イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その46☆バラックなれども星山温泉!☆

2011-01-28 09:35:10 | ☆湯けむりほわわん温泉紀行☆
                       

 2011年の1月27日、たてこんだ就活のあいまをぬって、ひさびさに温泉にいってきちゃいました。
 三浦半島の逗子葉山の山奥の秘境にある---あの「星山温泉」へ!
 横浜市内からだと、クルマでだいたい所要時間40分くらいの距離ですか。
 実は、こちら、知るひとぞ知る、知らないひとはまったく知らないという、いささかスペシャルな温泉なんですよ。
 どういう意味でスペシャルかというと---うーん、まあ、ページ頭にUPした全景写真を見てやってください---初見のおひとはたいていのけぞるかと思います。
 事実、僕が写真を見せた8割のかたが、

----えっ。これ、温泉なの…!?

 と、一瞬の空白をおいての絶句顔に、みんななりましたもんねえ。
 まあ、むりもない、理由はわかってるんです。世間のひとが温泉というものに対して抱いているイメージのほとんどが、この「星山温泉」には欠如してるんですから。
 その1としては、まず、冒頭写真に見られるような建物の外貌ですね。
 誰が見たって完璧なバラックで廃墟すれすれ。あと、写真のトリミング外になってるんですが、画面のむかって左側には、廃材みたいな巨きな木材が、それこそ家3件分くらい、無造作にダボーッと積みあげられているんです。それが小山みたいになってる。これ見て、ああ、ここにぜひ宿泊したい、と思う危篤な方はまあおらんでせう。
 その2としては、営業努力がこれっぱかしも見当たらないこと?---だって、ここ、立て看板の1枚すらないんですよ。温泉があるということを知らせるための1文字すらない。 
 要するに、あらかじめ存在を知らないひとは、絶対ここにはこられない!
 ここに至るまでの道も難所の連続ですからね。このバラックのある山奥の高台にいきつくまでには、こちら、クルマ1台がやっとの幅の、超手狭な、叢に覆われた、視界の効かない、急坂のくねくね私道を、勇気をもって、いくつもクリアしなくちゃいけません。
 行ける、という情報があってこれですもん。知らないひとは、それこそ辿りつきようがありません。

 ですがですがですが---こちらの温泉、案外、人気があるんですよ。
 なぜ?

----うーむ、たぶん、名湯だから…。

 実際、この日の午後にこちらに訪れたとき、イーダちゃんのまえに先客さんがもう3人もいらっしゃったんですよ。
 僕は、ここに通うようになって3年目くらいになりますけど、3人待ちってパターンは初めてだったな。(こちらのお風呂の湯舟は、一般家庭用のステンレス製のもので、基本的にひとり仕様です。だもんで、こんな客同士がバッティングした際には、このような待ち時間が必要なわけ)
 山のなかは町よりさらに冷えこんでいて、ご主人が番待ちの我々のために火をおこしてくれました。
 で、皆で火をかこんでお風呂の番を待ったんですよ---ときどきお喋りしたりしながら。いかにも地方っぽい温泉地ならいざ知らず、こんな神奈川の都会近郊の温泉で、このようなカントリーなあったかい会話ができるとは思ってなかったイーダちゃんとしては、予想外のこうした事態にやや頬がほころんじゃったことを、ここに告白しておきます。
 ええ、愉しかったんですよ---ぱちぱち焚火を眺めながらの温泉番待ちってとってもいいの。
 ふいに叢がかさっといって、なんだろ? とそっちに視線をむけると、そこからささーっとすばしっこいリスがいきなり駆けてきたりして…。

---あららら…リスですよ、ほら、リス…!

 横浜からほんの30分あまりの近郊で、よもやこんな山小屋気分を満喫できようとは思わなかった。
 僕のひとつまえの風呂待ちの男のお客さんは、おなじ横浜からの訪問さんだったんですよね。この方はこちらの温泉がはじめてだとおっしゃるんで、泉質についていろいろとお喋りしました。えーと、こちらのお湯はですね、基本的に鉱泉を薪で暖めたものなんですよ。だから、お湯に入ってるとき、こちら、薪のにおいがするんです。泉質的には、アルカリ度の高い透明湯。あと、肌触りは、超・トロットローでね……なんて。
 とりとめのないそんな話をしつつ、ときどき焚火の炎に両手をかざしたりするのは、なんともいえないノスタルジックな情緒がありました。なんか、お風呂に入るまえにすでに癒されちゃったみたいな感じ。
 そうだ、そのときの写真もUPしておきませうね。
 待ちあいのテーブルが正面の白いやつ---あと、肝心のお風呂があるのは、正面の青いバラックのなかです。

                          

 最後の番待ちのとき、ご主人にお金---入浴料の500円です---を払い忘れていることに気づいて、バラック裏で窯焚中のご主人にお金を払いにいったら、なんとはなしにお喋りがはじまりました。
 そこから仕入れた豆知識を少々---えーと、まず、こちら「星山温泉」の開祖は、ご主人のお父さんである。
 このお父さん、肉屋のチェーンをやってられて、あいた時間を利用して、当地にアスレチック・クラブ---夏にはキャンプ場にもなった---をひらいたそうなんです。当時はトランポリンが10個くらい置いてあって、夏のキャンプ時には、テントじゃないトランポリン上で眠っちゃう子供なんかもけっこういたとか。
 こちらの数多くのバラック小屋群も、すべてはそのお父さんの手作りだというんだから、そのバイタリティーにはたまげちゃいます。 
 ご主人自身も笑って、

----まあ親父は丈夫でガタイがよくって、90まで生きたひとですから……。

 なんていいながら、目を細めて笑ってられました。
 井戸を掘ってこの鉱泉がでてきたのは、20年くらいまえのことだそうです。 
 で、窯焚の薪のけむりにいぶされながら話しこんでいたら、僕のひとつまえの横浜発の叔父さんが、ああ、お風呂終りましたよー と満足顔で僕を呼びにきてくださいまして、ま、ひさかたぶりの「星山温泉」のご入浴とあいなった次第であります。
 いやー、何度入ってもいいお湯ですわ、ここは…。
 足首から腰までお湯入りした時点で、いっつもそのトロトロ度に身体が驚くの。
 頭じゃじゅうじゅう分かってるはずなのに、身体が嬉しがるんです。うわー こらあ、トットロやないですかって。
 僕は、nifty温泉さんのクチコミでも書きましたけど、ここのお湯、お尻の肉近辺にいちばん効くみたい。特にお尻下部の柔らかいお肉が、いつもお湯のトロトロ度に共鳴してめろめろによろめく感じ。僕は痔持ちじゃないんですけど、痔持ちのひとにはここのお湯さぞ効くんじゃないか、と思います。
 足、運ぶだけの価値のある温泉ですよ。温泉以上に清潔に気を使われる方からすると、とても理解できない、怪しさと猟奇満載のカオス空間かもわかりませんけど、僕は、ここのお湯はとても好きだなあ---。

                                  

 この写真を見たら女性なんか引いちゃうかもなあ、とUPするのためらっていたんですが、やっぱりあげておきませう。
 ここほど滑らかで、新鮮なトロトロ湯って全国規模でもけっこう稀だと思いますもん。
 実際、あの温泉チャンピオンの郡司さんもこちらの温泉のこと、その著書のなかで紹介されてるんですよ。(郡司勇「一湯入魂温泉」山と渓谷社168P) 僕もいちばん最初にここを知ったのは、この著書のおかげなのでありました。

 最後に、クルマでこちらにおこしになろうってひとのために、「星山温泉」への簡単な経路をちょいと書きだしておきませう。
 
 横浜新道を逗子で降りて逗葉新道へ→逗葉新道の料金所(100円)をすぎたらひとつめの信号を左折→湘南国際村の交差点を右折して「水源入口」の看板を左に→で、「水心堂 魚のハクセイ館(現在は休業中)」の細道をいき、5差路(まるで迷路のような)のむかって2つめの細道を右折→すると、すぐお地蔵さんがあります。そこの前を左折(ここ、超・細い急下りの激坂です。気をつけて!)→で、バラックみたいな家が見えてきたら、そのまえのガタガタ山道を左に---低い車高のクルマだと擦るかもってくらいの、未舗装、がたがたの凹凸道ですんで、シャコタン系の改造車はだめ、絶対に通れませんよ---あとは終点までいけば、はい、そこが目的地の「星山温泉」でーす!

 湯あがりに少うし炎の小さくなった焚火にもういちどあたって、ご主人にどうもって挨拶して、鳥の声、木々のざわめきに見送られながら帰るときの満足度は、ちょっと言葉ではいいつくせぬほどのものでした。
 ひさびさにいい午後をすごせた感じで、よかったあ…。温泉ってやっぱ、イーダちゃんの癒しのためには最強のアイテムみたいです---。(^.^;>

 おっと。駄句がひとつひらめいたい。
 
----襟元に薪の香りを引きつれて笑みつつ帰る星山温泉…。

 おあとがよろしいようで---お休みなさい…。<(_ _)>

徒然その45☆ Blues でしたたかに横歩き…☆

2011-01-26 21:16:10 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
                              


 前々回の☆徒然その42☆では太宰さん特集なんていう線の細いページをやっちゃったんで、今回はそれとは逆路線の、たくましくってふてぶてしい、人間臭さぷんぷんの、ブルーズ特集ってやつをやってみたいと思います。
 現代ポピュラー・ミュージックのすべてのルーツといってもいい音楽---ブルーズ。
 ほんとはこのページの代わりに 60'S ロックの特集を組もうかと最初は思っていたんですよ。キース・ムーンの写真なんかもちゃんと用意してね。
 でも、書くまえの参考にって you tube の動画をいろいろ見てたら、途中からブルースマンの動画に脇見したあげくハマっちゃって、とうとう抜けだせなくなりました。
 ただ1本のギターの弾き語りでしかないくせに、ビッグバンドみたいに自在に、豪華絢爛と鳴り響く、Rev.Gary Davis の神業ギター…。
 (見たい方がおられたら、Dailymotion Rev. Gary Davis Feel Like Goin' Home で検索されてみて下さい。超絶品プレイが拝めます)
 そんなに複雑なテクは使ってないのに、どうしてこんなに力強く、ふてぶてしいノリが生みだせるのかいつもながら首をひねるしかない、テキサス魔人 Lighnin' Hopkinns の超したたか・粘り腰のミュージック…。(こちらは youtube ですぐ検索できまする)
 ついつい魅了され、1時間弱があっというまにすぎちゃいました。
 結論---やっぱ、ブルーズって凄いです。
 なにより、ふてぶてしくって明るい点が、僕的にはちょっとたまんない。
 もっとも、明るさだけを特別視して、暗さをおとしめるつもりはありません。たしかに、笑おうとしても笑えないシチエーションっていっぱいあると思うんですよ、人間って。
 ブルーズにしても、もともとは米国南部にむりやり連れてこられた黒人奴隷の音楽じゃないですか。
 公民権法なんてはるか未来の夢物語---職業選択の自由も移動の自由も恋愛の自由もなく、定められた土地のプランテーションで綿の収穫に携わってるだけの、重労働の、くりかえしばかりの毎日で。
 うさ晴らしといえば、許可された祭りのハレの日の、酒か博打か踊りか、あるいは派手な色恋沙汰か、もしくはやけっぱちの、ナイフをふりかざしての命がけの喧嘩とか…。
 考えられるのは、まあその程度。文無しとかいう以前にもう奴隷なんですから。所有権すらない。所有物といえばせいぜい、ごろんと寝っころがったときに見える、だだっぴろい青空ぐらい---。
 未来の展望も財産も家族もない、宙ぶらりんのからっけつ状態ってやつ。
 その瞬間の彼等の胸をひらいてみたら、恐らく、不安と臆病とがいっぱいにつまってるのが見つけられるでせう。
 なのに、明るいんです、連中、ブルーズマンときたら。
 女に逃げられて酒びたりになって泣いていたとしても、涙と同時に顔をくしゃくしゃにして笑ってるんです。
 むろん、完璧な笑いにはなりきってないし、笑いのかたちにしてもちょっと歪んでる。
 しかし、唇の両端をきゅっともちあげて、少なくとも笑おうとはしてる。
 こんなに何重にもねじくれたどん底の逆境なのに…。
 純粋に凄い、と感じます。
 どん底で笑える精神って凄い、こういうのが真の意味の「高貴」なんじゃないか、とイーダちゃんは思います。

    いつも一緒にいたい…
    だけど そんな楽しい時はもう終ったのさ
    いまはちょっとツイてないけど 諦めやしない
    俺は歩きつづける
    なに 別れなんて出会いのはじまりなんだから
    時がすべてを変えてくれる
    そうさ だから Don't Kid Me…
                  (Brownie McGhee「Don't Kid Me」より)

 ちょっとクサいといえばクサいんですがね、そういうブルーカラー的ないいまわしの一種のよどみや、語り口のクセをいったん歌の表面から全部取っぱらって、純粋な精神として対峙したなら、このいささか苦めのオプティミズムは素晴らしい、と僕は感じます。
 それは、もうひとつ別口の視点から見たら、こういうことかもしれない。

----安楽なくらしをしているときには、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは、生の喜びを書きつづる。(太宰治「晩年」より)

 いささか大正文学的な「衒い」が行間に入ってますけど、ブルーズの精神ってたしかにこのなかに脈打ってますよね? 
 ええ、いつも猫背気味の太宰さんが、このセリフのときだけは珍しく背筋をしゃんとさせて、まっすぐ遠くの山々の稜線を眺めてる。この香り、明らかにブルーズ的なものですよ。あ。ゴスペルもちょい入ってるかもしれません…。
 
 そうそう、冒頭でちょっとだけ取りあげた Rev. Gary Davis のフォト、忘れないうちにUPしておきませう。

                             

 これが、ギターの神サマ、レヴェレンド・ゲーリー・デイヴィスです。超カッチョいいっしょ!(^o^)/
 彼、1896年の牡牛座生まれのアメリカ人。まだ3才のときに、目薬が原因で失明してます。
 見た目、チンピラがかったちょいワル親父って感じなんですが、どうしてどうして、彼、実は本職は牧師さんなのでありまして、名前の頭にある Reverend っていうのは、聖職者に対する敬称なんですよ。
 20世紀初期のディープ・サウス(南部)では、ブルーズはどうも悪魔の音楽なんて呼ばれていたらしいんです。
 なぜ? 清教徒的世界観に収まりきれない、生きのよすぎる音楽だから?
 あるいは、ドロドロの恋愛について歌ったりもするし、なによりセクシーだし、白人の歌みたいに教養がなくて下品だから?
 まあ、理由なんておおかたそんなところでせう。
 B.B.キングもときどきそんなことをいっていたような気がしますし、あと、そのころの南部関連の著作なんて読んでいても、そのようなフレーズにはときどき出会えます。
 だもんで、その時期、聖職者をやっていたこのひとも、当然ブルーズはやらない---やれない?---んです。
 ブルーズを歌うかわりに、いわゆるゴスペルを思いっきりがなりたてるわけですよ。
 ギター一本で超絶ラグタイムをスキップさせながら、1度聴いたら忘れられない、あの吐き捨てるみたいな、超・野太い胴間声でもって、

----Say No To The Devil, Say No…! (Rev. Gary Davis「bluesvilli」より)

 と、勢いよくぶわーっと、かぶせてくるわけ…。
 この迫力、マジのけぞりますって。
 ゲイリー・デイヴィスのブルーズって、リアル志向のブルーズマンのなかでもとりわけリアルな感触なんです。
 あんまり正直に、朴訥に、真正面からやってくるから、聴き手にまったく逃げ場がない。 
 ジョン・レノンのページでもちょっと述べたと思うんですが、あんまり正直なものって、なんか逃げたり何気にやりすごしたり、やりにくいところがありません? 狡猾なもの、たくらみっぽい香りをさせてるものならまだしも対処できるのに。
 なんででせう? 人間心理の妙っていうんでせうかねえ。
 ゲーリー・デイヴィスのブルーズを聴いていると---厳密にはさっきもいったようにブルーズじゃなくてゴスペルなんですが---自分がいかにひとの道から外れた生きかたをしているか、金稼ぎと現状維持だけの毎日に追われ、いかに大事なことを置き去りにしてきてしまったか、なんてことがふいに思いだされ、とても気になってくるんです。
 特に体調のいいときの晴れた日曜なんかにひとりで彼を聴いてると、自分がなんだかいつのまにか年端のいかぬ子供に帰っちゃって、どっかのお午すぎのうららかな町角で、近所の悪童連といっしょになってわいわいと彼を囲んでる、なんて幻想が脳裏にうかんでくることがままありますね。

----ねえねえ、おっちゃん、次は…次のは、なんの歌…!?

----そうさなあ…次のは、坊主はどんなのが聴きたい?

----俺はね! 俺は…銀行強盗の歌が聴きたい!

----なら、そっちの坊主、おまえはどんなのが好みだい…?

----俺は! 俺はさ! ガンマンの歌がいい! ガンマンの決闘の……

----こら、袖を引っぱるんじゃねえ!…ガンマンに銀行強盗か。ちょい、むずかしいな…じゃあな、若いときに銀行強盗をやって…馬車で逃げるときに保安官を撃ち殺して、そのままうまく逃げおおせて、長いこと過去を隠して裕福なくらしをしてたんだけど……20年たったある晩……ふいにむかしのことを思いだしちまって---罪の意識にかられて---泣きながら悔いあらためる…「年老いた男が悔い改めた晩のブルーズ」だ……いいかい、いくぞ……。
 (で、鳴りはじめるギターと凄いヴォーカル)

 なんちゃって---(プライベート幻想失礼)---。(^.^;>

 ええ、やっぱり、金があるから、地位が高いから、セレブだから「高貴」ってわけじゃないんですよね---本来の人間っていうのは。
 どんな分野でも高貴なひとと下卑たひととの両端っていうのは、やっぱりあるのではないかしら。
 たとえば、それがどこかの国の皇族といったようなロイヤル・ファミリーであったとしても、その気になって探せば、性根の卑しいかたは恐らくいくらでも見つけられることでせう。
 そう、作家の村松友視氏がいっていたように、「職業、ジャンルに貴賤なし。されど、それぞれの職業内、ジャンル内においては貴賤あり」というアレですよ。
 むかしの映画なんか見てると、「あれは偉い奴だ」なんてセリフがときどき聴けるんですね。成功者でも金持ちでもない貧乏な若者にむかって「偉い奴だ」と。いまでは、そんな流れ自体をどの分野でもめっきり見かけなくなりました。僕は、21世紀のニッポンが失ってしまったのは、この「偉い」と「偉くない」とを見分けるための、計量の秤なのだと思います。
 自分で感じて、自分で苦労して考えないと、この計量はちょっとできない。
 周りのみんながいってるから、といったような理由だけで、まわりの秤の計量に従い、なんも考えず、それぞれが自分の日々の欲望を満たすためだけに生きていったら---これは寓話めかして書いてるけど、あくまで「現代」のデッサンのつもりです---この社会はいつか地獄そのものになる、いや、もう、そうなっちゃっているかもしれません…。
 「いま」ってそういう人間の内面に目をこらすような態度をダサイと蔑むような時代ですが、はっきりいって僕は、このような時代のありかたって根本的にまちがっている、と思うんですよ。
 たしかに、ブルーズは生々しくって、汗臭くて、みじめです。
 恋の歌だってあるけど、それより陰々滅滅とした失恋ソングのほうがはるかに多い。
 人間、暗いものはなるたけ見たくないって生き物ですから、小金持ちになったなら、そんなみじめで忌わしい過去の呪縛は振りきって、毎夜にぎやかなパーティーづくしでドンチャン生きていきたい気持ちも分からないじゃない。
 でも、悲しみや失恋のみじめさ---孤独や愛されない切なさって---これは、人間の故郷ですからね。
 そうして、ブルーズって音楽は、そのような人間の業のデッサンなんですから。
 土から引きぬかれた野菜が乾いて死ぬように、こうしたブルーズ的土壌から切りはなされた人間も、やがては乾いて、狂って死んでいくんじゃないか、とイーダちゃんは思います。

 あらら。明るいブルーズ讃歌で終らせるつもりが、えらいハードでプロテストな内容になっちゃったぞ…。
 しかしまあ、ブルーズはほんと、いいですよ。
 今回セレクトした Rev. Gary Davis なんて、僕、聴くたびにビビりますもん、マジで。
 毎朝、起きがけに聴く音楽としたらたしかにハードで、あまりに人間臭すぎるきらいもあるけど、これがまったくない世界というのは、僕にはちょっと想像できかねます。
 ブルーズは僕の芯棒であり、僕の世界の芯棒でもあるんです。
 このページにこめたメッセージにしても、種明かしをすれば実は超単純なんですよ---ブルーズを捨ててはなら~ぬ!(「風の谷のナウシカ」の大ババさまの声で)---そんだけ。
 どうやらまた語りすぎてしまったようです---しんしんと冷える睦月の夜を今日はシンプルに締めませう---お休みなさい。<(_ _)>
 
 
 

  

徒然その44☆北温泉逗留物語☆

2011-01-18 13:43:47 | ☆湯けむりほわわん温泉紀行☆
                                                              

 栃木の那須高原の山中深くにある「北温泉」は、イーダちゃんのもっとも愛する温泉宿のひとつです。
 いままでいろんな温泉宿に泊まってきたけど、いちばん泊まった回数が多いのはここじゃないかと思います。
 そうですね、泊まり日数を総計したら、まる1月くらいいくかもしれない。
 イーダちゃんはこちらのお宿が大好きでして、ほんと、ことあるごとに利用させていただいたものです。
 そりゃあ、もういいお宿なんですって---江戸末期に建てられた木造3階屋と、明治期に建てられた木造3階屋、それから、昭和になってから建てられたでっかい新館とが、あちこち組みあわされ、帳場を中心にところどころで混じりあい、なんとも錯綜した、摩訶不思議な、それこそ「千と千尋の神隠し」みたいな歴史感いっぱいの、ほの暗い玄妙空間をかたちづくっているんです。
 こちらに逗留していると、僕は、1日に何度もトリップできちゃいますね。
 たとえば深夜にふっと目をさまして、トイレにいくとき---
 建てつけのわるい部屋の戸をガゴンとあけて---注:これはあくまで江戸期に建てられた旧館の自炊棟にかぎってのお話です。イーダちゃんは宿泊の際、ほとんどこちらに泊まるもので。ちなみに新館はちゃんとした近代的お宿であるので、宿泊予定のお客さんはそのへん了承ヨロシク---両隣の部屋に気を使いつつ、真夜中の木の廊下をぎしぎし歩いていくんですが、その廊下中に線香の香りがもういっぱいにたちこめてるんですよ。
 北温泉さんでは、建物内の錯綜した廊下のあちこちに小さな神社があり、神サマや仏さまが祀られているのです。
 で、宿のほうで、一晩中、線香の火を絶やさないわけ。
 廊下の側溝にはたえず温泉が流れ、室内、特に廊下のラインを一年中ぽかぽかと暖めてくれてます。
 はっきりいって、冷えきった部屋にいるより、廊下に出たほうがあったかいくらい。
 特に2階のトイレ前の廊下部分は下に流れる温泉効果のおかげでことのほか暖かく、こちらの飼い猫の「ミミ」---残念ながら彼女は去年、死去してしまいましたが(ToT)---は、夜になるとたいがいここのスペースでまあるくなって、気持ちよさげにまどろんでいたものでした。
 それは、常連客のあいだでは名物になっている光景だったんですよね。(嗚呼、懐かしいな、いまは亡きミミ!)
 寝ぼろけまなこの彼女に軽く目礼してから、トイレにIN。
 で、用をすませてから部屋に帰るとちゅう、唐突に温泉に入りたくなり、そのまま急遽コースを変更して2階突きあたりの「天狗の湯」にむかってみたり…。
 イーダちゃん的にいうなら、まさにパラダイスなんですよ、こちらのお宿って。
 いつでも入れる掛け流しのいい温泉があって、自炊ができて、のんびりこんと落ちつけて、宿自体は木の香りのするむかしながらの日本建築で、で、宿の外には手つかずの自然がどこまでもゴーンと広がってて…。
 知らないひとからみれば、なんて安上がりのパラダイスなの、と呆れられちゃうかもしれないけど、僕的なパラダイスっていうと、ええ、いつでもやっぱりこのような場所に逢着しちゃうんですよね。
 郷愁の香るこういう土地と家屋とが、イーダちゃんは、ほんとに好きなんです……。 
 
                         
            (左上:室内廊下のあちこちにある小型温泉神社。右上:江戸期に建てられた旧館の1室)

 ちなみに、こちらの宿にきたことのないひとのために説明しておきますと、このページ冒頭にUPした写真は、「北温泉」の玄関前にある有名な野外温泉プール、通称「泳ぎ湯」です。
 広いっしょ? こちらの「泳ぎ湯」、いまや北温泉の対外向けの、もうひとつの顔みたいな名物的存在になってきちゃいましたね。
 こちらのプールの前にある平屋の建物は---冒頭UP画面の右下のほう、掛け流しのお湯が樋からプールにばーっと注がれているの、見えるでせう?---男女別の内湯の「相の湯」の湯小屋なんです。
 こちら「北温泉」は、ほんと、建物のあちこちに何種類も温泉があるんですよ。
 「相の湯」は鉄泉系---コンクリ製の四角いちっちゃい湯船に、掛け流しの熱いお湯がいつもなみなみと注がれてて。
 お湯の鮮度は「天狗の湯」ほど新鮮じゃないけど、ふつうの基準からいったらそうとういい感じかも。
 こりゃあ、温泉好きにはこたえられないっスよー 犬も歩けば温泉にあたるんですから。
 で、観光客の大部分は、こちらの湯小屋のなかで水着に着替えて、家族みんなでわいわいいいながら、UP画面の前方に広がっている、いまさっきから話題になっている、広大な、こちらの温泉プールへとむかうわけなんです。
 こちらのプールは、見れば誰でも分かると思うんですが、マジでかいの---。
 泉温はいくらかぬるめかな。底のコンクリート部分も苔で少々ぬるぬるしてて滑るんですけど、夜の明けかけの薄明のころにここのお湯につかると、そりゃあ気持ちいいんですって。
 あたりは険しい山しかないし、しかも、このあたりの土地ってむかしっから修験道の土地だったんですよね。
 山伏の土地であり、修行のための地であったということです。俗衆の安楽のための土地じゃないの。
 そのような土地柄のせいか、夜明けの「北温泉」には、なにか張りつめたような、ただならぬ一種の霊力のようなものがいつもびんびんに感じられます。
 こちら、雑誌とかで取りあげられることは少ないんですが、僕的には、完璧パワースポットだと思ってる。
 僕は、「北温泉」に宿泊した際には、翌朝には必ず早起きして、こちらのお湯につかりながら夜明けを迎えることを日課にしているんです。
 そうしているだけで、後ろ頭とうなじ付近が、山の気を吸ってじんじんくるの。
 体調のいいときには、背骨沿いになにかが「ずぞーっ」て流れていくのがじかに感知できるくらい。
 特にこの写真を撮影した、2010年の3月7日の早朝の湯浴みは、格別なものでした。この写真の木々の枝枝、ふしぎなかたちに結晶化してるように見えません? 実はこれ、霧氷といって、雪の早朝の青天のときじゃないと見られない、1年に数度きりの珍しい現象なんだそうです。
 湯気のゆらめく「温泉プール」に肩までつかって、そこから眺められる早朝の山々と霧氷の木々との景観は、もう言葉の領域をとっくに超えてましたねえ---綺麗すぎて、どんな形容をしたって足りっこない---ええ、ため息ついて見惚れてるほかなかったな…。

 しかし、まあ、この「温水プール」にしても、江戸・明治・昭和と三代にわたって建てつけられた、風情たんまりの建物自体にしても、それはそれで「北温泉」の重要な一部ではあるんでせうが、やはり、やはーり! こちらの2階の突きあたりにある「天狗の湯」について語らねば、このページは重大な片手落ちになってしまう、とイーダちゃんは考えます。
 ええ、こちらの「天狗の湯」は、それくらい素晴らしいお湯なんですよ。
 こちら、基本的に石のお風呂です。それが長方形のごつごつした湯舟でね、湯舟の彫られた時期は、完璧江戸末期だっていうんだから、これはもう気合いがちがってる。
 その石風呂を覆うように小規模な湯小屋がかろうじて建てられてまして、その木小屋沿いの崖のうえから、掛け流しの温泉が小滝になって、高いところから、ごうごうと雪崩れおちてきてるんです。「天狗の湯」は石段沿いに温泉神社が設置されてまして、そこまで上っていくと、その源泉落下のプロセスがよく見えるようになってます。もの凄い自然の恵みが、肉眼でしっかり観察できるわけ。
 ここ、最初はほんと、修験道の山伏しかつからないお湯だったんだそうですよ。
 その伝統からか、壁にでっかい天狗の面をかけているんですね---写真の正面のは、縦3メートルくらいある、木製の、超・巨大な天狗のお面です。
 で、画面の死角の左側にも、それからその反対の右側にも、これよりこぶりな天狗の面がさらにひとつづつかかってて。
 この左右の天狗の両脇の壁には、願いごとの記入された無数の絵馬が掛けられてまして、湯浴みの神秘的な気分をさらに際立たせてくれるんです。 
 湯質はというと、山ひとつしたの那須湯元の温泉は、だいたいにおいて硫黄系の白濁湯なんですが、こちら「北温泉」のお湯はちがう、透明な、やや熱めの弱食塩泉が主ですね。
 ただ、「天狗の湯」に関しては、じゃっかんラジウムも混入しているとか。あと、ここの「天狗の湯」、凄く生きのいいお湯でして、湯の華の量がハンパなく入ってるんですよね。外からの樋を伝って湯舟のなかに注ぎこんでいるのですが、なんか、お湯のなかに湯の華が多く入ってるときと少ないときがあるんです。
 少ないときは、もー ただの熱めのお湯じゃないって微妙な感じなんですが、多いときには、突如としてお湯中に湯華が多量に混入してきて、体育座りしてた膝の裏あたりから、いきなり茶色いおがくずみたいなのが、大量にぶわーっと舞いはじめるもんだから、お客によってはけっこう動揺しちゃったりね。

----わ。なんだ、いきなり枯れ葉がまじってるぞ、ほら…なんだ、これ? 

----おめえ、それはちがうよ…そりゃあ、湯華だって…ゆ・ば・な…わかる……?

 湯けむりもくもくの、真冬極寒の「天狗の湯」でもって、たまたまいっしょになった湯浴み客の、そんな朴訥会話をぼーっと遠くに聴いたりしてるのは、なんとも風情があっていいもんです。
 そんな会話のちょうど途切れ目に、たまたま誰かがカコーンと桶を鳴らして、それがいい感じで風呂場の空間にこだましたりして…。
 ベリー・グー---うー、なんて染みるふしぎ空間なんでせうか。(ToT)
 あ。そうそう、「天狗の湯」のフォトもUPしておきませうね。ほい。

                           

 あと、温泉好きの方々にもうひとことばかり---あのね、ここ、純然たる混浴なんですよ。
 1200年まえからつづく、完璧な混浴。しかも、あえて女性側の視点からいわせてもらうと、混浴難易度はかなり高いと思う。
 こちら、まず、着替処、というやつがありません。
 お風呂のまえのコンクリートの壁のところに、木枠の枠組みたいなのが何個かあって、いってみればそれがロッカーであり、着替え棚でもあるわけ。でもって、着替えの設備はそれだけ。
 つまり、湯浴みにきたお客は、「天狗の湯」にいい気持ちでつかってる湯浴み客多数の見知らぬ視線のまんまえで、服を脱ぎ、裸にならなきゃいけない、ということです。
 これは、たぶん、若い女性にはハードル高いでせうね。
 実際、イーダちゃんはここのお風呂にはもう50回近く入ってて、見知らぬ女性との混浴体験も数限りなくありますけれど、若い女性との混浴体験って片手で数えるほどしかないですもん。
 そうそう、いつかお湯でご一緒した福島の若奥さんは、「天狗の湯」での混浴について、こうおっしゃってました。

----わたしたち、ここに入るときはいつもここを素通りして、ここの石段のうえの、ほら、温泉神社すぐのところにある個別の、家族湯にまずいっちゃうんですよ。あそこなら、戸もあるし、カギもついてるし…。で、そこからお父ちゃんが「天狗の湯」の偵察にいってくれるわけ。いまはお客が多すぎてだめだとか、いまがチャンス、客いないからすぐこい、とかね。いまもお客さんが男ひとりしかいないからこいっていわれて、わたし、そうしてきたのよ…。やっぱり、そうでもしなきゃ、若い女は、ここ、入れないですよ。でも、こちら、ああ、ほんとにいいお湯ねえ……。

 この福島発の美人の若奥さんは、白いほほをほのかな桜色に染めて、微笑みながら「天狗の湯」を満喫してられました。
 秋の光がさらさらと降りそそぐお午すぎ、その艶姿は、とても色っぽくて素敵でありました…。

 なんていうとイーダちゃんという人間、さぞ混浴に理解のある、ほぼ模範的で理想的な、混浴紳士客として見えるかもしれません。
 いや、実際にある程度まではその通りなんだと思います---が、イーダちゃんにしても所詮はニンゲン、たまには煩悩にまみれたスケベチックな気持ちに駆られることもあるのです。以下はその話---。
 あれは、いつだったか連休のときでした。連休どきの「北温泉」は人気があって非常に混むので、本来だったらいかないのが僕的な筋なんですが、そのときはたまたまなにかの事情で「北温泉」に連泊していたんですね。
 で、福島かどっかの温泉に寄って、宿に帰ってきた午後の3時ごろ、さっきまでがやがやと湯浴み客の喧騒で賑やかだった「天狗の湯」がふっと静かになったんですよ。だもんで2階の自分の部屋からちょいといってみた。
 すると、珍しく、休みの日のこんな時間なのに、お風呂に人影がひとつもないんです。
 おお、と思いました。人気のある「北温泉」でこんなの珍しいですから。誰もいない今のうちにと携帯で写真もいっぱい撮って、上半身も裸になって、さあ、きりのいいところまで撮ったら、いよいよひと風呂も頂いちゃおうかなあ、なんてのんきに思ってた。で、靴下まで脱いだとこで、「天狗の湯」に女の子のふたり連れがやってきたんです。
 たぶん、女子大生ぐらいだったんじゃないかなあ。ふたりとも、えらい綺麗で美人な子なんですよ。
 彼女たち、からっぽの「天狗の湯」を見て、しめた、という喜び顔になりました。
 でも、次の瞬間、風呂陰にいた半裸のイーダちゃんを見つけて、ああ、しまった、という落胆顔になったのです。

----やあ、こんにちは…。

 と、僕は何気に挨拶しましてね、

----ええ、こんにちは。

 と、彼女らもすぐに返してくれて---しっかりした気のいい娘さんという印象でした。
 ちょっと彼女たちと話してみました。ふたりとも小田原からやってきたっていってましたね。温泉が非常に好きで、休日になるとふたりで各地の温泉巡りをするのが、このごろのいちばんの楽しみなんだとか。この「北温泉」もとても楽しみにしてやってきたんだけど、混浴の「天狗の湯」だけは、さすがにいってみないことには、実際に入れる状況かどうか分からない。せっかくきたのだから、とダメ元できてみたら、なんと男性客がほとんどいない。これは、またとないチャンスだと思う。ここ、思っていた以上に風情があるし、ぜひいまから入ってみたいんだけど、お湯、ご一緒してもいいでせうか、と彼女たちのほうからふいにもちかけてきたのでありました。
 これはマジびっくりしました。
 なんてスイートな!---若い、美人女子大生からの、混浴の提案だなんて。(^o^)/
 いまだったら、もう諸手をあげて超・大喜びのところです。
 なのに、このときはイーダちゃん、なんといいカッコしちゃったんですよ。

----いや、それなら、僕、あっちいくから、いまのうちにふたりだけでここ入っちゃいなさいよ…。

----ええ、でも、それじゃあ…(遠慮視線で)あなただって遠くからこられたんでせうし……

----いいのいいいの!(トやたら快活に)僕、ここの常連泊まり客だから。いつでも入ろうと思えば、すぐ入れるのよ。だから、気にしないで。さあ、いまのうちに入っちゃいな…こんなチャンスもう二度とないよ…。

----あ、ありがとうございますっ!(ふたり、感激して深々と礼)

 いや、やったこと自体はまあ立派だったと思いますよ、彼女らも喜んでくれたし…。
 それはいい、でも、いま思いかえしてもあれは歯噛みモン---なんだってあのとき、あそこまでいいカッコしちゃったのかなあ…。(ToT;>
 ちょっとぐらいいっしょに混浴してもバチはあたらなかったのに……あーん!
 
 帰りのクルマのなかでも、ああ、惜しいことした、惜しいことした、とイーダちゃんはずっと後悔しきりなのでありました。
 いまだに思いかえすとちょっと悔しいもの。そのへんの自分内回路の仕組みがいまいち分かりません。
 ふしぎですよね、混浴自体は腐るほど体験してるのに、いまだにあれはむーっと残念なんですよ…。

 暇話休題---ここに、那須の「北温泉」のホームページのアドレスをあげておきます。ご参考まで。

   http://www.kitaonsen.com

 今年は特に寒いから、きっといまごろ、「北温泉」は何層もの深い雪に覆われていることでせう。
 どこまでもまっ白の世界のなか、ごんごん降る大粒の雪を眺めながら入る「天狗の湯」は、ほんと、絶品なんですよね。
 今夜はそろそろこのへんで終りたく存じます---こんな長いのを読んでくれて有難う---温泉レポーターのイーダちゃんでした。<(_ _)>
                               

徒然その43☆葬儀を終えて☆

2011-01-15 23:55:08 | 身辺雑記
                          

                              ◆葬儀に見る「東西」◆

 ついさっき、叔母の葬儀にいって帰ってきたところです---。
 いや、葬儀じゃないな、正確にいうならお別れ会ですか。
 葬儀自体はすでに去年の11月末に、群馬の老人ホームで済ましてましたから。今日のは、純粋な意味でのお別れ会---仏教でいうなら、告別式というのにあたるかと思います。場所は、お茶の水の教会でした。
 イーダちゃん自身はぜんぜんクリスチャンじゃないんですが、叔母の親戚系列はむかしっからプロテスタント系の敬虔な信者さんでして---というか、叔母の旦那である叔父さんがそもそも有名な牧師さんだったのです---その関係で葬儀なんかもキリスト教式でいったわけなんです。
 で、それを体験してきて思ったのは、プロテスタントの葬儀ってシンプルでいいなあ、ということでした。
 いいなあ、なんていうと不謹慎に受けとられるかもしれませんが、ほんと、これ実感です。
 というのも、これと相反する、いままで体験してきた仏教の葬儀の数々を反射的に思いだしたからです。
 仏教の葬儀って、ほら、なんというか基本的にリアリズムの世界じゃないですか。

----人間は死すべきもの。
  死んだら腐って土に還るもの。
  死は定め。悲しいけど仕方ない。
  諦めましょ。諦めて悟るしかないよ。
  あーみーだーぎゃー わーてるろー 

(ここで銅鑼がゴーンと鳴る。読経する坊主の脇の、障子の木枠の手掛けの付近を、大きめの蠅が一匹飛びまわっているのが見える)

 永遠につづくんじゃないかと思うくらいの、長いながーい読経。
 それとともに募っていく無常観と退屈と。
 あと、重ねあった足指に兆す周期的な痺れの感覚。
 少しのあいだ故人の死去の悲しみにひたっていても、あまりにも長い読経のせいで、ああ、こんな風に悲しんでいて何になるんだろう、悲しんですごしても、ぼーっとお経を聴いてすごしても、この世の無為は所詮おなじじゃないか、ばかばかしい---みたいな東洋的ニヒリズムの諦念のなかに、結局、すべてが溶かしこまれていってしまう…。
 もっとぶっちゃけていうなら、悲しんでいるのがだんだんアホらしくなってきて、当人自らがその悲しみを放棄するような位置まで、流れ的にもっていかれるわけ。
 というか、仏教の葬儀ってあらゆるメカニズムが、そのような慰め配列にならんでる---あるいはならべられている?---気がする。
 でも、ほっぽらかしと紙一重の、このいい加減な慰め方って、実は、案外効果的なんですよね。
 ええ、仏教のあのだらーんとしたほっぽらかし感覚って、東洋の歴史が紆余曲折したあげくたどりついた、最終的な「親切のかたち」なんじゃないか、とイーダちゃんは思います。
 東洋的親切ってそうです---基本的にはあんまり世話を焼かないし、おせっかいもなるたけしない。
 でも、視野のはしっこのほうでいつもそのひとの様子を窺うともなく窺っていて、いざ窮状となったら、こそっと背中のほうからそのひとのほうへ近づいていって、そのひとの家の石垣のうえに笹の葉にくるんだ団子を秘密裏に置いてくる---とか、なにかそういった感じ。
 それ喰ってそのひとが元気になってくれればいいんだけど、団子の存在に気づかずに死んでしまったとしても、それはそれで仕方ない。
 そうなってしまったのは、たぶん、ひとの「理」を超えた「天」の配剤であるんだろうから。
 で、両掌をきちっとあわせて、

----あーみーだーぎゃー わーてるろー

 とやるわけです。
 いってみれば天然自然流ってとこ? 神サマは自然、自然が神サマであり、すべての規範であり御心でもあるわけ。
 うーむ、ひとの力の有意性といったものを、これっぽっちも信頼してないとこがいいですね。
 西洋的な視点からだと、これ、下手したらニヒリズムと取られちゃうかもしれないけど、虚無的な無神論めいた信仰じゃまったくなくて、「運命」という天上の厳粛な宿命に対して、人間の介在できる余地はあまりない、というあくまで謙虚な立ち位置と思想とが、そのような夕映え模様の諦念曲線を結果的に描かしているんじゃないか、と思います。
 ええ、ニヒリズムというより、やっぱり、これは一種のリアリズムでせう。
 一見したところ、いかにも薄情で取っつきにくそうなんだけど、入口のとっかかりのところを抜けると、実のところは案外細やかで優しかったりね。
 東洋流のリアリズムって総じてそんな感じかも---一見取りつくしまもないくらいの仏頂面をしてるんだけど、障子紙を1枚すーっと横に引くと、草木の香りと秋の虫の鳴き声がかすかにしてる、こじんまりとした庭がそこにあるんです…。

 じゃあ、西洋の葬儀はどんななの? というと---これがまたぜんぜんちがってくる。
 なんというか、小中学校で我々がよくやった、始業式とか終業式の形式に非常によく似てるんですよ。
 というより、これは西洋の伝統的なそのような行事のやりかたを、たぶんそのまま明治日本がパクっちゃって、それがそのまま現在まで持ちこされてる、ということなのかもしれません。だとすると、ある意味、似てて当然かもね。
 まず、議事の進行役の牧師さんのお話があって、故人の思い出を語る来賓の方々のお話なんかもあり、それらの議事進行のあいまに今度は皆で立って讃美歌を歌ったりもするわけです。
 
----いつくしみ深き 友なるイエスは
  罪 咎 憂いを とり去りたもう
  こころの嘆きを 包まず述べて
  などかは下さぬ 負える重荷を (讃美歌312番「いつくしみ深き」より)

 それからも、説教があり、弔辞があり---しかも、それらの話が皆さん、教会関係者で話しなれているせいか、けっこう面白かったりするんです。
 故人の愛すべき逸話のいくつかをジョークをまじえて話して笑わせたり、あるいは、そのあいまに故人との別れの悲しみをはっとするほど真剣に吐露してみたり---そうすると会場全体が悲しみのオーラに包まれる瞬間が、誇張でなく、なんか目に見えるんですよ。
 見事でした。僕も、つい泣かされちゃいましたねえ…。
 ええ、こんないいかたは不謹慎だと思うのですが、仏教の単調でモノトーンな葬儀とくらべると、プロテスタントの葬儀のほうが断然カラフルで面白いんです。
 非常に演劇的というか、総天然色というか、メリハリも起承転結もちゃんとあって、人間の力への信頼がそこかしこに溢れてるっていうかね。
 仏教の葬儀が「自然主義」なら、プロテスタントの葬儀は「人治」じゃないでせうか---。
 たとえていうなら、仏教葬儀には幹事がいないんですよ。取りしきる人間がいない。責任者不在、というかよく分からない。先祖霊と仏とがどうちがうのか、明確な定義もないし、たぶん、その点を誰も分かっていない。でも、そのへんはあまり問題ないみたい、強力なリーダーや引率者はたしかにいないけど、つつがなく会はつづいていき、自分の番がまわってくれば、皆、渋々とそれなりにその役を務めてくれ、そのような「だらんこ」「ふんわか」したノリで、会はいつまでもまわっていくんです…。
 ところがプロテスタント流はちがってる、この会のなかには強力なワンマン幹事がいらっしゃる。
 それが、「人間力」なんです。
 神の国と現世との交流を一手に取りしきるのも人間だし、神の栄光を讃えるのも人間。
 最終目標の神サマにしたって、人間の敷いた信仰のレールのうえを歩いて、我々のいる下界へと降臨されるわけですから。
 まごうかたなき「ニンゲン主義」とでもいいますか。これほど無垢なニンゲンへの肯定思想というのは、東洋にはあまり見られないので、この屈託のない明るさにはある意味とても驚かされました。
 とりわけ僕が感じ入ったのは、次のような発言がもたらされたときでした。

----故人はいまやすべての苦しみから解放されて、神様の御許で安らいでいるのです…。

 あるいはおなじ文脈でいわれた同様の言葉、

----いずれ我々がみまかって天国で永遠の命を得たとき、どんなに楽しい暮らしが待っていることでしょう…。

 こういう台詞は、僕は、小説のなかでしか読んだことがなかったから、実際に耳にしたときは、ちょっとびっくりしました。
 もちろん、これらの言葉を口にされた牧師さんたちをからかう気なんて毛頭ありません。そのへんは誤解なきよう---これらの台詞はみな真情をこめて発言されていたし、聴いている僕も牧師さんのおっしゃられる天国のヴィジョンの眩しさに圧倒され、まちがいなく感動していました。
 僕がびっくりしたというのは、まったく別の理由からです。
 それが、あまりにも東洋的な文脈から外れたコトバだったから---だから、つい匂い的に違和感を感じてしまい、結果的にびっくりしたんじゃないかなあ?
 実は、これらの言葉を聴いたとき、僕は、

----すわ、これってファンタジーじゃん! と思ったのです。

 そう、仏教が自然主義なら、キリスト教はファンタジーじゃないかって、そのように感じたのでした。
 信仰というのも、もしかしたらファンタジーの亜種なのかもしれませんね。そんな風に感じてしまうのは、信仰をもつことのできないイーダちゃんの不徳がなせる、あざとい遠回りなものの見方なのかもしれないけど。
 ただ、正直にいわせてもらえば、僕は「永遠の命」っていうのはよく分かりませんね。
 いってる意味自体はわかるし、内容も充分共感できる、そうなればいいな、と思うこともたしかにあります。
 ただ、腹の底からこの言葉が分かるか、と問われれば、首を横にふらざるを得ない。
 イーダちゃん的には「永遠の命」は、翻訳したての耳慣れぬ言葉のように、ええ、微妙な齟齬感のある、垣根むこうの隣人みたいな存在でしかないのです。

 しかし、その点は置いておいても、プロテスタントの葬儀、マジ素晴らしかったんですよ。
 可愛がってくれた叔母がどこにいってしまったのかは、あいにく僕にはちょっと分からない---なにせ見えないし、話も通じない国にいっちゃったわけですから。
 叔母のプロテスタント仲間のひとたちは、皆、叔母が天国にいって安らいでいる---ちなみにそういうときの皆さん、心からそういってられるのが分かるんですよね、これは、羨ましかった---といってましたけど、その種の信仰の乏しい僕なんかから見れば、その手の話を無条件に信じこむのはいささかむずかしいのです。
 心のなかに架空の天国をイメージするよりさきに、「ほんとかな?」って疑惑のフレーズでたちまち頭がいっぱいになっちゃうんですからねっ。
 だから、亡くなった叔母に義理立てて、むりに敬虔気分を繕うことはやめておきます。
 叔母にしても、そんな風な「うそっこ」の追悼なんてきっと願い下げでせう。
 結局、僕は僕なりのやりかたでいくしかないように思います。ですから、今日のところは、正直に、子供っぽく---うむ、叔母が叔母らしい、いいところにいければいいなあ、と願っておきませう…。(^.^;>



                           ◆東洋流たしなみ「含羞」について◆        

 西洋思想史におけるニンゲンの立ち位置は知りません。
 ただ、東洋的視点からいわせてもらうなら、東洋における人間の立ち位置って、たぶん低めぎりぎりの設定じゃないかと思うんです。ぶっちゃけていうなら、東洋ではニンゲン、そんなに偉いものとは考えられていないと思うんですね。
 要するに、塵芥とあんま変わらない。
 せいぜいが畜生の一変種といった程度の認識ですか。
 世界からすると、いてもいなくても、どうでもいい存在。
 このあたりの低設定事情に通じているから、坊主にしても庶民にしてもどこか含羞があり、なにかを発言する際にも、つい猫背気味に、おのずからペシミスチックになっちゃう傾向があるように思うんですけど。
 思うにこの種の謙虚さって、東洋の本能なんじゃないかなあ…。
 この先験的な心理的トラウマは、戦後育ちのクールな世代であるはずの僕のなかにも、いまだに根強く巣食ってます。
 けど、このトラウマ的「含羞」って、僕は非常に大事なモノじゃないかって、いまさらながら思うんですよ。
 これのあるなしだけで世界との関わりようが180度変わってしまうかもしれない、と思っているくらいです。

 ちなみにイーダちゃんは、この「含羞」のあるなしだけでひとを判断していますね。
 僕にいわせれば、この「含羞」は美徳ですよ、すでに。
 これがあるひとは---信用できるし、トモダチにだってなれる。
 これがまったく見あたらない自信満々のおかたとは……正直、あまりお会いしたくないですねえ。

 いずれにしても、ちょっと今夜は話しすぎのようです。話が流れて、なんの話だか分からなくなってきちゃった。
 僕の暮らす関東は日本じゃまだマシなほうらしいけど、それでも外の冬空はキンキンに冷えてます。
 もしかしたら雪になるかもしれない、帰りのとき、襟元がなにかそんな感じでありました。
 ということで皆さま、どうか風邪に気をつけて---明日の朝はこの冬最高の冷えこみだそうです---お休みなさい---。<(_ _)>
 


 
 
 

徒然その42☆太宰治解析作戦☆

2011-01-08 20:08:04 | ☆西洋占星術への誘い☆
                                  
                
            ----死のうと思っていた。ことしの四月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物
              の布地は麻であった。鼠色の細かい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。
              夏まで生きていようと思った。(太宰治「晩年」より)


 あらかじめいっておきますが、イーダちゃんは太宰治さんの支持者ではありません。
 どちらかというとその逆の、批判者のほうに組する者ですね。若いころの三島由紀夫が直接太宰さんに会ったときにいった「僕は、太宰さんの文学が嫌いなんです」という、これとまるきりおんなじセリフを、いつでも彼にむかって投げつける用意があります。
 個人的にいわせてもらうなら、まず、彼の死にかたが厭ですね。
 ぐでんぐでんに酔ったあげく、太宰さんは自らの恋人であり弟子でもある「すたこらサッちゃん」と共に玉川上水に飛びこんだのですが、あれは、正確にいうなら、情死なんかじゃなくて「酔っぱらい死に」だと思うな。単なるアルコールまみれの衝動自殺を、いささか文学的に美化しすぎちゃってるんじゃないですかね。もっとも、死者に鞭打つつもりは毛頭ないんですが。
 文学的にみても、太宰さんは、川端康成や坂口安吾の足元にも及ばないと感じます。
 稀有の才能は、むろん認めますし、ある意味、たしかに天才だったろうとも思ってる。しかし、なんというか、川端さんや安吾なんかにくらべると、格下の小物濃度がだいぶ高いですよ、太宰さんっていうひとは。
 人間世界のあらゆる約束事を嘲笑うような、なんとも無慈悲な、川端風死者のまなざしも、吹きっさらしの縄文平野みたいにどこまでもだだっぴろい安吾的な風通しのよさも、太宰文学のなかにはありません。
 このひとの精髄は、僕は、人情伽なんだと思う。
 飛びぬけた材料(素質?)だけで勝負するんじゃなくて、身近なありあわせのゴシップを組みあわせて、それの料理法---語り口の妙で聴かせるテクニシャン・タイプとでもいいますか。
 要するにいいまわしですよね。声色。あと、呼吸。一瞬のひらめきとタメとにすべてを賭けてるわけですよ。
 冒頭にあげた「晩年」の1節なんかにも彼流の美学は爆発しまくっていて、その末尾の「決め」具合についいちゃあ脱帽するよりないため息モンの見事さなんですが、太宰さんってこういうブレイクのあとに、なぜだか自分の「技」の効果をたしかめるように、やや下方向からちらり目線で相手の顔色をうかがうくせがちょっとあるじゃないですか。
 この顔色うかがいの残心というか、媚びというか、一種歌舞伎めいた「しな」といったものが、僕は、どうしても嫌ですねえ。好きになれない。
 ただし、人気だけは、彼、いまもすさまじいんですよ。
 川端びいきの僕としてはあまり認めたくないのですが、もしかしたら、川端さんと安吾をあわせたよりあるかもしれません。

 ただ、今回ここで僕が展開しようと思ってるのは、文学論じゃなくて彼の「占い」なんですよね。
 西洋占星術の立場から太宰さんの星を読んだ場合、どうなるか?
 だもんで、まず、彼のネイタル・チャートからいきませう。

                     

 これが、太宰さんの出世図---いわゆるネイタル・チャート(海図)というやつです。
 これによると太宰さんの太陽は双子座の21度に位置---これは、いわゆる双子座生まれというやつです。作家さん関連にはかなり多い太陽配置です。意味は、クールで多弁、機敏にして移り気。んでもって、ちょい薄情。
 感情の表示体である月は、藝術の表示体である蟹座にIN。感覚的な鋭さ、繊細さを先験的に物語ってるような感じ。
 あと、重要な、感受点としてのASC---アセンダント(生まれた瞬間の地平線位置)---は、なんと、蠍座だよ、このひと!
 なーるほど、太陽位置が物語るこのひとの本質は、どちらかといえば乾いた感じの、「風」星座の双子座なのに、作風がどうにも水っぽく、情の濃ゆい印象がしてた理由がここで飲みこめましたねえ。
 このひと、太陽は「風」だけど、月も、アセンダントも、どちらも「水」星座なんですよ、実は。
 これは、情、濃ゆいに決まってますよ。もう、どろっどろ、といってもいい。
 このひとの本質はいまさっき述べたような、非常にクールな双子の中性知性なんですが、それが、このもって生まれた情の濃さ、血の熱さみたいな要素にぐいぐい引きずられ、一種の情のどんづまりの土壇場みたいな場所にいつも追いこまれちゃう、みたいな暗示が、もしかしたら、この星の配置から読めるのかもしれない。
 ま、あんま先走りはイカンのですが---ま、ちょっとここまでの要点をまとめておきますか。

1)太宰さんは双子座生まれの「風」のひと。
  本質はクールで機知の塊、頭の回転むっちゃ速く、嫌味なほど器用。
  けれども、月は蟹---アセンダントは蠍座後半。
  と、どちらも「水」サインなので、「情」の濃さに引きずられる縁多し、としておきますか。

2)あ。あと、これは10惑星の配置図なんですが---チャートの右下にかたまってる数列表のこと---これによると太宰さん、

    活動宮5、不動宮0、柔軟宮5

  の配置です。不動宮の0ってのが、やはりポイントですね、これは。
  不動宮は現実世界と当人との結びつきを示唆する場所ですから、それが0ということは、これは、現実性の全くない、霞のような人生?
  活動宮に5つも星がいるから、行動力はかなりあります。
  そういえばこのひと、若いころ共産党の活動とかもやってたんでしたっけね?
  あと、柔軟宮に星5つだから、感受性豊か---迷ったりくよくよ悩んだり。
  ただ、中間部にあるべき不動宮に在籍の星が0なんで、その活動と煩悶とのあいだに、憩える畳の部屋がどこにもない、といった感じでせうか。
  これは、ちょっと苦しいかも。
  ニンゲン、やはり、どっかに寝転べる憩いの空間がなくては。
  しかし、太宰さんには、それ、ないですね。強い活動と煩悶とのあいだを行ったり来たりのくりかえしばっかりで、その中間がない…。

 前読みはまあこんなところでせうか。
 では、1)の要素を敷衍していきませう---今度は、ほかの星の読みも絡ませて。
 僕はさきほど、太宰さんの太陽は双子座の21度にいる、としかいわなかったのですが、この21度っていうのは、実はサインのなかでも非常に双子的要素が強く出る、クリティカルな位置なんですよ。
 さらに太宰さんのこの太陽、おなじ双子座のなかの冥王星と合の座相をつくってる。
 ほんの4度ちがいの、これは、かなり強めのコンジャンクションです。冥王星は、自分と組んだ相手の星の性質を極限まで引きだす魔導士的存在です。
 これだけでも滅茶苦茶に強い配置なのに、太宰さんの場合、さらにさらに逆行の水星がこの2星に合で絡んできてるんですね。
 つまり、

3)双子座のサイン内で、「太陽-水星-冥王星」の3星が、かたーく結びついてるわけ。

 太陽-冥王星の配置は、己の意志を超えた、冥王星の強烈な運命力、とも読めますね。
 動きだしたら、とことん行っちゃう。どうにも止まらない暴走機関車が自分のなかに常にあるわけ。
 カタストロフィ的な暗示、強力な意志力で自分ごと滅んじゃう、みたいなも傾向もちょいとある。
 水星-冥王星のラインは、これは、極端な知性であり機敏さ---冴えまくり---自分自身を傷つけるほどの分析力、とかね。
 これだけ星が鋭すぎる配置だとはなはだ生きにくそうなものなんだけど、太宰さんの場合、職業が作家さんでしたから、これらの運命的なハンデをむしろ文学上の武器として、いろいろと活用できたんじゃないでせうかねえ。
 くるくる廻るアタマと弁舌---。
 心が痛めば痛むほど冴えわたる筆---。
 愚痴っぽい負け惜しみを吐きだしたつもりなのに、それすら作品を飾る見事な背景の暗雲になっちゃう、みたいなね…。

 さらに、太宰さん、太陽-水星のコンバストまであるんだから。
 これは、客観的な作品のまえに大きく「わたし」が競りでてくる、私小説的な作風の暗示でもあります。
 ねえ、これなんか太宰さんの芸風を、ズバリいいあててる感じじゃないですか---。

4)あとは8室ですかね、特徴的なのは。
 太宰さんは、ここの8室に「月-金星-海王星」3星の合連合をもってらっしゃる。
 蟹座は、別名「藝術の宮」と呼ばれているくらい、感覚においてひいでたエリアです。
 器用で、繊細で、心配りが細かくて、情に厚くて、優しく、そうして、ちょっと食いしんぼ---。
 太宰さんの伝記とか読むと、書かれているお人柄は、ほぼこのままじゃないですか。実際、太宰さんは食べるのが好きで、かなりの量をぺろりと平らげて平気だったようですから、この一致はちょっとおかしいかも。

 しかし、まあこれは、藝術家として理想的な月であり金星の配置だと思いますよ。
 強いていうなら、感受性の傾向として、表面的にきれいなものに魅きつれられがちないささかの軽薄さも読めるけど、この月-金星のコンビは双方海王星とも組んでるわけだから、無限の想像力が次から次へと湧いてくる才能を物語ってもいるんです。
 IC脇の火星との120度も絡ませて考えたら、このひと、血沸き肉躍る、南洋一みたいな「大冒険小説」なんて書いてもきっとうまかったでせうね。そっち系の素質もすごくあるもん。ひょっとして、ハリー・ポッタークラスのものくらい、案外ひょひょいとひねりだしちゃったかもしれませんよ。
 あの跳ねるみたいな筆先で、いとも軽々とね。
 そう考えると、すごい惜しいですよ。
 僕は、太宰さんの冒険小説は、彼の純文学以上に、個人的に非常に読みたいですもん。
 そういう意味で、やはり、自殺はいけません---「ほんとにあった怖い話」の霊能者・寺尾玲子さんも、その友人の視っちゃんも口をそろえていってます、汝、自殺することなかれって。

5)ホロスコープの天頂にいちばん高くエレベートしてるのは、幸運の星・木星です。素晴らしい!
 これ以上はないってくらいの、これは、サイコーの仕事運ですね。頂点を極める運です。
 実際、太宰さんの場合、そうなりましたもんね---日本国がつづくかぎり、彼の文名はたぶん不滅でせう。
 中学生のとき、学校帰りの故郷の橋から川をながめつつ、

----えらくなれるかしら?

 と問うともなく問うていた太宰少年---いや、当時はまだ津島少年でしたっけ?---の願いは、そうした意味で見事にかなったというわけです。
 このようなのちの世の彼の名声を、当時の津島少年に耳打ちしてやれたらなあ、とイーダちゃんはSF風に夢想してみます。
 そしたら、津島少年どうしたでせうねえ?
 わーっ、と声をあげて晴れた八甲田山にむけて走りだしたでせうか?
 それとも、純情そうにほほを赤らめて、やや下にうつ向きながら、くすりと笑ったでせうか?
 あとのほうがありそうですけど、さあ、どうでせうねえ---。

6)それから、このMC近くの木星がいる場所、あくまで乙女ですから、潔癖で、傷つきやすい、繊細な仕事ぶりで世に知られるようになる、みたいな外側からの読みも可能です。
 だとすると、これ、なかなかあたってません?---太宰さんの世界って根本が乙女チックですもん。
 実際の乙女ってけっこう傍目よりたくましくて図太いものなんですが、抽出された、理想化された純粋培養の乙女チックっていうか、そのようなふしぎな芸風をもっていたひとだった、と思います。

7)あとは、まあ、2、3点---異常なシチエーションの恋愛を好む性癖、たしかにありますねえ。
 心中好き、情死好き、なんていうと不謹慎なんですけど、このひと、絶望とか苦悩とかいうのはむろんあったんでせうけど、それ以前に、単に趣味として「情死好き」「心中好き」だった、といった危ない傾向、ちょっとありそうですよ。
 
8)さらにいえば、ニンゲンとしての、先天的な「可愛げ」にも恵まれていたひとっぽいですね。
 ずいぶん可愛いひとだったと思われます。誰彼かまわず借金しまくっていっぱしの無頼派を気取ってみたり、困ったちゃんの要素もそうとうにあったと思うけど、たいていのことなら「仕方ねえなあ、あいつは」で許されちゃうような、甘い、ふしぎな坊っちゃん的人徳をもってたひとのように読めますね…。

 まだまだいけそうですが、占星術の予備知識のないひとには、これ、そうとう読むのきついと思います。
 度数論とかHNとかの話もちょっとしたかったのですが、それやってたら、これ、それこそ本になっちゃいますから。
 というわけで今夜はここまでに収めておきたいと思います。長々とすみませんでした。
 最後まで読んでくれてありがとう---そして、グッドナイト---アルファ・ケンタウリより、よろめき占い師のイーダちゃんでした。(^o-)V


☆イーダちゃんの星座占いコーナー☆

2011-01-08 09:31:42 | ★メール鑑定はじめました★
                                     


 はじめまして---西洋占星術マニア兼よろめき占い師のイーダちゃんと申します。
 さて、唐突ですが、実はわたくし、占いという伝承技術体系をあまり信じておりません。
 西洋占星術という体系は、あたるといえばたしかにまあよくあたるのですが、その効果を盲信してはいないのです。
 というより、占いという特殊な技術体系は、非常に高尚で瀟洒な、いわば王公貴族のための遊戯玩具だと思ってる。
 日本の占星術の草分けであるところの石川源晃先生---このかた、戦艦大和のレーダー作成に携わったおかたです---と以前お話しした際、先生は僕にこんな風におっしゃられました。

----私はね、眠れない夜長に夜空を眺めながら、占星術の法則の数学的な調和について考えたりしていると、その美しさにうっとりすることがあるんです…。
 
 これを聴いたとき、僕は、「なんてカッコいいじいちゃんだろう」と圧倒されました。
 便宜性、的中率といったような、せせこましい現世の呪縛に縛られてない点が特によい、と感じられました。
 僕は、石川先生の思いきり学問的なタッチで仕上げられた人工的な占星術---イシカワ分割調波とかね---を評価する者ではありませんが、このときの先生はちょっとばかりイカしてましたよ。太古から綿綿とつづいてきた、伝統的な魔術師の面影があの夜の先生には兆していたように思います。
 眠れぬ夜の、ひそかで豪奢な、密室での愉しみごととしての占星術---なんとなく錬金術してて、お洒落じゃないですか。
 神の運命の糸に弄ばれる土人形でしかない哀れなニンゲンが、夜半のこのときだけ、神の視座を獲得できるのです。
 ニンゲンの身の丈に収まりっこない、神の巨大な想像力に一瞬だけ接吻を試みるチャンス到来というわけ。
 蟻のようなニンゲンが、ホロスコープという手鏡を使って、神の領域にむかって試みるはるかな滑空といったほうが、より分かりやすいでせうか。 
 僕の占星術との付きあいかたも、どちらかといえばそっちサイドに近いように思います。
 したがって、僕が占う場合、現世利益的な、生臭く世知辛い視点は、必然的に遠のくハメになるわけです…。
 
----彼にアプローチするには今月の何日ごろがいいかしら?

 とか、

----私たちカップルの、先天的にあわない相性をあうようにさせるには、どのような地点に移動-リロケーション-すればいいの?

 とか、

----商売敵のどこそこを出し抜くためには、うちのどの部門を縮小・合理化して、どの部分を伸ばせばいいのか?

 とか問われても、僕的にはちょい困っちゃう。
 いかにも冴えないけど、うーん、分からないなあ、と頭を掻くよりないですねえ。
 ほかの、もっと優秀な占い師のもとにいったほうがいい、とお薦めしちゃうかも。
 僕あ、ホロスコープってのは、あくまでそのひと独自の、世界に1個しかないそのひとのためだけの、唯一無二の曼荼羅だとそう思ってるんですよ。
 ええ、曼荼羅です。一目一目願いをこめてていねいに織りこまれた、あの美しい、神秘のチベット曼陀羅。
 ですから、書かれていることは深いんだけど、読みかたのほうは案外単純なのかもしれない。

----私たちは何処からきたか、私たちは何者か、私たちは何処へいくか? 

 タヒチのゴーギャンの遺作じゃないですけど、僕の占いの狙う最終的な着地点もそれといっしょです。
 これは、太古から問いつづけられてきた、あまりにも根源的な問いですからね。
 つまり、個人の心理学的側面への没入度やや高しって感じです。
 いささか理屈っぽくなってしまう傾向もちょっとあり、かもね。
 具体的に表現するなら、たぶん次のようなテーマにあわせて占っていくことになると思います。

----貴方というひとはどんなひとなのか?

----なぜ、貴方はそのようにひとを愛するのか? 

----なぜ、貴方の愛は、憎しみとときどき重なって翳ってしまうのか?

----なぜ、貴方は頭では完全に見切ったはずのあのひとに、いまだに執着しつづけるのか?

 うーむ、なり…。
 ひょっとして、険しい道のりかもわからない。でも、この険しさってなかなかワウワクしてくると思いませんか?
 だいたい、険しくない人生なんてあるわけないんだし---いっしょにごゆるりと考えていこうじゃありませんか。
 ぶっちゃけていえば、僕としては、超・くそまじめな占いってやつをやってみたいんですよ。
 興味のあるかたは、ええ、まずは下記をご覧あれでございます---。



               ◆イーダちゃんのメール鑑定について◆


1)はじめにメールでお問いあわせください。

      iidatyann8@gmail.com

 メールには、生年月日、出生時間、出生地(生まれた場所、県名都市名まで)、性別等を忘れずご記入願います。
 出生時間は母子手帳等で調べ、何時何分まで記載されてください。分数が不明ですと、ASC-アセンダント-位置が正確に導けません。月の位置も変化してしまう。
 あと、お名前の記入を願います。ハンドルネーム。もしくはイニシャルでも可。
 職業などもご記入いただければ、より詳細な結果を導けるかと存じます。

2)イーダちゃんより返信メール
 今回のメール鑑定のご依頼の内容確認をさせていただきます。
 銀行口座情報もそちらに明記させていただきます。
 お問いあわせていただいてから、遅くとも2日以内にはかならずご返答させていただきます。
 メール送信後、もし2日すぎても返答がない場合、誠にお手数ですが、当ページのコメント欄へその旨をご記入願いたいと存じます。

3)鑑定料金お振込み
 先払いでお願いします。
 恐れ入りますが、振込手数料はご負担願います。

  鑑定料金:「西洋占星術鑑定」1件 \5,000
  鑑定結果:A4用紙3枚から4枚程度。文字数にして2400字から3000文字強。
  鑑定結果送付:メールに添付。
      郵送受付もOKです。ただし、その場合は、オプション料金がプラス \1,000 かかります。

4)鑑定結果送付
 入金確認後、10日以内に、わたくしなりの鑑定結果をお送りさせていただきます---以上。m(_ _)m

                      
                


 



 

                       

徒然その41☆‘賀正’ from 大倉山しのぶ湯☆

2011-01-01 08:24:47 | ☆湯けむりほわわん温泉紀行☆
                     

 Hello、温泉マニア兼アウトドア・マニアのイーダちゃんです。
 貴方は、お元気? よい年の瀬をすごされました? 僕は、ついさきほど地元の温泉から帰ってきたばかりです。
 ええ、横浜の港北区、東急東横線「大倉山駅」から徒歩10分あまりの、大綱中学校の近郊にある、こちら「ラジウム温泉しのぶ湯」さんは、重曹泉の温泉のでる銭湯なんです。
 PH8.2の、やや焦げ茶がかった、半透明のこちらのお湯は、なかなかあったまるいいお湯なんです。
 東京、横浜近辺は、どういうわけか重曹系のお湯が湧きやすい土地柄のようですね。
 実をいうと、地元近辺ではあるものの、僕は最近まで恥ずかしいことに、ここのお湯の存在を知らなかったんですよ。
 地元でいくとすれば、川崎有馬の「有馬療養温泉」か、綱島の「綱島ラジウム温泉」、もしくはもうちょい足を伸ばして、逗子葉山のバラック風味の「星山温泉」にいくことが圧倒的に多いんです。
 というのも上記の温泉群、首都圏近郊にしては、みんな泉質がいいんですもん。
 そうそう、いつか長野松代の「加賀井温泉一陽館」に立ち寄りした際、名物の解説おじさんにまっさきにいわれたのは、「ああ、あなた、横浜からきたの? なら、あそこ、綱島温泉ってあるでしょう?」のひとことでしたもんね。
 へえ、綱島温泉ってけっこう有名なんだ、と思って、嬉しいようなこそばゆいような感触、ありましたね。
 そこいくと、こちら、大倉山の「しのぶ湯」さんは、知名度でこそ劣るものの、圧倒的に優位なとこがひとつ、あらっしゃる。
 それは---クルマがいらない、徒歩20分たらずでトコトコいけるってこと---こりゃあ強いよ。
 おまけにこちら、町中の銭湯なのに露天があるんですよ。むろん、町中の露天だから視界もよくないし、青空にしても限られた一角しか見ることはできません。でもね、地元の空を眺めながら入れる風呂ってやっぱりいいです。
 僕は、昨日30日、今日の大晦日と2日つづけてこちらのお湯を利用させていただいたんですが、日本各地が異常気象で大変だっていうのに、こちら関東近辺の川崎・横浜圏はなにか申しわけないくらいの、からりと晴れた上天気でね、こんな日の午後にいいお湯につかっていたら、なんか、いろんなことをつい考えちゃいましたね。
 ひとつは---今年の8月にリストラで失職したこと。
 ふたつは---そのみそぎみたいなつもりで、北海道1周の気まま旅にでかけたこと。
 それから---師走最初に古い友人と喧嘩して、その1週後にまた仲直りしたこととか。
 いや、風呂につかりながらそんな過去のことを思うともなくくるくる思いかえしていたら、自分のなかのあらゆる面での至らなさ---職場での、プライヴェートでの---忘却の引き出しに追いこんだはずの、さまざまな苦い記憶が走馬灯のように去来して、屋根のすきまからの空を眺めながら、僕は、胸がちくちくとささくれだつような、なにか痛痒い感じでしたねえ。
 ああ、いい年をして俺はなんだ、なにやってるんだ、と思いつつ、両掌ですくったお湯を歪んだ顔にぽしゃっ。
 でも、そんな苦い思いで見ていても、僕の葛藤なんか知ってか知らずか、午どきの空はあくまで気持ちよさげでね、どこまでも晴れて、憎らしいくらい清々としてやがるんです…。

----うーむ。となると大事なのは、やっぱりこれからの生きようだよなあ…。

 なんて心のなかだけでごくそっといってみたりね。
 そんな風にしてつかったりあがったりをくりかえしてたら、1時間なんてそれこそすぐに立っちゃって---。

                    

 あ。上記のフォトはこちら「しのぶ湯」のおカミさんです。
 新横浜近辺の最近の開発工事---特に地下鉄の工事関連ですかねえ---に伴い、温泉のお湯に影響がでるんじゃないかとやや心配されているようでした。そういえば草津いったときも似たような話を聴いたことあったのを思いだしましたよ。
  
 で、まあ、風呂から帰って何気に家のPCをのぞいてみたら、あらら、nifty温泉さんのサイトに、こちらの「しのぶ湯」さんがすでに2年まえからUPされていたんで、なんだかびっくり。
 しかも、「しのぶ湯」さんのクチコミ・ボード、温泉猛者連の凄い面子のカキコでいっぱいなの---あのにらまるさんがいる、かすがさんがいる、とつかんさんもここ来てる---これには正直驚かされました。
 みんな、マメにチェックしてるんだなあ。
 いずれにしても、こちら、大倉山の「ラジウム温泉しのぶ湯」さんはいいですよ。
 特に平日の夕方、学校帰りの大綱中学の生徒さんの群れにまじって、洗面器をもってお風呂にでかけるパターンが僕は好き。
 近郊にお寄りの際にはぜひ立寄りを!---と、薦めてみたりもする、2011年初頭のまだまだ懲りない温泉野郎・イーダちゃんなのでありました。(^o^)/