イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その238☆ 小さな怪談・詰めあわせギフト♡ ☆

2016-09-24 00:13:58 | じつは怪談



 Hello、怪談マニアのイーダちゃんです---!
 実は先日、会社帰りに携帯を落としまして、探しまくってもどこにもない、涙を飲んで大嫌いなポリスにいったら、
 ぬあんとちゃんと届けてくれている人がおりまして、あな、ありがたや~(-_-;)
 ただ、台風の夜に落としたんで、水浸しになり、携帯機能はほぼ全損…。
 かろうじてなかのSDカードの3分の2は無事でしたが、
 アドレス機能は全滅無残---いま、製造元に頼んでせめてアドレス情報の再生をお願いしてはいるものの、
 結果がどうでるか、は分からない。
 というわけで皆さん---携帯情報のバックアップはこまめにねっ❤
 あと、いま僕、修理期間中代車の携帯借りてまして、アドレスとか以前のままですので、
 僕といささか疎遠中の皆さまには、僕の携帯にメールとTEL番号とをお暇な折り、
 是非にも送付していただけたらなあ、なんて風に思っております。

 しっかし、携帯生活に慣れちゃうと、携帯なしの日常の時間って長く感じられるものですねえ。
 ただ、今回の記事は携帯の話じゃあない、あくまでも怪談系のお話であります。
 20代のころから僕はすでに怪談のマニアでありまして、
 稲川淳二のライブやら---「生き人形」は凄かったなあ---よく行ったりしたもんです。
 30代の後半に、実話怪談の天才・平山夢明氏が登場し、彼の世界にむちゃくちゃにハマリました。
 あと、HONKOWA の漫画、山本まゆりさんとかひとみ翔さんの「霊感お嬢」シリーズなんかも結構好き。
 作家の加門七海さんなんかも作品も案外読んでる---氏の「怪談徒然草(角川ホラー)」は傑作です。
 あと、最近じゃ、メディアファクトリーと角川ホラーから本を出しはじめた、郷内心瞳氏の拝み屋シリーズ、いいですねえ!
 残念ながら(幸運にも、というべきかな?)僕には塵ほどの霊感もなく、
 根がラテン系のせいか日本風のじめじめ世界に埋没することも苦手な口なんですが、
 異界からの風をふっと体感するあの感触は、いまだ大好きです---。
 というわけで僕の体験した実話怪談の小さなギフトを、ここに開示したいと思います…。


★二十代、夜間清掃のバイトをしてたころ、八王子在住のOとよく廃墟巡りをしてたんですね。
 Oは山口出身で、部屋に犬の頭蓋骨を飾ったり、カメレオンを飼ったり、
 ときどき泥棒をやったり、トム・ウェイツやフリージャズを聴いたりするトッポイ奴でした。
 で、ある晩、僕等はつるんで、恐れ多くも深夜のあの「八王子城」にいったんですよ。
 いまはとても怖くていけませんけど、当時は怖いモノ知らずだったんですねえ。
 芥川の修辞にあるまんまの「黒滔々たる闇」のなか、僕等は石垣を登ったり降りたりをくりかえしました。
 若いから、いくら歩いたって疲れない。
 で、足の向くまま何時間もウロウロしてたら、どこだか分かんない墓地についちゃった。
 かなり広大な墓地ですよ。
 折しもその夜は見事な満月でね---月明りに照らされた、ほの明るい無人の墓地を放浪するのは、結構愉しかった。
 肝試しならではの高揚感に包まれて、僕等ははしゃいでいたように記憶してます。
 「月光浴だ!」なんて互いにいい交わしてね---実際、試してもらえば分かるけど、月光浴って案外酔っぱらうんですよ。
 深夜の墓地のかもしだす異界のムードと、月光のもたらすこの世ならぬ光に照らされて、僕等、墓地のまんなかで仰向けに寝たりもしたんです…。
 一晩中そんな風にしてすごして、夜明けとともにOの部屋に帰ってちょっと寝て、
 それから僕自分のクルマで家に帰ったんですが、その帰りのとちゅう、
 愛車の中古のサニーのエンジンルームから真っ白い煙がふいにモコモコとあがりはじめたの。
 「うわあ、火事かよ」とまわりのクルマがびっくりするほどの煙の量。
 なんとかニッサンのお店見つけて修理に飛びこめたんですが、いつエンジンが止まるかほとんどひやひやものでした。
 あのときはこの事象を墓地とは関連づけて考えなかったけど、
 いま思うとアレはどう考えても「バチ」ですよねえ、うん…。
 修理費はたしか4、5万かかったように記憶してます。

★以前つきあっていたある女性と日光にいったとき---
 さんざん遊び倒して、帰り際にもう一軒温泉に寄っていこうって話になったの。
 だいぶ日は落ちてきてたけど、温泉宿の看板があったから、
 僕はそれならとハンドルを切り、古色蒼然としたその木造のお宿にクルマとめたんです。
 「すいませ~ん!」と玄関でひと呼んでみたけど、返事なし。
 ほの暗い受付にもその奥の廊下にもひとの気配はありません。
 「あのー」とか「誰かいませんかぁ」とか10分くらい粘ったように思う。
 いま、それ考えたらちょっと異様ですよね?
 フツーそこまでして粘らないもの---もしかして、そのときからもう呼ばれてたのかもしれない…。
 あんまり返事がないのでふたりして顔見合わせて、だめだね、帰ろうか、という空気が流れはじめたとき、
 奥から中年の痩せた半纏姿の宿のひとがようやくやってきて、
 ああ、すいません、と目をあわせないでいうんですね。
 ご入浴ですか? でしたらおふたりで千と〇百円いただきます。
 お風呂はそちらの廊下をまっすぐいったところの突き当りにございます。
 なんちゅうか、とにかく陰気な感じでね、廊下も風呂場前の販売機の明かりもなんとなく暗めに感じるわけ。
 でも、とにかく風呂に入ろぜ、と僕等入口で男湯と女湯とにまあ分かれたの。
 で、男湯に入ったんですが、僕の温泉史上あれだけ気味わるいお湯はなかった。
 結構広くて大きめの丸いタイルのお風呂なんですけど、最初に掛け湯したときからもう落ち着かない。
 誰かに見られてるみたいな視線の感覚が強烈にあるんです。
 しかも、それ、ひとりじゃない。
 気分を変えようと湯気向こうの窓を見てみたりもしたけどどうも駄目---気味のわるさが勝っちゃった。
 結局、10分足らずで僕は風呂を出ちゃってね、ビール販売機の明かりのまえで彼女が出てくるの、待ってたんです。
 そしたら長湯が身上の彼女もそれから5分くらいしてすぐにお湯からでてきて、いうことには----
 「なあに、ここ…? 入るとき私ひとの気配がいっぱいしたから、失礼しまあすって挨拶してから入ったんだよ。
 でも、入ってみたらだあれもいない。びっくりしたよ。絶対誰かいるっていうか、賑やかだったもん、このお風呂…」
 ふたりしてゆっくり目を見合わせて、それからほぼ同時にゾッとして……
 身体全然あったまってなかったけど、すぐ退散することにしたんです。
 エンジンまわしてアクセル踏んでブワーッとね---
 けどね、一方通行なんかであちこち曲がって、ふと気づいたら、また僕等さっきのお宿に向かってるんですわ。
 「ちがうちがう、戻ってきちゃったじゃんか!」
 「やだあ、なにこれ! ちがうほういってよ!」
 で、またほかの界隈をぐるぐるしたんだけど、またしてもかの宿にご到着---
 「呼ばれてるよ、これ! なんだよ、ありえねー!」
 もうほとんど悲鳴状態---結局僕等30分ほどのあいだに3度、このお宿に呼ばれてもどってきちゃって---
 このループから離れて大きな街道に出られたときには心底ホッとしました。
 帰りの車中で僕等、喧嘩したもの---だいたい、最初からひともいないのにあれだけ粘るのはおかしい、
 あのときから〇〇〇、なにかヘンだったよ---なんていわれちゃって…。
 あれから僕は温泉マニアの道を突き進み、それこそ千以上のお湯に入ったもんですが、
 いまだあれ以上薄気味のわるい湯浴みを体験したことはありません。
 恐山での湯浴みより、うん、あれは確実に寒かった。
 いまじゃ名前も覚えていない、日光のとある温泉旅館でのふしぎな湯浴みのお話でした……。

 と---ここまで書いて清書するためPCをイメージ画像に切替えたら、PCいきなしフリーズ。
 しかも3度---そのたびシャットダウンしてやり直して---なんか気味わるいなあ…。
 それ系の話してると電子機器が誤作動するってのは、あれ、ガセじゃないですね。
 霊界のプラズマと連動するせいかしら? ウームなり。
 いずれにしても去りゆく夏に哀惜をこめて送った、ちっちゃな実話怪談のおひろめでした。
 縁があったらまたどこかでお逢いしませうね---夜もやうやう更けました---それでは明日も無事に眼がさめることを祈りつつ、お休みなさい…。m(_ _)m





 

 
 
 

徒然その237☆ 世界劇場の終幕 ☆

2016-09-23 19:36:03 | ☆<不正選挙訴訟>の巻☆

                     <ああ、オバマ君か…。わるいが合衆国の席はこっちじゃない、あっちの外れの末席だよ…!>


 Hello、皆さん、お元気ですか?
 携帯失くして往生しているイーダちゃんです。
 ひさびさに政治関連の記事やるつもりなんだけど---とっても雄弁で分かりやすい写真見つけたんで、それ、まずは挨拶代わりに記事トップに貼りつけときました。
 これ、こないだのG20の写真なんですがね、これ見て、どう思われました?---理窟不要の一目瞭然でしょ?
 実は、これが、いま現現在世界で起こってることのすべてなんですよ。
 コトの本質はただひとつ---世界が、いよいよアメリカ排除のために動きだしたの。
 その意味、この写真ってもの凄いスクープだよね?
 これ、ひょっとしたら後世に残る記念碑的写真になるんじゃないか、と僕ひそかに思ってます…。
 とまあ今回の前置きはこんなもんでいいや---そのへんの経緯をこれからサクサクと分かりやすく説明していきませう---。


   レッスン1★なぜアメリカが排除されなくちゃいけないのか? 

 ベンジャミン・フルフォード氏が非常に分かりやすい譬えを使ってられたんで、それ、使いまわしませうか。
 うん、アメリカはね、実はあれ、国家じゃないんです。
 するとすかさず「国家じゃなくてじゃあなんなんだ?」とイチャモンつけてくる方も多いでせうから、そういうひとたちのためには、こう答えておきませう。
 世界大衆向けに国家という体裁こそとっているものの、その実、国家というよりは、本質的にあの「東インド会社」にも似た、一種の民間企業なんだ---と。
 そうなんです、ここが肝なんです、ここが抜けたらもうね、何ひとつ分からない。
 民間の、営利目的の企業なんですよ---全世界の国々や大衆から合理的に富を搾取・回収するための。
 いうなれば植民地の監視役みたいな存在であると思ってもらってもいい。
 世界はね、アメリカのトップ1%の植民地なんです、いまもむかしもずーっとね。
 で、彼等が携わっている根冠の産業は、基本的に「戦争」と「麻薬」なんですよ。
 石油屋オヤブン(いまは石油から撤退しちゃった)のロックフェラーも、石油業に踏みだす以前は麻薬王でしたし、その事実はいまでも有名です。
 民主主義は、いわばアメリカの建て前であり、いちばん大事なのはむろん根冠事業である「戦争」のほう。
 「戦争」をプロデュースしさえすれば、モノなんか作らなくたってウハウハだもん---なにせ爆弾1発5000万の世界ですから。
 いうなればカタギじゃないんスよ、このお国は。
 ナチスにいちばん献金したブッシュ家が統治するこの国が、「自由と平等の国」だなんて冗談もたいがいにしてもらいたいですね。
 そんなのはさあ、アメリカ資本のマスコミ媒体の紙上にのみ咲く、いわば幻想の花。
 リアルな数字から分類するならば、史上もっとも多数の人間を殺戮した国家こそ、アメリカなんです。
 実際、アメリカの歴史に、戦争していない時期ってひとつもないじゃないですか?

---えっ、なに? 世界の平和を乱すわるい国があるから世界平和のためにやむなく武器をとっている、ですって?

 バカも休み休みいえって---そんな小学生の陣取り遊びみたいなノリで起きる、安手の戦争なんてあるわけないっしょ。
 あんたのアタマのなか西部劇かっちゅうの!
 古代より戦争は国家の一大事業なのよ---事前に、莫大な資金と超・綿密な下準備とが要るのは周知。
 何千、何万回もの会議と。
 銀行家と政・財界人との執拗な会合。
 軍のトップの掌握。
 それとマスコミ・コントロール。
 そして、なにより---もっともらしいコマーシャルな開戦理由の「捏造」…。

 端的にそれ表してるのは、やっぱあの911でせう。
 中東テロリストに乗っ取られた旅客機が曲芸飛行でWTCに突っこんで、WTCは崩落---しかも、近隣のビルまでなぜかいっしょに崩落…。
 飛行時間90時間足らずの、サウジ国籍の(イラクじゃなくてサウジね。これ肝心)にわかパイロットがあれやった?
 しかも、航空機の爆発程度のエネルギーで、高層ビルが幾棟も完全崩壊だぁ?
 ギガ・ありえねえー!
 あれから15年たって、ようやくアメリカの大衆にもあれの真相が浸透してきましてね、

---911 is Inside Job! が、いまじゃマジ全米の合言葉みたいになってるの。

 最近じゃトランプさんが声高に糾弾してまあすし、ロシアに至っては証拠の衛星写真付きの公式文書で暴露までしちゃった。
 米のマスコミ、ベテランズ・トゥデイもそれを報道したし、NHK第1ラジオでもそれをこないだ放送してた。
 フィリピンでもトルコでもばんばん暴露しはじめた、米の911がイラク戦争開戦のための「やらせテロ」だって。
 あのー いまだ知らないひとのためにあえていっておきますけど、あれ、核ですから---。
 アメリカが、戦争商売はじめるためにわざわざYNエリアの空軍の防衛とめて、うん、地上コントロールで航空機を突っこませたの。
 爆発は1月まえから仕込んでた(そのために停電工事1月かけてやってんのよ)極地核によるもの。
 爆破後、WTCの地下には、分子にまで分解した鉄骨がプールをつくり、1週間煮えたぎりつづけたんです…。
 そんなことができうるエネルギーは、この世に唯一---核爆発しかありません…。




 911の救助で生き残った隊員たちのあいだには、いま、癌が蔓延してます。
 白血病、甲状腺癌、腎臓癌、膀胱癌、肝硬変……ヒロシマを経験した日本人ならピンとくるあの症状で、もう900人以上亡くなってる。
 Jazzのドナ・サマーも911の粉塵吸って肺癌で死んだし、日本の坂本龍一なんかも911のとき現場にいて、いま癌に苦しんでる。 
 アメリカのマスコミは基本的にロックフェラーの傘下だから、必死こいてずーっとその事実を隠蔽してきたけど---ケネディ暗殺時と同様の緘口令が長いこと敷かれていたんです---でも、こんな重要事項をしょせん永遠に隠蔽しきれるはずもない、それが、いまようやく表にでてきた。
 要するに、これは「時がきた」ということなんでせう---僕は、そう解釈してます。

 第二次大戦直後は、たしかにアメリカは経済も軍事もトップのお国でありました。
 たしかにそのような時期もあった---しかるにいま、アメリカは経済力では中国に抜かれ、軍事ではプーチン・ロシアに追随され、世界の統治といった地政学上の視点からみても、中国を中心とした新世界の経済ブロックAIIBに遅れをとり、まったくもってなす術がありません。
 苦肉の策から編みだした 狡知の大逆転用の闇契約TPP にしても、ヨーロッパからもアジアからもまったく見向きもされず、遂にはアメリカ議会でもさっぱり相手にされぬありさまで、締結の気配すらありません。
 カルマの急坂を転げ落ちていく米国とその支柱である$の運命は如何に---?
 どう見てもこれ、楽観はできそうにないっスね。
 調べれば誰でもすぐ分かることですけど、アメリカの中産階級ってクラスは、もうほぼ絶滅寸前になってます。
 全米各地には、かつてのウッドストックみたいなテント村が無数に広がり、中産階級はみんなそこの住人。
 こんなんで世界一を自称されても、されたほうは困りますよねえ!
 どうにも手詰まりになったアメリカが最後になって繰り出しはじめたのが、いま、誰もがテレビでお馴染みのあの偽装テロ大作戦。
 ネットで調べたひとならもう既に皆さんご承知とは思いますが、あのIS(イスラム国だっけか?)っていうの、アメリカですから。
 誰だって分かるって---現地では、ISの兵士が英語で喋るっていうことはもう周知の事実だし、ヒラリーの政敵のトランプさんなんかはヒラリー勢に堂々とこういってのけてる、

---ISの創始者は、オバマとヒラリーだ…!

 ハラショー、トランプさん!---いや、まったくもってその通りなんですわ。
 この構造、かつての新日本プロレスのリングとおなじと考えてもらうと分かりやすいかも。
 悪役・タイガー・J・シンがいわばIS---で、それと闘う正義役がアメリカン猪木なんであって。
 ただ、このうちのどちらもリング経営をしてるアメリカ1%に雇われてる点ではいっしょ。
 要するに「ヤラセ」なんですよね、世界的に大規模な。
 仇役がいないと戦争はやれませんから、戦争をするために仇役を創設するのがアメリカさんのいつもの手口なわけさ。
 北朝鮮なんかもむろんアメリカン・リングのお馴染みさん---
 知らぬは電通ルートで屑みたいな官製テレビ越しに情報管理されてる、嗚呼、ニッポンの一般ピーポーばかりなり…。

 

      レッスン2★つまり、11月は世界の関ケ原なんですよ             
 
 僕がこういうといつでも「トンデモ論だ!」みたいなレッテル貼りをしてくる冴えない輩がいるんですが、そういう方たちのためには、

----あなた、なにがいまどきトンデモ論よ? あなた、正気? あのパナマ文書のニュースぜんぜん見てないの? と僕はいいたい。

 ええ、全世界の富の99%をアメリカ・トップの1%エリートが独占している何よりもの物的証拠が、あのパナマ文書でありました。
 近年、あれほど驚いたことはありません。
 僕は、その種の文書が世にでることは恐らくないだろう、と思ってましたから。
 アメリカは、一応民主主義国家であるというのが建て前です。
 その建て前を崩す恐れのある情報は、なにがなんでも封殺・消去するのが、いわゆる「アメリカの正義」でありました。
 ところが、それが出ちゃった!
 もちろん、暴露したひとは殺されちゃいましたが、それが世に出たってことは、途轍もなく大きな事件です。
 なぜなら、それは、アメリカ1%の世界統治に反旗を翻す勢力が、アメリカ国内にも超多く存在する、ということの逆証明にもなる事実ですから。
 ロシアに亡命した元CIA局員のエドワード・スノーデン氏は、先日、大統領候補のトランプ氏と会合し、アメリカが11月に行うはずの「不正選挙」の手口について多くを講義し、また警告もしたそうです。
 大統領選挙前に、いまアメリカン・マスコミがさかんに支持率の発表なんかで誌上を賑わせておりますが、いいですか、マスコミ・コントロール用のあの「支持率」なんてすべてがもりもりに持った誇大広告であり、つまるところまったくの粉飾支持率ですから。
 トランプ氏から糾弾されていることからも分かるように、ヒラリーこそアメリカ1%のフロントであり、アメリカ1%の君臨のための最後の希望なんですよ。
 ヒラリーが落馬したら、それすなわちアメリカ1%の転落を意味します。
 連中の胸には、かつてのソビエトでの仲間であったオルガリヒたちの落魄が、強烈に焼きついてるにちがいありません。
 トランプ氏は、自分が大統領になったら、かつての政府の閣僚たちはひとりも残さない、と公言しております。
 つまり、堂々と世界権力に喧嘩を売ってるんであって…よっ、痺れるぜ、トランプさん、日本一---!
 そんなこんなしてるうちに、2016年の9月11日---なんと、911の追悼式のWTCがあった式場で、大統領候補のヒラリーがふいに倒れちゃって、しかも、衛星中継でその醜態映像が世界中にバラ撒かれちゃったとくる!
 これは、もう神に見放されたとしかいいようがないですねえ。
 一説では、ヒラリーはあのとき死んだ、なんて情報もアメリカの新聞に乗りました。
 実際に死んだかどうかの確認はとれてない---けど、ヒラリーが脳血管型認知症の患者であり、かつ重度の癲癇もちであり、あまつさえ人工肛門まで装着しているという情報は、医師でさえ認めている厳粛な事実ですからねえ。
 いずれにしてもヒラリーがかつてのパフォーマンスを見せられないくらい弱っていて、どこかに入院している、というのは事実のようです。
 ま、悪辣政治世界での出来事ですから、影武者のヒラリー2号だの3号だのが新たにアメリカン・マスコミに登場して、あいかわらず誌面を賑わせちゃいますけど、ねえ、たとえばこのフォトなんぞどうよ?
 ねえ、あなた、どう思う?---これがかつてのあの猛女---ヒラリー・ローゼンベルク・クリントンと同一人物だとお思いですか?




 僕は、いまさらいうまでもなく偽物だと思うけど…。
 だって、似ても似つかない---仮装大賞にでても賞には届かんでせう、これじゃあさあ…。
 この替え玉のオバちゃん、平凡なまったりオーラがですぎてる---実物ヒラリーの、あの人格異常スレスレの、ギラギラした冷酷な凄みもまったくないし。




 アベちゃんはこの偽ヒラリーに話をあわせて白々しくも握手なんかしちゃってるけど、よーく考えたらまだ大統領になっていないひとの応援に一国の首相が応援にでかけるっていう、この構図自体に途轍もないムリがあるのよねえ。
 なんで一方のヒラリーにだけ挨拶しにいって、もう片方のトランプさんには会わないの?
 答えは簡単---アベちゃんというひとは、もともとがアメリカ1%の忠実な飼い犬だからです。
 ひとことでいって「傀儡」---こんな3流の会合をしたり顔で流すマスコミも、むろん同罪。
 我が国は、たぶん、歴史はじまって以来の最悪期の谷底にいます。
 アベノミクスは、斜陽の米国を支えるために日本全体を「貢ぐクン」にする誓約でした。
 マイナス金利なんて、あれ、銀行関係のひと見て違和感感じないのかね?
 感じないのなら、そのひとは銀行マンなんかじゃないよ。
 マイナス金利は、そもそも金利の否定であり銀行自体の否定です。
 数学でいえば、定理自体の否定に等しい異常事態ですよ、つまり。

---なんでまたそんな異常政策をおっぱじめたのか?

 アメリカ国債買って$暴落を防ぐために決まってるじゃないですか---ほかに考えうる解釈はひとつもない。
 だからねえ、僕としては、そういうまともな視点があるひとに一刻も早く発言してほしいの。
 生活守りたくって黙ってるだけかもしれないけど、その沈黙、高くつきますよ、たぶん。
 これから文無しになるひとたちは、あなたたちが黙ってたこと、決して忘れませんから。

 話、ちょっと飛んだかな---ま、いいや---その誓約は半ばかなえられ、ニッポンはとめどなく貧しくなったわけです。
 これほど日本が汚れ、これほどのうそにまみれた時代はなかった、と僕は思います。
 あの応仁の乱や、かつての大本営発表の悪夢時代とくらべても、うん、いまの汚染具合のほうがよっぽどひどい。
 僕等の大事なニッポン国はね---ええ、この種の傀儡(日銀のクロダとか!)に集団でガシガシ喰われ、嗚呼、栄養失調でいまや沈没寸前なのよ---!

 とかなんといってるうちに、世界の関ケ原である11月がゆっくりと近づいてまいりました---。
 世界の裏社会の元締め・アメリカ合衆国はどうなるのか?
 そして、我等がニッポンは生き残れるのか、それとも生き残れないのか?
 下天は夢か? いいや、夢なんかじゃないと思うぞお。
 魂のゴングがそろそろ打ち鳴らされます。
 皆さん---戦(いくさ)準備のほうはそろそろよろしいでせうか?---用意ができたなら、固めの杯を交わしたのち、粛々と戦場に赴こうではありませんか?---アメリカのくびきのない、人種偏見と戦争プロジェクトと騙し・タカリのない清浄な地平を目指して---なに、プーチン・ロシアの援軍も、習近平氏率いるAIIBの連合部隊もじき到着します---僕等はひとりじゃない---美しい幻想をいくらかでも現実に近づけてゆくために、僕も自分なりにめいっぱいやっていく所存です……!

                                                                                                   (了)


 
 
 
 



 

徒然その236☆ 神保町の歩きかた♡ ☆

2016-09-18 20:35:01 | 身辺雑記


 元・極道である作家の浅田次郎氏は、その筋のむかしの知りあいにいちばん行き会う確率の高い町として、東京・神田にある古本の町「神保町」をあげてられます---。
 オレオレ詐欺だとかお見合いパーティー詐欺だとかの、いわば時代の最先端をいく新規犯罪の企画屋さんたちは、ほぼ例外なく読書家で勉強好きであり、みなさん神保町の常連さんであるというんです。
 いや~っ、クリエイティブな方は皆古本好きってこの情報は、僕、好きだなあ!
 神保町は、僕にとっても縁の深い町なんです。
 大学卒業後、羽田空港でしばらくバイトしてたんですが、職場仲間と格闘してそこを辞め、ふたつのめの仕事として結構長いこと夜間清掃のバイトで糊口を凌いでたことがあるんですが、その職場、この神保町から案外近かったんですよ。
 だから、この町には、僕的にいろんな思い入れがあるんです…。
 世に廃墟ブームが訪れるはるかまえ、いっしょに夜中の八王子城なんかに突っこんだ、職場仲間で泥棒もやってた山口出身のO、おーい、元気かぁ---!?
 あと、ザ・フーの強力なフリークだったモッズ小僧のS、まだ生きてるかあ?
 そういうわけで神保町は、僕のなかで特別な町としていまだ逞しく機能しているのです。
 ネットがあまりにも発展しすぎちゃって、PCからのダウンロードが音楽鑑賞の主流となり、CDショップなんかは相当のピンチのようですが、紙媒体を扱う神保町はまだ元気なようですね。
 以前、神保町でいっしょに遊ぶことの多かった、太極拳の師範代のOが夭折してしまってからしばらく行くことを避けていたその神保町へ、イーダちゃんは先日ひさびさにいってまいりました。
 なんか、懐かしかったです、なにもかも--町に流れてる空気そのものが、なんだか無性に愛おしい…。
 ただ、神保町交差点近くにあったディスクユニオンは、潰れてましたねえ---撤退なのかな?----僕、ここのお店にはずいぶんお世話になったんだけれど。
 印度風カリー店の「エチオピア」、健在。
 スマトラ・カレー屋、健在---でも、メニューがいくらか増えてたな。
 友人Kが結婚式をあげたとき、僕が祝いの言葉を述べた学士会館---健在。

 僕の神保町散策の定番は、まず「書泉グランデ」さんへの訪問からはじまるんですよ、いつも。
 「書泉グランデ」さんはいいお店です---リチャードコシミズ氏の本なんかもずいぶん初期のころから扱ってくれてますしね---古い本はさすがにないけれど、山岳関係、占い関係、オカルト関係、スピリチュアル系---いろんな分野の代表本が、こちら、いついっても漏れなく揃ってる。
 「書泉グランデ」さんを小一時間ばかり散策してから、靖国通り沿いの音楽書籍専門の「古賀書店」にいってみた。
 こちら、僕がクラッシク狂だった1時期、さんざん通いつめ、そうそう、当時幻の希少本だったジャック・ティボーの「ヴァイオリンは語る」なんかも、僕、こちらで買ったんですよ。(目の玉の飛びでるようなお値段で!)

 その「古賀書店」さんのお隣りにあるのが、知るひとぞ知る、知らないひとはまったく知らない、占い書籍専門の「原書房」さん。
 こちらの店、いついっても店内に霊の垢みたいな淡い織が、空気中に淀んでる気がします。
 ここ、客層が暗くて、また、非常にコワイ…。
 くるお客さんくるお客さん、みんなうつむいてるし、なんとなく霊能者っぽい佇まいなんですよ。
 ボロいコート着た、目つきの鋭いじっちゃん&ばあちゃんが東洋占術の棚に手を伸ばしたときなんて、僕なんかいつも大仰に場所譲ってましたもん。
 いま現在の僕は、かの松村潔氏に師事してたころと比べて、占いといった分野にまったく関心を失っているんですが、彼に私淑してたころは、それこそ週に一度は必ずここ来てましたよ、うん。
 ただ、馴染みの「古賀書店」さんにしても、この「原書房」さんにしても、僕の見るかぎり、ネット情報のもたらすメディア変化の激流といったものからの影響というか弊害は、やはり免れていないように見えました。
 ひとことでいっちゃうと、十年まえと比べると、もう全然お客が減ってるんですわ、これが。
 神保町という町全体に、なんとなく秋の気配が忍び寄ってきている気がしてきちゃいました。
 でも、まあ、神保町は好きな町ですから…。

 あてどなく、午後いっぱいを使って、この町を散策するのは、僕の楽しい娯楽のひとつです。
 で、疲れたときに必ず立ち寄る僕の常連のお店のひとつは、まずここ---地下鉄「神保町」駅からすぐのとこにある喫茶「さぼうる」----




 超・昭和なサ店ですけど、いいっスよ、ここ---コーヒー一杯400円也! 
 テーブルちっちゃくて、それこそ隣りの客と肩が触れあうくらいの間隔で座らなきゃいけないときもあるけど、そして、コーヒー自体も決してウマイとはいえないシロモノだけど、ここでくつろぎ、狭い席で煙草をくゆらせ、買ってきたばかりの本を薄明りのなかでガサゴソ広げるときの淫靡な悦びは、近代的な大量店舗のスタバやマックじゃ決して味わえない種類のものでせう。
 そういえば、この店の奥のテーブルで、別れ話したこともあったっけなあ…。

 お勧め2件目---「書泉グランデ」の裏筋の通りにひっそりとある、創業昭和11年のお店、包子餃子「スヰートポーヅ」さん----





 ここも僕はとっても好きでね、ガッツリ喰いじゃなくて憩い喰いしたいときには、いつでも僕はここいきます。 
 創業以来の素直で、クセのない、優しい、ほっとする味なんだ、ここの餃子は。
 ニンニク入ってないんだそうな---ほかの喰いモノのときには、なんでも悪魔のように唐辛子をふりかける僕ですが、このお店ではそんなこと決してやりません---野菜の自然な甘さをじんわりと噛みしめる店なのよ、ここは。
 昼時、混んでると相席になる恐れあり---ひと見知りさんはそのへん注意!

 まあ、今日のぶらぶら散歩はこんなとこかしら?---あと、参考までに神保町散策の地図、ひとつあげておきますねえ---


<


 んじゃまた近いうち---チャオ!(^0-y☆彡




 
 

徒然その235☆ 三輪山より飛鳥、そして、なぜか西成へ… ☆

2016-09-18 13:26:22 | ☆パワースポット探訪☆

             <天樫丘天文台---蘇我氏の邸宅があった場所---よりの眺望: 背後に見える山は畝傍山>

 えーと…2016年の9月5日、「三輪山」の登拝をすませたイーダちゃんは、すぐその足で飛鳥に向かっておりました。
 僕以外にもその手のひと多いと思うんだけど、飛鳥ってね、僕の魂の故郷なんですよ、ウム。
 アスカって言葉の響きだけで、なんだかもうわけもなくたまらなくなっちゃうの。
 飛鳥---なんてふしぎな響きだろう…!
 これは、中学時代からの根っからの性癖なのよ---いわば骨がらみ。
 なにより飛鳥は、僕がニッポン文学の最高峰だと考えている、あの「万葉集」を生んだ土地でもあるしね。
 このたびの衝動旅では、実のところメインデッシュはあくまで「三輪山」のみであって、ほかの土地を訪ねることなどまるきり考えちゃいなかったんですが、「三輪山」の凄さを身体で味わってしまうともういけない、
心と倹約回路のタガは一気に外れ、歴史オーラ・オタクのハートに炎が着火され、列車地図を見直してみたなら、なんと飛鳥って三輪から案外近いじゃないですか。
 これは、もう、行くっきゃない---!
 てなよなわけで、近鉄電車を乗り継いで、いってきました、飛鳥村…。

 何年ぶりですかねえ、飛鳥にきたのは…。
 飛鳥駅---いつもクルマできてたんで、実のところ電車での訪問ははじめてです。
 台風12号の影響で雲行きはあまりよろしくありませんが、なに、飛鳥は飛鳥です。
 平日の飛鳥駅は、閑散としてました---観光客の姿もほとんど見られない---小雨のパラつくなか、駅前の粉モノのお店に入り、
 ひさびさの本場・関西お好み焼きに舌づつみを打ち、観光協会にて民宿の予約を入れたあと、
 馴染みのレンタルサイクル「万葉」さんでいつも通り自転車を借り受け、さっそく飛鳥散策の旅にでかけてまいりました。
 飛鳥は、もうトンボの季節になってましてね----
 いつか、栃木の北温泉を訪れた際にも、あまりのトンボの数に仰天した記憶があったけど、それ以来の驚きです。
 特に、「伝飛鳥板蓋宮跡(飛鳥京跡といま改名中だそうです)」の付近のトンボさんらは凄かった。
 僕のガラゲーカメラじゃ解析度低いんで、あまりその雲霞状況が写しきれてはないんですが、まあ試しに1枚----ぱちり。




 坂の多い飛鳥散策に自転車を利用すると、必用なのは一に体力、二に体力---毎度のことですが、駅前から高松塚の長い坂をこえていくのは応えました---特に、僕の場合、午前に三輪さんを登拝したばかりでしたしねえ。
 天気は、台風12号影響の曇り模様---湿度も高く、なんとも蒸し暑い。
 その難所の高松塚をゆきすぎ、飛鳥川をわたり、僕個人的にいちばんフェバリアットである「伝飛鳥板蓋宮跡(飛鳥宮跡と現在改名中)」を目指します。
 ここ、なーんもない、がらんちょんとした、広大な、普通の田んぼのなかにある廃墟なんです。
 簡単な説明書きが1枚あるきりでね、売店やお店もなんもない。
 遺跡の向こうの田んぼでは、おっちゃんがフツーに農作業してられるしね。
 でもね、このなんにもない「飛鳥宮跡」の廃墟が、僕は、大好き…。
 初めてここを訪れたのは、いまを去ること30年以上まえの、高校の修学旅行のときだったんだけど、その初訪問の時点で、僕はこの跡地に魂を吸いとられるのを強く感じたんです。
 当時はここ、あくまで「板蓋宮跡」であって、「飛鳥宮跡」とは考えられていませんでした。
 けど、この地に立った刹那、紅顔の純少年であったイーダちゃんは、

----ああ、まちがいない…、ここ、絶対、飛鳥宮の跡地だよ……!

 と、全身の細胞と原形質でもって体感したのです。
 その本能的な体感が、現実の調査の裏づけでもって、ようやく立証されつつあるなんて、なんともドラマチックで喜ばしいかぎりです。
 実際、あの額田王なんかも、この地で長いこと宮遣いされていたらしいのよ。
 論より証拠---まずはフォトでもって、かの地の息吹きと涼風とを体感していただきませうか----






 
 
 如何かな?---過ぎ去った「時」の御姿とそのほのかな残り香を嗅ぎとっていただけたでせうか…?
 僕はここにくると、いつも茫洋とした静かな想いに包まれて、あっという間に小1時間はたっちゃうの。
 ちょっとほかに類のない、ふしぎな場所ですよ、ここは。
 霊感のあるひとにいわせると、ここにはなにやら特別な「竜の道」っていうのが通ってもいるらしい。
 霊感ゼロの僕にはそれを感知することはできませんでしたが、かつてここで過ごし、暮らした無名の人々のさまざまな思いの残り香を、かろうじて嗅ぐことだけはできたようにも感じます。
 あ。2枚目フォトの右端にちょっと写ってるのが「飛鳥宮」の解説板ね。
 ここ、解説らしきものはここにしかないの---看板もなし---店舗も売店もゴミ箱もない。
 人間業のはかなさをここほど感じられる場所は、そうはない。
 いろんな英傑がここにはいたことでせう、俊才も、美女も、陰謀家も、業突張りもいたでせう。
 でも、そのような栄華は悠久の時の彼方---いまはもうだあれもいない。
 太古の都の廃墟が、なんの衒いもなく、飾りもなく、ただ風のなかに茫洋と佇んでいるばかり…。
 このぶっきらぼうな見せかたもなんかたまらん---ええ、「古(いにしえ)」に心を飛ばすには、ここ、飛鳥でも最上級のカタパルトであると僕は思います----。


                           ×          ×          ×

 飛鳥では、この「飛鳥宮跡」のすぐ裏手にある民宿「吉井」さんに宿をとりました。
 清潔でほっこりした、いいお宿---食事もとっても美味しくて。
 正直、飛鳥の里に泊まるのはこれがはじめて---温泉至上主義のそれまでの僕は、温泉のない地に宿ることは絶対になかったのです。
 しかし、多くの古墳に囲まれた飛鳥の地で泊まるのは、なんかよかった---。
 夜の8時頃、なんの脈絡もなく、ふいに絶縁してた大阪の友人にTELすることを思いつきます。 
 彼は大学時代からの古い友人で、僕がかつて 徒然その30☆古書「うんたらた」主人の内緒話☆ という記事にあげたこともあるYという男なんですが、5年ほどまえになぜか仲違いして、以来連絡もずーっと途絶えてたんですよ。
 思いついてから、10秒くらい迷いました---うーん、どうしようかなって。
 だって、拒否られたらヤじゃないすか?
 でも、「三輪山」は復縁の山ともいわれてるし、えいや、とにかくかけてみさんせ、と一気にTELをば。
 したら、お互いに思うところはいろいろとあったものの---明日会おうって話になった。

 で、超・個人的な話で恐縮ですけど、交友復活することができました…。
 三輪さんの(地元のべつの関西友人は「三輪山」のことを三輪さんと呼ぶのです)おかげだよね---ありがとう。
 そんなこんなで、この旅は、とても有意義な旅だったのです、僕的には。
 ただ、最後にこのYが新大阪まで送ってくれることになって、僕等、途中の天王寺で飯でも喰おうといっぺん出たんですよ。
 僕は、天王寺のアーケード街で飲んだ学生時代の記憶があるから、アーケード街で一杯やりたいといったわけ。
 でも、ふたりでそっち方面に向かってみたんだけど、天王寺の駅前はべつの新興都市みたいにイオンや大資本やらの攻勢ですっかり綺麗になっちゃてて、ないんですよ、かつての埃っぽい感じの昭和昭和したあのアーケード街。

---あれ、おかしいね?

---いや、こっちにいったら新世界のほうへ出るはずや…。

 なんてふたりして昭和のアーケード街、駅からだいぶ離れた地点でやっと見つけて、そこをウロウロと奥までいったらさ---いつのまにやら大阪・西成地区のド真ん中に迷いこんじゃった…。
 日本最大のスラムとかドヤ街といわれてる西成のあいりん地区を、貴方はご存知?
 いやー、凄かったっス…!
 なにが凄いってそこ近辺のアーケード街、みーんなシャッター街なんですよ。
 で、そのやや暗のシャッター街を、クルマ椅子のじいちゃんが、なぜかいっぱい自走してる。
 そのうちの8割がくわえ煙草で上半身裸プラス裸足---んで、半分以上がモンモン入りなんですよ---ワシ、若いころブイブイいわせたんや、みたいな。
 あっちでは上半身裸の半パンの痩せこけたまっ黒のじいちゃんが、ところかまわずガン飛ばしてるわ----
 道のこっち側は自転車が百台くらいごしゃごしゃって集団駐輪してるわ----
 ほぼ一街区にわたって洗濯物がぐわーっと道なりに干してあるわ----
 公衆便所を覗いたら「注射器を捨てないでください!」の貼り紙はあるわ----
 職安を通りがかったら、無数のくたびれたじいちゃんがそこかしこに座りこんでて、なぜかそこに救急車もとまってて、美空ひばりが大音響でかかってるわ(ちなみに流れてたのは東京キッド」でした)----
 もうね、異郷の地よ---雰囲気的には東南アジアの感じかしら?
 東京の上野公園あたりにも一時期ホームレスがいっぱいいた記憶はあるんだけど、あれよりダンチに凄い。
 写真撮りたかったけど、撮ってるとこ見つかったら殺されそうなんで、ちょっとムリでした。
 どうにもならない生のままの、巨大すぎる、匂いたつような貧困のデッサンがそこにはありました…。




 ただね、この光景、悲惨といえば悲惨なんだろうけど、僕的にはなんともエネルギッシュに感じられらたのも事実。
 これほどじゃないにしても、ひとむかしまえの東京の上野あたりじゃ、似たような光景はよく見られたんですよ。
 けれど、いま、東京でホームレスの姿を見ること以前よりぜんぜん少なくなりました。

---なんで?

---貧困ビジネスに喰われちゃったから…。

 いま現在の日本には、ホームレスをあえて誘い、生活保護を申請させてから彼等を集団で狭い住居に住まわせ、その生活保護のあがりをかすめるという手口のニュービジネスが存在し、蔓延しているのです。
 こうしたビジネスをビジネスとして認めてしまうという社会は、僕は、「悪」だと思う。
 弱者を喰いモノにし、税金のあがりをかすめ、それを商売として認可してしまう社会っていったいなんなの? って感じます。
 また、これは、あくまで推測でしかないけど、2010年に外国からの臓器移植が禁止になってから、このような貧困狙いのビジネスが興隆してきたって話もある。 
 もの凄い闇ですよ、これは…。
 マスコミも扱わない、貧困ビジネスの世界の裏で、いったいなにが行われているのか?
 そういった意味で西成地区にまちがって迷いこんだこの道中は、僕的には非常に刺激になりました。
 ええ、年金が破綻したいま、西成地区の窮状は、僕等にとっても他人事じゃない。
 あれは、ひょっとしたら僕等の社会の「あした」かもしれない---沖縄での現況が僕等の「あした」でもあるように…。

 思わず硬すぎる話になりました---でも、僕、こんな風な旅になったのは、やっぱり、これ、「三輪さん」の導きだったように感じてるんです。
 聖から俗---さらには俗の下にある地獄界---それらが三つ巴になって、僕等の世界は今日も輪転していきます。
 ほんとに「あしたのジョー」じゃないけどさ、ついこういいたくもなってくるよね?

---ねえ、世界、知ってたらちょっと教えてもらえないかな?---僕等はどうなるの?---幸せになれる? それともいままでの弱者切り捨てや自分だけ勝ち組の業なんかで地獄堕ち決定かな? 黙ってないで教えて---僕等のあしたってどっちよ……?


★この大阪発の親友Yの口から、古い学生時代の女友達のKちゃんが去年死去していることを知らされびっくりしました。
 高校のころのM・I君、バンド仲間だった家高、太極拳の師範代だったマブダチのS・O…夭折した大事な友人らの顔が次々と胸中をよぎります。
 ねえ、俺ら、いつのまにかそんな世代になっちゃったんだなあ…。
 Kちゃんとはそれほど仲良しじゃなかったけど、いっしょに旅行にもいったりした若いころの大事な仲間ですから。
 死因、くも膜下だったそうです。
 月並みですけど、Kちゃんの冥福を願ってやみません…。





 
 

 



 
 

 

徒然その234☆ 三輪山にいってきました ☆

2016-09-10 19:33:25 | ☆パワースポット探訪☆



 Hello、皆さん、お元気?
 3ケ月のご無沙汰でした---。
 このところ私生活でいろいろありまして---その詳細はのちほどブログにあげるつもり---ちょっとねえ、ブログどころじゃなかったんですよ、ここ最近の僕事情は。
 連日の常軌を逸したオリンピック狂騒報道があんまりウザすぎたって影響も、ちょっとはありそう。
 ま、僕、オリンピックは結局いちども見なかったけど。
 だって、はっきしいって、いまはオリンピックどころじゃないんじゃないですかね、皆の衆!
 お祭りに浮かれるのは勝手だけど、お祭りと戦争のセットは、いつでも国の陰謀の隠れ蓑として使われるという事実を忘れちゃなりません。
 で、7.10参院選不正選挙であいかわらず自民が圧勝したっしょ?
 応援してるRKブログは biglobe のなんかのわからん圧力でID抹消されちゃうしさあ…。
 (しっかし、こんな分かりやすい報道の自由封鎖、見たことないぜ(# ゚Д゚)!)
 で、まあ、それやこれやで現世のあまりといえばあまりの穢れっぷりがもうたまんなくなったんです。
 たまりたまったこの俗世の垢を洗い落としたくて、どうにも辛抱できなかった。
 というわけでこの9月、イーダちゃんは、夜勤明けの足でほとんど衝動的に、憧れの三輪山に向かっていたのでありました。
 ええ、日本一のパワースポットとかねてから噂されている、あの「三輪山」---
 邪馬台国の卑弥呼が祈りのたび登っていたといわれる、あの「三輪山」---
 万葉集の第一巻で額田王が、

----味酒(うまさけ) 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠れるまで 道の隈い積るまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見さけむ山を 情(こころ)なく 雲の 隠さふべしや

 と唄ってもいる、あの禁足の地「三輪山」へ---。




 遠く、万葉の時代から、「三輪山」は、すでに神の山でした。
 木や草々のすべてに神の宿る山といわれ、長いこと信仰の対象になってたの。
 場所的には奈良の大阪寄りに位置しており、日本最古の神社といわれている大神(おおみわ)神社の、御神体であるのがこの「三輪山」---
 そう、この大神神社には、御神体の社殿がないんスよ。
 自然の、ありのままの山が、古(いにしえ)からずっと信仰の対象として崇められてるわけ。
 実際、明治の治世になるまで、「三輪山」は、神職以外は足を踏み入れることのできない、神聖な、特別な山だったんです。 
 ですから、「三輪山」に上ることは、大神神社への参拝と同義であり、この山に登ることは「登拝」と呼ばれてます。
 神聖な山であるからして、登拝前には宮司からの厳しい説明とお祓いとを受けなくちゃいけません。
 あと、入山前に宮司から襷をわたされ、登拝中は絶対それをはずせない。
 むろん、登拝中の撮影も、山での飲食も喫煙も、山のものすべての持ち帰りも---草木のきれはしから石や砂利の一粒にいたるまで---固く禁じられてます。
 高さ的には標高467mとそれほど高い山じゃないんですが、ここの登拝路は案外急で険しいの。
 怪我人も結構でるみたいだし、場合によってはヘリを呼ぶことなんかもあるらしい。
 トイレもない、水飲み場もベンチもない、道をはずれたらマムシなんかも結構いるみたいだし。
 霊能者の江原啓之さんが「日本で5本の指に入るパワースポット」と紹介したことで一挙に有名になったみたいだけど、とてもとてもそうしたミーハー的視点から語れるような山じゃありませんや。
 「三輪山」は、ホンモノです---僕は、まえからそう予感してた。
 ただね、生きてると雑事とか義理とか仕事とかいろいろあるじゃないですか? 
 そういった意味で今回の登拝を後押ししてくれたニッポンの諸々の穢れ事情には、ある意味感謝してるといってもいいのかもしれない w
 呼ばれたひとしか行けない、といわれた「三輪山」まではるばる僕を誘ってくれたんだから…。
 
 ただし、夜勤明けの昼過ぎに横浜をでて、午後の2時までに神社での登拝受付をすませるのは物理的にむりがあったんで、僕は、新大阪→大阪→鶴橋→桜井 のラインで三輪近郊の桜井までいって、とりあえずそこに宿をとることにしたんです。


 

 前哨基地としてセレクトした奈良県・桜井は、田舎でしたねえ。
 まえに何度か飛鳥探索の際、この近辺をクルマで奔った記憶はあるんだけど、そうした記憶以上に近鉄・桜井駅近郊はさびれてました。
 歴史を感じさせる古い町並とまばらなひと通り。
 廃ボーリング場が中心部にある、駅前の桜井1番街なんてすべての店舗がシャッター街で、ほとんど廃墟みたいだったんだもん。
 ひとことでいうと大変僕好みの町---町全体に漂うノスタルジックなムードがもうたまらん。 
 ま、でも、ここで元料亭である「皆花楼」さんって云う渋いお宿を見つけて、そこにお泊りできることになりまして、夜勤明けだったから夕刻になるともうバタンキューと眠っちゃいました。
 で、翌日早朝に起きて、近鉄で目的の三輪駅へ…。
 三輪は、予想していたように田舎でありました。
 ずっとむかしに住んでいた愛知県の豊川市の町並---豊川には豊川稲荷があるんです---と自分のなかでちょっとかぶる部分があった。
 小さな地元の参拝客相手の商店のひとたちが、いそいそと開店の準備をしてるのを眺めながら、その商店街の通りを抜けて---「大神神社」の表示通りに進むと、まずは山の入口にある大鳥居に目を吸いとられます。
 噂のその大鳥居をしばし見物してから、肝心要の「大神神社」に向かいます。
 いい歳して、なんかドキドキしてきたぞ。
 参道途中でたまたますれちがった30くらいのアメリカ人と挨拶して少し世間話したりして、気分も上場---懸念は、九州まですぐ迫ってきている台風12号のもたらす雨模様だけです…。




 さあ、いよいよ「大神神社」の鳥居をくぐり、境内の狭井(さい)神社にむかいます。
 こちらの社務所にて登拝料の300円を支払い、登拝の手続きを行い、宮司さんより説明を受けるのです。
 時刻は午前9:07---頂いた鈴つきの襷を掛け、登拝用の杖なんかもお借りして、軽くストレッチなんかも少々---深呼吸を幾度かしたら、いざ、
撮影・飲食・排泄禁止の、神秘で厳かな「三輪山」登拝の開始です---!




 入口の鳥居をくぐって、ウムという感じで気を引きしめて登りはじめると、いきなり鬱蒼たる山中です。
 あとにUPした地図からも分かるかと思いますが、くねくねとつづら折りの急坂がつづき、あまり周りを見まわす余裕はありません。
 一歩ごとに濃くなっていくオゾン臭を意識して、階段から足を滑らせないよう注意しつつ、黙々と距離を稼ぎます。
 まだ下界が近いので、下のほうから町の音、三輪小学校のチャイムなんかが流れてくるのが、なんかふしぎな感じ。
 そんな按配で5分ほど登ると、小さな沢と合流しました。
 有名な狭井川です---なんて綺麗な水だろう。
 目を細めて川沿いの道をしばらくいくと、やがて小さな橋につく。
 丸木を組んだだけの、素朴な、短い橋です。
 「①丸太橋」という表示あり。

----なるほど、こんな一里塚みたいな表示で登拝に区切りをつけるんだな、なんて思う。 

 昨夜の雨のせいもあって、いくらか滑りもするんで、注意して渡りました。
 耳を洗うような心地いい水音を聴きながら、ぬかるみっぽい道をまたまた歩く---道の両側の草々にシダ類がずいぶん多いんだなあ、と思ったことをいまでも覚えてます。
 で、ほどなくして2番目の道標「②中の沢」へ到着。
 蝉に鳥に沢のせせらぎ…。
 そして、下界からはほんのり町の生活音…。
 なんともいえない山の雰囲気に吸いこまれるように無心に登っていくと、心なしか全身の感覚が尖っていくような気もします。
 岨道(そばみち)の急坂という坂を息を切らして登っていくと、「③三光の滝」というとこに着きます。
 ここは、三輪山のなかで唯一建物のある場所なんですね。
 ただ、ドライブインにあるみたいな休憩所じゃまったくない---ここは、滝行をするひとのための行者小屋なんです。
 僕がついたとき、この小屋の奥にある滝壺で、真言を唱えながら熱心に行をされてる方がおられました。
 三島由紀夫の遺作「豊穣の海」のワンシーンをふっと連想したりもします---ええ、こちら、「豊穣の海」の第二巻「奔馬」の舞台になった場所なんですよ。
 もそっと見てもいたかったけど、でも、ま、修行の邪魔しちゃいけませんからね、早々に退散---空模様がだんだん怪しくなりはじめたんで、ペースアップを意識しながら登ります。

 このあたりから坂はさらに険しく急になってきました。
 浮き石も結構多いし、足場も滑るんで要注意。
 白い衣装を着て、裸足で降りてくる女性の方に道を譲って、軽く挨拶なんか。
 このあたりでいささか息が切れてきて、そろそろこのへんで休んでもいいかな、なんて思っていたら、そこ、道行のほぼ中間地点にあたる「④中津磐座(なかついわくら)」という聖場でありました。標高364.5m。

 この「中津磐座」から「烏山椒の森」あたりまでの道筋が、たぶん、いちばんの難所なんじゃないのかな?
 僕、このあたりで岩登りする際、片手で手近な木の枝に捕まったら、それ、もの凄い強い棘のある枝でして、強く掴んでいたらエライことでした。
 
----ヤバー! なんて独り言いって、手のひらを寄せて見ると、ああ、ぽつぽつと雨の到来です。

 木の茂った場所を探して、濡れてない岩に軽く腰かけて、20分ほど雨やどりしました。
 このまま雨やまなかったらどうしよう? なんて不安がちょっとよぎったりもします。
 しかし、幸いにしてしばらく降ったら雨やみましたので、再び登拝開始。
 膝に手をあて、ナンバを意識しながら、登ります。
 もうこの辺りまでくると、全身びしょ濡れで、どこまでが汗でどこまでが雨の濡れなのか分からない。
 スニーカーとズボンの膝から下は、泥だらけ。
 町の声ももう届かない。
 静寂と、木の葉にあたる雨音だけが木霊する世界です。
 ハアハアいう自分の息が、なんだかうるさくってね---疲れで雑念が飛んで、「三輪山」に呑まれていくような感覚が次第に募っていきます。
 直径2mは下らない大きな切り株が、あっちにゴロゴロ、こっちにもゴロゴロ。
 割れた大岩の隙間から伸びている大木。
 あと、大きなアブが旋回してどこまでもしつこくついてきたり…。
 疲労の極のなか、「⑥烏山椒の森」を行きすぎ、「⑦こもれび坂」という場所も通りすぎました。
 椎と樫の深い樹林のなかをさらに歩くと、心なしか坂の角度がゆるやかになってきます。
 僕よりもさきに出立した登拝の兄ちゃんが降りてきたんで、ああ、そろそろ頂きなんだ、と嬉しくなります。
 案の定そうでした---しばらく行くと「⑧高宮神社」の素朴な館があり、そこからさらに奥に100mばかりいくと---ああ、頂きの「⑨奥津磐座(おくついわくら)」への到着です…。
 標高467.1m。
 数字的には、決して高い場所じゃない。
 けれど、もの凄い隔離された高度を感じます。
 僕のまえに到着された方が2名ほどおられて、磐座---溶岩みたいに溶けた黒い岩々が連なっている、ふしぎな磐座のまえにしつらえられた祈祷所の順番を待っているのが窺われました。
 僕も待つことにします---するとねえ、なぜだかまた大ぶりのアブがぶんぶんやってきた。
 まえに鎌倉の「百八やぐら」を訪れたとき、スズメバチに追われたことがふと思いだされたりもします。
(イーダちゃんの過去ブログ、パワースポット編 徒然その58☆鎌倉・恐怖の百八やぐら☆を参照のこと)

----こういう聖場には、虫の番人がいるものなのかな…?

 なんて思いながらアブをよけてたら、僕の番がまわってきました。
 しずしずと磐座の正面に立ち、賽銭箱に小銭を投げ、無心に合掌します。
 僕は、合掌するときは、ほとんどなにも考えないんです。
 個人的な祈りなんてやりません---いつも、自分をからっぽにすることを心がけてただ手をあわせるだけ。
 そしたら、しばらくして、なんともいいようのない静かな気配が、雨まみれの身体にしずしずと染みてきた…。
 こういう気配はいままで味わったことがありません---下北半島の「恐山」、熊野神宮の「大斎原(おおゆのはら)」、伊勢神宮の「内宮(ないくう)」、それと北海道道北の「サロベツ原野」…。
 身がすくむほど厳しかったり、死を近くに感じすぎておののくことしかできなかったり---それこそ全国各地のいろんなパワースポットをまわってきたもんです。
 で、パワーのあるところって怖いとこだって半分方思ってた。
 「三輪山」だって、むろん怖いんですよ---もともとフツーじゃない場所なんだもん。
 けれど、こんな棘のない、まろやかで優しい、包みこむような波動を、このような神所で感知しようとはよもや思いませんでした。
 邪馬台国の卑弥呼がこの場所で祈祷をしたという伝承を、この時点で僕、すでに信じてました。
 静かでなおやかな、まったく未知の種類の深い恍惚が、そこにはあったのです---。
 父的というよりは母的---熊野の古道に遠い地縁つづきで繋がっているような---それは恐らく、ニッポンのここ以外の場所では絶対に味わえない類いのものでせう。
 もっと長いこと磐座のまえにいたかった…。
 もっとこの懐かしい波動のまえに佇んでいたかった…。
 でも、次の待ちびとが待ちかねてましたからね---イーダちゃんはなんとか自分に区切りをつけて、次の方に軽く黙礼して、あえてぶっきらぼうな仕草で「奥津磐座」のまえから粛々と離れ去ったのでありました…。




 「三輪山」往復の所要時間、1時間50分---。 
 20分雨やどりに費やしたから、実際の登拝時間は、1時間半といったところでせうか。
 登拝後、あまりにも腹がへったので、駅近くのお店で名物の三輪素麺をいただきました。
 でもさ---これが量、全然ないのよ!---綺麗に盛りつけてあって、麺自体も腰があってホント美味いんだけど、あまりにも量がさあ!
 朝からなんも食べてない僕には、その点だけが唯一の不満となりました。
 けれども、ゆっくり素麺を喰い終えても、時刻はまだまだ12時前---これはのんびりしちゃいられない、とイーダちゃんはおもむろに腰をあげて、泥まみれのズボンの裾をからげ、次の目的地である飛鳥へと歩きはじめたのでありました……。
                                                                                     (了)