イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その101☆なんかふしぎな熱海旅--来宮神社の「大楠」を訪ねて--☆

2012-03-28 00:58:19 | ☆パワースポット探訪☆
                            


 ひさびさの休みがとれたんで、腰の養生もかねて、この3月20日、近場の熱海に1泊2日の湯治としゃれこんでみました。
 なぜ、いま熱海なのか?
 去年の愛車全損事故により足なし状態がつづいていて、電車での遠出がだんだん面倒になってきたため---というのが第一の理由かな?
 で、第二には、新しく就いたいまの仕事では連休がなかなか取りづらいから---といった理由もありでせうか。
 そのような規制事項を踏まえたうえでの1泊2日の熱海旅だったのですが、いやー、それがなんともいえずふしぎな旅となったんですよ、今回は…。
 熱海駅への到着は、お昼すぎでした。ええ、いつもの常宿である「福島屋旅館」さんにまず荷物をおかせてもらって、昼間のさなかから閑散とした---うん、今回の熱海旅、休日前日で、かつ格好の青天という絶好の観光日和だというのに、観光客、恐ろしいほど少なかったんですよ---そんな閑散とした、人気のない、いい日和の熱海の町をぷらぷらと気ままに、まあさすらっていたと思ってください。

                
                       
                          上図:祝日前の晴天日だというのに閑散と静まった熱海銀座の光景

 具体的にいきませう。荷物をおいた「福島屋旅館」さんのそばには、源泉の「風呂の湯」ってのがあるんです。その源泉をちょい上ったさきに、熱海櫻が一本見事に花をつけてるのを見つけたんですよ。

----おおっ、凄っ。満開だ、こりゃ…。と、目を細めて携帯写真をぱちぱち撮っていたら。

 そしたら、上りの坂のところでそんな僕の様子を見ていたおばあさんが、いきなり話しかけてきたんです。

----ねえ、とってもきれいに咲いてますね…、って。

 これが、なんといっても第一のふしぎ事象かと存じます。
 ふりかえると、そこにいたのは上から下まで黒衣に身を包んだ、歯のない70代(推定)のおばあさん。
 僕はこのおばあさんの言葉にこくんとうなずいて、

----ええ、満開、いまが盛りって感じですよね…、とにっこり返しまして。

 それから、その櫻の木の下で、ふたりして延々おしゃべりしちゃいました。
 このおばあさん、聴けば、20年前にヨコハマの保土ヶ谷から移住されてきた方だとか。
 ええ、当時はいまとちがってまだ熱海は景気もよかったころですから、ヤクザ屋さんもいまよりうんと多かったんですよ。そのころの熱海を仕切っていたのは稲川会の系列でね…、

----えっ。稲川会といったらヨコハマじゃないんですか?

 そりゃあ、本家はヨコハマのほうかもしれませんが…、こっちの熱海でも稲川さんの勢いは凄かったんですよ…。もっとも、観光客がこんなに減っちゃってからは、稼ぎもなくなってきて、皆、ヨコハマのほうに移っていっちゃいましたけど、むかしのここいらはホント景気がよかったんですよ。ほら、その証拠に、この坂を上っていった梅園のすぐさきには、稲川さんの豪邸、いまもありますから…。

----へえ、豪邸ですか…。

 あなたと同じ年くらいの私の息子も、若い頃いちどヤクザになりたい、なんて馬鹿なことをいいだしましてね、あたしはヤクザなんてそんなに甘い稼業じゃないんだ、ということを教えてやりたくて、稲川さんの屋敷に息子をでっちにいかせたことがあるんですよ。毎朝タクシーでお屋敷まで送りとどけてやってね…、そうですねえ、2週間くらい頑張ったかしら? 掃除に洗濯に用足しに…それでようやく息子もげんなりして折れてくれまして……

 はらはらと櫻の花びらの舞う、春萌え坂のとちゅうで、遠いむかしの稲川会の興隆話を拝聴するのは、なんというか非常に浮き世離れした、ふしぎな味わいがありました。
 青空と、いまが盛りの熱海櫻と、いい匂いのするむかし話と、春霞のかかった遠くの海と…。
 これが、この日僕が体験した、ふしぎエピソードその1ですね---。


                           

 でもって、次には第二のふしぎ事象のご紹介---
 このおばあさんとお別れして、僕は、もそっと海沿いの、糸川橋の付近をぷらぷらと散策してたんですよね。
 なんか、急に美味しいものが食べたくなっちゃって。
 クルマの旅なら、ふだんは食べ物は思いきり節約節制しちゃうのですが、今回はお金のかからない電車旅ですから、めいっぱい美味しいものを食べちゃおうかなって思いまして。
 で、さんざん食べ物屋さんを何往復もして吟味して、とうとう跳びこんだこちら、


                     

 イタリア料理店「Termale-テルマーレ-」さん---まったくの本能で選んだこちらの店の料理が、なんとも絶品でした。
 あとからネットで調べたら、こちら、けっこう有名なお店だったんですねえ。
 僕は1300円くらいの「ツナクリーム・パスタ」と赤のグラスワインとを頼んだんですが、ここのパスタのソースはマジ美味でした。
 で、そのことを伝えて、お勘定をすませて、さあ、お店を出ようとしたとき、こちらのご主人が、

----あ。お客さん、さっき食事するまえ、カウンターで諸星大二郎の特集、読んでらしたでしょう?

----ええ、まあ読んでましたけど…、と僕はやや戸惑いながら。

 こちらのお店のカウンターには数冊の本が置かれてて、そのセレクトがなんというか、とってもユニークだったんですよ。
 本好きのイーダちゃんは、そのなかに諸星大二郎を特集した「ユリイカ」の増刊号があるのを見つけて、びっくりして、かなり熱心に目を通していたんです。ご主人は、きっとその様子をよく見てられたんですね。

----いやー、そうとう熱心に読んでおられたから、諸星さんのこと、好きなのかなって、そう思ったんですよ。

----ええ、たしかに。諸星さんは、ずいぶん好きですけど…。

----なら、その本、差しあげますよ。どうぞ、それ、持って帰られてください…。

----えっ!?

----いえね、店にただ置いておくより、そっちのほうが本にとってよさそうだ、と思ったもんですから。ほんとにどうぞ、ご遠慮なく…。

 と、こちらのご主人はあくまでにこやかに---そうして、イーダちゃんは、気まぐれで入った一見さんの熱海のイタリアン・レストランで、なぜだか諸星大二郎本を一冊、貰い受けてしまったのでありました…。<(_ _)> ←メルシーマーク。

 で、腹がくちて、「うーん、これからどうしようかな?」と伸びをしたときに思いだしたのが、熱海の巨樹情報。
 ここでふいにこんな巨樹のことを思いだしたっていうのを、僕的には第三のふしぎ事象に指定したいわけ。
 イーダちゃんは巨樹が非常に好きでして、機会があれば必ず見るようにしてるんですけど、熱海にもよくTVのパワスポ系の特集なんかで取りあげられるような、有名な巨樹があることは知っていたんです。
 さっそく通りがかりのジモティーっぽいおばちゃんに聴いてみます。
 すると、それ、来宮神社にある二千歳の「大楠」だということが分かりました。
 だとしたら、善は急げ、さっそく徒歩で来宮神社を目指しました。
 岡本ホテルのある坂を上って、ぐーんとまっすぐ---20分ほど歩いたら、目指す来宮神社が見えてきた。


                        

 こちらの建物の左側の坂をのぼったさきに、目的の、その樹齢二千歳の「大楠」はありました。

----うおーっ、でっかいなあ…。

 マジに太くて大きい…。
 それに、なんたる威厳でせうか。
 なんともいえない歴史の香りが、はるかな高みにある枝々から、しんしんと降りそそいできます。

           
               
 
 なんか、巨大なオームを目あげたときの「風の谷のナウシカ」の心境とでもいいませうか?
 あのときのナウシカってきっとこんな心境だったんだと思うな。もうね、心ごとすさーっと吸いあげられる感じ。
 そして、その吸われる感触が、とっても心地いいの。
 自分の呼吸も、いつのまにか巨樹にあわさるように、深くゆっくりになってきて。
 イーダちゃんは、この「大楠」さんのまわりを、見上げながら、ゆーっくり何周かしましたねえ。
 許可もらって---もちろん、巨樹さんに直接です---写真を何枚か撮らしてもらって、またしても何周かくーるくる。
 あとからきたカップルや観光客が木をあとにしても、イーダちゃんはまだ飽きもせず、「大楠」さんのオーラ圏内に停泊しておりました。
 もの凄い長い年月、存在しつづけてきた生き物だけがもてる、静かだけど、独自の威厳に満ちた、涼しげで居心地のいい「悟り」のオーラ---その空間にひたっていれるのは、極上の温泉に入っているのと同様の、ふしぎな恍惚感がありました…。


                      ×            ×

 でもって、常宿の「福島屋旅館」さんにもどって、イーダちゃんはまた一風呂浴びたんですわ。
 阿呆ですねえ、いい温泉に入ってると、ホント、それだけで満足しちゃうんです。
 うーむ、気持ちいいなあって---ニンゲンカンケーの気苦労とか、浮き世のしがらみとか、人工地震勢力への怒りだとか憤懣とかもいろいろあるけど、まあ、いいか、この世はすべてこともなしってことで…、みたいな即席の「ゆるゆる坊主」になっちゃうっていうか(笑)。


               

 あ。最後に追記ね---こちらのお宿のご主人が、「福島屋旅館」さんのHPを開設されました。

   昭和の熱海が生きている温泉宿 - 熱海温泉 福島屋旅館 HP www.atamispa.jp/

 ちなみに、こちらのご主人、非常に気合いの入った鉄オタさんでもありまして、お話が大変おもしろいの。
 特に、天皇が伊東から東京に帰られるって情報を入手したとき、鉄道のダイヤから熱海駅に寄られる時間をとっさに推理して、礼服を着て町の仲間と熱海駅まで陛下を歓迎にいった(もっとも、このとき天皇は下車されず、ホームから電車内への歓迎となったようですが)エピソードなぞは、松本清張の「点と線」のアリバイ崩しの話を聴いているようで、大変興味深く、手に汗握る思いで聴いてしまいました。
 というわけで、温泉とレトロと巨樹と鉄オタとに興味ある方がおられたら、ぜひにも熱海の、この「福島屋旅館」さんを訪ねたらいいよ、という宣伝をひとくさりやって今回のレポートの幕にしようか、と目論んでみたイーダちゃんなのでありました---。(^.^;>


 





    

徒然その100☆311人工地震プロジェクトを再考する<マスコミの役割>☆

2012-03-19 20:53:04 | ☆むーチャンネル☆
                           


 さて、みなさん、こんにちは。
 腰痛治療から職場復帰を果たしたばかりのイーダちゃんです。
 今回はひさびさ、僕の嫌いな政治のページです。
 僕、基本的に争いごとは嫌いでして、できれば論争なんかも避けたいタイプなんですが、21世紀に生きる現代ニッポン人として、どうしてもいわなくちゃいけないことっていうのはやっぱりある気がするんです。
 ですから、今回はひととしての義務のために、コレ、あえて書いてます。あと、我々自身の未来のためにもね。
 政治系が嫌いなひとは、うん、もう読まずにとっととほかいっちゃってくださいな。
 自らの洞窟内ぬくぬく世界に安住していたいひとも、こんなヨタ話につきあうことはない、さあさ、どっかほかの、もっと楽しい娯楽へ、プリーズGO!
 なぜって、いまから話そうと思っているのは、とってもビターな現実の、幾重にも練られた幻惑・ポリティック魔術のお話なんですから。

 じゃあ、まずは礼儀として、この論のことはじめというか、定義というか、いま現在の僕の立ち位置の表明からいきますか。
 僕は、去年---2011年に起こった311の地震が、米国発の人工地震であったと考えている人間です。
 そのあたりの言説は、去年の4~5月にかけて投稿した、僕のブログの☆むーちゃんねる☆というジャンルの、徒然その61から65までの記事のなかにだいたいは収めつくしたつもりなんで、興味のある方はそちらのほうをご参照ください。
 1年前の、まだ地震がきたばかりのころのページなんで、情報ソースがいささか古びてはいるんですが、いってることの本質はいまと同様まったく変質していないように思います。
 とりわけ徒然その65☆福嶋原発20Km圏内の旅☆においては、実際にガイガーカウンターを片手に、原発事故さなかの福嶋原発近郊4Kmの大熊町を知人と訪れ、無人の町の様子をカメラに収めてもきました。
 それらの行動と考察によって判明したこと---

◆311地震は、1944年米軍の開発した人工地震技術「プロジェクトシール」から進化した、最先端のテクノロジーによって引きおこされた、計画的かつ戦略的な人工地震である。
(地震兵器の存在の有無については、ここでは問題外とさせていただきます。「それ」が存在するのは、もはや国際政治上の常識ですから。これ以上詳しく知りたい方には、参考文献として 「3.11同時多発人工地震テロ」リチャード・コシミズ著書 ISBNコード 978-4-904801-26-0 1916円+税・自費出版本 を推薦しておきます)

◆つづいて起こった福嶋原発の「事故」も、国家と米国とが組んで演じた空前の茶番であり、巨大な詐欺である。別のいいかたを選ぶなら、偽装事故。レベル7クラスのメルトダウンは起こっていず、その結果としてのレベル7クラスの放射能拡散も当然起こってはいない。それが起こったということで巻きおこせるパニックやら経済的困難のほうが、むしろ当初からの目的だったのではないのか。すなわち、この「事故」は、マスコミと国家と当のF原発が三つ巴になって惹起した、一種の情報テロであるといえる。

 このように書くとすぐさま、

----なにいってんの、あんた、アタマおかしいんじゃない? TVとか新聞、見てないの?

 とかいってくる輩はいつでもいるんですが、こういう連中には次のような呪文返しを投げかえしてやりませう。

----いえいえ、そういうアナタのほうがどうみてもおかしいですって。どうして、あそこまで非科学的かつ幼児的なホラを巻き散らすマスコミなんかが信用できるの? 連中、商売なのよ。事実の検証よりスポンサーの顔色窺いのほうが大事な人種よ。前の大戦のときもどれだけ多くの大本営発表を乱発し、国民の多くを死地に追いやってきたことか。しかも、戦後、戦争責任を追及されて解体されたわけじゃない。LHKなんて戦前からそのまんまの体勢維持よ。そんな利権と権力まみれの薄汚れた放送局、信用できるわけがないじゃない!

----じゃあ、あなたはTVや新聞がうそをついてるっていうんだね。なんて非常識な…。

----非常識って…非常識なのは、むしろあなたのほうだと思うけど。マスコミの仕事は事実の報道---というのはいわゆる表向けの建前であってさ、彼等って結局のところはいつの世も権力サイドの犬なんだよね。第二次大戦のときの大本営発表もそうだったじゃない? 時の権威者の好むニュースを流し、権威者の意向におもねるのが連中の仕事なの。あるときは庶民の側に立ったようなそぶりを見せるときもあるけれど、まあ、そんなのは一時的な人気取りのポーズでしかなくて、本質的には完璧強者の太鼓持ちだよね。前の預金封鎖のときのことを考えてみても、情報の統制はしっかり行われていたし、マスコミが弱者の側に立ったなんてことは、かつて一度もなかったんじゃないのかな? 

----なら民主主義は? 君の見解でいえばこれも幻想かい?

----幻想じゃなくて…それは、あくまで理想なんじゃないのかな? 僕等がまだ実現できてない、弱者の声が政治の中枢に届くような、ある意味理想のシステム…。むろん、まだ発展途上で、僕等はまだそれにぜんぜん手がとどいていないけど…。

----なら、いま現在の民主主義は…? どう読むのさ?

----いまの世は…とても民主主義なんて呼べる世じゃないだろう。庶民の9割は戦争を望んでいないのに、必ず世界のどこかでは戦争が行われているこの事実。なぜ? 戦争を望む勢力がいつでもいるからさ。戦争はとても儲かる商売だからね。彼等「戦争の親玉」が、NYウォ-ル街の金融勢力なんだ。うん、彼等、死の商人ならぬ「死の銀行家」が、ほかならぬいまの世界のマスターなんだよ。彼等が戦争を企画し、各国政府に働きかけ、戦争の火種を巻く。で、彼等の指示にあわせ、下部組織たるマスコミは、彼等の意図する風評をこれでもかと煽りたて、おとなしい羊たる国民を惑わし、一定の場所に追いこむわけだ…。

----君は、311の地震もそうだったといいたいのか?

----いいたいのかじゃなくて、声を枯らしてそういってるんだよ。だって、最近判明したこの事実をよく見てごらんよ…。

●福島原発沖で千倍のセシウム 昨年6月、米研究所調査
2012年02月22日 11:51
http://www.chibanippo.co.jp/c/newspack/20120222/69613

【ワシントン共同】昨年6月に東京電力福島第1原発沖を調査した米ウッズホール海洋学研究所のチームは21日、事故前に比べて最大で約千倍の濃度のセシウム137を海水から検出したと、米ユタ州で開かれた海洋科学に関する会議で発表した。AP通信が報じた。

同研究所によると、70~100キロ沖が最も濃度が高く、汚染は約600キロ沖まで及んでいた。人の健康や海洋生物にすぐに影響するレベルではないとしている。

チームは原発から東方に約30~600キロ離れた太平洋で海水や魚、微生物を調査。採取した海水には事故前に比べ10~千倍高いレベルのセシウムが含まれていた。

----ねっ、どうよ、これ? なんで、事故を起こした原発より海洋側のほうがセシウム値が1000倍も高いのか? 答えはひとつ。海の底で水爆を破裂させたからに決まってるじゃない。この海底核爆発が、最新の地震兵器のトリガーなのよ。これで311の地震を、ウォ-ル街の金融勢力が惹起したわけ。福嶋原発で事故が起こったことにしたのは、この地震兵器により生まれた放射能のアリバイ付けのため。そのために放射能の生まれる「原発事故」が必要だったのね。ま、でも、1000倍のセシウムじゃねえ、もうこれじゃあ福嶋原発事故にすべての責任をなすりつけるのも矛盾すぎてて辛いわなあ…。

----……。

----まだある。2012年3月15日にNHKで再放送された、サイエンスZEROのこの抜粋を読んでちょ。ちなみにこれ、311地震についての解説です。

 …大きな地震波の発生源は3箇所。最初に発生したのは宮城県沖です。そのおよそ30秒後2箇所目で地震波が発生。更におよそ30秒後茨城県南部の沖あいで地震が発生しました。大崎市を襲った2度目の揺れは宮城県沖の二つの地震波に対応します。一方、茂木町の揺れは3回目の地震波の影響によるものでした。複数の地震波が間隔をおいて到達することで長く激しい揺れが襲いかかった東日本大震災……。

 異なる3点を30秒置きに律儀に見舞うような、そんな器用すぎる自然地震なんてあるわけないじゃない?
 要するに、これも、人工地震の確たる証拠物件の新たなひとつとしてカウントされるわけ---ま、これだけじゃない、ほかにも人工地震の状況証拠はぞくぞくと見つかってきてる。いまのところ、表のマスコミは権力と金とで黙らせてるけど、この禁口令がいつまでもつかは疑問だな…。

----君は…マスコミをぜんぜん信じてないんだな…。

----当然じゃないか。大本営発表ひとつとっても、もうこいつは信用できないって履歴そのものじゃないか。ちがうかい? 

----君は…マスコミを憎んでるのか…?

----あたりまえじゃないか。いまさらなにをいってるんだ。外国の金融勢力に尾っぽをふって、同胞を2万人以上殺傷した連中をどう愛せっていうのさ? 僕はね、マスコミが演じているのは、羊飼いにおける犬の役割だと思うんだ。放牧される膨大な羊の群れがむろん国民の役でさ、それをワンワン激しく吠えたてて、一定方向に追いこむ牧羊犬がいわばマスコミの使命なわけだ……。


                            ×           ×

 あの311から1年の歳月が流れ去り、人工地震に関する諸情報、原発事故の架空性についての情報が、いま現在、信じられないくらいがんがん集まってきています。彼等、表のジャーナリストどもが巻き散らした「自然地震」「レベル7の原発事故」というこのふたつの神話を覆すべき物的証拠は、もはやいくらでも出揃っているといってもいいんじゃないかな。
 ネットジャーナリスト、リチャード・コシミズ氏のブログなどは、それのもっとも顕著な成果の表れでせう。
 これは、凄いよ---なんというか、ひとり内閣調査室というかJCIAみたい。
 本来なら国家直属の機関がやるべきハードインテリジュンスの収集と分析とを、民間の有志機関が独力でやっちゃったというか。
 というわけでコトの真相を一刻も早く知りたいひとには、僕のブログなんか見るよりリチャード・コシミズ氏のブログにいってもらったらほうがよっぽどいいよ、とすぐさまいいたいわけなんですが、まあ僕には僕のやり方ってのもあるわけでして、こっち系のルートにいささかなりとも興味のあるひとがいたら、以下の展開をちょっと覗き見てもらえたら嬉しいな、なんて風に思っています。

1.イーダちゃんが最初に、おいおい、この地震、どっかおかしいゾ、と思ったわけ---。
 まず最初の違和感は、やっぱり「ゆれ」の感触でしたね。
 僕は関東在住なんで、地震的にけっこうスレてる土地柄なんですわ。地震なんて、餓鬼のころからいくらだって経験してる。
 その「ゆれ」がヘンなのよ。ジュジュジュジュ……ゴーッ! じゃなくって、クライマックスのゴーッ! がいきなりやってくるんだから。
 しかも、その震度5クラスのゴーッ!(S波。セカンダリー波という。予兆の小刻みな先ゆれはP波と称す) が、15分後、そのまた10分後みたいな間隔で再度、またしても再度やってくるんだから。
 むろん、ある程度慌てはしましたが、「?」の違和感は、拭えませんでした。
 つづいて感じた第二の違和感は、「津波」ね---あの世界の終わりみたいな超・キョーリョクな大津波。
 今回の災害の死者は、そのほとんどが津波による被害者なんですね。
 建物が崩れたりしたのもあるけど、そっち系の被害者は非常に少数。
 なにより、地震で崩れた建物の数が少ないの。関東大震災の記録とは、そのへんが大いにちがっているんです。 
 これが、第二の違和感でした。違和感って落ちつかないですからね---ネットサーフィンやって自分なりにいろいろ調べてたら、リチャードさんの人工地震ブログへと辿りついたってわけ。
 ああ、なーるへそ、と思わず膝を叩きましたよ。人工地震か、それならすべてを矛盾なく総括的に説明できるじゃないか。ああ、そうだったのかって。

2.つづいて働いたのは臭覚でしたね。
 なにより「うっ、クサい。クサすぎるぞ!」とおののいたのは、この一点。
 マスコミのあまりにうろんな報道姿勢---特に日本の原発のすべての安全管理を請け負っているはずの、イスラエルの警備会社「マグナBSP」に関する報道が、いま現在にいたるまでただのひとつもないという事実!
 (ご存知ない方のために---日本中のすべての原発の管理会社は、このイスラエルの会社「マグナBSP」なんです。うそ偽りのないまったくの事実、どーぞ、お調べください)
 いいですか、仮にも原発の安全管理会社をやってるほどの組織ですよ。
 東電同様、事故の責任を負って、いまごろ糞味噌に叩かれていてもいいはずの会社です。
 それが、新聞にもTVにも週刊誌にも、いまのいままでひとっことも出てこない…。
 ありえんでせうが、フツーそういうのはさあ…。
 これぞ、現代のミステリー、異常事ってやつです、皆さん---ちゅーもーく! 真のタブーっていうのはねー、まさにこうしたもんなんですよー(ト叫びつつ)。
 ついでにこのイスラエルの企業「マグナBSP」の素晴らしいデザインの社章をここにUPしておきませうか。
 この原発事故を「企画している」のが、どんな種類の演劇集団だか一瞬で理解できるでせうから。

                               

 なんですか、このイカレたバットマンもどきのセンス!?
 ねえ、いくらかでも芸術家的なセンスを宿しているお方なら、この「事故」の指揮者の超ド級の下卑下卑センスを、すばやく気取ってくれるものと僕は信じているんですけど。
 このデザインの真意を問うのに理屈はいりません。
 この社章はね、皮肉であり、ねじまがったブラック・ジョークであり、さらには勝利の誇示のつもりでもあろう、と僕的には見ますねえ。
 ひとことでいって、まともじゃない。傲慢、プラス、とってもねじけてる。
 少なくとも人間的に超・ひん曲がった人々が多く関わっている、いわゆるサイコパスな会社にちがいない、と人生経験に富んだまっとうな大人なら皆そう思うはず。
 そうして、たぶん、その解釈がいちばん正解への近似値なんじゃないでせうかねえ。
 あのね、仏教には「瞬視」って概念があるんですよ。
 それは、じっくり物を見抜こうとする熟視もいいけど、ときにはほんの一瞬のちらり目線のほうが、物の本質を射抜くように見通せるという教えです。
 この「瞬視」の技法を、この社章を見るときに使用してほしいんです。
 そしたら、ほら---ねっ?---311地震と架空原発事故の背後にいる黒幕の輪郭が…テクマクマヤコン、テクマクマヤコン…貴方にもだんだんに透かし見えてきた…。
 このイスラエル企業たる怪しさ満杯のマグナBSP、あと、実は株主のトップがいつのまにかアメリカのファンド会社になっていたという東電さん---このほとんど外国勢力といっていいふたつの企業が主導して起こしたのが、いわゆる福嶋原発事故という「国民恫喝ショー」だったというわけ。
 レベル7の事故だって? 超・まっ赤なうそですって、そんなのは。
 死者も放射能患者のラッシュもあらわれていない原発事故なんて、この世に存在しません。
 だいたい、レベル7のメルトダウンが1年あまりで誰も傷つけずに終結なんて、絶対の絶対にありえない。
 原発の現場作業員も「政府のいうメルトダウンが終結した、と、いっていることの日本語の意味が分からない」なんていってるし。
 なによりこの3月中旬に、世界の原発の最高権威がこう断定しちゃってるのを知らないの?

 米原子力規制委ヤツコ委員長が「原発規制強化策」(12/03/14)
  http://www.youtube.com/watch?v=DVYnCyYWteM&feature=channel

アメリカのNRC=原子力規制委員会のヤツコ委員長は、福島第一原発事故で放射能漏れによる直接の健康被害がなくても、社会への影響が大きいとわかったとして、原発の規制­を強化する方針を明らかにしました。

 ほう。事故による放射能漏れの健康被害がないと原発の最高権威が認めたわけですか?
 ということは必然的に、この「事故?」は、レベル7クラスの放射能漏れ事故じゃなかったということになりますね。
 なら、なぜ、新聞やTVはそのことをいわないのかなあ?
 あと、政府もなぜ、レベル7クラスの事故発表を訂正して、謝罪して、ひっこめないのかなあ?
 
 その通り、ここの部分に、皆さん、いま現在のニッポンの最大の闇がすべてひそんでいるのです。

 それでは逆算いたしませう---日本マスコミは、なぜ事実の隠蔽報道ばかり阿呆のようにくりかえすのか?

----この問いの答えは単純明快ですね、ご主人たるアベリカ大使館さんにそうするよう命じられているから。

 日本マスコミのこの北朝鮮もどきの「情報統制体質」はいつから起こったのか?

----戦後すぐから。戦争に負けてきゅうと牛耳られちゃった。そもそもマスコミなんてのは、ナチスの宣伝相の「プロパガンダの天才」ゲッペルスがいみじくもいっていたように、完全に国民洗脳・刷り込み用の媒体でしかないんですよ。ほら、うそも百万回くりかえせば本当になるというアレですよ。国を握ったら「エネルギー」と「食料」と「情報」を握るのが、占領政策の常套です。アベリカ軍も素直にそうしただけ。どこの国でもそうしてきてる。その冷徹な事実を見据えもしないで、「国とマスコミが正しい情報を流してくれない」なんていうほうが、僕にいわせるならむしろどうかしてる。マスコミは、事実を正しく伝える機関ではありません。彼等の役目は、羊の放牧における牧羊犬---吠えて吠えて、羊の群れをご主人の思惑の場所に追いこむのが仕事。簡単にいって取立屋みたいなもん。そんな賤しい連中に真実の開示を迫るなんて、いますぐやめませうよ。ナンセンスです。

 マスコミに関する点は、うん、全面的には賛成できかねるけど、うなずける部分もまああった。しかし、政府は? 政府自体もそこまで向こうサイドに取りこまれてるっていうのはありえない。いくらなんでも誇張じゃないか?

----ぜんぜん。政府のトップが向こうがわっていうのは、明治以来のこの国の伝統ですよ。そもそも「西欧文明の本質は野蛮であり、日本は中国と手を結び、この覇権に抗せねばいけない」といったのが誰だったか? あの日本の恩人、薩摩の西郷隆盛さんじゃないですか。彼の悲願を潰すように潰すように、西欧列強っていうのはいまも動きつづけているんですよ。彼等的には、アジアは決してひとつになってはいけないんですよ。自分たちがうまい汁を吸えなくなるから。そういう意味では、彼等のポリシーは非常に単純で読み解きやすいんですよね。これまで日本国民の幸福と生活向上のために、近隣のアジア諸国と手を握ろうとしてきた、西郷どんサイドの政治家はどうなったか? T中角栄、鈴木宗O、あと、現在進行形で小沢一郎---そのことごとくが、ねっ、政権から巧みに排除されてきたじゃないですか…。要するに彼等が欲しいのは便利屋なんであって、自分たちの利益のために働いてくれない政治家なんていらないんですよ、彼等的にはね……。

 といったような諸般の事情から推察してみますと、建前上はいざ知らず、いま現在のニッポン国は、どうも実質的な独立国ではないようですね。
 指導してるのは、いうまでもなく悪の国家アべリカ合衆国。
 我が国の国会なんてせいぜいそれの下部組織でしかなくてね、本当の決定を下しているのは六本木にあるアベリカ大使館なんですわ。

    「えー、まさかあ」
    「いくらなんでも結論とびすぎ」 
    「ヨタ話もいいかげんにせんかい!」

 はいはいはいはい…。べつにムリして現段階で信じてくれとはいいません。
 ただ、こーゆー見方もあるということを、理性の隅で軽く「認識」して、置きとめておいてください。
 311に発する騒動は、もっとも新しい形態の「戦争」であり、いま現在は実は「戦時」である、というのが僕のビターな認識です。 
 そういえば、あの小沢さんもいつか「いまは平時でない」なんておっしゃってましたっけねえ?
 うー、見えるひとには見えてるんだなあ、と思います。


                            ×            ×

 思いがけず力が入り、ハードな論調となりましたが、あいお許し。
 ま、311の一周年ですから---力、入れるなというのが無理なのかもしれませんが。
 ただ、あまりにもハードづくしのごりごり主義だと読んでるほうも疲れると思うので、このページの最後にリトル・ミステリーをプレゼントしちゃいませう。
 せめてもの罪滅ぼしってか? 略して、46分のミステリー---イェイ!

  1995年1月17日の阪神大震災の発生時刻---5時46分発生。

  2001年9月11日のNY同時多発テロ---8時46分発生。

  2011年3月11日東日本大震災---14時46分発生。

 うーむ、よくもまあこうも出そろったもんですねえ---ねえ、皆さん、どう思われます?---この数字の一致っていうのも、やっぱり、ただの偶然なんでせうか---ねえ?(^o-y☆
 
 

徒然その99☆殺人狂紳士 ペーター・キュルテンについて☆

2012-03-13 12:34:18 | <がらくた小箱>
                               


 20代のある一時期、殺人狂の事件記録に夢中になったことがあります。
 コリン・ウィルソンの「殺人百科(彌生書房)」をはじめ、牧逸馬の「世界怪奇実話(当時は現代教養文庫から4冊1組で出版されてました。いまはちょっと分からない)」、渋澤龍彦、種村季弘の諸著作---さらには、国会図書館にいって、あらゆる関連図書をかたっぱしから読み漁ったモンです。
 なぜ、そーまで、彼等の事件に魅かれたのか?
 あらためて自問すると回答はなかなか出てきづらいんですけど、彼等、実在の殺人狂の記録が僕を夢中にさせたというのは本当です。
 彼等がそれぞれの短い不幸な生涯をかけて残した血みどろの事件記録は、荒涼とした彼等・殺人者の内面のたくらまざる表現のようでした。
 なんというがらんどう! 
 なんという虚無とナンセンス!
 彼等、殺人者の内面に視線を滑りこませる行為には、縁日の、いかがわしいお化け屋敷のなかをこっそりと覗き見るような、一種淫らな喜びがありました。
 ロンドンの場末の娼婦ばかりを狙い、そのわずかな逢引の時間内に、文字通り被害者の彼女たちを次々と「解体」していった、連続殺人の始祖ともいうべき、伝説のあの「斬り裂きジャック」---。
 いかにもひとあたりのよさげな紳士ヅラを利用して、次々と年輩の女性宅に入りこみ、彼女たちを絞殺してはその遺体に下品な化粧と悪戯とを施していった「ボストンの絞殺魔」ことアルバート・デザルヴォ---。
 戦後ドイツ、目にとまった美しい浮浪児を自宅に誘い、彼等を犯したのち殺害し、解体したその肉を自らの肉屋で販売していた、狂気のカンニバリスト、フリッツ・ハールマン…。
 目にとまった通りすがりの他人の「生命」を次々と吹き消していく彼等の役割は、まさに「死神」です。
 ページを繰るたびに、心中の不毛の濃度は強まっていき、自分内のポジティヴ度数が見る見る目減りしていくのが分かります。
 ああ、なんだか息苦しいったら---。
 ちょっと川端康成の小説の読後感に似ていなくもない---人生のすべてがペラペラの徒労、もしくは虚脱色に褪せた無為として感じられてしまうような---あのざらざらした独自の窒息感が、足のくるぶしあたりから這いあがってくるのです。
 まあ、でも能書きはこのくらいにしておいて、いよいよこのページのキモであるキュルテンのプロフィール、いきませうか---。
 では、「デュッセルドルフの吸血鬼」と呼ばれたペーター・キュルテンの伝記のダイジェストをば---なお、これは、イーダちゃんが20年前に書いた小説からの抜粋であります---。


                             


 ちょっと怖い殺人狂の話をひとつ---。
 ペーター・キュルテンは一八八三年、ドイツのケルン・ムルハイムで産まれた。スターリンやヒトラーや毛沢東、歴史に名を残した生き身の吸血鬼の多くがそうだったように、キュルテンもやっぱりさんたんんたる幼児期をそこですごした。
 キュルテンの父はアル中の鋳型職人、当然一家は極貧状態で、一時は家族一三人が一部屋に寝起きしていた。妹のひとりは幼いキュルテンにセックスをもとめ、彼はその誘いに乗らなかったが、父親はこの娘とひそかに通じ、そのために投獄されたこともあったという。
 キュルテンは九才のとき、最初の殺人を犯した。
 ライン川のいかだのうえで水遊びをしているとき、まちがって川に落ちた仲間の少年と、それを助けようとして川に飛びこんだ少年のふたりを、いかだの下に押しこんで戯れに溺死させたのだ。
 十三才で獣姦をおぼえる。羊、山羊、豚などを犯すことに夢中になった。
 十六才で鋳型工の見習いになるが、ひどい扱いを受け、その腹いせに店の金を盗んでコプレンツに逃げる。売春婦と同棲。その地で窃盗により初の投獄を経験する。以来、憑かれたように窃盗をくりかえし、十七犯を重ねる。
 一九○○年、詐欺罪でまたもや二度投獄、さらに娘を銃で撃ち殺そうとして二年の刑を受ける。結局、詐欺罪もつけくわえられて、それから二年間牢獄内で暮らすはめになる。キュルテンはこのあいだに世間に対して復讐することを夢見るようになった。
 出獄すると今度は徴兵だった。もちろんすぐに脱走する。
 脱走の道すがら、キュルテンはあちこちの納屋や干草の山に放火する。ぱちぱちと音をたてて燃えさかる炎をながめていると身体の底がうずくような不吉な快感をおぼえた。

「あのなかに浮浪者なんかが寝ていりゃあいいんだが……」

 そんなことをちらりと考えてもみる。
 一九二九年、キュルテンは九才の少女を戯れのすえ殺す。その死体の一部を燃やしたのち、憑かれたように子供や若い女をねらっての淫楽殺人を執拗にくりかえした。
 鋏で殺した。金槌で殺した。
 エンマ・グロッソ殺害の折りには発作的に彼女の首の肉を噛みちぎるようなことまでしている。
 デュッセルドルフはこの姿なき殺人狂に震えあがった。その噂は全ヨーロッパに広がった。キュルテンは「デュッセルドルフの吸血鬼」という異名を頂戴し、そのことになかば得意になった。
 警察はもちろん必死の捜査をつづけてはいた。しかし、不運にも証拠らしい証拠がなにもなかった。
 おなじ年の七月には苦しまぎれに透視術の女をふたり招いたりもしている。だが、そうした努力はすべて徒労に終わる。ツキの秤はまだキュルテンのほうに傾いているようだった。 
 八月のなかばごろ、キュルテンはゲルトルスト・アルベルマン、マリア・ハンの二少女を殺害する。ふたりともまだ五才だった。その事実を手紙にこめて、キュルテンは新聞社に送りつける。

「私がゲルトルスト・アルベルマンとマリア・ハンを殺したという事実を、私は告げているのだ。私のいうことを信じないというなら、私は喜んで証拠を示そう。同封の地図を見るがいい。図の場所にゆき、印の地点を掘ってみることだ。ふたりの少女の無残な死体を君らは発見することであろう」

 署名には「天才」と書かれてあった。
 この時期、キュルテンは異様な夢をしきりに見ている。それは深夜の山狩りの夢だった。多くの市民たちが火のついた松明片手に山道をゆき、口々に「吸血鬼は退治された。吸血鬼は退治された」と嬉しそうに叫んでいる。それを聞いていると、なぜだか自分も肩の荷をおろしたような幸福な気持ちになったという。
 キュルテンは一九三○年の五月二十四日、午後三時半に逮捕された。
 危ういところでキュルテンに殺されそこなったひとりの女性が、警察を彼の自宅まで案内したのだった。
 しかし、キュルテンの妻、フラウ・キュルテンはどうしても夫が「デュッセルドルフの吸血鬼」であるという事実を信じれなかったらしい。

「そんなばかなことはありません。夫はそんな怪物じゃない、親切ないい人です。人を殺すなんてそんなことがやれるような人じゃありません!」

 くりかえし警察にそんなことを証言している。この夫人はキュルテンの死刑ののち、発狂している。
 キュルテンの裁判は一九三一年の四月からはじまった。法廷は各国からの新聞記者やおびただしい傍聴人に湧きかえった。そのころのドイツでは死刑廃止運動が盛んで、キュルテンもその波に乗り、一時は死刑を免れかかったりもしたのだが、公衆がそれを承知せず、七月一日に猛烈なキュルテン死刑促進運動といった市民の示威が起こった。
 市民連はなんと百三十年もまえのギロチンを担ぎだしてきた。それでキュルテンを死刑にしようというのである。
 キュルテンは一九三一年の七月、ケルンのクリンゲルンピィッツ刑務所でギロチンによって処刑された。彼には通常でもひとの首から生き血の流れる音がごぼごぼ聞こえるといった幻聴癖があり、自分の身体を離れた首から生き血が流れでるそのときの音もぜひ聞きたいものだ、といいつづけていた。
 キュルテンは処刑の直前にかなりの量の朝食---カツレツ、ポテトチップス、白葡萄酒など---をうまそうに食べ、おかわりまで要求した。首が胴体を離れる最後の瞬間まで、愉快そうににこにこ笑っていたという…。

 英国のコリン・ウイルソンはその著書「殺人百科」のなかで、仏の殺人者ラスネールの章に寄せて彼のことをこう書いている。

「ラスネールはもっともありふれた殺人者であると同時に、もっとも興味ある人間のひとりである。その罪にもかかわらずペーター・キュルテンとおなじように、読者に一種の同情を感じさせる珍しい犯罪者のひとりでもある」

 ぼくもまったく同感だ。ペーター・キュルテンに関する著作を読むたびに、ぼくはなんともうら淋しい星空の思いに駆られたものだ。キュルテンの首が斬られた瞬間、胴と首との裂け目のなかから昇天していった星がきっとあったと思う。
 もちろん、キュルテンという人間自体を聖化するつもりなんかない。彼はあんまり虚無に近すぎる。人間の屑を通りこしてもうほとんど影ぼうしだ。自分とすれちがった人々の幸福を魔法のように陰らせるのが唯一の特技で、生涯を通じてやったことはたったそれだけ。あわれすぎてなにか笑いたくなってくる。
 しかし、にもかかわらず、ぼくにはキュルテンの遺骸から昇天していった一個の星の姿が鮮やかに見えるのだ。
 この星には安住の空がない。夜空のいちばんはしっこの軌道をくるくると、見捨てられた人工衛星のようにいつまでもまわりつづけるばかりだ。
 キュルテンの星は永遠につまはじきの除けものなのだ。自分を受け入れてくれる宇宙が見つかるまで、少なくともあと数億年はひとりぼっちでおなじ軌道をまわりつづけなくちゃいけないだろう。けれども、そのことはあまり苦にしていないみたいだ。ひょっとしたらいまでもまわりながら、人間でいるときにも見たあの松明の夢をうつらうつらと見つづけているのかもわからない。
 ぼくはときどき、そんなキュルテンの星にむかって手紙を書きたくなる……。


                                   *               * 

 以上がキュルテンの物語の大まかな総括なんですが、ねえ、いかがです?
 気味わるいっしょ? 背筋がゾゾゾと不吉っぽいでしょ?
 なにがとは限定できなくとも、話を聴く以前より自分内の憐憫レベル濃度が上昇してきたように感じられませんか?
 うすら寒くなるような「虚無のまなざし」が、かつてキュルテンと呼ばれていた人間の肉体の内奥から、貴方の魂を無遠慮にじろじろと覗きこんできた感触を、しっかりと体感できたでせうか?
 ええ、ペーター・キュルテンというこの紳士は、不吉な「虚無の国」からやってきた王子なんじゃないのかな、と僕は考えているんです。
 影の垂れこめた暗い地獄界からやってきた彼は、本当は何事かを体感したかったんじゃないのかな?
 強力な恋愛---それによる猛烈な感動---もしくは熱烈な生命のたぎりみたいなやつを。
 しかし、彼が間借りした肉体は、幸か不幸か、たまたま心が死んじゃってた肉体だったんですね。
 なにをしても、なにを見ても面白くなくて、ただ、しらーっと退屈なの。
 「ツマラナイ」という名の餓鬼地獄---。
 一秒ごとに心がミイラ状にカサカサになってゆくなんともイヤーなマンネリ地獄---つまんなくてつまんなくて、もー なにやってもつまんなさすぎて、ほとんど冷感症みたいになった心を、この先の人生もずーっと運びつづるけることを考えたら、それだけで憂鬱で気も狂わんばかりになってくるわけ。
 彼にとって、日常とは、退屈と無為の織りなす責め苦でしかないんです。
 少しでも「生」の実感を味わおうとしたら、彼には、セックスと殺人しかなかった。
 実際、奥さんのフラウ・キュルテンは、彼の性生活は異常に強力で、彼が1日に15回以上求めなてこないときはなかった、と証言しています。
 1日15回ってなによ! とイーダちゃんはここで思わずのけぞりそうになります。
 色情狂でない、常識ある女性であるところのフラウ・キュルテンには、夫であるキュルテンのこの超・絶倫ぶりは、苦痛以外の何物でもなかったようです。
 彼女は、キュルテンの要求に、肉体的にも精神的にも応じられなかった。
 でも、キュルテンはそんなときでも怒ったりしなかったそうです。舌打ちもしないし、家庭内暴力なんかもふるわなかった。
 彼は、そんなとき、苦笑いをひとつすると、帽子をとって、黙って外にでていったそうです。 
 で、その出先で彼がなにをやっていたのか?---いうまでもなく、それは、murder でした。

----ねんねんころり ねんころろ ねんねんころころ 皆殺し(寺山修司「田園に死す」より)

 それが、キュルテンの子守唄だったのです。
 殺人が、糞みたいな日常から逃げ出しうる、唯一の脱出口に見えたんでせうか。
 もちろん、誰かを殺したからって皇帝になれるわけじゃないし、自分以外の人間に転生できるわけでもない。 
 殺した子供の首の肉をかじりとっても、キュルテンはいつものしがないキュルテンのままでした。
 あれ、どうしたんだ、オレ? どこにもいけてないし、なんにもやれてないじゃないか…!
 なんという幻滅---唇を被害者の少女の血の色に染めながら、キュルテンはひょっとして笑ったかもしれません。
 枯葉が鳴るようにかさこそと---なんだ、つまらない、少女の死も自身の狂気も、しょせんはおんなじ無意味でしかないじゃないかって…。

 ペーター・キュルテンは、連続殺人犯のある意味「精髄」を満たした典型的なモデルケースだといわれ、現在も研究されつづけています。
 もちろん、彼を英雄視なんかしてないし、どーしようもない病人として認識しているんですが、いくとこまでいってしまった人間の業(カルマ)というものが、これほど剥きだしになった例というのは、それほどなかったように思います。
 こんなドロドロの虚無世界は、ええ、ふだんなら不吉すぎるしおっかなくて立ち寄りなんかめったにしないんですが、ごくたまーに、怖いもの見たさの好奇心で彼の文献にあたってみたりすることが僕にはあるんです。
 今回のがその典型的な例ですかねえ。かつて実際に存在したこの壊れたオトコの体臭にじかにふれ、これを読んだ貴方が、いささかなりとも背筋に冷たいモノを感じていただけたなら幸甚です---。<(_ _)>
 
 
 

 

 
 
 
 

徒然その98☆「クワイエットルームにようこそ」を観て☆

2012-03-01 20:44:45 | ☆文学? はあ、何だって?☆
                      


 ぎっくり腰で1週間自室にふせっていた最後尾あたり、ようやく寝床から中腰の体勢をとれるようになって、なんとかPCにもむかえるようになり、そのとき youtube でたまたま見た映画がコレでした。
 おととし失業した時から、暇にまかせて自らのウィークポイントである「邦画」を観るように心がけていたんですが、偶然生じたこの「ぎっくり連休」の際にも、その忘れじのポリシーがひさびさ蘇ったとでもいうんでせうか。
 ま、ほんと、腰痛忘れの気分転換に、明るいコメディーでも観て憂さ晴らししたい、といったような動機でしかなかったんです。
 この映画にまつわる前知識も関連情報も、僕にはまったくなかった。
 内田有紀主演っていうけど、その内田有紀ってひと自体ぜんぜん分かんない。(イーダちゃんはTVはまったく見ないんです)名前くらいはかろうじて知っていたけど、その知名度にどうこう刺激されたってわけでもない。
 たまたまJ-MOVIEってコーナーで紹介されてたから、観たまでのことでした。
 なのに、この映画---とってもよかったの…。
 松尾スズキ監督の「クワイエットルームにようこそ」、僕は鑑賞後、思わず呻っちゃいました。
 名画だと思うなあ、コレ---。
 このMOVIE、ストーリー的には非常に単純でして、ま、映画のコピーをそのまま流用すれば、

    佐倉明日香28歳、
    絶望と再生の14日間。

 ということになるんでせうけど。
 うん、28歳、離婚歴のあるフリーライター佐倉明日香は、さまざまなストレスの波状攻撃に見舞われて、ある晩、睡眠薬のオーバードーズでもって、とうとう精神病院に担ぎこまれちゃうんです。
 で、3日にわたる長ーい昏睡状態から目覚めたら、そこは、閉鎖病棟の拘禁室だったという、いきなりのカフカ的スタート。
 たしかな記憶も、オーバードーズの動機も、いまいちはっきりしない。
 真相と現状とのあいだに遠い隔たりが、どうもある。
 しかし、担当の江口看護婦の話によると、どうやら自分は自殺未遂の患者として扱われ、いま現在、拘禁されているらしい。
 ばかな。そんなはずはない。
 そうだ、これは、きっとなんかの間違いなんだ…。
 すぐさま過去下りして真相を知りたがる心と、その確認をいまいち遅らせたがっている、もうひとりのビビリンな自分と---。
 こうして、真っ白けの無機的な「クワイエットルーム」の一室から、ふたしかで曖昧な自分の「過去の傷」をまさぐるように、この主人公・明日香の自分探しの物語がはじまっていくわけ---。
 こう書くといかにも辛気くさい、陰々鬱々なストーリー展開じゃないかと早くも敬遠したくなる方もかなーりいるんでせうけど、この映画、基本的にはコメディなんです。
 しかも、上質な、テンポのいい、ソリッドなコメディとして書かれておりまして。
 特に僕が敬服したのは、全体を貫くPOPなテンポというかリズム感---。
 どっからどう書いてもぬめりがちになるはずのテーマを、話のあちこちにちりばめたギャグで笑かせて、こっちが連鎖状の笑いのヴァリエーションについもまれて、しばしマヒってるあいだに、いままでよりさらにヘヴィーな裏町版人生ストーリーを、どす、どすとつづけざま投げこんでくるの。
 温厚そうな人相のわりに、この監督ったら、そうとう凶悪なストーリーテラーなんですね、はい。
 もっとも、残酷さを伴なわないコメディなんてありえないので、これはいちばん妥当な線の語り口かもしれないんだけど。
 えーと、ヒロインの明日香がいちばんまいっていたじくじく傷は、まえの旦那が自殺しちゃったことなんですね。
 あと、旦那と別れるまえ、旦那にいわずに旦那との子供を堕ろしちゃってたこと。
 このふたつの傷が生きてく上での過剰な重荷になっていた明日香は、別れたあと自活するために働いていた風俗店でもって、いまの亭主---お笑いTV番組の構成作家である「鉄っちゃん」と出会うわけです。
 自分もまえの旦那も「つまんない国」の住人と規定していた明日香は、この「冗談の国」からやってきた王子のような「鉄っちゃん」と意気投合し、たちまち同棲をはじめます。
 「鉄っちゃん」のツテでライターの仕事なんかも入ってきて、生まれてはじめて人生って楽しい、と思いかけたころ---
 「つまんない国」からの悲報が、またもや明日香のもとに届きます。
 実家の父が脳梗塞で死去した、というのです。
 父からかつて「売春婦」と呼ばれ、2度と家には帰らないと決めていた明日香は、家にはやっぱり帰れないけれど、せめて仏壇くらいは送ってやりたいと金を工面して実家の母に仏壇を送ります。
 ところがこれがあんまり巨大すぎて不気味だというんで、ふたりの家に送りかえされてきちゃう。
 いわれて見てみれば、たしかにコレ、冷蔵庫より大きいし、宗派もわからないようなシロモノなんですね。
 どうしよう、と悩むふたり---捨てたいけど、モノがモノだからちょっとなあ…。
 そうこうしているうち、ある夜、2Fで締め切り原稿に呻吟している明日香の耳元に、旦那の笑声が聴こえてきます。
 階段を降りていくと、ハッパでラリってる「鉄っちゃん」とその舎弟のコモノのふたりが、大笑いしながら仏壇をスプレーでギンギンのシルバーに塗りたくっているところ…。
 ハッパのカンビノナール効果とシルバー仏壇のあまりのシュールさに、笑いのとまらないふたり---。
 実の父の仏壇をシルバーに塗られて、怒り心頭の明日香---。
 当然、勃発する、史上最大の大喧嘩---。
 明日香に殴られたり、いろんなモノを投げつけられたりして、怒って夜の町に飲みなおしにでかける「鉄っちゃん」とコモノ。
 家にひとり残された明日香は締め切り原稿を放りだして、アルコールで睡眠薬をガフガフ咽喉から流しこみ、ほとんどやけっぱち、踊るような足取りで奇声をあげながら2Fに駆けあがり、死んだようにベッドにぶっ倒れるのでありました…。

 で、クワイエットルームにやってきたというのが、まあ、明日香というヒロインの大まかクロッキー---。
 その後の閉鎖病棟内においてもさまざまなドラマがあり、それらのドラマもなかなかに面白いんですが、最期の最後、病棟内で乱闘騒ぎをおこして2度目のクワイエットルーム行きになったときの明日香のモノローグが、とってもコレ、感動的でいいんです。
 そこの部分だけ、ねえ、ちょっとだけ抜き書きしておきませうか。

----銀の靴を取りもどしたわたしは、高校生のとき学園祭で演じたドロシーみたいだ。踵を3度鳴らしたら、どこへ帰れるだろうか。
 多分、どこへも行かない。
 わたしは、神様に居場所を選んでもらうため、薬を飲んだ。
 そして、クワイエットルームにたどりついた。それ以上でも以下でもない。最高にめんどくさい女が着地するべき正しい場所に、ただ、いるのだ。
 ようこそ、クワイエットルームへ…。

 5点拘束を受けた明日香が、静かなモノトーンで囁くこのモノローグが、僕はこの映画の白眉だと思う。
 そのあいだじゅう、キャメラは天上近くから、仰向けに横たわった明日香をロングショットで撮ってます。
 このシーン、ふしぎと清らかでいて、いささか神々しくさえもあるんです。
 むかしの僧院っていうのは、ひょっとしてこんな場所だったんじゃないか、と思えてくるくらい。
 ええ、限りなくシリアスでいて、同時に厳かでもあるシーンなんです。
 まるでカトリックの告解室のなかでの、中世の静謐なドラマみたい。
 遠いむかし、世間と自分とのあいだに張られた絆をいったん断ち切って、ひとりぼっちで僧院にこもるのは「聖なる」行為でありました。
 うん、ほとんどコレ、宗教的といっていいほどの深いテーマを扱っている、近来には珍しい「敬虔な」映画なんじゃないのかな?
 ただ、現代においてこの種のテーマを扱う場合、あえてこのような面白おかしいコメディの衣を着せなければならなかった、しかも、現代版の僧院として精神病院の閉鎖病棟というのを舞台に選ばざるを得なかったというのは、なんとも由々しきことじゃわい、と物質主義一辺倒の低層餓鬼道を徘徊するばかりの最近の世相を憂いたくなってもきますけど。

 うーむ、しかしながら、僕は、この映画、大好きですねえ…。
 あんまり気に入ったもんだから、録画してあるのにわざわざDVDまで入手しちゃいました。
 閉鎖病棟って「密室」で展開されるドラマだから、この映画のキモは、役者の芝居に全てがかかってるんですね。
 聴けば、監督の松尾スズキさんというのは舞台出身の方だそうで、鑑賞後、なるほど、これは役者の目線でつくりあげた映画なんだなあ、と、つくづく実感されました。
 ただ、精神病院って場所柄をよりリアルに体感させるために、物凄く巨大な存在を担っていると感じられたのが、患者の「西野」を演じるところの大竹しのぶさんでした。
 彼女の演じる「西野」の存在感が、これがまたすさまじかった。
 蒼井優さんとか中村優子さんとか、超・スバラシイ演技で魅せる患者さんはいっぱいおられましたが、もし大竹しのぶ演じるところのこの「西野」のキャラがなければ、この映画全体の影の彫りが不足してたかもしれない---それはすなわちヒロイン・明日香(内田有紀)のキャラの説得力不足といった致命的な欠陥にも結びついちゃうわけでして---そういった事態に陥らないよう、この映画全般を締め、この映画全体の闇の彫刻部門を「担当」したのが、大竹しのぶさんの演じた「西野」だった、と僕は思うわけ。
 大竹しのぶさん---彼女はひとことでいって、もー「天才」。
 というか、ほとんど魂だけあっちサイドに行っちゃってるひと---ピアノのホロヴィッツや喧嘩界の花形敬なんかの同類ですかね。
 寸止めのためのリミッターが、人格上のどこにもないの。
 狂気の演技をしたら、たちまちモノホンの狂気が、画面いっぱいにぽろぽろと吹きこぼれてくるし。
 演技じゃないよ、本気だよ、これ---って観てるこっちが青くなっちゃって。
 ドン・キホーテで買ってきたような安っぽいジャージに身を包んだ「西野」が画面に現れるたび、僕のぎっくり治療中の背中は軽い緊張を覚えたもんです。
 ええ、来たるべきショーゲキをまえもって受けとめるために、無意識に背筋に緊張が走るんですよ。
 彼女が演じたのは、ズバリ「鬼」そのものですね---低層餓鬼界よりはるばる閉鎖病棟に派遣されてきた「鬼」。誰のなかにもあるエゴイズムを増幅して、鏡のようにそれを送り主のもとへ投げ返す装置としての「鬼」…。
 マジ、怖かった---ええ、「シャイニング」のジャック・ニコルソンより怖かったですね。


                        
               「あんた、正直重いって。でも、生きるってね、すごーく重いことよお---ギャハー!(爆笑して)」 

 あと、ラストシーン---14日の入院を終え、いよいよヒロインの明日香が病院を出るとき、この映画ではじめて野外の風景が映しだされるんですね。
 屋根のない閉塞感からの解放感と、突然解放されたことにやや戸惑っているような、なんとなくすっぽぬけた感じの、ふしぎな存在感のひろーい青空…。
 この空が、なんだか物凄く目に染みるのよ。
 強烈な失恋や自殺未遂なんかを体験したひとは、たぶん、この空に見覚えがあると思う。
 そんな空をバックに、映画のエンディングテーマが流れはじめ、物語はフィナーレに向かうのよ---超・カッコいい、というかあんまりカッコよすぎですって、こりゃあ!(微妙な歓喜に身悶えしつつ)

 というわけで、松尾スズキ監督の「クワイエットルームにようこそ」は、いいですよー。
 まさに逸品! イーダちゃんの推薦印つき、冬の夜長にお薦めの特マルクラスの一本です。
 ハーブティーなんか飲みつつ観たら、自分の人生についてしーんと深く考えこんじゃうこと間違いなし。
 この記事に釣られて「クワイエットルーム」を借りにいって、それ観て「ああ、なるほど、いい映画だなあ、コレは」と思ってくれるひとがいたら、そのささやかな共感はイーダちゃんにとって、なにより大きな喜びであり、慰謝であり、とびきりの御褒美となることでせう---。(^.-;V