Hello、最近親父が入院したり、その親父を有明の病院までクルマで迎えにいったら交通違反でポリに捕まったり、来年にむけた資格勉強のさなかに突如として突発性難聴になったり---どうもプライヴェートが失速きりもみ飛行中のイーダちゃんです。
皆さんはどお?
相変わらず、お元気?
だったらいいなと思います。
さて、今回は音楽じゃないフツーのページ---こーゆー企画はひさしぶりじゃないですか。
あのー ここだけの話ですが、僕が自作の音楽のページをつくると、いつもアクセス数ガタッと落ちるんですよ w ---うーむ、ゆゆしき事態じゃわい。
でも、まあ音楽は書くより好きなんで、これからもちまちまとつづけていくつもり---皆さまも思いだしたとき youtube iidatyann まで訪れていただければ、いつでも歓迎いたす所存です。
でね---今日のテーマは、池袋シティ---!
最近、鉄道事情が変わって、副都心線で横浜からのアクセスも簡単になった、ええ、あの豊島区の池袋。
池袋といったらサンシャインと極真会館。
こちら、ちょっち猥雑で、粗野で気の荒い地母神が仕切っている地所なのであります。
だからもって、池袋を歩いていると、銀座や六本木なんかとまるで風情がちがってて、「洗練」とか「お洒落」な感覚なんて到底味わいようがないの。
治安がどうこういうレベルじゃなくて、うん、池袋ってなんか根本的な空気自体がヤバイんだと思う。
ジャーナリストのリチャード・コシミズさんも似たようなことをいってられたことがあるから、これは僕の独断じゃないっス。
でも、僕、この地母神パワーに満ちたこの街の猥雑感がけっこう好きでして、ここで何年か働いてたこともあるし、若いころはナンパに明け暮れてた時代もあるんです。
その意味できっと「縁」が深いんだろうな---その「縁」が結んだ池袋を追及していこう、といま思っておりますが、さて、どっからまな板に乗せていこうかなっと。
うーむ、やはり、これは、あの「四面塔」からいきますか…。
皆さんは、「四面塔」ってご存知?
JR池袋駅の東口---これ、西武とサンシャインがあるほうですよー! 間違いやすいけど、間違えないで---を出て、すぐ左手のほうに曲がると、風俗街の入口んとこの線路脇に「池袋駅前公園」ってのがあって、そこにこの「四面塔」ってのがドーンと立ってるの。
うん、実際に見ると、こーんな感じ----
まあ、ちっちゃめの神社だし、そんな大それたインパクトはないんですけどね、陽だまりにゆれてるこの神社、実はケッコー怖いんです。
池袋って、その名の通り、むかしは池や沼がいっぱいある、湿原みたいな場所だったらしいの。
高台の目白を囲むように、下落合から沼袋のほうまで、この湿原地帯はつづいていたそうな。
もうジメジメの田舎だったみたい---狸や狐や盗賊に追剥ぎ---数々のおっかない物の怪たちが跋扈する、超・未開地帯。
いまの池袋のひらけかたを見てると想像しにくいんだけど、江戸のころなんかじゃ、ホントにここ、怖い場所だったんだって。
で、そのい開けていない閑散とした池袋村で---享保のころ、辻斬りが流行ったんです。
ええ、アブナイ侍が、刀の試し切りに、見知らぬ百姓を闇にまぎれて叩き切っちゃうという、あの辻斬りです。
江戸時代だって、これ、完璧な犯罪ですよ。
でもね、捕まえるのは難しいよね---いまだって衝動殺人の犯人捕まえるのは、結構むずいもんねえ。
当時じゃなおさら---実際、このキ○ガイ侍は捕まってないんですが、享保6年の夏のある晩なんか特に凄くて、なんと一晩で17名のひとが斬られて亡くなったんだって。
これって、江戸時代じゃなくていま起きても大事件ですよ。
1938年の津山の30人殺しじゃないですけど---あ。これ、あの横溝正史の「八つ墓村」のモデルになった事件っス---あれに迫る凄惨で異様な事件だと思う。
当時のひともそう思った---で、なんの咎もなく殺された多くのひとの無念を弔うために、享保6年の9月、彼等・無縁さんの慰霊塔が作られた---それが、「池袋駅前公園」にある、この「四面塔」なのでありました。
えっ、あれがそうだったの! と驚くひとよ、LooK---!
この日はたまたま天気よかったんで、なんの変哲もないお堂みたいに見えるかもしれませんが、僕はこの「四面塔」って、ある意味、池袋って街の一面を象徴してる建造物だと思います。
ええ、池袋シティーの、ちょっと形容しがたい、一種怪しい野蛮の芳香とでもいうのかな?
そういう禍々したおかしな空気が、この池袋シティーには確実にあるよ。
で、その禍々しい空気を振りまいているこの街の異界の穴のひとつが、僕は、この「四面塔」じゃないかって感じてるわけ。
これは私事なんですけど、僕、大阪の河内長野っていう古墳だらけのド田舎に4年住んでたことがあってね、住んでるときは慣れちゃっててなんにも思わなかったんですが、15年後ぶりくらいにここに住んでる連れを訪ねに夜中にひとりクルマでここを再訪したとき、こも古墳の町のあまりに濃くて重たい、ほとんど物質的に迫ってくる煙のような「太古臭」に愕然としたことがありました。
靄のむこうの四辻からふいに弥生人がまろびでてきそうな胸騒ぎ、さくさく---。
----うおっ、怖ぇ…。ここ、こんなに怖かったんだ。こんな怖ぇとこに、俺、よく4年も住んでたなあ…!
池袋を訪ねるたびに僕が感じる感触も、それとよく似てる。
生活の拠点が池袋から離れたいまだからこそ、なおさらそれを感じるのかもしれないけど、池袋を訪ねるたびに、僕は確実にそれを感じます。
ただ、それを感じるのは圧倒的にサンシャイン側の東口方面ですね---東武やマルイや芸術劇場のある西口方面には、あまりそれ感じません。
これについては Honkowa のエース霊能者である寺尾玲子さんも似たようなことをおっしゃってた記憶があるんで、まんざら僕の勘も捨てたもんじゃないってとこでせうか?
けど、まあこんなことで得意になったりするのは置いといて---肝心なのは、この「四面塔」があったのは、実は、東口を左に折れた現在の「池袋駅前公園」なんかじゃなかったってことなんです。
ええ、この「四面塔」、移設されてるんですわ。
元からあった場所は、JR池袋駅東口---ここで読者は、僕が当記事の冒頭にUPした駅前写真をご覧あれ---の、ええ、西武とパルコが分かれている中間部あたりだったっていうんです。
これ、デパート建設のための移設だったとか。
でも、その後すぐの1959年の5月、駅ビルにあった丸物デパート(現在の西武パルコの前身)で不審な事故があいついだため、「四面塔」の移設が無縁仏たちの怒りを招いたんじゃないか、なんて噂されたりしています。
このへんが移設に関する「祟り説」の語られはじめなんじゃないでせうか。
その後も不審(?)な事故は、この場所でちょくちょく起こります。
有名どころでは、1963年の8月22日におこった西武デパートの火災なんかがそうですね---このときの火災は死者7人、重傷者130名という規模の大きなものでした。
消防によると、このときの火災原因はアルバイト少年のタバコの火がシンナーに引火したためだったそうですが、むろん、このときも「四面塔移設説」が巷ではささやかれていたようです。
時代が新しくなったところでは、80年代の飛びおり自殺なんかもありました---すみません、これ、記憶によるもので、日時・場所の特定ができません---このときは、屋上から飛び降り自殺を試みた女性が、地上の男性を巻きこんで死んでます。
まあ都会の大きな建物なら飛び降り自殺はままある事象なんですが、ここで問題なのは、その巻き込み事故がおこった地点が、ちょうど「四面塔」がもとあった場所だったということでせう。
これ、「本当にあった怖い話(まだ雑誌の屋号が Honkowa に変わる前でした)」の何号かで書かれていたのを読んだ記憶があるから、たぶん、ガセじゃありません。
これはね---さすがにちょっと怖い符牒です…。
むろん、誰もが「四面塔」移設のことを思いだし、その噂がさかんにささやかれたことはいうまでもありません。
で、1999年の9月8日には、サンシャインイン入口の東急ハンズ前で、Zによる無差別通り魔事件なんてのもおこってる。
元新聞配達員だったZがおこしたこの事件については、まだご記憶されてる方も多いことでせう。
このときの死者は2名、重傷者はたしか7名でした。
この事件時、僕はたまたま現場近くにいたんで、あの異常なサイレン音の連なりがまだ耳にこびりついてる気がします---あれは、忘れようったって忘れられるようなモンじゃない---街ごと発狂しちゃったような、むやみに焦燥感を煽りたてるなんともイヤ~な音でした。
ま、この事件がおこったのはあくまでサンシャイン入口前であって、あの「四面塔」のある駅前からは距離的にそうとう離れているんですけど、なにしろZがやったのは無差別の辻斬りだからね、まさに。
だから、事件直後、僕はどうしたってこの因縁に思いを馳せちゃった。
何件かのマスコミが、たしかおなじ思いを記事にしてるのを読んだような記憶もあります…。
× × ×
ざっと以上が、池袋駅前「四面塔」に関する情報と印象ね---。
僕は、「四面塔」が、池袋という街に吹きつける異界の風の方位を差ししめす、一種の風見鶏みたいなもんなんじゃないか、とまあ睨んでるわけ。
けど、池袋という街には、この「四面塔」よりさらに大きくて有名な、特別巨大で目立ちまくりの風見鶏がありますよね?
ええ、それってむろん、いわずと知れたあの「サンシャインシティ」のことですとも。
心霊スポット系の話題になると必ず登場する、全国区で有名なあのサンシャイン。
池袋がまだ閑散とした池袋村だったころの暗い過去生を匂わすような風情で蕭々と佇んでいる、あのサンシャイン---じゃあ、話のまえにその写真を、まずは見ていただきませうか。
上のフォト、東池袋の郵便局側から撮った1枚です。
左手向こうに建っているのが、いわずと知れたサンシャイン60。
その右手の道路側に建ってるのは、プリンスホテル。
そのこっち側にある3階建ての低めのビルは、サンシャイン・アルパ---ま、デパートみたいなもんっスかね?---そのこっち側のあるのはワールドインポートマート---ここの屋上には「水族館」と「プラネタリウム」があります---で、首都高の入口を隔てて、いちばんこっちにちらっと写ってるでっかめの建物が、サンシャインシティの文化会館---このなかには「サインシャイン劇場」と「オリエント博物館」なんてのも入ってます。
これら全部が、いわゆる「サンシャインシティ」なんですわ。
で、前の話のつづきなんですが、この「サンシャインシティ」、明るい歓楽地としての表の顔とはべつに、実は、全国区でダークスポットとして注目されている場所でもあるんです。
それは、なぜ---?
というのは、こちらの土地、サンシャインが建てられる以前は、あの「巣鴨プリズン」のあった、一種いわくつきの土地だったんでありますよ。
「巣鴨プリズン」? なに、それ、と、ぽかんとした顔をした貴方、覚えといて。
「巣鴨プリズン」というのは、第二次大戦で負けた日本軍の戦犯を拘留していた建物。
つまりは、刑務所---しかも、この刑務所では、戦後、多くの日本人が処刑されてます。
「私は貝になりたい」って映画があったけど、国のためによかれと思っていろいろやってきたのに、最後はあんな風になっちゃったひとが、無念の念を噛みしめて、露と散っていった悲しい場所なんです、ここは。
ですから、まあ、因縁話は山ほどあるの。
有名どころでは「新耳袋」の著者である木原浩勝さんが、ここを舞台にした実話怪談を書いているのを読んだ記憶があります。
いま探したんですけど、ちょっと題名が分からない、たしかサンシャインの人工地盤上に大テントを張って、夏、どこかの劇団がそのなかで公演をやったら、客席の後ろのほうにゲートルを巻いた軍服姿の兵隊が立っていた、みたいな内容だったと思います。
その手の話なら、僕もけっこう聴いてる。
霊感のあるひとがここにくると、やっぱ、特別に感じられるものがあるそうです。
ただ、ここ「巣鴨プリズン」で実際に処刑のための締首台がおかれていたをに地点だけは、さすがに建物は建ててない---現在そこは「東池袋公園」っていう市民のための公園になってて、それのあった一角には平和祈念碑が立てられてます---。
にしても、こちらの祈念碑、いついっても誰かの手で花が添えられていますね。
こういう目立たない地味な仕事を休まずつづけているひとっているんだ、偉いなあ…。m(_ _)m
ただ、Honkowa の筆頭霊能者である寺尾玲子さんにいわせると、実際に絞首台がおかれていたのは、下のフォトの碑よりもそっと左の芝生のあたりだったそうです。
もっとも霊感のない僕にすれば、右も左もなにもそもそもの霊感自体がないんだから、こういうのって黙ってうなずくよりほかないんですが…。
そして、その伝説の「巣鴨プリズン」のまえには、この土地には果たしてなにがあったのか---?
これ、以外と知ってるひと少ないんだけど、なんと、「巣鴨プリズン」以前のここは場だったらしい。
初めて聴いたときは僕もかなりびっくりして引きました---あれまー、なんちゅー筋金入り、因業バリバリの土地キャラじゃないかって。
でもねえ、これ、どうやら事実のようです。
なんでせうかね、洗っても洗っても荒涼とした「殺」の気配がにじんでくる土地柄とでもいうのかな?
あんまりこんなことばかりいってると、ここで商売してたり住んでたりするひとに怒られちゃいそうだからそろそろやめますが、霊感のない僕にしてもここにくると、なにかかすかに苦重い、淀んだ「気」のようなモノを感じるというのは本当。
長くとどまってると不感症になっちゃうんだけど、このエリアに入るときにあえて意識してると、お、それ、たしかに感知できますよ。
というわけで今回は池袋シティのダークサイドのお話なのでありました---。
機会があってサンシャインを訪れるひとがいたら、友人といっしょにサンシャイン脇の「東池袋公園」と駅前東口の「四面塔」にまでプチ散歩してみるのも面白いんじゃないかなあ、うまくするとここだけに濃く燃え残っている、池袋村時代からのぶきみな「妖気」で疲れた心身をチャージできるかもしれない、などと思ったりもする難聴治療中の不謹慎イーダちゃんなんでありました…。
---fin.