イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その200☆<永訣の朝 for 2014.12.30>by イーダちゃん☆

2015-01-20 14:32:03 | ☆イーダちゃん音楽工房☆



 Hello、元気っスか?
 国歌試験を5日後に控えた、ややテンパリモードのイーダちゃんデス。
 本来ならこんなことやってる場合じゃないんですが、前記事でも紹介したように、去年の暮れに仲のよかった友人がふいに亡くなりまして、これ、彼のための追悼ソングなの。
 つくってすぐに録音---伴奏もVocalもぶっつけ本番のTake1録り!
 (注:その後やはりアラが目立つため録りなおし、正確にはこれ Take5 です)
 僕の Vocalは謙遜じゃなくひどいんですが、まあまあ想いが乗ったんでそのまま挙げちゃいます。
 あ。むろんのこと、僕と彼とはホモだちじゃありません w
 ただ、あんまり事実に即しすぎてると生臭いんじゃないかと思ってね、ラブソング風に絡めてみました。

      youtube iidatyann  <永訣の朝 for 2014.12.30>by イーダちゃん

 聴いてくれたら嬉しかです。
 なあ、ドン---ここ、池袋の四面塔のとこだよ---話しながら君がコンビニで買ってきた菓子をふたりして野良猫にやってた場所だ---じゃあ、ドン、達者でな!---今後君について俺が書くことはもうあるまいと思う。

徒然その199☆追悼・太極拳野郎<ドン>PARTⅡ 挽歌篇☆

2015-01-11 13:12:02 | 身辺雑記
                  
                              <熊野川写真。2008.11.28.7:22早朝撮影>


 はーい、これ、徒然その196☆追悼・太極拳野郎<ドン>!☆の続編であります---。
 あまりに個人的な記事であり、かつ、明るい内容ではないので、興味ない方には素通りをお勧めします。
 去年の年の瀬の師走の30日に、仲のよかった友人が突如として亡くなりまして、僕等、1月の10日に彼の実家の春日部に集まったんですわ。
 彼の訃報を知らされた大晦日と同様、この1月10日も晴れ晴れとした、いい天気でした。
 5人の友人が集まり、午後の1時ごろ、皆でドン宅に線香あげにいったんですけど、もう70才のお母さんなんか憔悴しちゃっててね…そりゃあそうだ、手塩にかけた実の息子がふいに亡くなっちゃったんだから---ある程度予想はしてたんだけど、やっぱ、たまんなかったですねえ…。
 僕も、泣くまいとは思ってたんですが、実際に遺影と骨壷とを見ちゃうと、だめでした。
 こみあげてくるものを、ちょっととめられなかった。
 それに、すぐ後ろじゃ、情熱家のSがさっきから号泣してるし…。

----たく、ドンよぉ…こんなにちっちゃくなっちまいやがって……。

 なぜ、ひとは死ぬのか?
 死んで、どこにいくのか?
 鼻の奥に涙っぽいにおいを嗅ぎながら、僕は、そんな幼児じみたことをしきりに考えておりました。
 お袋さん、最初は平静だったんですが、僕等と思い出話してるうちにたまんなくなったんでせうね、杖ついたまま両肩を震わせて、

----代われるもんなら、あたしが代わりたいよ…。ねえ、もう、70だし、じゅうぶん生きたし、○○○と代わってやりたいよぅ…!

 それ、真近で見ながら、唇噛んで、僕は、じっと正座してて…。

  (死)(夭折)(逆縁)(永久の別れ)(骨になって)(運命ってなんだ?)

 お袋さんが警察の解剖を頑なに拒否したんで、結局、ドンの死因は分からずじまい。
 でもね、そりゃあそうだよ、解剖して生き返るんならいくらだって同意もするけど、もうさ、死んじゃってるんだから。
 どこをどう細工したって生きかえってきやしないんだから。
 だったら、いまさら死因なんて特定してなんになる?
 ドンは夜のいつかに自分のいるプレハブ小屋をでて、そのすぐさきのところの道路で、両足を軽くまげて倒れていたそうです。
 朝の9時にゴミ出しに出た親父さんがそれを見つけて、すぐお袋さんに知らせて。
 慌てて杖ついて出てきたお袋さんは、以前、看護士みたいなことやってたらしい。
 倒れた息子を見た途端、ああ、これはもうダメだ、と感じたそうです。

----ああ、これはね、見た瞬間、もうダメだなっていうのが分かったの…。でも、消防のひととかが一生懸命人工呼吸とかしてくれてるから、そんなこといえないでしょう? あたし、ダメだなあって思いながら、ぼーっとそれ見てたんですよ……。

 僕がこの日いちばん応えたのは、お袋さんのこの言葉でした。
 線香あげてから、皆で、鳩ヶ谷いって、そこのでっかいイオンで飯、食いました。
 積もる話もいっぱいあったから、結構盛りあがりましたね---。





 で、解散してから、僕はひとり、ドンのいってた太極拳の道場へ---。
 中国の四川に帰省していた癡半先生が、前日に帰国されてて、僕のいくのを待ってられたのです。
 僕が、十条の道場についたとき、もう陽はとっぷりと暮れておりました。
 先生しかいない道場に、僕は、ひとりであがります。
 先生とお逢いするのは、いついだったかドンに道場の忘年会に招かれて以来だから、たぶん6年ぶりくらいだったんじゃないでせうか?
 でも、あんまり違和感はなかったな。
 

----おひさしぶりです、先生…。

----ああ、よくきてくれました。ホント、よくきてくれた。さあ、なかに入ってください…!

 それから、僕等は道場の隅の椅子に陣取って、ドンの話をしました。
 ドンは、この道場ができたときからずっと師範代を勤めてきたきた、先生のいちばんの愛弟子でした。
 だから、先生とのつきあいも深く、先生自身もドンのふいの逝去にショックを受けているのが見受けられました。
 武道的にいうなら、この方、文革の時代をくぐりぬけた真正の達人で---僕も気功で飛ばされたことがある---でも、そのような達人であっても、今回の事件にひとかたならぬショックを受けて、僕とおなじようにやっぱり悲しんでいる、やるせながっているって事実は、僕の心を少し慰めてくれました。
 本当に僕等、いろんな話をしました。
 「武」の話---「弟子」の話---「書」の話(この癡半先生は、高名な書道家でもあるのです)---「拳法」の話---。
 ドンがよく叩いていたサンドバックを、先生の肩越しにときおり眺めながら。
 先生は、道場のドンの名札をはずさない、といいました。
 それから、僕に大事にしていた四川の石をくださいました。


       

       

       

 道場を去るとき、先生は、僕が道場沿いのまっすぐの道を曲がって見えなくなるまでずっと、僕の背を見送ってくださいました。
 僕も、200m先の角で立ちどまって、先生に目礼して、そして、ドンの道場をあとにしたのです…。


     亡き友に送る

---春日部の晦日に君を吸いあげし 紺碧の空を 今朝も見あげて…

 さらば、ドン、俺は生きる---そこの桟敷から見守っててくれい!     (了)  

                             
 


徒然その198☆厭がらせ迷惑メールにちびっとだけセンスあり!☆

2015-01-06 22:22:27 | 身辺雑記
                   


 あのね、徒然その195☆1214解散総選挙<世田谷6区砧公園開票所の夜>!☆って記事をあげた直後から、僕の携帯には、だいたい1日に1000件くらいの迷惑メールがどばーっとくるようになりまして…。
 もーねー 凄いったら。
 200件が上限のフィルターなんぞじゃ、とても阻止なんかできやしない。
 これは、もう狙い撃ちですな(トここで鼻を鳴らして)。
 ま、迷惑メールくらい僕はどうってことないんだけど、待ち合わせのとき、これ、とっても困ります。
 駅で待ってて、相手方のメールが入って、「おっ、やっときたか!」と携帯をあけると、メールボックスには、ずらーっと108件くらいのメールがびっちり入ってる!
 これ、ケッコー悪夢よ。

----ひーっ! と、もう呻るしかない。

 というわけで迷惑メールの業者さん、できたらこーゆーの、もうやめてくださいね。
 僕は、競馬もやらないし、生活保護もいらないし、知らないひとから金貰おうとも思ってないし、見知らぬ女(書いてるのはたぶんオトコ。文体が実に雑でオトコ臭いもん)からいきなりセックスしよう、なんて誘われて喜ぶような田吾作でもないし、陳腐なエロメールにも興味ありません…。
 で、この1月弱ほどの迷惑メール攻撃で、迷惑メールのセミプロ級の鑑賞者となったイーダちゃんなんですが、迷惑メールってさすが迷惑メールって蔑み視線でいわれてるだけあって、どれもこれも実にセンスがないんですわ。
 コトバってさあ、たとえ書かれたものであっても、書いたひとの視線を必ず乗っけてるもんなの。
 迷惑メールの場合、この視線がいっつも非常に卑屈な斜め目線。
 下のほうから、ねぶるような屈折したまなざしでもって、放たれたコトバだなあってのが、こう、ありありと肌で分かるわけ。
 欲と劣等感がコトバの一語一語に粘っぽく貼りついているから、エロ読んでも、銭の誘い受けても、ときめかないよ、これじゃあさあ…!

----ときめきは、凡ての創造の母である。ときめきのない地には恋も歴史も生起しない。(イーダちゃん)

 そうだ、僕のところにここ連日きてるいくつかのメールを、ここに紹介してみませうか。

●[無修正]初の潮吹き mail@5qvkxzp.biz

●競馬裏ワザ情報局<3ie0s9kjf0@qldzg.xdmlinehrxm.com>

●元フ○テレビアナウンサー<pe1p4ap76z@lyq.xdmlinehrxm.com>

●お金にお困りの方へ jgsojh@sx2bgree.jp

 まあ、大抵こんなノリのが多いっスね。
 コピーも命名センスもありきたりの定石だから、ときめかないっしょ?
 ええ、なんかこれ書いてるひとの人生へのうんざり加減が、文字のうしろに貼りついてるのが見える気がするっちゅーか。
 てなわけでどれも瞬時に消してるんだけど、ひとつだけセンスいいのがあったな。

●ビショビショ法務局 お姉ギャルの舞香で~す☆<1vjyr0180t@skvkw.xdmlinehrxm.com>

 うん、このビショビショ法務局って命名には、ちょっと笑ったな。
 もちろん、いってみようとまでは思いませんでしたが…。

 大嫌いなテレビいわく、明日から寒波がまたやってくるそうです。
 海外じゃユーロ圏まで$からの脱出をはじめたっていうのに、なに下らないことばっか放送してんだか。
 ま、正月明けの体調が傾かないよう、よろしく心身のギア比を調整されてください---お休みなさい…zzz。
 

徒然その197☆ 川端康成にナンパされた女性の話 ☆

2015-01-05 18:00:19 | ☆文学? はあ、何だって?☆
                                 


 前略、あけましておめでとうございます---。m(_ _)m
 突然ですが、ロシア、中国、インド、トルコ、アルゼンチン等の国々がいよい悪貨$での取引をとりやめ、美輪明宏、大橋巨泉、室田明、サザンの桑田佳祐氏等の著名芸能人らが名指しでそろって阿部軍事政権を批判しはじめ、敬愛するサイエンス・エンターテイナーの飛鳥昭雄、医療ジャーナリストの船瀬俊介、さらにはあの副島隆彦氏等もようやく我が国のタブー「不正選挙」に言及しはじめ---うーむ、なんか、いい傾向っスよね?
 これまでは「不正選挙」だの「人工地震」だの「MK機を落としたのはアメリカ」なんていっても誰も聴いてくれなかったもん。
 でもね、そんなこれまでのことなかれの世界潮流、たしかに変わってきています。
 歴史の水の流れがビミューに澄んできてる、これまでは泥とゴミと産業廃棄物まみれの超・汚い濁流でしかなかったのに。
 期待するとがっかりするんであんまはしゃぎすぎないように自制してはいるんですが、今年はいい年になりそうだなあ、なんてほのかが予感が、いま胸のあたりに燭灯のようにほんのりと兆しています…。

 と、まあ枕はこのへんにしといて、今回はまったく政治的じゃない、川端康成のお話---。
 実は僕、哲学者の梅原猛先生とおなじく、熱烈な川端文学ファンでありまして、まあ出てる作品はほぼ読んでて、生前の逸話なんかにも結構詳しいんス。
 徒然その142☆イーダちゃん、湯ヶ島をウロつく!☆では、「伊豆の踊子」の舞台になった伊豆・湯ヶ島の湯本館までいき、湯本館のすぐ目の前にある、川端さんがよく訪ねたという古い雑貨屋さんで、活字になっていない、生前の氏のいくつかの貴重なエピソードを仕入れることができました。
 ただ、あくまでそれは間接的なご縁でしかないわけで、僕の人生と川端さんの実人生とが、なんらかの意味で交錯したわけじゃない。
 文学という接点はたしかにあるんでせうが、僕的には、もっとリアルティーのある、より肉感的な接点が欲しかったの。
 で、川端ファンになって以来、僕は、その種の接点を探しつづけてきたんですね。
 私事ですが、僕、鎌倉生まれでして、川端さんが晩年居を定めていたのもおなじ鎌倉じゃないですか?

----こりゃあ、きっとなんか探せばつながり、きっとあるぞ---赤ん坊時分にたまたま同じ電車に乗りあわせたことがあるとか、そんなことくらいなら結構ありそうじゃん…。

 とばかりに調べつづけたんだけど、いまさらそんなこと調べようがないのは自明です。
 だもんで、まあ諦めかけてた---そんな矢先の去年末のこと---懇意にしてる知りあいの、ひとまわり以上年上の女性のI さんと話していたら、彼女の口から何気にこんな言葉がまろびでてきたのです。

----あら、あたし、川端康成にナンパされたことあるわよ…。

----!?(びっくりして息を飲んで)

----むかし、十代のころ…。鎌倉のね、邪宗門って有名な喫茶店で…。

----マジ! えーっ、それ、マジっすかあ…!?

 その女性は若いころ結構美人さんであって---ウホン、いまでも華やかなオーラを撒き撒きする綺麗な方です!---当時、住んでいるヨコハマからよく近郊の鎌倉まで遊びにいっていたというのです。
 で、鎌倉でウロウロしてたら、背広姿でよくそのあたりに出没していた川端さんに声をかけられた。

----ねえ、お嬢さん、これから僕と遊びにいきませんか?

 と川端さん、あの独自に甲高い、関西なまりのイントネーション声でもって、若い女性とみると、誰彼かまわずニコニコと声をかけまくってたそうです。

----あの先生、エッチなのよ…。若いキレイなコがいると、すぐに声かけてくるの。ニコニコしてたけど、おっきな眼がちょっと怖かったわ…。

 当時といえば、川端さんがノーベル文学賞をとったあと、いわば名声の絶頂にいたころ、だのに、なにやってんだか、この先生は?
 しかし、富やコネや権威を利用すればいくらでも女性なんか調達できたろう大物である川端さんが、こんなフェアなナンパに明け暮れていたなんて、ちょっと好感がもてなくもないですね。
 邪宗門っていう喫茶店はいったことないんだけど、どうも調べてみると、寺山修司と天井桟敷が関係してた店のようです。
 2013年に残念ながら鎌倉店は閉店しちゃったようだけど、そのつながりでいくと、たしかに晩年の川端さんが訪れてもふしぎじゃない。
 なーるほど、川端センセイ、あなた、栄華の絶頂にいたにもかかわらず、淋しくて淋しくて、素人の女性とふれあいたくて仕方なかったんですねえ?
 でも、金と地位をひけらかさない、その素朴なナンパの姿勢は立派っス。
 I さんは、邪宗門で川端さんと2度会って、2度目に彼氏といたときには、ふたりして川端さんからお昼をおごってもらったそうです---。
 川端さんが自室で岡本かの子の原稿を執筆中に急に外出し、逗子アリーナで例の自死を遂げたのは、その1週後だったとか…。
 

 僕は、自死だきゃあどうにも認められない。
 日頃から生きたくっても生きられず亡くなっていくひとを大勢見てますし。
 Honkowaの霊能者・寺尾玲子さんもみっちゃんも自死はいかんといってる。
 ただ、川端康成さんの場合だけは、どうにも仕方なかったのかなあ、と思います。
 あの異常に繊細すぎる感性を運びつづけるには、あれが、限界だったような気もちょっとはするんだけどね…。


                 
                           <鎌倉の邪宗門:上図>


 つい先日、僕も大切な友人を亡くしまして、久々になんとなく川端さんの著作をあたったりしてたら、やっぱりいいですねえ、川端さんって。
 もう染みた。厭になるくらい染みたんだ、これが。
 いま、これほど浸透性のある文章を書けるひとって、いないんじゃないんでせうか。
 切れる文章、はっとさせる文章、水飴みたいに自在に伸び縮みするサーカスみたいな文章、思わず立ちあがりたくなるインパクトと密度のある文章を書くひとならわんさかといますけど、静かに、なんの気張りも気負いもなしに、読むひとの心深くにしんと染み入ってくる、こんなふしぎな文章を書くひとは、僕は、川端さんのほか知りません。
 その川端さんがまだ若い時分、親友の作家・横光利一が亡くなったとき、実にいい弔辞を書いてる。
 その一部を抜粋して、今回のこの記事の結びにしたく思います----


横光利一弔辞

 横光君
 ここに君とも、まことに君とも、生と死とに別れる時に遭った。君を敬慕し哀惜する人々は、君のなきがらを前にして、僕に長生きせよと言ふ。これも君が情愛の聲と僕の骨に染みる。国破れてこのかた一入木枯にさらされる僕の骨は、君といふ支えさへ奪われて、寒天に砕けるやうである。
 君の名に傍へて僕の名の呼ばれる習はしも、かへりみればすでに二十五年を越えた。君の作家生涯のほとんど最初から最後まで續いた。その年月、君は常に僕の心の無二の友人であったばかりでなく、菊池さんと共に僕の二人の恩人であった。恩人としての顔を君は見せたためしは無かったが、喜びにつけ悲しみにつけ、君の徳が僕を潤すのをひそかに僕は感じた。その恩瀬は君の死によって絶えるものではない。僕は君を愛載する人々の心にとまり、後の人々も君の文學につれて僕を伝えてくれることは最早疑ひなく、僕は君と生きた縁を幸とする。生きている僕は所詮君の死をまことには知りがたいが、君の文學は長く生き、それに隋って僕の滅びぬ時もやがて来るであらうか…
 …中略…
 君に残された僕のさびしさは君が知ってくれるであらう。君と最後に会った時、生死の境にたゆたふような君の目差の無限のなつかしさに、僕は生きて二度とほかでめぐりあへるであらうか。さびしさの分る齢を迎えたころ、最もさびしい事は来るものとみえる。年来の友人の次々と去りゆくにつれて僕の生も消えてゆくのをどうとも出来ないとは、なんといふ事なのであらうか。また今日、文学の真中の柱ともいふべき君を、この国の天寒く年暮るる波濤の中に仆す我等の痛手は大きいが、ただもう知友の愛の集まりを棺とした君の霊に、雨過ぎて洗える如き山の姿を祈って、僕の弔辞とするほかはないであらうか。
 横光君
 僕は日本の山河を魂として君の後を生きてゆく。幸ひ君の遺族に後の憂ひはない。
 昭和二十三年一月三日


 なんという見事な音楽でせうか…。
 この文章につけくわえるコトバは一言もありません---お休みなさい---。(^.-y☆