イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その6☆大林宣彦「転校生」について☆

2010-10-09 13:58:16 | ☆映画レヴューだ、ぱるるんぱ☆
 ストーリー:神社の石段から一緒に落ちたことがきっかけで、互いの身体が入れかわってしまった高校生の男女、斎藤一美と斎藤一夫。
 親に事情を説明するものの当然そんなSFもどきのよた話は信じてもらえないので、やむなくふたりはお互いの家や友達もそっくり入れかえたかたちで生活しはじめることに。しかし、やがて一夫の父親から転校の話が……。(1982年大林宣彦作品)



      奇跡の一本! (ToT;>

 20年ぶりに見直して、泣きました……。
 なんという素直な、そして、純粋な思いやりと愛だろう! 
 ちょっと青臭くて、幼稚で、いささか恥ずかしくもあるんだけど、この映画---これは<シャシン>とあえて読みませう---全体の素直さは、ちょっと凄いモノがあると思う。
 僕、大林さんの映画は全て好きで、特にこれより後期の「ふたり」なんかは圧倒されて大好きな座右の一本なんだけど、この「転校生」の純粋さ、素直さは「ふたり」の完成度を上回ってるとまで今回、感じました。
 抒情派の作家って、だいたい青春期に一本極めつけの作品を作ってるんですよね。ほろ苦くて甘酸っぱい、青春期特有のたまんない一本。作家の感受性がそのままスクリーンの画面から透けて見えるような、しなやかでいて暖かな一本ってのを。
 これ、その後の大林さん全部を象徴するような映画になってると思いますよ。
 ある意味、神業。すべてパーフェクト。撮ろうと思って撮れるようなもんじゃあありませんや。偶然まで味方につけて生まれることのできた、これは、ある意味幸運な作品かもしれませんねえ。
 あの白黒のラストシーン、尾の道の遠景、ノスタルジックなトロイメライ……あのなかにすべてがありますね。
 僕あ見てて、全てのシーンがたまんなかった。
 笑って笑って、ときどき泣いて、けれど、ずっと胸の奥がむずがゆかった。
 この映画の素直さ、純粋さは、及びがたいです。
 人間のちゃちなたくらみの全てを凌駕して、ほとんど天上の域までまっすぐ達してる。
 つまりは至上の一本! 役者も小林聡美さんをはじめとして、みんな凄いオーラを出してます。これからこの映画を見ようという貴方、貴方はむちゃくちゃ幸運な方です。目ん玉をかっぽじってとことん見てやってください。
 そして、息を呑んでください。
 名作とは、コレのことです……。



   なんか映画の記事が繋がっちゃったんで、次は別なの行きませうね

徒然その5☆露西亜映画「話の話」について☆

2010-10-09 13:46:56 | ☆映画レヴューだ、ぱるるんぱ☆
    黙り込む宝石


 
 この映画はロシアのアニメ映画なんですが、僕らが一般的にそう聞いて連想するアニメというのとはちょい位相がちがいます。
 僕ら平均的日本人は、アニメというとまあ大ビッグの宮崎駿さんとか、ディズニー・タイプのモノを思い浮かべると思うんです。
 要するにある程度写実的な「絵」に沿って、誰にでも認知できる「事件」が起こり、総括的「物語」が展開していく、といったような---。
 しかし、この「話の話」に限ってはそうじゃありません。
「物語」というよりは、これは一種の「詩」でせうね。誰かの内面的な「夢」というほうがもっと近いかも。一般的なアニメーション的なキャラは、ここには登場しません。登場するのは、ノスタルジックなタッチでデッサンされた、切り絵キャラの「子狐」。それに同じく切り絵のカップルたち。シャガール顔の切り絵の漁師に、縄飛びする少女と中世の絵本から抜け出してきたような、やったら悲しげな表情の牛さんと。
 セリフはなし。一種の無声映画みたいな手法で全編が編み上げられています。
 要するにストーリーじゃないんですよ、イメージの流れをアトランダムに並べたら、たまたまこんな映画になったみたいな---(^^;
 でも、この極端に内気で寡黙な映画ほど、胸にガシガシ突き刺ささってくる映画ってほかにないんじゃないかな、とイーダちゃんは思っているんですけど。
 こんなに淋しくて切ない映画はないよ、マジで。
 戦場帰りの若者が故郷に帰る途中、田舎の食卓に呼ばれる影絵の回想シーンが劇中にあるんですが、これを見たとき、僕はそこに自分の前世の記憶がそのまま映し出されているような気がして絶句しました。
 背骨に直接染み入るような、なんというやるせない郷愁!
 縄跳びする少女と中世牛の切なそうな表情といったら。
 背後に流れるE・フィッシャー奏するバッハのプレリュードとフーガもたまんない。
 そこいらの叢からばたばたーって飛び立つ鳥たちの後ろ姿をとっさに見送るときの、子狐のあのなんともいえない憧れのまなざし……。
 すべてが影絵のようにはかなくて、淋しくて、でも、素朴でいて、どっかあったかくって。
 この映画、ほとんどユーリ・ノルスタイン監督が何年もかけた「ひとり切り絵」で作り上げているというんだから、なおさらびっくりですよね? 世の中にゃあ凄え奴がいたもんだ。
 とにかく絶句モンの一本です。
 是非、見てやってください。シベリウスの音楽みたいに寡黙で内気な映画ですが、映画を見終えるころには、貴方は間違いなくその寡黙な意地らしさを抱きしめたいくらい愛おしく思うようになっていることでせう。
 この映画は宝石ですよ---それも、ホントに大切にしてくれると確信できる友人、もしくは特別の恋人にしか紹介したくないっていうような類いの、とびきり大事な、秘密の宝石。
 上映後、極上のため息がつける保証付き。後悔はしないんじゃないでせうか、たぶん。(^o^;>

徒然その4☆スペイン映画「ミツバチのささやき」について☆

2010-10-09 13:24:42 | ☆映画レヴューだ、ぱるるんぱ☆
  聖少女アナ・トレント (^.^;>




 僕がいままで見たなかで最も美しい映画がこれ。
 ええ、「ミツバチのささやき」---。
 好きすぎて客観的に語るなんて到底できっこない。
 この映画は、小さな奇跡だと以前から思っております。時代設定はスペイン内戦のころ。でも内戦の影響はあんまり描かれてません。内戦が人生にもたらした蔭のようなかすかな「印」を、エリセ監督の繊細なまなざしが注意深く、ひとつひとつ丹念に拾い集めていくのです。
 内戦はあくまでも遠景。ですが、遠景だからといって、知らんぷりに徹するってわけにもいかない、大人たちはみんなそれぞれに打ちのめされ、傷つき、絶望しているんです。ちょうど現代ニッポンの、我々大人たちのように。
 こうした鬱々とした環境のなかで生きる少女、アナ・トレントの演技が、また一世一代モンの超ド級の怪演。とゆーより、コレって演技なんでせうか。無垢すぎ、可愛すぎ、真に迫りすぎてて、なんか怖いんですけど……。
 抒情派の作家はその青春期に一世一代の傑作を撮る、というのが僕の持論なんですけど、ビクトル・エリセ監督においてのソレは、やっぱりこの「ミツバチのささやき」なんでせうねえ。
 この映画、はっきりいって人知を超えてマス。
 偉そうに高みから評価なんておこがましい、はっと気がついたらこっちが逆に値踏みされてる、そんな鏡みたいなおっそろしい映画です。
 浮気してるひとは見んほうがいいよ、アナの瞳の光に裁かれますよ。
 嫌いなひとに笑いかけてるひともご用心、あざといもの、嘘の花、アナはみーんな見てますよ---。
 ああ、こんな阿呆なことを書いていても、映画のアナの瞳を思い出すと、僕の胸はきりきりと痛んでくるのです。
 で、映画とは縁のない日常の暮らしに回帰していくワケ。
 でも、しばらくたって、日常の垢に再びまみれる暮らしに慣れはじめると、またしても映画のなかのアナに逢いたくなってくるのです。
 なぜ? 理由は判んない。けど、いつも決まってそうなりますね。間違いなく。
 イコン画のなかの小さな聖者のようなアナ・トレントに出逢うなら簡単です。「ミツバチのささやき」のDVDを見ればいい。すると、ほーら!---そこはもう人生の向こう側です……。(ToT;>

           http://soundcloud.com/iidasama/tdpuo2tgxvpn

 ◆上記アドレスは、海外サイトの soundcloud という音楽サイトです。アナがひとりで郊外の脱走兵の小屋を訪ねていったときに鳴るギター曲「さあ、嘘ごっこしましょう(スペイン民謡)」を耳コピして、イーダちゃん自身が演奏・録音したものです。40秒ほどの短い曲だけどね、哀切感があっていいんだ、これが。google で検索すると行きやすいかと思います。興味ある方は、是非!

徒然その3☆邦画「櫻の園」(1991)について☆

2010-10-09 13:20:01 | ☆映画レヴューだ、ぱるるんぱ☆
櫻の花の恩寵みたいな一本 (T.T;>



 この映画、櫻華学園の敷地の外を一切映してないんですよ。
 それはもう見事なくらい徹底してる。唯一映る校外の風景は、冒頭近く、主人公の清水部長が発声で屋上にあがったとき、わずかに屋上の柵のあいだから校外の家々がちょこっと見えるだけ。しかも、それ、櫻の花びら越しの遠景ショットですからね。なんかおぼろで、かえって夢じみて見えるんですよ。
 全体のカメラ目線が、完全に櫻華学園演劇部の視点から練られて、撮られているんです。最初から最後まで。だもんで映画中盤あたりまでくると、自分が櫻華学園演劇部の一員である、みたいな妙な自覚がいつのまにか生まれてきちゃって---(笑)
 ふっと気がついたら「櫻華学園演劇部」という一種ユートピアみたいな小宇宙に腰をすえて、若い少女たちと一緒に一喜一憂しはじめてる自分を見つけてなんかびっくりする、といった風な仕掛けになってる。
 うーむ、伝統の「櫻の園」は、はたして上演できるのでせうか?
 この映画のテーマはね、みーんな、遠くの校外からやってくるんです。杉山事件にしても他学校所属の杉山の友達たちにしても。「櫻の園」上演を渋る職員会議にしても、その動きはやっぱり外からの黒船的な到来の仕方でやってくるワケでして、ヒロインの少女たちは、まあ、いってみれば非常に受動的な存在なんです。
 ところが、この位相が最期の最後に切り替わるんですよ。
 紆余曲折の末、「櫻の園」がようやく上演できる運びとなって、いよいよ舞台の幕も上がったとき、演劇部の少女たちが今度ははじめて自分から、お客でいっぱいの舞台のなかに歩みだしていくのですが……
 そのときの少女たちの顔がみんな凛凛しいったらないの!(T0T;>
 吉良邸討ち入りの際の赤穂浪士の顔はこうだったんじゃないか、と思うほどみんな無心で、美しい、実にいい顔をしてるんですよ。
 蝋燭台をもった清水部長がきりっとなって、
「いきます!」
 それに答えて普段は生意気そうなマキちゃんが謙虚に、「はいっ」---。
 で、白色の音のない舞台に出ていく清水部長とマキちゃん、それから舞台の裾からその様子を見守る演劇部のみんなの真剣な面持ちを、カメラは淡々と静かに映し出していくんです。
 ああ、もう、涙でちゃいますねー (T.T)
 好きってコトバを超えるくらいこのシーンが好きですよ。
 で、それらすべてを見守るように、櫻の花びらが淡い春空をはらはらと舞い散っていて……

      久方の光のどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ(紀友則)

「櫻の園」、これ、神品だと思います。
 中原俊監督、一世一代の、会心の一本!(^.^)/

徒然その2☆ルパン三世「カリオストロの城」について☆

2010-10-09 13:12:16 | ☆映画レヴューだ、ぱるるんぱ☆
 こんにちは。昨日はホロヴィッツの話でしたけど、今日はいきなり映画の話など---映画、お好きですか?
 僕は、ふだんはそんなに見ないんですよ。どちらかというと音楽聴いてるほうが多いかなあ。
 今回はなぜかアニメ。懐かしの名画、ルパン三世「カリオストロの城」の話をばひとつ。(^.^;>


       一編の童話として (^.^)>



 僕がこの映画とはじめて出逢ったったとき、宮崎さんはいまみたいなビッグ・ネームじゃなかったんです。
 この次の「ナウシカ」が初めて世に出たときだって、「えっ。アニメぇ? あなた、アニメなんか見るの?」なんて偏見顔に変化(ヘンゲ)する大人のほうがはるかに多かった。
 そんなアニメの受難時代、アニメ大好きの知人に連れられていった「カリオストロの城」だったんですが---ところが、これがとてもよかった。清涼剤みたい。僕、これ観たあと、黙りこんじゃいましたもん。
 いま、ひさしぶりにこれ見直して、僕、当時と同じ感慨に包まれました。
「なるほど。要するに、これは童話なんだな」
 作者がいちばん素直なスタイルで自己を告白したと思われる物語、これを童話と称します。おじいさんやおばあさんが登場しなくたって童話は成り立ちます。それにルパン三世って怪盗というよりどっか魔法使いっぽいじゃないですか。
 僕がこの映画を見ていちばん残るのは、なんというか「青空」なんですよ、いつも。
 たとえば冒頭の盗難シーン、いまさっき盗んできたばかりの国営カジノの金が偽札だと気づいて、走行中のクルマから大量の札をばら撒くところ。あのあと大量の札が空に舞いあがり、ぱーっと風に乗って落ち葉みたいにちらばりますよね?
 地上の凡ての価値が、あそこで一端「無」になっちゃうワケなんですよ。いわばカーニバルの開場宣言。あの背景になったあのときの青空の高さがまず僕は好きだなあ。(^o^;/
 もうひとつ好きなのは、ラストの、エンディングの空です。伯爵を倒し、クラリスを助け、財宝の謎を解き、去っていくルパンと追う銭形との頭上にひらけていく広い空……。
 あそこで物語全体が広いほう、高いほうへぱーっとひらけて膨らんでいくんです。そのときのなにか甘酸っぱいような、そして同時に胸のあたりがむずがゆいような、一種独特のノスタルジックな解放感は、ちょっと言葉に変えがたいものがありますね。
 ああ、いいなあ。
 すると、そんな僕らの感情を代弁するように元庭師のおじいさんがすかさず、
「なんて気持ちのいい男たちだろう」
 もー なんというか決まりすぎ!
 宮崎駿さんは、私見によれば、ストイシズムとはあまり縁のないタイプの、感覚派の大芸術家であります。タイプ的にいうなら、僕はトルストイがいちばん宮崎さんに近いと思う。そんな彼が若い時分、たまたま制約だらけのアクション・ムービーの監督をやることになった。後の「ナウシカ」や「千尋」みたいに自分のなかのカオスを表に出すことができなかったから、宮崎さんとしては不服だったかもしれない。
 でも、結果的にはそれで万事オッケー。
 宮崎さんの作品のなかでももっともキュートでしなやかな一品がここにこうして仕上がったんですから。後期の大作群とはいささか趣を異にしておりますが、雅(みやび)の総量においては当作品がいちばんかと。
 青春のありったけのエネルギーをぎゅっと封じこめて出来上がったこちらの映画、僕は、これを極上の青春映画として、あるいは大人のための美しい一編の童話として、日々愛好させていただくことにしております。(^.^;>