イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その238☆ バックハウスのアンダンテ・カンタービレ ☆

2017-01-28 00:50:43 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆



 ドイツ音楽の巨匠ウィルヘルム・バックハウスのことは、前から好きでした。
 僕にとっての最上のピアニスト、ウラディミール・ホロヴィッツは魔界に籍のある特殊なお人ですが、そういった位相とまったくちがう現実の世界で、日常に使うみたいな質実剛健な素朴な語法でもって、自分の信じる音楽を淡々と歌う----このひとの存在を、クラッシック音楽に興味のあるひとが無視なんかできるわけがない。
 聴くたびに圧倒され、いつだって黙りこんできたもんです、彼のピアノには。
 ただ、僕、ベートーベンの音楽ってどっちかというと苦手な口なんですよ。
 夢幻のなかによろめいて倒れこむシューマンとか、ひたすら情緒の海辺で潮騒を聴いているみたいなシューベルトの音楽のほうが圧倒的に好きなの。
 あと、バッハ----グールドやリヒター、イエペスの弾くバッハとかね。
 ま、しかし、西洋クラッシックの支柱は、なんといってもベートンベンですから。
 シンフォニーから後期の弦楽四重奏まで、レコード最初期のアーティストのものから現代の演奏家によるものまで、一通りはまあもれなく聴いてます。
 フルトヴェングラーは、普通に販売されてる正規盤じゃあきたらず、海賊盤のメーカーMYTHOSというところの全集まで神保町の某中古店で購入して聴きまくりました。
 でもねえ、ダメなんだなあ…。
 むろん、聴いてそれなりに感動はするんですけど----。
 ただ、その感動の質がね、どうも自分でもあんまり気持ちよくないんです。
 なんか、ベートーベン一流の理窟っぽい弁論に乗せられて、むりやり感動させられたみたいな、そんな澱みたいな齟齬感が自分内に微妙に残るわけ。
 あのフルトヴェングラーをしてこうだもん。
 オケだったら、シューリヒトの振るベートーベンがいまでもいちばん好きかなあ…。
 およそ20年以上クラッシックは聴きつづけてきましたけど、ベートーベン・ミュージックで聴けるのは、かろうじてピアノのみみたいな現状にいま時点では至ってます。

 そのあたりの仮説は自分なりにいろいろと立ててみました。
 バッハの時代に整地整頓された「平均律」の音楽の行きついた極というか頂きが、ベートーベンなんだ、と。
 一時期、平均律の息苦しさから逃れるための「ゆりもどし」みたいな感じで、古楽がちょっと流行りましたが、あの感じ、分かるんだよなあ。
 ベートーベン・ミュージックは、とてもよくできてる----どんな抜け穴もないほど完璧にできてると思います。
 思考、感情のゆらぎの振幅まできちっと定義され進んでいく、この完璧パック旅行みたいな音楽が、でも、僕には、ときどき耐えがたいほど息苦しいものとして感じられるのもまた事実。
 特に、ブラッックミュージックやブラジリアンミュージックの熱くてルーズな音楽空気にいちど触れちゃうと、あの聞き手まかせの空想力までホストが管理しちゃってるみたいな、あの古典派時代に特有の、背伸びしまくった人間力礼讃の空気が、なんかとてつもなく窮屈に思えてくるの。

-----あのー、ベートーベンさん、もそっと聴き手まかせの空想の余地くらい残してくれてもいいんじゃない…? 

 そう、ベートーベン・ミュージックにはすべてがある、というか、ありすぎる。
 彼の問う人間問答が息苦しくて、思わず顔をそむけると、そっちの窓にもベートーベンお手製の空の絵が画いてある、みたいな。
 ただね、ベートーベンの音楽にはね、ひとつだけ欠けているものがあるんですよ。
 それはね、「いい加減」----。
 僕、明日の喰いぶちも分からないニンゲンが歌う、「いい加減」なミュージックがとても好きなのよ。
 だって、なんとも人間臭くてリアルじゃないですか。
 特に、初期の古いブルーズなんか聴いてると、一聴して派手にチューニングが狂ってるのが分かったりすることもわんさかある。
 まあ、平均律埒外の音楽であるからして、そんなのはまあ当然といやあ当然なんですが。
 でもさ、彼等の音楽がだからベートーベンに比べて劣っているかといえば、もちろんそんなことはないんであって、彼等は彼等なりに非常にいい音楽をやってるわけなんですよ。
 たしかにベートーベンは大画面です。誇大妄想みたいな壮烈パワーで人間を歌い人類愛を歌ってる。凄えよ。
 でも、それが盲目の黒人ブルーズマン、スリーピー・ジョン・エステスの「うちの鼠共はひでえ連中だ。主の俺の目の見えないのをいいことに、うちじゅうの食料を喰いちらかしていきやがる…チキショウめ…!」というみじめな愚痴世界より上だってことにはならないんだって。
 僕はベートーベンの音楽の凄さは、むろん認めてます。
 あれは、西洋文明のいきついた頂きのひとつのかたちである、と個人的には認識してる。
 ただ、あの路線というか、作曲家の思い描いたエルドラドを目指し、現場指揮者の号令のもとにオケ全員が一丸となって突き進むという西欧だけに完成したあの独自のスタイルが、のちの産業革命や植民地政策みたいな政治戦争路線にいっちゃった、という類似性はあながち否定できない、と思うな。
 モーツァルトのトルコ行進曲生誕の由来からも分かるように、当時、トルコは脅威でしたから。
 うん、ベートーベンはね、当時のヨーロッパ大衆の集合無意識を、音楽というかたちで掲示した、一種の予言者といっていいひとだった、と思いますね。
 これは、偏見かもしれないけど、僕は、どうしてもベートーベン・シンフォニーから軍隊の匂いを嗅いじゃうの。
 自分の音楽を「管理しきっている」あの巨大な腕力臭が、たぶんダメなんだと思う。
 その意味で、このひとワグナーにちょい似てるかもね。
 うーん、やっぱ、あんまり好きじゃない…。(^0^;>
 でもさ、音楽にいいわるいの区分なんてもともとないんでないかい?
 あるのは、たぶん好き嫌いだけ----市井での対人づきあいとおなじことでせう、とどのつまり。



オスマン・トルコのウィーン包囲図(上図)
 

 そんなこんなでベートーベンとは、まあ他人行儀なつきあいがつづいていたんですよ。
 たまに聴くとしても、ホロヴィッツの全盛期のソニーからでてる3大ピアノソナタ、あと21番の「ワルトシュタイン」、ライブの作品101、あと、amadio からでてるグルダのピアノソナタ全集、ミケランジェリが弾いてるのがいくつかと、ケンプ、リヒテル、グールドなんかのが少々----ええ、イーダちゃんのベートーベン生活といったら、せいぜいがまあこんなとこなの。 
 一般的にいうなら、とてもベートーベンのよい聴き手とはいえないそんな僕が、先日、どうした弾みか、突如としてベートーベン臭いベートーベンが聴きたくなった。
 で、ベートーベン臭さならバックハウスだというわけで、バックハウスのベートーベンの後期のピアノソナタ30番 Op.109をかけてみたわけ。
 そしたらね----もう、ブッ飛んだ!----マジで腰抜かしそうになりました…。
 ウィルヘルム・バックハウス、凄いっス----流石に、伝統あるドイツ音楽の看板をしょうだけの親父だなあ、と思わず居ずまいを正しちゃいました。
 バックハウスのピアノには、いわゆるショーマンシップというやつが、かけらもありません。
 愛想もない。媚びもなくハッタリもない。
 タッチはやたらゴツゴツしてて流麗さはチリほどもないし、プロのピアニストが例外なくやる演奏家としての「見せ場作り」も絶対やらない。
 意固地で頑固な、まあ偏屈職人親父のピアノっていっちゃってもいいのかもしれない。
 ところがね----そんなゴツゴツ・ピアノが、いちいち喰いこんでくるんだなあ、僕の胸の超・深部まで。
 痛い、これはまたなんちゅー痛い演奏だろうか。
 バックハウスの指先が、そのごつごつした感じの無骨なタッチが、ツルハシの一撃みたいに胸中でガンガン響いて渦になる…。
 曲が第1楽章、第2楽章と経過し、いよいよ最終の第3楽章アンダンテ・モルト・カンタービレ・エスプレッシオーネが奏でられたとき、僕の陶酔はほとんど極みに達しました。
 
----なんという説得力! なんて無口な雄弁! また、なんという深みだろうか、これは…。
 
 バックハウスが愛奏したピアノは一般的なスタンウェイではなく、ややローカルなベーゼルドルファーというメーカーのピアノ。
 そのベーゼルドルファーの通常より鍵盤数の多い、深い響きのピアノが、ゆるやかに語る言葉少なげな、どちらかといえば寡黙な音楽が、いや、語ること語ること…。
 ゴドフスキー編曲のショパンの練習曲に比べたらはるかに音数も少ない、難易度も低い音楽なのよ----けど、聴き手をぶちのめす音楽的パワーは、もう比べものになんないの。
 聴き終わってから、僕、ほとんど口もきけなかったもん…。
 ええ、僕、バックハウスのピアノには、ほとんどジミヘン・クラスの音楽パワーが宿ってるって思います。
 グルダも僕は大好きなんだけど、その贔屓のグルダも吹き飛んだ。
 ケンプも飛んだ。
 リヒテルも飛んだ。
 ポリーニは最初から飛んでる。
 ベートーベンならバックハウスという箴言は、たぶん、いまも正しいじゃないのかな?
 魔神ホロヴィッツのベートーベンもたしかに凄いけど、ホロヴィッツのベートーベンっていうのは、やっぱりベートーベンよりそれを弾くホロヴィッツ自身のほうが結果的に「売り」になっちゃいますもんね?

 「楽譜に忠実に」
 「芸もなく、ひたすら誠実に」
 「真面目に、地味に、寡黙に」

 現代的視点からいうとある意味ダサいとさえいえる、お洒落さを欠いた老バッハウスのごつごつピアノが、なんでこんなにまでいいのか?
 僕は資質的にはどちらかというとラテン系でして、ブラックミュージックやブルーズ、ロックンロール命みたいなタイプなんですが、
 バックハウスのピアノを聴くと、ほぼ例外なく心をゆさぶられ、感動にむせいでしまう。
 マジ、どうしてでせうね----?
 ベートーベン、嫌いなんだけどなあ…。
 これは、イーダちゃんにかけられた謎です。
 時間かけてもいいから、そのうちこの謎、解明しなくちゃね---Bye!(^0-y☆彡       
                                              fin.





 

徒然その227☆ 遅ればせながらディランにハマる!☆

2016-03-19 21:13:18 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆



 ボブ・ディラン---彼は、僕にとって、長きにわたって謎のひとでした。
 あのジョン・レノンが、ことあるごとに尊敬の念をこめて彼の名を語り、超・天才ギタリストであるジミヘンもディランの「オール・アロン・ザ・ウォッチタワー」を自分の魂の曲だといってカバーし、ジョージ・ハリソンにいたっては、「どんなにビートルズに業績があろうと、ボブ・ディランにはかなわない」なんてことまでいってる…。
 こりゃあ、聴かんわけにはいかんでせう。
 というわけで、当然、僕も聴きまくりましたよ、ディラン。
 「フリーホイーリン」から「ハイウェイ61」「ブロンド・オン・ブロンド」に「欲望」まで。
 高校生のころから聴きまくり、みんながハマってるディランの世界に、自分も潜入しようと必死に聴いた。
 でもね、分かんなかったんだな、これが。
 聴いても聴いても、僕には、ディランのよさが皆目分かんなかった。

----へっただなあ…。

 てのが、なにしろいちばんの実感なんだから素質ないって。
 きっと歌詞がいいんだろうと歌詞カードとにらめっこしてみても、僕には、ディランの韜晦癖のあるあの独自の歌詞世界がどうしても胸にこない。
 てなわけで、ずーっとディランのことは敬遠してきたんです。

----みんなが凄いひとだっていってる。だから、きっと凄いひとなんだろう。たしかに、オリジナルなスタイルだ。魂をこめて歌っているのも分かる。でも、いかようにしても胸にこない。なんで? 英語が母国語のニンゲンじゃないと分からない種類の音楽なんじゃないか? 少なくとも自分とは相性がわるそうだ。だったら、まあ、べつにむりして聴く必要もないか…。

 なんて風に思って、結局30代の中途で投げちゃったんですよ、ディラン。
 CDも「ブロンド・オン・ブロンド」と「欲望」をのぞいて全部売り払っちゃった。

 で、綺麗さっぱり忘れてたわけ。
 けど、このほどちょっとプライベートでいろいろありまして、ま、落ちこんで、なんもやる気もおきなくって、ひたすら部屋の床にだらーんとマグロってたんです。
 本も読まない、パソコンもいじらない、筋トレも無期限停止状態、音楽なんてとんでもない---ただ、自動的に働いて、喰って、風呂入って、あとは眠気がわいてくるのを茫洋と待っている---みたいな、ほとんどヒッキーじみた退廃的な毎日を送ってたんです。
 寝るまえにちょっとベランダにでて、煙草吹かすのが唯一の気晴らしといった感じ。
 もうほとんど生ゴミだよね---楽しいこと、なんにもないんだもん。
 で、その夜、だらーんとしすぎてあまりにもけだるかったんで、たまにはウォークマンでもやりながら煙草すっか、と、ひさびさヘッドホンを耳にあてて、めったに聴かない種類の音楽をアトランダムに流しはじめたんですよ。
 そしたら、それ、ディランだったの---アルバム「欲望」のなかの1曲「コーヒーをもう一杯」---
 聴いてすぐ、僕、吹っとびました。

----な、なんだ、コレ!? カッコいいぞカッコいいぞカッコいいぞ…!

 倦怠の霧がうそみたいに晴れわたった。
 ディランのワイルドな声が、それ、吹きとばしてくれたの。
 僕、夜中のベランダを煙吹きあげながら、何度もおなじ曲をリピートして、ベランダの手狭な空間を長いこといったりきたりしてました…。


                 ×             ×             ×

 ディランの「コーヒーをもう一杯」は、1976年にでたアルバム「欲望」のなかのナンバー。
 その3年後の79年には、僕は金沢にいて、その年が受験だったので、よく金沢の私立図書館に受験勉強にいって、このアルバムを聴いたもんです。
 金沢のその図書館は、ほかの地の図書館よりテクノロジーがなぜか進んでて、最新のレコード視聴室みたいなのがあって。
 で、僕は、受験勉強というアリバイにかこつけてレコードばっかり聴いてたの。
 メインももちろんディランじゃなくて、ジャニスとかジミヘンとかマイルスとか、あとコルトレーンやホロヴィッツなんかも聴いてたな。
 当時から僕はすでに「ディランって近寄りがたい」って感知してたんだけど、なぜだかこの「欲望」とはウマがあったっていうか。
 ベランダで「コーヒーをもう一杯」を聴いた刹那、忘却の彼方から高校生時のそうした記憶が一瞬のうちに蘇ってきて、アタマがくらくらしました。
 慌ててベランダから室内にもどり、「欲望」のアルバムを取りだし、なかから歌詞カードをひきだしてみる。


      <One More Cup Of Coffee>

     あんたの息は甘く、あんたの目は空にかがやく二つの宝石  
     あんたの背はまっすぐで、あんたの髪は寝ている枕にも柔らかい
     けれど好意も感謝も愛情も感じられない
     あんたの忠実はわたしに対してでなく、空の星に対してだ

     道行きのためにコーヒーをもう一杯
     道行きのためにコーヒーをもう一杯
     これから谷を下るんだ

     あんたの妹が未来を知るのは、ちょうどあんたやあんたのママとおんなじだ
     あんたは読み書きを知らず、あんたの棚には一冊も本がない
     あんたの快楽には底がなく、あんたの声はヒバリのようだ
     しかしあんたの心は海のよう、神秘的で暗い…

     道行きのためにコーヒーをもう一杯
     道行きのためにコーヒーをもう一杯---これから谷を下るんだ…


 いいなあ…。
 ただね、詩がいいっていうんじゃない、そのときの僕にいちばん染みたのは、ディランの詩自体じゃなくて、そうした言葉を投げ捨てるように歌うときの、ディランの声自体がキーンときたんです。
 ディランの声に均等に浸透してる、ディラン内の「覚悟」のような目線---。
 それに、僕は絡みとられた。
 抒情詩人ということであれば、僕は、ジョン・レノンのほうがはるかに好き---バカみたいに素直だし、なにより正直だし。
 ディランの世界はそれよりもずっと錯綜してる---ディランの世界は、ジョンの世界よりはるかに苦くて、しかもジョンの世界にはうかがわれない、靄みたいな一種の策略臭がたちこめてる。
 ここを歩くには、心を相当冷徹仕立てにしなくちゃ。
 ひと見知りのジョンの世界には、あんまり「他人」ってでてこないんですよ。
 ヨーコとショーンと、あと、知人の数人でもでてくれば完結しちゃうような趣きがなんかある。
 いくらかジャパネスクな箱庭的宇宙っていっちゃってもいいかもしれない。 
 そこいくとディランの世界は、もうリアルに他人だらけ。
 見るからに胡散臭いの---悪漢---詐欺師---戦争の親玉---無実のボクサー---ナイフ投げの無法者---娼家---工作員---ジミー・ギャグニーにイシス…。
 道々でそれぞれの策略家とすれちがうたびに、ディランは即興で彼等に辛辣な言葉を投げつける。
 それは、もの凄く「速さ」を感じさせる言葉です。
 ろくすっぽ考えもせず、浮かんだままジャブのように言葉を「投げ捨てて」いるんじゃないのかな?
 その瞬間の爽快感ときたら、凡百の亜流ディランからは決して味わえない種類のもの。
 凄いや、ディランってば---その感傷をはさまない、ディランの孤高然とした、ぶっきらぼうな自然体に、僕は、魅了されました…。



 
 
 で、ディラン・ワールドに波調があって以来、いまあわくって彼の世界を改めて聴きなおしてるんだけど、やっぱ、「ブロンド・オン・ブロンド」いいっスねえ!
 「コーヒーをもう一杯」が入ってる「欲望」は70年代中途のベストセラー・アルバムだし、ディランもいつになく抒情的で、別れた奥さんを歌ったラストの「サラ」なんかも凄くいいんだけど、70年代全体の疲れにどことなく染められているみたいな中年のディランより、僕は、どうしても「ブロンド・オン・ブロンド」の野性味あふれるディランの若さのほうに魅かれてしまう。
 ぶっきらぼうで、ほとんどアドリブでレコーディングしちゃったみたいな印象の香る、「Plendinng My Time」「Obviously 5 Bilievers」なんてもう絶対手放せませんし、売れませんねえ。(なんで売ったりしたんだ、このパカものが!)
 あと、絶品の「I Want You」に「Just Like A Woman」はいわずもがな…。
 ああ、たまらん、ディラン---!
 明日の仕事帰りには、十数年前に売り払った「ハイウェイ61」を是非にも買いなおしてこようっと!---お休みなさい---。(^o-yuuu☆彡
 


 
 
 
 

徒然その217☆ ジョン・レノンの引力圏 ☆

2015-10-11 10:16:55 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆



 最近、ジョン・レノンをよく聴いてます。
 十代、20代のころはそれこそ熱狂的に聴いてたけど、30代からはパーカーやホロヴィッツ、ブルーズやブラック・ミュージック、民族音楽、 Jazz、Classic なんかのほうにいっちゃって、正直いうとビートルズやジョンとはちょっと距離あいてたんですよ。
 僕、特に、ブルーズは超・好きなんでありまして…。
 ライトニン・ホプキンスなんか実の叔父貴のように思ってるし、ブルーズ畑とはやや土壌がちがうけど、パーカーやホロヴィッツの超・天才にいたっては、いまだにいうべき言葉もありません。
 褒める言葉すら見つからないって感じ?---凄すぎて。
 彼等ふたりが到達した場所は、ダ・ヴィンチがいった場所より高かった、と僕は思ってる。
 30代中途から、ジョンとは自然に離れていきました。
 むかしの親友との関係とやや似た流れでもって、そうやってあいた隙間自体を淋しむ気持も惜しむ気持ちもいくらかはあったけど、これは、自分じゃどうしょもなかった。
 でも、あれから十年以上もたって、最近またジョン・レノンにもどってきた---。
 春分点回帰とでもいうのかな? 質量のある巨きな懐かしい惑星からようやくのこと離脱したのかな、と思ったていたら、ああ、僕、いまだに彼の引力圏内にいたんですね。
 その小さな発見にちょっと驚いて、でも、心のどっかでなんだかホッとして。
 いまになってみると、このレノン・リターンは、必然の運命っだったような気もします。
 特に深夜---ベランダで煙草なんか喫いながらウオークマンでジョンのあのピカピカの声を聴いてると、そのことがまざまざと染みるように実感されます。
 それから、僕は、いつも次のように考えるんです。
 純粋に音楽的な才能の見地からだけ光をあてたら、ひょっとしてジョン・レノンっていうのは、天才中の天才チャーリー・パーカーやウラディミール・ホロヴィッツ、あるいはグレン・グールドやジミヘンみたいな才能のモンスターみたいな連中とくらべると、いくらか「格落ち」するのかもしれない。
 うん、むろん、ジョンだってまぎれもない天才族のひとりなんですけど。
 ヴォーカルは僕なんかがいうまでもなく凄いし、リズム感、ノリ、リアルティー、ユーモアと正直さ、閃き、それに、超・独創的な世界を構築できるあの作詞作曲の才…。
 ただ、僕は、ありあまるほどの巨大な才能に恵まれ、それらの才能に引きずられるように生き、ある意味、ニンゲンとして壊れた生涯を駆け足で走りぬけていかざるをえなかった、純粋培養の才能マリオネットみたいだった彼等とジョン・レノンとのあいだに、なんともいえない微妙な差異を見つけるんです。

 これは、過去記事 徒然その148☆歌姫の系譜(藤圭子から Billie Holiday まで)☆ でもいったんだけど、天才っていうのは、本質的にはみんな巫女巫女星人なんだ、と僕は思う。
 チャーリー・パーカーやモーツァルトなんて、まさにその典型ですよね?
 神が自分に仕込んだ天分の種を育てるのが何よりの人生の目的であって、他人に受けるか、世間で認められるかはどうかなんて二の次。
 フツーはその逆なんだけどね、彼等・天才族にかぎってはそうじゃない。
 モーツァルトは独立して困窮しても「ハイドンセット」みたいな商業的に無意味な曲を書きつづけたし、パーカーはモダンジャズを創設したけど、同時代のシナトラみたいにリッチになったなんていうことはまったくなかった。
 ちょっと古いけどオランダのゴッホなんかもそうですよね?---生涯を通じて売れた絵はたったの2枚きり。
 誰も彼のことを画家と認めてくれなくて、ただの変人だと生涯思われつづけて、で、結局、認められないまま死んじゃった。
 大抵のひとは成功の栄冠にむけて自分の人生をセッティングしてくもんなんだけど、彼等・純粋な天才族はちがうんスよ。
 まず、自分を突き動かす強力無比な創作衝動がありき。
 それだけが猛烈に大事---で、あとの残りものは全部些事なの---自分が社会的に成功できるかどうかも、自分がニンゲンとして幸福になれるかどうかも、さらにいうなら自分の命すら些事なのよ。
 死ぬも生きるもどうでもよし、殺されたってかまわない、利じゃない、損得なんかどーでもいい---この作品を完成できさえすれば…!

 このほとんど先験的な「覚悟」が、彼等の作品には隅々までぴっちり貼りついいて、彼等の作品に一種特別な、ある意味「天上的な」香気を添えているのを、ぜひにも体感されてください。
 彼等は、聖人じゃなかった、みんな俗人の、いわゆるアーティストと呼称される種族でありました。
 ただね、彼等の芸術の動機は、複雑玄妙・卑俗下賤なこの下界において、なんというか非常に単純なんですよ。
 
----ただ、やりたかったから…。

 ほんのそれだけ---この単純素朴な動機の美しさは、もう見ているこっちの心がまぶしがるほど。
 いいなあって思います。
 ああ、羨ましい、こんな風に生きれたらなあって思います。
 元ビートルズのリーダーであったジョン・レノンも、このような天才族の一員であったことは、皆さんもたぶん了承してくれるでせう。
 ただ、ジョン・レノンには、過去の天才たちとは全然ちがう点がひとつありました。
 それは、音楽活動をはじめたごく初期において、過去の天才たちが夢想だにできなかった、過去にまったく例がないほどの、圧倒的かつ世界的な、空前の大成功をおさめてしまった、という一点です。
 ジョン・レノン以前には、メディアの未発達といったハード原因もあり、世界的成功というのはなかった(Elvis はのぞく)。
 生前に自らの成功の美酒を味わえた数少ない一例として、あのベートーベンなんかもあげられるでせうが、ベートーベンの成功は、やはりヨーロッパの文化が届く範囲の圏内にかぎられておりました。
 自らの死の200年後に、自分のつくった交響曲が後世レコードやCDといったメディアに録音されて、それが東洋の果ての海辺の町々まで届けられ、それを耳にした少年少女を激しく感動させるなんてことは、およそ想像の外の出来事であったことでせう。(なにしろこの時代には録音機すらなかったんだからむりだってばさ!)
 そういったひとたちとジョンとはまったくちがう---なぜなら、ジョンは、音楽家なら誰でも憧れるであろう、音楽商売というものがはじまって以来最大の夢の成功を、20代の前半において、すでに経験してしまっていたのです。
 ビートルズの前人未踏の大成功は、あまりも巨大すぎて、先人の誰ひとり経験したことのないものでした。
 やることなすこと全てが最上の結果に結びつく---「ヘルプ!」から「ラバーソウル」へのカラーのカーヴも、「サージェントペパー」の実験も、メンバーの結束が崩れだしたやや幻滅色の「ホワイトアルバム」さえ、なんら排斥されることなく、むしろ新しい時代の探検船として、すべてが歓迎され、世界中の若者たちの新しい文化となっていくのです。
 これだけの「マス」を相手に、たったこれだけの人数で、これほどの仕事をしたニンゲンっていうのは、僕は、歴史上ほかにいないと思う。
 ショービジの世界だからってみんな軽く見てるけど、これ、確実にひとつの「奇跡」ですよ。
 ジョン自身が茶化していったこともあるけど、うん、実際、あれはキリストのもたらした変革より上だったでせう。
 キリストをけなそうっていうんじゃないから、そのへんは誤解なきよう---ただ、キリストって時代的にあまりに古すぎるじゃないですか? 生身のキリストの言葉は、誰も聴いてない---それに、新約聖書のプロデューサーはギリシア型論争の最強の覇者・パウロですからね。
 聖書内のどこまでがキリストの言葉で、どこまでがプロデューサーの演出なのか、誰も知らないし分からない。
 僕ぁ、キリストは好きですよ。
 けどね、ビートルズの強みっていうのは、それが起こったのが、なにより現代の「いま」って場所だったことです。
 同時代の「マス」にむけて、しかも、メンバー個々の肉声でもって、直接世界にむかって語りかけることができたっていう一点です。
 文献学の領域じゃないのよ---「ビートルズ」は、音楽家なら誰もが夢見るだろう「マス」への伝播を、60年代のマスメディアを通じて空前の規模で行うことができた、たぶん、最初のひとたちでした。
 そして、その探索船の創始者であり、かつ船長でもあったのが、誰あろう、かのジョン・レノンそのひとだったのです…。

 誰もあまりいわないんだけど、僕は、ジョンが体験したこの異様な経験っていうのは、フツーのニンゲンには耐えられないような、過酷なものだったんじゃなかったのかな、と、よく思うんです。
 勲章をもらっただけで、イギリス中がもう喧々囂々非難の嵐。
 キリスト発言をすれば、アメリカ中でたちまちビートルズのレコードがばちばち焼かれたり---。
 どこにいっても降りそそぐ好奇の視線と無数のフラッシュ、隙あらばと罠を仕掛けてくる底意地のわるいインタヴューアーとゴシップ屋、あと隅のほうからいつも狙っている匿名の敵意。
 薄っぺらの阿諛追従。
 挨拶代わりのお世辞にほのかなジェラス。
 金のにほいを嗅ぎつけて今日も馴れ馴れしくすり寄ってくる、紳士面した餓鬼に鬼ども…。
 多くの芸能人や政治家も似たような経験はしてるんでせうが、なにせ天下のビートルズですからね---そこいらの政治家や芸能人とはクラスが段違いなわけ---影の暗さ・深さ・醜さも並じゃなかったでせう。
 うん、これは明らかに一種の「修羅道」だよ。
 僕は、この異様な「地獄潜り」を体験したために、ジョン・レノンってニンゲンはものすごーく消耗したって思ってる。
 このジョンの「地獄潜り」を僕に強く感じさせたのは、ジョンの以下のような発言でした。

----ジョンが「ぜひ歌右衛門に会わせてくれ」というので、まあ私は歌右衛門さんとも懇意にしてましたから「隅田川」が終わってから楽屋に行ったんですねえ。そのときに奈落を通って行ったわけですが、奈落はどこも汚いですからねえ、私は「すみません、こんな汚いところを通って…」といったら、「私は世界中いたるところを回って歩いていて、これ以上に汚い奈落を知ってるからどうぞお気遣いなく」というんですねえ……。(羽黒堂店主・木村東助「ジョンが芭蕉と出会った日」より転載)



 相棒のポール・マッカートニーもおなじ「地獄潜り」をくぐりぬけたひとですけど、ポールってほら、一介のミュージシャンって木枠に自分をするりと収めようとするスマートさが身上のひとじゃないですか?
 音楽的才能に関しては天才だと思うし、「マジカル」のあのシュールなかっ翔んだ世界には、僕もしたたか打ちのめされました。
 でも、ひとことでいって、ポールの才能の核は、僕は、コンポーザーだと思うのよ。
 いわば、職人という型にくるまることによって、彼は、そのような異様な体験から自分をうまく護ってきたわけ。
 ま、世渡り上手な歩行法とでもいうべきものを、ポールは実践してきたんです。
 だけれど、ジョンはちがってた---そんな風なムーンウォークで切り抜けるには、彼の背骨はあまりに詩人すぎた。
 それに、彼は、歴史上例がないくらいの、むちゃくちゃな正直者でした。
 だから、僕は、世界がビートルズにむけてきた無数の刃を受けとめたのは、全部ジョンだった、と思っているの。
 ジョージは印度という「アリバイ」に逃げることができた。
 リンゴは、ドラマーという脇役的ポジションでかろうじて守られた。
 じゃあ、ジョン・レノンは…?

 はい、ここですかさずオノ・ヨーコを持ちだしてきたそこの貴方、貴方の意見は正解です---!
 でも、正解はしょせん正解どまり---それ以上のもんじゃない---ジョンがジョージにおける印度のように、ヨーコさんをシェルターとして使いたかったという気持ちは、たしかに当時のジョンのなかにはあった、と思う。
 けど、あのジョンですからね---あの凄まじくアグレッシヴな Twist Ans Shout や 尖りまくりの Money を歌いきったあのジョンが、そーんな穴蔵にいつまでもおとなしくこもっていられるわきゃあない。
 ビートルズ解散後いくらかして、ジョンは、NYのダコダアパートで隠遁の主夫生活に入りましたが、案の定、ジョンは、生来の凄まじいばかりの存在感を凛凛と発揮しはじめました。
 レコードも出してない、ヒットチャートからも消えちゃった、テレビや雑誌でも取りあげなくなった、日本でいうなら「ほとんど過去のひと」となりかけた、このNY時代のジョンほど僕の興味を引くジョンはありません。
 歌を歌っていても、リズムギターをかき鳴らしてても、いつでも僕を打ちのめしていたのは、ジョン・レノンというひとりの男の独自の存在感でした。
 その強力無比な「存在感」が、表舞台から退いたぶんだけ、かえって顕著に見えてきた時期とでもいいませうか?
 僕だけじゃない、エルトン・ジョンも、デヴィット・ボワイも、ミック・ジャガーも、みーんなジョンのことを気にしてました。
 当時、ポール・マッカートニーは、ビートルズ解散なんてどこ吹く風、自ら作ったニューバンド「ウイングス」(いまになってみるとコレ中央競馬会関連のかおりのする名だねえ)で売れまくってましたが、ポールの才能には、ジョン・レノンのなかにあった、あの「限界を突き破った破調の愕き」みたいなモノは、やはりなかった。
 ポールの音楽は、ポップで、センスがあってキャッチーで、以前と同様それなりに素敵でしたが、やっぱり…ビートルズ時代のそれと比べると、なにかが欠けているように感じざるをえなかった。
 なにが欠けていたのか---?
 うん、ジョン・レノンの「存在感」が、そこに欠けていたのです…。

 ジョンと別れたあとのポール・マッカートニーは、「元ビートルズのポール」という看板を堂々とぶらさげながら---そのへんがジョンとまったくベクトルちがうとこが面白いっスね?---一音楽家として、例の恐ろしく器用なメチエでもって、いろんなタイプの曲を量産していきました。
 「心のラヴソング」
 「あの娘におせっかい」
 「マイ・ラヴ」
 「バンド・オン・ザ・ラン」
 「幸せのノック」
 「ハイハイハイ」
 どれもポップで、キャッチーで、スイートときどきややビターだったもんだから、どの曲も実によく売れた。
 ポールは凄いっスよ---だって、彼、なんでもできる。
 でも、僕は、ウイングスのLP---当時はLPでした、うん、懐かしいな---を聴くたびに、その色彩の面白さに魅せられて「きゅっ」とはなったんだけど、そ「きゅっ」のあとが、なんかモノ足りない…。
 ていうか、あまりにも「ポップ屋」になりすぎたポールが、はっきりいって僕は嫌いでした。
 だから、ポールの新譜を聴いたあとに、ストーンズやジミヘンやスライなんかを聴きなおして、まあ口なおしみたいなことをいつもやってたんですよ。
 そうそう、ブルーズなんか聴きはじめたのも、ちょうどこのころのことでした。
 でも、2、3時間の音楽遍歴のあともどってくるのは、いつだってジョンでした。
 「イマジン」
 「平和の祈りをこめて-トロント・ライヴ-」
 「マインド・ゲームス」
 そして、なんといっても重厚な鐘の音ではじまる、あの「ジョン魂(たま)」…。



 
 あれ聴いたらもうね---ジョン・レノンという幹から切れ離されたポールが、糸の切れた凧みたいに、北北東のからっ風に巻かれて塵まじりの俗界の地に運ばれて失速していった気持ち、分かりましたね。
 そう、ビートルズ後期のポールの実験と飛翔は、ジョン・レノンという幹があればこそ可能なものだったんですよ。
 安心して頼りきれる、ジョン・レノンという重心があったから、ポールは安心しきって、さまざまな枝葉を思う存分伸ばせたってわけ。
 ひょっとしたら、それは甘えの感情の入りまざった、全面的なもたれかかりに近い、子供が母親に抱くような、魔法じみた、ほぼ無意識の、無条件・全面的な信頼だったかもしれない。
 ビートルズのCDを聴くたびに、僕は、ジョン以外のメンバー---ポールはもちろんジョージからも、リンゴからも、これを感じないときはありません。
 ジョン・レノンの「存在感」っていうのは、それくらい凄い---ええ、異国の東洋の未熟な一少年がレコードの音越しにぴりりと感知できるほどに。

 「印度放浪」の藤原新也氏によると、印度では表現者なんてものはまったく尊敬されないそうです。(いまの印度は知らないよ、でも、あれだけ巨大な国だから、根本のとこはやっぱ変わってないと思う)
 芸術家の地位がこれほど高くなったのは、僕はヨーロッパ文化の影響だと思うんだけど、こと印度に関していうなら、このヨーロッパ流の瀟洒な美学は印度ではどうやらいまだ通用しない通貨のようです。
 じゃあ、印度では誰が尊敬されるのか? といえば、これが「存在者」だっていうんだから面白い。

----こう書いてしまうと、ぼくはヒッピーたちと対等に出会ったように見えてしまうが、彼との場合もそうだが、ぼくは、インドでヒッピーたちと出会うたびに、劣等感に悩まされ続けたのである。インドのようなところで<生>の行為のみをよりどころとする人間の前に立てば、行為をいつも表現に結びつけようとする者は、まことにぶざまである。ぼくに関して具体的にいうなら、ヒッピーに向ってカメラを向けるときの耐えがたい屈辱感がそれを示す。しかしそれがぼくのいつわらざる旅だった。
   (中略)
 そして、インドという土地は、すぐ人の嘘を暴いて見せる。何しろ、自分の体を左右半分に割って、どちらが高貴でどちらが愚劣であるというような、不可能に近い潔癖を示そうとしている人々のいる土地だ。右があれば左もあるといった二次元的な宇宙感覚や生活感覚を持ってこの土地にはいった者は、自分がさらに潔癖であらねばならぬことを強いられて、嘘がなくとも白状しなければならない、本当のように見えることも嘘になってしまうのだから。ひょっとするとこれは嘘ではないか、と自分でうすうす気づいているような嘘は、たちどころに根っからの嘘になってしまう‥。(藤原新也「印度放浪」より)


 だとすると、ジョン・レノンっていうのは、もの凄ーく印度的な存在だったってことになる。
 一時期ヨーロッパ的な視座で印度と関わったジョージ・ハリソンよりずっと。
 うん、そういった意味でここで僕がカメラのアングルを向けたいのは、「存在者・ジョン・レノン」なんですよ。
 僕は、ジョンには会ったことがなくて、せいぜいのとこ声と映像くらいしか知らないから、これはなんともいえないんだけど、ジョンと接触のあったひとからいわせると、やっぱりジョンの存在感っていうのは相当のもんだったようです。

「ぬぼーっとしてて、あんまり喋らないんだるけど、なんかそこにいるって感じがすごくするの。それと、凄い客観的。撃たれたときも、<撃たれた>っていったって聴いて、ああ、ジョンらしいな、と思ったわ」とか---

「ジョンのそばにいって瞳を覗きこめば、それだけでジョンが深い心を持った聡明な人間だってことは誰でも分かります」とか…。

 ほかにもジョンの存在感について語った発言はいっぱいあります。
 でも、あえてこれ以上似たような発言を集めなくても、僕がこの記事冒頭にUPした写真を見れば、あと、ジョンに寄りそうように座る、下のミック・ジャガーの風情を見てもらえれば、僕のいいたいことはだいたい飲みこんでもらえるんじゃないかな?


                  

 このロックンロールサーカスのミックの写真は、たまたま目がクスリで翔んでる感じですが、ロックンロールサーカスの実映像のほうを見ていただければ、ミックがジョンに頼りきって、ほとんど甘えるような口調で喋っているのを誰でも見ることができます。
 ポールを含めたビートルズのメンバーも、このときのミックとおなじような心理状態にたえずいて、それがほとんど日常化していたんじゃないか、というのが僕の推測。
 
----ジョンがリーダーさ。そう、彼が、チーフ・ビートルだよ…!(P・マッカートニー)

 でも、それはあくまで前期か中期までのことであって、A HardDay's Night の絶頂期のころを過ぎると、だんだんとビートルズのハンドルは、相棒のポールが握ることが多くなっていきました。
 解散間際の「レット・イット・ビー」なんか観てると、あまりにもあれポール中心に撮られてるんで、レノン・フリークの僕としては、いつも不愉快な思いに駆られてしまう。
 ただ、あの映画でいちばん印象的なシーンはというと、やっぱりジョン絡みになっちゃうんですよ---元気に「ゲットバック」を歌う、出番の多いポールのほうじゃなくて。
 たとえば、ジョージの弾く「アイ・ミー・マイン」にあわせて、ふっとジョンが立ちあがって、脇のヨーコの手をとり、閑散としたスタジオ内を悲しげに踊りだすとこ。
 あと、屋上ライヴの最後にジョンの口にするあの白茶けたジョーク、

----これでオーディションには受かったかな…?

 有名なあのセリフを投げ、くるりと背を向けるジョンが、やっぱり僕のなかではいちばんに印象的ですね。
 というか、ポールは最初から最後までほとんど出ずっぱりに出てるんだけど、彼の存在感ってなぜだか希薄なんですよ、僕にとって。
 「レット・イット・ビー」の映画のポールは、崩壊寸前のビートルズを建てなおそうとしてもう懸命、けれども、なんか「やり手部長」だとか「部長のこれほどのがんばり」だとか、そのような役職しか見えてこない。
 そのひと独自の強い存在感っていうのは、僕は、ほとんど感じない。
 だから、「レット・イット・ビー」の映画のいちばんのキモは、ジョージの弾くワルツのギター・リズムにあわせて、ジョンがヨーコと一緒に閑散としたスタジオ内をくるくると舞う---あのシーンに尽きる、と思う。
 あれが、ビートルズって稀代のバンドから「魂」が抜けていく歴史的瞬間なんです---。

                   
                         ×            ×            ×

 ジョン・レノンってふしぎです。
 よくいう「器の広いひと」ってイメージじゃぜんぜんない。
 勝新みたいに豪放磊落じゃまったくないし、頼れるマッチョな親分って感じでもない。
 幾星霜がすぎ、いまや僕はジョンの年齢をこえちゃいましたけど、いまだに僕はジョンのことを憧れの兄貴、みたいな視点で見上げてる。
 ちょっとばかりブランクの時期はありましたけど、こうしてまた僕はジョン・レノンの引力圏に引きもどされてきた。
 これが、いいことなのかわるいことなのか、進歩なのか退行なのかは、よくわかりません。
 ただ、ひとつだけいえるのは、僕がこの圏内にいるときの居心地がとてもいいってこと。
 ええ、ほかのどんな場所にいるよりもずっと…。

 ジョンの誕生日の10.9に間にあわせようと思ってコレ書いてたんだけど、なんか、締め切りすぎちゃいましたね--- w
 でも、まあ遅ればせながらいいませうか---Happy Birthday,Jhon---!
 いまも世界は騒然として、貴方の「イマジン」にはぜんぜん近づいてません。
 むしろ、貴方の逝った80年よりずっとエゴに、野蛮になっている。
 爆弾の雨は今日も降ってるし、飢えている子供も、難民も、苦しんいるひともいっぱいいる。
 けどね、貴方のいったように、僕等、なんとかやっていきますよ---。
 ときどきメゲそうになることもそりゃああるけど、それはそれ、行く道はたったひとつ---極めてシンプル--- Love & Piece それだけなんだから。

 長い便りになりました---今夜はこのへんで筆を置きたく思います---お休みなさい……。(^o-y☆





 
 
 
 


 


 
 
 
 



 
  

徒然その201☆ 前略チャーリー・パーカーさま!☆

2015-02-20 09:54:08 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
                          

  ----1950年の冬、私は、フィラデルフィアのショー・ボートという店で歌っていました。バディ・デフランコと小編成のグループが、私にバックをつけてくれていたのです。ある夜、セットの3曲目に入ったとき、私のうしろから、美しいアルトのソロが聞こえてきたのです。私の歌を推し進め、うたうための霊感を吹きこんでくれるようなソロでした。私は、振りかえって見たりせずに、そのまま歌いとおしていきました。誰が吹いているのかを知るのが怖く感じられたほどだったのです。やっとのことで振りかえってみますと、その人の姿はもう見えませんでした。私は、「私の空耳かしら? いま吹いていたのは誰なの?」とバディに訊いたのです。「バードだよ」と彼は答えました。「たしかに鳥にはちがいないわ」と私は言ったものです。「ぱっと飛んできて、さっと帰ったから」
                                                          (アニタ・オデイの証言「チャーリーパーカーの伝説・晶文社」より)


 Hello、1.25に受けた国歌試験の結果がなんとか合格見込ってことになって、ホッと胸をなでおろしているイーダちゃんデス。
 皆さんはお元気?
 僕は、元気---今日はひさびさの休みなんですが、窓の外はあいにくスゲー雪。
 だもんで、飲み会の予定をキャンセルして、いまさっき豆カレーをつくって、それ食って、ベランダで食後のコーヒーを飲みつつ、雪見がてらタバコ吹かしてウオークマン聴いてました。
 聴いてたのは、グールドとパーカー。
 どっちも稀有の天才なんだけど、特にパーカーにはぶっ飛びましたねえ。
 何度も何度も聴いてとうに聴きあきてるはずなのに、ホントにパーカーだきゃあ慣れるってことがない、いつ聴いても何度聴いてもぶっ飛ぶの。
 まえから彼について書こうと思ってたんだけど、あいにく僕 Jazz のイディオムにはあんま詳しくなくてね、でしゃばるのはちっと遠慮してたんですよ。
 でもね、さっきベランダで聴いたパーカーがあまりにも凄かったもんだから、今日は、彼について書いてみたいと思います。

 チャーリー・パーカー。
 通称バード。
 Jazz史上最大最強の巨人、ていうか、天才のなかの天才。
 ピアノの魔神ウラディミール・ホロヴィッツも、純潔の天才グールドも、ロシアの暴露怪物フョードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーも、ビートルズの吟遊詩人ジョン・レノンも、放浪のロバート・ジョンソンも、テキサスの稲妻野郎ライトニンも、世界の宮崎駿も、詩人の寺山修司も、無頼派の安吾も、露の切貼職人ユール・ノルシュタインも、伊太利のサーカスフェチの大監督フェデリコ・フェリーニも、みんなみんな凄いけど、僕は、もって生まれた才能って見地から見たら、彼・チャーリー・パーカーがいちばんじゃないかって思うんだ。

 うん、そのくらいパーカーってちがってる。
 位相がちがう、排気量とリズムがちがう、音の孕んでる質量自体がダンチでちがう。
 それにこのひと、音楽の出処がまったく見えないの---音符が、通常音の生まれる場所よりもっと最奥の場所からやってきてる気配がしてる---あえていうなら音楽の戸籍からしてすでにちがうわけ。
 インスピレーションが肉体を経過して音化する際、フツーは肉体の癖というか経験値なんかにあわせて、その音はいくらかの現世的「濁り」を帯びるはずなのに、ことパーカーに関してはそうじゃない、あの世で生まれた生のままの音楽の精髄---つまりぜんぜん苦労の跡の見えない、まぶしいくらいの、完璧無類の圧倒的な音楽---が、ほかに類を見ないイジョーな迫力でもってきらきらと降臨してくるの。
 なにからなにまで桁ちがいのアンビリーバブゥー!
 これほど俗世と「切れた」ミュージックって、僕は、寡聞にして知りません。
 僕は、出口王仁三郎の言霊録ってCDもってて、それたまに聴くんだけど、パーカーの音ってぜーんぶあれクラスですよ。
 Jazz の前身は Blues っていう泥臭い労働歌なのに、パーカーの音には、その種の四畳半的なしみったれ感がかけらもない。
 なんちゅーか振りきっちゃってるんですね---日常の苦悶の音をだしたとしても、だした瞬間に、音自体が刹那にして天界と地獄まで突きぬけちゃう、とでもいうのか…。
 ほかのミュージシャンとじゃ、もう比較自体不可能な別格の存在ですよ。
 唯一比較できるクラスの天才としちゃあ、あのモーツァルトくらいしか見つからないな---ただ、僕は、モーツァルトの同時代人じゃなく、当然のごとく彼の生音も聴いたことないわけで、今回、彼は、比較の対象からは外させていただきました。
 これは、あくまで演奏家としての天才性に光をあてる企画ですので---。
 まあ、伝説の天才モーツァルトくらいしか比較できる対象がないという、パーカーというのは、それっくらい飛びぬけた存在なんであります。
 「アルトサックスをもった無邪気で残酷な陽気顔の天使」とでも形容するしかないんじゃないのかな?

 実際、南米の俊英作家フリオ・コルターサルは、パーカーをモデルにして「追い求める男」なんて短編を書いてます。
 これ、とってもよく分かる。てゆうか、パーカー聴いて、創作欲を刺激されない芸術家なんかいないってば。
 もっとも、その「追い求める男」自体の出来は、僕は、対象であるパーカーより、むしろコルターサル内面のしみったれた思索のほうが前面にでちゃった失敗作だと思うけど、でも、ああやってこっち側のしみったれ臭でいちいち隈取りしなくちゃ、パーカーのあの光は表現できないっていう戦略というか間合いはよく分かります。
 Jazz界イチの切れ者、あのマイルス・デイヴィスにしても、パーカーのまえじゃ謙虚もいいとこでした。

----いつも私はパーカーのリードにくっついて演奏していた。バードがメロディを吹いているときには、私は、ただバードについて演奏するだけで、バードが、どのノートをも、ひとりでスウィングさせていた。私がそこに加えられるものといえば、パーカーよりも大きな音の演奏だけだった。パーカーと演奏した夜には、きまって、私は途中でやめてしまっていた。「なぜ私などが必要なんですか?」と、よく私は彼にいったものだ…。(チャーリー・パーカーの伝説<晶文社>マイルス・デイヴィスの証言より)

 僕はね、突きつめていうなら、マイルスの音楽ってニヒリストの音楽だと思うのよ。
 いわば、川端康成やカフカなんかの系統---このひとら、基本的に希求はしないの、己の収監された枠組のなかで感性の秤をゆらし、いかに美しく諦めと無常とを歌いきるかが彼等にとっての勝負なわけ。
 つまりは抒情詩人っていうの? 抒情詩人は繊細極まる感性のひだでもって、絶妙な美を歌いはするけど、だけど、現実的行為の領分では、彼等の仕事はそこどまり、彼等の根本の性質として前進はしない。
 感性と行為は、ある意味反比例しますから。
 行動的前進は、いわば彼等の辞書にない単語なわけ。
 叙情派の仕事はあくまで詠嘆---詠嘆するためには、まず立ちどまらなきゃ---だって、走りながら詠嘆はやれないでしょ?
 運命のドラマチックな岐路ごとにしばし立ちどまって、この世の表舞台からいちど降り、それから自らの手順でそれぞれに詠嘆して、己のその詠嘆とともに美しい塵となって世界に霧散してゆくのが彼等の仕事なの。

 僕は、彼等、叙情派族の仕事も大好き---だって、世の詩人の9割はこっちのタイプだもん。
 でもね、パーカーはちがってた---彼は、圧倒的に叙事詩人のほうのひとでした。
 叙事詩人はね、野太い声で朗々と歌うのよ---ホメロスやイーリアス、あるいは、万葉の時代のあの柿本人麿のように。
 歌っていうのは、僕は、彼等のように、青空にむかって投げつけるように歌うのが、正式の作法だと思う。
 綺麗にまとめた、よくできた小奇麗な詠嘆を紙の上にちまちまと紡いでいくのが近代の歌の作法みたいにいわれてずいぶん久しいけど、僕は、それ、ちがうと思うんだ。
 こういうのはあくまで近代限定の狭い時期のみの一時的流行でしかなくて、万葉の時代から脈々とつづいてきた本来の歌の伝統っていうのは、絶対にパーカーの系譜上にあったんじゃないかなあ。
 そいうってみるなら、ビートルズのジョン・レノンなんかも、やっぱ、こっちの系列ですよね?
 紙の上に詠嘆をしこしこ書き綴るんじゃない、青空に向かって声高に It's been a HardDay's Night! なんつって…。
 そのような本来筋の生まれながらの叙事詩人であったパーカーの凄かったところは、もって生まれたその天然の詩心にくわえて、空前絶後の音楽性をもちあわせていたところにありました。
 音楽っていうのは、もともと即興性の高い藝術なんですけど、パーカーの凄さは、この即興演奏---一般的にいうならアドリブっちゅうやつです---これが、空前の高みにあったことでせう。
 僕は、空前絶後っていいきっちゃってもいいと思う。
 マイルスにしても、モンクにしても、それから、あの気ち○いピアニストのバド・パウエルにしても、ある「一線」を超えた音楽家ならば、みんなこのへんの事情はよく飲みこめてました。

 Jazz の最高峰は、パーカー---
 これに追随する者は世界中のどこにもいないし、今後もたぶん現れない…。
 これは、数学の定理に近い、すでに厳正な「事実」なんです---。

 こんな風に書くと、独断だ、とか、いいすぎだ、とか反発される方は、当然いるでせう。
 でもね、いっぺん褌締めなおして、本気になってパーカーの音楽、聴いてみそ!---絶対、あなた、僕の意見になびくと思うから。
 あえて格闘技流にいうなら、パーカーっていうのは、王向斉と植芝盛平と塩田剛三と花形とテーズとホッジとを総計して120を掛けたような存在なわけ。
 ありえないしょ?
 そう、フツーこういうのってありえない。 
 でもさ、そのありえないことが実現しちゃったのが、いわゆるチャーリー・パーカーという奇跡の現象なんでありました。
 世界には、この種の奇跡が人称化しちゃうことが、ごく稀にあるんっスよ。
 僕は、この「チャーリー・パーカー現象」っていうのは、あのジャンヌ・ダルクやモーゼの紅海割れに比すべき、とんでもないレベルの奇跡だったと思ってる。
 音楽やってるひとなら、絶対、このパーカーの凄さは分かるはず。
 ていうか、分かんなきゃうそだって。
 おんなじブルーズの12小節のコードをアドリブで3度吹いて、どのテイクも水々しく、ワイルドで、完璧無比の極上の「音楽」に仕上がってしまう---あのロシアの業師のショスタコーヴィッチにしても、こんな真似は決してやれなかったろう、と僕は思いますね。
 マジ、こーゆーのってありえないことなんです---なのに、人間業を超えたそのようなことが、いとも易々と実現してしまった。
 それがパーカー---だからこそ、周りのみんなも自然に「バード」と呼んだのよ。
 誰が聴いてもすぐ分かる、なにもかも踏みこえて飛翔しちゃうあっち戸籍のひとだから。
 僕的視点からいえば、パーカーだけはいつも別格なの。
 人間業を易々と超えて翔びすぎちゃってるから、そうした破格の突破者の常として、バードの音楽には、当然「魔界」の風がごおごおと吹き荒れています。

----素晴らしい、感動的だ、それにしても、なんちゅーアンビリーバルな悪魔的ノリだろう!

 あまりにも尖りすぎてて、ときとして人間の美醜の秤の限界すら踏みこえちゃうような特殊すぎる音楽だから、この種の異常な刺激臭を受けつけないひとは、パーカーはたぶん聴けないでせう。
 実際、僕のまわりにも、ロリンズやオーネットやハードパップはいいんだけど、パーカーだきゃあどうもダメなんだよなあ、という寺島泰邦タイプは結構いますねえ。
 世間的安寧なんて、かけらもない音楽だもん。
 聡明なマイルスはそのあたりの機微をよく分かってました--- Charlie Parker On Daial の収録曲 Yardbird Suite では、パーカーのあまりに美しいソロに聴き惚れて、若いマイルスは自分のプレイの出だしを失敗してます。
 Klact-Oveeseds-Teen の Take1 でも、パーカーのソロのあまりの凄まじさに茫然として、オー、若きマイルス、またしてもエンドテーマの吹きしなをミスってる!
 でも、パーカーを聴いてそうなるのは、至極まっとうな反応なんでありまして。

----このような音楽のリハーサルの現場の雰囲気を理解しようとして、顔をしかめて彼は真剣になっていた。ミュージシャンたちが楽器のチューニングを行っているところを、ヒップスターたちが大勢、歩きまわっていた。バードがやっと楽器を取りだし、ストラップを首にかけ、ホーンを口にあてた。クラッシック音楽のヴァイオリニストは、コントロールルームのなかからバードを見守っていたのだが、バードのアルトサックスホーンから、いきなり、機関銃のように音が飛び出してくるのを聴いて、その男は、くらくらとよろめいたのだ---ほんとうに銃で撃たれでもしたように、彼は、二、三歩、うしろによろめくみたいに下がったのだ。そして、「あれはいったい誰だ!」と叫んでいた。(ロス・ラッセルの証言)

 ほかにも、ヒップなひとたちが集まるダンスパーティーの席で、バードが吹きはじめたら、すべてのひとが茫然自失状態になって、踊りが凍結しちゃった、なんて逸話もいっぱいあります。
 「ストレンジャー・ザン・パラダイス」のジム・ジャームッシュの卒制作品「パーマネント・ヴァケーション」のなかでも、あのジャームッシュ、パーカーの「スクラップル・フロム・ジ・アップル」Take1 にあわせて、ヒロインの女子学生にもの凄いアナーキーな、熱狂・首ふりダンスを踊らせていましたし。
 
 Jazz ピアニストの知性派の旗手レニー・トリスターノは、そんなパーカー数々の奇跡のアドリブについて、次のように分析しています。

----バードはたいへんな独創を生みだしただけではなく、いつもとっさにすばらしい演奏ができるという、確実に安定していた一面も、持っていた。バードの音楽は、あまりにも完璧にできあがっているため、科学的とさえ呼べるほどだ。もし彼が作曲家だったならば、なん百という曲をつくることができたはずだ。即興のソロでバードが創り出していくもののなかには、プレリュード、フーガ、シンフォニー、コンチェルトなどに仕立てることのできる素材が、たくさんあった。バードの音楽は、トータルな音楽だった。ほかの誰の音楽にもまさるとも劣らぬトータルなものだった。バードの音楽は、構造的にあまりにも完璧にできているため、さらに磨きをかける余地はどこにもなく、音符ひとつほかの音にかえることすら不可能なほどの完璧さを呈していた…。

 もうさ、ちがいすぎるんだってばさ…。
 なにからなにまで桁違いの、偉大なるひとりサーカス曲馬団!
 パーカーはいいよ---。
 奴がアルトサックスを吹くとなあ、青空いっぱいに目に見えない桜の花びらが無数に舞い散るのさ。
 口じゃちょっといい表せねえ、さながら、千人の花魁がそろって踊りはじめたみたいな塩梅さ。
 見ていて、これほど美しいものはねえ---これほど哀しいものもねえ…。
 あまりに神品な舞いすぎて、しまいには美しいのか哀しいかのけじめもつかなくなってくる。
 奴が、神なのか鬼なのか誰も知らねえ---知らねえが、ともかく、これほどいいものは、おいそれとは見つからねえ…。
 それほどのお宝さ…おおさ、お宝のなかのお宝だとも……。

 そんな稀人チャーリー・パーカーへの入門編として、ええ、さきにも述べた「チャーリー・パーカー・オン・ダイアル」をあげて、この長すぎる記事もそろそろ終わりにいたしませうかねえ。
 この「チャーリー・パーカー・オン・ダイアル」は、パーカーの全盛期の1946~47年の「音」を捕えきった、超・貴重な録音集なんです。
 後年の Verve 録音もいいけど、パーカーをはじめて聴くなら、やっぱりコレでせう。


                   

 ここまで読んでくれたひとがいたら、ありがとう…。
 Dear Friend、三千世界のどこかでいつか会えたら、きっときっとアチチなパーカー談義をやりましょう---!(ダイアル録音 Charlie's Wig を聴きながら)


             

 


 

徒然その182☆ Be-Pop-A-Night in 町田!☆

2014-09-19 23:50:07 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
           


 2014年9月12日、神奈川の町田市の Jazz Live House「NICA'S(ニカズ)」に、jazz友の誘いで Be-Popを聴きにいってきました。
 あのね、Be-Pop(ビパップ)っていうのは、Jazzの一形態。
 50年代に全盛を極めることになる、ハードパップの前身のJazzの呼び名なんです。
 あ。かつての人気マンガ「Be-pop-Highschool」 とはまったく無関係なんで念のため。
 あの伝説の天才ミュージシャン---バードことチャーリー・パーカー! やデージー・ガレスピーなんかがはじめた、火の吹くようなアドリブが主体になった、限りなくシンプルでいて奥深かつ風雅な Jazz の呼称がビパップ。
 ここだけの話、僕は、Jazz のなかでは、このビパップがいちばん好きなんです。
 ハードパップは、コルトレーンなんかのイメージで代表されるように、とにかくアドリブが長いんですわ。
 聴きながらちょっと居眠りこいて、目覚めてもまださきほどのテナーのアドリブがつづいててビックリ、みたいなそーんな世界。
 まるでブルックナーみたいではないですか。
 それはそれでスリルがあって、ま、僕はそっち系の HotJazzもなかなか好きなんですが、こと46、7年から50年代初期あたりに全盛を極めたパップの魅力には、ちょっとかなわない。
 もー Be-Pop ったら、超・凄いんですってば---!
 僕は、音楽史上、Mozart の次に才能があったのがチャーリー・パーカーだって、いまもって堅く信じてます。
 うん、僕の大贔屓のホロヴィッツよりも、持って生まれた才能って点でいえば、パーカーのほうが上だったと思うな。
 お疑いの方があれば、なにもいわず Charlie Parker on Dail-- completed--を聴いてみるよろし。
 ええ、これこそ、人類史上最高最上のアドリブ(即興演奏)ですとも。
 これは、耳のある方なら一瞬で感知可能でせう。
 もう、それっくらいモノがちがうんだな、パーカーは…。(ToT)

 しっかし、パーカーの音楽について記述するだけの筆力は、残念ながらいまの僕にはありませんし、Jazz的な文法にも正直疎い、それに、今回のページはパーカーについて語るのがテーマではないので、そのへんはキッパリ切り捨てて、9.21 Night の話に進みたいと思います。

 この夜、イーダちゃんは、Jazz友の誘いではるばる町田市まできてたんですよ。

 Jazz Coffee & Whisky 「 NICA’Sーニカズー」---
  神奈川県町田市森野1-13-22 渋谷ビル3F
      042-729-8048


 出演バンドは、村田博氏(tp)率いる、<Time FOR Fun>!
 ちなみに、バンド面子は以下の通りです---


                


 僕は、それまで生でビパップを演ってる店があるなんて知らなかったんですよ。
 新宿によくJazzを聴きにいったのは、だいたい20年くらいむかしのことでしたし、まさか、この21世紀に、アチチなビパップが聴けるとは思ってもみなかった。
 これは、すべてにおいて Jazz友であるS氏のお蔭デス---Sさん、感謝!

 で、PM7:15に待ちあわせて店いって、だいたいPM8:00に演奏がはじまったんですけど、もー このギグ、超・渋かったなあ…。

 リーダーんの村田さんは、この道47年の71才のベテラン・トランペッター。
 僕ははじめて聴いたんだけど、素晴らしかったな…。
 なんちゅーか、吹くフレーズフレーズにいちいち説得力があるんスよ。
 染みるっていうのかな? もちろん、演奏そのものはテーマが終ったら個々のアドリブですから、言葉と音楽はちがうし、彼の音楽が具体的になにをいってるのかは分からない。
 でも、なんかくるんスよ---音量そのものはそれほど大きくないし、曲芸みたいに裏のリズムを強調したりすることもない---でも、この方、あとノリのリズム感が絶妙でした!---どっちかというと地味めのトーンで、あくまで抑制をきかせながら淡々と吹くって感じなんですけど、この村田さんのソロになると、ステージの空気感がぱっと変わるんだな。
 で、バンドのメンバーと客席にそのチェンジが一瞬で伝わって、店全体にふしぎな緊張感がさっと生まれるの。
 なんだろう、あの自信に満ちた一種いいがたい貫禄は…?
 やっぱ、経験? 年輪? 
 あいにくのこと、僕は、それを明示することはできないんですが、ひとつだけたしかだったことは、氏が当夜奏でたのは「極上のブルーズ」だったということです。
 安っぽい、タレビでよくたれ流してるような、テカテカ光った受け狙いの音楽ショーなんかじゃないのよ。
 苦くて、辛くて、淋しくって、でも、笑おうとして、唇のはしを常にもちあげようとしているブルーズの結晶が、そこにはありました。
 僕、聴きながら、テーブルに指でバックビートを刻みながら、「うん、そうだ」「そうだ、そうだ」と心のなかでずーっとつぶやいてましたもん。
 そうして、そうした語りのなかに、ときおり名状しがたい悲しみの影がふっと差しこんできて、ドキッとするの。
 それがいつくるか分かんないから、こっちはもう全身耳にして聴いてるしかない。
 こんなに前のめりになって音楽聴いたのはひさしぶり---村田さんの演奏には、僕にそうさせるだけの何物かがありました。
 それは、技量に優れた、ほかのメンバーの演奏にはない「なにか」です。
 僕は、氏のプレイのなかのその独自の「香り」と「苦み」とに魅了されました。
 氏だけが奏でられるオンリーワンのスモーキーな抒情---ええ、めっちゃ渋かったんですよ、村田さんってば……。(ToT>





 氏の次にソロを受けついでいたテナーの岡田さんは、ずいぶん若い感じでした。
 推測だけど、まだ30代そこそこなんじゃないだろうか?
 彼がまたね、実力あるひとなのよ---村田氏とちがって、あんまり抑制臭を感じないんです、若さを隠さないっていうか---伸びと張りのあるトーン、それと、気持ちのままに、なんとも官能的な息の長いフレーズを次々と途切れめなく吹きまくっていくんです。
 僕は、彼には、凄い才能を感じました。
 天性ののびのびした「歌心」っていうのかな? ときどき走りすぎたり、フレーズが字余りになって聴こえるときもしばしばあるんだけど、そうした風情までが絵になるっていうか…。
 うん、僕は、彼、「大器」だと思いますね。
 ただ、岡田さんには、ブラックというよりは、ロリンズみたいなラテン系統の「血」を感じたな---。

 で、トップの写真で村田さんといっしょに写っている、ピアニストの紅野さんなんですが、僕がこの夜、村田さんのトランペットとともに魅せられたのが、彼のピアノプレイなんでありました。
 紅野さんのピアノは、まず、緊密な音、それから確実かつコンパクトなタッチで僕をはっとさせました。

----お。うめえ!

 ま、Jazz Pianist ならほぼ例外なくみんなうまいんですが、やたらブラックぶらず、どっちかというとクラシカルなタッチで、しっとりと己が世界を綴っていく氏のピアノに、僕はだんだんと惹きつけられていきました。
 モンクやバド・パウエルみたいな、なんじゃ、こりゃ!? といったタイプの野性味満載のピアノじゃない。
 氏は、もちまえの緊密な音とコンパクトなリズム感でもって、ちょっとクールに自分の世界を描いていくんです。
 ここを聴け! とか、ほらほら、ここが見せ場だぞ! みたいな香具師的な手口は、まず使わない。
 だもんで、最初は僕、氏のピアノが地味っぽく聴こえてたんですね。
 でも、それ、ちがってた---氏のピアノ、実はとっても熱かったんです。
 なんちゅーか、緊密でキャッチーなフレーズを幾重にも織りかさねていって、氏は、氏独自のクライマックスをじわじわ作りあげていくんです。
 要するに瞬発系じゃない、音楽の底からじわりじわりと自分のテンションが滲んでくるのを、じっと待ちうけている持久系のピアニズムとでもいうのかな…?
 だっから、ゆーっくりしたソロのほとんど最後尾で、氏のピアノが静かに爆発したのを最初に目撃したとき、僕は、かなりびっくりしました。

----うお。凄え…!

 そう、フレーズ自体はスピーディーだったけど、ものすごーく息の長いソロだったんですよ、それは。
 フツーなら3、4個のフレーズを基礎にソロなんか組みたてていくもんだと思うのですが、氏のピアノでは、20~25くらいのフレーズがなだらかな山裾になって、その上の頂きにテンションのクライマックスが築かれていくのです。
 世界はぜんぜんちがうけど、僕は、彼のピアノを聴いて、クラッシックのラフマニノフをちょっと連想しました。
 似てないけど、なんか、音楽の作り---というか感性が似てるように感じたな。
 
 ええ、紅野さん、僕的には、大好きなピアニストです---。

 ソロじゃない、バッキングのセンスもたまらんかった。
 パーカーの、曲名忘れたけど、かなーり激しいイケイケの曲で、彼、村田さんのペットにひっそりとバックをつけてたんですけど、ぜんぜんイケイケ・リズムじゃない、和音のさざ波みたいなバックをつけてたときがあって、あれにはマジやられた…。

 あと、ジャズ友のSさんが日本一のジャズ・ドラマーと贔屓にする、宮岡さんのドラムも凄かった。
 インタープレイっていうんですか? ピアノとの絡み、ベースとの絡みとの瞬時の反応が、超・素晴らしい。
 繊細でいて、しかも、爽快で豪気な氏のドラミングは、ひとことでいって風通しがいいったらないの!
 この日の氏の出来は、はっちゃけてなくてイマイチだ---と常連でああるSさんはいってましたが、僕は、ソウルフルないいプレイだと思ったな。

 ベースは、この夜は、正規のベーシストの矢野さんじゃなくて、臨時の山口さんっていうスキンヘッドの方でしたけど、このひともなかなかよかった---ドラムの宮岡さんとの絡みは白眉でしたね、この夜の----。


          


 Jazzは、ただ、いまはあんま人気ないみたいっスね…。
 この夜の NICA'S のお客は、ちょっと少なかった---あーんないいプレイなのにもったいないよなあ---!
 これが70年代だったら、まちがいなくお客が殺到して立ち見になると僕は思うんですけど。
 ま、そのおかげでバンドの皆さんのサインがもらえたり---ええ、僕、彼等のCD買ったんスよ!---あまつさえリーダーの村岡さんのお話まで聴けたんで、文句なんていえた筋じゃないっていうのは分かっちゃいるんですが…。

 いずれにしても素晴らしいビパップを生の至近距離で聴けて、この夜は、イーダちゃんにとって極上の夜となりました。
 酒も、ピザも、ソーセージも美味しかった。
 あなたと夜と音楽と---いっしょにいった相手が男性のSさんだったんで、肝心の「あなた」が欠けている色気のない夜だったのはたしかなんですが、なに、これほどいい音楽が聴ければそんな些事はどうだっていいやね。
 というわけで、神奈川・町田にある Jazz House「NICA’S--ニカズ--」を推薦します。
 Sさん、ここ、また行きませうねえ---!
 たったいまこれを読んでくれている未知のあなたとも、いつかNICA’Sで顔をあわせることができたら嬉しいなって僕は思っています---おやすみなさい…。(^.^;>


                       


                 


                      

     


      


 
 
 

 
 


徒然その180☆ なごり雪と Let It Be の相関性について ☆

2014-08-11 00:09:58 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
             


 これ、実をいうと、高校のころからずーっと気になってたネタなんですよね。
 折にふれ、音楽トモダチに話したりして、ま、こんなネット時代にもなったことだし、そのうち誰かがネットにあげるだろうと思っていたんですけど、どうしたことか---20年以上たっても誰もあげてくんない…。
 だもんで、仕方ない、僕があげませう---!

 ネタはね、なんと、あの「なごり雪」なんです。

 作詞・作曲、伊勢正三---。
 去年たしか「日本の歌」BEST3のうちのひとつにも選ばれた、誰もが知る名曲です。
 原曲のかぐや姫のヴァージョンより、カヴァーしたイルカの歌としてのほうが有名なのかな?
 そのへん、僕はよく知らないんですけど、「なごり雪」は、そらで歌えるくらいよく知ってます。
 僕なんかの世代は、みんな、そうなんじゃないのかな?
 で、ある日、軽音の部室あたりで、窓の外の雲をぼーっと眺めつつ、何気にピアノをつま弾いてたら、突然気づいたんです。

 ----あれ、「なごり雪」と「Let It Be」ってなんか似てなくね!?

 Let It Be は、むろん Beatles の、あまりにも有名なあのスタンダードナンバーのこと。
 僕個人としては、あまりにもきっちし整いすぎた、ポール・マッカートニー独自のあの職人手仕事臭がどうも苦手---おなじバラードなら S&G の「明日にかける橋」なんかのほうがはるかに好き。もっとも、ポール氏は、アレ目標にレット・イット・ビーをつくったそうですけど---なので、あの曲はそんなに評価していないんですが、まあ名曲であることは認めざるをえないっしょ。
 この両曲、リズムの基本が、どっちも ツン タ・タ なんですよ。
 このリズムに乗って、なんとなく口づさんでたら、なんと「Let It Be」のピアノに「なごり雪」の歌詞、すーっと見事に乗ってゆくじゃありませんか。
 ええ、この両曲、主要の部分のコード進行がまったくいっしょだったんですわ。
 「Let It Be」の主和音はC---ハ長調の曲ですね。
 対して、「なごり雪」はFで、ヘ長調。
 けど、「Let It Be」の高さを4度あげれば、いやー、ちょっと試してみてくださいよ---この両曲、11小節まで、「Let It Be」のピアノ伴奏そのままでしっかり歌えちゃうんだから!
 

----なに? じゃあ、「なごり雪」は「Let It Be」の盗作なのか?

 といえば、もちろん全然そんなことはないんであって---。
 我が国には、もともと本歌取りみたいな手法があったし、それに、Jazz の世界にも、スタンダードのコードをそのまま流用して、その和音進行のなかにまったく別のメロディーを立ちあげちゃう---みたいなテクがさかんに使用されているのは周知のことでせう。
 有名例では、あの「枯葉」進行とか---- 

       Dm7→G7→Cmaj7→Am7→Fmaj7→E7→Am7

----ねえ、この曲のサビのとこ、「枯葉」進行でいっちゃわね?

 なんてセリフは僕もセッションのとき、よくいったもんです。
 すると仲間からは、「えー、またそれかよ。マンネりすぎねー?」なんて不満の声がもれたりね。

 有名どころでは、Jazz スタンダードの All Things You Are のコードそのままの進行に即興演奏を被せてそのまま曲にしちゃった、Charlie Parker の Bird of Paradise とか---。

 そのような例はほかにもゴマンとあります。
 ですから、「なごり雪」は、ええ、まちがいなく伊勢正三さんの独創に満ちた創作ですよ。
 なかんずく僕が感心するのは、

----なごり雪も降るときを知りイー ふざけーすぎたー季節のあとぉでぇー

 この上段の前の節は、Let It Be のサビそのままの進行なんですよ。
 全体的に調和し、安定していたここまでのクラシカルな進行に、ここで---厳密にいうなら、ふざけーの「け」のとこね---ふいに不安定なキーであるE7が混入してくるとこ---これは、「なごり雪」という曲全体の白眉だと思うな。
 この伊勢さんのつくった北風混入のブリッジ部分があるから、このあとの投げっぱなしの、

----いま春がきて 君はキレイになった
  去年よりずっと キレイになった…

 というキメ台詞が生きてくるんですよ。
 前段のE7の翳りがなかったら、このストレートな素直さは、これほど輝かない。
 また、聴いてる僕等も、歌の主人公の若さにこれほど寄り添えない。

 そういう意味で、ほんま、よくできてる歌だなあ、と感心しきりの歌ですねえ、これは。
 ペンタトニックでボソボソ歌う語り口も主人公の朴訥さの表現になりえているし、うーむ、伊勢さんってアッタマいいんだなあ、やっぱり。
 ただ、構造的には「なごり雪」って歌は、詩というよりは小説に近いんじゃないか、と思いますね。
 ま、ご本人と話したことはないんで、あくまでこれは推理でしかないんですが、僕は、伊勢さんが「Let It Be」の進行を参考にこの曲を組みたてていったのは、ほぼまちがいのない事実だろう、と思っています。
 僕的な好みからいったら、こうした筋の通りすぎた小説的な歌よりも、陽水みたいな詩心爆発みたいなタイプの歌のほうが好きなんですが、たまに聴く「なごり雪」は、やっぱ、ちょっといいですねえ---。

 うん、こんな初恋がしたかった、と誰ともなくつぶやきつつ、目線がふっと遠くなったりもする、真夏の夜のイーダちゃんなのでありました…。(^o^;>
 

◆この論旨を証明すべくイーダちゃん自らが演奏したヴァージョン「なごり雪」が youtube にあります。 youtube iidatyann でご視聴可能。ほんとはレットイットビー弾きながら「なごり雪」歌いたかったんだけど、さすがにそれは技術的にむりでした。1弦のチューニング狂ってるけど、まあそれはそれ。では、これにて失礼、オバマ、デス! 

 

徒然その179☆森口真司 コンダクツ ダヴァーイ!☆

2014-08-07 21:33:57 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
          


 2014年の7月27日---超・酷暑の夏日---イーダちゃんは、錦糸町の「すみだトリフォニーホール」で行われた、オーケストラ・ダヴァーイのコンサートにいってきました。
 指揮は、あの森口真司センセイ---。
 演目は、チャイコの「スラヴ行進曲」とプロコフィエフの「スキタイ組曲;アラとロリー」、それと、メインのショクタコーヴィッチの11番なんか。
 オール・ロシアのプログラミングですねえ、いいなあ…。
 僕は、個人的にドストエフスキー、ゴーゴリ、ホロヴィッツからプーチンまで、骨がらみのロシアン・ファンですから、このプログラミングにはいささか陶然たるものがありました。
 なお、この選曲をされたのは、指揮の森口センセ御自身だとか。
 ダヴァーイのひとたちがみんなロシア・マニアなのをあらかじめ察した上で、

----だって、みんな、こういうの好きでしょ?

 と、いったとかいわなかったとか…。
 そりゃあ、こうまでいわれたら、オケは喜ぶよ。

 ちなみに、このオーケストラ・ダヴァーイってのは、アマチュアのオーケストラなんです。
 パンフを見ると、結成は2007年となってます---いわば、オケの7年モノ。
 でね、なんだか知らないけど、ここ、みんな、ベラボーに巧いのよ。そして、ロシア物をいっつも演奏するの。
 前の公演にいったときのプログラムの布陣も、たしかチャイコのバレエ曲がメインだったと記憶してます。
 そのときはね---正直いうと、オケの面々の「オレはうまいんだゾ」って我のほうが曲よりも大きく聴こえてきて、感心はしたけど感動はしなかったの。
 

----ふーん、やっぱ、アマチュアなんだなあ…。

 みたいな、そんな印象。
 あざといっていうか、仇光っていうか、そっち系の自我主張的要素のほうがどうしても先に耳に入ってきてしまい、「音楽」のなかに僕が参入するのを妨げているような、一種微妙な齟齬感がちょっとあったんですよ。 
 でも、まあ、とにかくハンパなくうまいから、モノは試しにもういちどいってみるか、とまたきてみたわけなのサ---。


                   ×             ×             ×

 で、今回の演奏の感想をさきにいっちゃいますと、それがもうね、お世辞ぬきに素晴らしかった…。
 1999年にサントリーホールで聴いた、ええ、生イーヴォ・ポゴレリッチのショパンの2番よりよかった。
 僕、どっちかっていったらピアノ・フリークでして、オケの音ってちょっと苦手な口なんですよ。
 もってるCDなんかもピアノ音楽が10としたら、オーケストラの配分はせいぜい2くらい。
 でもね、今回にかぎっては、そんな嗜好の垣根なんか関係なかった。
 今回は、森口センセの指揮が見たかったんで、僕、2Fの天井桟敷席のいちばん端に陣取っていたんです。
 そこからなら知りあいの奏者がよく見えるからという理由もあったんですが、実際に演奏がはじまると、そんな瑣末な観察アングルは綺麗サッパリ翔んじゃってましたね。
 それくらい、今回のダヴァーイの演奏は「よく生きて呼吸していた」と思います。
 森口センセイのタクトの先から眼に見えない光の糸が伸びていて、その糸がビオラ部隊にまず繋がり、次にファゴット、ホルン隊に繋がり、さらには、フルートやオーボエ奏者のもとに次々と紡ぎ足されていくのが、僕、まざまざと見えましたもん---マジ。
 桟敷からあんまり身を乗りだして見てるんで、休憩時間には、ホールの係の姉ちゃんに注意されたほどでした。
 でもね、僕にそうさせるくらい、その日の演奏は凄かったの。
 あえてコトバにしようとすると嘘くさくなるけど、入魂の、真摯極まりない、ええ、熱くて胸に刺さりまくる演奏だったと思います。
 オケのパッションも凄かったけど、僕がとりわけ凄いなと思ったのは、この音楽の総元締めである、森口センセイの「確信」でした。
 それが、あまりにも濃く、凛凛しく、音楽の中心地にすっくと立っているので、通常は差しこんできがちのさまざまな「迷い」や「不安」が、この音楽の同心円のなかにまったく入りこんでこれないのです。
 うん、光ってましたよ、森口センセイ---オケの面子がこれだけひとつになり、脇目もふらず、迷いのかけらもなく、これほど音楽に邁進できたというのは、一重に森口センセイ内のこの「確信」のおかげだろう、と僕は読みたいですね。
 オケだけじゃない、当日の観客席もそうでした。
 当日の観客席のお客の無数の目線も、すべてこの森口真司というオトコの放つ「確信」のオーラに導かれて、あらゆる日常の迷いから解き放たれて、ステージ上で生起する音楽の歩みようを無心に見つめていました…。
 つまり、観客とオケと指揮者がひとつになって、ある意味理想的な生きた音楽を奏でていたわけです。
 こんなことってそうないと思うよ---。
 生の音楽って、僕等のそれぞれの職場内事情といっしょで、フツーもっと雑多な峡雑物がいっぱい詰まっているもんだもん。
 ちっちゃな不満、悪意、倦怠、それに愚痴とか…。
 ほかにもオケ内での人間関係の軋轢だとか、指揮者の解釈に乗れなくて、でも、演奏しないわけにもいかないから、あえて義務的にクールな風情を装っている面子がぽつぽつと見分けられたり、ね。
 その種のことって、案外ステージの外まで見えてくるもんなんっスよ。
 けど、この日のダヴァーイの演奏からは、それが見つけられなかった。
 むろん、生身のニンゲンですから、ある程度の峡雑物はあるのがフツー---当日の演奏でも、それはきっとあったのでせう。
 あるにはあったんだろうけど、それよりも、この日の森口センセイ内部から凛凛と発する「音楽的確信」のほうがもっと強かったんじゃないのかな?
 それくらい、この日の森口センセイはイカシてました。
 うん、寛永14年、島原の乱のクリスチャン農民軍の総大将にして象徴だった、あの年少の天草四郎が放っていた光っていうのは、もしかしてこういう種類のものだったんじゃないのかな、と僕は舞台とちゅうで何度も感じてしまったくらい---。
 観客も、オケも、この光の圏内にいると、安心して、浮き世のマイナス・オーラを忘れ去ることができたのです。
 通常なら足元に絡んでくる「慢心」やら「不安」やらの影を一掃して、森口センセイの掲示する清冽な「音楽」の流れにすべてを委ね、駆けだすことができたのです…。

 おっと。ちと論旨が先走りすぎちゃったい---具体的な叙述にそろそろ回帰しませうか。


    ◆1曲目:「スラヴ行進曲(チャイコフスキー)」

 まず、森口センセイの登場からして、気合いがちがってました。
 指揮台に立って、音楽がはじまるまえの一瞬の間---いつの場合も、これはオーケストラ音楽の醍醐味ですよね? これ見ると、僕はいつも武道の組手前の一瞬を連想するのです---が、なんというかフツーじゃなかった。
 ここ、あざとい視点からいうと、指揮者って職業の最大の「見せ場」だと思うんですよ。
 ですから、どの指揮者にしても、それなりの見せ方っていうのは一応心得てるわけ。
 僕は、大指揮者といわれるひとの舞台も何度となく見てるんですが、この日の森口センセイの見せたそれは、彼等の身に馴染んだ「芸風」のそれとは、少々べつのもののように感じられました。
 演出的にいったら、あれは、むしろ拙かったんじゃないのかな?
 ええ、あの音楽前の刹那の沈黙には、指揮者・森口センセイよりむしろニンゲン・森口真司氏の生地のほうが、強く匂いたっておりました。
 ああいう瞬間って、大抵のひとは格好つけちゃうもんだと思うんですけど。
 でも、森口センセイはそうじゃなかった。
 その種の洗練された身ぶりを示そうともせず、むしろダサダサの田舎っぺのごとく、もの凄く無防備に指揮台のうえに、ただ佇んでられました。
 あのとき、森口センセイは、自分が観客のまえにいることも、これから自分がオケを振るということも、意識してなかったんじゃないかしら?
 ええ、あのときの森口センセイは、指揮者・森口センセイなんかじゃなく、ひとりの野人のようでした。
 なにもかも忘れた野人が、武骨に、自らの内面から音楽があふれ、それがいっぱいになって氾濫する瞬間を、ひたすら待ち受けているようでした。 
 しばしのあいだ眼をとじて、さらに自分の奥深くにぐいと潜入して、で、内部にたまった音楽エネルギーの総量が溢れんばかりになってきたら、はっしと大きく眼をあけて…
 その一瞬のまなざしの強さから、内面の、自らが信じる音楽を、これから真正直に、愚直なまでにまっすぐに演っていこうというセンセイの意志が、痛いほどびしばし伝わってきました。
 この段階で、僕はもう森口センセイの「音楽」にKOされていたことを、いま、ここに告白しておきませう。

----うわあ、このひと、まっさらの裸になるつもりなんだ…。でも、どこまでやってくれるんだろう…?

 で、決壊寸前のこの沈黙から、静かに滑りだすようにタクトがふられて、さあ、音楽会がはじまったんですけど、僕が最初にびっくりしたのは、このときのダヴァーイの音でした---なんというか、ちがうんですよ、前回のときと。
 前回は---オケ関係のひとが見てたらごめんなさい---個人個人の達者さのほうが、僕はどうしても眼についちゃったの。
 だから、必然的に、僕の聴きかたも、個人個人の奏者の技量やら音楽性やらのほうに必然的にズームしちゃってたわけ。
 けど、今回のは---これは---?
 オケの音がするんですよ、巨大な室内楽なんかじゃなくて、あくまで純然たるオーケストラ音楽の音が。
 この1週前、僕は、やはりアマチュアのオケである、みずほフィルを聴く機会があって、その音はよく覚えていたんですよね。
 ほら、女性ヴァイオリニストと男性ヴァイオリニストとじゃ、出す音がどうしてもちがうじゃないですか? 女性ヴァイオリニストの音は、どっちかというとベターッとした感じの音になる。
 腕の筋肉量の差がそうさせるのか、骨密度の性差が影響するのか、ボーイングの差がそうさせるのかどうかは分かりませんが、一般的にそういうことっていえると思う。
 (具体例としては、女性ヴァイオリニストではチョン・キョン=ファやムター、対する男性ヴァイオリニストとしては、ハイフェッツやシェリングなんかを思い浮かべてください)
 みずほオイルの音は、女性奏者が多いせいか、女性ヴァイオリニストに特有の、そっち系のベターッとした響きがしたんですね。
 ベターッなんて表現を使うと悪口じみて聴こえるかもしれないけど、これは、そんな意図はまったくないんであって、僕は、深窓の令嬢のような声色で、あくまで清楚に、柔らかく、適度な抑制をつけながら楚々と歌うみずほフィルの音は、個人的には結構好きです。
 対してダヴァーイの音は、男性ヴァイオリニストの特色である、硬質な、いかにも筋肉質的な響きでもって鳴るんです。
 前者は、情念の表現向きの音であり、後者は、音楽の動き・構造なんかを示すのに得手がある、と僕は思ってます。
 いわば、ロマンティストの音 VS リアリストの音とでもいうのかな?
 で、前回のダヴァーイの音は、そっちの後系の男性色が強烈にしてたんですよ。
 あまりにも体育会系すぎて、音楽の骨組だけが鳴っているように聴こえてくる瞬間もままあった。
 だけど、今回のはそうじゃなかった---頑健で丈夫な骨組のうえに、あくまで適切な肉が乗っていた、なんていうと僕独自の語法すぎて分かりにくいかもしれませんが、要するに、どんな瑣末なフレーズのアーティキュレーションにもそれ相応の意味があり、音楽を聴きながら、その「意味の総体」が客席のひとりびとりにまでぐんぐん届いてくるのです。
 百年まえに生きていた、チャイコフスキーという見知らぬ男の内面から生まれた、ややエキゾチックな風情なこの音楽の器に、作曲者自身がどんな意味を盛ろうとしていたのか、あいにくのこと僕は知りません。
 でも、それ、届いてきたように思ったな---。
 チャイコフスキー特有の豊穣な想像力が、散漫で下司っぽい夢想・幻想ショーに堕ちることなく---というのは、そうなるケースもチャイコ演奏の場合は案外多いんですよ---森口センセイのタクトの下、実にきびきびと、そして、生き生きと、客席の隅々まで振り撒かれていくのは、あれは、なんとも素敵な眺めでした。
 僕的には、森口センセイのタクトのお蔭で、あの日のチャイコ、実際のチャイコより性格のいい、活発なベター・チャイコとして鳴っていたように思います。
 うん、実際の彼は、資料なんかで読んでても、もっと根暗で、じめーっとしてそうな感じですもん。(ホモだったって証言もあるしね)
 創作家ってだいたいにおいてヘンなひとであることが多いんですが、それ考えると楽譜という記号を舞台で実現する演奏家って立場には、非常に重要なものがありますね。
 演奏家は、腕のいいのはもちろんですが、なにより性格がよくなくっちゃ、ですね。
 これがないと、演奏家が曲にこめた毒も中和できないし、曲の伝達という使命も充分に達成できない。
 なんか、こういうと神と預言者の関係みたいですが、演奏家と作曲者の関係って、それに似たものがあるように僕は感じます。
 いずれにしても、あれは、豪奢で、キュートで、隠し味の苦みもちゃんと隠しもっていて、しかも、胸キュンの瞬間にも満ちている、ファンタジックで遊戯的な、素晴らしいチャイコフスキーでありました…。


   ◆2曲目:「スキタイ組曲・アラとローリー(プロコフィエフ)」

 この曲を聴いたのは、正直、これがはじめてでした。
 パンフを見て、3楽章めの「夜」を最初から楽しみにしていたのですが、よかったですねえ、「夜」…。
 静か~な弦のはじまりと、その響きの辺境からひっそりと歩んでくるチェレスタのあの音形…。
 プロコフィエフのような「異教的な」雰囲気を売りにしてる音楽は、どれだけ神秘的な深みを出せるかどうかで勝負が決まると思うんですが、いけてましたねえ、この3楽章---。
 
 曲の要として屹立できる、実にパワフルなピアニシモが聴けた、と思ってます。
 あ。ちなみに、この曲のあとすかさず「ブラボー!」とやったのが僕---。

  
   ◆3曲目」「交響曲11番・1905年(ショスタコーヴィッチ)」

 現代有数のシンフォニー作家である、旧ソビエトのショスタコーヴィッテを認めることに関しては、むろん僕だって同意しますけど、芸術家・ショスタコーヴィッチに関して認めるかといえば、僕的にはいささか異論があります。
 そのあたりの機微を批評家の許光俊氏も書いているので、彼の発言をちょっと引用をば---

----真にすごい作曲家なのかどうか、私は疑問があるが、近年急速に人気が高まりつつあるので挙げておく。社会主義下のソ連で、粛清されそうな危機を何度もかいくぐり、奇跡的に生き延びた音楽家だ。
 その音楽は、クラッシック界有数の暗さを誇る。ただし、体勢を喜ばせるために、最期はガンガン盛りあがって大絶叫大会になることが多い。どの作品も似たように聞こえてしまう=ボキャブラリーが少ないように感じるのは私だけだろうか。
                                  (許光俊「ショスタコーヴィッチに関して」より)

 残念ながら、僕の見解も許氏の発言と同様です。
 ショスタコは、衆知の通り、もの凄く腕のいい作曲家です---その才能には、もちろん瞠目するし、兜だって脱いじゃいる。
 しかし---
 藝術っていうのは、はたしてそれだけでいいもんなのでせうか?
 僕がいいたいのは、要するにこういうことです。

 彼、1906年の生まれです。
 あのホロヴィッツよりも3つ下、リヒテルよりは9つ上---意外と近世のひとなんですよね、世代的にいうと。
 ロシア革命とソビエト連邦の虚偽については、僕は前ブログ 徒然その113☆みずほフィルハーモニーのショスタコーヴィッチ☆ でも少々触れました。
 まあ、そっち系の真相の究明うんぬんは、この際音楽とは関係ないのであえて触れないでおきますが、いずれにしても当時のソビエトが地獄のような環境だったというのは、これは、まごうかたなき歴史であり、また、事実でもありませう。
 で、その生き地獄を生きのびてきた苦労人ショスタコーヴィッチの音楽を聴いて、僕がいつも感じること---

 それは、旺盛な「生活力」と「狡猾さ」の2点です。
 

 彼の肖像とか見ますと、非常に神経質そうな、線の細い印象が強いので、みんな、つい誤解しちゃうと思うんだけど、僕は、彼、その外貌に反比例するように、とっても強くて逞しい男だったんじゃないか、と睨んでる。
 だって、あの地獄の密告体制のなかをなんとか生きのびて、社会的にも成功し、しかも、最期までその成功を維持しえたのですから…。

 僕は、成功できたのだから芸術家として不純だったとか、そんなケチなことをいいたいわけではありません。
 どんな環境であれ、「生きのびたい」というのは人間としての本能だし、そのために可能な限りの策を凝らすというのは、ある意味、ニンゲンの根本のところの願望でせう。
 だから、そこの部分を否定しようっていうんじゃない。
 でもね、たとえばショスタコとほぼ同時代を生きた、おなじロシア出身の世界的ピアニスト、スヴャトスラフ・リヒテルなんかが「この悪夢時代に対して」どう対応したか---? 
 リヒテルの伝記とかを読んでも、リヒテルのそのあたりの証言は非常に曖昧です。
 あるところまでいくと、リヒテルは、ふっと黙りこむ---かたくなな貝のように。
 この異様な沈黙は、リヒテルの多くのピアノ演奏のなかにも、底の部分に澱のようにそっと潜んでいて、リヒテル藝術の全般に独自の翳りを与えています。
 たとえば、1971年ザルツブルグで録音された、Schumann の Bunt Blatter Op.99----

 さらには、1971,2年におなじザルツブルグで録音された Bach の平均律1、2巻----

 僕的には、リヒテルというのは、さほど好きなタイプのピアニストではないんです。
 その理由は、彼のピアノって、なんだか薄気味わるいところがあるから…。
 僕は、彼のピアニズムが自身の内面をすべてさらけだすのをあえて避けているように、ずっと長いこと感じつづけていたんです。
 ええ、リヒテルは、意図的に、確実に何かを隠したんだ、と思います。
 それは、語ろうとしても語れっこないから、はじめから他人と共有することを諦めきっているような、非常に濃い「絶望」の香りがたちこめた「なにか」です。
 ロシア出身の大音楽家---かのホロヴィッツやレオニード・コーガンのヴァイオリン演奏(コーガンの死には、いまでも根強い暗殺説が囁かれているのは周知のことと思います)のなかにも、僕は、この種の独特の翳りをときどき嗅ぎつけますけど、なんといっても、この意図的な沈黙をいちばん強烈に感じさせるのはリヒテルです。


                    

 
 僕は、リヒテルの発信する、この不気味な沈黙に対して、ひたすら黙りこむことしかできません。
 彼の発する沈黙の意味も、絶望の深さも、分かるかといえば、むろん分かんない---当然でせう、育った国も環境も、あらゆる面において異なっているんですから。
 しかし、リヒテルがピアノにおいてもプライヴェートにおいても、あくまで「それ」を隠しつづけた---ソビエト体制が崩壊して自由に発言できる環境ができてからも、あえてそのことに対して沈黙しつづけたという事実に、僕は、なによりリヒテルの人間としての誠実を感じます---。

 ショスタコーヴィッチに関しては、その真逆ね---僕は、ショスタコが、その種の絶望に対して、うまく立ちまわりすぎたと思うんですよ。
 恐ろしく器用だった彼は、もちまえの音楽テクでなんだってできた。
 ときには「絶望」と添い寝し、ときには「絶望」を帽子ごと殴りつけ、ときには「絶望」に哀願し、ときには「絶望」との妥協ラインを事務的に計算したりして…。
 この種のショスタコ特有の饒舌さがね---僕は、大嫌いなんだな、実は---。
 もちろん、ショスタコーヴィッチ本人が悪人だったとは思わない---でも、あんまり狡すぎますよ、彼…。
 岡本太郎氏の藝術についてのあの名言、

----綺麗であってはならない、美しくあってはならない、心地よくあってはいけない…。

 うん、あの3原則にことごとく違反しているのが彼の音楽だ、と僕は思うなあ。


                    ×             ×             ×

 というわけでショスタコーヴィッチの音楽を否定したイーダちゃんなんですが、肝心の森口センセイとダヴァーイのショスタコ演奏は素晴らしかった、と思います。
 特に第3楽章のアダージョ、ノン・ヴィブラートで影のように開始される曲の冒頭---それから、曲中盤の金管の咆哮から音楽が再びビオラ隊の囁きに引きわたされるあたりは、あの日の演奏会の白眉ともいえる部分だったのではないでせうか。
 森口センセイの入魂の指揮も凄かったし、それに答えるオケの面々ももの凄かった。
 身体を波打たせて奏すると、音ってあんなに変わるんですね---あれにはマジびっくり。
 打王さんのティンパニも黒人のトークドラムみたいに多弁で凄かった。
 4楽章の最後のコーダで、森口センセイの指揮にあわせて、鐘を鳴らす3階席の男性の熱血ぶりには思わず目を見張ったな。
 そうして、極めつけは、曲の最後の森口センセイの「残心」---すべての音が静止して、会場全体がなんともいえない、ぎょっとするような沈黙に包まれた瞬間---あのいちばんいいところで、野蛮な先走り「ブラヴォー!」を叫んだのは、ありゃあ誰だ? フライングだよ、あれは。KYすぎるじゃないか、君ィ!---と僕はいいたい w 。

 森口センセイの掲示されたショスタコーヴィッチは、僕のなかのショスタコ像とはだいぶ姿かたちの異なるものでした---うーん、僕は、彼があんなに「いいひと」だとはどーしても思えんのですよ。彼は、もそっと悪魔寄りの邪悪なモノを隠しもっている男だと僕は感じます---けど、あれだけの音楽力と表現力でもって再現されれば、それは、やっぱり、圧倒されました。

 ムラヴィンスキーやコンドラシンのものも含めて、いままで聴いたなかで10本の指のなかに確実にランク入りする、ええ、あれは、見事に「生きて呼吸している」ショスタコーヴィッチの11番でした。 
 ただ、いささか性善説寄りすぎるショスタコーヴィッチだったんじゃないのかな?---と、僕としてはあくまでもしつこく、性悪説のショスタコ像を主張しつづけたいところです…。
 
 ちょっと長くなりすぎました---しかし、多忙な僕にそうさせるほどの刺激を与えてくれる演奏だったからこそ、こうなったのですよ~---と若干責任逃れみたいなセリフを置いて、そろそろこの記事を閉じることにしませうか?
 感じたままのことを正直に書きました。
 これを読んで不快に思ったり、怒りを覚えたりしたひとがいたら御免なさい。
 けど、ここに嘘はなにひとつ書いていないつもりです---おやすみなさい……。m(_ _)m


               
 
 
 

 
 



 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
           

徒然その171☆セロニアス・モンクの骨タッチ・ピアノ ☆

2014-05-22 03:27:15 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
    


 セロニアス・モンク---大好きなピアニストのひとりです。
 モンクといってまず最初に浮かんでくるコピーは、「モダンジャズの巨匠」とか「ビパップの高僧(懐かしいな、コレ!)」とか「マイルスと喧嘩した変人ピアニスト」とか「ジャズの予言者」とかいうのが大方の定番なんでせうけど、僕がなにより魅かれるのは、モンクのピアノのタッチ自体なんです。
 ええ、いまもむかしも変わらない---モンクがあのでっかくてぶ厚い手で、クラッシックの技法からするとがりがりの我流手法でもって、自からのピアノを奏でだした瞬間、僕は、もう彼の音楽の引力圏に否応なしに引きこまれる自分を意識せざるをえません。
 どうにも抵抗できないんだなあ、コレが。
 モンクの音楽のかもしだす磁力は、それほどまでに強烈です。
 そして、それら魅力たっぷりの音楽を構成している因子であるところの、モンクのタッチときたらもう…。
 強靭で、頑固極まりなく、ときとして悪戯っぽく、でも、いかなるときもある種の確信に満ち、それでいてとてつもなくユニークなあの音---。
 ちょっと聴けば誰でも分かるかと思うけど、モンクのピアノのタッチって非常に強烈ですよね?

----ねえ どうしたらこんな音がでるのよ?

 と尋ねたくなるほど、それは、芯のある、硬質な、強い音です。
 音量ならおなじくらい大きいけど、クラッシック・ピアノの魔人、あの「ホロヴィッツ」みたいに凶暴じゃない。
 「ホロヴィッツ」は、あの独特の平べったいブルーメンフェルト直伝のタッチで、鍵盤をびしっとはじきますから。
 ヒステリー期の猫みたいに鍵盤をはじきまくりながら、だんだんに悪魔憑きの濃度が濃くなっていって、遂には常軌を逸した激情のハチャメチャ・サバトの夜宴になるのが、魔人「ホロヴィッツ」の禍々ピアノ---。
 モンクの世界は、それとはまったく様相を異にしています。
 モンクのピアノは、そっち系みたいに濡れてないのよ---乾いたピアノっていうのかな?
 おなじJazz 業界でも、弟子筋のバド・パウエルみたいに、ちょっと弾いただけで得体の知れない濃い情緒の霧がモワーンとたちこめてくるような、そういった「ねとついた」湿度系の世界じゃない。
 感じる、というより---考えて、常に見つめて、思索しているひとのピアノとでもいうんでせうかねえ。
 じゃあ、冷たい風に取りすましているのかっていうと、もちろんぜんぜんそんなことはなくて、乾いたクールさを意識させるのはたしかなんだけど、その突きはなした視線の向こうに、なんともいえない独自の「涼しげな抒情」を感じさせるのが、モンクのピアノの特質だといえるんじゃないんでせうか。

 最初聴いたときは、そりゃあびっくりしました。
 ぜんぜんスマートじゃないんだもん、というか、完成品の木肌自体、商品用のすべすべ仕様に慣らされてないんスよ。
 もう、あちこちから木目の荒い、トゲ、出まくりの世界---だから、第一印象として、異様に武骨で、ごつごつして聴こえるの。
 カクテル・ピアノとしてはまあ落第でせう---なんつっても耳触りのある、ごつごつピアノなんだから。
 小洒落たレストランで食事するBGMとしちゃあ、こーゆーのはちょっと不適切だよね。こういう席でフツー求められるのは、やっぱ、ウエントン・ケリー系の「そよ風みたいに心地よく聴き流せるさらさら系」のものなんであって。 
 それが、モンクの場合、あえて挑戦的に音ぶつけてきはりますからね---テンション・ノートを和音の目立つところにぐいとかぶせて、音同士をわざとぶつけて、そこから生まれる「濁り」を含んだ和音こそオリジナルな自分の和音なんだ、と主張している一種の居直り強盗みたいなスタイルとでもいうか。
 しかも、その濁りの塊を、スマートさとかけはなれた、いかにもぶきっちょなタイミングでガンガン前面に押しだしてくるもんだから、なんだ、この下手糞なピアニストは? と、はじめは誰だって思っちゃう。
 そよ風なんてとんでもないよ---ウィントン・ケリーが「いなせなそよ風」なら、モンクは「山伏の吹くほら貝」です。
 それくらい世界がちがってるのよ。
 だから、たしかに一見、モンクのピアノは、リズム隊のそれから外れているようにとれるっていうのは、分かる。
 ときには、スゥインギーな文脈から外れて、ノリ自体、浮いて聴こえることもたしかにある。
 とっつきがわるいっていうのか、媚びの要素が皆無すぎる無愛想ピアノっていうか。
 だから、そのへんの特徴をあげ足とって、「モンクのピアノは流れない」とか、「モンクはリズム音痴だ」みたいな世評が生まれてきたんじゃないか、と思います。
 でもね、そうじゃないんだよなあ…。


                           
 


 たしかにモンクの掲示してくる世界は、相当につむじまがりなところがある。
 それは、事実、僕だってそりゃあ認めます---けれども、本当にくたびれた晩の真夜中のまんなかあたり('Raond About Midnight)、部屋を暗くして、目もとじて、いちど、モンクのピアノをマジに聴いてみてやってください。
 曲はね---そうだな---「Thelonious Himself」 の Fanctional あたり…。
 曲想からいくと、これ、わりと平凡なBフラットの12小節ブルーズなんですが、平凡な曲を平凡なプレイヤーが演奏したときに特有の、いわゆる「ありきたり感」がかけらもない。
 まず、冒頭の不揃い気味の前のめりの和音のじゃらけた硬質感にびっくりし、次に、たどたどしいけど異様にふてぶてしい曲の歩みようにまたまたびっくりします。
 でも、この曲に仕込まれてるびっくりの総量は、こんなもんじゃないのよ。
 冒頭の12小節こそ「おお、ブルーズか、いいなあ…」のまあブルーズ常識の範疇内で聴いていられるんですが、そのうち、曲自体が次第にその範疇の籠内から逸脱していくんですよ。12小節の矩をこえるごとに、曲中にだんだんモンクの掲示する異次元の香りが濃くなってくる過程の凄味は、これはもう現物を聴いて堪能してもらうしかないな。
 ブルーズの背後空間を途方もなく奥深くするみたいに、ときたま鳴らされる「モンク和音」の響きは、最終的に、比較する対象もないくらいの、スリルいっぱいの未知の無重力空間へと聴き手を誘ってくれます。
 12小節リフの3、4小節や7小節から突然2ビートになって駆けだすふい打ちみたいな部分も、ユーモラスというよりは、そのあまりの自然体な駆けだしぶりに、一瞬笑いかけて、でも、そのあまりも飾り気のない直球すぎる駆けっぷりに、中途半端の笑顔もどきのまま、僕なんかは完璧フリーズしちゃいますね。
 ここまで頑固でまっ正直なピアノなんて、そうないですって。
 ショービジ界においては「誠実+正直」な風貌、しかし、ビジネスを除いた実人生においては、「案外功利的かつしたたか」みたいなタイプが案外多い音楽界において、モンクのほの見せるこの圧倒的正直さは特筆に値します。

 だってさあ---ここまで頑固で媚びない自分節ピアノって聴いたことないもんね、僕は!

 フツーの人間なら、世間と付きあうために、自分内にじゃっかんの媚び媚び回路を融通してるもんなんです。
 でしょ? でないと、とてもやってけないもの。
 近所の嫌いなひとと顔をあわせたとき、会社内で馬のあわないひとと仕事話をしなくちゃならなくなったとき、あなたならいったいどうします?
 いちおう挨拶くらいはするでせう?
 ひと見知りの内気さんなら近所人の挨拶程度なら棄避しちゃうかもしれないけど、会社内仕事の話ならなんとか好き嫌い感情をやりくりして、それなりのコミュニケーションを図ろうとするでせう?
 モンクも世間つきあいでなら、それはやったかもしれない。
 けど、こと音楽上では、絶対にそれをやりませんでした。
 だから、あのマイルスとの喧嘩セッションの伝説なんかが生まれたわけなんですよ。
 あるいは、パーカーとのセッションにおいて、自分のソロのときぜんぜん音を出さなくて、パートの最後の部分だけで確信をこめた音を1音だけ弾いて、かの大パーカーをして「クレージーモンク!」と歓喜の雄叫びをあげさせたりもしたんです。
 僕は、「モンクには時間の観念がない」というあの有名な奇癖も、出所はそこらへんじゃないか、と睨んでる。
 つまり、モンクは、時間の区切りに管理されるって感覚が、もう生理的に嫌なんだ、と思いますね。
 だから、せめて世間並の時間の観念を無視して、せめてもの反逆の仕草をしてみせるわけ---自分内世界の純潔を守るために。 

 ビューティホー!---たしかに、媚びなさすぎのピアノでせう。
 けど、ここまで無垢を守り通したピアノって、僕は、比類なく美しいと感じますね。
 フツー、頑固とはいえ、ピアニストって職を張ってらおられる方ならば、和音の鳴らしかたにしても聴き手の耳にあえて心地いい鳴らしかた---たとえば低音域の響きをじゃっかん抑えて、あえて和音をアルペジオ気味に崩して弾いてみせる---みたいな技もわりと無意識に使用してるものなんですが、モンクに至っては、そんなわずかばかりの無意識の媚びすらない。
 モンクは、真剣です。
 あんまり真剣すぎて、返って笑えてくるくらい。
 モンクは頑固です。どの音符にもモンクの信念と経験とがいちいちこびりついてて。
 だから、音楽と通りすがりの軽い関係でいたいひとにとっては、鬱陶しくて重たいピアノになるのかも。
 でもね---よーく耳を澄ませて、心の耳で聴いてみて---目をとじてしばし---それから、自分にこう問いかけてみてください。

----このピアニスト、嘘つきなのかな? 正直なのかな…?

 答えは、自明でせう。
 僕にいわせれば、これほど、ド正直な、誠実極まるピアノなんてめったにないよ。
 音楽経験がなくとも、人生経験がいくらかでもあれば、モンクのこの異様なバカ正直さは感知可能です。
 それは、もう、ほとんど聴いてるこっちの心が痛くなるほどの域に達してる。

----ストレート・ノー・チェイサー…!

 ええ…、かの有名なモンク曲の題名がおのずから語っているように、モンクの人生上の処方箋っていたってシンプルなんです。
 そのシンプルさを守ろうとして苦闘したさまざまな工夫の跡が、彼の曲の外面上のユニークさなんだ、と僕は思うな。
 傍目からは、和声もリズムも拍子も発想も、ものすご-くヘンチクリンに見えたりもするんだけど、それら諸々のユニークさの原点であるモンクとしては、とりたててユニークな音楽をやろうだなんて野心は、あんまりなかったんじゃないかなあ。
 そう、彼の音楽のユニークさは、あくまで結果なんですよ。
 目立そうと思ってやってるわけじゃない。
 誠実に音楽してて、自分のいいたいことがいえる方法論を模索してたら、いつのまにかいまみたいなスタイルができちゃったってだけの話。
 そのへんがモンク以降のモンクの亜流と決定的にちがうとこ---ここ、重要です。
 うん、売りだしたいがために、つまりは目立ちたいために、ありもしないユニークさをでっちあげてくる、そのへんのモンク亜流派連中の下賤さにくらべ、本家本元であるセロニアス・モンクの素朴なユニークさがいかに純に、いかに輝いてみえることか。
 モンクがモンクたろうとするパワーは、とっても凄い。
 それがソロであっても、バンドプレイであっても、モンクはいつだって120パーセントのモンクス・ミュージックを打ちだしてくれます。
 僕が聴くたびにモンクのピアノに打たれるのは、たぶん、そのへんの事情が関係してるんじゃないか、と思います。



              ×            ×            ×
 
 

 僕、ピアノが好きなんですよ---。
 僕自身は鍵盤楽器はまったくダメで、ほとんどギターオンリーなんですけど(あと、バイオリンとフラット・マンドリン、ウクレレなんかも少々たしなみますが)聴くんだったら、いちばん好きな楽器は誰がなんといったって、これはもうピアノですね。
 うん、ピアノにつきる---プレイヤーの個性を、これほどまでに反映する楽器ってほかにないんじゃないかしら?
 むろん、管楽器には管楽器なりの文脈というものがあって、そのなかに展開されている世界がとっても豊穣なものであるっていうのも分かっちゃいるんです。
 けど、最終的に、僕が回帰する楽器は、圧倒的にピアノなんですよ。
 多忙の日常にふっと時間があいて、ああ、音楽が聴きたいなと何気に思って、ひとりで音楽を聴きだすとき、大抵の場合、いちばん聴く確率が多いのは、どうしてもピアノになっちゃいますねえ、これは。
 で、ピアノフォルテという西洋生まれのこの楽器を誰かが奏する場合、全般的な音楽性だとか聴かせの計算だとか指さばきだとか、それこそいろんな要素が重要視されると思うんだけど、そのなかでいちばん重要で切実な支柱っていうのは、僕はそれ、実はタッチじゃないかと思うんです。
 ええ、素朴そのもののタッチ---。
 タッチって怖いっスよぉ---誤魔化しようがないくらいに正直なんだもん。
 音楽家が自分を大きく見せようといかに大きく背伸びして、巨大極まりない音楽の虚構世界を鍵盤上に繰りひろげようとしても、それを支える基盤である肝心の生のタッチをいったん会場で耳にしたら、その音楽家の片肱の張り加減---こんな大きな音楽構図を自分が支え切れるかどうか、演奏しながら怯え迷ってる心象風景まで刻々と聴こえてきちゃう。

 で、僕は、モンクのピアノの硬質のタッチが好きだってさっきからバカみたいに連呼してるけど、その音楽的背景だけに視線を注がずに、もっと分かりやすい「好き」の原因を見探ってみたら、モンクのタッチって彼の骨の音がするんですよね。
 うん、いいタッチをもってる音の美しいピアニストって、なぜだかみーんな骨のいい音がするんです。
 古武道なんかでもよく「骨で動け」なんていいますけど、モンクのピアノなんかまさにそれ。
 余分な力が抜けきって、肉のなかで骨が動いてる響きがじかに伝わってくるっていうか。
 それは、合気道の塩田剛三さんなんかの神業的演武を見てる感覚に、ちょっと近いかもしれない。
 気持ちいいんですよ---肉って煩悩の宿り木的な部分の多分にある機関ですから、ここから解放された骨の音は、僕等と地上を結びつけている旧弊で頑迷な絆から、一時的に僕等を解放してくれるエネルギーを宿しているように感じます。
 そうして、この種の「骨の音」を響かせてくれるピアニストは、例外なく名手が多いんです。

 生で聴いた代表的な例でいくと---そうですね---ドイツのクラッシック界の旗手、あのフリードヒ・グルダなんかがそうだったな…。
 彼のピアノって、戯れっぽくちょっと鍵盤を撫でただけでも、その濁りのない綺麗な響きが、客席の最奥席までまっすぐ届くんですよ。
 あんまり音が綺麗なんで、僕、大学のときに聴いたんですが、仰天した記憶があります。
 あまりにも優しくて、あまりにも淋しがりの、あの純でナイーヴな響きは、いちど聴いたら絶対に忘れられない。
 僕、それだけでもうグルダ・ミュージックの虜になりましたもん。
 辛口の批評で有名な許光俊氏なんかも、そういえばおなじことをいってましたっけ---でも、グルダの弟子のアルゲリッチあたりは、あの音、継げてませんねえ…。
 一時我が国で神格化されていたマルタ・アルゲリッチ---南米産の彼女は、僕なんかがいまさらいうまでもなく素晴らしいピアニストですが、少なくとも彼女は、1音だけで聴衆を魅了するといったタイプの音楽家じゃない。
 アルゲリッチの真骨頂は、もっと因業な、血生臭いところにあるんじゃないかな?
 マルタって、ほら、基本的に「悲劇女優」じゃないですか。
 対して、モンクやグルダは詩人だもの---この差は結構でかいぞお、と僕なんかは思うなあ。
 


              


 ま、モンクの生音に接した機会は、僕は、残念ながらないんですけど、恐らくモンクの音もグルダの音みたいな響きだったんじゃないのかな、とはなんとなく想像しています。
 そんな益にも薬にもならないどーでもいいことをつらつらと思いながら、深夜、ヘッドホンでモンクを聴くっていうのが、このごろのイーダちゃんのひそかなマイブーム。
 いままで Jazz Musician をブログにあげたことはあまりなかったんですが、気がむき次第、今後もぼつぼつ取りあげていこうかなあって、そんなことをいま思っています。
 こんな阿呆な記事をきっかけに、優れた稀代の独創的ミュージシャンである、セロニアス・モンクに触れてくれるひとがいれば、書き手としてこれ以上の喜びはありません---お休みなさい…。(^.^y☆
  
 

徒然その148☆歌姫の系譜(藤圭子から Billie Holiday まで)☆

2013-09-16 04:08:37 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
                     
                     ----何もなかった、あたしの頂上(てっぺん)には何もなかった……。(藤圭子)


 藤圭子が、死んだ---。
 死に場所は新宿。投身自殺だった、と聴いた瞬間こう思いました。

----ああ、やっぱりな…。

 藤圭子は、特にファンってわけじゃありませんでした。
 なにより、世代がちがいすぎた。
 彼女の全盛期は60年代の終わりごろから70年代の初頭、つまりは万博あたりまででしょ?
 そのころ僕はまだほんの小学生でしたもん。
 テレビでやたら彼女の唄が流れてるのはそりゃあ見てましたし、そのころのトラックの運ちゃんたちが「藤圭子、命!」みたいなステッカー(?)をつけて道路を爆走していたのもよーく覚えちゃいます。
 けど、「怨歌」なんてあまり僕的には馴染めなかったし、恋愛だってかけらもキョーミなかったからね。
 当時の僕が夢中だったのは、「ウルトラセブン」であり、「アポロ計画」であり、「新幹線」やら「キーハンター」なのでありました。
 だから、藤圭子イコール完璧に「路傍のひと」であったのですよ。
 僕の生活圏外に咲く、珍しい遠くの花って感じ。
 でもね、「圭子の夢は夜ひらく」だけは例外だった。
 あれ、はじめてテレビで聴いたとき、僕は、テーブルで漫画書く手を休めて、つい見入っちゃいましたもん。

----赤く咲くのは芥子の花
  白く咲くのは百合の花
  どう咲きゃいいのさこの私
  夢は夜ひらく

  十五、十六、十七と
  あたしの人生暗かった
  過去がどんなに暗くとも
  夢は夜ひらく…

 なんとなく、カウンターにつっぷしている酔っぱらいの愚痴めいた内容ですよね、コレって?
 夢は夜ひらくっていうのは、いいなおせば、夢は夜しかひらけないってこと。
 昼の光から排除された日陰者特有の「お水」っぽい世界観が、そこはかとなく香ってもきます。
 この歌のなかの「あたし」は、夜見る夢のなかじゃないと自己実現できない自分の卑小さを自嘲してるみたいな気味もある。
 自嘲に、愚痴に、いまいった水商売、あと、酒とオトコと香水の匂いなんかもちょっとする。
 そんな酒場の愚痴っぽい歌詞の連鎖を束ねるキーワードとしての「夢は夜ひらく」---どんな文脈もこのコトバで結んで、しかも、この結び目が執拗にくりかえされるから、しまいにはこのフレーズ自体が呪詛みたいな、独特の翳りをもって聴こえてくる仕掛けとでもいうか。 
 けど、肝心なのは、そんな歌詞やからくりうんぬんじゃない、なにより肝心なのは、藤圭子そのひとの声でした。
 藤圭子の肉声!
 骨太で、ゆるぎがなくて、なんともいえないブルージーな翳りに満ちた、圧倒的な声の強靭さ。
 彼女、容姿自体が日本人形みたいに綺麗だったんで、なおさらその声の存在感は際立って聴こえました。

----こいつ、なんてふてぶてしい声で歌うんだ…!

 僕の第一印象は、それ。
 不幸のなかに居直ったような彼女独自の怨念じみたたたずまいは、同時代の石田あゆみや美空ひばりなんかより、はるかに肉感的に、かつリアルに見えました。
 ええ、そのときブラウン管からふいにたちのぼってきた「藤圭子」という現象は、茶の間でだらだらとしていた僕の安逸気分をたちまちのうちにに剥ぎとって、幼年時の僕に、大人社会の残酷なまでの赤裸々な人生裏事情を、これでもかとばかりに強引に突きつけてきたのでありました…。

 あのー ひとことでいって、僕はね、この「圭子の夢は夜ひらく」って本質的には子守唄だと思うんですよ。
 いろんなことで傷ついて、昨夜も今宵も酒に逃げ、カウンターに泣きながらつっぷしている、全国各都道府県の、あらゆる酔っぱらいたちのためのララバイ…。
 心底傷ついたひとには、建前ばかりの明るいポップスなんか通用しない。
 というより、彼等の耳自体が、その手のモンは、もうおのずから本能的に忌避しちゃう。
 彼等が受け入れるのは、彼等自身が自分たち同様「こっちがわ」からの発信だと同意できるものだけ---彼等、敏感ですよ、「あっちがわ」の似非同情、高みからの綺麗事なんててんで相手にしてもらえない---要するに、自分たち同様に傷ついた「同族」の呻き以外はまあ認めてもらえないわけ。
 そのような彼等の夜毎の苦悶をなだめ、なんとか寝かしつけてくれる歌が、藤圭子のこの「圭子の夢は夜ひらく」って歌だったんですね。
 心に傷をもつそんな底辺の無数の人々が、自らの胸中の煮えたぎる苦悶を抑え、一晩の安楽な眠りを得るために、この藤圭子というシンガーの声を必要とした。
 そうした構造が、この時代の「藤圭子」という現象を支えていたんじゃないか、と僕は思います。

 さて---では、そんな底辺大衆の夢に支えられた藤圭子というのは、どんな女だったのか?

 シンガーとしていうなら、これは、もう超一流というよりないですね。
 あの異様な説得力は、誰が聴いてもすぐわかる。
 僕みたいな三文楽師(イーダちゃんはギタリストでもあります。詳しくは、youtube iidatyann で御覧あれ!)なんかじゃ、まず演奏するとき、だいたい音を置きにいっちゃうんですね。楽譜に「あわせて」、あるいは、理想とする音楽の姿かたちにあわせて、ひとつひとつの音を置きにいっちゃう。
 これ、音楽におけるいちばん陥りやすい「熟練」って罠なんですけど、これやっちゃうとダメなんです。
 自分とその理想とのあいだにどうしても紙一枚のギャップが生まれ、そこから疑惑の隙間風がぴゅーって吹きこんでくる。
 そして、それが、根本的な説得力の欠如って結果に結びつくわけ。
 ほんとにいい歌手は---天性の音楽家は---そんなことまちがってもやりません。
 藤圭子クラスの生まれながらのシンガー---注:ピアニストならホロヴィッツやコルトーみたいな面子をここで思いうかべてください---は、理想の音楽形なんて見ちゃいない---彼等がそのとき見てるのは、自分の裸の心ひとつきりなんです。
 計算なんかしちゃいない。
 そりゃあ人間だから、歌うまえはある程度の計算くらいならあるのかもしれないけど、いざ歌いはじめるとそんな俗世の損得勘定は、綺麗さっぱり見事なまでに飛んじゃうんですよ、彼等・天才族って。
 一般人の歌とは位相がちがう。
 売りあげのために、名声のために、金のために歌うんじゃない。
 じゃあ、自分のために?
 そうかもしれない、でも、たぶんそれだけじゃない。
 僕は、超一流の表現者っていうのは、基本的に「巫女」なんだと思ってる。例外なくね。
 損得じゃないんです---チヤホヤされたいがためにやってるんじゃ全然ない---彼等・彼女等は、歌いはじめると、そのような俗世の自分のキャラが全部消失するの。
 そういった人格が去ったあと、彼等のなかに現れるのは、どことも知れぬ異界との通路です。
 彼等は瞬時のうちに、そこからの伝播のための純粋な楽器と化し、憑かれたような口調で、おのおのの眼で見てきたものについて粛々と語りはじめるんです…。

----それは、何? 背後から差しこんでくるそれの名って…? 

 僕はね、「業(ごう)」だと思う。
 藤圭子は、声帯やテクニックや名誉欲で歌ってたんじゃない、彼女の背後にいる「業」が、理性が留守になった彼女のうつろな身体を凛と鳴らして、彼女の代わりに朗々と歌っていたんだって。
 うん、僕等は、彼女の歌声越しに、彼女の運命の無常のパノラマもひょっとして一緒に聴かされていたのかもしれない。
 ひとことでいって、一般レベルの人間じゃないのよ。
 いうならば、かの卑弥呼から綿々と継承されてきた巫女の降臨劇とでもいうか。
 彼女らは、能のワキなんです---自分を捨てて、霊を呼び覚ますわけ。
 で、降臨した霊の背後から、ごうごうと業の風が吹いてくる。
 それが、そのまま彼女の歌になる。
 だから、あんな凄味があったの。
 だから、あれほど異様な説得力でもって、聴いてる僕等の胸をぎゅっと締めつけてきたの。
 でも、これは藤圭子限定の話じゃない、ていうか、歴史に残るほどのいい歌手、歌姫ってみんなそうなんじゃないのかな? 
 たとえば、あの Billie Holiday…。
 それから、伝説のブラジルの歌姫、歌の精みたいだったエリス・レジーナ…。
 彼女らは、みーんな、人間業以上の凄味で歌うことを許された、ある種スペシャルランクな巫女巫女星人でした。
 彼女らをくくる共通頁は、「不幸」と「孤独」と「夭折」---。
 藤圭子は、飛び降り自殺。
 エリス・レジーナは、ある朝、突然ベッドで冷たくなってた。
 ビリー・ホリデイは、加度の麻薬と飲酒による衰弱死。
 まるで役目がすんだら中の命をすっと抜いて捨てられちゃう定めの、玩具の自動人形のような彼女らの死にざまに、イーダちゃんは言葉を失います。

 お。参考までに彼女らのフォトもちょっちあげておきませうか---左からビリー、右がエリス・レジーナです。


       

 エリス・リジーナ(右)は、わりと若いころの元気な写真だけど、ビリーのこれ、なんか老婆みたいでしょ?
 彼女、この写真時、まだ45よ!
 なのに、この抜け殻みたいな衰弱ぶり---てゆーか、死相がもう完璧顔面全体に兆してる。
 そうして、彼女、明らかに自分のそうした運命、悟ってはりますよね?
 でも、自身の最後の一滴まで絞りとろうと、なお生命を絞りつくして歌ってるのよ、スゴイ……。

 ここで僕が例によって川端康成をもちだしてきても、あながち牽強付会にはならんと思うのですが。
 川端さんは、いまさらここで僕なんかが解説する要もないくらい有名な、ノーベル文学賞の受賞後、栄華のさなかで謎の自殺をとげた、日本屈指の大文豪です。
 彼を紹介する場合、「雪国」やら「片腕」なんかの名作を通って川端文学への諸端とするのがオーソドックスな道のりなんでせうが、僕は、それ、案外遠回りなんじゃないか、と常々思ってる。
 彼を紹介するなら、まず、顔ですよ。
 論より証拠---まあ、覚悟決めて、この川端顔面を御覧になってください。

      

 どうっス? 「うげっ」て思ったっしょ?
 それくらいこれは放送禁止級の、ヤバ~イお顔です。
 安手のスプラッターを数ダースならべたよりはるかに怖いこのお顔…。
 個人の「業」がそのまま顔面になりかわったみたいなこんな強烈顔は、僕は、このひと以外に知りません。
 このお顔のなかに封じこまれた絶望の総量は、僕は、もう無常観なんてコトバすら越えちゃってるようにも感じます。
 あの「眠れる美女」や「散りぬるを」なんかの投げっぱなしの絶望傑作群を生んだのは、こういう顔だったのですよ。
 特に川端さんを表象してるふたつの絶望マナコにご注目あれ---これは、人相学的には「アレクサンドロスの瞳」と呼称されているタイプの瞳であって、この瞳をもったひとは、かつてこの瞳を所有した世界史の有名人・かのアレクサンダー大王のような、不幸で孤独な最後を遂げる、といわれています。
 (このヘンの情報に関してもそっと詳しく知りたい方は、僕のまえのブログ記事、 西洋占星術への誘い ☆徒然その13☆フランツ・カフカとお月さま  を参照されたし)
 川端さんは作家であり、さきほどから僕が話している藤圭子やビリー・ホリデイとは他業種の方なんですが、そうした表面的な区分けから離れて、もっと本質的な面から眺めるなら、僕は、この方、藤圭子と同種の、いわゆる「巫女系」の藝術家だったんじゃないか、と思っているんです。
 ええ、川端さんと藤圭子は、よく似てる。
 この世の栄華を極め、お金も名声も腐るほどあるのに、ちっとも幸せそうに見えず、いつも孤独で、淋しげな目をしてこの世の荒野を漠々とさすらい、最後には絶望と乾きの因果に絡みとられ、自らの生命を絶ってしまう…。

 川端さんは、晩年、しきりに藤圭子に会いたい、とおっしゃっていたそうです。
 週刊誌の記事でそれを読んで、ああ、そうだったんだろうな、と納得しました。
 川端さんは、藤圭子の歌声に、まちがいなく同種のにほいを嗅ぎつけていたんですよ。
 いわれてみれば、僕が冒頭に挙げた藤圭子のフォトの瞳にも、川端さんの瞳ほどの濃さではないにせよ、それとまったく同種の「翳り」が秘められているのを見ることできるように感じます。
 
----ああ、そうか…。藤圭子もあの「アレクサンドロスの瞳」の持ち主だったのか。じゃあ、あんな死にかたをするのも仕方なかったのかもしれないな…。

 荒野---藤圭子やビリー・ホリデイの瞳は、この世を寄る辺ない荒野として見ていたんですね、きっと。
 信じられるモノなんてなにもない、生きることへの根拠も、動機も、愛着も、なんにもない、でも、仕方ない、こうして産まれてきちまった以上は、なんとかやりくりして死ぬまで生きていくことにするか。
 しかし、虚しいなあ、この世って。
 淋しいなあ、背骨のあたりが今日もすうすう寒いなあ。
 死ぬまで生きていきたいけど、最後までこの道を歩きつづける自信は正直ないんだよなあ…。

 彼等、「巫女族」の作りだす藝術は、非常に特異です。
 でも、なんだろう、あの異様な説得力は? 
 藤圭子の絶唱も、ビリー・ホリデイの「Don't Explain」も、なんともいえない迫真力で、いつも僕を打ちのめします。
 彼等の藝術にはてんで「救い」がない、けれども、生と死の狭間で唄われた彼等の「白鳥の歌」のなんという美しさ!
 この美しさばかりは、どうにも否定のしようがないですね。
 どんなに建設的な藝術も、彼等「巫女族」の無常の声にあてられたら、瞬時にその輝きを掠めとられてしまう。
 なぜ?
 僕は、絶望自体を美しいとは、まったく思ってはおりません。
 絶望なんて単なる物理現象で、美醜を論じること自体ナンセンスだと思ってる。
 しかし、絶望を歌いきる彼等「巫女族」の歌声と表情は、たとえようもなく美しい…。

 そう、肝心なのは、ニンゲンのその心性なんです---ニンゲンの心自体がそう作られてるっていうか---「善」よりは「悪」のほうが、そして、「愛」よりも「絶望」のほうが、どういうわけか舞台映えするんです。

 僕の心も、もちろんそっち仕様で作られています。
 闇、罪、醜聞、自殺---そういったスキャンダラスには、人並み以上に惹きつけられちゃう口でして。
 でもね、僕が藤圭子族の芸術家にやたら惹きつけられるのは、彼等が単に絶望してたからじゃなく、その絶望のなかでなんとかもっとマシに生きたいと希求してたからじゃないか、と思うんですよ。
 彼等は、あがきにあがいた---最後がたまたま自死に終わったにしても、あがきつづけたのは厳正な事実。
 そこに彼等のニンゲンとしての、誠実かつ赤裸々なドラマがあったわけ。
 大事なのは、あくまでそっちがわ。
 暗闇のなかであがきつづけた、彼等の生の苦闘の記録そのものです。
 絶望のなかでその種のドラマがよりくっきりと見えやすくなるからといって、絶望や死自体に、ニンゲンの心を惹きつける特別な魔力がある、なんて必要以上に美化したり買いかぶったりするのはまちがいだと思うな。
 絶望、自死---そんなのはただの現象であり舞台背景であって、なんでもない。
 そこに至る道のとちゅうで、どれだけそのひとが真剣に苦闘したか、思いきり悪あがきしてみせたか---僕が知りたいのは、ただその一点です。
 藤圭子の歌は---最後には負けちゃったかもしれないけど、そういったニンゲンの暗黒面への落下に対するプロテストでありブルーズであった、と僕は考えます。
 ビリー・ホリデイにしても同様---境遇と運命に対し、彼女は彼女なりに懸命に抗ったのです。
 川端さんにしてもことはおなじ。あれだけ聡明なひとが、絶望や死自体を美化するなんて風の安手のトリックに騙されるはずがない。
 彼等はたまたま有名な藝術家だったから、彼等自身の生の苦闘が、僕等の見えやすい位置にあったわけであって。
 また、彼等の場合、「アレクサンドロスの瞳」に表象される、特異な業と運命的歪みといったものがあったから、一般の市井のニンゲンとくらべて、苦闘のドラマがよりドラマチックなものになり、その見栄えのよさゆえ一層喧伝されることなった、といったようなこともいえそうです。

 けどね、市井の無名の庶民のなかにだって、ひとの数の分だけ、人生の苦闘のドラマは当然あるんです。
 つまり、僕等はひとりびとり、みーんなブルースマンなんですよ。
 イエス、僕等はみんなブルーズマン!
 日常の生活で、僕等は、みーんなある種のプロテストソングを歌っているの---楽器と喉を使わない、もっと別種の歌いかたでもって。
 僕は、苦闘からの解脱、みたいな新興宗教めいた方向性には一向に惹かれるものを感じません。
 というより、癒しも安逸も平和も、この血みどろの苦闘のなかにしかない、と思ってる。
 ですから、闘いませう、苦闘しませう、皆さん! 
 その抗いの血脈こそが、ニンゲンの生活であり、詩であり、歌なんだ、とイーダちゃんはこのごろ漠然と思いはじめているのでいるのでおじゃります…。

 なんか、だんだん、手前勝手な青臭い哲学もどきになってきちゃったんで、野暮に陥るまえに、ここらで筆を置きたい、と思います。
 藤圭子の弔いのつもりで編んだこんなわがままいっぱいのいい気な記事が、藤圭子一歩手前の誰かさんの目にとまり、なんらかの心の触媒にでもなってくれれば幸甚です---。<(_ _)>


 

 
 
 

徒然その124☆聖(セント)・エルモア・ジェームス・タイム☆

2012-11-25 10:39:18 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
                         
                    ----俺にとってブルースっていうのはエルモア・ジェイムスであり、
                    ハウリン・ウルフであり、マディ・ウォーターズやロバート・ジョンソン
                    のことなんだ…。(ジミ・ヘンドリックス)



 エルモア・ジェイムス---ブルーズの巨人です。
 怒涛のボトルネックの3連リフと、灼熱のテンションとで闇雲に疾走する、根っからの、生粋のブルーズマン。
 僕は、彼の名を思いだしただけで、いつもこう、胸底あたりがカーッと熱くなってくるんです。
 でもね、それは僕だけじゃない、ブルーズ好きなひとなら、きっと誰もがそうなると思う。
 それっくらい特別でリアルなブルーズマン、エルモア・ジェームズなんですけど、ことブルーズ以外の畑じゃ意外と知名度はないかもしれません。
 けど、彼をリスペクトしてるひとは、そーとー多いはず---有名どころでは Beatles のアルバム「Let It Be」の For You Blue のなかで、ジョージ・ハリソンがジョンのスライドギターにふざけて「エルモア・ジェイムス!」と掛け声をかけているのを聴くことができるし、エリック・クラプトンが彼のことをフェバリット・ギタリストのひとりに挙げているのも周知の事実、あと、冒頭のセリフでも分かるように、あの天下のジミヘンも彼の熱烈なファンでありました。
 ここ、ニッポンでは、そうですね、天才漫画家のあの山本直樹さんなんかが彼のファンで有名ですね。


                          
                        ----山本直樹「Sho Nuff I Do(太田出版:1992)」より


 実際、彼のミュージックほどインパクトの強いものってそうないですから。
 いちど耳にしたら決して忘れられないチャーリー・パーカーの刃物のごとく尖りまくったアルトサックスの調べのように、エルモア・ジェイムスのボトルネック・ギターと半端なく熱い声も一端聴いちゃったら、たぶん、もとの安全なマンネリ世界への回帰は不可能なんじゃないのかな。
 それっくらい彼の世界って、聴き手を引きこんじゃうところがあるんです。
 むろん、エルモアの世界は、あの天才バードのそれとはぜんぜんちがったものです。
 EJの世界は、ウルトラ天才であるバードのそれほど完成しちゃいない---むしろルーズで、野暮ったくて、破れ目だらけの掘っ立て小屋って感じかな。
 その薄ら寒い、オンボロの掘っ立て小屋のなかで、なんか、荒くれ職人たちが、自分らにしか分からない内輪の言葉で吠えあいながら、熱い鉄をガンガンと打ってるんですよ。
 小屋自体はこの上もなくボロなんですけど、内部の気温はほとんど灼熱---過剰なまでに熱いんですわ、これが。
 曲の余白での何気な喋りでさえ濃ゆいブルーズになっちゃうような、ちょっとフツーじゃない、ヘヴィー極まるブラック親父。
 イーダちゃんのエルモア観っていったら、だいたいそんなイメージですかねえ…。
 とにかく、想像以上にアチチの男なんですよ、彼、エルモア・ジェームスっていうのは。
 ブラックミュージックのヤバめのエキスを集めてきて---これは、JBとかギタースリムなんていう有名どころも含みます。ちなみにJB(Yes、ファンクの帝王と呼ばれたあのJBのことですよ)は、奥さんと夫婦喧嘩のあげく怒りのあまり発砲、駆けつけた警官隊とカーチェィスしつつ逃走し、最終的には、包囲したその警官隊と銃撃戦を繰り広げたこともあるほどの男です---それほどの特濃エキスをぐつぐつと闇鍋で煮つめ、三日三晩たったらよーやく聖(セント)・エルモア・ジェームスの出来上がりってくらいのレベルでせうか。
 誇張じゃなく、それくらい熱いのよ---情念もカルマも血液濃度も、なにもかもが限度をこえて濃ゆい奴。 
 これじゃあ、生きていくのもさぞ難儀だったろうなあ、なんて同情がてら思っちゃう。 
 もっとも、エルモア本人が僕のこんな安っちい同情めいたセリフを耳になんかしたら、それこそ怒り狂って蹴り殺されちゃうかもしれないけど(笑)
 まあ、あまり個人的印象ばかりが先走ってしまってもなんですので、ここらでそろそろ彼の実像の紹介といきませうか---。


                         


         <エルモア・ジェイムズ>
     ◆1918年1月27日ミシシップ州リッチランド生まれ。水瓶座。月は獅子。
     ◆30~40年代にかけて、あのロバート・ジョンソンやサニーボーイ・ウイリアムソンと南部で活動する。
      (これはサニーボーイの二世。ロバジョンが毒殺されたとき、看取ったのも彼)
     ◆戦後、心臓をわるくし、ジャクスンで手術。
     ◆以降もモダンやファイアに録音し、意欲的に活動をつづけるも、持病の心臓が仇になり47才で死去。

 あの伝説の天才ロバート・ジョンソンといっしょに南部を演奏していたって事実だけでも凄いのに、さらに彼、ブルーズ界きっての個性派である、あのさすらいのハープマン・サニーボーイともいっしょにやっていたというんですから---このキャリアだけでもエルモアが通常人の枠をこえた、一種の凄玉野郎だという事実が了承されるかと思います。
 うん、エルモアのあのボトルネック奏法ってのは、どうやらあのロバジョンから直接教わったテクみたいなんですよ。
 そう、あくまで伝聞なんですけど、あのロバジョン、毒殺される以前の後期には、エレクトリック・ギターにスライドを混ぜる、のちのエルモアみたいなスタイルで演ってたっていうんですから。
 こりゃあ、なんにしても聴いてみたかったですよねえ…(ト呻く)。
 まあ、しかし、この際そっちの話はいいや。
 いままでの情報を整理してみると、ブルーズ界のボトルネック奏法というテクニックにおいて、ここに、

    <サンハウス→ ロバート・ジョンソン→ エルモア・ジェームス>
 
 という秘伝継承の、超・希少な絵図が画けるってことになるんですよ---なにより肝心なのは、この点でせう。
 なんか、震えてきません? 僕は、結構この相伝図には震えるんだけど。
 あれ、貴方は震えがこない? うーん、おっかしいなあ…(^.^;>

 おっ。ちなみに、エルモアの特徴的なギター奏法であるボトルネックについての一口解説ね---知ってるひとには余計なおせっかいだろうけど、Classic 畑のひとなんかだと、そもそもボトルネックの存在自体も知らないかもしれないので念のため。
 あのね、ボトルネックっていうのは、南部の黒人奴隷がはじめた、ギターの奏法なの。
 ウイスキーの空瓶を割って、そこの飲み口の部分だけ取りあげて左手くすり指あたりにはめるわけ。
 で、それを、ギターの金属弦にあてて、それでこするようにして音楽を演奏するんですよ。
 印象としては、ハワイアンのスライドギターがいちばん近いかも。
 ただ、あれほど清潔な音調じゃないっスね---ボトルネックの場合、もっと音楽はノイジーに、不安定な色調を帯びてきます。そのぶん、音楽的なパワーは増大するんだけど、それをコントロールして音楽としてちゃんと聴かせようとしたら、これ、結構な「技」が要るんですって。
 そして、ボトルネックの利点としては、西洋の平均律埒外の音が出せるってとこ。
 ほとんど音楽という認識を超えた、ジャッカルの吠え声みたいな音だって熟練すれば案外出せる。
 つまるところ、ボトルネックっていうのは、非常に肉声に近い、色彩的な音楽がやれるテクなんですね、あえていってみるならば。
 ガラス表面をギター弦に触れさすだけで音はもう鳴るから、ギターのフレットは基本、関係ない、強い「指押さえ」もいらない、半音の半音のそのまた半音なんて微妙な音程だって、難なく出せる。
 平均律に絡みとられた西洋音楽の清潔さにあきたらなかった黒人奴隷たちの先祖伝来の血が、こういったノイジーな、ある意味アフリカン的な、この種の「演奏法」をおのずから生み落としちゃったんでせうね。
 いちおうおなじギターという楽器を使っているから、ボトルネックというのもギター演奏の一変奏みたいな範疇に位置づけられているけど、もしかするとそれは、ギターという楽器の限界も飛びこえた、ほとんど新しい楽器の「創造」といってもいいくらいの出来事だったのかもしれません…。


           


    It Hurts Me Too (Elmore James)

      お前は苦しんでるっていう
      えっ、気が変になりそうなんだって?
      お前が好きになる男は いつもお前を苦しめる
      そうじゃないかい、ええ?
      物事がお前にとって
      うまくいってないなら
      俺も苦しいよ…

 上の歌詞、エルモアの有名な持ち歌のひとつなんですけど---まあ歌詞だけ見るなら、ありきたりなブルーズだなあって感じかもしんない---ところが、これがエルモアのあのダミ声で真摯に歌われるとねえ、これがもう俄然「他人事」じゃなくなってきちゃうんだなあ。 
 胸がなぜだかヒリヒリしてくるの。
 あれっ、こんなはずじゃなかったんだけどな…。
 胸のなかになにやら懐かしい苦みが兆しはじめ、そして、遠い過去の引き出しから、忘れたはずの苦痛の記憶が、きりきりと這いずりながら舞いもどってくるんです。

 エルモアがボトルネックをギターの弦にギギギギギーッとこすりつける。
 すると、それにあわせてこっちの気持ちもギギギギギーッとよじれるの。
 ああ、よしてくれよ、なんだか、心が、チョー痛いんだ。
 いままでなんともなかったあたりまえの青空が、まぶたにじんじん染みてきて---
 そして、胸中には、ロッキングチェアにもたれながらエルモアがいつも見ていたにちがいない、アメリカ南部の、茫漠たる、広大な砂漠の風景が延々とひらけてくるわけ…。
 
 エルモア・ジェイムズを聴いていると、僕は、いつでもそんな心境になるんです。
 世界はあまりにも広すぎて、けれど、それと相反するニンゲンはあまりもちっぽけな存在すぎて、愛も恋愛も、折りからの風にちょちょっと吹き散らされてしまう、塵やほこりのような哀れな存在でしかない。
 なんて淋しいんだろう、この世っていうのは。
 なにもかもが滅びを内包していて、その定めにしたがってほつれて、ばらけていく。
 フィリップ・K・ディックがよくいっていた、あの「エントロピーの増大」というやつですか。
 どこを見ても淋しくて、誰にもたれかかっても胸中のむなしさは誤魔化せない、愛も平和もせいぜいガラス細工の華奢な壊れ物でしかなくて、落ちていく支えにはならない、たしかなのは、ただ、この癒しがたい、茫漠たる虚無だけなんじゃないかって…。
 けれども、エルモアの見せてくれるこの「原風景」に、僕は、なんというかとても懐かしいものを感じるんですね。 
 懐かしくて、同時に、なにか非常にリアルなものを---。

----世界の実相って、ひょっとしてこんな風景なのかもな…、と、なんとなく思います。

 ただ、エルモアが偉かったのは、世界の実相というものに対して鼻は非常に効いたくせに、そういったカルマの流れに合意して、坊主みたいに悟りすまして素直に「堕ちてゆく」というアクションを一切しなかった点ですね。
 そう、エルモアはとっても諦めがわるかった。
 運命に対して徹底的に抗い、プロテストの雄叫びを常にあげていたんです。
 勇気があったからそうしたというんじゃありません、エルモアはどっちかというと臆病でした---そんなのは歌声を聴けば誰でも分かる---にもかかわらず、彼は、あがいたってどうにもなりっこない怪物「現状」というものに、爪をたて、あくまでも抗いつづけた。
 それは、雄々しくて見栄えのいいプロテストではありませんでした。
 それどころか、それは、その意地っぱりアクションのすぐ背後に、泣きべそ坊主のエルモア本人が縮こまっているのが透かし見えるような、みじめさと紙一重の、精一杯、ぎりぎりの反乱でした。
 信念始発のプロテストではなく、実のところは、エルモア個人の感性と生命力による反乱といってもいいものだったんです。
 カンの強い子供が深夜に泣き喚くように、エルモアはどうしようもない「現実」に対してブルーズしたわけです、いいや、そうせざるをえなかったといったほうがいいのかな?
 現実の不遇に対してシャウトするのは、ジャッカルが月に向かって吠え声をあげるのとおなじ、あれは、エルモア個人に深く根ざした「発情」の一形式だったのです。
 ええ、エルモアのブルーズの根本は、僕は、彼個人の発情だと思う。
 世界があんまり冷淡ですげないから---叫ぶんです。
 女が不実で浮気の兆候が見えてるから---叫ぶんです。
 差別されて差別されて、やっと就いた職場でも不当なイジメをまたしても受けるから---叫ぶんです。

----畜生、俺は、今、ここにいるぞ。おまえはどこにいて、何してる…?

 そのシャウトには裏がない、叫ぶことによって威嚇しようだとか、そのような功利計算もない。
 夜の果てに仲間を求めて叫ぶジャッカルの遠い吠え声のように無心でいて、純粋です。
 だから、とても美しい…。
 その吠え声に素朴なバンドのバックがついたスペシャルな録音をいくつか、ここで紹介しておきませうか。同好の士の誰かがネットに挙げているはずだから、きっと聴けると思うよ。

     I Belive Dust My Broom (Universal Studio,Chicago,April 1953)
     Hannd In Hand (Canton,Mississippi,January 1952)
     Happy Home (Modern Studio,Culver City,California,August 1954)

 エルモアがいかにも痛そうな涙目になってシャウトするとき、それを聴いている僕もその悲痛な歌声に釣られて、エルモアとおんなじやや涙目にいつしかなってきます。
 そして、その刹那の表情、その瞬間の瞳からしか覗けない世界っていうのが、きっとあると思うんですよ。
 特に僕の場合、エルモアの歌を聴いていると、ほかのシンガーのときとちがって、その「向こう側の風景」が透かし見える割合がとっても高いんですね。
 ヒリヒリする彼のシャウトに導かれて、あの「彼岸」が透かし見えたときは、これは、ちょっとたまらないものがある。
 いったんこの感覚を味わっちゃうと、ほかのシンガーじゃもうてんで代用がきかなくなっちゃう。
 ですから僕は、もう生涯エルモア・ジェームズからは離れられないんですよ。
 もう決定、そうした身体になっちゃった。(笑)
 でも、この件に関しちゃ、むろん後悔なんてかけらもしちゃいない、ブルージー・スライド大好き・街路樹の枯葉が舞うのに見とれつつ歩む、秋口のとぼとぼイーダちゃんなのでありましたっ---。(^.^;>