イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その62☆人工地震説を検証する-PART2☆

2011-03-29 00:14:19 | ☆むーチャンネル☆
                      

----なぜ日本人はTVや新聞のマスコミ情報を信じるのか? 国が庶民に真相を告げることなんか稀なのに。(あるドイツ人)

 こんにちは---長らくの失業生活が終り、最近、晴れて福祉関係への就職が決定したイーダちゃんです。
 もっかの敵は入居者さんの徘徊と突発放尿、慣れないオムツ交換にクタクタしてる日々なんですが、むろんのこと、今回の某国仕掛けの人工地震プロジェクトについて黙ってるつもりもありません。仕事はじめの多忙さゆえ、ブログの更新が久しく遅れていましたが、今回再び前回の人工地震のテーマについて敷衍していきたい所存です。
 そうと決まったら、スマートに、かつ即物的に、しゃきしゃきいきませう。ほい。

 物証6。
 ページ・アタマにUPした富士近辺の地図をご覧あれ。
 こちら、福島や茨城の震源から、富士宮近辺に震源が移動してきたころの震源地の諸位置です。
 富士山を噴火させるべく、見事な正方形のかたちに震源地がならんでますね。
 自然ってなんてミラクル! なんていって驚くのは、はっきりいって阿呆だと思うぞ。NASAじゃないけどね、自然は直線を作らないっていうのは、このごろさまざまな学問分野の研究やフィールドワークで用いられるようになった、有名な定理です。しかも、これらの震源の深さが、皆、10キロあまりだっていうんですから、これは、まちがいなく人工地震の起爆地ですね。ボーリング工事で核を深く沈めて---たぶん、埋めこまれたのは、小型の、放射能をださないタイプの純粋水爆でせう---爆発させたものと思われます。

      静岡東部
       35.3 138.7
       35.3 138.8
      山梨南部
       35.4 138.7
       35.4 138.8

 幸い計画通り富士噴火惹起とはいかなかったようですけど、これは、人工地震説の有力な証拠のひとつになるでせうね。

 物証7。
 上の説の実質的敷衍になると思うのですが、2003年に東京大学・京都大学がともに「人工地震探査」を実施してます。
 以下、抜き書きします。

 富士山で初の人工地震探査 噴火予測へ地下構造解明
 http://www.47news.jp/CN/200309/CN2003090601000067.html

 富士山噴火に備え、人工地震で地下の構造を探る観測を11日、東大、京大など全国8大学の研究者らが共同で行う。  地下構造が解明できると、富士山の火山活動に関連する自然地震の震源がより正確に特定できるようになり、マグマだまりの場所の推定にもつながる。富士山の今後の活動予測に必要な貴重なデータが得られると期待されている。  同様の探査は1994年以降、毎年1つずつの火山で行われており、富士山では初めて。参加する研究者は8大学などの約60人。  静岡市と神奈川県津久井町付近を結ぶ約100キロのほぼ直線上5カ所で、地下約80メートルまで穴を掘り500キロずつの爆薬をセット。11日午前1時ごろから5分ずつずらして順次爆発させ、人工地震を起こす。 地震波は、過去の噴火で上昇したマグマが地表近くまで貫入して固まった岩脈が多数あると、速く伝わる性質がある。  人工地震の地震波を、富士山頂を含め発破地点を結ぶライン上に設置した約400台の地震計でキャッチ。地震波が届くのにかかる時間のずれを解析することで、こうした地下構造を詳しく解明する。 2003/09/05 23:21 【共同通信】

 このときのデータが、今回の富士噴火プロジェクトの契機のひとつとなったのは、ほぼまちがいのない事実でせう。

 次。物証8。
 これは1955年(昭和30年)9月21日の朝日新聞12版の3面記事です。

                  

 物証9。
 大企業雇いの用心棒批評家じゃない、市井の、まともな研究者による、今回の地震に関する貴重な意見。
 以下、抜き書きします。

 東日本巨大地震では、木造住宅や中低層の建築物に大きな被害を与える周期1~2秒の地震波があまり強くなかったことが、筑波大学の境有紀教授(地震防災工学)による地震波の分析でわかった。
 世界最大級のマグニチュード(M)9・0、最大震度7という規模にもかかわらず、揺れによる建物被害が少ない可能性が高い。
 地震波にはさまざまな周期の波が混ざっているが、境教授が各地の地震波の記録を分析したところ、周期1秒以下の波に比べ、周期1~2秒の波が弱かった。震度7を記録した宮城県栗原市や震度6強だった仙台市で得られた周期1~2秒の波の強さは、約30万棟が全半壊した阪神大震災の時の被災地に比べ2~3割程度だった。周期1秒以下の地震波が強いと、室内にある物は揺れるが、建物には影響が少ない。
 東日本巨大地震による各地の建物被害の状況はまだまとまっていないが、内陸部の栗原市では外観から判断する限り全壊建物は2棟にとどまる。また消防庁によると、判明している死者数の多くは津波被害の激しかった沿岸部に集中しており、内陸部では数十人程度。このことからも、揺れによる建物被害は少なかったと推定される。
 境教授は「地震の規模が大きくなれば、1秒以上の周期が多くなるとする常識と異なっている。揺れによる建物被害が少なかったとすれば、それは建物の耐震性が高かったためではなく、周期1~2秒の地震波が弱かったことの方が大きい」と指摘する。東京大学地震研究所の纐纈(こうけつ)一起教授(応用地震学)も「これまでにない現象で、謎が多い」と話している。
(2011年3月17日08時25分 読売新聞)
 
                  ………………………………

 このあたりまできて、まだ人工時地震の可能性を否定される方を、あえて説得しようとは思いません。
 僕は今回の地震及び原発事故は、すべて政府による大本営発表で、巨大なデマゴーグだと思ってるけど、それを信じたいというのなら、そういうひとはそれでいい。世界観を選ぶのは、そのひとなりの自由なんですから。
 僕としては、このページで少しでもこの地震に「?」を感じてくれるひとが増えてくれれば、それでいいんです。
 ただ、「陰謀論」ってレッテルだけで内容まで否定しようという動きには、かえって政治的な匂いを感じちゃいますね。
 ええ、50'S アメリカのアカ狩り騒動に、いまの「陰謀論」封じってちょっと似てないですか?
 あのときは、戦争反対の人間は、すべて「アカ」扱いされました。チャップリンなんかも「アカ」扱いされたあげく、アメリカから追いだされたりしてる。
 政府っていうのは、いつでも政府発表をすんなり信じる、扱いやすい、羊的国民を愛するものなんです。
 しかしながら、世界史っていうのは、そもそもが陰謀の体系ですからね。血みどろの権力闘争に、考えうる限りの謀略工作が伴うのは、一種当然の助動詞です。実戦なんて、いつでもフェイントと騙しあいがすべてなんですから。そういう血みどろの世界を、小市民的な「良識」でちまちま測ろうという考え自体にむりがあるんじゃないか、と僕なんかは思うなあ。
 世界の実相って、たぶん、想像もつかないくらい邪悪にできてる、とイーダちゃんは考えています。
 世界には、戦争で喰ってる勢力が確実にいるんです。
 彼等は、戦争が商売。マスコミと傀儡政府と官僚とを使い、大本営発表で国民を戦争に導き、武器と爆弾を消費させて丸儲け。戦後になったらなったで、今度は焼け野原と化した市街の復興にどこよりも早く先行投資して、またもや丸儲け…。
(興味のある方は、今回の東北の住宅復興に関連してる会社の株をお調べになってください。1月前に大株主が外国資本に乗っとられてる会社、そうとうあります。ちなみに東○電力の大株主は某国。福島原発の警備会社は2月からイスラエルの会社に切り変わってます)
 こんなこというと悪夢みたいですけどね、現在の世界を牛耳ってるロックフェラーやロスチャイルドなんて、そうやってここまでノシてきたんですから。
 彼等が世界の支配者で、たぶん、あらゆる戦争の仕掛人であります。
 世界中のマスコミと石油と銀行とアメリカ合衆国とを仕切ってる彼等---その彼等がいよいよ満を持して仕掛けてきたんでありますよ---宿願のハルマゲドンを。
 目的は黙示録にある世界政府の樹立。
 それから、大イスラエルの復興---対外的にはNWO( New World Order)なんて称してますが---いま行われているリビア空爆も、その大計画のための聖なる(?)布石です---。
 
 前回の僕のページには、厳しい意見が多かったですね…。
 こんな時勢に不謹慎だ、といった意見が特に多かった。なるほど、不謹慎だ、と僕も思います。
 しかし、たまたまあなたがひき逃げ現場を目撃したとして、負傷者の救助、救出がなにより重要事なのは僕も同意しますが、ひき逃げしたクルマのことは果たしてどうでもいいんでせうか? それが意図的なひき逃げ(殺人?)であったとしても、その可能性を無視して救助だけにあたるのが同胞としての正しい道なんでせうか?
 僕はそうは思いません。
 この地震は、ほぼ間違いなく仕掛けられた人工地震です。
 これはね、自然災害じゃない、最新型の、戦争には見えない形態の戦争なんです。
 このまま受け売りの飼いならし情報に甘んじていたら、もっともっとひとが死ぬんです。
 それが見えているのに、どうして黙っていられるでせうか? なんといわれようと、僕には、できません…。

 まえにもいいましたが、このさきの情報をさらに知りたい方のために格好のブログがあります。
 名ジャーナリスト、リチャード・コシミズ氏の主宰しているブログです。

  リチャード・コシミズ・ブログ richardkoshimizu's blog http://richardkoshimizu.at.webry.info/

 氏のブログへのアクセス数は、現在すでに2300万を突破しています。
 言辞的にかなりアクの強いひととは僕も思いますが、真相追究の腕の冴えにはちょっと無類のものがある---これ、花マルつきの推薦印です。

 最後に某国機関が撮影したものでない、仙台港の関係者が押し寄せる津波を船上から撮影した生々しい映像を、ここに紹介しておきませう。
 http://www.youtube.com/watch?v=O74EmlyG52
 これは凄いですよ---なにせ、津波が黒いんですから。

----仙台港の破壊です…。

 と、茫然とつぶやいてる撮影者の声が、長く耳に残る感じです…。

 最後の最後にもうひとつ---海ほたる怪談。
 今回の東京湾近辺の群小地震の多くの震源が、ここ、海ほたるの近辺でした。
 グーグルアース座標(海ほたる)=N35 27 46.87 E139 52 29.68・・・・。
 ここの沖でボーリング工事をして、そこに埋めた核で人工地震を誘発していたのでは、といった意見がいま、あちこちの分野で囁かれはじめています。
 ちなみに海ほたるの工事をしたのは、米ベクテル社という、地下核実験のボーリング業者です。
 ここ、「ベクテル社の工事したあとは地震が起こる」ともいわれてる、ちょっといわくありげな謎会社なんでして。
 20、30kmくらいの穴掘りは、簡単で、朝飯前だとか---阪神淡路大震災の時は淡路側の橋げたの、ボーリングをやったようです。その淡路側の橋桁の真下が震源だったというんですが、匂うといえば匂いますよね、ひょっとしてあちらの阪神大震災の場合でも?
 そういえば、福島原発でも放射能の測定値が、原子炉より海中のほうが高かった、なんて情報もたしか入ってきましたっけね?(3/27朝での情報)
 さらには福島原発から60キロ離れた海岸に流れついた津波の被害者の遺体が、放射能汚染の濃度が高すぎて回収できない、なんて話まである。
 ゾクッ。どういうんでせう、これって? まるで禅問答ですな。

----海難事故の被害者の遺体に、60キロ遠方の原子炉本体よりも強度の放射能が付着しているとは、これ如何に?

 答え:放射能をふりまいている地点が、原子炉じゃなくて、海底だからに決まってるじゃないですか。
 これなんか、海底核爆発の地震惹起の最右翼の証拠じゃないかと僕なんかは思うんですが、皆さんの意見はどうでせう?

 おお、ちょっとばかり長く喋りすぎたようです---幸い、今夜は地震もなく快適な夜長です---というわけで皆さまのもとにも良き眠りが訪れますよう---今日のところはとりあえず、ばいちゃ! (-o-)zzz


★低線量放射線:東京大学の稲博士が youtubbe で、今回の福島原発事故の放射能被害のマスコミ報道の虚偽について、さきほど会見をひらきました。マスコミ、政府、原子力安全委員会(この5人のメンバーのうち、本当の専門家は皆無だそうです)による通常のTV・新聞報道を覆す、本当の意味で愛国的な、素晴らしい会見です。必見! http://bit.ly/hgXQtS ★

徒然その61☆緊急:人工地震説を検証する ☆

2011-03-21 11:27:14 | ☆むーチャンネル☆
                          

 こんにちは、皆さん!---今回は修辞法ぬきでいきませう、それだけでも充分怖い話です。
 まず、上のテレビ画像、ご覧になってください。
 これは、いうまでもない、あの悲惨な3.11の東北関東大震災、最初の津波に襲われた宮城の映像です。
 うわあ! と自然の猛威に顔をしかめ、恐らくこの津波のなかに呑まれてしまった被災者のことを考え、茫然粛然となるべき場面です。
 しかし、ちょっと待ってください。そして、よーく考えて。

----この超スクープ映像、いったい誰が撮ったんだ

 ええ、構図も、アングルも、まるで練られた映画の画面のように考えぬかれ、整ってますね。
 そして、さらに驚愕の事実があります。
 それは、この画面の上から3分の1あたり、津波の追ってくる道路をやや越えてちょいの空のとこに、海から陸にむかって動いてる、白い飛行物体が見えるではありませんか。
 これ、拡大してみると、どうやらヘリっぽいんですよね。
 ええ、ヘリコプター---しかし、なぜ?---誰も知らないはずの天災をまえもって知るなんて不可能だ。
 では、いったい誰がこんな場所に、しかも、よりによってこんなときにヘリを飛ばしていたんだ?
 しかも、津波の進みぐあいを上空から偵察しているかのような飛行ぶり。
 仲間とずいぶんこの件に関してマスコミ情報を探ってみたんですが、マスコミはこの件に関して結局1行の報道もしませんでした。
 ちょっと、この写真では解析もわるく見にくいと思うので、この飛行物体が克明に見えるサイトをあげておきませう。
 http://www.youtube.com/watch?v=EamMRpA8UxA
 ご自分の眼でよーく検証されてください。まちがいなく、これ、ヘリコプターです。

 物証2。
 これ、今回の群生地震の震源地と時刻とのデータです。ま、ご覧になってください。

2011年3月15日17:30: 最大震度:1 41゜36.0'N  141゜36.0'E  80km  M:3.1 苫小牧沖
2011年3月16日05:27: 最大震度:3 41゜30.0'N  140゜12.0'E  10km  M:2.8 渡島地方西部

2011年3月12日08:05: 最大震度:3 39゜42.0'N  141゜48.0'E  10km  M:4.7 岩手県沿岸北部
2011年3月11日16:04: 最大震度:4   39゜ 0.0'N  142゜30.0'E  20km  M:5.8 岩手県沖
2011年3月12日19:53: 最大震度:4   39゜ 0.0'N  142゜30.0'E  0km  M :5.8 岩手県沖
2011年3月13日18:25: 最大震度:3 39゜ 0.0'N  142゜42.0'E  0km  M :5.5 岩手県沖
2011年3月12日00:02: 最大震度:2   39゜ 6.0'N  142゜30.0'E  0km  M :5.0 岩手県沖
2011年3月12日11:43: 最大震度:3   39゜ 6.0'N  142゜30.0'E  40km  M:5.2 岩手県沖
2011年3月13日06:58: 最大震度:3   39゜ 6.0'N  142゜30.0'E  10km  M:5.4 岩手県沖
2011年3月11日20:37: 最大震度:5弱 39゜ 6.0'N  142゜36.0'E  30km  M:6.4 岩手県沖
2011年3月12日15:19: 最大震度:4   39゜12.0'N  142゜30.0'E  10km  M:5.4 岩手県沖
2011年3月13日07:31: 最大震度:3   39゜12.0'N  142゜30.0'E  20km  M:5.7 岩手県沖
2011年3月14日15:44: 最大震度:3   39゜12.0'N  142゜30.0'E  20km  M:5.4 岩手県沖
2011年3月11日16:38: 最大震度:4   39゜12.0'N  142゜48.0'E  30km  M:5.9 岩手県沖
2011年3月11日21:16: 最大震度:4   39゜12.0'N  142゜48.0'E  0km  M :6.0 岩手県沖
2011年3月11日22:08: 最大震度:2 39゜18.0'N  142゜24.0'E  0km  M :4.8 岩手県沖
2011年3月11日15:41: 最大震度:4 39゜24.0'N  142゜ 6.0'E  50km  M:5.7 岩手県沖
2011年3月12日23:43: 最大震度:4 39゜30.0'N  142゜42.0'E  30km  M:6.1 岩手県沖
2011年3月11日20:58: 最大震度:4 39゜36.0'N  142゜18.0'E  0km  M :5.5 岩手県沖
2011年3月12日22:27: 最大震度:2 39゜36.0'N  142゜36.0'E  10km  M:5.3 岩手県沖
2011年3月12日12:02: 最大震度:3   39゜36.0'N  142゜54.0'E  10km  M:5.8 岩手県沖
2011年3月13日06:48: 最大震度:3   39゜36.0'N  142゜54.0'E  0km  M :5.5 岩手県沖
2011年3月16日15:29: 最大震度:3 39゜54.0'N  142゜18.0'E  40km  M:5.6 岩手県沖
2011年3月13日15:19: 最大震度:3 40゜ 6.0'N  142゜ 6.0'E  50km  M:4.3 岩手県沖
2011年3月11日15:49: 最大震度:3 40゜12.0'N  142゜36.0'E  10km  M:5.8 岩手県沖
2011年3月11日19:11: 最大震度:4 38゜54.0'N  141゜18.0'E  10km  M:5.7 岩手県内陸南部
2011年3月15日06:14: 最大震度:2 39゜ 0.0'N  141゜ 0.0'E  10km  M:4.1 岩手県内陸南部
2011年3月14日07:13: 最大震度:2 39゜ 6.0'N  141゜18.0'E  120km M:4.2 岩手県内陸南部

2011年3月12日05:08: 最大震度:3 40゜24.0'N  138゜54.0'E  10km  M:5.0 秋田県沖
2011年3月12日04:47: 最大震度:4   40゜24.0'N  139゜ 6.0'E  10km  M:6.4 秋田県沖

 まだまだ延々つづくんですけど、このあたりで切っときませう。
 こちら、東京大学地震研究所 http://tkypub.eri.u-tokyo.ac.jp/harvest/eqmap/tkyMAP7.html からのデータです。
 まったく同一の震源地、同じ深さから、幾度もくりかえされる連続地震…。
 なんざんしょ、これは? 自然発生の地震でこんなことがありうるのでせうか?

---! と声を大にしていいたいですね。

 断じてこれは自然のものではないと---真正の学者なら、みんな、そういうはずです。
 しかし、今回の地震では、その手の良心的な学者さん、ひとりもテレビに呼ばれていないようですね。呼ばれているのは、○○系、××系と、雇い主の資本の筋が読めるような(批評家の世界では、○×系の批評家なんていうのは、通常の呼称です)、企業の用心棒としての御用学者さんばっかりで---。
 イーダちゃんは、ふだんテレビというものはまったく見ないんですが、今回ひさびさにこのテレビというものを見て、そのあまりの情報の偏りに愕然としました。
 むろん、テレビというメディアが偏った情報しか流さないらしいことは知っていましたが、この地震、原発事故に対する情報の過度な規制は、はっきりいって常軌を逸してました。自分が北朝鮮や旧ソみたいな共産国にいるみたいだった。これは、むかし、子供の僕が知ってたテレビじゃなくて、ただの洗脳ボックスだ、と思って、ひたすら息苦しかったですね。

 物証3。
 これ、太平洋戦争終結間際の、OSS文書です。OSSというのは防諜組織で、いまでいうCIAの前身です。

…本土決戦を唱える日本に対し「戦意を喪失させるには地震・津波攻撃」が有効手段であると、最後まで検討されていたのである。このことを裏付けるのが、ニュージーランドの外務省の情報公開法に基づき、1999年に公開した極秘外交文書である。

曰く、
「米政府は第二次大戦の末期から地震・津波兵器の開発を進めてきた。
ニュージーランドの沖合いで実施された津波爆弾『プロジェクト・シール』の実施では30メートルを超える津波の発生に成功。日本を降伏させるために、この津波爆弾を使うか、原爆を投下するか検討されたが、精度が高く、効果が大きい原子爆弾が使用された。」

実際、ニュージーランドで研究開発にあたっていたコンプトン博士が米軍の極秘作戦において中心的な役割を担っていた。同博士は、その後もビキニ環礁での核実験を視察し、津波兵器と核兵器の比較検討を継続して行ったという記録が残されている。

-割愛-

2,005年4月に米国で公開された「地震を使った対日心理戦争計画」と題する米軍機密文書(1945年、CIAの前進である米戦略事務局OSSによって作成)によれば、第二次大戦末期の1944年にカリフォルニア大学のバイヤリー教授を中心とする地震学者たちが総動員され、

「日本近海のどこの海底プレートに強力な爆弾を仕掛ければ、人工的に巨大な津波を起こせるかシュミレーションを繰り返した」という。

ここでいう「強力な爆発物」とは、開発まもない「原爆」のことである。
この文書には「日本本土攻撃作戦」のい副題が付けられ、「悪魔の攻撃」と呼ばれる章では、

「日本人の目を覚まさせるには地獄に飲み込まれたと思わせる必要がある。
そのためには、地震を恐れる日本人の特性を徹底的に突くべし。地震攻撃に勝るものはない」

と結論付けている。当時の米軍における研究開発部門の責任者であったスタンレー・ロベル博士やマーシャル・チャドウエル博士の分析によれば、

「日本の周辺にある海底の地震プレートをピンポイントで爆破すれば、巨大な津波を発生させることが可能となる。目標とすべきプレートの周囲に8キロ以内に爆弾を仕掛ければ、1年以内に狙った場所で地震を起こすことができ、津波も誘導できる」

この秘密文書の最後には

「地震・津波攻撃の目的は日本人をパニックに陥れることで、神国日本や軍部独裁に対する不信感を醸成することにある。日本人が国家を捨て、個人の生存を第一に考えるようにするためのショック療法ともいえる」
と記されている。         (新潮45/2007年8月号より)

----えーっ、まさか!? とお笑いになりますか?
 それとも、よくできたトンデモ論だと罵倒して、唾でもおひっかけになりますか?
 
 実をいうと僕も、できたらそっちのほうがいいんです。唾をひっかけられるくらい、なんでもないですから。
 人工地震で自国民が多数殺傷されたというのに、それを認めず、わけのわからない大本営発表をつづける国に自分が住んでいる、という悪夢のような現実を認めるよりは、そっちのほうがずっといい…。
 しかし、残念ながら、僕のこんなささやかな希望は、またしても裏切られそうな気配です。
 人工地震説を主張する検察側の証人は、それくらい多い---。
 
 物証4。
 これは凄い。ノックダウン必至。某国の人工地震の実験の生映像ですね。
 http://www.youtube.com/watch?v=qp6aZIhHiRE
    …………………………… 
 いかがです? 人工地震というテクノロジーが絵空事じゃない、頑然たる日常の事実だということが、これでお分かりいただけたでせうか。

----うん、百歩譲っておまえのいう人工地震が実在する、としてやろう。しかし、どこの国が、機関が、そんな大それたことを実行するっていうんだ? そんなキ○ガイじみた、誇大妄想みたいな計画を…?

 と、このようなもっともな質問をされる方には、ちょーっとSF的に、さあ、例の某国あたりが怪しいんじゃないですか? なんてそれとなくお答えしておきませう。
 朝鮮戦争、ベトナム、アフガニスタン、イラク、そして、いま現在リビアを空爆中なんでせう?
 すでに何百万人殺してるか勘定不能って域に入っちゃってるお国柄なんスから。
 そのような某国---注:あくまでSF内でのお話ですよ!(笑)---にとって、日本を地震兵器で破壊するなんて、たぶん、屁でもない些事にすぎないでせう。

 物証5。
 3月の11日、地震発生時から現在にかけて、東京・神奈川各地で多数目撃された「不気味雲」の映像です。

                        

 電話で確認したところ、僕の知人もこの噂の雲を目撃してました。
 実際には、この写真よりもっと黄土色っぽい感触らしい。とにかく気持ちわるくて、見た瞬間、家に引き返そうかと思った、というほど異様なものだったそうです。
 いろいろとネットで検索していくと、この雲の故郷は、どうやら海ほたるのある海域らしい。
 これも不気味。海ほたるっていうと浦沢直樹氏のベストセラー漫画「20世紀少年」で刑務所ができていた場所ですからね。
 それに、東北の被災者の方々の救援作戦に、我が国政府がどんな名前をつけたかご存じですか?
 「トモダチ計画」っていうんですよ---ハマりすぎててちょっと笑うでせう?
 僕は、この雲は地震惹起の際に、海中で核を起爆させたために生じた「核の雲」じゃないか、と思ってるんです。
 トンデモ話? ええ、トンデモ話ですとも。僕自身、これがトンデモない与太話であってくれたら、どれだけいいだろうって感じてる。
 笑って通りすぎていかれる方はそれでいい。嘲ってください、どうぞ---しかし、少しでもこのページに「?」を感じてくれた方がおられましたら、僕は、こちらのジャーナリスト、リチャード・コシミズ氏のブログへの訪問をお薦めします。

   richardkoshimizu's blog  http://richardkoshimizu.at.webry.info/

 これは凄いよ。デービッド・アイクの爬虫人類説よりさらにカッ飛んだ、しかし、笑い飛ばせない多数の事実が、ここではたくさん追求されてます。
 トンデモ擁護派であろうとトンデモ討つべし派であろうと、政府発表の情報にウサン臭さを感じてるひとなら誰でも、訪問して損はないと僕なんかは思うんですけど…。 

 ほかにも地震発生前にゴンドウ鯨の群れが、茨城に105頭打ちあげられて死んだ、とか気になる情報は多数ございます。

 でもねえ、皆さん---今回の東北関東大震災でいちばん「トンデモ」度合いが高かったのは、実は、我が国の政府自体だったんじゃないですか?---あと、マスコミね。まるで北朝鮮や旧ソ連にいるみたいな報道規制を総力あげて行っていた、ジャパニーズ・オール・マスコミ・ソサイアティー---本当の「トンデモ」は、どう見ても彼等のほうでせう---それに比べたらいつも「トンデモ」ラベルを貼られているコンノ・ケンイチさんとか、このリチャード・コシミズさんなんてまっとうすぎてなんでもないですよ---僕はそう思うな…。
 いま現在、地震災害と原発事故の報道の影に隠れて、恐ろしく巨大で邪悪な陰謀が進行中です。
 僕は、いよいよ例の連中が、宿願のハルマゲドン・プロジェクトに乗りだしたんだ、と解釈してる。
 出口王仁三郎の「霊界物語」の扉が、封印を解かれ、あけはなたれました。
 耳をよくすまして、事象の裏側の出来事に、心の焦点をあわせておきませう。
 政治には不介入が本ブログの趣旨だったのですが、今回はそれ、あえて破りました---許されたし。
 同胞が多数死んだのですから…。僕の友達もいまだ連絡がつかない。彼の無事を祈りつつ、今日のところはキーボードから離れたいと思います---合掌…。

              





 

 
 

徒然その60☆闇夜の晩こそ温泉を-大倉山「大平館」!☆

2011-03-17 15:41:28 | ☆湯けむりほわわん温泉紀行☆
                              

 皆さん、お元気ですか?
 福島原発、予断を許さない状態がつづいております。
 また、今度の地震で被災された方々、現在も避難生活を余儀なくされている方々の困窮と苦労を思うと、いうべき言葉もありません。
 さきほど、被災者にむけて陛下が送られたビデオレターをPCで見てたら、なんか涙がこぼれそうになりました。
 連絡つかない友達がいるんですよ、福島の磐梯熱海に。
 そして、ひとつ、お詫びを申しあげたいことがあるんです。
 前回に立ちあげた「ニッポンの終った日」というあのページ…もし、昨日あのページを読まれた方がいたら、イーダちゃんはぜひとも陳謝したい。ほんと、申し訳ありませんでした。<(_ _)>
 あのオカルティックなページにイーダちゃんが盛ったのは、ひたすら「絶望」以外の何物でもありませんでした。
 立ちあげて、地震がきて、TVで原発情報見て、何時間かして部屋もどって、あのページをもういちど何気にひらいて見て、うわあ! 愕然となりました。
 あれは、あげちゃいけないものでしたね…。
 あれに盛られていたのは、僕自身のパニックであり、小さな恐怖であり、ほとんどそれだけじゃないですか。
 たしかにメルトダウンの最悪の場合、関東東北が無人の地になる可能性は充分にある。
 しかし! しかし、いまのいま、そんなことをいってどうなるっていうんだ?
 というわけですぐさま切削さしていただきました。
 もし、あれを見られて恐ろしいと思われた方、絶望してうつ向いた方がおられたとしたら、心よりお詫びさせてください。
 現在、福島原発の放射能はたしかに拡散しているようですが、都内にまでやってきたそれの濃度は、まだそれほどのものではありません。普段の40倍なんていうと埼玉あたりの方々は驚かれるかもわかりませんが、40倍なんていうのは、ラドン温泉レベルのもんです。千倍になったら、それこそ危険ですぐ避難しなくちゃいけませんが、事態はいまのところぜんぜんそのようなレベルに至ってはおりません。
 いよいよそのときになったら騒げばいい話なのであって、あえて騒ぎを煽るような、オカルト・パニックページについつい仕立ててしまった、ひととして男としての自分の度量の小ささに、なんだか身の縮む思いです…。
 イーダちゃんとしたことが扇動者の身ぶりなんかしちゃってたんですよ。
 猛省せねば。いまニッポンで必要とされているのは、放射能のデータ話じゃなくて、なにより勇気であり希望の話なんだから。
 というわけで希望の話をしませう---イーダちゃんにとっての希望とは何か?
 自分に問いかけたら答えはすぐにでましたね---温泉です。(^o^;>

 ええ、温泉の話をしませう!
 3.11の翌日、あまりの地震被害の凄まじさと原発事故勃発のニュース・ショックとで超げんなりしたイーダちゃんは、その午後、愛用の一本刃の下駄をつっかけて、ほとんど逃避するみたいな心持ちで、とぼとぼと地元の銭湯にむかっていったのでありました。
 津波と地震と放射能事故以外のものが、無性に見たくなったんです。
 となるとイーダちゃんにいちばん効くのは、なんといっても温泉ですからねえ---歩いていける、地元の温泉銭湯にいくのが、いつもながらの流れなんですよ。
 ヨコハマの東急東横線の「大倉山駅」から、だいたい徒歩10分くらいの距離に、この大倉山「大平館」さんはございます。
 大倉山駅すぐ脇の、パチンコ屋隣りの坂道をぐーっと登っていったところ。
 大倉山記念病院をこえて、むかしっぽい風景の大曾根商店街を2ブロックほど進んだあたりの、むかって右側をきゅっと直角に入った突きあたりにあるのが、この「大平館」さん。
 僕は、むかしっから、ここが大好きなんです---。
 今年の正月に紹介した、おなじ大倉山の「しのぶ湯」さんも黒湯の温泉で、近隣のゆえ利用さしてもらってる回数は、そちらのほうがむしろ多いように思うのですが、風情と湯質とを秤にかけると、ここいら近郊の温泉銭湯のチャンプは、やはり、ここ「大平湯」さんなんじゃないかと判じないわけにはいきません。
 こちら、ほんとにいい湯ですよ。
 まず、湯小屋自体の風情がいい---小路の突きあたりっていう立地が、まずは粋じゃないですか。
 小路をいって、隣りの寿司屋をいきすぎて、下駄ぬいで、横戸をがらがらってあけると、

----わあ。

 そこはすでに野沢温泉の共同浴場みたいな異空間。
 なんてアンテックな…。なんとも昭和してる板張りの着替処と、モロ昭和タイプの鍵つきロッカーとが素敵です。着替処のまわりは、古風な横あけのガラス戸がいっぱいあって、いくらかたそがれの気配を乗せた午の光が、そこからさんさんと差しこんでいます。
 番台のおばちゃんに450円払って、服にぬいで、がらがらーっと戸をあけて、掛け湯して、三つある湯舟のいちばん右手の、黒湯のお風呂に足先から侵入させていただきますと、
 プシー、もー ワンダフル---!
 濃ゆい、かなりの濃さの黒湯です、こちら。
 拳ひとつぶん沈めたら、そのさきはもうなんも見えないの。
 44度くらいのややアチチのお湯なんですが、お湯と触れあってる肩や背中や足先の、全身の肌がきゅっきゅっと嬉しがっているのが分かるような、一種ふしぎな感触なんです。
 こういうお湯は、あんまり覚えがないな。
 イーダちゃんは黒湯って基本的に苦手なんですけど、ここは例外---はじめて入った日からもう虜になりました。
 やや熱めの黒湯にずっぷり肩先まで沈めてみて、ふーっとつい見上げたさきにあるのは、

----うん? あれは、伊豆かしら? 堂が島のペンキ絵なのかな…?

 ええ、伊豆(伊豆?)から見た富士のペンキ絵があるんです。
 も・これは、たまんない…。(^o^;>
 循環こそしてますけど、塩素はないしね、黒湯の質的にいえば、こちら、関東随一とまでいわれたことがあるんですって。
 なるほどね、道理でいいお湯だと思ったよ---うん。

       § 大倉山「大平館」§
    神奈川県横浜市港北区大曾根1-25-2
    営業15:30~23:00 電話045-531-0361
    休館 金曜日
    入浴料 450円

 あのね、正直、こんな時勢にいささか不謹慎なページかなあ、と思いはしました。
 しかし、僕的には、こんなときだからこそ、いろんなひとに元気をもってもらいたいんです。
 いまは温泉なんてとんでもないと思ってるひとも、大事なご家族を失くされて絶望の無気力に苛まれているひとも、なにクソッ、いつか必ず自分も復興して、こうして温泉につかってやるゾって思ってもらいたいんですよ。
 ここ、横浜でも、余震は繁く感じられます。
 どうか皆さん、これからやってくるかもしれない東京地震にも警戒して、水と食料と明りの用意をしっかりやっときませう。
 そうして、この困難なときをなんとか乗りこえられたら、そのときこそ極上の温泉につかって、こんなにも苛烈な被害を送りつけてきた我々の宿命に対して、割れんばかりの極楽鼻歌を思いっきりかましてやろうではありませんか---。(^0^;>

皆さん、この東北大地震、ご無事ですかー!?

2011-03-13 11:00:16 | 身辺雑記
                       

 とんでもない事態が、動きだしちゃいました。
 東北大地震---ニッポン史上たぶん最悪の災害であり事故である、とイーダちゃんは解釈してます。
 東北の被災者の方々に、心よりお見舞い申しあげます。
 キャンディさん、ご無事ですかー?
 僕の地所ヨコハマでも建物の破損、水道管の破裂は、それこそ無数にありました。
 被害の規模の大きさに、茫然とするばかりです。
 しかし、いまいちばん怖いのは、やっぱり、福島原発の事故でせう。
 館内閣、エダノ官房長官、及び閣僚さんたちは、皆、東電の下僕である、と会見で分かっちゃいましたねえ、あれは。
 被害者の目線でもって、被害者に語りかけてくれるひとが誰もいない。
 東電---東電というのはいうまでもなく、あらゆるTV、新聞の大スポンサーであり、すべての原発の元締めです---の利益と今後の経営状況のことなんか、いまだに考えて、住民にとって大事な情報を隠蔽してる。
 なんちゅー政府だ、これは!
 残念ながら、放射能汚染は、すでにはじまっている、と解釈せざるをえません。
 僕の大好きな福島---もう、あそこの温泉は、だめかもしれない---泣きたくなります…。
 放射能汚染に関する情報、あげておきます。

     http://panw-nara.seesaa.net/article/123574427.html

 あと、これは、帰宅困難者のための情報、

     ttp://mixi.jp/view_diary.pl?id=1687470825&owner_id=24689307

 東北関東大地震のライフライン帰宅困難者向け避難所情報リンク集

     http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1687470825&owner_id=24689307

 あと、これは、政府側の隠蔽情報に飽き足らないひとのための Ustream の番組です。
     
     http://www.ustream.tv/recorded/13269017http://japan.person-finder.appspot.com/

 これは、安否情報確認のためのもの。

     http://japan.person-finder.appspot.com/   

 僕からのメッセージはありません。
 どうか、生きのびてください。
 それから、チェルノブイリのときは、200KM圏まで汚染は広がりました。
 利根川がやられたら、日本はもうヤバいっス。天皇が京都御所への移動を進言されて断ったなんて情報もある。(3/15 この情報は間違い、意図的なフェイクであり、デマであったと判明しました。大変失礼をば)
 事態は、それくらい切迫してる。

 ですから、どうか皆さん、生きのびてください---。
 ご家族を失くされて自暴自棄になってるひともいるかもしれない、でも、どうか生きのびて!

 東京のかたは、いまから飲料水の確保を---備えあれば憂いなしですから。

 福島原発原子炉のメルトダウンがとまることを切に祈ります…。

     

     


 
 

徒然その59☆郷愁ぽくぽく肘折温泉☆

2011-03-08 09:41:02 | ☆湯けむりほわわん温泉紀行☆
                                 

 僕が山形の肘折温泉を訪ねたのは、2008年の5月28日のことでした---。
 いま考えるとちょっぴり昔語りの感じになっちゃいましたね。まさに光陰矢のごとしってやつですか。
 このときは会社で有給をまとめて取ってまして、実をいうと僕的な旅のメインは、肱折よりさきに訪れた、超・和式の佇まいで有名なあの宮城の老舗旅館、温湯温泉「佐藤旅館」さんのほうだったんですよ。
 こちらにまず2連泊して---佐藤旅館さんのもとでの2日は nifty温泉さんのほうでも細かく述べさせていただきましたが---余った日取りは即興で適当にどこかに泊まればいいや、と、なんとなく投げっぱなし的な感覚でいたのです。
 で、温湯温泉での素晴らしい滞在を終えたころ、そうだ、このまま山を越えて、山形のほうへいっても面白いかもしれない、と唐突にひらめいて、さっそくいってみることにしたんです。
 山形の湯治場として有名な、あの肘折温泉へ!
 前情報は、温泉教授の松田先生の著書でいちおう仕入れてありました。松田先生、いちど「湯治力(祥伝社新書)」という著書のなかで、こちら肱折温泉を全国ナンバーワンの湯治場として紹介されていたんですね。それが、このときの僕の山形行きの、第一の触媒になりました。
 第二の触媒は、これもまた本なんだけど、小林キユウさんの「路地裏温泉に行こう!(河出書房新社 2005)」でした。
 このキユウさんの本、イーダちゃんが温泉に感じるものとツボ的に重なりあう部分がなにかと多い、愛すべき傑作本でして、その著書のなかでキユウさんがやはり口を酸っぱくして称賛していたのが、こちらの肱折温泉であったのです。
 これが、まあ第二の触媒だったのかな?---尊敬すべき温泉道の先達がふたりとも口をそろえて称賛しているとなると、こりゃあ、いってみずばなるまいさ、という気になるのもむりからぬことと思います。
 てなわけで温湯さんのある花山温泉郷からR398を北上しまして、秋田の小安峡をいったん経由してR13を左折---秋田・湯沢市より険しい雄勝峠を越えての山形入りとなったんですね、これが。
 幸い山形に入るまでは天候にも恵まれまして、ザ・ロング・アンド・ワインディングロードの峠道のドライヴをそれなりに楽しむことができました。
 初夏の山の緑からの木漏れ日が、カーブのたびにきらきらとまぶしかった。
 オゾン、濃かったですねえ。
 頂き付近では、一本道の工事もやってもましたっけ…。
 あ。あと印象に残ってるのが、道路コンクリートの赤茶色ですか。
 峠から山形入りすると同時に、この道路の変色がいちばんさきに目についたんです。雪のせいかなあ、と思いました。でも、それにしては、おなじように積雪量の多いだろう宮城や秋田の道路は、ここほど赤茶じゃなかったぞ。うーむ、どうしてだろう? 着いたら誰かに尋ねてみようか、なんて思ったりね。結局、聴かないまま終っちゃったわけなんですが、あの赤茶の道路は、北国の冬の厳しさの象徴というか、よそ者に対する無言の戒めのようにも感じられて、いまもって印象に残ってますね。
 ページ冒頭にUPした写真は、R13の山道をくねくねと下って、いよいよ肱折温泉の集落が見えたときのものです。
 山の木立のあいだから姿を現した肱折温泉郷は、イーダちゃんの鼻腔をくすぐる、ふしぎな郷愁を発散していました。僕はもうたまんなくなって、クルマとめて、夢中になって携帯で写真撮りまくっちゃいましたねえ。

 肱折温泉は、銅山川の川岸に栄えた、とっても小さな温泉郷です---。
 クルマで最初に入っていったとき、まず閃いたのは「異空間」というコトバでした。だって、時間の流れが明らかに山向こうとちがうんだもの。
 道、せまー。しかし、ここ、超・渋いよ。
 特に三階建ての、むかしながらの木造建築が両側にずらーっと建ちならぶ、メインストリートの風情っていったらどうよ---そのアンチックなかぐわしい景観に、イーダちゃんはもうほとんどKO状態---あと、平日の昼時だっていうのに、丹田姿のお年寄りの湯治客の多いこと!
 湯治のための宿がいくらかと、御土産家さんが少々と、郵便局と、あと、いくつかの公衆浴場と…。
 ほんとの話、これくらいしか村の設備がないんです。僕は、お腹がすいて飯屋を探して放浪中だったんですが、こちらには飯屋らしい飯屋って金山橋をわたってすぐの蕎麦屋さん「寿屋」くらいしかないんですよね。幸い、そこがあいていたので、ちょっと贅沢な天婦羅蕎麦を食しちゃいました。銅山川のせせらぎを眺めながら食した蕎麦は、イーダちゃんの旅行グルメ10傑ランキング入りまちがいなしの絶品でしたよ。
 で、蕎麦を食ってから、例の「湯治力」に出てたお宿に電話して、即日宿泊を申しこんだのが、下の写真の「肱折温泉 三浦屋旅館」さんだったんです。
 左下が「三浦屋」さんの正面写真、右下のは、「三浦屋」さんつづきの、肱折温泉郷メインストリート全般の雰囲気写真のつもりです。あ。「肱折温泉 三浦屋」さんの紹介のアドレス、ここに貼っておきませうね。 → nttbj.itp.ne.jp/0233762046/

         

 正直いいますと、こちらの「三浦屋」さん、お値段の安さでセレクトしたお宿だったんです。
 食事なし、素泊まり一泊3,500円は、やっぱり魅力じゃないですか。
 お値段の安さから多少みくびった気持ちもあって、ふつうに泊まれて眠れればそれでいいや、みたいにごく簡単に思ってたんですが、実はこちら、とってもいいお宿だったんですよ。
 看板下の正面玄関からイーダちゃんは宿内に導かれたのですが、その際、下駄箱のとこにあった、湯治客のじーさんばーさんたちのスリッパ、履き物の多さにまず驚かされました。
 1Fの日本間はどこも満杯、ひといきれとお年寄り同士の話し声の活気とが、宿内にもう充満してるんですよ。うわー、と思いましたね。
 宿のお姉ちゃんが案内してくれた部屋は、2Fの窓際すぐのところにありました。写真の看板すぐ脇のの7号室の四畳半。ちょっと、その写真も残ってるんで、掘りおこして、あげておきませうか。

                        

 この写真のこっちがわの部屋が、イーダちゃんの泊まった7号室です。
 廊下をはさんで、部屋まえにスリッパがいっぱい置いてある部屋、あるじゃないですか? ここ、どうやら昼間だけ部屋貸ししてたみたいで、数人のお年寄りのグループの、元気のいい声が絶間なく響いておりました。いや、もっと本音をいうなら、このときの彼等の部屋のTVの音のほうが、彼等の話し声よりより凄かったでせうか。なぜだかね、このTV、フルヴォリュームになってたんですよ。
 襖越しにTVがガンガン鳴っててね、それに負けじとときどき響く、けたたましい笑い声---。
 ひゃあ、といいたくなるくらい、ものすごーくうるさかった。
 でも、なんか、非常に楽しげに喋ってられる雰囲気でしたので、少々辛抱してやりすごしてたら、そのうちになんかそのTVの音もそんなに気にならなくなってきちゃって…。
 というか、そういったアクシデントも温泉場のひとつの日常の風景なんだな、と許容できるなごやかな心理に、いつのまにか自分のほうが流れていったというか…。これは自分的に嬉しい驚きでした。
 川沿いの共同湯の「疝気湯」さんをまず訪ね、宿で軽く昼寝を決めこんだあと、今度は肱折温泉の顔ともいうべき共同湯「上の湯」さんにもいってみました。こちら、肱折温泉のメインストリート沿いにありまして、僕の宿「三浦屋」さんからまっすぐいけるんですよ。宿の下駄を突っかけて、丹前姿のお年寄りの群れにまじり、からんころんと夕陽を浴びつつ歩む道中の心地いいことったらなかったな…。

                     

 お風呂はいわずもがな---最高でした。
 こちら、上の写真だけ見ると外貌はなんかただのビルで「?」って感じなんですけど、なかは「えっ!」とたまげるくらい渋いんです。着替処のスペースが広くってね、服脱いで、ガラス戸をあけると、共同湯としちゃかなりのスペースの湯舟が出迎えてくれるんです。先客さんが4、5名ほど、気持ちよさげにお湯につかってられまして、掛け湯して、みなさんに軽く挨拶して、ちゃぽんと爪先から入り湯すれば---ああ、なるほど、これは、うなりたくなるくらいの名湯です。
 もう、とろっとろの肌触り。重曹をふくんだ弱食塩泉、プラス、いくらかの炭酸風味ってとこ。お湯の色は、薄茶がかった透明泉でして、お湯自体に密度があるような、なにかふしぎな湯質なんです。顔に両手でぽしゃりとやると、初体験の、玄妙独自な苦みが感じられます。
 あと、こちら、湯舟の窓側に、赤い帽子をかぶった、40センチほどのお地蔵さんがいらっしゃるんですよ。
 誰かが気をつけて毎日手入れされてるんでせうねえ。赤い帽子が湯気のなかでもちっともクタクタしてないの。まるでたったいまかぶせられたばかりみたいなまっさらの感じでね、ジモティーのひとたちがこちらのお湯に寄せてる暖かい気持ちが、見ていて伝わってくるようでしたねえ…。

 翌朝、支払いをすませて宿を出るとき、なんと「三浦屋」さんのご主人とおカミさん、素泊まりのひとり旅の、まったく儲けにならない僕みたいな客を、わざわざ宿の駐車場のとこまで見送りにきてくれまして。
 これには正直まいった---いや、嬉しかったんですけど、照れくさくて、僕、たぶん難しい顔してたと思う---ご主人におカミさん、すみませんでした。
 肱折温泉のあとには銀山温泉に寄って、それから福島の飯坂温泉までぐーっと南下していったわけなんですけど、肱折温泉をでるとき、肱折温泉の開祖の僧が住んでいたという「地蔵倉」をちょっと見物してきたんですよ。
 右上の写真がそうですね。曲がりくねった崖際の細い険しい道をどこまでも歩き、こんな淋しいとこに住んでたのかあ、と絶句するような場所にその僧の庵はありました。

---うわあ…。

 あまりのさいはてぶりに口のなかが一瞬で乾いちゃいました。
 笑っちゃうくらい淋しいんだもん---これは凄かった---開祖の僧の1200年前の覚悟と孤独とが、時空を超えてじんじん伝わってきましたね。

 こちらの肱折温泉には、結局、5月28日の1日きりしかいなかったんですけど、なぜだか僕にとって忘れがたい温泉地として記憶に残ってるんですよ。どういう理由なのか、自分ながらあんまり見当がつかんのですが。
 ひとつだけいえるとしたら、この温泉郷にいるとき、イーダちゃんの時計は確実に停まっていた、ということです。
 馬鹿な、と思われるかもしれないけど、これは本当---だって、次の銀山温泉にいったら、僕の時計、いつも通りにまたまわりだしましたから。
 肱折温泉っていうのは、ええ、僕にとって、たぶん時間がとめられる唯一の温泉郷なんです。
 アンチックな宿々。銅山川のせせらぎ。上の湯の通り。丹田姿の湯治客。肩ごしにふりかえって見たときの月山…。
 もういちど---今度は雪の舞う冬のさなかにでも再訪してみたいなあ、と思います---。(^.^;>

 


    


 

徒然その58☆鎌倉・恐怖の「百八やぐら」探訪☆

2011-03-06 00:15:55 | ☆パワースポット探訪☆
                            

 今回のページは小ネタ---2009年の夏ごろに凝っていた心霊スポットのお話です。
 場所は鎌倉…。鎌倉ってね、ふだんはあまり意識してなかったんだけど、実はすごい歴史スポットなんですよ。
 僕は現在関東在住でして、憧れの古都である奈良や飛鳥から遠くはなれて暮らしているわが身の不運を、いつもそれとなく不特定多数の人間にグチったりしてすごしていたのですが、よくよく考えてみたなら、自分がこれほど歴史臭ぷんぷんの古都近郊に住んでいる、という芳しい幸運に対してあえて目隠ししてたような気味もあるんです。
 しかし、どうして、また目隠しなんかしてたのか?
 これは、断言はできませんが、鎌倉という土地が本来もっている暗さが原因なんじゃないか、と思います。
 ええ、鎌倉って暗い土地だと思いますね。(鎌倉市民のひと、ゴメンナサイ)
 もちろん、ほかの町に比べて光量が乏しいなんてことはないのですが、この町を歩いていると、いつのまにか町のそこかしこに兆してるほのかな暗さに自分内の「何か」が反応して、身体の芯がかたくなってることに気づかされたりします。
 なんてことのない明るい路地なのに、なぜかしら身体の奥がぴんと緊張してる---。
 竹林。土塀。路地。坂道の寺の山門のまえを通りすぎたら、その緊張がふいにほどけて、いままで聴こえなかった蝉の声がわーんと聴こえてきてびっくりした、なんて経験が僕にはずいぶんありますね。
 そして、そのような経験をいちばんしがちな土地が、奈良でも京都でも飛鳥でもない、鎌倉なんだ、というこの事実が、僕の鎌倉観をやや特殊なものにしています。いうなれば、「警戒すべき土地」といった風な剣呑な印象。
 鎌倉、という地名を聴くやいなや、僕のなかのセンサーがいつでも警戒信号の電子音を鳴らすんですよ。
 それがどんなに仲のいい友達との、まったりした世間話のさなかだったとしても---。
 僕はまったく霊感とかなくて、いままで幽霊とか見たことはないんですが、もしかするとこれは一種の霊感なのかもしれないなあ---なんて、そんなときはつい思っちゃいますね。

 さて、この鎌倉行のときにイーダちゃんが参考にしたのは、例によって「本当にあった怖い話」のお抱え霊能者・寺尾玲子さんが、全国各地の霊場を訪問し検証するという企画でつくられた、「霊能者・寺尾玲子の新都市伝説-闇の検証1-(朝日ソノラマ)」でありました。
 このなかでたまたま鎌倉が取りあげられていたんです。
 このころは仕事が忙しく、なかなか思うように温泉に行けないイーダちゃんは、けっこうストレスがたまってたんですよ。
 どう考えても泊まりはむりそうだ、ならば、日帰りで近くの霊地訪問としゃれこんじゃえばいいじゃないか、といった手前勝手かつ発作的な決断だったように記憶してます。2009年の7月---まだ梅雨の明けきってない時期の鎌倉は、土の道が2、3日まえの雨の跡をまだ残していて、ところどころ柔らかくぬかるんでおりました。
 横須賀線の北鎌倉駅で降りまして、徒歩10分ほどのとこに臨済宗の建長寺ってでっかいお寺があるんですね。
 鎌倉五山の第一位とされている見事なお寺です。苔むしかたもハンパない。ここの山門をくぐり、境内を延々歩き、果てしない石段を登っていきますと、半僧坊って小さなお寺があって、さらにそこから急な登りの山道がつづいているんです。
 この道は、「鎌倉アルプス」とも、あるいは「天園ハイキングコース」とも呼ばれています。
 日祭日ともなると家族連れでにぎわいを見せる、いまでは人気のハイキングコースなんですが、実は、このコース、鎌倉時代のころには「風葬の地」として有名な場所だったんですね。
 むろん、身分の高いひとは火葬とか土葬にされてたのですが、金のない貧乏な庶民の大半は、ほとんどここに家族の死骸を置き捨てていったようなんです。それが当時の彼等なりの弔いだったんですね。
 風葬の土地というくらいだから、恐らくいまとは比べものにならないくらい淋しい場所だったんだろうな、と思います。
 日が暮れたら、死骸と骸骨とが怖くてたぶんもう歩けなかったでせう。カラスと山犬とかもいっぱい彷徨してて。生者じゃなくて死者の領域ですよね。いまじゃ、ちょっと首を伸ばすと草の茂みの隙から地上の家々の屋根が透かし見えるし、そんな荒涼の面影はとうになくなっちゃいましたけど…。
 で、半僧坊からしばらく歩いて、弔いの「十王岩」もすぎて少し進むと、道からいささか外れた、やや高めの丘陵付近に、目的の場所がありました。
 それが、「百八やぐら」です---ページ頭にUPした写真がそれですね。
 やぐらっていうのは、鎌倉中期から室町前期にわたって鎌倉を中心にしてつくられた、墓の形式のこと。
 鎌倉は山だらけで平地が少ないので、山の斜面に四角い穴を掘り、そこに遺骨を納め、仏像を建てたりしたそうなんです。
 実際にいってみると、「わっ。凄い…」と思わず黙りこむような迫力なんですが、この「百八やぐら」、ハイキングコースの地図にはまったく出ておりません。「十王岩」を行きすぎて、ふつうの道の領域からはみだした3メートルあまりの丘陵を登らないと見つからないから、たいていのハイカーはこのひっそりとしたやぐらの存在を知りません。やぐらなんてものがあることをまったく知らないまま、何度もここを行きすぎたハイカーのほうが数としてはずっと多いんじゃないでせうか…。
 とても、分かりにくい場所にあります。「十王岩」は有名で表示もあるんだけど、この「百八やぐら」に関しては、表示も立て札もゼロ。ですから、予備知識なしじゃ、まず見つからない。
 僕なんか、地図があっても見つけるのそうとう往生しましたもん。
 このへんかなあ? と見当をつけて、道の左手の丘陵を木のツルを握りながら登っていったら、なんか、スズメバチが行く手の番をしてるみたいにブンブンそのへんを飛びまわってるし。2、3回、ハチに追っぱらわれまして、なんとかしてまた引きかえして、やーっと丘陵を登りきりますと、いきなりそれがありました---やぐら、やぐら、やぐらがいーっぱい!

----うわ、ほんとだ…あったよ……。

 夏なのに背中がひんやり涼しくなりました。
 こんな風景、いままで見たことなかったですからね…。

 
              

 そのときの雰囲気と冷気、この写真からもいくらかは伝わるんじゃないでせうか。
 いや、凄いんですって---なにしろ現代的な加工がいっさいなされてない、中世そのままの風景でせう?
 なにもかもが変わりがちな日本では、こういうのって珍しいと思うんですよ。
 ええ、中世がそのままそこにある感じなんです。濃い緑のにおいと、中世のままの静寂っていうのかな。自分の靴が踏む草の音が、やぐらのなかの誰かに聴かれるような気がして、動作が自然にゆっくりと、雅になっていくのがふしぎでしたねえ。 
 やぐらのはしの柔らかい土の丘陵をゆっくり歩きながら、それぞれのやぐらのなかを覗いていったのですが、あんまり深く踏みこむのは暗くておっかないんで、どの場合もやや浅く、体重を後ろ脚に残しながらの前屈になりました。
 左の写真のように、なかに仏像があるやぐらの列を通ったときが、特に印象が強かったかもわかりません---だって、このやぐらのなかの仏像たち、写真を見ても判別できるかと思うんですが、どれひとつとして首がないんです---そう、彼等、全部が全部、首なしの地蔵だったんですよ…。

 霊感のほとんどないイーダちゃんがこれだけの恐慌をおぼえるこの場所を、本物の霊能者であるところの寺尾玲子さんが見たらいったいどうなるのか?

----うん、感じる。十王岩までは別にそうでもなかったけど、十王岩をすぎてからはけっこう感じるね。左右の谷に捨てたのかなあ。どちらも感じるのよ。右のほうが強いけど…。

 だそうです---さらには玲子さん、いつのまにか数珠を取りだして、それをぎゅっと握りしめたまま、

----あんまり…長居するところじゃないよ。

 とまでおっしゃったというんですから、これからこの地へ肝試しに向かおうって方はそのへん注意!
 最後に玲子さんの告げる、この地でいちばん危険な個所は、やぐら群のまえの山道の反対側の、樹木が鬱蒼と茂った谷のあたりだそうです。玲子さんは2度ほど、その谷に引きずりこまれそうな感覚をおぼえ、かなり気持ちわるかったとか。

----かなり邪悪な念という感じですね。たぶん…野盗とか罪人のような人達を処刑した場所じゃないかな…。

 ちなみに、そのあたりの土地は、いまも「地獄谷」と呼ばれてるそうです。
 念のため、そこの写真もUPしておきますか---。

                              

 うーん、たしかに濃ゆい残留思念めいた禍々した気配が、写真から感じられるような気も…。(xox;>

 鎌倉、やっぱり、おっかないとこですよ…(汗)。
 この「百八やぐら」のほかにも「化粧坂の切り通し」とか、鎌倉寿福寺にある「政子・実朝の墓」とか、さらにはなんにもない草っぱらみたいにがらーんとなった「東勝時跡の廃墟」とか---鎌倉って、まさに心霊スポットの目白押しなんです。
 興味のあるかたもないかたも、話のタネに1度は足を運んでおいて損はないんじゃないか、と思うんですけどねっ。(^^;


◆注:やぐら地蔵に首がないことについては諸説があります。博打打ちのあいだで地蔵の首をもって賭場にいくと必ず勝てるという評判が高まり、皆がそれを実行してるうちに、いつのまにかいまのようになっちゃったとか…。

 

徒然その57☆「ガラスの仮面」でバルザック☆

2011-03-03 21:39:17 | ☆文学? はあ、何だって?☆
                        

 僕が、美内すずえ先生の「ガラスの仮面」のファンだというと、みんな「えーっ!」っていうんです。
 特に藝術家肌の友人系に、この「えーっ」は多いようですね。
 僕が、この「えーっ」のわけを問うと、なんだってあんな大衆的なのを、とか、驚いた、あんなクサイ田舎芝居が君の好みなの? なんて皆さん、それこそクソミソにおっしゃるんです---ほんのちびっと蔑みのまじった、同情的な例のまなざしでもって。
 で、僕がいつもながら、それにこう反論するってわけ。

----ちょっと待ってよ。大衆的って凄いことだよ。ポピュラーって凄いのよ。だって、5000万部売れてるんだよ。たしかに、フランス映画みたいな、洗練されたポエジー作品とは少々趣がちがってることは認める。詩が物語を追い越すことは決してないし、その点じゃ、まあたしかにいささか俗っぽい話かもしれない。ストーリー自体にしても、演劇界での少女版立身出世物語みたいなところがあるから、アンチ権威肌の君らの感性が鳥肌立って、もう少しひねりが欲しいと機嫌を損ねたがるのも分かる。しかしだね、この大河ドラマは、とっても骨太だよ! 安心して物語展開を見てられる。それに、この作者、物語作りに徹してるから目立たないけど、稀有なストーリーテーラーだよ。やっと取りかかった物語ラストの「紅天女」にしても、テンション全然落ちてない。こんだけ話を引っぱってきたのに、みんな、ちゃんとついてきて、次の展開をわくわくと待ち受けてるじゃない? 凄いよ。こんなこと、誰もできないよ…。

 けど、みんな、どうしてかあんまりまともに聴いちゃくれませんね。
 僕が熱くなってまくしたてればまくしたてるほど、むしろ、にやにや度が募っていくような塩梅。
 そして、僕は、ため息をついて弁護を諦める、というのがだいたいいつものパターンですねえ…。

----なんでかしら?

 思うにこれは、「ガラスの仮面」のなかにしっかりと根ざしている<古典的な物語造形>というものに対する、ニューウェイヴ・カルチャー全体のひがみ・もしくは反発なんじゃないかなあ?---僕等、すれっからしの都市住人の戸籍は、やっぱりどうしても<脱・物語>サイドのほうにありますから。
 でも、なんだってこんなにアーテッステック路線やポエジー派閥の方々が反発するかといえば、その理由はただひとつ、やっぱり「ガラスの仮面」が面白すぎるからでせうね。
 ええ、この物語の圧倒的な面白さは、ちょっと否定できないんじゃないですか。
 誰が読んでも分かるし、わくわくするんだもん---。 
 誰が読んでも分かるというこの大衆性こそ、「ガラスの仮面」のなによりの強さの秘訣です。この点では、これ、ちょっと群をぬいてますね。僕は、時代や風俗をこえて、「ガラスの仮面」は、あらゆる階層のあらゆるひとにアピールできる作品だと考えているんです。喩えはわるいけど、あのエスキモー---古語失礼:イヌイットより知名度あるかと思い、あえて使ってみました---とか、もしくはニューギニアの高地あたりで、むかし首狩りの部族をやっていたような方々だとかも、充分に共感できるし、楽しめる内容だと思う。
 商業演劇って概念が理解しにくいなら、なに、神サマに捧げる芝居のための、巫女の資格争奪の物語なんだといいなおせばいい、そうすれば一発で通じること、まちがいなしです!

 それに、この物語中には、忘れられない名場面がいっぱいあるんです---。
 イーダちゃん的には---そうですね---「ふたりの王女」での北島マヤのアルディス役の笑顔とふるまいとが、まず記憶に焼きついてますね。相手役の姫川亜弓のオリゲルドもハマり役でカッコよかった。
 あと、おなじ「ふたりの王女」のオーディションの二次審査で、受験者みんなが自由課題の創作演劇をやらされるんです。
 閉店間際のレストランで、無言のマスターの一連の動作にあわせて、自分なりの物語を創作して、即興で演じてみせる、という設定のまあ難題なんですが、ほかの受験者がみんな躊躇してかたまってるというのに、主人公の北島マヤだけが、マスターの動きにあわせた即興芝居を次から次へ楽々とつづけていっちゃう、というあのシーンもそうとう印象的でした…。
 それにもうひとつ、マヤが芸能界で失敗して大都芸能から追いだされるとき---最期の芝居の仕事で姫川亜弓の「夜叉姫」の舞台に、百姓娘のたずという役で立つんですね。
 そのときにマヤを厭う役者仲間の意地悪で、本番の舞台上に泥団子がもちこまれるんです。
 マヤはそれを食べる役なんですけど、もちろん食べる予定になってるのは、本物の、食べられるお団子です。それが、本番直前に泥団子にすりかえられちゃう。で、舞台で夜叉姫からの重箱があけられたとき、皆はそれが泥団子だって気づくんですが、本番中にそんな気配を見せるわけにはいかない。マヤは、舞台の流れを守るために、舞台上でその悪戯の泥団子をみんな食っちゃうんですよ。「おらあ、たずだ。おらあ、こんなうめえもん食ったことねえ」と喜びの演技をつづけながら…。
 これは「ガラスの仮面」という物語全般の白眉といってもいい場面じゃないかと、僕的には思ってるんですけど。
 冒頭にUPした写真はそのときのものですね---うーむ、いいなあ…。

 まあ、なにしろ5000万部ですからね---ハンパな数じゃないっスよ---完璧に国民的な漫画になった、といってしまってもいいと思います。
 ただ、こういう際、つくづく思い知らされるのは、「物語」というものの強さなんですよね。
 「物語」って強いです、とても---。もしかしたら「詩」よりも強いかもわからない。
 ただ、この物語を編むがわにしてみるならば、ひとつの資格が絶対に必要なんですね。
 それは「非情」と「鷹揚」の徳ですね---だって、「神」の視座に立って、物語を編まなきゃいけないんですから。そのためには、あっちの登場人物を引きたてたり、こっちの人物を栄華の席から引きずりおろしたり、場合によっては憎ませたり、愛しあわせたり、裏切らせたり、あるいは殺したりもしなくちゃいけないんですから。
 神経質すぎる「神サマ」や潔癖症の「神サマ」じゃ、大きな編物はできやしません。
 というわけで登場するのがフランスの文豪バルザックです---ま、とにかくこの引用をご覧ください。

----長編小説の理想的文体というのは、筋に拘泥しない文体であります。ものにとらわれない文体であります。鷹揚な文体であります。日本の作家でこのような文体をもった人はきわめて少ないので、やむなく外国作家の例をとるほかありません。バルザックの小説は構成そのものが長編的で、彼の書いた短編小説でさえも、ドラマティックな長編的構成をもっていますが、一例が『ランジュ侯爵夫人』のような作品では、悠々たる修道院の描写からはじまり、それが一転してサンジェルマン街の貴族社会の描写に移り、いつまでたっても物語の核心に運ばれません。しかしいったん彼の文体の波に乗せられると、ベートーベンの音楽のように、大きな鬱勃たるエネルギーが我々を運んでいることを感じさせられます。そうして私は筋に拘泥しない精神と言いましたが、バルザックほど筋に拘泥しない作家はないので、ほとんど目前の構成や細部を無視しながら、大ざっぱに書いたプランを次々と破壊しながら、人生そのもののように小説が進んで行くのであります。…日本人のいちばん持つことのむずかしいのは、こうした肉体的エネルギーの持続と、ある鷹揚な鈍感さなのであります…。  (三島由紀夫「文章読本」中公文庫)

 三島さんは好きではないのですが、いいや、はっきりいって大嫌いなんですが、あまりにも僕の思うところをかっきりと明快に代弁してくれているので、あえてここに引用させていただきました。
 そうなんですよ、三島さんが上記の文章でいっているように、日本には、いままで本当の意味での長編作家はいなかった、というのが僕の意見です。
 たとえば漫画家のつげ義春さんだとか、作家の梶井基次郎さん---双方ともとても優れた作家さんなんですが、やっぱり物語作家というよりは、詩人、という感じじゃないですか。
 だいたい、つげ義春さんの書いた長編漫画を、あなた、読みたいと思いますか?
 できあがるのは「未来世紀ブラジル」より恐ろしい、救いのない無力宇宙だってことは、火を見るよりも明らかじゃないですか。
 僕は、御免だな---だって、胎教にわるそうだもの。 
 つげさんは詩人のなかの詩人だと個人的には思ってますが、ええ、三島さんのいってた通り、肉体的エネルギーの持続も、ある鷹揚な鈍感さも、どっちとも持ちあわせがありません。登場人物の嘆きよりさきに、作品のほうがたぶんぐすぐすと無力に崩れちゃう。梶井さんもそのへんはいっしょ。本来的な長編作家って、日本にはほんとに少ないんですわ。

 しかし---美内すずえ先生です!---僕は、彼女のこと、日本においては非常に稀な、本邦初の本来的な長編作家だと思うんですよ。
 小説の時代にはあいにく間にあいませんでしたが、漫画の時代になって、僕等もようやくバルザック並の長編作家を持てるようになったってわけ。わーい、ですよね。ぱちぱちぱち!
 ええ、ここまで誉めまくると異論をぶつけたくなってくるひとも当然多かろうと思いますが、彼女の功績は大なんですよ、藝術藝術と連呼するばかりだった不健康な文壇から、なにせ「物語」を奪還してきたんですから。
 その剛腕な力技には、ひたすら恐れ入るばかりです…。m(_ _)m

 ただ、最新刊では、先生、姫川亜弓さんを失明させようと計ってらっしゃるんですよ---あの「紅天女」の試演をまえにして。
 そりゃあさあ、ちょっと可哀そうなんじゃないですか、とイーダちゃんはいいたい。
 あとですねえ、主人公の北島マヤ---あれだけの天才役者がどうして「紫のバラのひと」が速水真澄だとああまで気づけないの? 気づけるチャンスはいっぱいあったじゃない? 物語の展開のうえの必然とは理解してるつもりですが、いくらなんでもありゃあ鈍すぎですよ。あんなんで演技なんてやれんの? 
 それから大都芸能の速水真澄ね---彼、線、細すぎ。
 あんなキャラで芸能社みたいなヤバめの大会社をひっぱいていけるのかな? 他人事ながら心配になります。それに少女漫画の登場人物だからってあえて設定から外してるんだろうけど、女遊びの気配もまったくないし。同性からすると、いささか不気味な感触を拭えんのですよ。
 ああ、いかん、距離をおいたエッセイのつもりが、悪口まみれのファンレターに変化-へんげ-してきちゃった。
 これ以上進むとさらに聴き苦しくなる恐れもあるんで、今日はこのへんで締めときませう---では、Bye!(^.-)☆

徒然その56☆「赤毛のアン」名言集☆

2011-03-02 10:13:23 | ☆文学? はあ、何だって?☆
                         

 まえに「赤毛のアン」にハマってるって話、徒然その52あたりでもしたように思うんですが、実をいいますと、これ、てんで過去形じゃなくて、いまもってイーダちゃんは「アン」世界の引力圏内住人なんですよ。当分、離脱できそうにありません。
 いやー、ツボにくるといいますか、アンの口にする一言一句が、絶妙に僕には効くんです。というか、効きすぎる。
 どの言葉もこの言葉も、なんというか、とってもキューティーで、痛痒くって、もう胸がきゅっとたまらんの!
 心臓の右心房かどっかのでっぱりあたりに、アンの赤い糸---というか髪の毛?---が結ばれちゃってる感じ。
 自分ではいかんともしがたいんですよ。あまり認めたくないけど、ひょっとしてこういうのって、完璧なオタクッキー状態っていうのかもしれませんね? ええ、それっくらい「赤毛のアン」が好きなんですよ---はあ、こまった…。(^.^;>

 で、話は突然変わるんですが、世間でけっこう人気の、あいだみつお語録ってあるじゃないですか。
 
----しあわせはいつも自分の心がきめる みつお

 みたいな、ああいう、ほのかな禅っぽさが香る箴言集とでもいうんですか---。
 あれ、うちのトイレ内のドアにもかかっておりまして、見るたびにいつも「ふうん」と感心したりしてたんですが、こないだトイレで用足し中になんとなくそれを見ていたら、これとおなじことを「赤毛のアン」でやれないもんだろうか、とふいに閃いたんですよ。
 名案、とは思いませんでした---だって、アンのお喋りって長すぎるから。
 箴言って基本的に箱庭みたいに、かっちりしたまとまり加減が重要じゃないですか。表面の言葉以外の意味深なほめのかし部分がむしろ内容より重要だったりね。ときには、内容物自体より、内容物の糠(ぬか)部分にこそ本当の真理がある、みたいな抹香世界なわけじゃないですか。
 ところがアンときたら、そんなじんわり発酵空間とは対極ですからねえ。
 少女時代のアンの世界は、さながら生命感にあふれた無邪気な春風---動作も行動も発言もすべてが流れだすまま「詩」になっちゃうみたいな---なんですから、この自由な喜びのアクションを、狭っちい箴言の箱庭にむりに押しこめちゃうっていうのは、自分ながらどうもなあってやや気乗り薄の感じでいたんです。
 でも、まるきり無価値とも思いませんでした。アンの言葉が詩のようにきらめいてるっていうのは事実なんだし。
 だもんで結果は度外視して、いちおうはトライしてみることにしたんですよ---僕がこんなページをつくったりした動機は、それなんです、はい。

 ということで1発目のご紹介、いきませう。
 これはですね、親友のダイアナとある事情から交際を禁じられて絶望状態にいたアンが、育ての親のマリラから、その長い交際禁止令が解かれたと伝えられたときの発言です。

----ああ、マリラ、お皿洗いしないで、すぐいっていい(ダイアナの家へ)? 帰ってから洗うわ。こんなに昂奮してしまったときに、お皿洗いみたいに現実的なこと、とてもやってられないんだもの!

 これ、アンの典型的な歓喜ヴァージョンなんです。
 喜びの光にきらめいてるときのアン・シャーリーって、ひどく魅力的です。
 このセリフのキモは、その年ごろの女の子としてはやや不釣り合いな「現実的な」という抽象的な単語と、皿洗いって日常的行事との微妙なコラボでせう。
 アンのちょっと背伸びした感じのおしゃまな言葉使いが、内心の喜びの弾けそうなさまを表しているようで、実によろしいじゃないですか。
 評価としては文句なくAですね---絶妙に可愛いといいきってしまってもいい、と僕なんかは思うんだけど。

 ふたつめは、うーん、グリーンゲイブルズにもらわれてきた孤児のアンが、実はグリーンゲイブルスで欲しがっていたのは、女の子じゃなくて野良仕事のできる男の子だったということを知らされて---誰も自分を欲しがってくれない、男の子じゃないから自分は孤児院に送りかえされるんだ---と泣きに泣いた一晩あとの翌朝、マリラにむかっていうセリフなんですが。

----…今朝は絶望のどん底じゃないの。朝はいつもべつよ。朝があるってとってもいいことね? 悲しいことは悲しいけど…。あたしはいまね、結局はおばさんたちがあたしのことを欲しがってくれて、いつまでもここにいられるって空想していたの。空想してるあいだはとても幸せだったわ…。でも、空想がいけないのは、いつかはきっとやめなきゃいけないってことなの。そのときがみじめなのよ---。

 いかがです? とってもけなげだと思いません?
 特に注目してほしいのは、アンダーラインの部分ですね。男の子とまちがえられてこの家にやってきた自分が、これからあの嫌な孤児院に送りかえされてしまうかもしれない瀬戸際だというのに、このアンのセリフには、ふしぎなほど人間的感情の濁りがありません。
 当然あっていいはずの、停滞と退廃の影がない。むしろ、通常より澄んでいるといってもいい---前夜、くたびれるほど嘆き、泣きつくした成果なんでせうか。
 ま。それは分かりませんけど、そのようなネガティヴまじりの心理状態のときに、朝の美しさをちゃんと発見できて、子供なりのやりかたでそれを素直に誉めたたえるすべを知っているといった点に、このアンという女の子の、生来の心の生地の美しさというものを、僕は感じないではいられません。
 そのあとにつづく<空想>というものに対する、アンのちょっとした考察にしたって、経験律にもとづいた、正確で冷静な観察力が見出せるじゃないですか。こんな短いセリフひとつからも、このアンという子が、感受性に富んだ、繊細な、しかし、聡明で明るい少女だということは導けるんです。
 うーむ、となると、これもやはりAランク分類が適当でせうね…。

 で、最期のみっつめはこれね---。
 マリラの留守の留守番中に、アンが行商人から小遣いをはたいて毛染め薬を買うんですよ。
 本来なら行商人の類いは家にあげちゃいけない、と固くいいわたされていたにも関わらず、家のまえでいろいろと話しているうちに、どうしてもその毛染め薬が欲しくてたまらなくなっちゃうんですよね---ああ、あたしのこの赤毛がまっ黒の髪になったらどんなにいいだろうって、アンの心が踊るわけです。
 でも、その薬はイカサマの粗悪品で、アンの髪は黒じゃない緑色に染まっちゃうんですよ。
 で、例によって絶望して泣きじゃくって、何度も何度も洗ったんだけど、どうしても緑色が落ちないんで、いよいよマリラがアンにその髪はもう切らなくちゃいけないね、と重々しく宣告するんですが、そのときのアンのめいっぱいのリアクションがこれ。

----さっさと切って、ひと思いにすませてちょうだい、マリラ---ああ、胸がやぶれるわ…。これは、ぜんぜんロマンチックじゃない苦悶だわ---。物語の女の子は熱病で髪を切るとか、よい目的で使うお金のために売るとかいうでしょう? あたしだってそんなことなら、きっと半分も心が痛まないと思うんだけど、途方もない色に髪が染まったから髪を切るなんて、なんの慰めにもならないわね…? 泣いてても切れるなら、切るあいだずっと泣いててもいい? だって、あんまり悲劇的ですもの…あーん……。 

                         

 これは…絶品だと僕あ思うなあ(笑)---こんなこといったらアンに怒られちゃうかもしれないけど。
 このなかには、アン節のすべてのヴァリエーションが含まれてるっていってもいいですよ。
 キュートで情熱的、背のびしたファニーなおしゃま感と、詩才とユーモア、それに、シナモンみたいにぱらぱらふりまかれた年頃の少女流の悲劇趣味---ひとことでいって、超・可愛いったら!
 誰がなんといっても、これはスペシャルAランクですねっ。

 うーん、あいだみつおみたいな言葉カレンダーに仕立てられるかと思ったけど、やっぱりこれはむりっぽー…。
 残念無念。僕ならこのアン言葉日めくり、すぐにでも愛用できる自信はあるけど、一般性はどう見てもないですもん。
 だって、全部Aですよ---ひいきのヒーちゃんひきたおしって感じです。
 非常に親バカ的、恣意的、客観性を欠いた、趣味オンリーのお目汚しページとなっちゃいましたが、どうか、ご容赦を---。m(_ _)m

 (カンカン、と柏木、乾いた音で高く鳴り、幕)



§追加考証情報:アンの生まれた年を調べたら、1865年生まれというのが分かりました。
        なんと、慶応元年の江戸時代生まれじゃないですか!
        うわあ。そういえば、物語中にヴィクトリア女王とかよく出てきたもんなあ。
        いろんな意味でびっくりでした。