イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その208☆ ボクシング、ボクシング! ☆

2015-05-01 20:11:31 | ☆格闘家カフェテラス☆



 ボクシングが好きなんですよ。
 格闘技全般、みんな好きなんですけど、ボクシングは特に好き。
 東京に勤めてたときには、暇ができると後楽園ホールによく通ったもんでした。
 職場が神奈川に移ってからは、さすがに疎遠気味になってたんですが、先月4月某日、夜に時間があいたんで、ひさびさバビューンとボクシング観戦にいってきました。
 川崎新田ジム主催のボクシング8回戦---!
 有名チャンピオンの試合ももちろんいいけど、僕、どっちかっていうと、しゃかりきにファイトする新人の試合のほうが好きなんだなあ。
 ここんとこ親戚の葬儀がつづいたり、仕事以外の所用が重なったりして、体調はイマイチだったんですが、南ウイングの後から6列目のいつもの席に腰かけると、やっぱ、気合い入りましたねえ。 
 で、この日のプログラムは、こーんな感じでありました。


                           

 ◆第1試合は、女子ライトフライ級4回戦<郷司利也子選手 VS 下岡由美子選手>
 郷士選手は、なんでもグラビアアイドルだとかで、えれー美人。
 試合後に南席のほうにやってきたんで、僕、たまたま近くでお顔を見ることができたんだけど、いかにも性格よさそうな、ただ、ハンパなく気ィ強そうな、実によさげなキュート女子…。
 ただ、宣伝のせいだと思うんだけど、セーラー服みたいなコスチューム着ててね、あれは、いただけなかった。
 でも、マジ、キュートな美人さんなんで、僕、とっさに彼女を応援することにしたんです。
 で、試合はじまったんですが、はじまるやいなや、郷司選手、ヤバイなあ、と僕は少うし心配になりました。
 彼女、ガードがすぐ下がるんですよ。
 それに、ジャブもあんまりでない。
 そりゃあね、4回戦だし、女の子だし、まして緊張バリバリの本番のリングのなか、熱いライトに照らされつつガードをあげて戦うってのが、ハンパなくシンドイことだっていうのはよく理解できます。
 でもさ、そのへんは締めなきゃ、やっぱ、勝てないじゃないですか。
 対する赤コーナーの下岡選手っていうのが、これがなかなかいい選手だったんですよ。
 足使って、ジャブ忘れず、しかも、ガードも下がらなない。
 そうとう走りこんだんでせうねえ---その成果が、フットワークと機敏な動作に如実にでてる。
 これは、利也子ちゃん、幸先わるいなあと思ってたら、案の定、2Rだかでダウン奪われちゃいました。
 あーん、残念、結果は判定で、横田スポーツジムの下岡選手の勝ちとなりました…。

 ◆第2試合 東日本新人王スーパーライト級4回戦<中野亮選手 VS 河田神二郎選手>
 名勝負って見地からいったら、これ、この日のメインエベントに匹敵する好試合だった、と思います。
 イケメンの中野選手と戦績3戦2勝(2KO)1敗の河田選手。
 中野選手がイケメンなので、僕は相手の河田選手のほうを応援してたんですが、どちらも正統派のいいボクサーでした。
 互いに譲らない伯仲勝負---ただ、中盤から河田選手のフックが入りだして…結果はドロー。 
 客席でも、おお、いい試合だったなあ、なんて評が飛びかってまして、僕も熱くなったヨ!

 ◆第3試合 ミニマム級4回戦<柏野晃平選手 VS 引地昭裕選手>
 この柏野選手っていうのは、なんと、東大卒の公認会計士さん。
 雑草派の僕としては、僻み根性もちょっと入り、相手の選手に肩入れせざるをえない---と思って相手選手を見たら、なんか見覚えある方---去年後楽園ホールにきたときにも、試合を見たひとではないですか。
 これは、応援せなば…。引地選手って、ただ小さいんスよ、ガタイが。
 今回はスキンヘッドにしてましたけど、柏野選手と対面すると、どう見ても2階級くらい下の選手に見える。
 リーチもないし、ジャブも少なくて、そんなに前にもでられなかったねえ---残念。
 柏野選手は、サウスポー---後半足とまってたけど、柏野選手の判定勝利は、これは、まあ妥当な線でせう。
 
 ◆第5試合 スーパーフェザー級6回戦<ソンナーライ・ソーバンカル選手 VS 渡邉卓也選手>
 長身の渡邉選手がリングに上がったとき、まず思ったこと。

----わあ。職場にこのひとがいたら、喧嘩ふっかけるの絶対にやめよう…!

 試合前の体慣らしでも、この選手あんまり上体をゆらさないんですが、鍛えぬかれた背中から、なんともいいがたい「殺気」が、僕のいる後6列目までびんびん届いてくるんですよ。
 柔らかい印象はそんなにない---でも、強いオーラを振りまいてました。
 前の席のおっちゃんに聴いてみると、どうやらこの方、べつの階級の王者さんだったようです---ああ、道理でね。
 ただね、そのオーラが、彼、ボクサーというよりは空手家みたいだった。
 何年かまえ、富樫さんの無門館空手を見にいったときの選手たちの佇まいを、僕、なんとなく連想しました。
 対する相手はタイの選手---いわゆる、噛ませ犬というわけですが、このひと、ガタイがよくて、肩にタトゥー入れてて、ムエタイ経験者なのかな? いかにも打たれ強そう。 
 渡邉選手は、連打・コンビネーションってタイプじゃなくて、狙いすました強打を、あくまで冷静に、そして効果的に、要所要所で打ちこんでいく感じです。
 試合自体は、さすが6回戦って感じの静かな立ち上がりでした。
 テンポの速い試合じゃなかったけど、1R開始の1分すぎ、渡邉選手がこっち席に背中むけた刹那に、もう相手のタイの選手ダウンしてて…。
 電光石火の1R1分57秒KO---なんのパンチだったか見えなかった---やったね、渡邉選手---!

 ◆第5試合 フェザー級6回戦 <小泉良太選手 VS 中川倭選手>
 サウスポー同士の対戦。
 オサムジムの中川選手が、フリッカーみたいな、よけにくそうなジャブ使ってるのが、印象的でした。
 いい勝負だったんだけど、中川選手が2R1分30秒で、小泉選手をTKO。
 ふたつもKO決着がつづいたんで、思わず客席がざわついたの、覚えてますねえ。

 ◆第6試合 女子スーパーバンタム級8回戦 <三好喜美佳選手 VS ムエレック・シットサイトーン選手>
 再び女子の試合です。
 でも、第1試合の「がんばれよぅ」的な応援したくなる心境を向こうから弾きかえしてくるような、これ、凄い試合でした。
 ていうか、三好選手、マジ女子? って呻りたくなる感じ。
 三好選手、マジ強かったのよ---ジャブもだすし、フットワークもいいし、なにより冷静だし---こりゃあいい選手だ、いい試合になりそうだなあって思ってたら、開始早々この三好選手が、相手のムエレック選手をささっとコーナーに詰めたんですよ。

----おっ、コーナーだ! どう逃げる?

 と思ったんだけど、これが、ちょっと逃げられない。
 というか、コーナーに詰めてからの三好選手のパンチの流れが、どれも冷静で、あまりに的確すぎる。
 いいのがふたつほど入ったかな、と思った瞬間、相手選手はよろよろと崩れて大の字にダウン。
 第1R1分ちょうどのフィナーレ---それは、この日いちばんの凄絶なノックダウンでした。
 ドクターが、トレーナーが心配げにかがんで、つづいて担架が入ってきて…。

       

 こういうシーン見ちゃうと、毎度のことだけど、ボクシングって危ねえなあって痛感します。
 そりゃあ危ないってば---ひとの看板である顔面を直接ボコボコと殴りあってるんだから。
 野球ならバットやグローブ、サッカーならサッカーボールって夾雑物があいだにクッションとして入るんだけど、ボクシングは、闘争2者のあいだに8オンスグローブの皮一枚しか介在しない。
 殴り勝てばウイナー、殴り負ければ、はい、それまでよ。
 つくづく恐ろしい、ある意味原始的な競技だと感じます。
 けど、その原始的な、根源的カオスのパワーにふれるのは、神社や寺院なんかに張りつめている空気を呼吸するときの感触に、ちょい似てる。
 太古の神々に捧げるための巫女の舞踏のような、峻厳で残酷なボクシング…。
 だから、僕はときどき文明に倦みすぎた自らの魂を鼓舞するために、伊勢神宮にいったり後楽園ホールに行ったりするわけ。
 栄光と挫折と残酷と慰謝とがごった煮になっている、ここ後楽園ホールは、ええ、僕にとって非常に厳かで神秘的な、一種特別な異空間でもあるんです…。

 
 ◆第7試合 セミファイナル ミドル級8回戦 <西田光選手 VS クンスック・ソーソムポン選手>     
 この試合もKOでした---なんと、この日5回目のKO決着!
 金太郎みたいにがっちりした体型の西田選手が、クンスッス選手をつかまえてバーン。
 2R39秒のKO劇でした。
 
 ◆第8試合 メインイベント フェザー級8回戦 <片桐明彦日本タイトル前哨戦 片桐明彦選手 VS 大坪タツヤ選手>
 フェザー級7位の片桐選手とここのところ連勝中の大坪選手との一戦です。
 片桐選手はオーソドックスな、左ジャブから試合をつくっていくタイプ。
 対して、大坪選手のほうは、上半身を大きくくの字に曲げて、ジャブのかわりに飛距離のあるロシアンフック(?)を振りまわす感じの、変則ファイターだと見受けられました。
 実力は相互伯仲してたけど、大坪選手がとにかく顔あげないんで、片桐選手はやりにくそうでしたねえ。
 片桐選手のパンチは効果的で、3Rに大坪選手のこめかみをカットしたりもしたけど、それ以上に大坪選手のロングフックは、片桐選手の顔面を捕えていたように思います。
 この試合のことを思いだそうとすると、情景とともに大坪選手のフックのあたるバチーン、バチーンって音が聴こえてくるほどだもん。
 結局、そうした印象を裏付けるように、大坪選手が判定勝ちし、片桐選手の日本タイトルへの挑戦権とランキングとをもってっちゃったんです…。


       

 しかしねえ、ボクシングはいいやなあ…。
 うん、何度見てもいい。
 近いうち、僕はまた必ずや見にいくだろうと思います。
 この日全力で闘ったすべての選手と関係者とに賞賛と礼の気持ちをここにめいっぱい捧げつつm(_ _)m、今日のところはこれにてBye---(^o-y☆!
                                

◇追記◇パッキャオ、負けた~っ! くそーっ! あーん(ToT)
 もち、イーダちゃんは、熱烈なパッキャオ・ファンです。
 でも、あのメイウェザー、たしかに負ける要素、見当たらなかったからなあ…。
 あんなボクシングのうまい男って、知らないもん、悔しいけど。
 ただ、贔屓の引き倒しになるかもだけど、2、3年前にこの対決が実現してたら?
 あるいは、パッキャオの右肩の故障がなく、ベスト・コンディションだったら?
 と、思わないではいれません。
 まあボクシングは結果がすべてだから、いまさらいっても仕方のないことでせうが…。
 とりあえず、いまは、マニー・パッキャオという比類なき男が身体をはって見せてくれた、これまでの数々の「夢のファイト」に感謝するのみです---。
 

 
 
 
 
 
 

 
 

 

徒然その181☆格闘暑中見舞い!☆

2014-09-03 23:30:16 | ☆格闘家カフェテラス☆
                       
----おめえ、そんなこと考えることないよ。やっちゃったんだろ? やっちゃったら、お終えだよ。おめえ、引くのか、引かねえのか、どっちだ?
----…引きません…。
----なら、相手の男が出てきたら、ひっぱたけ。そこで想いが強いほうが勝つんだよ。たかが女に、どっちが命がけで賭けられるか、そこで決まるんだよ…。                                                                                    (万年東一の言葉「不逞者--幻冬社アウトロー文庫--」宮崎学より)



 Hello、向こうっ気が強くて、能天気で、一本気で、頑固で、スコーンとどっかが一本抜けた、けれど、毎日の鍛錬にはなぜかとっても真面目でストイックな、愛すべき底抜けおバカの格闘好きの皆さーん、お元気ィー?
  (ドン、身体の具合どうだあ? Mr.サトー、精進してるかあ?)
 僕は、元気です---。
 ただ、最近ちょっと多忙のピークであり、資格の講習とかも受けたりしはじめているので、もちまえの多忙さにさらに拍車がかかり、ブログの更新が遅れがちになっているのが、やや遺憾です。
 でもまあ、いまのところ命にも健康にも差し障りなくやっていけてるんだから、たぶん、現況はグー! ということになるんでせうねえ。
 というわけで、今回は、ひさびさ☆格闘家カフェテラス☆のページです---。
 うん、まえにもなんかでいったと思うんだけど、このページを綴るには、僕的には、すっごくポジティヴ・パワーが要るんっスよ。
 ですから、このページを綴ろうって僕が思いたったということは、それは、僕がいま現在案外いい調子でいるっていう印。
 というわけで、この運気の流れに乗ったままひさかたぶりに行きますか?---あらゆる格闘についてのバカ話をば。
 けどね---今回は、こちら、ゲスト、あいにくいないんですよ。
 以前このコーナーでは、ルー・テーズについて、花形敬氏について、あるいはダニー・ホッジや猪木について、さらには、ビル・ロビンソンやダッチ・シュルツ、大西政寛氏についていろいろとウンチクを傾けてきたんですが、今回は珍しくもそういったゲスト色はなし---ウンチクと語りのみを主役として、この小舞台をば廻していきたく存じます。
 なにせ、はじめての試みですので、うまくいくかどうかはお慰み---じゃ、そろそろ幕あけますんで、いざやヨロシクお願いいたします~っ(大袈裟に抑揚をつけて歌うように)---! 


                   
                           上写真↑銀座を闊歩する若き「愚連隊の元祖」万年東一氏                         


 さて、冒頭に赤字で記したコトバは愚連隊の元祖・万年東一さんのコトバなんですが、これ読んで、アナタ、どう思われました?
 僕はねえ、万年さんのコトバってなに聴いてもいちいち怖いんですけど、特にこのコトバは凄いなあって前から思ってたんですよ。
 だってね---このコトバ内には、格闘の本質、すべて入ってるじゃありませんか?
 格闘に真剣なのは当然でせう---けど、その種の闘争において、どこまで真剣になればいいのかっていう、これは重大な問題です。
 そして、ここで万年さんがいってるのは、まさにそのことなんです。
 怖いのは、そこ---彼は、スポーツマンシップの枠組にのっとった、いわゆる正々堂々とした試合みたいな土壌を、塵ほども考えていないのよ。
 市井の喧嘩には、デモンストレーション的要素が多々あるもんなんですが、彼は、自分が超・経験してきただろう、その種の闘争の機微についてもまったく触れてない、ていうか、問題にもしていない。
 ここで、万年さんが宮崎氏にいってることはただひとつ---

----おめえ、引くのか、引かねえのか、どっちだ…?

 たったのこれだけ…。
 あまりにもシンプル、だけど、そのぶん、怖い…。
 このいかにも万年流のシンプルさは、いつでも僕を凍りつかせます。
 だって、これ以外に格闘の本質ってなにがあります?
 一端本気で「引かねえ!」と決意したオトコの意志を、ねじ曲げることのできるモノが果たしてこの世にあるんでせうか?
 僕はね、単刀直入にない、と思うんだ。

----命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。
  此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして 国家の大業は成し得られぬなり。(西郷隆盛)

 かの偉大なる西郷ドンはそういってられるし、あの「刃牙」の作者である板垣恵介さんも次のようにいってます、

----俺たちなりの結論も出ていた。ケガをするのが嫌だとか、骨折したくないと思っている奴には、空手は恐ろしい最終兵器と化す。しかし、自分もケガするかもしれないが、絶対にあいつの喉笛を噛み切ってやると腹を括った人間に対して、競技会で繰り出されている空手道の術は、どこまで有効かは疑わざるをえないと。

 ここで決して誤解してほしくないのは、僕は、ここで競技用の格闘術をけなそうとしてるわけじゃないってこと。
 毎日本気で鍛錬しているニンゲンの突きや蹴りは、そりゃあ凄い。
 ミット越しに、想像をこえた質量が突き刺さり、痛いというよりもう怖くて、思わず「助けてくれーっ!」と叫びたくなるくらいのあの忘れじのビビリン心理。
 上位の選手のパンチをミットで受けた経験のあるひとなら、誰でも僕のこの意見に同意してくれることでせう。
 けれども、僕がここでいいたいのはそういったことじゃない、命のかかったぎりぎりの崖っぷち闘争の煉獄のなかで、果たしてそのような技術が全方位に通用するのかって問いなんですよ、僕がいいたいのは。
 僕はね、ある程度までは通用すると思うんだ---闘技って、そもそもそのための技術なんだから。
 だけど、どんな技術にしても、現実を全方位で包みこめるはずがない、現実ってのは、いつだってニンゲンの想像力の限界を1ミリか2ミリ超えているものなんですから。
 その1ミリか2ミリのプラスアルファの部分が、実は、格闘というものの「要(かなめ)」じゃないか、と僕は思うんですよ。
 それだけが本質---あとの部分は、些末であり表層なの。
 そして、そのわずかばかりの格闘の本質を、本能かカンか霊感かは分からないけど、瞬時に掴み取りできるようなオトコが稀に世の中にはいるんだな---それが、僕がこの☆格闘家カフェテラス☆で取りあげてきたひとたちなわけ。
 たとえば、花形敬、それに万年東一さん、さらには、あのルー・テーズやプロレスの裏番鳥人ダニー・ホッジ。
 あと、大西政寛に、合気道の塩田剛三さん、それとまだこのページで取りあげたことはないんだけど、アメリカのあのラッキー・ルチアーノやボクシングのモハメッド・アリなんかも入りそう…。
 彼等はみんな、一流揃いのトップのなかでひときわ抜きんじることを許された、一種スペシャルランクな格闘星人でした。
 才能ある努力家揃いのアスリートのトップ(ヤクザ屋さんでもOKネ!)なんて、実力は、もう相互伯仲しているはずです---手も足も2本づつ平等に付属した、おんなじ人類のヒト科同士なんだから。
 けど、事実として、彼等は、そのトップクラスの異常に厳しい団子状の修羅道バトルで、あくまで抜きんじて勝ちつづけたのです---勝ちつづけることができたのです…。

 どうしてそんなことができたのか---?

 確率的にいえば、これは、もの凄~い離れ業だといえませう。
 こういう場合に僕がやたらもちだすのが「イノチガケ」という観念なんですが---これについての万年さんの発言に、以下のようなのがあります。

----蒋介石軍と八路軍とどっちが強かったですか。

----蒋介石軍? ありゃあ、おめえ、ヤクザみてえなもんさ。

----ヤクザ?

----烏合の衆ってことよ。弱いとこを突いて、バカバカってやっちまえばかたづいちゃった。

----八路軍は?

----こっちのほうが問題にならねえくらい強かった。雲霞のようにやってきやがる。しかも、死ぬ気でかかってくる。日本軍も「生きて俘虜の辱めを受けず」っていってたけど、あいつらのほうが日本軍より死ぬ気だったなあ。死ぬ気でかかってくるやつらにゃ、生きようとしているやつらは勝てねえ…。
                                               (宮崎学「不逞者」幻冬舎アウトロー文庫より)

 体験に基づくこの発言ってめっちゃリアル---これってつくづく名言なんじゃないかなあ。
 もっとも、どこまで肚を決めたらそれが「イノチガケ」であって、どこまでのラインまでなら「イノチガケ」じゃない、なんて明確な判断は誰にも下せっこないんで、どうしてもこれは精神論的なお話しになっちゃうんですけど。
 「イノチガケ」っていうのは、ええ、たしかに格闘における重大な要素だと僕は考えています。
 でも、だからといって、そんな僕にしたって、戦時中の竹槍作戦みたいに、根性さえあれば非武装の市民でも近代装備の米軍に対抗しうる、みたいな無茶が実際にやれるとは思っていない。
 それは、ムリです。
 最低限の技量は、やはり必要でせう。
 いくらこっちが懸命の「イノチガケ」になったつもりでいても、幼児のしゃかりきに引く大人なんていない。
 ならば、技量が伯仲している場合、必死の相手がひきつって引くほどの、実践的な「イニチガケ」とはなにか? どんなものなのか?
 どこをどうしたら、ニンゲンは、それほどの胆力を発揮できるのか…?

 これに関しては、僕に思いあたる節がひとつありまして…。
 出典は、ちょっと忘れちゃったんだけど---ある刑務所のおなじ房に、ヤクザのオヤブンさんといかつい若いマッチョがいたんですって。
 マッチョさんはタッパが185くらいあって、胸囲も1mをこえる(あ。僕も驚異1mあります、となぜかここで威張るw)偉丈夫の凶悪系。
 たしか傷害かなんかで喰らいこんだ、どっかの組系のひとだったような。
 とにかくモーレツ級の傍若無人の大男で、その房でも日夜威張りまくって嫌われておりましたそうな。
 対する同居坊の老いたオヤブンは、60代後半の痩せっぽっち。
 身長160、体重58キロほどの、ま、年相応の体型---まあ、どう見ても強そうには見えないわな---実際おとなしいひとで、その房でもそれまではあんま目立たなかったっていうんですよ。
 で、この凹凸のふたりが、あるとき、刑務所の食堂で喧嘩になったっていうんですよ。
 理由はほとんどマッチョさんのいいがかりのようなものだったそうなんですが、ま、あまりのいいようにオヤブンさんもいいかえして口論になった。マッチョさんは、こんな爺にと見下していたオヤブンさんにいい返されて、ほとんどもう切れて、飛びかからんばかりにまで激してたそうです。
 するとね---ここでオヤブンさんが、どうしたのか?
 なんと、このオヤブンさん、トレイのうえの自分の箸を一本、ナイフのように握ってから、おもむろにマッチョさんの咽喉元にむけぐいと突きだして、

----やるかい、若いの…?

 と、いい放ったのです。
 食堂のざわめきが、ぴたりととまりました。
 そのときのオヤブンさんの気迫は、それほど凄いモノだったとか…。
 で、思わぬオヤブンさんの反撃にあったマッチョ氏は、虚をつかれて何もできず、まあ、引いてしまったたという次第---。
 気合一閃って感じのこのエピソード、僕は、超・好きですねえ。
 素手の肉弾戦になったら、どう考えてもこの初老のオヤブンさんがマッチョさんに勝てる道理がない。
 結果的に箸のナイフで相手を引かせはしたものの、もし、マッチョさんのほうに戦闘継続の意志があれば、箸一本の武器じゃどうにも心もとない、組みあいになれば、たぶん、このオヤブンさんは負けていたでせう。
 けど、この場合、そうはならなかった。
 粗暴なマッチョ氏は、目前に突きだされたオヤブンさんの一本の箸---それにこめられたオヤブンさんの裂帛の気合と気迫とについ気圧されて---勝負から下りちゃった---つまりは、負けたわけです---。
 なぜ、負けたのか?
 それは、恐らく、マッチョ氏は、その一瞬に、いろんな先読みをしちゃったせいじゃないか、と僕は思います。
 簡単に「イモを引く」と決めつけていた貧弱な獲物から思わぬ反撃にあい、あれ? こんなはずじゃなかったんだけどな、とマッチョ内予測が覆されたことが、まずは<原因その1>だとしておきませう。
 あと、このマッチョ氏、この刹那に、看守の存在とか喧嘩後の懲罰について、考えちゃったのでは、と僕は読みたい。
 要するに、計算しちゃったの---この喧嘩が自分の未来にもたらす「損得」について---。
 未来への損得勘定は、生きているニンゲンなら必ず行う本能のようなモノなのですが、こと勝負の真最中にこれをやるほど始末にわるいことはありません。
 なぜって、闘争ってのは、そういった通常の人生ロードとはちがう位相に属したシロモノだからです。
 マッチョ氏は、自分から通常の人生ロードとは異なる「喧嘩」という位相にオヤブンさんを連れだしたくせに、この時点で、自分が踏みだした非日常の位相から、さっきまで自分が属していた「損得勘定が幅を利かせる日常」のほうをついとふり返っちゃったんです。
 ふり返れば、ひとは、必ず迷う。
 そうして、迷えば負ける---躊躇イコール死であるのが喧嘩の鉄則なんですよ。
 これが、マッチョ氏がバトルに敗れた<原因その2>なのではないのかなあ?

----戦争というのはね、なんにも知らないほうが強いんです。準備万端整えすぎると負ける…。(大山倍達)

 ところが、これに対するオヤブンさんの内面ときたら、極めてシンプルなんですよ。
 マッチョ氏がいかついガタイに似合わない、妙に近代人じみた「躊躇」に囚われているあいだも、ただひたすらに突きだした箸に気合をこめて、負けないこと、この大きな相手を退かせること以外のなんも考えてない…。
 というか、箸先に気合を乗せまくることに夢中で、それ以外のことを考える余裕なんてなかった、と解したほうがより適切でせうか。
 いずれにしても、このときのオヤブンさんは、それまでの日常の自分を綺麗サッパリと投げ捨てて、ほとんど一介の動物みたいな存在になっていた。
 勝敗はおろか、損得勘定や迷いが兆すことすらない特殊な次元にぱっと跳んで、その阿修羅的亜空間のなかで自分の命をひたすら燃焼させていたのです。
 自分の命を燃やすっていうのは、つまり、もう死んだっていいやと思っているということです。
 捨てバチじゃなく、ヤケッパチでもなくて、ただの言葉じゃなしに、全身の細胞と肌でもってそう感じ、その感覚にすべてを殉じきること…。
 オヤブンさんがこのマッチョ氏に勝利した主要因は、それじゃないかと僕は睨んでます---。

 20世紀最大のレスラー、ルー・テーズが、ダニー・ホッジに一目置きつづけた理由も、きっとそのへんにあったのでせう。
 (稀代のレスラー、ダニー・ホッジについての詳細を知りたい方はMyBlog ☆格闘家カフェテラス☆ 徒然その72☆シューターたちのセメント・タイム☆ までどんぞ!)
 レスリングの技量と経験にかけて、テーズがホッジに劣る要因は、ほとんどありませんでした。
 年齢差による体力の衰えはあったとしても、そのぶんのマイナスポイントを補うタクティスを瞬時のうちに立てちゃって、結果的にいついかなる場合にも勝てる試合にもっていく----ルー・テーズっていうのは、それくらいの離れ業が易々とやれた、それこそアリ級のスーパー・アスリートでありました。
 そのテーズをしてダニー・ホッジはこうまでいわせてる、

----私は、ホッジとストリート・ファイトをするほど馬鹿じゃない…。(ルー・テーズ談)

 これは、つまり、ダニー・ホッジのなかのこの種の化学反応を熟知し、それが爆発しないよう注意しいしい闘いつづけてきた、あの巧者テーズにしかいえない、もの凄ーく深い、いかにも賢者的なセリフではないか、と僕は感じます。

 つまりは、「イノチガケ」---
 それは、万年さんのいう、あの「引くか、引かないか」の究極の二者択一だったのです。
 優先順位はただひとつ、なにがあっても「引かないこと」だけなのであって…
 その他諸々の部分は、すべて些事なのです。
 喧嘩を看守にとめられて罰せられ、刑期が伸びるかもしれない恐れも些事。
 その喧嘩の結果殺されて、自分が失くなってしまうかもしれない可能性も、これまた些事。
 喧嘩に勝っても逮捕され、そのために社会的に抹殺されるかもしれないけど、それもまた些事。
 いいなあ---この爽快すぎる割り切りと気持ちのいい決断---なんて風通しのよさだろう---!

 ある意味、これは、禅じみた境地ともいえるし、ほとんど爬虫類的な獰猛さともいえるのではないかな。
 けれど、僕のなかの男性部分は、この種の単純明快な獰猛さをどうしても笑うことができません。
 このようなケースで命を落としたり不具になったりするリスクも恐れずに、あくまで自らの意地を張りつづけたオトコたちに、僕は、限りない憧れと郷愁とを感じないではいられない…。
 ええ、超・カッコいいっスよ、こいつら武士(もののふ)ども---!

----武士道と云うは死ぬ事と見付けたり。(山本常朝「葉隠」より)

 なあーんだ、あの葉隠の山本さんも、結局、万年東一さんとおんなじことをいってられたのか、と、ここで僕は思わず膝を叩きます。
 理屈じゃないんだ、深遠な教えでもないんだ、まさかこんなシンプルなことをいってたとはね、と自然に頬がことこととほころんでくるようにも感じます。


           
                   


 ここで、ちょいと珍しい、天下の文豪、ロシアのドストエフスキーの喧嘩の記録をUPしておきませうか。
 これ、ドストエフスキーが政治犯として収容されていた、シベリアのオムスク監獄で体験した喧嘩の記録です。
 もっとも、ドストエフキー自身は喧嘩の当事者じゃありません。彼は、貧しいながらもいちおうは貴族でしたから、貴族囚ということになってて、民衆の囚人たちとは扱いがべつだったのです。
 ここで彼が扱う主人公は、民衆出の囚人である、実在したペトロフという男----

----しかし、わたしは一度、彼が本気で怒ったのを見たことがあった。何だったか、つまらない品物だったと思うが、彼にわたらないことがあった。分配から外されたのである。彼はワシーリー・アントーノフという民事犯の囚人とやりあった。これは性悪な喧嘩早い大男で、めっぽう気が強かった。二人はもうさっきからどなりあっていた。まあせいぜいなぐりあいくらいでけりがつくだろう、とわたしは思った。ペトロフはめったにないことだが、たまには喧嘩をして、いちばん口のきたない囚人にも負けないようなののしりあいをやったこともあったからだ。ところが、このときは様子がちがった。ペトロフは急に真っ蒼になり、唇がひくひくふるえ出し、血の気がひいた。吐く息も苦しそうになってきた。彼は立上ると、ゆっくり、はだしのまま足音を殺して(彼は夏はだしのままでいるのがひどく好きだった)、そろそろとアントーノフの方へ近づいていった。わあわあと騒いでいた獄舎中がぴたっとしずまりかえって、蠅のうなりが聞えるほどになった。みんな息をのんで見守っていた。アントーノフはあわてて立ちがったが、顔色がなかった……
 わたしは堪えられなくなって、獄舎を出た。わたしはまだ入口の階段を下りきらないうちに、斬られた人間の絶叫が聞えるのではないかと、はらはらした。だが、このときも何事もなく終った。アントーノフは、ペトロフがまだそばまで来ないうちに何も言わずあわてて問題の品物を彼の方へ投げてやったのである。(口論の種になったのは脚絆かなにか、ほんのつまらないものだった)
 むろん、二分ほどすると、アントーノフは、気持ちもおさまらないし、格好もつかないらしく、自分がそれほど怯気づいたわけではないことを見せるために、少しばかり相手に嫌味を言った。だがペトロフはそんなののしりには耳もかさず、返事もしなかった。ののしりなどはどうでもよかった、要するに彼は勝ったのである。
               ……………
「あいつは全囚人の中でいちばん向こう見ずな、いちばん命知らずな男だよ」とMは言った。
「どんなこともやりかねない男なんだ。ひょいと気まぐれを起こしたら、どんな障害があっても立ちどまることを知らない。ふとその気になったら、あなただって殺しますよ、あっさりね、鶏でもひねるみたいに。眉ひとつうごかすでもないし、悪いことをしたなんてこれっぽっちも思いやしませんよ。頭が少しへんじゃないか、と思うほどですよ」
 この批評はつよくわたしの興味をひいた。だがMは、どういうわけか、そんなふうに思われた理由を明確に説明することができなかった。そして不思議なことに、その後何年もわたしはペトロフを知っていたし、ほとんど毎日彼と話していたし、いつも彼は心からわたしを慕っていたが---そしてその何年かのあいだ、彼は獄内に慎み深く暮らしていて、乱暴な事は何ひとつしなかったが、それでもわたしは彼を見たり、彼と話したりするたびに、Mが言ったことが正しく、ペトロフは、もしかしたら、もっとも向こう見ずな命知らずで、他人に抑えつけられることはまるで知らない男ではなかろうかと、いつもそんな気がしてならなかった。どうしてそんなふうに思われたのか---これもはっきり口では言えない……。
                                         (ドストエフスキー「死の家の記録」より)

 うーむ、ここに、もうひとりの大西政寛やダニー・ホッジ、見つけたあ! って感じですよね、これは。
 描写があまりにも克明で、天才的なんで、ついつい面白くなり、引用が長くなっちまって申しわけありません。
 でもねえ---僕はときどき思うんですよ---あの花形敬氏や大西さん、それに、ダッチ・シュルツやホッジみたいな奴らって、ひょっとして、このペトロフみたいな匂いのするオトコだったんじゃないかって---。

 肩口から虚無の香りが匂いたつ、彼等みたいなオトコたちに、なぜ、こんなにも気を魅かれるんだろう? とそのたびに僕は訝ります。
 でも、どうしてか、魅かれちゃうんだなあ、これが---。
 道徳的にはどう見ても僕等の規範にはなりようのないモンスターな彼等なんですが、僕は、死に場所を探してひたすらさすらっているような彼等の孤独な生きざまに、オトコという生き物の本質の一面をついつい見てしまう。
 オトコってそうですよ---平和で愛情に満ちた暮らしもそれなりにいいけれど、なにかコトが起こったら、なるたけ華々しく散っていきたいって、きっと心の底で想ってる…。
 僕も、そんなどーしようもない、さすらいのオトコ族のひとりです。
 オトコ族のひとりとして、僕は今日も窓際に頬杖をつきつつ何気に夢想します。

----嗚呼、強くなりてぇなあ…!

 なぜ、そう思うのか、僕には、分からない。
 でも、いつだってそう思っているのは事実です。
 だからこそ、こーんな長い無駄無駄印の雑文を、今夜も綴ってみたりしているのですよ、ブラザー---。
 ウルトラ長くなりました---そろそろ隣りの部屋で、今夜のノルマの懸垂20回をこなしてから休みます---お休みなさい---(^o-)y☆
 
 




 
 
 
 
 


徒然その137☆<悪魔のキューピー>大西政寛の伝説☆

2013-03-30 23:01:36 | ☆格闘家カフェテラス☆
                                 
                     ----首を斬らされるもんは、斬られるもんより根性がいるけんのう…。(大西政寛)


 出たーっ、大西政寛です---あの「悪魔のキューピー」です!

 ☆格闘家カフェテラス☆のコーナーをやってく上で、彼を登場させるべきかそうしないでおくべきか、実は僕、ずーっと迷ってました。
 このコーナーの最初のページで、僕は、あのプロレス全盛時のチャンピオン「ルー・テーズ」を紹介させていただきました。
 まあ、彼の場合だと文句つけるひとはあんまいないっしょ。
 で、次は、戦後の伝説の喧嘩士「花形敬」さんにご登場願いまして---
 えー、彼、ヤクザで格闘家じゃないじゃんよー!?
 なんて批判も若干ありましたが、僕は、ここを、彼のような天才を「格闘家」という範疇からはじきだしちゃうような、そーんな固くて狭っちいコーナーにはしたくなかったんですよ。
 たしかに花形さんは一般的にいわれている格闘家というのとはちがう。
 しかし、そんな表面上の区分の差違がなんです? 梶原一騎にせよ、「刃牙」の作者の板垣恵介にせよ、いまだに(梶原氏は既に故人ですが)あの花形伝説を夢中になって追っかけているではないですか。
 後世のひとにこれほどの魅力が覚えさせるほどの男が、軟弱な、要領がいいだけの男であったはずがありません。
 とびきりの格闘士であったから、その刃物のように鋭い独自の光芒が、僕等をこれほどまでに魅きつけるのです。
 まあ花形さんの場合、ほんとに「喧嘩の天才」という形容がふさわしかった、肉体的にも精神的にも超スペシャルな男であったわけなんですが、あっちの業界はさすがに人材豊富です、花形さんとはべつのずーっと西の方角で、それとほとんど同時代---より正確にいえば、このひとはあの花形敬より七つ年上ですか---男を売って商売していらした凄まじい男はんがいらっしゃったんですよ。
 それが1923年(大正12年)、広島の小坪に生を受けた、大西政寛そのひとだったのです---。
 
 彼がこれほど有名になったのは、もちろん、あの東映映画「仁義なき闘い」において、主人公の菅原文太が兄貴分と慕う若杉寛(これは、梅宮辰夫が演じた)のお蔭でせう。
 あれのせいで「悪魔のキューピー」は、あそこまで有名になったわけ。
 それは、まあ分かりますよね? でも、このページ冒頭で初めて彼の実写真に触れた方は、

----うわ、映画のイカツいいかにもヤクザの梅宮辰夫より、本物のほうがなんか怖えゾ…。

 と思うかもしれない。
 そう思ったとしたら、貴方の勘はなかなか鋭い。
 そうとは感じれなかった方も、よーく目をこらしてみれば、きっとそれは感知できます。
 この写真の男の瞳は、たしかに、なんともいいようのない闇に満ちている。
 では、その闇の種類とはなにか? 
 なぜ、彼の瞳は、そのような闇を、孕むようになったのか?
 彼のことをよくご存知の方にはいまさら無用でせうが、大西政寛ビギナーの方もなかにはいらっしゃるでしょうから、そーいった方々のために、まずは大西さんのプロフィール紹介といきませうか。
 ただ、当時の事件やら喧嘩やらをいろいろと記述しても、当時の世相と相手との関係や背景とかをいちいち説明しないと、大西初体験の方はなんのこっちゃさっぱり分からんだろうと思いますので、まず、僕なりにかいつまんでまとめた以下の<大西理解のための箇条書き文書>にざっと目を通していただけたら、と思います。


                      ◆「悪魔のキューピー」理解のための箇条書きクロッキー◆

1.1923年(大正12年)広島の小坪にて出生。裕福な商店の生まれだったが、大西2才のとき、父がモルヒネ中毒で他界。母は父宅を追われ、以降祖母のもとに引き取られて育つ。その渦中、近隣の子らに父の中毒ぶりをからかわれ、いじめ、喧嘩を多く経験する。

2.で、ここが非常に特殊だと僕は思うんですが、大西は、小学校に上がっても字を覚えようとしなかったんです。
 これは、ちょっと凄い。子供って皆がやってると、つい付和雷同しちゃうところがあるじゃないですか。
 でも、大西は、流されなかった。
 餓鬼のくせに、授業を聴きもせず、教室では絵ばかり画いていたらしい。
 毎年の絵画コンクールでも優勝して、結構才能はあったようです。
 しかし、大西が凄いのは、とうとう字を覚えないまま、高等小学校まで進んじゃったってとこ---これは、奇妙だと思いますね。
 このひと、妥協っていうのが、まったくないのよ。
 覚えないと決めたら、もう覚えない。
 このなんともいいようのない、エネルギッシュな生来の鬱屈…。
 煮えたぎり、出口を求めていた噴火寸前の「それ」が、あるとき、ふいに爆発します。
 きっかけは高等小学校の教師の、心ないからかいのひとことでした。

----おまえは親父といっしょの脳病院で絵の先生にでもなるんか? じゃけん、先生は字も書かにゃならん…。

 その瞬間、大西はキレます。
 後年の大西は、怒ると眉間が縦に立つ、といわれていました。
 このときもそうなった---眉間のあいだに縦皺が走り、小学生の大西は、すかさず担任の教師に文鎮で殴りかかり、あっという間に3針も縫う怪我を負わせます…。
 ちなみに、この時代の教師暴行をいまの時代と同じに考えてはなりません。
 なにせ、教師に手をあげるなんて、超・考えられない戦前ニッポンのことですから。
 大西は当然、即日退学処分となって、カシメ職人の若衆の道に進むことになります…。
 (カシメというのは、チームを組んで軍艦に焼きたてのネジを打ちこむという、いまでいう鳶をさらにトッポクしたような職業の総称です。カシメは、相当の稼ぎになって、金遣いも皆派手で、気の荒さでも有名だったといいます。たとえば、「奴はカシメだから喧嘩は売るな」みたいな言説が常に囁かれていたらしい)
 その後もちょくちょく事件を起こしまして---ただ、そのなかでは、やはり……

3.あの「海軍軍人事件」に触れねばなりますまい…。
 大西16才の夏、大西が広の食堂でビールを飲んでいると、いかにもたくましい、大柄で高圧的な海軍軍人に咎められます。

----おめえのような餓鬼は、まだビールなぞ飲むには早ぇ…!

 みたいなことを、たぶんいわれたのでせう。
 まともにいったら敵わないと見た少年の大西は、一端は引きさがります。
 しかし、すぐ隣りの商店の台所に押し入って、そこから刺身包丁を握りこむと、あっというまに例の食堂へと引きかえし---
 件の軍人の腹をいきなり刺し、あまつさえ、その軍人の片耳をスパッと切り落としてしまうのです。

 この事件で大西の名は高まり、まだ若年の彼が呉の通りを着流しで闊歩しても、文句をつける人間はまったくいなくなったといいます…。

4.有名になった大西は、地元の土岡組とも接点ができはじめるのですが、ここで兵役となり、中国戦線に送られます。
 この時期の大西の詳細は、僕も非常に気になるのですが、謎に包まれていて、まったくのこと分かっておりません。
 大西は帰国後も、ほとんど戦争の話はしなかったそうです。
 しかし、ときどき、気が向いたときだけ、母のすずよにこう、

----お母ちゃんのう、戦争いうたらまったく哀れなもんじゃ。行軍の最中にひと足でも遅れると、もう敵に捕まるか、はぐれて野垂れ死にするだけじゃけん。軍隊じゃのう、小便1丁糞8丁いうて、用足ししとるとそれだけ遅れるんじゃ。ほいじゃけん、ピーピーでも道端にしゃがみこんだらしまいじゃけん、ズボンの尻あけっぱなしで、垂れ流しで歩くんじゃ。そうなると弱いもんからばたばた死んでいく。それを合掌ひとつして、近くの叢に放りこむんじゃ。普段はのう、戦友じゃ兄弟じゃいうても、そうなったら石コロじゃけん、石コロがゴロゴロ、ゴロゴロと行軍しとるようなもんじゃ…。
         (本堂淳一郎「広島ヤクザ伝<悪魔のキューピー>大西政寛と<殺人鬼>山上光治の生涯:幻冬舎アウトロー文庫より)

 ほかにも大西に中国での経験を問うたひとはいたようです。
 あんたは中国で中国人捕虜の首をいっぱい斬ったとかいわれてるが、あの噂は本当か、と問われたとき、大西はにやっと笑ってこう漏らしたそうです。

----おお、首を斬るもんは、斬られるもんより根性がいるけんのう…。

 大西は、中国戦線に都合4年いたそうです。
 兵役1年で1等兵になるのが、この時代の通例だったのですが、大西は、どういうわけか帰国するまで最下の2等兵のままでした。
 なにか、あったんでせねえ、恐らく…。
 あの気性ですもの、上官を殴ったとか、刺したとか---詳細は一切分かりませんが…。

5.そして、昭和20年の敗戦です。
 大西も戦後の日本、原爆の投下されたあとのあのヒロシマに帰還して、シャバでの暮らしを再開します。
 むろんのこと、世相は混乱して、荒んでいます。
 この荒涼とした「戦後」のなかで、中国の戦線で数えきれないほどの虚無をその瞳に蓄積してきた大西が、本格的に「爆発」しはじめるのです。
 戦後の大西のもっともインパクトのある喧嘩は、なんといってもあの盆踊り事件でせう。
 昭和21年8月の14日、阿賀や広で戦後初めての盆踊りがひらかれたのです。
 大西は、このころ、地元の土岡組に所属していたんですね。
 しかし、当時の世相です、地元の土岡組に反旗を掲げる、愚連隊のような組織は、いっぱいあったんです。
 そんな反対勢力のなかで、もっとも大きな規模を誇っていたのが、桑原秀夫の率いる、桑原組という組織でした。

----岡土がなんぼのもんじゃい、いつでも相手になるど。

 といったような、いわゆるブイブイですね。
 その宵も大西をはじめとする面々は、組の事務所で、この桑原組の奴等を締めにゃならん、と相談していたそうです。
 で、ひさしぶりの華やかな祭りの会場で、この大西たちが、桑原組の小原馨を見つけるわけです。
 大西たち5人は、小原を捕らえ、会場隅の暗がりへと連れていきます。
 ここでの大西が、なんとも凄まじい。
 
----最近ごちゃごちゃうるさいんじゃ。馨もいうとる口じゃろう。桑原なら殺るところじゃけん、おまえなら腕一本でええわい。馨、覚悟せい…。

 そして、隠しもったポン刃を振りあげるやいなや、

----馨、許せい!

 と小原馨の左腕を斬り落としてしまうのです。
 悲鳴をあげて崩れ落ちる小原---。すると、その声を聴きつけて、小原の兄弟分である磯本隆行がそこに駆けつけてきます。
 大西は、磯本も小原とおなじように手下に捕まえさせておいて、

----許せい…!

 小原と同様、磯本の左腕も、瞬時のうちに斬り落としてしまいます。
 あの童顔の眉間が縦に立った、「悪魔のキューピー」そのものの修羅顔になって…。

6.この事件の噂は、ひと晩で呉の町中を駆けまわりました。
 「悪魔のキューピー」という仇名は、そのときについたものです。
 もう、こうなると、大西は、別格のスターのようなもン。
 誰ひとり逆らわない、そりゃあそうです、なにせ歩く爆弾みたいな男なんですから、彼は。
 賭場にいってイカサマ札を大西が使う、それを見咎めて誰かが、

----うんにゃ、その胴落とせい…。

 といったとする。
 すると、大西の眉間がすかさず縦に立つわけです。

----あん? なんちゅうた? もう一度ゆうてみい…。

 いったもんはもう半殺しです。火鉢の串で殴るわ蹴るわのやり放題。誰もそれをとめられない。
 そうして、ほどなく大西は、呉の町を制覇するんですね。
 あらゆる権威の崩壊した呉の町で、いかなる権力にも従わず、自分の意思を貫く大西は、一種のアンチヒーローとして祭りあげられることになります。
 なんでも巷では「むかしの仁吉、昭和の大西まあちゃん」なんて囃歌が唄われたり、巡査までが「おなじ遊ぶなら、まあちゃんみたいになりなさい」といったというんですから、当時の大西がいかにビッグネームだったか、時代も環境もちがう僕等にも想像できようというものです。
 ここまでくると一種の熱病ですよね、ええ、大西は、まさに「戦後」という時代が生んだ熱病のような男だったんです…。

7.大西は、この盆踊り事件では、初犯ということもあって、わりとすぐに釈放となりました。
 しかし、その保釈中に、またもや事件を起こしちゃう。
 規則と拘束の巣である吉浦拘置所のなかで、縛られることが大嫌いな大西は、またしても鬱屈していきます。

----なあ、美能よ、わしは出たいんじゃがのう…。

 先に服役していた弟分の美能幸三(のちの「仁義なき闘い」の著者)にそう呼びかけても、むろんのとこ一介の囚人にすぎない美能にどうこうできるはずがありません。
 鬱屈の高じた大西は、やがて腹を決めます。
 その決め方というのが、なんとも大西流でまたもや凄まじい。
 
----おい、わし、今日出るけんの。

----保釈が、決まったのかいの?

----とにかくわしは先に出とるけん、シャバで待ってるからの…。

----……?

 いぶかる美能をあとに、大西は、拘置所で散髪係をしている男の部屋に向かうやいなや、

----おい、剃刀貸せい…。

 そして、どっかりとあぐらをかいて腹を出して、いきなり手にしたその剃刀でハラキリを敢行したというのです。
 半端じゃない深さ、腹の皮から腸が塊になって飛びだして、大西は、それを両手で抱えたまま病院まで歩いた、ということです。

----必死で抱えとったけん、重かった。しかし、腸っちゅうのは、思ったより重たいもんじゃのう…。

 なんという濃ゆいパトスの力か…。
 まったくもって常人じゃない、かの花形さんと通じる不気味な異種の力を、僕はこのエピソードに強く感じます。
 ここまで彼のエピソードを聴いたうえで、それでも俺は彼に喧嘩を売りたい、という喧嘩自慢がいたら、僕は、そのひとのことを偉い、と思う。
 僕は、とてもダメ…。
 だって、彼、一種の「天才」だもん、喧嘩を売るどころか、ファンになっちゃうよ。
 もちろん、重症の大西は即時釈放となり、大西は自分の言葉の通り、シャバにもどれることにあいなります---。

8.しかし、シャバにもどってからの大西の生きざまには、まさに死に急いでいるような趣きがありました。
 大西は、土岡組のライバルの山村組の若頭に引き抜かれ、弟分と可愛がっていた羽谷守之をはじめ、かつての仲間や舎弟たちと対立していくことになります。
 その自身の「裏切り」に鬱屈したのか、自身の焦燥の具合と比例するが如く、大西の生来の凶暴性は、さらに顕著に発揮されていきます。
 昭和24年の11月には、福山競馬で、八百長のいざこざから騎手を半殺しにして指名手配。
 翌年の1月4日には、妻と歩いているところを冷やかした、大西と名乗る男を銃撃して射殺。
 その月の18日に、呉の岩城邸に学生服を着て潜伏しているところを警察隊に踏みこまれ、大西は、警官ふたりを応戦して射殺したものの、背後から撃たれ即死するのです。
 享年27才---一代の阿修羅の生涯が、ここに完結しました…。


      



                           ×          ×          ×

 しかし、まあ、なんていうんでせうかねえ---。
 僕は、ここまで書いて、あの安藤昇さんの親分筋にあたる「愚連隊の元祖」万年東一氏のことをつい思いだしちゃいました。
 彼が、凄いことをいっているんですよ。

----命を投げだしてくる奴に、命を守ろうとしてる奴は、絶対に勝てねえ…。

 僕は、この言葉は真理だ、と思う。
 万年さんは映画「兵隊やくざ」のモデルになったひと---中国での戦争も,愚連隊同士の出入りも殺し合いも腐るほど経験している、いわばその道の超・オーソリティーです。
 その彼の言葉の通り、男同士のふたりが、いざ鎌倉というサイアク事態に陥った場合、僕は、半端な技術なんてまるごと吹き飛んじゃう、と思うんですよ。
 ルー・テーズが、ダニー・ホッジについて、「喧嘩なら自分よりホッジのほうが強い」といったのは、恐らくそういう意味でせう。
 喧嘩の王者・力道山が、あの花形敬を恐れた理由も、たぶん「それ」でせう。
 技術、体力---といったものが絶対の指針にならない、そういった不安定極まる「場」が、僕は、いわゆる喧嘩の空間というモノだと思うんだなあ、要するに。
 それ考えると、「最強」っていったい何なんだろうな? と、ふしぎになりますね。
 大西さんは、格闘技的にいうなら一介の「素人」です。
 打撃の基本のワンツーも、フェイントのバリエーションもたぶんほとんど知らないし、関節技なんてしたこともないと思う。
 でもねえ、僕は、そんな彼が喧嘩に弱いとは、どうしても思えないんですよ。
 格闘技でかなりの域までいってるひとは、僕がそんな風にいうと笑うかもしれない。
 けどねえ、イーダちゃんは、かの「悪魔のキューピー」大西政寛氏を、花形さんやホッジなんかとも張れる、最強のファイターのひとりであった、と考えているんです。
 そうして、いまもって、その考えはまったく変わっておりません…。m(_ _)m

   (注:この記事は、幻冬舎の本堂淳一郎氏の著作「悪魔のキューピー」から多くを拠っています。興味のある方は、そちらを参考にして下さいますように)

                                                    ---fin.
 

 
 

 





 

徒然その95☆<猪木 VS ロビンソン戦>のアナルシス☆

2012-01-22 22:19:41 | ☆格闘家カフェテラス☆
                       
             ----ゴングが鳴った…。やはりイノキはゴッチが言うように、それ以前に闘ったジャパンのレスラーとはまったく
             違っていた。私がその後に闘ったジャパンのレスラーを含めても、やはりナンバーワンだっただろう。
              (ビル・ロビンソン「高円寺のレスリング・マスター 人間風車 B・ロビンソン自伝:エスターブレイン社」より)



 えー、今回は思いっきしむかしの昭和プロレスの話をば!---1975年の12月11日、新日本プロレスのリング上で行われた伝説の名勝負「アントニオ猪木 VS ビル・ロビンソン」戦についてウンチクをたれたく思っているイーダちゃんなのであります。
 ただ、あまりにコレ古い時代の話だから、

----ええ、37年もまえのプロレスの話だって!? 正気かよ。

 とあきれるひとも多少はでてくるんじゃないか、と思います。
 ところで、いまのひとはこの試合のことをどれくらい知っているもんなんでせうかね?
 僕なんかの時代のいわゆる猪木ファンの立場からすると---注:僕はちがいます、僕はこのころからテーズのファンでありました---この試合を知らずして猪木を語るべからず! みたいなノリがだいぶ濃かったように記憶してます。
 実際、この試合ってマジ画期的なモンだったんですよ。
 国際プロレスの常連だった英国のテクニシャン、ビル・ロビンソンの実力は誰もが知ってましたし、また、彼の場合、人気も凄かった。
 猪木の当時の師匠であるカール・ゴッチと何度か時間切れ引き分けの死闘を繰り広げていましたし、その技々は、誰が見ても分かるような別格級の「斬れ」を宿してました。
 あのゴッチとも引き分けた、ヨーロッパ最強の男が猪木と闘う---!?
 これは、みんなが夢中になるのもむりないですって。
 ちなみに、当時の猪木と親日末期の、維新軍とかと闘っていたころの落日の猪木といっしょにはしないでね、くれぐれも。
 両者は、僕にいわせれば真赤な別人ですわ。
 全盛期の猪木は、それくらい神がかっていたんですよ。
 美しい若いライオンみたいだった。なんというか、それこそオーラがちがってたのよ。
 21世紀に入ったころ、漫画家の板垣恵介さんとかほかの方とかが、「猪木なんて大したことないよ。ヒクソンとやったら猪木なんて1分でやられちゃうよ」とか発言したのを何度か耳にしてはいたのですが、僕はそうした意見に組すことがどうしてもできませんでした。
 いやいや、猪木はいいレスラーだと思うぞぅ---(いくらか小声で)---。
 もっとも、猪木が世界最強だとは僕もたしかに思いやしません、全盛期のテーズやダニー・ホッジなんかのほうが、強さの点では明らかに上にいた気がする。
 しかし、その猪木が格闘家として弱いか、になると、これは少うし別問題じゃないか。
 あれだけトレーニングをしてて、しかも、素質に恵まれている猪木がどうして弱いだなんていえるんだ? いいや、決して弱くはないはずだ、というのが、まあ僕の当時の立ち位置だったわけ。
 ただ、その意見に同調してくれるひとが、当時はちょっと少なかったんですね---ほら、時代がちょうどグレーシー一辺倒のころで、プロレスに加担するのは手垢にまみれた保守政治家に投票するのと同様、みたいに見なされていたときのことだったから。
 そんなこんなでもやもやしていたら、ちょうど2004年に、折よくビル・ロビンソンの自伝が出版されたんですね。
 で、そのなかで、実力者・ロビンソンが、猪木のことを非常に高く評価していたんです---シューターとして、レスラーとして。
 これが、僕は非常に嬉しかった…。
 たしかにアントニオ猪木さんは、一社会人としてはめちゃくちゃすぎるキャラの男かもしれません。
 会社の金を自分の事業につぎこんじゃったり、腹心をあっさり切り捨てたり、部下を裏切ったり---たしかに破綻してる---それは、否定しない。
 しかし、社会人としての顔とリング上のレスラーとしての実力は、これは、まったく無関係ですもん。
 猪木は強かった、と僕はいまでも思っています。
 アリも、ロビンソンも、ゴッチも、テーズも口を揃えてそういってるのに、それをそこそこの素人連中がわけ知り顔で否定するなんておかしいよ、というのが、いいですか、今日の僕の立ち位置ですので。
 僕はぜんぜん猪木信者なんかじゃありません、しかし、今回はそっち寄りのサイドから、レスラー猪木の真の実力に光を当てていきたいものだ、と考えております。
 ロビンソン戦は、あくまでそのための触媒のつもり。
 世界公認のロビンソンの「フッカー」としての実力のフラッシュでもって、対戦相手の猪木の真の実力を影絵のように照らしだし、あぶりだしていこうというこの戦略(タクティス)…。
 うーむ、このもくろみがうまくいきますかどうか、さあさ、皆さん、お立合い、お立合ーい---(^0^)/


                 ×            ×             ×


 あ。この「猪木VSロビンソン」戦ね、実は、プロレス名勝負の典型ともいわれている試合なんですよ。
 2002年には、こちら、新日本プロレス創設以来のベストバウトに選ばれたりもしています。
 いわば、名勝負クラッシックス---既に殿堂入りも決定した、超・名士といった役どころ、ですか。
 ところが、あとからのインタヴューなんかを調べてみると、あらら、猪木さん、この試合になにやら不満気な面持ちなんですよ。
 猪木さん的にいうなら、いつものように試合展開を自分でプロデュースできなかった、そのあたりにどうも悔いの残る試合であったらしいんですわ。
 えー、こんないい試合だったのに? と僕なんかは思うんですが。
 試合相手のロビンソンにしても、試合後のインタヴューは大変爽やかなもんでした。

----どうだい、いい試合だったろう? テクニックでは私のほうが勝っていたと思うが、イノキというのは大した奴だ。これから凌ぎを削っていくライバルになっていくんじゃないのかな…?
 
 うーん、さっぱり、いいなあ。ロビンソンはスポーツマンですね!
 ところが猪木さんはそうじゃない、スポーツマンシップといっしょに芸術家的な気風も宿してる猪木さんは、一般的なアスリートよりナルシスティックで気難しいきらいがあるのです。
 特に、グラウンドでの展開をコントロールしきれなかった、という部分が、猪木さん的には過去においてあまり例のなかったこともあり、どうしてもそこが「悔恨」のツボにひっかかってしまうようなんですね。
 もっとも、この点は、いかにロビンソンというレスラーが強かったか、という逆証明にもなる事実だと僕は思うのですが。
 なお、この試合には「立会人」として、テーズとゴッチというプロレス界の二大巨頭がともに招待されておりました。
 そのテーズ氏の試合評が面白いんで、ちょっと書き抜いておきませうか。

----…レスラー仲間でフッカーと怖れられていたロビンソンには非常に興味があり、ゴッチと二人でその卓越した技の数々を絶賛しあったが、とにかく技のキレでは圧倒的に猪木を上廻っていた。対して猪木は無尽蔵のスタミナでロビンソンの息切れを待ち、60分時間切れ寸前に決めたオクトパスで辛うじて引き分けに持ち込んだ。内容的には僅差でロビンソンがリードしていたが、実力的にはまず互角と言ってよく、私自身、「現役でいる間にロビンソンと一戦交えておこう」という目標ができた…。(ベースボールマガジン「鉄人 ルー・テーズ自伝」より)

 さすが鉄人---無尽蔵のスタミナなんてうまい表現だなあ。
 ダム、ライ(まさしくその通り)、この試合は、粘っこい猪木のグラウンドとサブミッションの展開を、ロビンソンの剃刀テクがときおり激しく切り裂き、新たな局面をきりひらいていく---といったような流れが基本になっていたと思います。
 ひとことでいうなら、「粘り腰・猪木 VS 稲妻ロビンソン」といった感じかな?
 もっとも、猪木の粘っこいグラウンドの流れを断ち切るロビンソンの技が、そのたびごとにあんまり鮮やかなんで、全般的にどうしてもロビンソンのほうに光があたって見えちゃったという感じはありましたねえ。うん、いつでも彼が試合の主導権を握り、立場的にも常時一歩リードしてるみたいに見えたというのは本当です。
 対して、猪木のイメージは、光ではなくて影でした---地味だけど強烈なサブミッションで、あくまで粘っぽく水面下からロビンソンを追い、隙に乗じてロビンソンの艇を撃つ隠密舟といった役どころ。
 さて、そんなふたりの技の絡みが実際にどんな展開をたどって進んでいったのか---猪木サイドとロビンソンサイドに分けて図にしてみましたので、まずはそれを御覧あれ。
 

                     


 そうなんです、猪木の光った箇所、ロビンソンの光った箇所をこうやって比較観察してみると、猪木が光ったのは主に粘り腰のグラウンド展開において、ロビンソンが光ったのは瞬発系の大技とかの瞬間に多かった---といったさきほどの第一印象にまたしても逢着してしまうんですね。
 たとえば、猪木がこの試合中、最初に輝いたシーンはどこか?
 僕は、それって試合開始の4分すぎ、両者手さぐりの状態からロビンソンに決めた、フロントのフェイスロックのときじゃないかと思います。
 これは、がっちし入ってました。(ページ冒頭にUPしたフォトがそう。参照あれ)
 フロント・フェイスロックは、84年にUWFのリングで藤原義明がはじめて決め技として使い、その後ようやく実戦的なコワイ技として観客に認知されていくのですが、それまではこんな地味な技で試合を「決める」なんておよそ考えられないことだったのです。
 実際、猪木もこの技で試合を「決め」ようとはしていない。
 しかしながら、この技で決められたほうのロビンソンにしても、かつてこの技に関してこのようなコワイ発言をしていたことが過去にあったんです。

----私がもしリングで相手を殺すつもりなら、フロント・ヘッドロックの体勢からのFLをやるね。自分の上腕を相手の左ホオ骨に食いこませて、そのまま持ち上げるように締めれば、首の骨なんて簡単に折れるからね…。(92年2月発言)

 そして、この試合の冒頭において、猪木さんが名刺代わりに使用したのは、まさにそのようなフェイス・ロックなのでありました…。
 これって強烈な自己紹介ですよね?
 恐らく、この時点で猪木さんはロビンソンに、シュート・レスラーであるところの自分を身体でもってこう表明したのです。

----おい、俺はこういう技を知っていて使えるレスラーなんだからな。ナメるなよ…。

 で、ロビンソンはすぐさま猪木のこのボディ・メッセージを了承したわけ。
 試合後10分すぎ、ロビンソンは、ロープ際から電光石火のサイド・スープレックスでいきなり猪木を場外に放り投げ---1975年の時点でこのように危険な投げっぱなしスープレックスを使うレスラーは、彼以外にはいなかったのですよ---このメッセージに対し誠実に返信します。

----OK。そっちがその気ならこっちもいくらでも行くからな。そっちこそナメるんじゃないぜ…。


                                                 

 ハ、ハードボイルド!---これって震えがくるくらい高度で濃密なコミュニケーションじゃないですか。
 両者の鍛えぬいた技と火傷するようなプライドの高さに、イーダちゃんはクラクラ痺れます。
 ほんの開始10分でコレだもん---この試合がいまもって名勝負と語り継がれてきているのは当然だと思いますね…。


                              ×            ×            ×


 さて、そのようにしてお互いの実力を探りあい、さまざまな技で相手が「シュート」であると確認できたふたりは---その具体的一例:猪木が4分すぎに「決めた」フェィスロックをロビンソンは5分すぎ、猪木の顔面の右目下の急所に手をあてるという「裏ワザ」で外そうとしています。その痛みから猪木はF.Lをいちど解くのですが、まったく動揺せず、再度F.Lを仕掛けてていくあたりは「シュートレスラー猪木」の面目躍如たるところ、是非とも注目してほしい場面です。映像を所有してるひとは確認必須!---試合開始10分すぎ、ロビンソンが放った場外へのサイドスープレックスを皮切りに、新たなる試合展開にもつれこんでいきます。
 それは、名刺交換が終ったふたりが、いよいよ万を持して己の手の内を見せあいはじめるような展開でした。
 試合開始4分で放ったフェイスロックではロビンソンをそーとー苦しめた猪木でしたが、立ち技系だとロビンソンの瞬発力と非凡な運動神経に阻まれ、どうしても後手にまわりがちだった事態にやや焦れてきたのか、ラフっぽい仕掛けをする展開が徐々に増えてきたのです。
 ロビンソンも気が強いもんだから、そのたびにボクシングポーズなんて取って、リング上にさっと緊張が走る場面が幾度となくあって---そんな流れがふっととまったある瞬間、ロビンソンが何気に猪木の背に周ると---
 あっ、と思った瞬間、ハイアングルの振子式ワンハンド・バックブリーカーが、見事に猪木に決まっておりました。
 これは、いま見ても電光石火の一撃でしたね。
 全盛時のテーズのバックドロップ級のすばやさ!
 まさに抜き身の一発---バックドロップっぽいフェイントをかけてからの入りだっていうのも効いた。
 身体が異常に柔軟な猪木だからこそ、なんとか3カウントは逃れらたんですが、これは、猪木サイドからすると、ひょっとしてこの試合中いちばん危機的な場面だったのではないでせうか。
 事実、猪木はのちのこの場面を自身でこう回想しています。

----あの一発が苦戦の原因だった…。

 ええ、当時のロビンソンのこういったスープレックス系ワザの切れ味は、それっくらいハンパじゃなかった。
 ここ、ひょっとしたらこの試合全体の最大の山場だったかもしれません。
 「あっ。やられた」と必死に逃げる猪木と、ここが勝負どころと何度も体固めに固めようとするロビンソン…。
 悔しいけれど、あれは、猪木の投げを完全に凌駕してましたねえ。猪木のバックドロップはたしかに華麗でしたけど、どっちかというと天性の柔軟性に頼った「ふにゃあ」って感じの動きじゃないですか? でも、ロビンソンのはビシッ、ドーン! の筋金入り、それこそ「斬れ」まくりの投げでしたから。
 えーっ、投げ技ってこんなにシャープで速いんだ、と当時僕は小学生だったのですが、観戦しながら唖然とした記憶がありますね。


                         


 このワンハンド・バックブリーカーは、ホント、強烈でした。
 猪木の積極的な動き、これでしばらくは完全にとまっちゃいましたからね。
 それから逆エビの攻防が互いにあって、17分すぎ、ロープ際の猪木に背後から何気にボディーシザースにいったロビンソン---その油断した足首にうえから自分の両足をかぶせるようにして、猪木がレッグ・ブリーカーにいったんですね。
 正確には、これ、変形のヒール・ホールドだそうです。
 これが、決まってた!
 うん、強烈に入ってましたね。
 ロビンソンの尋常じゃない苦しみようと、その肌の紅潮加減を見れば、誰でもその点は了解できるかと思います。
 20年後のU系の団体で大ブレークするあのアブナイ技を、このとき猪木はすでに披露していたわけですよ。
 身体を入れかえたロビンソンが逆さ押さえこみみたいなブリッジをして、結局この変形ヒールホ-ルドは外されちゃうんですけど、5分すぎに決めたフロントのフェイスロック、あと、20分すぎに決めたヘッドシザースとともに、僕は、この3大基本技がもっともこの試合中ロビンソンを苦しめた技なんじゃないのかな、と解釈しているんです。
 そう、こうやって試合の流れをひとつひとつ追っかけていきますとね、猪木がロビンソンを追いつめたのは、とてつもなく地味めな技が多かったってことがだんだんに分かってくるわけ。
 ガス灯時代のプロレスじゃないですけど、猪木ってレスラーの本領はもしかしてそういうところにあるのかなあ、と思えてきたりもします。
 そう、猪木の理想とするプロレスって、もしかして飛んだり跳ねたりなんかまったくない、とてつもなく地味で粘っこいグラウンドが延々とつづくような、こんな試合なんじゃないのだろうか。
 だって、試合のこういう展開になると、猪木が心底嬉々としてくるのが分かるんですもん。
 うーん、猪木ってレスラー、実はそうとうに地味なんですよ。
 色に喩えるなら「鈍色」?
 スープレックスや喧嘩殺法なんていうのも、もしかしたら自分のそうした本質的芸風を認識したうえで、プロとしての幅を広げるためにあえてレパートリーに取り入れた蛍光色なのかもしれない、なんて余計な邪推なんかもしてみたくなってきます。
 ま、想像ばかりが先走りすぎてもなんですんで、このあたりでリアリズムに回帰、17分すぎに猪木が決めたレッグブリーカー(実はヒールホールド)のフォトでも御覧になってくださいな---。


                         


 いままでの論旨の流れを、このあたりでちぃーっと整理してみませうか---。
 えー イーダちゃんはこの「猪木 VS ロビンソン戦」に関して、見るべきポイントが両サイドごとに3ポイントづつある、とまあ考えているわけなのでありますよ。
 それは、猪木サイドからすると、

 一、5分すぎのフロント・フェイスロック。
 二、17分ごろに決めたレッグブリーカー(正確には、変形のヒールホールド)。
 三、20分すぎに決め、25分すぎまで締めつづけたヘッドシザース。

 ロビンソン・サイドからすると、

 一、10分すぎにロープサイドから繰り出した、場外へのサイドスープレックス。
 二、15分ごろいきなり決めた、電光石火のワンハンド・バックブリーカー。
 三、52分ごろ、試合の終盤で繰り出した、猪木の首がグシャッとなった、危険なジャーマン・スープレックス。

 試しに、両者の三番の技写真を、下にならべて比較観察してみませう。
 この試合全体を象徴する両者のレスリングの本質と差異点が、この2枚の写真からそれこそ炙りだしのように浮かんでくるのが見えてきやしませんか?


        


 僕は、見えてくるように思います…。
 
 あのルー・テーズは、かつて「私には、バックドロップよりもダブルリスト・ロックの方がずっと重要だった」とか、「もし、たったひとつの技しか使わないでレスリングの試合をしろといわれたら、私ならダブルリスト・ロック(ヨーロッパ流にいうならチキンウイイング・アームロック、日本流にいうなら腕絡みですか)を選ぶ」なんて驚くべき発言をしています。
 恐らく、猪木にしても、それと似たようなことを感じていたのではないでせうか。
 プロとして、客を沸かせる卍固めは大事で重要だけど、実戦的なサブミッションという見地から考えたなら、自分的には、フェイスロックやレッグブリーカー、あるいはヘッドシザースなんて基本技の方がずっと重要だった---みたいにね。
 むろん、猪木はそんなこと、どこのメディアでも一言もいってないのですが、僕はどうしてもそんな風に感じてしまうのです。
 このページで試合終盤に猪木の決めた、あの劇的な「卍固め」にあんまり触れず、ページ冒頭にがちがちのフェイスロックのフォトをUPしたのもそのためです。
 僕には「卍固め」よりも「フェイスロック」のほうが、いつでもより「猪木的」な技として自分内チャンネルに映っていたのですよ。
 うーむ、ところでこの本能的な僕的察知、貴方はどう思われます?
 なに、根本的にズレている? 完璧な的外れもいいとこですって?---あららら、がっくしだ。
 それとも、実は、貴方も以前から薄々とそんな風に感じていらっしゃった?
 だとしたら凄く嬉しいな---このあたりの機微を察知して共感してくれるひとがいることを知るのは、僕にとって大きな喜びです---こーんな趣味的な独断ページをはるばる編んだ甲斐もあるってなモンですねっ。(^.^;>


                        ×          ×           ×

 大好評に迎えられたこの「猪木 VS ロビンソン戦」ですが、残念ながらロビンソンが新日本のリングを去ってしまったため、両者の顔合わせはこの一回きりになってしまいました。
 うーむ、無念なり…。
 現在、ビル・ロビンソン氏は74才---1999年に元プロレスラーの宮戸さんが東京・高円寺に設立した、U.W.F.スネークピットジャパンのヘッドコーチとして、伝統のキャッチ・アズ・キャン・レスリングの普及のために、日夜頑張っておられるとのことです。

        www.uwf-snakepit.com/affiliation.html  

 凄いなあ、一生レスリングづくしの人生なんて!
 超・輝いてる---めちゃ、格好よし、です。
 なお、こちら、一般の人間も通うことのできるジムです。打撃も教えてるらしい。
 ランカシャー・スタイルのレスリングに興味のある方は、ええ、是非にも訪ねてほしい、と思いますね---。
 


                      




 


                 

 
                        

徒然その72☆シューターたちのセメント・タイム☆

2011-07-22 09:25:37 | ☆格闘家カフェテラス☆
                        

 こんばんは。今夜のこのページは、ひさびさ男性読者限定のページです。
 超ひさかたぶりの☆格闘家カフェテラス☆---この大好きなページが上梓できるのは、なぜだかイーダちゃんが人生上で絶好調でいるときに限るんですよね。私事で恐縮ですが、去年から退職やら職探しなどいろいろありまして、なかなか当ページを進められずにモタモタしていたんですが、幸い、いまの新職場の調子がなかなかよくってね、今日、ここにこうして、こういう荒唐無稽なわがままページを綴ることができることは望外の喜びです。
 じゃ、ま、そのハイテンションを連綿とキープしつつ、例によって、あの無意味なクエスチョンをいきますか?
 せーの、

----誰がいちばん強いのか?

 ねえ、あらゆる婦女子に、こんな設問はホント無意味だと思うんですけど、実は、男性っていうのは、このテの荒唐無稽な質問に、限りなくノスタルジックな憧れを感じてしまう劣等人種なんですよ。
 残念ながら、僕もそのひとり---。
 幼少のみぎりより、格闘技には非常に興味がありまして、空手をやったり古武道にのめったり…。
 そんなイーダちゃんのアイドルは、なぜかアメリカン・プロレス全盛期の統一NWAチャンピオンのルー・テーズなのでありました。
 といってもイーダちゃんの年齢とテーズの全盛期が重なるわけもなく、僕がテーズを知ったときには、テーズはとっくに936連勝時の、全盛の真夏の時代と別れを告げ、レスラーとしての秋の時代に入りはじめてしばらくたったころでした。なのに、猪木よりシビレたんです、もー どうしようもなくね。そうして、結局、小学校のころからいままでずーっと好きでいつづけたわけですから、これは、なんか、途轍もないファン歴ですよ。
 プロレスというと、いまの方は「うへぇ?」とうさん臭げな色眼鏡で見るかもしれませんが、全盛期のアメプロって、いまのバスケや野球より権威があって人気もあったんですよ。信じられないかもしれないけど、「キング・オブ・スポーツ」って呼ばれていたの、あのプロレスが。そんな華やかな業界には必然的に凄い選手もいっぱい集まるわけで、そのなかで不滅のトップを張りつづけた稀有のレスラーが、かのルー・テーズであったわけなんですよ。
 この重みがお分かりでせうか?
 これは、かなーり凄いことなんですよ、率直にいわしていただくと。
 実際、この時代のタイトル・マッチなんかを見てると、いまのボクシングの世界戦を見てるような感覚なんですよ。
 ですから、まあ、このころのテーズのフィルムを見て魅了されないのは、格闘技というものの本質を知らないニンゲンだと冷たくいいきってしまってもいいんじゃないか、と思います。
 あのマス・大山も初渡米の際、全盛期のテーズを見て、そのしなやかな強さに衝撃を受けてます。
 あの傲慢無頼の喧嘩の王者・力道山にしても、テーズのことは死ぬまで尊敬しておりました。
 そのくらい、全盛期のテーズっていうのは凄かったんです…。
 美しくって、速くて、強くってね---もー たまらんのですわ、この三拍子が。
 ま、そのへんの詳細は、僕の過去のブログ、徒然その14☆ルー・テーズを科学する☆を読んでいただくなり、you tube で彼の動画を探すなりしてもらえればね、充分わかってもらえると思うんですが。
 通常レスリングの試合はいうに及ばず、レスリングの試合で相手がふいに試合の枠組を超えた「シュート・マッチ」を仕掛けてきた場合も、テーズは非常に強かったそうです。
 ハワイの試合で、初頭から滅茶苦茶な頭突きを仕掛けて来た大木金太郎戦のときには、そのサザエのような拳で弩濤の反撃、大木金太郎の額に45針にも及ぶ大裂傷を負わせたり、1953年の試合のさなかにふいの急所攻撃を見舞ってきたアントニオ・ロッカ戦では、怒りの正当防衛的「危険な」なバック・ドロップで、ロッカの肩をあっさり脱臼させてしまったり…。
 怒り狂ったときのテーズは、それはそれは怖かったそうですよ。
 そりゃあそうだ---元来が全盛期の猪木の柔軟性に、ゴッチ並の関節技のテク、それに佐山聡の運動神経をプラスしたようなお方ですからね。こういうおひとを怒らせたりしちゃあいけません。
 ところが、そんなテーズすら恐れるような男が、当時のプロレス界には何人かいたというんですから、まっこと世界っちゅーのは広いなあ、と呆れずにはおれません。

 その筆頭がこの方ですね---ページ冒頭にUPした左端のフォト---NWAの世界ジュニア・ヘビー級王者、鳥人ダニー・ホッジ!
 ホッジが出てきたら、オールド・タイマーのレスラーたちは、みんな、「イヤだなあ」と思うそうです。
 僕はレスラーでもなんでもないんですが、その感覚はちょっと分かります。このひと、体重90キロ代のジュニア・ヘビー級の身体のくせに、強いこと強いこと。いや、もっとはっきりいうなら、あんまり強すぎるんですよ。嫌味なくらい強いっていうか。試しに彼の特殊な経歴を紹介してみませうか。
 
   <ダニー・ホッジ> 
 1932年5月13日生まれ。牡牛座。
 身長180センチ。体重95キロ。
 オクラホマ大学のアマレス部で活躍し、全米選手権3度制覇。
 1956年には、フリースタイルとグレコローマンの両種目を制覇。
 52、56年のオリンピックではミドル級銀メダルを獲得し、その後プロボクサーに転向。
 1958年には、ゴールデングローブ全米ヘビー級王者に。
 その後、プロレスに転向。
 1960年7月には、リロイ・マクガークを破り、NWAジュニア・ヘビー級王者に。その後、12年5か月、王座を維持する。
 が、1976年3月、自動車事故で首を骨折してNWA・JR王者のまま引退---。

 こう書くとフツーの履歴に見えますが、これに補足が入ると凄いんですよー。
 まず、ホッジのアマレス開始の動機なんですが、47年の4月、アマレス経験なしのホッジが中学3年のとき、ホッジのガタイに目をとめた体育教師のテッド・レックスの「おい、君。素質ありそうだから、州の試合に出てみないか?」との勧めで、冷やかしみたいな感じで州のアマレス大会137ポンド級に出場してみたところ、なんとホッジは71人中3位! 
 ズブの素人のくせに---これって反則だと思うな。
 高校に入学して本格的にアマレスをはじめたら、もうほとんど敵なし状態。
 で、アマレスを極め、ボクシングに転向したら、そこでもまたまたトップになっちゃう。
 こういうの、どういったらいいの? 「天才」といってお茶を濁すしかないのかな?
 真面目にコツコツやってるひとたちの努力はいったいどうなるの! と僕的には叫びたいんだけど、ピアノのホロヴィッツや、喧嘩界の花形敬みたいな飛びぬけた存在は、どうやらどこの分野にもいらっしゃるようで、ホッジもさしずめそういった存在の、不条理人間のおひとりだったんじゃないのでせうか。
 いや、ホッジの場合は、「天才」というより「怪物」といったほうがむしろ適当かな?
 なにせ、どのエピソードも凄すぎるんですよ。試合中、前後不覚に眼がトロンとなって「キレる」くせがあったこと。握力が異様に強かったこと。移動中の選手同士のバスの席で公然とマスターベーションをする性癖があったこと。さらには76年の自動車事故のエピソードがグロイ---このとき、ホッジは自分のクルマの運転を誤り、クルマごと高速で湖に突っこんじゃったそうなんですが、このとき、ホッジは折れた自分の首を片手で支えながら、泳いで湖の岸までひとりで辿りついたっていうんですから…。
 ゾーッ。これは、なんか、ニンゲンじゃない…。いっちゃ悪いけど、フツー死んでますって。
 ここまでタフだと、逆になんだか気味わるいっていうか…。
 ダニー・ホッジっていうのは、そういった「ゾッ」とするアブナイ部分をそこかしこにもちあわせた、なんとも不敵な、一種の突然変異の怪物みたいなおひとだったんじゃないでせうか?

 そういえば、僕は小学校1年のときに、馬場と猪木のBI砲 VS ウィルパー・スナイダーとホッジのタッグ戦をおばあちゃんの家のTVで観た記憶があるんですが、ホッジ見るの、なんか強すぎて嫌だったもんなあ。
 若い、全盛期の猪木がなんにもできなくて、場外でコブラツイストをかけたままクルクルまわって、リングアウトで逃げた、みたいな印象しか残ってないんですよねえ…。
 あの体力キングだった若き日の鶴田も、50才のホッジに押され押されて、30分を必死で戦っていた全日本の試合なんかが思いだされもします。
 なんというか、テーズや猪木だったら「うん、強い!」と頬を紅潮させて素直にいえるんですが、ホッジの場合はどうもちがうんですよ。

----うん、めっちゃ強いよね? で、それが?

 なんて、こっちがつい皮肉気な茶々を入れたくなるような、なんというか、ふしぎなキャラのレスラーでしたねえ。
 うん、「華」がないんです、このひと---けれども、鈍色の、超・リアルな強さ遺伝子を、DNA単位で濃厚にもちあわせていた稀有なひとだったように思います。
 そんなホッジを評してテーズいわく、

----ストリート・ファイトをやらせたら、ホッジこそ文句なく史上最強。

 テーズ大ファンであるインタヴューアーの流智美さんがそこで「えっ!」とつっこんで、

----でも、サブミッションの技術にかけてはテーズさんが上なんでしょ? なのに、なぜ、ストリート・ファィトではホッジのほうが上なんですか?

----ストリート・フアィトは<いち、にの、さん>で始まるもんじゃないだろ。相手が戦闘態勢に入る前にぶん殴ったほうの勝ちさ。たとえば、こうしてタクシーの中で口論になったら、ホッジが私のことをぶん殴ってきたって、こんな狭いところじゃサブミッションも何もないだろ? ありとあらゆるシチエーションで、もっとも喧嘩術にたけた男がホッジだというわけさ…。
                                                       (別冊宝島204「プロレスラー秘読本」<史上最強の用心棒>より抜粋)

 うーむ、リアルな証言なり…。
 でもまあ、これをもってホッジの紹介は終わり。次は、その右隣りのちっちゃな四角の枠ななかの四角いレスラーの紹介にいきませう。
 彼の名は、ディック・ハットン!
 彼がどんなレスラーだったかは、次のテーズ評がいちばんよく表しているかと思います。

----私の相手で最も強かったのは力道山とハットンの2人…。

 あるいは、

----グラウンドでは古今東西ハットンに敵うレスラーはいない。むろん私も含めてさ。ゴッチ? 立ち技ではハットンより上だが、寝たらとうてい手に負えまい。ハットンこそピュアなシュートといえる…。

 さらには、日プロ時代の吉村道明の証言なんかもひっぱってきませうか。

----いやぁ、強い! クラウザー(ゴッチ)より、強い!

 歴戦の男たちがこれほど声をそろえて斉唱するということは、これは、ホンモノにまちがいなさそうです。
 しかし、世の中には強い奴がゴマンといるんだなあ、はあ…。
 こういう桁外れなエピソードを聴くと、凡人のイーダちゃんは、ついため息なんかが出てきちゃうんでありますよ。
 
 その右の超・ごっつい男子は、ロシア系のカナダ人、岩石男ことジョージ・ゴーディエンコであります。
 この異常なガタイと佇まいを見たら、誰も彼に挑戦してこないだろうなと思わせる、この強力無比なド迫力を見よ!
 全盛時になんと胸囲が150センチあったそうですから、このひともそうとう強かったようですねえ…。
 スタイナとパワーが人間離れしていた方だったようです。得意技はブロック・バスター。テーズと90分フルのマラソンマッチをこなしても息ひとつあがらなかったとか…。
 まずはテーズの証言を聴きませう、ハイ。

----ディック・ハットン、ダニー・ホッジ、ゴーディエンコ、力道山の4人が私の生涯対戦相手のベスト・フォー。

 あと、あのドイツのローランド・ボックもゴーディエンコを「最強」だったといってます。国際プロレスのラッシャー木村も然り。

 しかし、みんな超・ド級に凄いけど、やっぱり、このなかでいちばんキナ臭い、実戦の「危険な」匂いを発散させているのは、誰がなんといってもダニー・ホッジじゃないでせうか。
 ハットン、ゴーディエンコのおふたりは、端的にいってスポーツマンの顔をされてるんですよ。
 いうなれば、スポーツマン・シップを心得た、猛烈に強い「豪傑」といった役どころ。
 でもね、ホッジはちがうんです。
 彼の故郷は、スポーツじゃないですね。彼の眼光からは、なんか濃い「地獄」の香りがしています。僕のUPした写真からも、それを気取れるひとは気取れると思う。ええ、立っている土壌が、てんでちがうんですよ。ハットンとゴーディエンコはスポーツ界を極めたキングかもしれませんが、ホッジはちがう、彼の役どころは、有力筋の貴族系貴婦人の庇護を得た、古代ローマの実力派の雇われ剣闘士といったところです。
 そう、地肌に血の匂いがこびりついているような、凶暴で、残酷な、なんともいえないケダモノの色気があるんです。
 そんな禍々しいオーラが、ねっとりと上半身を包んでいるっていうか。
 これは、なんちゅーか、「喧嘩師」の顔ですよ。
 ふるーい愚連隊用語でいうなら、いわゆる「ヤクネタ」系の顔。
 僕は、ホッジのこの完成された喧嘩師の面構えを見るたびに、我が国の誇る、ひとりの偉大な喧嘩師の顔を反射的に思いうかべるんです。
 それは、もちろん、日本中のプロの暴力団の方から、満場一致で喧嘩ニッポン一と謳われた、あの伝説の男、花形敬であります---。
 僕、徒然その33☆花形敬のレクイエム☆で彼の特集やってますんで、興味のある方はいちど覗いてみてやって下さい。
 ホッジのなかにあった何者のまえでも決して立ちどまらない「狂気」は、あの花形敬の顔のなかにも見つけられます。
 参考資料として花形さんのフォトもちょっとここに挙げておきませうか。

                          

 うーむ、何度見ても肝のすくむ、凄い面構えだなあ…。
 プロレス界随一の喧嘩師「ダニー・ホッジVS花形敬のセメント・マッチ」は、是非、見たかったですねえ。
 こういうと「ふざけるな。プロの格闘師とヤクザとはいえ素人の喧嘩とじゃ、はなから勝負になるわけがないじゃないか。プロは毎日、とことん鍛えてるんだ。プロをなめるな!」なんてお叱りを受けるかもわかりませんが、それは花形敬という男の内実を知らないひと特有のお言葉かと。
 花形敬は天才ですよ。闘争の天才。
 プロの格闘師のように連日格闘技の稽古に明け暮れてたわけじゃありませんが、十代のころ一時期通っていた経堂の成城拳闘クラブでは、現役のチャンピオンをスパーリングでKOしてますし、彼からは「君は絶対に本気でひとを殴っちゃいけない、そうしたら相手が死ぬから」みたいな、いわずもがなみたいなことまでいわれてる。

----花形の喧嘩のとき、俺たちは、どっちが勝つかじゃなくて、花形が1発で倒すか2発で倒すかで賭けた。花形のパンチは鉛みたいに重いんだ。相撲取りでも膝をつく…。

 よーっぽど規格外の、怪物野郎だったんでせうね、あの鳥人ダニー・ホッジに負けず劣らず---。
 そりゃあ、花形は寝技や関節技は知らないかもしれません、しかし、総合やグレーシーでいうところのポジション取り---それに武道でいうところの「間合い」感覚においては、比較するものがないくらいの天才だった、というのが僕の持論なんですから、勝敗は、これは案外分かんないっスよ。
 もっとも、ほかと比較できないくらいの超・凄玉のおふたりですから、もちまえの臭覚と本能的察知でもって、あらかじめお互いのことを煙たく思い、対決自体を何気に避けちゃってたかも、なんて醒めた見方もありですけど…。(^.^;>

               ×          ×           ×

 それでは日本の花形さんついでに、外国のあっち筋のストリート・ファイターのことも最後にここにご紹介しておきませうか。
 その男の名は、ダッチ・シュルツ(1902-1935)。
 NYのブロンクス生まれのドイツ系米国人。本名アーサー・フレゲンハイマー。(うあー、ドイツっぽい名前だなあ)
 彼は、あの禁酒法時代の米国で、カポネやあのラッキー・ルチアーノらと派を競った、モノホンのギャングさんです。
 彼がどんな男だったかは、論より証拠---このフォトをまんずご覧になってください。

                          

 このフォト、怖くないですか? 
 僕は、最初にこのフォト見たとき、ゾクッて震えましたよ。
 徒然その33☆花形敬のレクイエム☆で紹介した花形写真とおなじように、まったくリミッターのタガの外れたお顔がそこにあったから---。
 どうです、この顔? 僕的には非常にコワイんだけど。少なくとも、これほど酷薄で野獣的な顔っていうのを僕はほかで見たことがありません。この残酷そうで淫蕩な笑みを見てください。ひとことでいってヴァイオレンスそのもの。一目見て「ミスター・暴力」だと確信しました。
 ダッチ・シュルツは、禁酒法時代のNYで、ビールの利権を一手に握り、ナンバーズの賭博やレストランのプロテクションなんかにも手を広げていた、独立系のユダヤ・ギャングでした。頭は切れるものの、どうも直情的で抑えのきかない、無茶苦茶テンションの男だったらしい。1935年には、縄張りの分配のイザコザがもとで、側近の部下のボー・ワインバークを素手で殴り殺したりしています。
 やっぱりね、これは、どっから見てもそういう顔ですよ…。
 最初に紹介したホッジや花形さんに対してもっているような「敬意」は、僕はこのシュルツにはまったく抱いてないんですが、「喧嘩」はすさまじく強かったと思いますよ、彼は。
 1934年にFBIから「公衆の敵ナンバーワン」に指名されて、彼は、検事のトマス・デューイを暗殺しようともくろむのですが、そんなことをされたら商売あがったりだ、と真っ青になったラッキー・ルチアーノらのシンジゲートの標的となって、1935年の10月、NYのレストラン、パレス=チョップ・ハウスのトイレで用足ししているところを銃撃され、その3日後に死亡するのですが、撃たれながらもレストランの自席まで死にもの狂いで這いもどっていったという逸話が凄い…。
 絶体絶命のそのときに吐いたセリフが、ちょいとカッコいいんです。

----賭けるならお袋に賭けることだ。そうすれば悪魔にクジを引かれることもない…。

 一緒に銃撃された部下は、みんな即死しちゃったのに、このシュルツだけは即死せず、3日も生きのびたっていうのは、いかにも一代の怪物クンらしいタフネスさじゃないですか。
 なお、この昏睡状態の3日間のシュルツの朦朧まじりの発言は、すべて警察の速記者に記録され、ウィリアム・バロウズの「ダッチ・シュルツ最後の言葉」等、多くの本や映画の題材になりました。
 やはり、多くの方の食指をそそる部分のある、一種モンスター的な男であったようで…。
 興味のある方は、暑気払いがてら、ご自分で調べてみるのも一興かと存じます---。<(_ _)>
                       



 







         

徒然その33☆花形敬のレクイエム☆

2010-12-10 21:33:19 | ☆格闘家カフェテラス☆
                             

 この☆格闘家カフェテラスのコーナーは、ここだけの話、あんま人気ないんですよ。
 自分的には非常に気に入ってて、前回のルー・テーズ以外にもいろいろと暖めているネタはあるんですが、なにせ人気がない。アクセスしてくる方がとんとおられない。
 というわけでいま現在、必然的にやり甲斐のない、秋口のとぼとぼ散歩道的なたそがれページとなりつつあるんですが、実をいうと僕、どうにも好きなんですよねえ、このページ。
 ブログ、というジャンルであることを最大限利用してこれからも細々とやっていけたらなあ、なんていまのんきに思ったりしているのですが、今回のカフェテラスのゲストは凄いですよ---なんと、あの伝説の喧嘩師!---花形敬さんなんであります。
 うわーい、ぱちぱちぱち。(口笛、指笛等の高い音も)
 なぬ、この方をご存じない?
 話のそとだ、そんなのは、おとといおいで! と勢いにまかせていいたいところですが、そんな傲慢対応かましていた日にゃあ僕自身の明日もないし、わざわざ訪ねていただいたお客さんに対しても申しわけない、ということで改めて初心にかえって、この方のプロフィールを紹介させていただきませう。

  -----花形敬。
     1930年小田急沿線の経堂に、良家の子息として生まれる。
     千歳中学校を自主退学ののち国士舘中学に移籍。そののち明治大学予科に進みラグビー部に所属。身長182センチ。
     1950年、渋谷の安藤昇の舎弟となり、無類の喧嘩の強さから大幹部に引きたてられる。
     前科7犯、22回の逮捕歴あり。相手が何人いようが刃物をもっていようが、自らは決して武器をもたない
     「素手喧嘩(ステゴロ)」で通し、いざ喧嘩となった際の凄まじさは、あらゆる暴力団関係者から例外的な
     伝説としていま現在も語り継がれているほどの特別の存在。いわば暴力世界のカリスマ。
     漫画「グラップラー刃鬼」の花山薫のモデル。
     東映映画「疵」では陣内孝則が、「安藤組外伝」では哀川翔が、それぞれ花形役を演じた。
     全盛期の力道山をビビらせたこともある。1963年9月27日、組関係の抗争から刺殺される。33才だった。

 どのエピソードも人間離れしていて凄いんですが、現(?)住吉連合常任相談役の石井福造氏のこの回想が極めつけにすさまじいので、この場を借りてちょっと紹介しておきませう。
 渋谷の盛り場で、この石井さんが若い衆に命じて、なんか金品巻きあげのようなことをやっていたらしいんですよ。
 で、ひとりになって靴磨きに靴を磨かせていると、いつのまにか10人をこえる土方の一団にまわりをすっかり囲まれていたことに気づくんです。めいめいがツルハシとかハンマーをもってて---要するにお礼まいりにやってきたというわけなんです---石井さんも普通のおひとじゃない、腕には自信がある、しかし、いくらなんでも相手が多すぎるし、皆、武装までしてるんだからこれは分がわるい。

----靴磨いてんだ。終るまで待ってろ。

 とはいったものの、さて、どうしたものかと困っていたら、そこに花形敬が現れたというんですよ。
 以下、本田靖春氏の著書より引用します。

「兄貴、どうしたんですか」
 花形は石井を立てるように、丁寧な物言いをした。
「いや、この連中が話したいというもんだから」
「ああ、そうですか。じゃあ、ここはまかせておいて下さい」
 土方たちをうながして先に立った花形は、渋谷大映裏の空地に入っていった。
 ここでも片がつくのに「何秒」しかかからない。リーダー格と目される男の顔面に、いきなり花形の右ストレートが伸びた。その一発で、男は横倒しになり、完全に失神した。
 パンチの勢いに驚いて、他の連中は四方へ逃げた。その中の一人を追い掛けた花形は、追いつきざま、相手の腰に飛びついた。千歳の生タックルである。
 三メートルは飛んだと石井はいう。地べたに叩きつけられた男の顔を三つ、四つ踏みつけておいて花形は石井に声を掛けた。
「さあ、行こうか」
 息も乱れていない。
「そういうとき、花形は格好つけないんですね。何事もなかったような顔してる。強いのも強かったけど、度胸が凄い。十人くらいいたって、平気なんだから。負けるなんて、全然、考えたことないんじゃないですか」
 これは、いまになっての石井の感想である…。(「疵-花形敬とその時代-」文春文庫より)

 ああ、楽しい。花形敬の最強伝説を語るときほど楽しいことって、僕にはそうありません。
 なんしろ強いんです。ハンパないんです。しかも、僕ら素人がそう評するのじゃなくて、花形の場合、むしろ暴力のプロの方々のほうがそうおっしゃられるわけなんですよ。自分はいついつのどこで花形と喧嘩して負けた、とかね。普通だったらそういうことってありえないんです。負けても勝ったといいはらねば、たちまちメシが喰えなくなる業界です。
 しかし、そうした修羅界の常連さんがたにとってすら、花形は別格の存在なんです。
 花形が相手なら負けて当然と誰もが思ってる、だから、自分がいかに簡単に花形に叩きのめされたかを得々と語るのです。これは、きわめて異常な事態です---つまり、花形敬とは、まさにそのような異常な語られ方をされるような、「特別な」男であったというわけなんですよね。
 この「特別さ」は、このエピソードに端的に顕れていると思います。
 ええ、あまりにも有名な、例の花形銃撃事件です。
 1958年、渋谷宇田川町のバー「どん底」の前で花形は背中から声をかけられます。

「敬さん」
 青白い疵だらけの顔が振り向いた。特徴のある目は深い酔いで焦点が定まらないようであったが、向けられた銃口にはすぐ気づいた。
「いったい何の真似だ、それは」
 ドスのきいた低い声に動じた気配はない。恐怖にかられたのは牧野の方であった。身体の正面を彼に向け直した花形が一歩一歩迫ってきたからである。
 撃たなければ殺される。牧野は夢中で引き金をしぼった。しかし、弾は花形をそれた。
「小僧、てめえにゃおれの命はとれないぞ」
 後ずさりしながら牧野は二発目を発射した。弾はその掌を射抜き、衝撃で花形の長身が半回転した。続いて第三弾が左の腹部に撃ち込まれた。さしもの花形もその場に崩れ落ちる。
「やりました」
「やったか」
 これで、やっと枕を高くして眠れる。そう思って石井が安堵の胸を撫で下ろしていると、花形の動静を探らせるために放っておいた森田の若い衆二人が、血相変えて現れた。花形が石井と森田の居所を探し求めて、渋谷の街をうろついている、というのである…。(「疵-花形敬とその時代-」文春文庫より)

 驚異---撃たれても死んでない。
 さらには、運び込まれた病院を脱走して、自分を撃った相手を探して渋谷中歩きまわってたっていうんですから…。
 これには、撃ったほうの一団もまっ青だったと思います。これはコワイよ。
 しかも、花形のこのときの怪我の具合をあとから分析してみると、決して軽いものじゃないんです、弾の一発は左掌の人差し指と中指近くを貫通して穴をあけてましたし、腹に撃ちこまれたほうの弾は左腰貫通して坐骨骨折を起こしてました。通常でいうなら最低でも4ケ月の入院が必要なところだったとか。
 けれども、花形さんはそうしない、それどころか仇の居所を夜更けすぎまであちこち探しまわり、そのあいだも酒を煽り、焼き肉を二人前平らげ、夜明けには女をつれて宇田川町の旅館にしけこんだというのだから絶句です……。
 これはもう空手何段だとかベンチプレスで120キロあげれるとかいったレベルじゃぜんぜんんない。 
 恐らく、脳天のさきまで響くような歯痛の極みみたいな激痛が、一晩中、身体中のすみずみまで駆けまわっていたはずです。
 1秒1秒が地獄だったと思います。
 歩くたびに限界致死の痛みが脳髄の奥までギチギチと響きわたってくるというのに。
 なのに、焼き肉を食べ、あまつさえ女まで抱いてるんですから---これは、異常な耐久力であり異常な根性ですよ。
 僕は歯医者とかにいくたびに彼のこのエピソードを思いだして、痛みに耐えようとまあ思うんですが、いつも2.5秒あまりで挫折しちゃう。花形はちがう。恐らく、麻酔抜きで歯を全部抜いても悲鳴すらあげないんじゃないでせうか。そんな人間はいないと僕も以前なら思ってた。でも、花形なら、やっちゃうと思いますね。

 東興業の安藤昇さんがこの事件を知ったのは、翌日の昼すぎに事務所にでてきてからでした。
 すぐにひとをやらせて花形を呼んだそうですが、いくら尋ねても花形はなんにもいわない。そのうち、花形が身体を動かしたとき、何かのはずみかでそのズボンの裾から、撃たれた拳銃の弾が床にコロンとこぼれ落ちたということです---。

 ルー・テーズの師匠であるジョージ・トラゴスは、若いころ、よくテーズにこういっていたそうです。

----いいか、ルー、世の中、上には上がいることをを決して忘れるな…。(ジョージ・トラゴス:米国のレスラー。サブミッションの達人)

 ええ、花形敬とは、トラゴスがこのようにいっていた「上の上」---ぶっちゃけていうならまさに喧嘩の天才だった、とイーダちゃんは思ってます。
 どんな分野にも天才っていますから。そして、とっても悔しいけど、天才には凡人は絶対敵わない。
 この花形銃撃事件は、僕はたまたま起こった銃撃事件を花形自身があえて「演出」して、自分をとりまく新たな「伝説」作りに利用したんじゃないか、と解釈しています。痛みはすさまじかっただろうけど、彼自身は案外新しいタイプの喧嘩みたいなつもりで、やっててけっこう楽しかったんじゃないのかな。
 闘いのために生まれてきたようなこんな男に勝てる奴なんて、まず、いなかったでせう。ランクがちがいますもん。
 知り合いのムエタイ・マスターは、僕がこの説を述べると怒るんですが、僕は、喧嘩の強さっていうのは、生まれつきあらかじめ決定されてるもんだと思ってます。後天的な鍛錬やら格闘技の習得である程度までならこの溝を埋めることは可能でせうが、完璧に埋めきることは恐らくむりでせう。
 この花形敬という男には、結局、誰もかなわなかった。
 格闘技のチャンピオンだとか暴力世界で名を知られた無類の喧嘩名人とか---ちょっと比類のないランクの強者たちであればあるほど---逆に、生前の花形とは注意深く距離をおいて、徹底的に対決を避けてました。
 恐らく、強い奴には強い奴がわかるんでせうね。本能でもって。
 安藤組の武闘派ななかでも極めつけといわれていた、50人からの舎弟頭、空手4段の西原健吾氏も、花形と喧嘩になりそうになったとき、運転手に耳打ちしてクルマを停めさせ、ドアをあけるなり一目散に逃げだしたそうですから。

---あの喧嘩の強いのが、物凄い勢いで逃げましたからねえ。必死なんてもんじゃない。いまも目に浮かぶようです…。(元安藤組幹部、M氏の証言)

 あの世界チャンピオン、ルー・テーズも喧嘩の強者として認めていた、全盛の力道山にしても、花形をまえにした際には、対処法は西原さんとごいっしょでした。引用いきます。

 昭和三十年の暮れ、そうした新しいビルの一つに、キャバレー「純情」がオープンする。その挨拶がないというので、開店の当日、花形が出向いて行き、マネージャーに経営者を呼ばせた。
 ところが、出て来たのは、力道山であった。
「何の用だ」
「てめえに用じゃない。ここのおやじに用があるんだ」
「この店の用心棒はおれだから、話があれば聞こう」
「てめえ、ここをどこだと思ってるんだ。てめえみてえな野郎に用心棒がつとまるか」
 花形に野郎呼ばわりされて、力道山の顔に血が上った。怒りで両手がぶるぶる震えていた。
 朱に染まったような力道山の顔面に花形がぐっと鼻先を寄せて、初対面の二人のにらみ合いが数秒のあいだ続く。
「中に入って飲まないか」 
 折れて出たのは力道山の方であった…。(本田靖春「疵-花形敬とその時代-」より)

 セメントマッチの強者・力道山は、このとき、花形の目のなかの「ただならぬもの」をたしかに目撃したんだと思います。
 それは、いったん目にしてしまったら、あの力道山すら一歩引かざるを得ないような類いの危険なものでした。
 花形の映像はそう残ってはいませんが、僕がこのページの冒頭に掲げた写真からも、それなりの「鼻」があれば、花形のその種の危険な匂いが嗅ぎだせるのでは、とイーダちゃんは感じてます。
 というのは、この写真なかの花形、顔の表情にリミッターがなんもかかってないんですよ。
 リミッター---ええ、僕ら、一般人って普段の自分の表情にもある限界線を決め、そこから先に感情が暴走しないよう案外入念にコントロールしてるもんなんです。普段の笑いならせいぜい大笑いまで、酒の席でならまあ馬鹿笑いまで、しかし、狂的な笑いまでにはいかないようにって常に注意深く自粛してる。
 日常生活をつつがなく送るために我々が調整してる、いわゆる理性作業の表情抑制リミッター---それが、この写真の花形の顔には見事なまでにありません。
 これは、行くとなったら、とことん行くところまで行く顔ですね。
 命が惜しいとか、迷いとか、そんなことはまったく思ってもいない、修羅の顔であり鬼の顔である、とイーダちゃんは思います。
 しかし、この鬼ときたらふしぎな鬼ですよ。死んでから何十年もたつというのに、ずいぶんいろんなひとから愛されているやうじゃないですか。

----拘置所に面会に行きますね。他の連中は番号で呼ばれて出てくるのに、花形さんだけは名前で呼ばれるんです。そのアナウンスがあると、百人からの面会人のあいだから、何ともいえないどよめきが起こるんだな。来ているのは、ほとんどが稼業人ですから。花形さんというのは、そういう存在だったんです…。

 今宵の僕のこのページも、そういった拘置所のどよめきのなかの小さな声のひとつです。
 強い者に憧れるごく単純な心理でもって、ここまで綴ってきたこのささやかなページを---たぶん天国にいるだろう花形敬さんにむけて、こっそり捧げたいと思うイーダちゃんなのでありました。m(_ _)m

 

徒然その14☆鉄人ルー・テーズを科学する☆

2010-10-18 14:45:15 | ☆格闘家カフェテラス☆
                       

 格闘家、好きです---
 というより、およそ男と産まれてきて格闘に興味のない人間なんているんでせうか?
 寡聞にして、僕は知らないっスね。おなじ中学からエリート進学校に進学した痩せっぽっちで臆病者の秀才Hクンも、それから、丹沢山のよく見える秦野市の小学校の校庭でいつも一緒に組手の朝稽古をしていたМクンも、思えば皆プロレスとボクシングと空手とが大好きでした。
 僕らの時代においては、あの梶原一騎作の「空手バカ一代」という恐るべきマンガ---ええ、恐るべきです! とんでもないマンガですって---があり、僕ら、昭和30~40年代産まれの少年男子はほぼ例外なくこのマンガに洗脳されていたんです。このマンガの影響で実際の夜の町に喧嘩の修行をしにでかけ、その結果、大事な人生を棒にふってしまった青少年を両手で数えられないくらい知ってます。
 もっとも、これはそう特別なことじゃありません。
 あの時代に少年期を送った男性ならほぼ例外なくそんな感じじゃないのかなあ、とイーダちゃんは思います。
 ただ、「いま」の時代に関しては、僕、多少タカをくくっていたんですよ。
 だって、いまの子たちはパソコンとTVゲームの世代の子でしょ? 馬乗りも殴りあいも禁止されていてできないんでせう? さらには熱血じゃなくってラブコメで育った世代なんでしょ? 
 だったら、いまの時代の子たちが、あの「空手バカ一代」みたいな、超・ロマンチックかつ荒唐無稽な名作マンガを所有できるワケがない、と半分優越感・残り半分淋しん坊みたいな気持ちでしんなりしていたんです。
 でも、まあ仕方がないな、それが時代ってもんなんだろう、とも思ってました。
 ところが10年程前、職場の友人から「グラップラー刃牙」というマンガを知らされ仰天したんです。
 なんだよ、ぜんぜん変わってないじゃん、コレ、いまの時代の「空手バカ一代」じゃないのと嬉しくなりました。
 このマンガ、凄いっスよ。何が凄いってこちらの登場人物、実際の格闘家が多数モデルになっているんですけど、そのセレクトがちょっとハンパない。
 合気道の伝説の達人---塩田剛三がいる。
 日本中のプロの暴力組織から喧嘩日本一と謳われた喧嘩士---花形敬がいる。
 アントニオ猪木がいて、ジャイアント馬場がいる。
 土管を素手で粉々に叩き割る、拳道会の中村日出夫がいる。
 あの人間の領域を踏みこえた超人レスラー、露西亜のアレクサンダー・カレリンもいる。
 うーむ、凄いや。(T.T)/
 しかも、これほどの凄玉を架空の闘技場にわざわざ集めておいて、何をするかといえば素手での格闘トーナメントを開催するというんだから。
 男ってバカだー、完全ネアンデルタール状態、あいかわらず進化してないなあ、と思わず笑みがこぼれてきちゃいましたねえ。(^^;

 で、枕がちょい長くなっちゃいましたけど、テーズです。

  -----ルー・テーズ。
       20世紀最大のレスラー。ハンガリー系米国人。
       1916年 4月26日、ミズーリ州セントルイス生まれ。父、マーチンよりレスリングの手ほどきを受け、
       その後、エド・サンテル、レイ・スティール、ジョージ・トラゴスらに学ぶ。
       1937年12月29に世界王座を奪取してから1966年1月8日までの延べ27年、NWA世界王座を守りつづける。
       191センチ110キロ。得意技、バックドロップ、ダブル・リストロック、ドロップ・キック。
       (Astrologer諸氏はこれで彼のCHartを作ってみるよろし。優れた運動選手に特有の火星が見られます)

 僕がテーズ・ファンになったのは6才のとき---。
 当時のなんか小学生向けの雑誌のアタマのページに、「ザ・マミー」や「ザ・コンビクト」やらの怪奇レスラーの特集が組んであったんだけど、その最期のほうにこのテーズの写真が紹介されていたんですよ。
 鍛えあげられた肉体といかにも意志の強そうな顔。
 そして、なんともいえない自信に満ちた、凛凛しげで爽やかなまなざし。
 猪木より凄えと思った。一瞬で痺れましたね。
 当時、猪木はまだ日本プロレスにいて、馬場とBI砲を組んでいました。僕はその当時から猪木贔屓だったのですが、なんで出逢いがしらのテーズのことをそんな風に気に入っちゃったのかなあ。理由はちょっと判りかねますが、6才のイーダちゃんがそう思ったのは事実なんです。
 ですが、時代が時代---テーズの映像なんてそれこそどこにもないんですよ。
 いや、ひとつだけあったかな。当時、12チャンネルでたしか「世界のプロレス」だかそんな番組があって、それが動いているテーズを見た最初かと記憶してます。
 動いているテーズはね、速かった。
 もー、とにかく速いの。腕を決めて投げる、その決めてから投げるまでが他のレスラーより断然速い。
 他のレスラーはまあ観客に解らせる意味もあるんでせうが、腕絡めてから投げるまでに、ひと呼吸分の休みというか、一種の間があるんですね。ところがテーズにはそれがない。
 連発ドロップキックなんて最初はコマ落としの映像かと思いましたもん。
 あれじゃあ、目前でそれやられてる相手レスラーはどうしようもないな、と子供心に思ったもんです。
 あと、印象に残ったのは、やっぱバックドロップ……。
 ええ、いささか有名にすぎるバックドロップなんですが、そのバックドロップにしてもとにかく速いのなんの。
 他のレスラーはみんな背後からまず持ちあげて、うーん、しょ、みたいな2段のタイミングでもって反り投げるんですよ。贔屓の猪木にしても、投げの際のブリッジこそ他のレスラーよりうんとこさ綺麗でしたけど、速度の瞬発力的な面でいうとね、本家テーズの足元にも及んでいない気がしました。
 テーズは、「ありゃ」と思ったら、しゅん! もう相手は後頭部を強打してマットに倒れてるんですから。
 で、まず立ちあがれない、ときにはダメージが大きすぎて二本目の試合放棄みたいな例もあったりして。
 どうです、凄いっしょ?---まさに稲妻---。(^o^;/
 
 新日のNWF戦でいちど、60代の老残のテーズと猪木とがたしか対戦してるじゃないですか。
 あの試合、ゴングが鳴ったかと思うやいなや、いきなりテーズのバックドロップが炸裂するんですよ。
 それがね、とにかく速い。観客がおお! と瞬間どよめくんですよ。あれは「なんだ、ありゃあ、バックドロップってあんなに速いのか」って意味のどよめきですよね。
 むろん、威力も強烈。ヒットの瞬間、猪木が跳ねましたから。
 レフェリーのアントニオ・ロッカは3カウントをあえて取りませんでしたが、いま youtube の画像で見ると、あれ、完璧3つ入ってますよ。試合を成り立たせるためにはあそこで終らせるわけにいかなかったのは当然なのですが、あの試合の見所はあの開始早々のテーズのバックドロップ、ただただそれに尽きると思います。
 この稲妻みたいな速さは例がないですね。後年の鶴田のバックドロップなんか本家直伝でなかなかよかったと思いますけど、やっぱり全盛期のテーズのものとはちょっと比べられませんね。

 あと、このひと、柔らかいんですよ、身体が。
 いまは幸い youtube という便利なメディアがあって50年代の全盛期の---936連勝中の---テーズの映像がいくらでも拾えますんで、興味のある方はぜひぜひそれらを拾い見てテーズの凄さを再認識してもらいたいなあ。
 イーダちゃんが自信をもって推薦するのは、ドン・レオ・ジョナサン戦、マイティ・アトラス戦、ラフィ・シルバースタイン戦あたりですかね。
 人間台風ドン・レオ・ジョナサンを除いたらほとんど日本じゃ無名の面子ばかりなんですが、テーズを見るためには、これがベストでせう。
 この映像のなかのテーズは、ちょっと憎らしいくらいに強いんです。というかあまりにも強すぎる。
 ラフィ・シルバースタイン戦なんかイジメかと思っちゃいましたもん。
 で、柔らかさの話でしたっけ---首投げとかで投げられたときのテーズの足に注目してください。
 マットにあたって、ぽんと少し跳ねて、ぱたんとまた落ちて。要するに力が全然入ってないんですよね。もー 脱力の極致。というかほとんど猫ですよ。いちどそういう視点に気づいて見なおしてみると、このルー・テーズってひと、どんなときも完全に余分な力が抜けきっているのがだんだん分かってきます。
 立ち方も歩き方も、このひと、ほんとに柔らかい。腰も完璧割れてるし、猫ですよ、マジで。
 他のレスラー同士の対戦だとそういう要素はあまり目につかないんですが、テーズと対戦してる相手を見ていると、その相手がだんだん「棒切れ」みたいにぎちぎちに固い存在に思えてくるんですよ。あまりにもテーズがしなやかで、そのうえ柔らかいから。
 
 ゴッチとの絡みでもそういう差異って発揮されたと思いますね。
 調べてみると、カール・ゴッチは1922年生まれなんですよね。テーズより6つ下の勘定ですか。
 僕はゴッチの全盛期の映像ってあまり見たことないんですが、ビル・ミラーやあのヘンクツの藤原喜明さんなどがあれほど礼賛しているところを見ると、やっぱりハンパない、そうとうの凄玉だったんですね。喧嘩キングの力道山が引いたくらいですもんね、あの総入歯のエピソードからも分かるように、その気になったときのゴッチというのは怖かったと思いますよ。ダニー・ホッジなんかもそのへんは凄かったって聞いてますけど。
 でも、その神様ゴッチにしても、テーズの牙城はとうとう切り崩せなかった。

 テーズVSゴッチの戦績は、テーズの4戦2反則勝ち4引き分けです。

 あの柔らかさとしなやかさにしてやられたんだと思いますね---格闘技において、柔らかさって力ですから。
 ぜんぜん関係ないんですけど、いまこれ、人生についてもおなじことがいえるのではないかとふいに思いつきました。
 なるほど、格闘技において柔軟性は力かもしれない、しからば、人生において、それに相当する「柔らかさ」とはいったい何なのか?
 うーん……なんなんでせうね? 冥界のミスター・テーズに電話をかけてちょっと聞いてみたい気もする、初秋の宵のイーダちゃんなのでありました。(^.^;>