イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その111☆アメリカ金融帝国の沈没☆

2012-06-26 12:06:29 | ☆むーチャンネル☆
               
                         上図:Pictures from New Jarsey's Homeless “Tennt City”

 アメリカが、いよいよヤバイです---。
 というのは、80年代からつづくイーダちゃんの持論だったのですが、今回のはとうとう年貢の納めどきってのが到来したんだなって感じです。
 アメリカの危うさについては、 僕は、このブログの、徒然その77☆世界$体勢の終焉☆というコーナーでもちょいと触れてます。
 あれは、2011年の8月の記事だったと思う。
 そのとき、僕は、アメリカ$は、秋までに50円代になるだろうと予測し、その予測は見事なまでに外れました。
 でも、やっぱり、$は、持ちなおしたわけじゃなかったのです。
 僕の予測よりだいぶ遅くなりはしましたが、合衆国の終焉は、やはり、やってきました---というか、とうとうやってきちゃった…。
 向こうで暮らしていた僕の友人も次々と帰国してきています。そのうちの誰もが口をひらけば、向こうはもうアカン、とため息まじりにいうのです。
 僕がこんな風にいうと、目を怒らせて、

----物騒な与太話をいうんじゃない。TVも新聞もそんな報道一向にしていないじゃないか。

 と憤慨される方もおられるかもしれない。
 なるほどね、与太話はたしかにイカンです、僕もそう思う。
 しかしね、このデータをちょっとご覧になってくださいよ---
 
     ◆全労働人口1億5千万人中、なんと1億人が失業者!
      半年以上就業していない総数=640万人
      就業を諦めた失業者数=8650万人
      ホームレスとなり、フードスタンプの受給で食いつなぎながら、テント村で暮らす人々=4400万人

 は? どこの破産国の事態よ、これは? あっ、もしかしてギリシャの話なの?---とか思うでしょ?
 でも、残念、ちがってる---これは、なんと、現代アメリカ最新のデータなんだなあ。
 ええ、ヨーロッパのユーロ没落なんかよりはるかに危険で恐ろしい、笑っちゃうようなこんな悪夢事態が、いま、全米で着々と進行中なんですわ、実は。
 Game is over! 残念ながら、これ見ると、合衆国は、もう終わっちゃった国としかいいようがないですね。
 僕だってそんなことは決していいたくはないのだけど、この数字を見たら、そういうしかない。
 これは、もはや隠蔽のしようのない明確な破滅であり、壊滅的な経済崩壊であり、国家としての徹底的な終焉です。
 いっとくけど、これは、超・大変な事態なんですよ、皆さん!
 なのに、これほどの事態が、一向に日本では知られていません。
 真面目に調査すれば、誰でもすぐ入手可能なこれらのデーターが、一向に日本人の目には触れてこない。
 気味、わるくありません? ええ、ミステリーですよ、これは。
 単刀直入にいうなら、この破滅的事態が、国民の目に触れないのには、理由があります。
 それは、マスコミがまったくこの件に関しての報道をしないからです。
 なぜ、しないのか?
 これも答えは超簡単---我々国民にそれを知られちゃ困るからです。

 要するに、国家ぐるみの隠蔽ですね。
 ええ、こういう情報管理を、一般的に報道管制と称します。
 北朝鮮なんかでよく行われれているやつ、それが、いま現在の日本でも行われているわけです。
 そう、建前上では、ここ日本は民主国家ですから、そういうことは行われないことになっています。
 しかし、実際の現実面では、日本は、まだ、アメリカNYの金融勢力に媚びへつらいつづける、誇りのない、ぺらっぺらの植民地国家ですから。
 自由な報道なんて、要するにいまだ絵空事だってことですよ---そんだけ。
 いいですか、力関係の熱伝導は、むかしっから以下の道筋通りとなっているんです---。

 合衆国金融勢力(FRB)→六本木米国大使館→日本与党最頂部→各省庁及びマスコミ機関最頂部(主にDENTUとかね)→一般の下々の日本人へ

 ジャパニーズ・マスコミ全般は、あえて私見でいわせてもらうなら、アメリカ政府直属の情報部隊って役割かなあ。
 真に日本の国益になるような情報は、このラインには決して乗りませぬ。
 というか、その種の危険情報は、国民の目にふれるまえに、すっかり骨抜きにされるか、あるいは、視点をズラして米国有利なかたちに書きかえられた上、そのまままミスリード情報として、日本国中に垂れ流されちゃうかのどっちかですね。
 あのー、一部サラリーマンが重視してる、あの日軽さんなんて特にダメダメですから。
 アレが乗っけてるのは、あくまで相対的な株の浮き沈みの数字だけであって。
 なんのため、誰のために株の取引が行われ、その結果誰が得をし、誰が損をするのか---その肝心要の点がまったく書けてない。
 もっとも、アレは、わざわざそっちの視点を欠落させて書いているんですけど。
 戦争に喩えるなら、部隊数、迫撃砲、重火器、戦車隊、兵隊の総数だけはきちんとチェック済みなんだけど、いちばん大事な相手部隊の戦闘戦略に関してまったく研究してない、みたいな感じかな。
 これ、考えてみれば、片手落ちどころの話じゃないでせう?
 NYの彼等・金融の王様たちにとって、日本はいまだエキゾチックな、劣った植民地のままなんですねえ。
 大人しく働いて自分たちに貢いでくれる、日本人の大多数は、盲いたままにしておくのが彼らにとっての得策なんです。
 だから、上層部に金を撒き撒きして、いまのいままで戦後ニッポンを上手にコントロールしつづけてきたというわけなんです。

 ところが、彼等のそんな王国に翳りが生じてきたんですね---それが、90年代はじめのころ。
 世界の工場として「あえて発展させてきてやった」アジアの各国が、それまでの地道な努力の甲斐もあって、どんどん経済的な底力をつけてきたんですね。
 戦後、彼等が巧みに構築してきた、しごく狡猾で便利な租庸調ジステム---いままではそれに楽して乗っかっていれば、そのままで鼻歌まじりに喰っていけたんですよ---国民の3人に1人が公務員、夕5時には一家の長も帰ってきて、庭で長男とサッカー、なんて生活があたりまえのようだった、かつてのあのギリシアみたいにね。
 でも、そのようなおためごかしが、だんだん続かないようになってきた。
 ええ、物の生産の拠点が、本当にアジアのほうに移りはじめてきたからです。
 実際の経済学でも、第三次産業である情報産業が、第一次、第二次の産業を上回ったら、その国は衰退する、といわれています。
 それと同様のことが、世界的潮流で起こりはじめてきたんですね、いよいよ。
 やりたい放題のキリギリスのもとにも冬が巡ってきたのです。
 それが、欧米チームの没落という現象でした---。
 けど、物の道理として、それは、どうしたってそうなるよ。
 喩えば、親譲りの工場の経営を任された若旦那が、株式相場と女遊びに急にのめりこんだとしたら、貴方、どう思います?
 もう、この工場は終わりだ、と、そう思うでせう?
 誰だってそう思いますって。
 そして、その予想通りに没落しはじめたのが、現在の欧米の若旦那衆だったということなんじゃないでせうか---。

 ただ、そんな若旦那衆にもそれなりの意地があるようなのよ。
 ここ、300年あまり地球の歴史を切りまわしてきた意地とプライド---あとは、自分たち白人が、マイスター人類として選ばれた種族であるっていう、根拠のない選民意識っていうやつですか?
 もともと彼等、スファラディ・ユダヤのロスチャイルドは、麻薬と戦争を糧に大きくなってきた大財閥でしたし、その点に関しちゃ、現代の石油王ロックフェラーの系列も同様---ロックフェラーが、石油を本業とするまで、頼りにしていた基幹産業というのは、やっぱり麻薬と戦争でしたから---。
 要するに、ぶっちゃけていうなら、現・地球のマイスターっていうのは、総じて暴力団なわけなんですよ。
 連中ときたら、遊んで、威張って、いい女抱いて、いい物喰って、あくまで贅沢三昧の生活を維持していきたいらしいの。
 そのために、各地に紛争を起こさなくちゃいけないわけなんです---自分たちの安楽と贅沢暮らしを守るためにね。
 19世紀の植民地時代だったら、未開の国の人々をいくら殺しても歯牙にもかけなかったけど、20世紀、21世紀と時代も変わっていくと、それまで発展途上国と呼ばれていた国々も次々と力をつけてきて、彼等・マイスターの思惑通りというわけにもいかなくなってきた。
 たとえマイスター自身が手を下したものであっても、理不尽な暴虐は、だんだんと非難されるようになってきたんですよ。
 さあ、困った、あんな連中にたえずネチネチ攻撃されちゃあ、たまったもんじゃない…。
 そこで、彼等・金融マイスターが発明したのが、下手人探査妨害装置というものでした。
 これを使用すれば、誰も、戦争の本当の仕掛人が誰なのか、分からなくなるの。
 そのために必要だったのが、情報と軍と金融の支配でした。
 支配のために、金融マイスターたちが最大限に利用したのが、当時開発されたばかりのTV放送でした。
 TVのもっている桁外れの情報拡散力に最初に目をつけたんですね、彼等は。
 その先陣を切ったのは、ナチスでした。
 ええ、ドイツ・ヒトラーのあのナチスが、まずこのメディアによる国民扇動のこの手法を実践し、アメリカのプッシュ家---ここでいきなりプッシュ家がでてきて驚かれましたか? ええ、これは、むろん、一族のなかから大統領を二人もだした、あの有名なプッシュ一族のことです---が、それらの体勢の最大のスポンサーとなって、第二次大戦中ずっと背後からナチスの体制を擁護しつづけてきたのです。
 つまり、情報操作という、決して一般学者の研究題材になりえない、この種の危険極まりない実戦的な学問体系を、現場でいちはやく活用しだしたのは、ドイツのあのナチスであったのですよ。
 そして、戦後、ナチスのこの遺産を受継いだのは、ナチスの最大のスポンサーであったプッシュ家のいる、いわゆるあの合衆国であったということを、ここで、ぜひご記憶ください。
 ローマ末期に活用された衆愚政治「パンとサーカス」の現代版は、このときはじまったのです。
 しかも、「表向き民主主義・一皮剥けばナチズムの戦争屋」という政治のこの本質は、以降、アメリカを中心にして、世界中に波及していくのです。
 復興ニッポンなんかは、いちばんこの「パンとサーカス」攻撃を喰らった国なんじゃないですかねえ。
 僕は、日本のTVっていうのは、本家アメリカよりもっと「パンとサーカス」してる、と思ってます。
 むかしっから大嫌いだった。
 いまじゃ、もうほとんど憎んでますね。
 隠蔽と扇動、あとは刹那的なお笑いかバラエティーの、忍法マシュマロ目くらまし…。
 なぜ、戦争は終わらないのか? なんて中学のころは自問してましたけど、よく考えれば当然の助動詞なんですよね。
 いま現在の世界のトップが、戦争屋で、かつ、死の金融屋なんですから。
 これじゃあ、終わるわけないですよね、どう考えてみても。
 これは、胸糞のわるくなるような裏歴史の一例ですが、残念ながら、すべて史実です…。

 いいですか、TV、新聞のメディア生誕の背後には、すべからくこのような裏があったんですよ。
 でも、冷静に考えれば、誰にでも分かること---物事には、必ず裏があるものなんですから。
 民主政治というのはいい理念だと思うし、僕も賛成ですが、その理想がいま現在現実に実行されているか、という疑問は、大いに考えてみる必要がある、と思っています。
 TV、新聞の発信する情報には、いちいち疑問符をつけて、監視しながら見ていかないと危険です。
 でもさ、僕にいわせるなら、TV、新聞が、無料で僕等・国民に、すべての真実情報を提示してくれるって安易な発想のほうが、むしろおかしいと思う。
 なわけないじゃないですか---TVをつけるだけで、世の中のすべてのことがすぐ知れちゃう、なんて。

 そんな考えは、国家と現実に対する幼児的な「よりかかり」であり「甘え」でしかないんじゃないかな。
 現実っていうのは、いつでも幼児の夢よりビターだし、残酷な顔をしてるものです。
 ましてやそれが世界政治なら、いわずもなが…。真相攪乱のためのミスリード情報がてんこ盛りにされている、と吟味・警戒しつつ受け入れる態度が、最初の前提でせう。
 でないと、いつかきた道---いつのまにか右翼化した政府(もちろん、その背後には金融マイスターたちの思惑と懇切な指導とがあることはいうまでもありません)に引きずられ、あれよあれよというまに日本が戦争参加、みたな事態になりかねません。
 気をつけませう、アメリカでがすでに中産階級が崩壊し、そのうちの大部分がホームレスになり、難民キャンプみたいなテント村が全米のあちこちにぽこぽこと群生しはじめています。
 これは、他人事じゃない、彼等のテント村は、下手すると僕等のすぐさきの未来です。
 そんな自戒と同情の念をこめて、ニュー・ジャージーのテント村のフォトを、もう2枚ほど、ここで紹介しておきませうか。


          
 
 このフォトは、AMERICA TODAY という記事からの転載ですけど、いちばん恐ろしいのは、これほどの重要情報を日本のマスコミはおろか、アメリカ本国の主要メディアもほとんど報じていない、という事実です。
 皆さん、かの大政翼賛会以来の報道管制が、いまやここまで迫ってきているのです。
 いわゆる焦眉の急というやつですか---火は、もう僕等の眉まで焦がしているのですよ
 僕は、かつての大戦時より徹底した報道管制が、いまのニッポンを覆っている、と思っています。
 ここで、いままでの僕の主張の大まかな論旨を、箇条書きにして示しておきませう。

 その1◆あの911は、戦争を惹起して、自分たちの商売を再開するために、世界金融マイスターたちが企画した inside job である。
 その2◆先日起きた311も、彼等・金融マイスターたちが旧式の人工地震兵器を使って起こした、一種のテロである。
     目的は、日本の円の価値を下げ、それの相対的効果としての総括的な$浮上---つまりは$防衛。
     実際、アレのあと、$は、なんとか持ちなおしたようにも見えました。
 その3◆311につづけて起こった、あの福嶋原発事故も、311同様のフェイクであり、やらせの情報テロである。
     だいたい、本物の原発事故だったら、僕等はもう東京なんかに住んでいられっこない。
     フェイクであるいちばんの証拠は、ソレですね。
     あと、レベル7の放射能事故のはずなのに、死者がゼロというのは---いくらなんでもありえんでしょう、コレは。
     さらには、日本の原発のすべての管理会社であるイスラエルの警備会社「マグナBSP」が、いまだ官報にも、マスコミの文面にも一向に登場してこない点。
     これが隠蔽でなくてなに? もう、突っこみどころ満載の、うそうそ機関車ですよね、これは。


 はあ…。あまりにも長くなって、疲れてもきたんで、そろそろエンディング・テーマに入らしていただきますね。
 とびっきりの情報---戦争惹起における、彼等の宗教利用の常套手口。
 えーと、彼等はあこぎな手段で稼いだ巨額のマネーで、敵国のトップを買収し、自分たちの望んだときに、自由自在に戦争ビジネスをやれるようにもくろんだわけですけど。
 ただ、戦争には、いわゆるきっかけというやつが必要ですよね。
 考えたあげく、彼等は、自分たちがスポンサーとなった架空の新興宗教をでっちあげ、その教祖と信者らに、その敵国内において騒乱を起こさせるという手法を編みだしたんです。
 糸をたぐっている自分たちは裏に隠れて、あくまで彼等・新興宗教サイドを下手人として、犯人役をしょわせる算段でした。
 で、彼等の巻きおこした騒乱に乗じて、自国の軍隊も上陸させ、どさくさまぎれの乱入暴力でもって自分たちの目的を達してしまおうという、この狡猾無比な悪魔的ストーリー・テリングを見よ! 
 彼等がこの手法を発明したのがいつなのかは明言できませんが、僕は、中国の「黄巾の乱」とか「太平天国の乱」なんかは、まちがいなく彼等の仕込みだったと思っています。
 だって、パターンが、モロ金融資本的スタンスですもん。
 あの新興宗教派閥が巻きおこした騒乱に応じて上陸した英国の軍隊のおかげで、中国は結局、なすすべもなく、いいようにやられてしまった。
 さて、推理小説の犯人当て原理を、ここで実地に応用してみませうか。
 事件によりいちばんの得をした人間---それがすなわち事件の真犯人である、というあのテーゼ。
 では、試算してみませう、あの戦争でいちばん得をしたのは、いったい誰か?
 いうまでもなく英国でせう。
 しかし、その国家の影に隠れて、政府よりさらに大儲けした、とある財閥がありました。
 それが、かのロスチャイルド一族でした---。
 自分たちの指導する新興宗教に騒乱を起こさせて、それを口実に自分たちの「正義の」戦争を行使して、皆殺し---そして、大儲け! というのが、ロスチャイルド財閥の、ナポレオン以来の伝統的戦略でした。
 このお家芸は、ロスチャイルド後続の財閥、ロックフェラー一族が、いまも引き継いでいますよね。
 そういうと素早くこう切り返してくる、こんなひともたまにはいる。

----なーるほど、利口な手口だな…。おろ? するとさあ、いま思いついたんだけど、日本のオームなんていうのも、そのロスチャイルドの騒乱惹起の例の伝統作戦、スケープゴードにされる新興宗教集団っていうのに、ちょっとばかり似ているんでないのかな?

 なんてこというんです、いうにことかいてなんてこと---。
 たしかに狙いとしてはいいと思いますよ、あなたの視点はなかなかに鋭いとも思う。
 しかし、あのオームが外国勢力の操り人形であり、かつ一種の傀儡でもあって、その背後に潜んでいる、真の敵対勢力は、アメリカNYにいる世界金融勢力のロックフェラーである、なんてクレージーなこと、ねえ、僕はまったくいってませんから。
 いいですか、ひとっこともいってませんからねっ---!

 ただ、ここのところの、あまりにもひとを馬鹿にした、オーム犯人たちの超・電撃逮捕騒動---こうまで壮大な茶番劇を毎日毎日こうも見せつけられちゃうとね---そんなことでもいいたくなるよってなモンじゃないですか。
 ま、このような僕の雑文をどう解釈しようと、それは、貴方のご自由です。
 笑ってもいいし、すかしてもいいし、すかしっ屁でもして、すぐさま忘れちゃってもそれでいい。
 ただ、少しでも、僕のこの雑文に興味を覚えるようなことがあったら、僕のブログ・むーちゃんねるというジャンルの、徒然その61から65にかけての記事をご参照ください。
 ほかにも、徒然その77と100で、「世界$体制の終焉」「人工地震プロジェクトを再考する」なんてのをやってますので、ご興味がありましたら訪問あれ。
 ついでに紹介しておきますと、ブックマークで僕がセレクトしておいた、

    リチャード・コシミズ・ブログ

 こちら、いまやアクセス数数千万を超える、超・怪物ブログとなっておりまして、必見です。
 
 さて、アメリカ指導の消費税増税案が、これからどっちに転ぶのか。
 アメリカの一の子分・ノダッチぷらすマスコミ軍団が、子分としての本懐を遂げるのか?
 それとも、日本は、小沢さん指導のもと、正常な国としてのスタンスにとどまりつづけていられるのか?
 まさに正念場、ジャパニーズ・ハルマゲドンってやつですよね、これは---。
 
 幸い、今日はよく晴れた、梅雨のあいまの晴天日です。
 さて、これからジョギングにでもいって、コトの進展具合をひとつじっくり見守るとするか---と、洗いざらしのトレーニング・ウェアにおもむろに手をかける、まだ4分の3は寝ぼすけアタマのイーダちゃんなのでありました…。(^o^;>
 

 
 

徒然その110☆飛田界隈での怪談☆

2012-06-22 09:49:33 | じつは怪談
                         


 学生時代に関西にいたとき、大阪の天王寺でセールスマンをやってた時期があるんですよ。
 売り物は、学○のマ○テ○ーゼミって商品。
 いわゆる教育系の教材ってやつですか。
 テレビに直結して使うと、クイズっぽいイエス・ノーの選択画面になって、それで楽々とひとり勉強ができちゃうっていう、当時にしてはまあ画期的な商品だったんですよ、これが。
 ただ、これ、値段が超・高かった---たしか、十何万かしたんじゃないのかな?
 いまみたいな不況の世の中じゃとても売れなさそうですが、僕がこのバイトをしてたのは、80年代中盤の、全盛のニッポンですからね。
 訪ねていくと、話、聴いてくれるひともときどきいたんです。
 ただ、飛びこみ営業じゃなくってね、会社から名簿と地図を渡されて、それで子供のいる家庭をまわるんです。
 子供と両親がそろっていそうな夕方から宵にかけての3、4時間が勝負って感じでした。
 会社的にいけば、学生バイトばっかり集めて「若者フェロモン大作戦」って意図だったんじゃないのかな? 若者の色気でもっておばちゃんの気を惹こうっていう---その作戦は、わるくなかった。
 僕、結構話とか聴いてもらえましたもん。
 タコ焼き、ごちそうになったことなんかもあった。
 ただ、セールスマンですから、辛辣に拒否されるケースのほうが、そりゃあ圧倒的に多いわけですよ。
 僕は、当時はまだ純情でしたから、そんなわけで---真剣に話を聴いてくれるひとの率が高い、下町のほうに活動領域がどんどん傾いていったんですね。
 で、その宵も、僕は、着馴れない背広姿で、地図を片手に、天王寺の商店街界隈をうろついていたんです。
 初夏で、背広姿で活動するには、やや蒸し暑い感じでした。
 なんか、商店街のアーケードの道筋を外れて、ちょっと裏手の筋に入ると、肉じゃがの香りがぷうんとしたりして、いいなあ、なんて思ったりしたのを覚えてますね。
 地図とにらめっこしつつ、天王寺のアーケード街を成りゆき的にどんどん下っていったんですが、そのうち、あ、まずい、このまま行ったら飛田のほうに突っこんじゃうぞ、と理性が働いたんです。
 飛田ってどんな場所なのか、全国の皆さんは、ご存知でせうか?
 飛田新地は、別名、日本最大の赤線地帯ともいいまして---街のブロックの一角が、まるごと巨大な売春地帯になっているような場所なんですわ。
 ずーっとむかしから、そうした因縁をしょってきた土地柄というか。
 有名なあいりん地区というのが近場にあるせいもあって、このあたりはガラが大変わるいのです。
 地元の大阪人もあんまり近づかない感じ---あたり屋だとか、目の行っちゃってるやっちゃん崩れの親父とか、アルコール臭をぷんぷんさせて、誰彼かまわずガンを飛ばしまくっている浮浪者とかが、鼻息も荒く横行しているような、おっとろしい土地柄なんですよ。
 でも、地図によると、その新地に行くまでの、○○の商店街から裏道筋に入ったところに、一軒、子供のいる家があるじゃないですか。
 これは、ここまできてそこに寄らずに引き返すのはもったいない、と僕は思い、内心のテンションと警戒心とを上げながら、飛田方面に歩きつづけたんですね。
 そしたら、裏道でちょっと迷ったけど、なんとか問題の家が見つかったわけ。
 平屋の、あんま大きくない、下町の駄菓子屋みたいな家屋だったかな---到着したのは、午後の7時すぎ。
 日がちょうど落ちたころでね、まわりのほかの商店はみんなまだ開いてるのに、なぜか、そのお店だけは雨戸がみんな閉まっていて。
 あら? と思って四方をぐるりとまわってみた。
 でも、どこも閉まってる---こりゃあ潰れちゃったか、夜逃げしたりかしちゃったのかなあ、と想像を巡らしたんですが、どうも分からない。
 帰ろうかとも思ったんですが、せっかくきたんだから、という気持ちに押され、とにかくそこの雨戸をノックしてみたんです。

----すみませーん、学○のモノでーす! あのー、お子さんにお話があってまいりました…。

 だあれもこない。いないのかな? 雨戸をもっと叩きます。

----もしもーし! どなたかいらっしゃいませんかー?

 そのとき、ふっと肩ごしにひとの視線を感じました。誰? とふりかえると、背後の別の民家の台所の窓の隙間から、そんな僕の背中を観察している誰かがいたんです。目を細めて、彼女(たぶん、おばさんだったと思う)の様子をうかがうと、ぱたぱたぱたと家の奥のほうに逃げちゃったけど。 
 なんだよ、失礼しちゃうな、と僕は再び雨戸叩きにもどります。
 ここまできたら、もう逢わずに帰ったらセールスマン失格だ、みたいな変な心境になってました。
 すると、雨戸を叩いているうち、表の斜めのとこの一枚が手で開けられることに気がついてね、えい、ままよって、そこ、半身分だけがらりと開けちゃいました。

----失礼しまーす! あのー、お子さんのお勉強の教材、紹介にあがった者ですけどー…。

 しーん。
 やっぱり、そこ、半分雑貨屋さんみたいな装いのお店屋さんでした。
 ただし、まっくら---空気も澱んでいて、ここ最近店を開けたような気配はありません。
 なぜか、酢コンブのにおいが、濃くたちこめています。
 だめかなあ、帰ろうか、と半分諦めかけたそんなとき、いままでしんとしてた店の奥にひとの気配を感じました。
 店の奥にある廊下の明かりがぱっと灯り、歩いてくる女性がいる。
 あらあらあら、なんていいながら、ちょっと小走りするみたいな気配。
 僕は、彼女の到来に笑顔のタイミングをあわせようとしたんですが、うまくいかなかった。
 だって、にこやかに奥から出てきたその女のひと、鼻がなかった---。
 顔の中央がつるんと平で、そのまんなかにハート型を逆さにした黒い穴が、ぽこんと開いてるの。
 僕、凍りつきました。
 自分のキ○タマが刹那のうちに下腹に引っこんだのが分かった。
 痛い、これは痛いゾ。

----あらあらあら、これは気づきませんで失礼しましたねー…。

 と、しかし、その鼻のないおばちゃんは、あくまで気さくに、しばらくひとと話してなかったみたいなノリで、前のめりに僕に話しかけてきます。
 対する僕は、もう完全に腰が引けてる、というか、こんなふいの事態に完璧ビビってる。

----いやいや…、こっちこそこんな急に…。雨戸までこんな開けちゃって…。いや、僕はセールスをですね……

 いうことは、もう支離滅裂---しかも、おばちゃんの顔の鼻の欠落部分から、どうしても目線が外せない。

----あらまあ、教育教材のお話なら、ぜひうかがいたいわあ…。ちょうど、そういうの要り用やなあって思ってた時期なんですよう…。

 でも、僕、両手のひらでいやいやの動作をしながら、及び腰で後退するのがやっとでした。

----うわ、それは…偶然というかなんというか…。でも、ちょっといまは資料がですね…その、なんていうか……

----そんなこといわんと、まあお茶でも飲んでいってくださいよ…。

----いや、そうしたいのは山々なんですけど、その、資料がちょっと足りなくて…。あのー、すいません…また、きまーす……!

 超しどろもどろ、まわれ右して、話そうとする彼女をよそに、あたふたともう逃げちゃった…。
 一杯飲み屋がいっぱい並んだ、雑然とした商店街にもどったら、ようやくほっとしました。
 気がついたら、僕の両脇は汗でびっしょり、あと、ちょっといただけだというのに、あの店のなかの酢コンブのにおいが、Yシャツの襟のあたりににじむように張りついてるの…。
 ひとの容貌を見て逃げ出すなんて、結果的に大変失礼なふるまいをしでかしちゃったわけなんですけど、あんなに怖い思いをしたことはいままでにありませんでした。
 僕は、刃物をもったチンピラに追いまわされた経験もあるんですが、それよりもこっちのほうが怖かった。
 ただ、鼻がないってだけで、ひとの表情ってあんなにちがっちゃうんもんなんですねえ。
 いまになってみると、ああ、あのときもっと彼女と話せばよかった、事情とかも聴いてやればよかった、とか思いはするんですが、あのときはあれが僕のめいっぱいのMaxでしたから、あれ以上はどうあがいてもむりだったでせう。
 以上が夏の夜のイーダちゃんの実話怪談伽のお披露目です---あいお粗末---!m(_ _)m 
 
 
 

徒然その109☆誰がためにオムツ換え?☆

2012-06-18 11:45:52 | 身辺雑記
                 
                          <副題:介護現場におけるオムツ交換の哲学的考察>


 えーと、このブログをちょくちょく訪ねてくれる方ならもうご承知かと思いますが、イーダちゃんは、いま、介護系のお仕事に就ているんですが、こっち系の世界に入ってからまだそんなに日は経ってないんです。
 新米というか、ヒヨッコというか、ま、はっきりいって素人に毛の生えた程度。
 とーっても、ひとさまに報告できるようなレベルじゃないのです。
 前の記事に登場した僕の古い連れ---彼は、僕とちがって4分の1世紀のキャリアがある、ベテラン職員さんなのですが---にいわせると、介護系の仕事のキモは、ともかく排泄介助!---老人介護の世界でも、障害者介護の世界でも、その点においてはまったく変わりがないの、いいかい、1に排泄介助、2に排泄介助、3、4がなくて5に排泄介助なんだからな、と繰りかえしいうんですよ。
 僕みたいな新米じゃない、ベテラン職員のMがいうんだから、これは拝聴せねばなあ、と思います。
 で、ちょっと抽象的方向から自分なりに考えてみました。
 たしかーに! たしかに、排泄は、ニンゲン生活の大事な礎のひとつです。
 これは、はっきりいって、名誉だとか富よりも重要な一事かもしれません。
 だって、これができなきゃ、名誉も富もどうもできませんもん。
 助平心で美女を抱こうにも、自分が糞詰まりだったら、抱きたくたって物理的にもう抱けない。(肛門フリーのピーピー下痢状態でも事態はいっしょです)
 超高級レストランで配下の者に威張りちらしながら、美食を堪能しようにも、肝心の自分が糞詰まり(繰りかえしになりますが、慢性の下痢でも事態は同様です)状態じゃ、得意のハッタリ演説も思った通りにゃクルクルまわらないし、数々のグルメ体験で結果的に肥えまくった舌も、絶不調体調に引きずられてあんまり機能してくれず、ウンチクだってペラペラやれない。
 うん、要するに、日頃の排泄がうまくゆくかゆかないかで、我々の生活って大きく装いを変えてしまうのでありますよ。
 喩えはわるいですが、日々の努力が認められ、貴方の昇進のパーティーを会社が催してくれた、とします。
 で、いよいよ貴方が、栄えある就任演説をする瞬間がやってきた。
 そのとき!---超・下卑た喩えで申し訳ないのですが---もしも、貴方が、その祝いの席上で突然脱糞しちゃったらどうします?
 これは、はっきりいって昇進だとかいうレベルの問題じゃないですね。
 そんなことになれば、まず、間違いなく貴方の昇進はフイになるでせう。
 それで済めばまだいい、場合によっちゃ、会社にいられなくなる率のほうがもっと高いかと思います。
 心療内科、精神病院といったレベルの、激ヤバ角度からの突っこみも当然入ってくるでせうし、下手したらその業界内で抹殺される、なんて事態にもなりかねない。
 かようなまでに---一般社会の通念において、「脱糞」というのはタブー的存在となっているんです---。
 ねえ、ご自分の体験をよく思いだしてみてください---かつての小学校時、授業中、教室でウンコを漏らした少年が、その後クラスメートからどんな渾名で呼ばれたか?
 そして、その渾名は、何歳になるまで彼のあとをついて回ったか?
 小学校時代、「ウンコたれ」の罪を犯した気の毒な児童に対して、小学生の我々がいかに冷たいまなざしを向け、残酷な差別の目で見つづけたか?
 これは、超ビターな過去ですけど、たぶん、どなたにも経験のある、共通トラウマ的過去の一事であるかと存じます。
 ええ、我々は、この種の罪には、ひどく冷酷な目を向けるのが常なんです。
 ある意味、それは「不倫」や「脱税」といった一般通念上の罪よりも重い罪状を付けられた「時別の罪」として、我々自身の心に刻印されているのかもしれません。
 密かにたしなんできた「不倫」や「脱税」の罪が公になれば、そりゃあ、我々だってハブられる。
 しかし、「不倫」にしても「脱税」にしても、ある意味、「脱糞」の罪ほど白けた目で見られることはない、と僕は思うんです。
 「不倫」はイカン---しかし、不倫者の横顔には、私は夫(妻)以外の異性からも求められる、いわゆるいい女(あるいは男)なのよぅ、といった得意のにんまりが、ほほのあたりに必ず付着しています。
 「脱税」も然り---俺サマの稼ぎは、俺の器量の賜物だ。だったら、なんだって無能な国なんかに収めなきゃならない? 俺は、それを拒否しただけだ。社会的な悪を特に実践したわけじゃない---といった開きなおりのにんまりが、やっぱり、両唇のはしに、ほんのり、薄ーく香ってる…。
 要するに、心の底からの罪悪とは、あまり思っとらんのですよ、どっちとも。
 社会通念上わるいとされてることをやったわけだから、まあ、謝罪の弁くらいは述べとかなくてはなるまいなあ。でも、自分は、殺人とか窃盗とか、そのような明白な悪を犯したわけじゃないんだから。
 だから、ツマンナイ非難をあんまりゴチャゴチャいうなよ、ただの平凡人のくせしてよぉー---みたいな傲慢ささえ、彼等のまなざしから雫としてこぼれ見えるようなときもままあります。
 なるほど、彼等は悔いているのかもしれない。
 だけど、100パーセント悔いまくり、というのとはちとちがう。
 ある部分では、浮気を自分の器量として得意になってる面もあるし、現実世界の掟を鬱陶しく窮屈なモノとしてとらえ、自己を受難者みたいに意識してるナルシスティクな面もちょいとある。
 しかるに「脱糞」だきゃあ、いつまでたっても駄目駄目罪のままのようですなあ。
 小学生のむかしから、この罪は、世人にどうも軽蔑と苦笑以外の念を呼び起こせないようなのです。
 そう、「不倫者」も「脱税者」も、世間的罰は受けても、人間の尊厳まで奪われるわけじゃない。
 しかし、「脱糞者」はちがう---これをやると、子供も大人も、いわゆる人間の尊厳というやつを一気に奪われてしまうのです。
 ある意味、一般人類としての資格を剥奪され、どことも知れない恥の王国に蹴落とされてしまう。
 要するに、大宰さん流にいえば、「脱糞」とは、いわゆる究極の「人間・失格」行為にあたるわけ。
 これは、おっとろしいことですよ、皆さん!
 大宰さんは、心中未遂して「人間・失格」なんてホザイてましたがね---本当は、人間失格という大層な大看板の背後で、こっそり舌をだして笑っていたのです。
 たしかに、俺は、心中相手の女を殺した悪者かもしれん、でも、それも仕方がない、こんなにモテるように俺を創造したのはあくまで天であって、俺の罪じゃないんだからな---なーんてね。
 
 でもね、年とって、認知が入ってくると、このような「脱糞」が、なんと、日常的な行為になっちゃうんですよ。
 尊敬すべき年配者としての「社会的仮面-ペルソナ-」が剥がれ落ちて、そこから見たくもない、不出来な動物としての本能が、モロ顕現してくるの。
 それが実の親だったりしたら、もう子の立場的にはちょっとたまんない---親のほうにしても事情はきっといっしょでせう---気がついたら、また、ズボンのなかに脱糞してる。
 あれ? 恥ずかしい。気持ちわるい。どうしていいのか分からない。
 とりあえず、手近な箪笥の引き出しのなかに、汚れた下着を丸めて隠してみた。
 けど、匂いで気づかれそうで不安だな。関心を別のとこに散らすために、いっそ不機嫌なフリでもしてみるか…。
 これが1日だけの話なら、ま、辛抱できないこともない、笑おうと思ったら、いくらかは笑えるかもしんない。
 けど、これが連日の日常になっちゃったら?
 笑えませんよね---ええ、まったく笑えない。
 それは、一種の悪夢であり、まごうかたなき悲(喜?)劇です---。

 で、そのような悲(喜?)劇が集まっている場所が、いわゆる現代の老人介護施設だったりするわけなんです。
 ここでは、仕事は、排泄にはじまり排泄に終わります。
 朝から晩まで、利用者の脱糞現象と闘うのが、ケア・スタッフの使命なんです。
 ただね、敵はあまりにも強く、しかも、自然的な現象なので、なんだか闘っていても雨を相手に闘ってるようで、到底勝てる気がしないんですよ。
 僕は、人間社会の良識派の担い手として、大自然の排泄現象を、人間社会の綺麗事の型にむりやり嵌めようとする。
 それが、我々の武器である、トイレとか紙オムツだとかいう鋳型です。
 ただね、向こうさんは、そんなこっちの意思なんか歯芽にもかけてくんない。
 あくまで自然現象ですからね---やりたくなったら時間も場所も選ばない---ヒリたくなったらヒルし、出したくなったら出すまでなんです。
 僕等が人間界の意識の代表選手なら、彼等は、人間の無意識側のいわば使徒。
 意識と無意識が闘えば、そりゃあ、無意識のほうが強いに決まってるじゃないですか。
 こりゃあ、海辺の波を相手にしてるみたいで、分がわるいですな、どう見ても。
 たとえば---休憩時に仲間同士で飯食ってるとしますよね---そんなとき、施設の老人さんが廊下のトイレ近辺でうろうろしているのをカメラの画像で見つけたとします---そうすると、おっ、アレ、何々さんじゃないの? ヤバ、またトイレなんじゃないの?
 と、飯食ってる最中だろうがなんだろうが出ていって、その方のお下を、まあトイレかどっかで見してもらうわけです。
 ただし、すんなりソレをさせてくれるとは限らず、ときには大変な抵抗に逢う例もあり---「やだ、私になにするの?」とか「警察を呼んで」とか、ひどいときには絶叫まじりの「助けてー!」とかね(笑)---まあそんなケースでは、残念ながら、十中八九やってます。
 そのようなとき、僕等は、ポケットの医療用ビニール手袋をおもむろに両手に装着して、彼等の汚物まみれの下半身をすばやく洗い、清潔なオムツ、もしくはリハビリパンツに履きかえさせてあげるわけ---で、それが済んだら、すぐさま自分たちの食事にもどるって寸法ですか。

----ふざけるな、ウンコのにおいを嗅ぎながら食事なんてできるか!
 
 と、ここで憤られる方は、うーむ、こっち系世界にはなるたけ近寄らないのが賢明かもね。


                          
       ▲はーい、左上がいわゆる大人用紙オムツ、右上のがそのなかに仕込む紙パット、使い方は良い子の皆さんならお分かりですよね!


 とにかく、排泄はあたりまえの日常であり、このような施設では、事故防止のためケアスタッフ室のすぐ前に、ご老人のためのトイレがあるのが常なんです。
 だから、まあ否応なしに「におい」は、入ってきますよね。
 まあ、でも、ニンゲン、そのような環境にはすぐ慣れちゃうんですよ。
 なに? 飯中断しての排泄介助、その後の飯再開だって? ぜんぜんオッケー。
 ただ、慣れにくいのはアレですね---薄手の医療用ビニール手袋越しに感じられる、利用者さんの生々しい便の手触り…。
 こればっかりは、いまだにウームの感じです。
 特に、夜勤に入って、際限のないオムツ交換がはじまったときなんか、仕事とちゅうの多量便のにょろーっとした指先の感触にハッと我にかえり、

----あれ? 俺、こんなとこでなにやってんだろ?

 なんて白茶けた感慨に襲われることも、ときどきありますねえ…。


                     ×            ×              ×

 でも、いまのところ、この仕事を辞める気はないんだよなあ。
 なんというか、しっかりしたやり甲斐みたいなもんがあるんですよ、個人的に。
 僕、むかしっからおばあちゃんっ子でして、お年寄りに好かれるとこがわりにあるんですね。
 それに、いつも一緒にいて世話を焼いたり話したりしてると、なんといっても仲良くなるし、自然、情も移ってくる。
 あと、僕がこの仕事と関わることになった動機には、自分なりの「贖罪」めいた思いもあったんです。
 これは、あまり面白くない、ごく個人的な告白なんですが、まあちょろりと触りだけ---
 うんとね、内容開示は下品なんであえて避けますが、僕は、非常に罪深いニンゲンでして、いろんなひとを傷つけてきた過去生がまああるわけなんです。
 いかんいかんと思いつつ、ストリート・ファイトなんか40代のいまでもときどきやりますし(ただし、これはあんまわるいこととは思っていない)、まえの会社にいたときの末期には、もう反体制の超・問題児、歩くミスター・トラブルみたいな存在になっちゃってましたから。
 とても温和なイーダちゃんをそんな方面に追いやってしまった会社自体に本質的な問題はあったんだと思うのですが、直接的に迷惑を被ったのは、そんな年がら年中憤懣ためこみ状態になった、ボンバー・イーダちゃんを引き受ける器にならざるをえなかった現場の連中---。
 いまになってみると、わるいことしたなあって思います。
 ま、こーゆーことは、本来いってもしようがないことなんだけど…。

 あと、付きあっていた女性に対してとかもね…(額をおさえて黙りこむ)…。

 そのあたりの罪悪表を自己採点していけば、もう、モロ罪人なんですよ、僕ってニンゲンは---。
 だもんで、贖罪の機会は、常にそれとなく探していたんです。
 むろん、介護イコール贖罪だ、なんて甘い考えはもっちゃいません。
 第一、そんなロマンティックな夢想だけじゃ、厳しいこの業界、続けていけっこなんかないもの。
 どこの世界でも最前線の現場は、忙しくってキュウキュウです---慢性的な人手不足、スタッフ同士の感情のギスギス食いちがい、やれ給料がどうの、シフトがどうの、あのひとのとこにはケア行きたくないの、とか…。
 ただ、オムツ交換を1万個やったら、過去の罪はどのくらい軽くなるんだろう? みたいなキューティーな質問は、いまでも自分に問いかけてみること、わりかしありますね。

 ああ、それに、あの詩人のリルケがね、かつて「マルテの手記」のなかで、こんな風にいっているの。
 
----ひとは、ただ闇雲に神を信じるわけではない。自分の小さな経験のひとつひとつを根気よく積み重ねて、ひとはそれを材料に、一生をかけて、自らの神をつくるのだ…。

 僕は、いまのとこ神さまを信じちゃいませんが、将来的には信じれたらいいなあ、と思ってる人間なんです、たぶん。
 で、リルケのいうように、ひとが自らの経験で神をつくっていけるものならば、僕は、自分の神さま作りの材料には、たくさんのオムツ交換のときに触れた、利用者さんたちのあまたの糞便を使いたい、なんて風に思ってるんです。
 だって、僕が、いままでの生涯で触れえた、いちばんのリアルってこれですから---これだけなんですから。

 ふん、綺麗事ばっか、だって? クレイジーですって? そうかなあ…。

 個人的な幻想でもなんでもいいけど、僕的には、これのリアルさっていうのは、得難いほど貴重なものなんですよ。
 いま、TVのスイッチを入れると、それとは正反対の、マジカルな嘘話がどどーっと雪崩れこんできます。
 いわく、20年以上行方不明だったオームの指名手配犯らが、ほんの1月足らずのうちにばたばたと突然捕まる---とか、
 政府、消費税増税案、21日までに決行。日本中がみんな反対してるののに、英国と読売新聞だけその行為を絶賛---とか、
 全停止していた原発を再び強引に再稼働させちゃう、とか----
 まるで躁病ドリフのハチャメチャ・コント…。
 さもなくば、キレかけの筒井康隆さながらのバブリー状態ではないですか…。

 もう、アタマの先から爪の先まで Too Much Monkey Business、ゴミみたいな超・うそばっか…。(ToT>

 聖徳太子がいっていた「世間虚仮」っていうのは、まさにいまのような世のことでせう。
 マスコミ経由で響いてくるのは、金と権力によってグニャグニャにねじ曲げられた、恣意的でコマーシャルな嘘情報オンリーで。
 こーんな凶悪でデタラメな一座の芝居には、いい加減付きあっちゃいれませんってば!
 僕は、僕なりのリアルを手がかりに、彼等一座の悪夢のようなファンタジーに対しようと思う。
 ささやかですけど、僕にできることってせいぜいそんなことぐらいですから。
 この闘いが、最終的にどんな局面をむかえるか、そんなことはまるで分かりません。
 世の中を汚しぬいているうそのほうが、強いかもわからない。
 イーダちゃんは自分が闘っている糞便とコミで、ひょっとして下水に流されちゃうかもしんない。
 でもね---それならそれでいいんですよ、僕あ---。
 それよりも僕は、自らの本能が告げるリアルの、清らかな感触のほうに殉じたい。
 かくして、イーダちゃんは、にかっと笑い、自らの仕事場へ、あくことのない糞尿とのバトルに今日も赴くのでありました---。(^.^;>
 

 


 
 


 

徒然その108☆旧友来たりて雨が降る☆

2012-06-13 11:17:07 | 身辺雑記
                        


 ヘロー、エブリバディー、今回のは、超・個人的なお話です---。
 本当ならこんな公共性のない話は公にすべきじゃないのかもしれないけど、あくまでこの媒体はブログであり、本じゃないですからね、そのあたりの事情を利して、あえて強引に乗っけちゃうことにします。
 えーとねー、学生時代、イーダちゃんには、Мという仲のいい友人がいたんですよ。
 大学の試験会場でたまたま席が前後してたっていうのが機縁で友人となったわけなんですが、まあなんというか彼とはなんだかんだで気があいましてね、一緒に同人誌やったり、飲みにいったり旅したりといろいろやったもんです。 
 ただ、このМの根城はね、石川県の金沢なんですよ。
 だから、卒業後もすぐに地元にもどって、福祉関係の会社にしっかり就職しちゃった。
 僕は、受験の高3のときこそ金沢に住んでいたけど、住んでいたのはその1年きりで、あとはずっとこっちの横浜住まいですから、卒業後は当然別れ別れになるわけで、そうなると「時の流れは忘却のことはじめなり」との格言の通り、だんだんと疎遠コースをたどっていく勘定ですわ。
 卒業後、たしか3、4回は会っていた記憶がありますが、ま、そんなもん。
 Мはその後結婚して3児の父となり、イーダちゃんは学生時代同様、あっちにフラフラこっちにフラフラという風来坊のような根なし生活をつづけ、気がつけば25年の歳月が互いの上を通過していた、というのが我々の関係のいちばん分かりやすい総括なんじゃないかと思います。 
 なんかの折りに、僕がМにハム(だったと思う)を贈ってみたり、年賀状のやりとりとかはフツーにしてましたけど、基本の座標はやっぱり過去の友人なんですよ。
 現在的に、片方が片方に影響を与えるようなことは、この25年間、まったくなかったといってもいい。
 ところが、先日、珍しくもこのМからG-mailが入りまして、仕事の出張で近々東京に行くから逢えないか、というんです。
 ええっ! と思いましたよ---まったく予期してなかったから。
 しかし、逢いたくないわけがない、逢えるもんなら、そりゃあ逢いたいですって。
 Мにいわせると、僕のこのブログをこれまでよく見てくれていて、それで、最近僕が福祉関係の仕事に就いたことを知り、おお、マジ? あのIが同業者かよー、みたいな乗りで急に逢いたくなった---とのことなんですけど。
 しかし、根なしの無責任生活25年のイーダちゃんと、卒業後25年をずーっと地道に福祉の世界で生きつづけてきたМとじゃあ、正直、人生上の努力の基盤がまるきりちがいます。
 事実、今回のМの上京も、全国の福祉関係者の理事の集まりのためだっていうんですから。
 仕事でも家庭でも確実に一歩一歩このように積みあげてきたМと、なーんも積みあげずに年ばっかり喰って、基本的に学生時代とまったくスタンスの変わっていない、身軽でふーらふらのイーダちゃんと…。
 正直、気圧されそうになる部分もないじゃなかった。
 でも、おんなじ釜の飯を喰った超・仲間ですからね---それは、やっぱ、逢いたかった---で、5月の17日に山下公園近郊のホテルのロビーで待ちあわせることにしたんです…。


                      


 Mが指定してきたのは、横浜のニューグランドホテル---山下公園の氷川丸からすぐのところにある、横浜の超・老舗のホテルでした。
 正直、横浜近郊じゃいちばん豪華なホテルだったんじゃないのかな?
 夜勤明けのために早めに待ち合わせ場所にいけたイーダちゃんは、このホテルの各所を見物しながら、ふへー、とかなりの感嘆モード、本館のお店街のとこでアコーディオンで見事なワルツを弾いていたオーストリア人の男性とお話ししたりして、まあ時間を潰していたと思いなせえ。
 で、いよいよ時間間際になって、大きな花を飾ってあるロビーのベンチのとこにいったら、もういたんですよ、背広姿でベンチに浅く座っていたMが…。
 おっ、と思ってね、僕あ、ゆっくり声を絞りだす感じで、 

----よぉー…。

----おお、ひさしぶりやね…。

 なんででせうねえ、出逢いっていうのは、いっつも思ってるよりぶきっちょに格好わるくなっちゃう---。
 やってしまってから、ああ、もっとスマートにやりたかった、と常に後悔するんですけど、その反省データを生かしてスマートになんかやれたためしがない。
 どっちとも、まず相手の風貌に刻まれた歳月の質を観察して、それから、ちょっとした表情のなかにむかしの面影を急ぎ足で探して、さらに、そんな詮索を無意識にしている自分にふっと気づいて、なぜかは分からないけど、なんとなしにお互いにいくらか照れて…。
 でもね、最初の計りあいみたいな、この不器用な空気ってね、わるくなかったんですよ、なんか…。

 で、まず中華街で飲茶しつつ飲みまして、それから、伊勢佐木町にハシゴしました。
 最初は、まだなんとなくお互いを警戒するような空気もあったんですが、杯を重ね、共通の知人のその後の動向を話したりしているうちに、どことなく野生動物じみたそんな警戒色はふっ飛び、そのうちすっかり無礼講ですわ。
 お互い、垣根がとれてきて、距離感もなんか学生時代の無遠慮風フランキーになってきて…。
 なぜだか、プロレスのバックドロップ談義が熱くはじまったりもしてね。
 冒頭のフォトは、そのころ撮ったもの。
 いま、こうして改めて見てみますと、Mは、やっぱ、仕事で磨かれた「顔」をしてますよねえ。
 目尻のあたりにも3人の子の親父として、家庭を切りまわしてきた歴史の跡がよーく刻まれています。
 学生のころは、これほど責任感のある顔はしていなかったんですよ、Mは。
 してみると、やっぱり、これは、歳月の刻んだ、先カンブリア期の褥瘡ってやつなんでせうなあ。
 Mと同い年なのにいまいち顔にカタギ臭が感じられず、真面目なのか不真面目なのかもよく分からない、グラサンの、お気楽イーダちゃんとはえらいちがいではないですか。
 ま、しかし、僕的には、どっちの生き方も面白くて、それなりによしなんじゃないか、と思っているんですが…。
 
 この夜のMは、レバーブローみたいに「効く」話を、いくつか披露してくれました。
 その1---僕がこのブログのスケッチブックというコーナーで取りあげたマイ・ポエム「ペコちゃん」のモデルの女性が、なんと、その後、彼女の旦那ともども宗教にハマってしまったという話---。
 これは、「あちゃあ!」って感じでしたね。
 現実ってえてしてそうしたビターなものなんですが、このエピソードは、ちょい効きました。
 うむ、流石、現実クンはシビアですよ---追憶を、なかなかキレイなままではいさせてくんないのね、ふう(トため息まじりに)…。
 その2---これは、Мが介護の仕事で体験した、超・いい話---残念ながら個人情報に抵触するので、ここで内容を書くことはできないのですが、とにかく感動的な話でして---これ聴いて、ええ、僕は、滂沱と泣いたもんですよ…。
 ま、こうなると、もうただの醉っぱらいの与太話になっちゃうんですけど、でも、僕あ、楽しかったなあ…。
 うん、イーダちゃんはまったく酒好きじゃないんですが、こんなしみじみとあったまる酒ならいつでも大歓迎ですね。
 もっとも、最近はまわりのひとになにかと恵まれて、美味しいお酒をいただく機会は結構多いんですけど、この夜のお酒と旧友との談笑には、一種格別の味わいがありました。
 ええ、染みたんですよ、ちょっとここのところ乾き気味だった心に、この夜のお酒はとりわけね。
 しかしながら、あんまりこの種の「友情」について正面から語りつづけるのもやや恥ずいんで、横斜め70度あたりから、有名な中国の詩をあげて、それにちょっと僕の気持ちを代弁してもらうことにしませうか---。

        黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る

     故人西のかた黄鶴楼を辞し
     桜花三月 揚州に下る
     孤帆の遠影 碧空に尽き
     唯だ見る長江の天際に流るるを

 この詩、かの李太白の作品なんです---仲のいい友人を見送るときの別れの歌なんですけど、友人の乗った舟が長江の彼方に見えなくなるまでじーっと長江のほとりに立って(それは、そーとーに長い時間だと思われます)、友人の去るのを無言で見送っている詩人の後ろ姿が、読者のまぶた裏に徐々に透かし見えてくるような、李白ならではの骨太情緒がよく伝わってくる、極めてスケールの大きな逸品です。
 これをね、Mに捧げたいと思います。
 なっ、受けとってくれるよな、М---?(^.^;>

 ちなみに、冒頭の写真をブログにあげることに関しては、ちょっと悩んだんですね、僕は。
 だってねえ、いくらなんでも素顔っていうのはアレだし。
 で、このMにメールで聴いてみた。
 すると---

        I様---     
    この前は楽しかったなあ。今度は金沢で会おうではないか。
    さて、私には守るべきプライバシーなどないと思っている。
    好きにやってもらって良いです。
    ではまた。

    中華街土産のTシャツ、娘たちに受けました。今までの土産
    の中で一番かも。
     M

 うーむ、なんとも豪気じゃないですか。
 そんなMの心意気を組んで、このようなページが幸いにも出来上がったというカラクリなのでありますよ。
 ちなみに、この夜は僕等ふたりは、2時すぎまで馬車道で飲んでいたんですけど、夜中の2時ごろ、横浜の街は、ふいに猛烈なゲリラ豪雨に見舞われましてね、それはもう凄かったの---。
 僕等、手近なコンビニまで全力疾走して、慌ててそこのビニール傘買い求めてね---ナイアガラ瀑布みたいに降りしきる豪雨のなか、ホテルにむかうタクシーに乗りこむMを見送って、僕は、ひとつ深い息を吐いて、それから、夜中の人気のない馬車道をゆーっくり歩きだしたんです…。


                            

 足先までびしょ濡れになったけど、うん、あれはいい夜でした。とても。
 
 ありがとうな、M!---今度は俺が連休とって、秋あたりにそっちに行くんで、そのときはまたヨロシク---(^o^)/

 

徒然その107☆Rock ‘N’ Roll と生きるべし!☆

2012-06-10 23:30:03 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
                  


 ロックンロールが好きなんです---!
 3コードと簡単なギターリフ、いなせな Vocal とベースとの絡みだけで勝負が決まっちゃうような、ロッキャンロール、超・大好き!
 冒頭からこんな風に飛ばして書いちゃうと、いままで僕の Classic 寄りのかほりに魅かれて当ページにきてくれていたひとの何人かは、あらら、ここに寄り路したのは間違いだったかな、なんていって遠くのほうへぴゅーっと逃げていっちゃうかもしれないのだけど、ゴメンナサイ、これっぱかりは変えられない、イーダちゃんはシンプルでソリッドなロックンロール、生きがよくって向こう見ずな、この不良臭ぷんぷんの12小節の音楽が、エネスコのヴァイオリンとおんなじくらい好きなんです。

----ロックンロールはサイコーだよ。ロックンロールは僕に生き方を教えてくれた。将来への不安なんか抱えて部屋のなかでウジウジしたりしてないで、ほら、こっちの通りに出てきてあのコの脚を見てごらんよ、イカスじゃないか---と目くばせして笑いかけてくれた。分かるかい? ロックンロールは希望の歌なんだ…。

 といったスカーッと発言を残してくれたのは、元ビートルズのジョン・レノンでしたが、さすがジョン、物事の根本ってのをよーく分かってますねえ。
 ええ、ロックンロールという音楽が、ブルーズの伝統を母胎にして発生したニューウェーヴな前衛だったという史実は、いまさらいわずもがなの話題かもとは思うのですが、それまで12小節の伝統的ブルーズにぐずぐずと貼りついていた愚痴とメランコリーとを一端全部どっかにほっぽっちゃって、本来のレイジーなテンポも猛烈なアップテンポにギアチェンジしまくり、人生の苦渋の歌をもっと攻撃的でパンキィッシュな、人生肯定の希望の歌に強引に進路変更させてしまったというのが、ロックンロールのロックンロールたる由縁、誰も真似のできない、超・ユニークな独自性だったのです。
 うん、この音楽、出自からして異様に個性的かつ攻撃的だったんです。
 キラキラした音楽、うっすらときらめく音楽なら、これまでにいくらでもありました。
 仕事に疲れたお父さんお母さんを慰安慰謝してくれる音楽、安楽な寝酒代わりになってくれる子守唄的音楽…。
 しかし、聴いてみれば誰でも納得してくれることと思いますが、ロックンロールはキラキラしてない、もっと悪どく強烈に「ギラギラ」してるんですよ。
 そう、ちょっとむかしのヤンキー語を使わしてもらうなら、真正面から「ガンを飛ばしている」んですね、このかすかなグリース臭のかほる、いなせで不良な音楽は。
 なにしろ、この名称のロックンロールからして、その意味は当時の黒人の俗語で、そのものズバリの「セックス」の意でせう?
 これだけの底辺条件が出揃えば、そりゃあ、この音楽が一般の保守的良識層に受け入れられるわけないよ。
 事実、ロックンロールの出生当初の社会的扱いは、それはそれはヒドいものでした。
 いまからするとちょっと信じられないかもしれませんが、

「白人の子弟らを堕落させるために黒人が生み出した下等なレイス(人種)ミュージック」だとか、
「ロックンロールは、乱暴で野蛮で、神の秩序に反している。州は、彼等のレコードをすべて焼却処分すべきだ(このレコード焼却は、実際多くの州で行われた)」だとか…
 ねっ? いまの視点からすると、理解不能なほどシュールなことを、みんな、大真面目で言ってるわけ。
 
 これは、取りもなおさず、ロックンロール上陸時の世相のショックを、シンボリックに表象した逸話なのではないのかな?
 僕は、60年代中期の生まれなんで、当時の世相のショックというのは想像することしかできないんですが、恐らく、それが上陸したときの世間の驚愕というのは、ラップやパンクの上陸時よりも、はるかに凄まじいものがあったんじゃないか、と思います。
 だって、ラップって超・政治的な音楽じゃないですか。
 僕は、まえにNY帰りの友人からシスターなんたらのCDを借り受けたことがありますが、その内容は凄まじいものでした。
 ひとことでいうなら、「白人たちは私たちをアフリカから連れてきて、奴隷にして働かせ、富を強奪して、いまに至るまでそれを続けている…うんたらかんたら(対訳不能)…白人どもを殺せ!」
 ねえ、こういうの、貴方、どう思います?
 音楽というより、政治的扇動のシュプレヒコールといったほうが、もう適当なんじゃないのかな。
 僕は、ラップの大まかな本質は、結局は「政治」なんだと思うんですよ。
 ストリートのダンスにしても50’S のストリート文化であるドゥーワップなんかと被る部分があるでしょ?
 活きのいい、底辺から勃興してきたブラックの文化であるという点で、両者は結構近似してる。
 しかし---ここで疑問符がつくんですわ---ラップはあまりにも政治的でありすぎているんじゃないか、と。
 政治がイカンといってるんじゃない、政治に関わるのは大切なことですから。
 ですけど、政治によりかかりすぎているというのは、これは別問題、僕は、音楽として問題だと思う。
 一時期流行ったプロテスト・ソングなんかは僕も非常に好きだったんですが、あれがさらにエスカレートして、たとえばジョン・レノンの「サムタイム・イン・ニューヨークシティ」みたいになっちゃった場合、僕等はその音楽とどう対峙すればいいのか?
 これは、考えるべき価値のある設問だと思うんですけど。
 僕的にいうなら「サムタイム」はどうもダメでした。ジョンは中学当時から大好きでしたけど、「サムタイム」のなかのなかまで、結局、僕は入りこむことはできなかった。
 アイリッシュ問題も、ニクソンも、ジョン・シンクレアも、僕にとって、まったく異邦の、見ず知らずの他人でしかなかったからです。
 むろん、狂的なジョンのファンでしたから、当時の社会情勢を勉強して、ジョンのいわんとしてることを理解しようとしてはみました。そして、ある程度、その理解には成功できたと思います。
 
----ああ、なるほど、ジョンのいってることは正しそうだな。そういわれてみれば、イギリスの対アイリッシュ政策っていうのは、まちがっているのかもしれない…。

 でもね、いうまでもないですけど、楽しくないんですわ、こんな聴きかたじゃ。
 まったくもって、全然、楽しくないっ!
 アタマ経由の道理で説得されて、なんの音楽ですか。
 それじゃあ堅苦しい演説を聴いてるのとなんも変わらない、音楽独自の、理屈も、言語差も飛び越えた、あの奇跡の伝播力はどこいった?
 パンクにしても事情は同様かもしんない。
 ピストルズが入ってきたのは僕の中学時代でしたけど、音楽に階級闘争的なスキルを持ちこんだような、このブリテッシュ始発のムーヴメントに、僕は、なんとなく「商売」のにおいを感じずにはいれませんでした。
 パンク全体が、音楽ベストテンを狙えるようなスタンスにいなかった、というのも今思えばややクサイですね?
 パンクはいわゆる「売れ線」であるヒットチャートとは無縁の、中央の通りとはちがう道筋で店開きをして、一般のチャートに集まるお客とべつの階層に狙いを定めていたわけなんです。
 うん、世の中には、おっそろしくアタマがよくて、はしこい仕掛け人がいるもんだなあ、というのが、僕のピストルズ売り出しへの第一印象。
 ジョニー・ロットン、シド・ヴィシャス---ワイルドな彼等のキャラとシンプルなシャウトはそれなりに魅力的でしたけど、たぶん、ロックンロール登場時の世相の衝撃度には及んではいまいって気がやっぱりしました。
 だって、ラップもパンクも「売り」のなかに、なにやら理屈が入ってるじゃないですか?
 ラップならアメリカ黒人の階級闘争、パンクなら英国という階級社会最貧層の怒り、というか、憤懣というか…。
 ま、商品なんですから、ホントはどんな売り方したっていいんですよ。
 ただ、僕的な見地からいわせてもらうなら、そのテーマに理屈が介入した時点で、その商品は一歩出遅れちゃうんです。
 ロックンロールは、そこいくと非常にシンプルでした。
 ロックンロールがまず売ろうとしたのは、ロックシンガーのいなせな気合であり、挑発であり、色気であり、流し目なのでありました。
 あと、リズム---踊るようなシャフルのリズムに、強気の口上---それと、リバーブの効いた強力なギターリフ。
 ええ、政治じゃないんです、そんな煙みたいなモノには目もくれない、ロックンロールの標的は、常に具象であり、現実なのでありました。
 たとえば、好きな女の子、むかつく野郎や愛車のこと、あるいは、金、もしくは、くどき文句をそのまま歌にしちゃったり…。
 歌詞の内容が政治に触れることもたまにはありましたが、50’Sの音楽は60’Sの音楽のように、そこまで成熟してはいませんでした。偶然、政治に触れることがあったにしても、本来の的は政治じゃない、政治を腐すことによって自らの意気をあげ、世間ごと笑い飛ぼそうとするのが、ロックンロールの基本スタンスであり精神だったのです。
 そして、その無欲で無邪気な姿勢が、もの凄いエネルギーでもって、かつてないくらいに聴衆をゆさぶったのです。
 僕は、ロックンロールの生誕は、20世紀において、あのボルシェビキを超えるほどの革命だったと思ってるんですけど。
 とにかく、ロックンロールはカッコよかった。
 光ってた。
 どんな嘘もキャッチコピーも盛れないほどシンプルなのが超・信頼できた。
 というわけで「ロックンロールの詩人」とジョンが呼んでいた、あの偉大なるチャック・ベリーのロックンロール・スタンダード「トゥー・マッチ・モンキー・ビジネス」の訳詞を何節か(対訳:イーダちゃん)、ちょっちいってみませうか。

----オイル臭い工場で一日駆けまわってる
  辛い仕事さ 受け取り明細をもらったら必死にそれに目をこらして…
  はっ! この世はイカサマ大流行り
  この世はイカサマ大流行り---明けても暮れてもイカサマばかりさ

  毎日おんなじことの繰りかえし
  毎朝起きて学校へ---いい加減ウンザリだ
  誰かさんの不平不満をたっぷり聞かされて、でも、オイラの不満なんて誰も聞いちゃくれない
  あー この世はイカサマ大流行り
  この世はイカサマ大流行り---明けても暮れてもイカサマばかりさ

  販売員が話しかけてきていうことにゃ
  これを試しつづけてください、いい商品ですよ
  なに、支払いは来週からでもできますし…
  はっ! この世はイカサマ大流行り
  この世はイカサマ大流行り---明けても暮れてもイカサマまみれさ

  朝鮮戦争でヨコハマにいってたことがある
  戦地は商売が大流行りさ---軍用寝袋、軍用食料、軍用衣類、軍用車両ってね
  あー この世はイカサマ大流行り
  この世はイカサマ大流行り---うん、なんとかこの地獄からエスケープしたいと思っちゃいるんだけどね…
                                                            (チャック・ベリー「トゥー・マッチ・モンキービジネス」より)

 いかがです、この怒涛のシンプルさ?
 しかも、これほどストレートな口語体でありながら、恐ろしく筋の通ったことを歌ってるんですよ、彼は。
 だから、ねっ、いってることがすんなり腑に落ちる感じでせう?
 これは、正しい世の中を望む、多くの正直な心が必ず体験するにちがいない、葛藤の歌であり、たぶん、苦悩の歌でもあると僕は解釈しているの。
 この歌の主人公のナイーヴな心は、正しくてまっすぐなものを求めているのですが、いざ世間に出てみると、それと反対の欺瞞ばかりを見せつけられすぎて、心中がくさくさと窒息寸前になっているのです。  
 そう、彼は、清い、キレイなものが見たいだけなんですよ。
 なのに、連日視野に入ってくるものといえば、自分の懐だけ満たしたがる、エゴイズム命の商売人の、いじましい損得計算ばっかりで…。
 で、彼は、その事実に単純に憤ってる。

 なんともいいオトコじゃないですか---こういう愚直な一本気って、僕は嫌いじゃないですねえ。

 チャック・ベリーはそのような精神の尖りを言語化できた稀有の「ロックンロールの詩人」でしたが、あえて言語化できなくとも、その精神をまるごと体現化しちゃったような一種の怪物たちが、この超・初期のロックンローラーのなかには何人かいたのです。
 有名どころでは、僕が当ページのトップにUPした、あのエルヴィス・プレスリー…。
 エルヴィスは、一見色男系のスマートな白人男子なのに、いざ歌いはじめてみると、完璧無比の絶妙ブラック・シンガーになりきっちゃう、という荒業がいつでも自由に繰りだせた天才でした。
 徴兵にも素直に応じたり、喋れば親孝行についてしみじみ語ったり、プライヴェートの素顔はおよそロックンローラーっぽくなかったエルヴィスですが、TVで歌えば、無意識に腰をふりまくり世間を超・挑発しちゃうし---彼は初期のころ、エルヴィス・ペルディス(骨盤エルヴィス)なんて風にも呼ばれていたんです!---バラードを歌えば、その不遜な、放送禁止級の流し目で、またもや世間を挑発し、怒らせまくるという---その人間の本質自体が、言葉以前にすでにロックンロールしていたという、おっとろしい矛盾まみれのスーパー・スターなのでありました。
 このひと、完璧にノリがブラックですしね、ほんと、なんでだろう?
 ほとんど理性的制御の感じられない破廉恥なヴォイス、野生動物みたいにしなやかな、抜群のノリと超絶のリズム感。
 ま、突然変異としかいいようのない、エルヴィスのこんな天才ぶりは、誰でも彼の Vocal を聴けば一目瞭然かと思いますので、彼のことはまあ置いておいて、次のゲストの紹介といきませう---。


           


 えー、左端から、ブルーカラーのヒーロー、ジーン・ヴィンセント!
 彼、オランダ系のプアー・ホワイトでして、十代のころ、バイク事故で片足失くしてるんですね。
 でも、そんなハンデをまったく感じさせず、ステージの上じゃ平気でジャンプしたりしてました。
 60年代のロック市場の変化についていけず、ロックンロール・ツアーのドサ回りの果てにアル中で死んでます。
 ヒット曲は、あの超スタンダート曲“Be-pop-a-Lula”---このほのかなグリース臭の香る、淫猥でカッコつけのナンセンス・ソングが、結局、彼・生涯の名刺代わりのナンバーとなりました。
 だって、もー この曲だきゃあ、震えがくるくらいにカッコいいんだもの…。
 後年、ジョンもこれをカヴァーしてますけど、あの名シンガーのジョンでさえ、この本家のジーンのハイ・テンションには、残念ながら達しきれておりません。
 うん、この曲を歌うには、淫靡さ、ナルシズム、ブルーカラー、バイク、見栄、勇気、捨て身、極上の声、女たちの嬌声、アルコール、香水の甘ったるい移り香……といったような諸々のブツが、すべからく要り用なんですよ。
 それらを全部もちあわせていて、極上のドライヴをかませたのが、結局、このジーン・ヴィンセトという稀有のシンガーだったんですね。
 下卑てて嫌い、というひともかなーり多いけど、僕はこのひと大好き。
 全集までもってます。
 あ。ちなみに、このひとは水瓶座生まれなんでありました。(^0^;/

 中央写真は、リズム&ブルーズの大御所にして、和田アキ子のアイドル---御大、レイ・チャールズさん!---天秤座生まれ。
 いまさら解説不要のビック・ネームとは思いますが、知らないのひとのため、ま、一応は解説っぽいこともやっておきませう。
 このひと、全盲のピアニストとしてキャリアをスタートさせたんですよ、人種差別がまかり通ってた当時の南部アメリカで。
 これだけでも心あるひとなら、このひとがどんなに凄いひとか分かるでせう?
 なのに、このひとときたらどんな歌も自由自在に書いちゃうし、歌えば超・ソウルフルな涙モンの絶唱ぶり---のちのスティーヴィー・ワンダーなんかの指針となったひとですね。
 お薦めは、50年代にアトランタから出した“What'd I Say?”
 これは、渋いナンバーです。特に後半、アトランタのブラック・ウーマン・コーラスがレイの Vocal にユニゾンで絡んでくるあたりは、ゾクゾクするような興奮をいまだ感じます。
 この録音に封じこめられた当時のブラック・ミュージックの熱気っていうのは、まったくもって凄いもんですよ。
 映画「ブラックレイン」のなかで松田優作に殺されちゃう米人の刑事も、たしか、クラブでコレを歌ってました。
 誰が歌ってもそこそこカッコいいのよ、名曲だから。 
 それっくらいの超スタンダード、これ知らないのはモグリじゃないのかな、なーんてね。
 とにかくお薦め---これを聴かずして死ぬのは、うーん、やはり人生の損なんじゃなかろうか。

 で、ラスト右端---これは、残念ながら知らんひとのほうが多いかと思います。
 知るひとぞ知る、ロックンロールのブラック・デュオ、“Don & Dewey”!
 彼等、50’S の実力派ロッカーなんですけど、ああ、知ってるー! と反応してくれるひとに出会ったことが、これまでにほとんどありません。
 うーむ、「Justine」とか「Leavin' It All Up To You」とか、有名な佳曲はいっぱいあるんだけどな。(特に後者は、ちがうアーティストのカバーで全米ナンバーワンになってます)
 僕が思うに、彼等こそ、ロックンロール史上最強のデュオだったんじゃないのかなあ。
 リトル・リチャードよりもっとはっちゃけてるし、なにより、彼等、アナーキーなんですよ。
 それは、彼等の名刺曲、この「Justine」を聴けば、一撃でもう分かっちゃう。
 あまりにも活きがよすぎて、ほとんど喜劇的な域にまで達しちゃったロックンロールというのは、僕は、この曲のほかには知りません。
 いいっすよー、“Don & Dewey”---!
 リトル・リチャードよりハチャメチャで、レイ・チャールズよりブラック、サルサよりどーんとハッピーで、ラテン・ミュージックみたいな胸キュン的淋しさもちゃんと宿してる。
 そうそう、イーダちゃんは彼等好きさのあまり、自分のブログ、徒然その48のなかで、彼等の特集をすでに一度組んじゃっていたのでありました。
 興味ありげの方は、そちらにも是非お立ち寄りください。

 最後にひとつだけ---じゃあ、おまえのいうロックンロールってなんなのさ? と聴かれた場合どう答えればいいか---。

 うーんとね、僕はね、非常に単純に、うそをつかず、まっすぐ正直に進むのが、いわゆるロックンロール道なんだと勝手に解釈してるんですよ。
 これが、どれほどの難事なのかは、世間に出て、生きのびているひとなら誰にでもすぐに了解可能でせう。
 うそをつかずに生きようとすれば、既得利益を守りたがる誰かさんと、いつか必ず、この世のどこかでブツかるはめになるんですから。
 で、そのとき、貴方はどうするのか?
 大人らしく笑って、いままでのド正直な主張をうやむやにして、場の論理に従い、長いモノに巻かれはじめるのか?
 それとも、既得利権を守りたがる誰かさんの目線にぎゅっとメンチを切り、真正面からの喧嘩立ち体勢で応じるのか?
 実際にそんな場面に遭遇してみるまで、自分の処し方がどうなるかなんて、実は、誰にも読めないし、分からないと思う。
 ただひとつだけいえること---それは、未来のその瞬間、貴方の胸のなかで鳴りはじめる、ワイルドなその音楽こそが、混じりっけなしの本物の、貴方だけのロックンロールだということです。
 そのとき、貴方は、どんな音が聴けそうですか?
 風通しのいい音は聴けそうですか?
 最近、魂が窮屈じゃないですか?
 いい生き方、してますか?
 今回の僕の話は以上です---センキュー!(^o-〆☆