと迷ってました。
 このコーナーの最初のページで、僕は、あのプロレス全盛時のチャンピオン「ルー・テーズ」を紹介させていただきました。
 まあ、彼の場合だと文句つけるひとはあんまいないっしょ。
 で、次は、戦後の伝説の喧嘩士「花形敬」さんにご登場願いまして---
 えー、彼、ヤクザで格闘家じゃないじゃんよー!?
 なんて批判も若干ありましたが、僕は、ここを、彼のような天才を「格闘家」という範疇からはじきだしちゃうような、そーんな固くて狭っちいコーナーにはしたくなかったんですよ。
 たしかに花形さんは一般的にいわれている格闘家というのとはちがう。
 しかし、そんな表面上の区分の差違がなんです? 梶原一騎にせよ、「刃牙」の作者の板垣恵介にせよ、いまだに(梶原氏は既に故人ですが)あの花形伝説を夢中になって追っかけているではないですか。
 後世のひとにこれほどの魅力が覚えさせるほどの男が、軟弱な、要領がいいだけの男であったはずがありません。
 とびきりの格闘士であったから、その刃物のように鋭い独自の光芒が、僕等をこれほどまでに魅きつけるのです。
 まあ花形さんの場合、ほんとに「喧嘩の天才」という形容がふさわしかった、肉体的にも精神的にも超スペシャルな男であったわけなんですが、あっちの業界はさすがに人材豊富です、花形さんとはべつのずーっと西の方角で、それとほとんど同時代---より正確にいえば、このひとはあの花形敬より七つ年上ですか---男を売って商売していらした凄まじい男はんがいらっしゃったんですよ。
 それが1923年(大正12年)、広島の小坪に生を受けた、大西政寛そのひとだったのです---。
 
 彼がこれほど有名になったのは、もちろん、あの東映映画「仁義なき闘い」において、主人公の菅原文太が兄貴分と慕う若杉寛(これは、梅宮辰夫が演じた)のお蔭でせう。
 あれのせいで「悪魔のキューピー」は、あそこまで有名になったわけ。
 それは、まあ分かりますよね? でも、このページ冒頭で初めて彼の実写真に触れた方は、

----うわ、映画のイカツいいかにもヤクザの梅宮辰夫より、本物のほうがなんか怖えゾ…。

 と思うかもしれない。
 そう思ったとしたら、貴方の勘はなかなか鋭い。
 そうとは感じれなかった方も、よーく目をこらしてみれば、きっとそれは感知できます。
 この写真の男の瞳は、たしかに、なんともいいようのない闇に満ちている。
 では、その闇の種類とはなにか? 
 なぜ、彼の瞳は、そのような闇を、孕むようになったのか?
 彼のことをよくご存知の方にはいまさら無用でせうが、大西政寛ビギナーの方もなかにはいらっしゃるでしょうから、そーいった方々のために、まずは大西さんのプロフィール紹介といきませうか。
 ただ、当時の事件やら喧嘩やらをいろいろと記述しても、当時の世相と相手との関係や背景とかをいちいち説明しないと、大西初体験の方はなんのこっちゃさっぱり分からんだろうと思いますので、まず、僕なりにかいつまんでまとめた以下の<大西理解のための箇条書き文書>にざっと目を通していただけたら、と思います。


                      ◆「悪魔のキューピー」理解のための箇条書きクロッキー◆

1.1923年(大正12年)広島の小坪にて出生。裕福な商店の生まれだったが、大西2才のとき、父がモルヒネ中毒で他界。母は父宅を追われ、以降祖母のもとに引き取られて育つ。その渦中、近隣の子らに父の中毒ぶりをからかわれ、いじめ、喧嘩を多く経験する。

2.で、ここが非常に特殊だと僕は思うんですが、大西は、小学校に上がっても字を覚えようとしなかったんです。
 これは、ちょっと凄い。子供って皆がやってると、つい付和雷同しちゃうところがあるじゃないですか。
 でも、大西は、流されなかった。
 餓鬼のくせに、授業を聴きもせず、教室では絵ばかり画いていたらしい。
 毎年の絵画コンクールでも優勝して、結構才能はあったようです。
 しかし、大西が凄いのは、とうとう字を覚えないまま、高等小学校まで進んじゃったってとこ---これは、奇妙だと思いますね。
 このひと、妥協っていうのが、まったくないのよ。
 覚えないと決めたら、もう覚えない。
 このなんともいいようのない、エネルギッシュな生来の鬱屈…。
 煮えたぎり、出口を求めていた噴火寸前の「それ」が、あるとき、ふいに爆発します。
 きっかけは高等小学校の教師の、心ないからかいのひとことでした。

----おまえは親父といっしょの脳病院で絵の先生にでもなるんか? じゃけん、先生は字も書かにゃならん…。

 その瞬間、大西はキレます。
 後年の大西は、怒ると眉間が縦に立つ、といわれていました。
 このときもそうなった---眉間のあいだに縦皺が走り、小学生の大西は、すかさず担任の教師に文鎮で殴りかかり、あっという間に3針も縫う怪我を負わせます…。
 ちなみに、この時代の教師暴行をいまの時代と同じに考えてはなりません。
 なにせ、教師に手をあげるなんて、超・考えられない戦前ニッポンのことですから。
 大西は当然、即日退学処分となって、カシメ職人の若衆の道に進むことになります…。
 (カシメというのは、チームを組んで軍艦に焼きたてのネジを打ちこむという、いまでいう鳶をさらにトッポクしたような職業の総称です。カシメは、相当の稼ぎになって、金遣いも皆派手で、気の荒さでも有名だったといいます。たとえば、「奴はカシメだから喧嘩は売るな」みたいな言説が常に囁かれていたらしい)
 その後もちょくちょく事件を起こしまして---ただ、そのなかでは、やはり……

3.あの「海軍軍人事件」に触れねばなりますまい…。
 大西16才の夏、大西が広の食堂でビールを飲んでいると、いかにもたくましい、大柄で高圧的な海軍軍人に咎められます。

----おめえのような餓鬼は、まだビールなぞ飲むには早ぇ…!

 みたいなことを、たぶんいわれたのでせう。
 まともにいったら敵わないと見た少年の大西は、一端は引きさがります。
 しかし、すぐ隣りの商店の台所に押し入って、そこから刺身包丁を握りこむと、あっというまに例の食堂へと引きかえし---
 件の軍人の腹をいきなり刺し、あまつさえ、その軍人の片耳をスパッと切り落としてしまうのです。

 この事件で大西の名は高まり、まだ若年の彼が呉の通りを着流しで闊歩しても、文句をつける人間はまったくいなくなったといいます…。

4.有名になった大西は、地元の土岡組とも接点ができはじめるのですが、ここで兵役となり、中国戦線に送られます。
 この時期の大西の詳細は、僕も非常に気になるのですが、謎に包まれていて、まったくのこと分かっておりません。
 大西は帰国後も、ほとんど戦争の話はしなかったそうです。
 しかし、ときどき、気が向いたときだけ、母のすずよにこう、

----お母ちゃんのう、戦争いうたらまったく哀れなもんじゃ。行軍の最中にひと足でも遅れると、もう敵に捕まるか、はぐれて野垂れ死にするだけじゃけん。軍隊じゃのう、小便1丁糞8丁いうて、用足ししとるとそれだけ遅れるんじゃ。ほいじゃけん、ピーピーでも道端にしゃがみこんだらしまいじゃけん、ズボンの尻あけっぱなしで、垂れ流しで歩くんじゃ。そうなると弱いもんからばたばた死んでいく。それを合掌ひとつして、近くの叢に放りこむんじゃ。普段はのう、戦友じゃ兄弟じゃいうても、そうなったら石コロじゃけん、石コロがゴロゴロ、ゴロゴロと行軍しとるようなもんじゃ…。
         (本堂淳一郎「広島ヤクザ伝<悪魔のキューピー>大西政寛と<殺人鬼>山上光治の生涯:幻冬舎アウトロー文庫より)

 ほかにも大西に中国での経験を問うたひとはいたようです。
 あんたは中国で中国人捕虜の首をいっぱい斬ったとかいわれてるが、あの噂は本当か、と問われたとき、大西はにやっと笑ってこう漏らしたそうです。

----おお、首を斬るもんは、斬られるもんより根性がいるけんのう…。

 大西は、中国戦線に都合4年いたそうです。
 兵役1年で1等兵になるのが、この時代の通例だったのですが、大西は、どういうわけか帰国するまで最下の2等兵のままでした。
 なにか、あったんでせねえ、恐らく…。
 あの気性ですもの、上官を殴ったとか、刺したとか---詳細は一切分かりませんが…。

5.そして、昭和20年の敗戦です。
 大西も戦後の日本、原爆の投下されたあとのあのヒロシマに帰還して、シャバでの暮らしを再開します。
 むろんのこと、世相は混乱して、荒んでいます。
 この荒涼とした「戦後」のなかで、中国の戦線で数えきれないほどの虚無をその瞳に蓄積してきた大西が、本格的に「爆発」しはじめるのです。
 戦後の大西のもっともインパクトのある喧嘩は、なんといってもあの盆踊り事件でせう。
 昭和21年8月の14日、阿賀や広で戦後初めての盆踊りがひらかれたのです。
 大西は、このころ、地元の土岡組に所属していたんですね。
 しかし、当時の世相です、地元の土岡組に反旗を掲げる、愚連隊のような組織は、いっぱいあったんです。
 そんな反対勢力のなかで、もっとも大きな規模を誇っていたのが、桑原秀夫の率いる、桑原組という組織でした。

----岡土がなんぼのもんじゃい、いつでも相手になるど。

 といったような、いわゆるブイブイですね。
 その宵も大西をはじめとする面々は、組の事務所で、この桑原組の奴等を締めにゃならん、と相談していたそうです。
 で、ひさしぶりの華やかな祭りの会場で、この大西たちが、桑原組の小原馨を見つけるわけです。
 大西たち5人は、小原を捕らえ、会場隅の暗がりへと連れていきます。
 ここでの大西が、なんとも凄まじい。
 
----最近ごちゃごちゃうるさいんじゃ。馨もいうとる口じゃろう。桑原なら殺るところじゃけん、おまえなら腕一本でええわい。馨、覚悟せい…。

 そして、隠しもったポン刃を振りあげるやいなや、

----馨、許せい!

 と小原馨の左腕を斬り落としてしまうのです。
 悲鳴をあげて崩れ落ちる小原---。すると、その声を聴きつけて、小原の兄弟分である磯本隆行がそこに駆けつけてきます。
 大西は、磯本も小原とおなじように手下に捕まえさせておいて、

----許せい…!

 小原と同様、磯本の左腕も、瞬時のうちに斬り落としてしまいます。
 あの童顔の眉間が縦に立った、「悪魔のキューピー」そのものの修羅顔になって…。

6.この事件の噂は、ひと晩で呉の町中を駆けまわりました。
 「悪魔のキューピー」という仇名は、そのときについたものです。
 もう、こうなると、大西は、別格のスターのようなもン。
 誰ひとり逆らわない、そりゃあそうです、なにせ歩く爆弾みたいな男なんですから、彼は。
 賭場にいってイカサマ札を大西が使う、それを見咎めて誰かが、

----うんにゃ、その胴落とせい…。

 といったとする。
 すると、大西の眉間がすかさず縦に立つわけです。

----あん? なんちゅうた? もう一度ゆうてみい…。

 いったもんはもう半殺しです。火鉢の串で殴るわ蹴るわのやり放題。誰もそれをとめられない。
 そうして、ほどなく大西は、呉の町を制覇するんですね。
 あらゆる権威の崩壊した呉の町で、いかなる権力にも従わず、自分の意思を貫く大西は、一種のアンチヒーローとして祭りあげられることになります。
 なんでも巷では「むかしの仁吉、昭和の大西まあちゃん」なんて囃歌が唄われたり、巡査までが「おなじ遊ぶなら、まあちゃんみたいになりなさい」といったというんですから、当時の大西がいかにビッグネームだったか、時代も環境もちがう僕等にも想像できようというものです。
 ここまでくると一種の熱病ですよね、ええ、大西は、まさに「戦後」という時代が生んだ熱病のような男だったんです…。

7.大西は、この盆踊り事件では、初犯ということもあって、わりとすぐに釈放となりました。
 しかし、その保釈中に、またもや事件を起こしちゃう。
 規則と拘束の巣である吉浦拘置所のなかで、縛られることが大嫌いな大西は、またしても鬱屈していきます。

----なあ、美能よ、わしは出たいんじゃがのう…。

 先に服役していた弟分の美能幸三(のちの「仁義なき闘い」の著者)にそう呼びかけても、むろんのとこ一介の囚人にすぎない美能にどうこうできるはずがありません。
 鬱屈の高じた大西は、やがて腹を決めます。
 その決め方というのが、なんとも大西流でまたもや凄まじい。
 
----おい、わし、今日出るけんの。

----保釈が、決まったのかいの?

----とにかくわしは先に出とるけん、シャバで待ってるからの…。

----……?

 いぶかる美能をあとに、大西は、拘置所で散髪係をしている男の部屋に向かうやいなや、

----おい、剃刀貸せい…。

 そして、どっかりとあぐらをかいて腹を出して、いきなり手にしたその剃刀でハラキリを敢行したというのです。
 半端じゃない深さ、腹の皮から腸が塊になって飛びだして、大西は、それを両手で抱えたまま病院まで歩いた、ということです。

----必死で抱えとったけん、重かった。しかし、腸っちゅうのは、思ったより重たいもんじゃのう…。

 なんという濃ゆいパトスの力か…。
 まったくもって常人じゃない、かの花形さんと通じる不気味な異種の力を、僕はこのエピソードに強く感じます。
 ここまで彼のエピソードを聴いたうえで、それでも俺は彼に喧嘩を売りたい、という喧嘩自慢がいたら、僕は、そのひとのことを偉い、と思う。
 僕は、とてもダメ…。
 だって、彼、一種の「天才」だもん、喧嘩を売るどころか、ファンになっちゃうよ。
 もちろん、重症の大西は即時釈放となり、大西は自分の言葉の通り、シャバにもどれることにあいなります---。

8.しかし、シャバにもどってからの大西の生きざまには、まさに死に急いでいるような趣きがありました。
 大西は、土岡組のライバルの山村組の若頭に引き抜かれ、弟分と可愛がっていた羽谷守之をはじめ、かつての仲間や舎弟たちと対立していくことになります。
 その自身の「裏切り」に鬱屈したのか、自身の焦燥の具合と比例するが如く、大西の生来の凶暴性は、さらに顕著に発揮されていきます。
 昭和24年の11月には、福山競馬で、八百長のいざこざから騎手を半殺しにして指名手配。
 翌年の1月4日には、妻と歩いているところを冷やかした、大西と名乗る男を銃撃して射殺。
 その月の18日に、呉の岩城邸に学生服を着て潜伏しているところを警察隊に踏みこまれ、大西は、警官ふたりを応戦して射殺したものの、背後から撃たれ即死するのです。
 享年27才---一代の阿修羅の生涯が、ここに完結しました…。


      



                           ×          ×          ×

 しかし、まあ、なんていうんでせうかねえ---。
 僕は、ここまで書いて、あの安藤昇さんの親分筋にあたる「愚連隊の元祖」万年東一氏のことをつい思いだしちゃいました。
 彼が、凄いことをいっているんですよ。

----命を投げだしてくる奴に、命を守ろうとしてる奴は、絶対に勝てねえ…。

 僕は、この言葉は真理だ、と思う。
 万年さんは映画「兵隊やくざ」のモデルになったひと---中国での戦争も,愚連隊同士の出入りも殺し合いも腐るほど経験している、いわばその道の超・オーソリティーです。
 その彼の言葉の通り、男同士のふたりが、いざ鎌倉というサイアク事態に陥った場合、僕は、半端な技術なんてまるごと吹き飛んじゃう、と思うんですよ。
 ルー・テーズが、ダニー・ホッジについて、「喧嘩なら自分よりホッジのほうが強い」といったのは、恐らくそういう意味でせう。
 喧嘩の王者・力道山が、あの花形敬を恐れた理由も、たぶん「それ」でせう。
 技術、体力---といったものが絶対の指針にならない、そういった不安定極まる「場」が、僕は、いわゆる喧嘩の空間というモノだと思うんだなあ、要するに。
 それ考えると、「最強」っていったい何なんだろうな? と、ふしぎになりますね。
 大西さんは、格闘技的にいうなら一介の「素人」です。
 打撃の基本のワンツーも、フェイントのバリエーションもたぶんほとんど知らないし、関節技なんてしたこともないと思う。
 でもねえ、僕は、そんな彼が喧嘩に弱いとは、どうしても思えないんですよ。
 格闘技でかなりの域までいってるひとは、僕がそんな風にいうと笑うかもしれない。
 けどねえ、イーダちゃんは、かの「悪魔のキューピー」大西政寛氏を、花形さんやホッジなんかとも張れる、最強のファイターのひとりであった、と考えているんです。
 そうして、いまもって、その考えはまったく変わっておりません…。m(_ _)m

   (注:この記事は、幻冬舎の本堂淳一郎氏の著作「悪魔のキューピー」から多くを拠っています。興味のある方は、そちらを参考にして下さいますように)

                                                    ---fin.
 

 
 

 





 

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6 コメント

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お久しぶりです (ユウヂ)
2013-04-26 14:26:48
お久しぶりでございます。ユウヂさんです。
ちょいちょい覗いていたのですが、まあ、この記事にはコメントせにゃあいかんな、と(笑)。

>----命を投げだしてくる奴に、命を守ろうとしてる奴は、絶対に勝てねえ…。

万年東一氏については詳しくは知りませんでしたが、なるほど戦争を潜り抜けた方らしい、とてもおっかないコメントだと思います。

これはまあ、そうなんですよね。少なくとも喧嘩に関して言えば、どうしようもなくこういった側面がある。

んでもって、そうやって思い込める人間には、これはもうどうやっても勝てません。技術の問題じゃないもの。その人の世界観の問題。そう信じちゃってる人間には、まあ勝てません。倒れてくれないし、引いてくれないもの。

自分とイーダさんの共通の知人である某流派の空手五段が、前の職場にいた頃にこんな事を言っていましたよ。

「拳に魂を込めるんだよ。」

「おれはこの拳で、一撃で人を倒す。」

「そう信じれなきゃ、人なんて倒せないよ。」

いまだに覚えている、Sさんの個人的名言です(笑)。


こういう、ちょっと一般的にはイメージしにくい世界観を持っている人、それを貫ける人にはちょっと勝てません。技術が上でも、パワーが上でも、スピードがあってもスタミナがあっても、勝てません。

世界観で圧倒できない限り、勝てません。

世間一般の価値観に則っている内は、そういう価値観にとらわれないで動ける人間には勝てません。

もうカレコレ17年、格闘技というものに細々と接してきた中で、技よりも、術よりも、そういう世界観を得るための何かを見る。そういう経験がないといかんと、切実に思いましたよ。


千葉県・野田市でご健在の日本が世界に誇るニンジャマスター、初見良昭氏が言っていたこの一言を、わずかながら理解できるようになるのに10年かかりましたわ。


「世界観がなきゃいけません。」

「これからは、もっと大きい宇宙観がないと。」


道は遠いのねぇ…。
返信する
というか (ユウヂ)
2013-04-26 15:04:34
イーダさん、ツイッターやってたんですね(笑)。

アカウント教えて下さい~。
返信する
ユウヂさんへ (イーダちゃん)
2013-04-26 23:28:37
おひさ。お元気そうで何より。
DONから噂よく聴いてる。
今回は礼節に満ちた、熱いカキコをありがとう。
武道家ってやっぱ「礼」が身体に染み付いてるんだねえ。君の今回の文章に、俺はそれ特に感じた。
さて、話題の大西さんなんだけど、途中まではコレいいんだけど、ラストから「じゃあ、後先何も考えずに突っこんでくる奴が一番強いのか?」という子供理窟の世界に突進しちゃうんだよね。
それじゃあ、暴力団が一番強いってことになっちゃう。
後先考えないジャンキーが一番強い?
終戦間際の特高みたいな無茶な精神論みたいな理屈位を展開しちゃったのかもしれない。
死ぬことを恐れないニンゲンが一番強い。
うーむ、それはそうかもしれないけど、なんとも後味のわるいことを書いちゃったもんだ。
本音をいうと、俺は、大西さんがそれほど「最強」であったとは思っていない。
花形のが絶対強かったろうと思うし、いまの総合やってるひととやったら、彼、遊ばれちゃうよ、きっと。
ただ、そのあとのお礼まいりで、きっと大西さんはそのひとを殺しちゃう、と思うんだよね。
それが怖いから、そこまでいきたくないから、誰もが彼を結果的に避けるわけであって。
君の言を借りるなら、大西さんっていうのは、そーゆー異常な世界観を常にふりまいてた、危険極まりない、歩く爆弾みたいなニンゲンだったんじゃないかな。
俺は、彼のこと凄いとは思うけど、尊敬はしてない。
そこが花形さんやテーズや塩田剛三さんなんかと決定的にちがうところだ。
尊敬してないニンゲンを扱うとなんとなく筆先が薄情に
なっちゃうんだよねえ。
というか、俺は、彼を一種の芸術家、みたいなタイプのニンゲンとして捉えてるんだ。
ただ、そこまで書ききれなくて、結果的に後味のわるい記事になっちゃったってとこかしら?
切腹のエピソードの出し方とかは気に入ってるんだけどねえ(笑)
気合、は、大切だ。
でも、それだけで合戦には勝てない。
誰が一番強いのか?
分かるわjけないよ、やってみなけりゃあ、それは分からない。
ただ、そのために日夜努力してるニンゲンは一番有利だと思うし、また、そうでなきゃ嘘だ、とも思う。
武道家、格闘家ってのは、そのへんやっぱ凄いよ。
大西さんは比類なき世界観を生まれながら待っていて、それで頭角を現したけど、最後には、その強大すぎる世界観に自分ごと潰されちゃった。
だから、万年さんやテーズなんかが持っていた、強者に特有の楽天性が、彼にはない。
もしかすると、弱いひとだったのかもしれないね。
しかし、それ考えると、強いってなんだろう? っていう一歩みたいなテーマにまた縫着しちゃう。
うーむ、むつかしいな…。
また、DONをまじえて暇なとき話そうぜ。

お。そういえば君にメールアド知らせてなかったな。DONから聴いてメールでもくれい。ちょっとココではアド晒せないんで。

とにかく元気そうでなによりだ--再会(サイチェン)!--
返信する
Unknown (とおりすがり)
2015-04-23 14:59:39
とてもいい記事なのですが せう せう と 思い出したように使っているその言い回しが実に惜しいです。
文才のある方なので余計に惜しいです・・・・



返信する
Unknown (なんこつ)
2016-09-14 17:31:17
前置き長すぎる。簡潔に説明したら。 あなたの感想いらないから
返信する
Unknown (ななしの風来坊)
2019-12-12 23:34:03
高等小学校は今でいう中学校です。
返信する

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