イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その35☆やあ、ジョン、元気ですか?☆

2010-12-14 00:53:23 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
                           

 やあ、ジョン、元気ですか---?
 貴方が亡くなってから30回目の冬の到来です。
 信じられないでせう? 貴方がいなくなってから30回目の12月8日がやってくるなんて。
 YOKO さんや息子さんからいろいろ聴いているとは思いますが、貴方が亡くなってから、ずいぶん多くのことが変わりました。
 80年代は素晴らしい時代になるって貴方はいってましたよね。
 ほかならぬ貴方がそういうんだから、僕もきっとそうなるって思ってました。いや、思いこんでました。
 でも、あれは、手放しでいい時代と呼べるような時代ではひょっとしてなかったかもしれません。
 むしろ、貴方のいっていた Bad Times というコトバで呼んだほうがふさわしい時代っだったかもしれません。
 80年代はニッポン史上もっともリッチな時代でしたが---ディスコとか六本木とか---そのように華やかな若者文化が、70'Sの純粋さを失い、大人の商業主義の波に呑まれ、吸収されていく時代でもありました。
 70'S にいまだに郷愁を覚える僕なんかにとっては、生きにくい時代だったという感触がいまだ残ってますね。
 そうして、21世紀の初頭には、貴方のいたNYで 9.11 なんてのも起こった。
 それに引きつづいて勃発したイラク戦争---目を覆うような悲惨事です---一説によれば100万人あまりの市民が死んだとか。
 悲しいことに、我が国の首相はこの戦争を支持することを公言し、僕はどうにもできない無力感と脱力感のなかで、貴方がこのニュースを知ったらどう思うだろう、と自問してました。
 ええ、貴方が死んでから、僕は自分のなかでこの秤----メジャー---を多く使うようになったのです。

----こんなとき、John ならどうしたろう? どう感じ、どう行動したろう?

 この問いは、ほとんど僕の指針になりました。
 貴方は黄金の声をもつ天性のロックンロール・シャウターで、優れたソングライターであると同時に繊細な抒情詩人でもあり、ときにはラジカルな平和運動家ですらありましたが、僕が何より魅かれていたのは、それらすべての才能の底に流れていた、驚くべき「率直さ」の奔流です。
 貴方は、もの凄い正直者でした---。

----ほんとの僕はひどい臆病者さ。生きてることを愛しているし、やりたいこともある。殺してやるって脅されたらキ○タマでもなんでも見せちゃうよ。

 なんていってるのを見つけたときはマジびっくりしました。あの天下のジョン・レノンだというのに全然カッコつけてない、どころかキ○タマですよ、キ○タマ!
 だいたいの男性諸氏にとって「臆病」っていうのはいまだ禁断の一句ですから、各人がおのおの流の虚勢の張りかた、ビビリ風情の隠し方、みたいな化粧パターンをたいてい用意してるわけ。
 でも、ジョンはそんなの使わないんですよ。
 この愚直なまでのスッピンの率直さは、絞りたてのレモンみたいに瑞々しく、まぶしいくらい魅力的でした。
 あと、ウーマン・リヴ関連ではこんなこともいってましたね。

----僕は、男が偉いと思ってるブタだった…。

 うわ、と思いましたよ。
 僕、当時はほんの中学生でしかなかったんですが、このセリフは革命的でした。
 ただの一言なんですけど、このつぶやき自体がもう完璧ロックンロールしてましたもん。
 実は、当時の僕、ロックとか急進的なモノがやたら好きな神奈川の一少年だったんですけど、それはそれとして、根っこの部分では非常に古典的な価値観をもっている少年でもあったんですよ。すなわち、ロックに夢中になっているような最先端部分と、女は男にかしずくものである、みたいな超・古典的な価値観が矛盾なく共存してるようなところがあったんですよ。
 いまでもこいういうタイプってけっこう多いと思いますよ、ニンゲンって案外芯の部分では変わりがたい生き物ですから。
 ファンションだけのロックをするなら、それは簡単です。
 それっぽい服で全身をキメて、LIVE をしたり、見に入って踊るなり、あと、なにかにつけアナーキーなふるまいだけでもすればそれ風に見える。端的な話、ま、誰だってできる。
 しかし、こういう身のまわりの、代々引き継がれてきて、ほとんど血と肉と化しているような「しきたり」めいた価値観まで、ロックでゆさぶるっていうのは、これは大変な難事です。
 自分の慣れ親しんできた感性、生活、癖といったそういうものから、もういきなり急カーブを切らなきゃいけないんですから。
 内面から変われっていうことですから、これは甘くない。
 人生のなあなあ部分、そのすべてにいちいち決着をつけて自分なりに進んでいけってことですから。
 でも、考えてみれば、ジョンのいってたことって、いつだってそっち側からのアプローチだったんですよ。
 しかも、ジョンが偉いのは、それらをすべて実行しちゃうこと---それに尽きます。
 躊躇なんてないのよ。ベトナム戦争がまちがってると思えばマスコミを集めてベッド・インを敢行し、「平和を我らに」なんて歌をつくって皆と一緒にもう街を行進してる。
 ショーンが生まれ、男女平等思想にかぶれると、たちまちのうちにロックミュージシャンを廃業し、YOKO 不在のダコダハウスの家事一切を取りしきり、1日がかりでパンを焼いたり洗濯したり掃除したりしている。
 いまのひとにはわかりにくいかと思いますが、当時、ハウスハズバンドなんて言葉はまだ生まれたばっかりだったんですよ。
 最前線の超一流のロックミュージシャンが引退して家事に専念するなんて、それまで誰も想像すらしたことがなかった。
 あらゆるひとの予想をこえてたわけですよ。あのミック・ジャガーですら「!」みたいな感じになっちゃった。機会があるごとに雑誌のインタヴューなんかで、ジョン、そこから出ておいでよ~ と呼びかけて、主夫たろうと家庭内で苦闘中だった当時のジョンを何度も苦らせています。 
 ジョンの主夫時代って、それくらい新しくて革命的だったんですよ。

----君もみんなもぜんぜんわかってないよ。赤ん坊の世話を焼いたり家事をしたりするのは1日がかりの大仕事なんだぜ…。

 ジョンのこのひとことで家事全般に対する見方が変わったというひとは、とても多いはずです。
 僕もそのうちのひとり。それまで料理なんかに興味はなかった。でも、ジョンがいうんだからと自分から料理を覚えようという気になって、実際はじめてみて、ある程度覚えもしました。そしたらね、これが案外楽しいの。そういう意味でジョンには凄く感謝してますね。
 あと男のひとりとして、僕も、社会的なあれこれの活動を無意識のうちに家事や子育てより上位に置いていたんですが、心のうちのそんな暗黙のカースト制度---これの順位にも「?」マークをつけて考えてみるクセがつきました。
 
    外で闘って喰いぶちを探してくるのは たしかに大変なお仕事---
    でも1日家にこもって 終りのない無数の些事仕事を次々とこなしつつ
    子供を育てたり皿を洗ったり夫の世話したりするのも 結構な難事なんじゃないかな?
    どっちが大変なの? そして、どっちの仕事をこなしているほうが人として偉いの?

 コレ↑は自家製のカルトン(4行詩)なんですけど、僕の当時の悩みはだいたいが上記通りのものでした。
 いまじゃむろん解決してますけど---つまりは、どちらのほうが偉いのか、なんて発想自体がまちがってたってこと。
 偉いというなら---偉いなんて観点自体ややへんなんですけど---まあ、どっちもそれなりに偉いんですよ。ただ、どちらかがどちらより偉い、とかいうようなことはない。
 つまりは比較級の「秤」自体が、そもそも「ヘン」の元だったってこと。
 それを教えてくれたのが、ジョン・レノンって男だったんですよ---。

 フツーだったらそんな説教じみたこと、誰がいったって聴きゃあしませんって。
 でも、ジョンの場合、自分の生活者としてのピュアな苦しみを、シンプルで虚飾のない、自分なりの必死のコトバでもって語りかけてきてくれましたからね---しかも、いつの場合でもソリッドなロックバンドのご機嫌なリズムに乗って。

----生きなくちゃいけない
  愛さなきゃいけない 偉くならなくちゃいけない
  突っこまなくちゃいけない
  でもとても難しい ほんとうに難しい
  ときどき僕はダウンな気になる
  
  食べなくちゃいけない
  飲まなくちゃいけない
  何かを感じなくっちゃいけない
  心配しなくちゃいけない
  でもとても難しい ほんとうに難しい
  ときどき僕はダウンな気になる
                (ジョン・レノン It's So Hard より)

 リアルです。ジョンの歌っていつでも身を切るくらいリアルで、痛い…。
 Beatles が革命的な何事かをなしたとするなら、その支柱になっていたのはまちがいなくジョン・レノンでした。
 ジョンは正直でした。そうして、自分のその正直さに対してとても誠実でした。
 正しいと思ったことはいわざるを得なかった。胸に隠したまま上手に老いていく方法なんて論外でした。というか、そのような「楽に生きるための処世術」一般を憎み、対決してきたのがジョンだったといえるのではないでせうか。
 誠実に、正直に生きるって、たぶん、途轍もない難事です---。
 それを徹底してやったら、たぶん会社ではトラブリはじめ、迷惑がられ、下手したらそのまま排除されちゃう。
 ジョンほどの世紀のスーパースターですら撃ち殺されちゃうんですから。
 これはつまり、正直と誠実とを憎んでるひとの勢力もこの世には確実にあるということです。
 不景気、倒産、失業、借金……こういう暗い時代のあとには、歴史的に戦争が追っかけてくるのが常でした。
 ですから、いまこそ僕らも用心しながら歩かなきゃ、と思います。
 
----君らはSEXとTVと宗教とに酔わされて、自分は利口で階級なんかとは埒外の自由な人間だと思いこむ。
  でも、僕にいわせれば、君らはしようがない百姓さ…。 (ジョン・レノン「労働階級の英雄」より)

 ジョン・レノンは身体を張って激動の時代を誠実に生き抜き、僕の見本となってくれたひとでした。
 ジョンの声は本当に美しく、切なくて眩しかった。
 暗雲のたれこめたいまのような時代にこそ、僕らはジョンの歌に耳を傾け、ジョンの正直さや率直さを見習っていかなくちゃ、と思います。(^.^;>


 なんか、熱入れて書いてたら、ちょっとシリアスすぎる内容になっちゃったゾ。
 近いうちに、Beatles ベストテンとか、そういった軽めの企画モノ---コード進行なんかも入れたマニアックなやつ!---にもチャレンジしてみるつもりです。(^^;





徒然その34☆イーダちゃんの手作りマザーグース☆

2010-12-14 00:30:36 | スケッチブック
         

     
        ルシュフェラージュ・ドドンパ
        早く起きてよ---もうお昼だよ!

        ルシュフェラージュ・ドドンパ
        早く起きてよ---
        Dr.ランジェリンが来てるよ!

        ルシュフェラージュ・ドドンパ
        起きてよ
        起きてよ---いますぐに!


 なんのこっちゃって感じですが、これ、過去のイーダちゃんの作品なんですよねえ。
 懐かしいな---10代のころの詩(?)ではないでせうか。
 当時からマザーグースやアリスの「不気味可愛いナンセンス世界」がとっても好きでして---だって、こういう感触のナンセンスって日本の土壌にはないもんですからね---それなら、と自分なりに試作してみたのがこれだったというわけです。
 いや、厳密にいうと日本にもナンセンスはなくはないんですが---「かごめかごめ」とか地方の囃し歌とか---どうしても向こうさんほどポピュラーじゃないし、日本の風土の影響を受けて、湿度というか、どこかでやっぱり「濡れ」ちゃうんですよね、日本のナンセンスの場合には。
 そういう湿気やニンゲンの「情」のぬめりを排除して、ちょっぴり苦めの残酷なナンセンスがやりたかったんですよ。
 もっとも、実際の出来は、理想からほど遠いモノになっちゃいましたけど。
 詩の文字群で表現しきれなかった不気味感の残りの部分を、せめてイラストで補填してる感じ---あ。このイラストもイーダちゃん作であります---が、まあ微笑ましいといえば微笑ましいかもしれないけど…。
 上の詩の出来は自分でもどうかと思いますが、この詩の主人公の「ルシュフェラージュ・ドドンパ」という名前だけはけっこう長いあいだ気に入ってて、愛着もありました。この名前、生まれるまでにまる2日かかってるんですよ。大学の講義のとき、教科書のうしろでずっとあーでもない、こーでもない、と模索してたんです。一度はこの主人公の少年が活躍する、国籍不明の学園メルヘンを書こうと思ったこともあったかな---「第1章:ドンちゃんの遅刻」とか「第2章:ドンちゃん雲にのる」とかね。
 ま、古い話です。もうひとつ、試作いってみませうか。
 今度は、マザーグースをもうちょっと湿らせて、それに少女漫画を軽く絡めた感じ。


                    


                  「尻軽娘のバラッド」
        
        そうよ---アタシは尻軽娘
        お尻はとっても軽いけど
        心の軽さはそれ以上!

        そうよ---アタシは尻軽娘
        心はいつも飛んでいる
        縛れるモンなら縛ってごらん!

        だけど---アタシは尻軽娘
        羽根より軽いこの心
        ホントはいつでもゆれている---

        そうよ---アタシは尻軽娘
        毎夜3時に眠るとき
        いつもちょっぴり想うこと…

        明日………きっと
        優しいひとがアタシのまえに---

        そしたら…
        そしたら…
        心を3度 ノックして---


 うわ。読みなおしたら、これ、全然マザーグースになってないゾ。
 かろうじてイラストだけがそれっぽいけど、あとはイカンですな、むーっ…。
 もうひとつだけ、英国風なの、いってみませうか。


                    「紳士スティーブンソン 」

        紳士スティーブンソンは火事が好き
        いつも弁当もって駆けつける

        火事だ!
        火事だ!
        消防車が駆けつけると
        スティーブンソンはいつもいる
        ニタニタ見物うれしそう

        ---ひとの不幸がそんなにうれしいのか?
        ある日誰かがそういった
        ---失礼ですが
        スティーブンソンは答えた
        ---ひとの不幸ほどおもしろいものはありません

        次の日 
        スティーブンソンの家が火事になった
        スティーブブンソンも焼けた

 
 うーむ……。まとまっちゃいますが、なんというか、なんでこんな勧善懲悪にしちゃったんだろう?
 たぶん、勧善懲悪という節理そのものの残酷さ、みたいなのを表したかったように思うのですが、成功してるとはいいかねますな。わざと意地悪く書こうとしてる努力がちらちらとほの見えて、そのへんの小市民性がややいじましい感じというか。
 本物の天才はまるきりそのへんがちがうの---たとえば、寺山修司---。

----色鉛筆にまたがっていくぞ地獄へ菓子買いに (寺山修司「ぼくのつくったマザーグース」より)

 うおー、と叫んで、黙りこむしかない出来です。なんだ、こりゃあ。(ToT;>
 なぜ、色鉛筆なんだ? なぜ、地獄で菓子なんだ? といったような諸々の疑問をこえて、寺山修司ワールドの血みどろの不条理なポエジー群が、説明するよりさきにこっちの心の岸にもう上陸しちゃってる。
 なんちゅうスピーディー。 
 はっと気がついたら、もう咽喉のあたりに赤いマチバリなんか刺しこまれてる感じ。
 かなわないよ、こんな無邪気には---でも、さらにひとつ、追加オーダーいきますか。

---ねんねんころり ねんころろ ねんねんころころ 皆殺し (寺山修司「田園に死す」より)

 す、凄すぎる…。(xox;/ ←(絶句マーク)
 かたちは全然マザーグースしてないんだけど、精神がこれマザーグースの詩群の集合無意識界にまでまっすぐ到達してますね。
 なぜ、子守唄の「ねんねこ」いう民族的な遊戯フレーズがラストの皆殺しという単語に逢着するのか?
 そうして、その展開に、なぜ、違和感や無理強い感がちっとも伴わないのか?
 これは、冷や汗モンの怒濤の詩才であり天才ですよ。ただの2行でしかないのに超・寺山修司してる。これは、脱帽するしかないですね---。

 こうして、マザーグースの詩句に寄せて、自らの才知をさりげなくアピールしようとしたイーダちゃんの計画は中途で座礁したのでありました…。(ToT)
 けど、まあ挫折してよかった。妥当な終り方と思いますよ。
 最後に、ホンモノのマザーグースから詩片をひとつ引用して、このページを締めようと思うんですがいかがでせうか。
 
         ゴータムむらの おりこうさんにん
         おわんのふねで うみにでた
         もしもおわんが じょうぶだったら
         わたしのうたも ながかったのに
                         (講談社文庫「マザーグース」より)

 シンプルで、気取りがなくて、分かりやすくて、しかも、余韻が残ります。凄い。
 さすが、250年も歌い継がれてきた本家の実力は伊達じゃないですね---マザーグース、やっぱり好きです、イーダちゃん。(^.^;>