ルシュフェラージュ・ドドンパ
早く起きてよ---もうお昼だよ!
ルシュフェラージュ・ドドンパ
早く起きてよ---
Dr.ランジェリンが来てるよ!
ルシュフェラージュ・ドドンパ
起きてよ
起きてよ---いますぐに!
なんのこっちゃって感じですが、これ、過去のイーダちゃんの作品なんですよねえ。
懐かしいな---10代のころの詩(?)ではないでせうか。
当時からマザーグースやアリスの「不気味可愛いナンセンス世界」がとっても好きでして---だって、こういう感触のナンセンスって日本の土壌にはないもんですからね---それなら、と自分なりに試作してみたのがこれだったというわけです。
いや、厳密にいうと日本にもナンセンスはなくはないんですが---「かごめかごめ」とか地方の囃し歌とか---どうしても向こうさんほどポピュラーじゃないし、日本の風土の影響を受けて、湿度というか、どこかでやっぱり「濡れ」ちゃうんですよね、日本のナンセンスの場合には。
そういう湿気やニンゲンの「情」のぬめりを排除して、ちょっぴり苦めの残酷なナンセンスがやりたかったんですよ。
もっとも、実際の出来は、理想からほど遠いモノになっちゃいましたけど。
詩の文字群で表現しきれなかった不気味感の残りの部分を、せめてイラストで補填してる感じ---あ。このイラストもイーダちゃん作であります---が、まあ微笑ましいといえば微笑ましいかもしれないけど…。
上の詩の出来は自分でもどうかと思いますが、この詩の主人公の「ルシュフェラージュ・ドドンパ」という名前だけはけっこう長いあいだ気に入ってて、愛着もありました。この名前、生まれるまでにまる2日かかってるんですよ。大学の講義のとき、教科書のうしろでずっとあーでもない、こーでもない、と模索してたんです。一度はこの主人公の少年が活躍する、国籍不明の学園メルヘンを書こうと思ったこともあったかな---「第1章:ドンちゃんの遅刻」とか「第2章:ドンちゃん雲にのる」とかね。
ま、古い話です。もうひとつ、試作いってみませうか。
今度は、マザーグースをもうちょっと湿らせて、それに少女漫画を軽く絡めた感じ。
「尻軽娘のバラッド」
そうよ---アタシは尻軽娘
お尻はとっても軽いけど
心の軽さはそれ以上!
そうよ---アタシは尻軽娘
心はいつも飛んでいる
縛れるモンなら縛ってごらん!
だけど---アタシは尻軽娘
羽根より軽いこの心
ホントはいつでもゆれている---
そうよ---アタシは尻軽娘
毎夜3時に眠るとき
いつもちょっぴり想うこと…
明日………きっと
優しいひとがアタシのまえに---
そしたら…
そしたら…
心を3度 ノックして---
うわ。読みなおしたら、これ、全然マザーグースになってないゾ。
かろうじてイラストだけがそれっぽいけど、あとはイカンですな、むーっ…。
もうひとつだけ、英国風なの、いってみませうか。
「紳士スティーブンソン 」
紳士スティーブンソンは火事が好き
いつも弁当もって駆けつける
火事だ!
火事だ!
消防車が駆けつけると
スティーブンソンはいつもいる
ニタニタ見物うれしそう
---ひとの不幸がそんなにうれしいのか?
ある日誰かがそういった
---失礼ですが
スティーブンソンは答えた
---ひとの不幸ほどおもしろいものはありません
次の日
スティーブンソンの家が火事になった
スティーブブンソンも焼けた
うーむ……。まとまっちゃいますが、なんというか、なんでこんな勧善懲悪にしちゃったんだろう?
たぶん、勧善懲悪という節理そのものの残酷さ、みたいなのを表したかったように思うのですが、成功してるとはいいかねますな。わざと意地悪く書こうとしてる努力がちらちらとほの見えて、そのへんの小市民性がややいじましい感じというか。
本物の天才はまるきりそのへんがちがうの---たとえば、寺山修司---。
----色鉛筆にまたがっていくぞ地獄へ菓子買いに (寺山修司「ぼくのつくったマザーグース」より)
うおー、と叫んで、黙りこむしかない出来です。なんだ、こりゃあ。(ToT;>
なぜ、色鉛筆なんだ? なぜ、地獄で菓子なんだ? といったような諸々の疑問をこえて、寺山修司ワールドの血みどろの不条理なポエジー群が、説明するよりさきにこっちの心の岸にもう上陸しちゃってる。
なんちゅうスピーディー。
はっと気がついたら、もう咽喉のあたりに赤いマチバリなんか刺しこまれてる感じ。
かなわないよ、こんな無邪気には---でも、さらにひとつ、追加オーダーいきますか。
---ねんねんころり ねんころろ ねんねんころころ 皆殺し (寺山修司「田園に死す」より)
す、凄すぎる…。(xox;/ ←(絶句マーク)
かたちは全然マザーグースしてないんだけど、精神がこれマザーグースの詩群の集合無意識界にまでまっすぐ到達してますね。
なぜ、子守唄の「ねんねこ」いう民族的な遊戯フレーズがラストの皆殺しという単語に逢着するのか?
そうして、その展開に、なぜ、違和感や無理強い感がちっとも伴わないのか?
これは、冷や汗モンの怒濤の詩才であり天才ですよ。ただの2行でしかないのに超・寺山修司してる。これは、脱帽するしかないですね---。
こうして、マザーグースの詩句に寄せて、自らの才知をさりげなくアピールしようとしたイーダちゃんの計画は中途で座礁したのでありました…。(ToT)
けど、まあ挫折してよかった。妥当な終り方と思いますよ。
最後に、ホンモノのマザーグースから詩片をひとつ引用して、このページを締めようと思うんですがいかがでせうか。
ゴータムむらの おりこうさんにん
おわんのふねで うみにでた
もしもおわんが じょうぶだったら
わたしのうたも ながかったのに
(講談社文庫「マザーグース」より)
シンプルで、気取りがなくて、分かりやすくて、しかも、余韻が残ります。凄い。
さすが、250年も歌い継がれてきた本家の実力は伊達じゃないですね---マザーグース、やっぱり好きです、イーダちゃん。(^.^;>