イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その92☆聖性、もしくは聖者(セイント)について☆

2011-12-29 12:45:41 | ☆むーチャンネル☆
                  


 上のフォトをまずは御覧になってください---これ、なんだと思います?
 アンコールワットかどっかの遺跡? アフリカの辺境国の未開部族のお城? なんて意見が、まあ、いちばんかえってきやすいポピュラーな反応なんでせうけど、これ、そんなんじゃないんです。
 これは通称「シュヴァルの理想宮」といって、19世紀後半にフランスのオートリーヴという小さな町に住んでいた、フェルディナン・シュヴァルという一郵便配達夫が、日々の仕事のあいまに、なんの報酬も見返りもなしに、給料のほとんどをまかなって買い求めた膨大なコンクリートでもって、34年かけて独力で作りあげた、驚嘆すべき「夢の宮殿」なんです。
 そう、これの作者は、ぜんぜん芸術家じゃなかったんです。
 一介の郵便配達夫---ええ、43才のとき、仕事帰りにふしぎな形をした小さな石に躓いたシュヴァルは、その石を使って宮殿を作ろうとふいに思い立ちます。

----自然がこんな彫刻を恵んでくれたのだから、自分は建築家になろう。それに誰だって、いくらかは石工なんじゃないだろうか?

 といったような啓示ひとつっきりで、彼は、34年がかりの、まったく独学の宮殿作りをおっぱじめるのです。
 村中から狂人扱いされ、教会から非難されても、彼は己が宮殿作りをやめません。
 おっとろしい男です---そうして、最終的に彼は、自分の意識の暗い底に建っていた壮麗な建築物を、この世に構築することにとうとう成功したってわけ。
 この建築のとことんな凄さを、別角度からもどうぞ見てやってください---。


                                                                    
          


 正直、なんじゃ、こら? の世界ですよね。
 無意識世界のカオスと前世の記憶とのふしぎな混合。
 幻想と怪奇、グロテスクと絶美とがまぜこぜになった、この痙攣するようなアラベスク。
 禍々しさと聖性との野蛮な結合が、これほどまでに奔放に見られる見せ物って、ちょっとないのではないのでせうか。

----うん、君は覚えてないかもしれないが、実は我々は、この世に生まれるまえの霊界では、みんな、この城に住んでいたんだよ…。

 と誰かから権威者風にいわれれば、思わず「へえ…」と頷いて納得しかねないほどの、強力な説得力と存在感も、この城はともにもちあわせている気がします。
 ええ、最近じゃ、こちらオートリーヴ観光の目玉にまでなっているのだとか---ここを訪れる日本人観光客の数は特に多くて、現地には日本語での案内板まででているという話も聴きました。
 すっごい人気じゃないですか。でも、考えてみればさもありなん、この「シュヴァルの理想宮」、まじりっけなしに凄いんですもの。
 天才の仕事であり、天才の業だとつくづく思います。
 まったく欲がなく、私心もなく、名誉心もなく、自分がなんのためにこのような「仕事」をしているかも皆目分からない。しかし、やむにやまれぬ衝動から、彼のこの「仕事」は延々と地道につづけられ、ある日気づいてみたら、自分の「仕事」の跡が、途轍もない作品として結実してるのを見つけてびっくりする---なんだか、未踏ルートでのチョモランマ初登頂を果たしたばかりの孤独なアルピニストといった風情ですけど、うん、天才っていうのは、たしかにこういったモノですよ…。


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 しかし、今回僕が語りたく思っているのは、ありきたりの「天才論」じゃなくて、その彼を彼たらしめていた一本の芯---シュヴァルをシュヴァルとして成り立たせていた、彼の生命の中心線であるところの---ふしぎな力、「聖性」について---なんですよ。
 彼を誰よりも彼たらしめていた、その最たる原動力---彼のなかのモーターを休みなく回転させていたその「力」の謎について---しばしウンチクを傾けてみたいと、まあ思っているわけなんです。
 あらたまってこう「聖性」なんていうと、いささか堅苦しく、やや構えたりもしてしまうかもとは思うんですが、僕的には、この力のことは「聖性」と呼ぶよりほかないんです。
 イエス、ほかの呼び名はありません---あくまでも「聖性」です…。
 ただ、フツーこの言葉を聴いたときに、誰の耳にも響いてくるような心地いい「ほんのり宗教臭」は、この言葉にはまったく香らせたくないの。
 ええ、マザー・テレサのような柔和な笑顔のイメージも、ウィーン少年合唱団の天上のハーモニーも、どっちのサブリミナル効果もきっちしキャンセルです。
 イーダちゃんは、個人的に、この言葉は非常に恐ろしいコトバだと思ってるんですわ。
 ええ、「エロ」よりも「グロ」よりも、このコトバは怖いものだ、という自覚がずーっとまえから背筋近辺にゾゾゾとありました。
 なぜなら、もしホンモノの「聖性」というものが、この世に存在するとしたら、それは、あれゆる地上の論理とことごとく対立するはずのものだからです。
 この地上を地上としてたらしめている論理は、いうまでもなく個々の「エゴイズム」じゃないですか。
 自分より弱い動物を殺してその肉を喰らい、自分より弱い同族の財産をかすめとり、自分と自分の一族郎党だけがどこまでも肥え太っていきたいという、非常に生臭い動物的な生存本能ばかりが跋扈する、弱肉強食のほの暗いデーモン世界---それが、僕等がいままさに籍を置いているこの世界の、正しいデッサンなんじゃないのかな。
 キーワードは、「色」と「欲」と「金」との三位一体であって。
 ひとことでいって、まあロクな場所じゃないと斬り捨てちゃっていいかもしれないんだけど。
 ただ、いちおうは自分を産んでくれた母的世界なわけだし、アタマ始発の綺麗事みたいな理想論だけで斬り捨てるのもじゃっかんためらわれるんですよ。
 けれど、毎日報道される戦争とか利権や汚職の話なんて聴いていると、やっぱり無条件に賛美する気にはとってもなれないわけでして---自分を産んでくれた世界に対しての印象が、否定と肯定との中間地点の崖っぷちでよろめき軋むそんな夜---いつもイーダちゃんがすがりつきたくなるのが、さっきもいったこの「聖性」って観念なんですよ。

 僕がこの「聖性」の香りを最初に嗅ぎつけたのは、青年期のゴッホの以下の逸話です---。
 オランダのあの狂熱の画家フィンセント・ファン・ゴッホは、画家になる以前、実は、牧師になることを志していた時期があったんですね。
 1977年の1月から4月、ドルトレヒトの本屋に勤めたけど、まったく身が入らずクビになり、大学で神学を学ぼうと家庭教師についてギリシャ語、ラテン語を学んだものの、これもダメ。
 78年の8月、ブリュッセルの伝道師学校に入り、3か月教育を受けるものの、これも挫折。
 ゴッホってね、なにをやってもうまくいかない気の毒なひとだったんですよ---で、同年の12月、満を持してベルギーのボリナージュ炭鉱に赴き、悲惨な生活を送る炭鉱夫のあいだで献身的な伝道活動を行うんですね。
 でもね---ゴッホの献身的な活動って、なんていうか限度がないんです。
 彼は、炭鉱夫の誰かが服がないといえば自分の服を脱いであげちゃうし、炭鉱夫の別の誰かが家の屋根が雨漏りでひどいんだ、といわれれば、じゃあ、この小屋を使いなさい、と自分の伝道小屋をあっさり明け渡し、自分はむしろを巻いて冷たい路上で寝たりするんです。
 炭鉱夫たちはそんなゴッホのなかに「聖者」の面影を見ましたが、常識を重んじる伝道師委員会が、こんな異常者に資格の更新を認めるはずがありません。
 当然でせう、この決定は。
 いま僕はとある介護施設で働いてますけど、介護士志望の新人から自分は老人のために役立ちたいんだ、給料はいらない、寝場所だって必要ない、地面で野宿して出勤してくるから雇ってくれ、といわれたら、そりゃあ引きますもん。
 女性の介護士さんもみんな気味わるがるだろうな。
 さらに彼がそのようなことをいいつづけていたら、場合によっては、警察に通報みたいな事態にもなりかねないでせうねえ。
 ゴッホには限度がなく、「ほどほど」という匙加減がなく、まわりとうまくやろうという気遣いも、分別もありませんでした。
 行くとなったら、ひたすら前進あるのみ---あの花形さんやホロヴィッツにちょっとばかり似てるかもしれない---ええ、濃ゆいアウトサイダー特有の香りがツンとしてくるの、ひとことでいうならキ○ガイですかね?---もそっとまろやかな表現を用いるなら、ものすごーく迷惑千万な、超・アブナイ独身男ってあたりですか。
 でもね、どちらのサイドに本物の「聖性」の光が差しているのか、あえてセレクトさせてもらえるなら---より多くの「聖性」がひそんでいるのは、やっぱりゴッホのサイドじゃないかな---とイーダちゃんは感じるんです。


                    


 うむ、「聖性」っていうのは、まさにそのようなパワーだと思います。
 世間とうまくやっていこうとか、ほどほどのところで受けを狙いつつ「実利的利得」をゆるゆると吸収していこうとか---そういったある意味世知辛い「常識的見解」からいちばん遠い場所にあるコトバのひとつなのではないでせうか。
 ええ、とても素朴でいて同時にどっか凶暴な、とてもおっかない言葉ですよ、これは。
 だって、自制とか「ほどほど」とか塵ほども配慮しないんだもん。

----生か死か。正しいか間違いか。真実か嘘か。

 彼のなかの秤は、恐ろしく単純なんですよ。
 中間地点の小狡いダークゾーンなんててんでない、本質的に過激派なんです、彼は。
 この言葉をいちばん体現していた典型的人物として考えられる、あのイエス・キリストにしてもそうでした。
 彼のなかに巣食う「聖性」は、結局、彼の生命を守りつづけるためにはまったく機能しませんでした。
 自分の生命ですら、この厳正な秤に掛けて冷酷に計量してしまうなんて、なんという見栄坊なダンディズムなんだろう!
 凄いと思いますね---言葉そのままの意味で純粋に痺れます。
 宗教的な意味じゃなく、神学上の定義もすべて取っぱらったうえで、塵芥から生じた一介のニンゲンとしての器量のすべてをこめて、イーダちゃんは思いっきり彼のことを尊敬しちゃいますね。
 ええ、大好きでなんですよ、ジーザス・クライスト!
 あと、ソクラテスもね---後年、僕は、プラトン著の「ソクラテスの弁明」のなかにも、この種の「聖者」を見つけて爆笑しちゃったことがありました。
 だって、ウルトラ正直なんですもん。
 ギリシャの彼の理解者たちは、裁判の休止のごと、窮地に陥った彼を助けようと、しきりに助言するんですよ。
 かたちの上だけでもソクラテスは自分の非を認めるようなことをひとこと言えばよかった。そうすれば、助かったんです。
 彼を告発したがわにもこの種の隠れ支持者はいて、やはり窮地のソクラテスにそれとなく援助の手を差しのべようとするのですが、その全部をソクラテスはきっぱりと退けたのです。

----しかしもう去るべき時が来た---私は死ぬために、諸君は生きながらえるために。もっとも我ら両者のうちのいずれがいっそう良き運命に出逢うか、それは神より外に誰も知る者がない…。(プラトン「ソクラテスの弁明」久保勉、訳。岩波文庫より)

 もう風通しがいいったらないの---このハンパない愛すべき人々---超・カッコいい…。
 でもね、こういった「聖者」的な後光を発散している人物って、近代のなかでも探してみたら、あちこちに見つけられるんですよね。
 たとえば60年代ロックの象徴でもあった、あのジミ・ヘンドリックス---


               


 聴くたびに圧倒される天才ジミヘンの音楽は、前述した「シュヴァルの理想宮」のように壮麗で、ひたすら神秘的です。
 あと、ひどくエロティックなのね---即興で綴られるどのフレーズもいうにいわれぬ恍惚の色艶を帯びている、という一点がちがっているのかな?---これに比べると、シュヴァルの世界はいくらか散文的で静的なものといえるかもしれない。
 ジミヘンの音楽のクライマックスで、僕はいつも「法悦」という単語を自然に連想してしまうのですが、これ、あながち根拠のない妄言でもないと思ってます。
 モンタレーのステージででギターを燃やしたというのが、いま思えば、ジミヘンの音楽そのものの象徴的行為になっていたんですねえ。
 だって、自分の生命を焼身自殺みたいに煌煌と燃えあがらせながら、自由と愛を高らかに歌い、呻りまくる、というのがジミヘンの音楽の真骨頂だったんですから。
 僕は、彼の音楽を聴いていると、いつでも聖書時代の預言者のモーセとかヨハネのことを思いだすんですね。
 ああ、歴代の預言者っていうのは、きっとこんなジミヘンみたいな人物だったんだろうな、これくらい生命を燃やしながら話したから、みんな彼の話に聴き入り、心をゆり動かされ、その結果として彼等はこんなに語り継がれ、現在の歴史にまで残ることになったんだろうなって…。


                       ×            ×           ×

 今回は時間がなくて師走の特集ページが編めなかったんだけど、あの元ビートルズの故ジョン・レノンなんかも、かの一族の末裔といっていいひとなんじゃないか、と思います。
 しかし、いま、こうして冷静に「聖性族」の後追いをしていってみると、彼等のほとんどが人生のあるポイントでもって、例外なく破滅、もしくは夭折している、といった事実に改めて驚かされるものがあります。
 ロック史上最強の歌姫ジャニス・ジョップリンなんかもそうでした。
 二十歳で死んだ詩人のレーモン・ラディゲなんかもそう。
 ブルーズの神サマ、ロバート・ジョンソンも然り。
 アメリカの歌手サム・クックなんかも若くして撃ち殺されたりしてるし…エトセトラ、エトセトラ……。

----待てよ。してみると、ひょっとして「聖性」というものは、現実社会においての繁栄というものと共存できないような宿命をあらかじめ帯びているのではなかろうか?

 なーんて疑問がついぶくぶくと湧いてきちゃったりね。
 ぶるぶるぶるっ---おっかなー!
 しかし、イーダちゃんとしては、彼等「天使族」の後追い業務をやっていくよりほかに、生きていく支えってあんまりないんですよね、ぶっちゃけていうと。
 彼等が滅びていくときに振りまいてくれた豪奢な光の記憶があるから、こーんな闇夜のようながらくた世間のなかでも、なんとかアクティヴに、よりよく生きていこうって思いつづけることができるんであって---。
 しかしながら、彼等の振りまいた光に触れられるのは、純粋なヨロコビです。
 僕が所有している彼等のCD、画集、本がすべて僕の手元から去るときがきても、僕は決して彼等の光が自分を照らしてくれたときの暖かい感触を忘れることはないでせう…。


                     ×            ×             ×

 2011年は大変な年でした…。
 でも、皆さん、頑張りませうね。
 僕の勤める施設でも、お年寄りはかなりのペースで亡くなっていきますが、皆さん、最期の一刻まで生きる努力を怠ることはありません。
 コンノケンイチ氏のいわれるように、この世は煉獄かもしれない。
 けど、だとしたら、それでもいいじゃないですか。
 イーダちゃんは煉獄の窓からも青空の一角を見上げつづけていたいなあ、と今日も思います。
 願わくば、そんな自分の隣りに、気の合う仲間がひとりでもいてくれたら、これに勝るヨロコビはありません。
 またもや超・長いページとなっちゃいました---読み通してくれてありがとう---よいお年を!---m(_ _)m

 
 


                          

徒然その91☆イーダちゃんの北海道アルバム<回想総集編>☆

2011-12-14 00:42:05 | ☆湯けむりほわわん温泉紀行☆
                       


 Hello、師走の風が氷のようにひんやりロシアな今日このごろ、貴方はいかがお過ごしでせうか?
 僕は、先月インフルエンザのワクチンを打ったら、その後なぜだかぐすぐすに体調を崩しちゃいました。
 ワクチンとかそ-ゆーのは打たない主義だったんですが、たまたまいまいる仕事が医療関係なんで、やむをえず義理的に打たざるをえなかったんですよ。
 いまはなんとか体調は回復しましたが、うん、ありゃあ結構キツかったですね。
 ところで、貴方は、風邪とか大丈夫?
 そうそう、僕は昨日、携帯のメモリーを新しいのに変えるため、古いメモリーのなかの写真を整理してたんですが---そしたら、ひさびさにひらいたフォルダのあちこちから、懐かしい北海道旅行のときの写真がぞろぞろとまろび出てまいりまして、なんというかちょっと見とれてしまったんですね。

----うわー、これ、懐かしいぞ! うん、これも…これも……。

 当ブログに何度も御来訪いただいている方はとっくに承知かと思いますが、イーダちゃんは2010年の7月に会社よりリストラを喰らいまして---うわー、もう去年のむかし話じゃんかよー!---その翌月の8月いっぱいを、北海道一周の旅に出かけてたんですよ---うん、自分的には趣味に気分転換、あと厄落としなんかも兼ねた旅のつもりでありました。
 愛車にテントと寝袋だけを乗っけての、ええ、男ひとりの勝手気ままな温泉旅ってやつ。
 人生初の放浪旅行でしたからねえ---足のむくまま気のむくままにひらりんこって---それはもう無茶苦茶に楽しかった!
 そのあたりの詳細は nifty温泉さんのイーダちゃんのクチコミページにも乗っけてありますので、興味のある方はご観覧いただけたら、と思います。
 で、そのぶらり旅から帰ってから、このブログを立ちあげたわけ---ですから、当ブログには残念ながら北海道旅の記事は乗っけてないんですねえ。
 けどね、携帯メモリーの写真を見てたら、なかなかいいんですよ、これが。
 見ながら、いろんなことが蘇ってくるの---旅の記憶、不安と喜びと、その他さまざまな旅情のかけらがね。
 ですから、まああんまり個人的すぎない、一般性のある写真を10点ほどセレクトして、ここに公開してみることにいたしましたっ!
 興味をもって見ていただけたらこれ幸い、結果的にお目汚しになってしまったらゴメンナサイの、マイ・愚息写真の1ダース---はたして貴方の目にはどう映ってくれるのでせうか---?


     


 左上のはブログ上部に掲示した地図のマルイチ---8月2日にフェリーで函館に到着して、すぐ撮ったやつ。
 函館港の夕暮れです、時刻は19:02。
 2010年の8月2日、函館の駅前は、お祭りやってました。
 僕は北海道に上陸するのはそれが初めてだったんで、ちょっと興奮してまして、「シャロームイン2」ってビジネスホテルにクルマを置いて、すぐ駅前のお祭り見物にやってきたんですね。
 函館は綺麗な広ーい街でした。
 空気がくっきりと澄んでて、空の高い場所。
 あと、ひとが圧倒的に少なくて---知人に絶対行けと勧められていた居酒屋に、この写真の後でいってみたんですが、そこで頼んだ牡蠣があまりにプリプリしすぎてて、僕的にはちょっと馴染めなかったかなあ。
 僕的には、牡蠣ってもっとシナシナしてるものなんですよ。
 ところが、函館の牡蠣はぜんぜんちがう、まるまると太ってて、かつツルツルしてて、噛むとプリッ---なかからジューシー極まりない海の汁がシャワーって溢れでてくるの!---それは、イーダちゃんの牡蠣の概念をまるごと覆すものでした。

----なんじゃ、このシュールな味わいは!? というのが素直な実感。

 むろん、旨かったですよ。
 でもね、いささか旨すぎちゃって…。
 これがホントに牡蠣なんだろうか、というSFチックな迷いの気持ちが、最後まで拭いきれませんでしたねえ---。

 右上のマルニの写真は、8月4日の早朝時に撮影したもの。
 北海道・支笏湖のボロビナイ・キャンプ場でテント宿泊した翌朝の、07:02、眼醒めの1枚です。
 実は、この前夜、支笏湖はもの凄い嵐に見舞われまして、テント設営に不慣れなイーダちゃんは結構不安な心地でいたんですね。
 山用のちゃんとしたテントなら不安なんてありませんけど、僕の持参したのはバッチものの安物テントでしたから…。
 雨漏りしたらどうしよう? 床が浸水してきたらどうしようってね---いざというときにクルマに逃げれるように、荷物はテントの隅ひとつにまとめておいて---だもんで気苦労で、あんま眠れなかったんですよね。
 かろうじて雨足の弱まった5時すぎからちょいと寝れたんですが、あらら、6時半ころ目覚めてみたら、こりゃあ、またとない快晴じゃないですか。
 昨夜の雲は空に散り散りになってまだ残ってましたけど、なんて美しい朝なんでせうか、これは。
 イーダちゃんは感動してね、写真バチバチ撮りまくっちゃいましたね。
 これは、テント内からの1枚---右上に見えるのは、マイ・テントの巻きあがった入口です。
 ちなみに、最近知ったのですが、この「支笏湖」は別名「死骨湖」ともいって、シーズンオフにはまったく位相のちがう、恐ろしい霊地に変貌するのだとか。
 これは、「闇より深い闇(メディアファクトリー)」の立原透耶女史経由の情報。
 そういわれてみれば、夕暮れの支笏湖の情景には、なにやらこちらの心臓をドキンと跳ねあげるような、摩訶不思議な殺気が漂っていた印象、たしかにありましたね。
 次のフォトがまたいいんですよ---ほら。


   


 左上のは地図のマルサン部分---北海道旅6日目の8月6日の早朝に訪れた、ニセコの山のほぼ山頂部にある「神仙沼」での1枚です。
 この写真は、僕、個人的にとても気に入ってます。
 いい写真っしょ?
 このとき、イーダちゃんは、ニセコの「五色温泉旅館」の自炊部に泊まってたんですが、なぜかこの朝には午前の3時に目が覚めちゃいましてね、時間が早すぎて温泉入ってもなにしても時間があまるんで、よし、それならクルマで早朝の「神仙沼」とやらにいって、絶景を全身で堪能してくるか、と出かけたわけなんですが、いざ「神仙沼」の駐車場に辿りついてみると、あまりにも時間が早すぎたせいで、クルマの1台もそこに停まってないんっスよ。
 これは…正直、ちょい怖かった。
 徒手空拳で自然の精霊がいっぱいたむろっている、朝靄の沼にいくのは、かなーり気合いが要りましたね。
 あとね、イーダちゃんの場合、熊が怖かった。
 看板にも「熊に注意!」みたいなのは、ここ、ふんだんにあるし。
 クルマに引き返して、積んであるフロントガラス粉砕脱出用の、先の尖ったハンマーをもってきて、それ、肩に担ぎつつ「神仙沼」への道程を粛々と行きましたよ。
 まいったなあ、あのテーズ折り紙つきの超人ダニー・ホッジでさえ、現役時にサーカス・ベアと闘ってコロリと負けてるもんなあ---こんなハンマー程度じゃ、きっと気休めくらいにしかならないぞ、とビビリながら。
 これは、そのとちゅうでの1枚。
 帰り道にようやく観光客の一団がやってきましてね---僕的にはひとの喧騒にホッとしてたのですが、彼等のなかの何人かは僕の肩口のハンマーに目をとめて、ギョッとした顔をしていたのが妙におかしかったですね…。

 右上のマルヨン写真は、8月8日に訪れた襟裳岬---説明は不要でせう? 
 襟裳岬は「風の岬」---温泉も山もなんにもないけど、風だけはいつも足早に吹きすさっている場所なんですね。
 ひょっとして日本一風通しのいい場所なんじゃないかな?
 むろんのこと、大好きな場所です。
 ここの岬への細道を歩いてましたら、宗谷岬をめざすサイクリング兄ちゃんと知り合いになりましてね、一緒に飯を喰ったりして楽しかったな。
 この写真の翌朝、絶景に惹かれて再び襟裳岬にいったら、この兄ちゃんにまたもや会いましてね---彼も僕とおんなじ「百人浜オートキャンプ場」でキャンプしてたということが分かりました---で、お互いにびっくりして別れたわけ。
 けど、僕が別のとこに寄り道して(これは2時間ほどかかったはず)、うどん喰ってからまた山道をいくと、なんと、またまた自転車をこぐ彼の背中がまえに見えてくるではないですか!
 スゴッ、3度目の偶然だわ。ならば、とクルマの窓から右手を大きく突きだしてVサイン、でもってクラクション鳴らしつつ、スピードをあげてぐわーっと追いこしたら、バックミラーのなかの彼も喜んで大きく手を振ってきましたっけ…。


     


 左上のマルゴ写真は、屈斜路湖湖畔の「コタン温泉」---2010年8月14日の早朝4時42分の撮影です。
 こちらの湯、大分の「別府温泉保養ランド」の泥湯、秋田の「鶴の湯」の自然湧出の白濁湯なんかとならぶ、イーダちゃんの選ぶ日本3大ベスト温泉のうちのひとつなんです。
 ホントはここ入るためにいったんですよ、北海道---こちら、思いだすだけで泣けそうになってくるほどの名湯でありました。
 ま、そのへんの詳細は nifty温泉さんのクチコミページにすでに書いてありますので、興味がある方は覗いてほしいなあ、なんて思います。

 右上のマルロク写真は、知床の「セセキ温泉」---北海道旅16日目の、これ、8月16日の写真ですね。
 ここのお湯も凄かったの---だって、そもそもがオホーツクに浮かぶ海の温泉でしょ? 首をこう上げたら、ダボーッてかぶる浪の隙から、はるかなるクナシリが見えるわけでしょ?
 当然、こんな極上温泉には、いついっても観光客がウジャウジャいるわけなんでありまして---子供や若奥さん、それから女性同士の旅行客が足湯だけしてたりしてね。
 そのようなファミリーが集う暖かムード満載のほわほわ空間のをなかを、野蛮人さながら、生まれたままのフルチンをゆらしつつ、手拭い一本きりでワッハッハとシンプルに入浴するのは、そりゃあ度胸入りましたよー 武道で丹力養ってなかったらムリだったろうなあ…。
 そのあたりの詳細は、恐縮ですが、これも nifty温泉さんのクチコミページを御覧あれ、です。


       


 イーダちゃんの北海道旅の頂きは、この知床でした---知床はなにもかも美しく、瑞々しく、ミラクルでしたね。
 左上のマルナナのフォトは8月17日の15時54分、知床半島の西側部分、岩尾別温泉のホテル「地の涯」にクルマでむかうとちゅうの1枚です。
 いったいに知床って地は、フツーに道路を走ってても、シカやキタキツネなんかが何気に路肩を散策してたりするふしぎの国なんですけど、このホテル「地の涯」にむかう一本道は、そのあたりの野生度が特に頭抜けていましたね。
 このフォトの鹿の群れ---これ、カメラのフレームに収まりきってない部分では、この何倍ものシカの群れが悠々と優雅に歩いたり草を食べたりしてたんですもの。
 なんとも涼しげなあの野生の香り高い霊気が、いまもって忘れられません。
 シカの群れ、とっても美しかった。 
 あと、この岩尾別温泉の野湯では、イーダちゃん、生涯サイコーの混浴を楽しむことができたんですよ---ムフフのフ(^.-μ☆
 そういった意味でも、ここは忘れがたい地なんですわ。
 そのあたりの詳細を知りたい方は、「徒然その20☆混浴露天のひとりごと☆」を参照あれ---。

 右上マルハチのフォトは、8月18日、網走湖での1枚。
 この日、イーダちゃんは、網走湖畔の「呼人浦キャンプ場」というところでキャンプしたんです。
 キャンプ料は無料---ハハッ---北海道には、こういう豪気な場所はゴロゴロあるんですよねえ。  
 湖畔際1メートルのところに張ったテントが、なんとも自慢で、自画自賛的な1枚をまあパチリとやったわけ。
 でも、みんな考えることはおなじみたいで、朝起きたら湖畔1メートルのラインは、色とりどりの無数のテントで埋めつくされてました。僕の左隣りのテントは、デュッセルドルフからやってきたドイツ人サイクル野郎の二人組でしたよ。
 このあと、イーダちゃんは、網走市の駒場ショッピングタウンという住宅地にある「チャプリン」というコインランドリーに、たまった洗濯物を抱えて出かけていくんですが、この「チャプリン」というコインランドリーでの洗濯タイムが、なぜだかとってもよかったの…。
 そのへんの詳細は「徒然その25☆今日は洗濯するには絶好の日だ☆」にも述べてありますので、奇特な好奇心をお持ちのお方は寄ってみたりするのもいいんじゃないか、と思います。

 で---いよいよラスト2枚だ---GO!


       


 左上の地図上でのマルキュー部分の写真は、道北の「ウスタイベ千畳岩キャンプ場」---。
 道北って、基本的になーんもない場所なんですよ。
 どこまで走ってもおんなじ原野がひたすらつづくのみでね、そーゆー意味でもっとも北海道らしい場所かもしれない。
 こちら、イーダちゃんがひと月かけて北海道各所をあちこちさすらったなかで、最高のキャンプ場なのでありました。
 まず、なにより、ここ、景観が凄い。
 見ての通り、ここは高台のうえにあるでしょ?---視線のさきにあるのは、雄大なるかなオホーツク。
 芝生の崖を海際まで歩いていくと、この高台、下の海の部分に降りれるようになってるんですね。で、そこが大きな、奇岩であるところの千畳岩の領域になってる。
 名前の通り、武将が千人酒盛りできるくらいの広大スペースなんっスよ。
 ここで見た朝日は、マジ、サイコーでした。
 あと、ここのキャンプ場、無料なんですよ。
 さらには、クルマでキャンプ場内への立ち入りすらOKであって---これは嬉しかった---フツー、芝生が痛むから、そういうことはやらせないはずですから。クルマの少ない道北ならではの方針なんでせうね。いずれにせよ、僕のヤサである関東じゃ絶対考えられんことであることに間違いはありませぬ。
 嬉しくて嬉しくて、愛車とテントとキャンプ場とのトリオ写真、何枚も撮っちゃいましたね。
 こちら、風がまっすぐで綺麗でした。
 夜、トイレに行くときに何気に見上げた星空が、息がとまるほど美しかった。
 網走から、生まれてはじめてのひとり旅をしてるのよ、という車中泊のおばちゃんと何時間も喋っちゃったりね。
 誰でもここに30分ほどいるだけで、背筋がすうっと伸びて、気づいてみたら、ここにくるまえより悠々とした大股でしゃんしゃん歩いていた、みたいなことになるふしぎな磁力に満ちた場所なんです。
 忘れられないキャンプ場ですねえ、「ウスタイベ千畳岩キャンプ場」---ちなみに当ブログの「徒然その10☆北海道キャンプ場 ベストスリー☆」でもここのことは特集してあるので、興味のある方はそちらもどうぞです。

 で、最期の最後に紹介したいのは、道北の極み---宗谷岬をちょっとすぎたさきにある、日本最大の平原である、こちら「サロベツ原野」なんであります。
 ここはもう、僕なんかがなにかいう必要はまったくない類いの場所ですね。
 誰でも、写真を見れば、ここの凄さはすぐ分かる。
 もう、どこまでもどこまでもどこまでも……平原が延々つづいているのね。
 作家の坂口安吾じゃないけど、僕もこーゆー単調な、「ただ地平線が見えるのみ」みたいな広大無辺な風景に「郷愁」を覚えるクチなんですよ。
 だから、ここだけは、もー たまんなかった。
 クルマとめて、まる一日ここんなかでウロウロしてて、まったく飽きることがなかった。
 そのへんの心情は、「徒然その12☆サロベツ原野のエルヴィス☆」のなかにもちょいと漏らしてはいるけれど、現物の「サロベツ原野」に勝るモノは恐らくないでせう。
 ですから、ぜひ貴方も、自分の肌と心でじかに体感してほしいと思います。
 うん、この「サロベツ原野」を見るだけでも、北海道にいく値打ちはあるんじゃないかな---。

 ただ、いまは師走の中旬---僕の撮ったどの風景も、厚くて冷たい雪の層に埋ずもれていることでせう。
 イーダちゃんは、雪のなかのそれらの風景に思いを寄せます。
 そうして、冬眠しているそれらの風景の耳元に、ごくそっと呼びかけるのです。

----おーい、北海道……元気かあ?……また近いうち、必ず遊びにいくから待ってろよぉ……!


                                                                               fin.(^.^;>

 


 


     
 


     


     


       


 

徒然その90☆モーツァルトの白い顔が透かし見える夜は…☆

2011-12-09 12:37:04 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
                                 
                   ----ほかのどの音楽より好きだ。彼はナンバーワンだ!(ウラディミール・ホロヴィッツ)


 個人的な話で恐縮なんですが、先日、某老人施設で音楽仲間とモーツァルトのトリオ演奏をやる機会がありまして---ちなみに僕は、ギターでビオラのパートの担当でした---最初はこれ、難度が高くて演る方も聴く方も大変じゃないか、なんて杞憂していたのですが、いざ演ってみると心配ご無用、モーツァルトの快活な音楽力が、すべてを解決してくれました。
 端的にいいますと、ええ、とっても受けたんですよ、これが。
 演奏が進むにつれ、聴いてるひとの顔が徐々にほころんでいくのがよーく分かったの。
 モーツァルトの音楽って非常にふしぎなシロモノでしてね、なんでだろう?---演奏してて超・愉しいんです。
 弾いてて、これほど愉しい音楽ってほかにないんじゃないか、と思えるくらい。
 プレーヤーがこうなら、この愉しい気持ちは当然聴き手にも伝染していくわけでして。
 モーツァルトが楽譜のなかに封じこめたミューズ菌にまず奏者の僕等が感染しまして---つづいて、最前列で聴いていたお年寄り群がこれに2次感染、さらにはその後列が…といった具合に次々と音楽感染者はあいつぎ、やがて、施設のなかはモーツァルトの音楽で満ち満ちて、もー ゆるやかなパンデミック!
 午の陽差しのなか、なんか、みーんな柔和な笑顔になっちゃって---ちょっとした手品みたいでした---施設のホールのなかを悪戯っぽい笑声をあげて駆け抜けていくモーツァルトの後ろ姿がほの見えるような、それは素敵な午後となったのでした…。
 

                           ×          ×          ×


 それが契機になって、ひさびさモーツァルトの音楽に対する関心が呼びさまされたんですね。
 このごろではどっちかというとPCに貼りついて調べものをしたり、動画を見たりするのが主だった習慣になってしまっていて、CDなんてほとんど聴くこともなくなっていたんですが、とりあえず懐かしのCD棚に手を伸ばしてみました。
 そしたらね、あっというまに虜になっちゃった---モーツァルトの音楽の魅力に。
 過去ブログで僕は川端康成への傾注について、あるいはホロヴィッツ藝術への愛についてしつこく語ったりしましたが、実は、本当の意味でイーダちゃんがなにより魂を捧げたく思っているのは、モーツァルトの音楽に対してなんです。
 モーツァルト、大好き---!
 ページ冒頭に掲げたホロヴィッツのセリフじゃないですけどね、僕は、人類藝術の最高峰はこのモーツァルトじゃないか、とひそかに思っているんですよ。
 いや、より正直にいうなら、ほとんどそう確信しているんです。
 確信したままそろそろ25年! てなところでせうか。
 そういえば、武道家&運動学者でもあるところのかの高岡英夫氏も、たしかそのようなことをいっておられましたっけね?
 氏のディレクト・システム理論に批判者が多いというのは周知の事実でありますが---だって、あれ、結局のところ、科学的証明のできない一元論ですからね---しかし、少なくともあのモーツァルトに関する分析だけは、なかなかうがっていて的確なんじゃないのかな?
 氏もベラボーにモーツァルトを高く評価しておられるおひとりです。
 なんでも、あれだけ際立った宇宙的な「センター」をもった人間は、人類史上唯一無二なんだとか。
 氏の理論的根拠はさておき、モーツァルトを超・高く評価しているという点において、僕は氏に非常に共鳴しちゃうわけなんですよ。
 おっと、話が飛んじゃったい、話題をもとにもどしませう。 
 で、演奏会の余熱の冷めやらぬイーダちゃんが帰宅後の夜、自室で耳を傾けたモーツァルトはなんだったのか?
 それは、僕等が演奏したのとおなじ室内楽---弦楽四重奏の、いわゆる「ハイドンセット」なのでありました。
 モーツァルトが敬愛する先輩ハイドンに捧げた野心的実験作「ハイドンセット」---イーダちゃんは二十歳ごろこの四重奏曲に非常に傾注してまして、一時期は日がな一日こればっか聴いていたこともあったくらいなんです。ここ何年か聴いてなかったそれを、ひさびさに聴いてみたら---
 そしたらね、瞬間、胸中を涼風がさあっと駆け抜けていったのよ。
 ああ、気持ちいい…。
 その感覚には覚えがありました。
 それは、僕がはじめて「ハイドンセット」を聴いたとき、音楽が僕のなかを通りぬけていったのとまったくおんなじ足取りでした。
 なんという新鮮さだろう---セピア色に錆びついた部分なんてひとつもなくて。
 「ハイドンセット」の1曲目---K.361のト長調は、そのような恐るべき瑞々しさでもって、僕のなかを走りぬけていったんです。
 思わず、声を失いました。
 中年のややくたびれかけた現在のイーダちゃんが、青春期の多感で純粋なイーダちゃんと、なんの脈絡もなく、正面からいきなりリンクさせられちゃったわけですから---時空と歳月との風化法則をまったく踏みこえた、この奇跡のセッティングには僕ももう唖然---絶対的な新鮮さを帯びたこの音楽のしなやかな歩みように、声もなく、ほとんど茫然と、ただ見とれているよりありませんでした…。


                           


 で、そのとき僕が聴いたのが上記フォトのアルバム---Amadeus Quartette の63~66年の Grammophon への録音集---古楽形態じゃない、吉田秀和先生のいうところの「ほんのり薄化粧した」現代ヴァイオリンでの、いわば肉厚な演奏です。
 さまざまな音の香を空間に漂わすような古楽の美学とはちがう、いわゆる「歌う」ことを第一に心がけた、ベルカントな演奏とでもいうんでせうか。
 そういった意味で彼等アマデウス・カルテットの演奏は、古楽全盛の90年代には「なに、あの時代考証をまるきり無視した演歌みたいなこぶしまわしは?」とか眉をひそめていわれたりして、僕もずいぶん肩身の狭い思いをさせられたもんですが、古楽一辺倒の流行が遠のくにしたがって、またまた息を吹きかえしてきた気味がありますね?
 ですけど、この復権はある意味当然ですよ、もともと彼等、ウィーンフィルの実力者ライナー・キュッヒルの折り紙つきの、実力派カルテットなんですから。
 彼等、なんというか非常に「腰」の入った音をだすんです---特に第一ヴァイオリンのノーバート・ブレインの、一瞬だけタメの入ったようなアーティキュレーションが、なんとも骨っぽく感じられて僕はとっても好きでした。
 今風の美学からするとこういうのはお洒落じゃないのかもしれないけど、ボクシングなんかと一緒で、腰の入ってない「音」っていうのは武道的見地から見てもやっぱりダメなんじゃないかなあ。
 ほどよく「丹田」の効いたノーバート・ブレインの、やや職人的ながらほのかに芸術家魂の香るヴァイオリンが導く、彼等の四重奏は、とてもようございました。
 ほんと、曲の隅々までとことん胸にしみたんですわ。
 ここのところ、モーツァルトから離れていた不毛の期間が長かったせいもあったのかもしれないけど、それにしてもなんたる音楽なんでせうね! これほどまでに微妙で繊細を極めた---影と光が次々と色取りとニュアンスを変え、交錯しながら過ぎ去っていく音楽ってほかにないんじゃないかな?
 うん、明らかにショパンより繊細の度合いは上ではないのかな。
 ショパンの世界の基本は、単声のアリアじゃないか、と僕は思うんですよ。
 ショパンは非凡なメロディーメイカーでしたから、ピアノの鍵盤の上で、いくらでも「歌う」ことができました。それは空前の絶唱で、見事な「歌」であり、実際、歴史にも残ったわけですしね。
 しかるにモーツァルトの場合、空前絶後の歌を歌うのは、主旋律のプリマ・ドンナだけじゃないんですよね。
 モーツァルトの世界においては、プリマ・ドンナのアリアが休符でとまったら、すかさず入れかわりにバックのヴィオラが歌うんです。
 あるいは、そのヴィオラにチェロが、絶妙なタイミングと色彩でもって絡んできたりするんです---そうして、これがいちばん肝心なとこなんですが、そうやって途切れめなく歌うどの歌もとびっきりの名唄であって、完璧な絶唱になりきってるんですよ。
 うむ、ちょっと人間業を超えちゃってるんですけどね、彼の形成する音楽空間においては、このようなミラクルは日常茶飯に起こるんです。というより、もう起きまくるんです。
 ヴィオラがふっとため息をもらして、音楽が急にうつむいていくときの翳りの色合いは、ひょっとしたらもあのシューマンの曲の描く「無明」よりも暗くて深いかもわからない---でも、それでいて音楽の骨格は、非常に健康なんですね。
 健康で快活で---けれども、日常の奥底にひそむ「無明」の闇の暗さもじゅうぶんに知っている…。
 いうなれば高僧の霊力と陸上選手の身軽さを同時に備えた、美しい十代の少年といった役どころ。
 これは、いささかできすぎてますよね? 僕もそう思う。
 ですから、ときどき、聴きながら自分から、

----誰、君? ひょっとして天使さん?

 と呼びかけてみたりもするのですが、むろんのこと、返事なんてありません。
 それにしてもなんちゅーユニークさでせう---こーんな音楽に勝てる音楽なんてありっこないですったら!
  
 ええ、アマデウス・カルテットが奏でるK.361のト長調は、それくらい僕を茫然とさせたのです。
 あんまりコレが凄かったんで、それほど聴きこんでないおなじセットの18番---K.464のイ長調もつづけて聴いてみたんですけど。
 そしたら、コレもまた凄いったらないの……


                         


 楽譜を見てもらえば分かるかと思うんですが、この18番のテーマは4分の3拍子のワルツなんですね。
 あんまり息の長いメロディーじゃない、どちらかといえば幾何学的というか、やや乾いた、硬質の---いわゆる「モーツァルトの半音階」が多用された、あまり歌わない下降のメロディーで曲そのものは開始されるんです。
 ハイドンセットの曲はみんな実験的な色彩が強くて、ほかのモーツァルトの曲より「歌わない」曲が多いんですが、とりわけこの18番は「歌わない」要素が強調されている感じなんですよ。
 ですが、17小節の後半、第二ヴァイオリンのメロディーがこのテーマに微妙にかぶってくると、曲の様相ががらっと変わっちゃうんだなあ。
 そう、怖いほど変わっちゃう。
 微妙な影が、音楽の背後から不幸の隈どりをちょっとづつ、ちょっとづつしていくの。
 そうして、その隈どりがね、言葉で追っつかないほど美しくって、凄い深みを感じさせるんですよ---それはもう、聴いてて怖くなるくらい。
 冒頭のテーマは17小節足らずで終る短いものでして、その変形のヴァリエーションが、第二ヴァイオリンやヴィオラによってつぎつぎと紡がれていくんですが、その即興的な影の隈どりの仕方、光の翳らせるときのとっさのゆらめき加減ときたら、これはもう空前絶後としかいいようがない。
 要するに、この曲においては、テーマは一種の「撒き餌」なんですね。
 そうして、この「撒き餌」の裏部分での展開が、むしろ曲の本筋だ、みたいなとこがある。
 曲のテーマが単純で乾いているぶんだけ、背後の音楽世界の綾に満ちた豊穣さがより大きく映しだされる仕掛け、とでもいいますかねえ。
 えーい、論より証拠だい---実際の楽譜より引用いきませう。
 ちなみに上段のいちばん右側が17小節目。ここで第一ヴァイオリンのテーマが終わり、第二ヴァイオリンとヴィオラとが、第一ヴァイオリンの提示したテーマ(というか主題)を追っかけるの。
 でも、これは、なんたる追いかけかたなんでせう。
 第二ヴァイオリンが第一ヴァイオリンのテーマを微妙に翳らせながら走っていって、それにヴィオラが駆け足で絡んでくる20小節あたり、僕はいつでも正体不明の寂寥に覆われる自分を意識してしまう。
 胸がね、ふいの淋しさの訪れにきゅっとよじれるの。
 モーツァルトの音楽の最大の魅力のひとつである「甘味なまでの切なさ」が、ここで早くも現れてくるわけ。
 整然と歩む第一テーマのすぐ背後で、いかに多くの光と影の明滅が生起しはじめているのか---歌の背後でヴィオラが小さく息継ぎするごとに、音楽そのものの奥行きがいかに深く彫りこまれていくのか---そのあたりの機微にもぜひ注目願いたいと思います。

 
                          


 ベートーベンは、モーツァルトのハイドンセットの曲中、この18番をもっとも愛し、研究したという逸話が残ってますけど、そういう話を聴くと、ああ、なるほどなあ、といった気持ちにどうしてもなりますね。
 いわれてみれば、うん、これはまったく彼のための曲ですよ。
 ベートーベンは---自分でも認めていますけど---メロディーメイカー・タイプの作曲家ではぜんぜんありませんでした。
 尽きせぬメロディーの泉だったのは、モーツァルトとかシューベルトのほう。
 生前のベートーベンは、彼等の天性を羨んでいたような節もうかがえます。
 彼が秀いでていたのは、あくまで主題の変奏と、驚異的な音楽の構成力のほうでした。
 この能力が必要以上に発揮されたのが、あの「運命」シンフォニーとかああいった類いの音楽建築なんであって。
 ベートーベンっていうのは、甘味なメロディーが書けない音楽家でも音楽家として大成できるんだ、ということを自らの身の上で立証した最初の音楽家だったんじゃないのかな。
 正直にいうなら、僕は、彼の音楽はいまだに苦手で、自分から聴くことはめったにないですねえ。
 どうしてもサディステックな、しかめっつらの構成意識のほうが先走りして聴こえてきて、音楽自体があんま楽しめないんだもの。
 ま、あれだけの構成力は、たしかに非凡だと思うし、超・アタマのいい男だったとは認めるけど、のちの西洋クラッシック音楽全般が、彼の敷いた路線のうえを辿ってきざるをえなかったという事実は、やっぱり幸福なことではなく、むしろ不幸寄りの出来事だったんじゃないか、と思います。
 音楽は、やっぱり愉しくなければ---。
 ええ、そう思いますね。
 先日、某老人施設での合奏で僕が体験したのも、まさにそのようなことでした。
 音楽の愉しさというのは、ばらばらなひとの心を繋ぎとめる魔法のような力があるのです。
 険しくて厳しい「音楽道」を修行僧のごとく邁進する行き方も、それはそれでありなんでせうが、そういった糞真面目を皆に強制しちゃあイカンですな。
 そうするといずれ「現代音楽」みたいな抽象の袋小路に突きあたっちゃう。
 僕は、アタマが先行するインテリ音楽はどうもダメ、よく「歌う」音楽が、やっぱりいちばん好きですね。
 よく「歌い」、それから、なにより「翔べる」こと---僕が音楽に求めるものは、究極的にいえば、このふたつきりなんです。
 だって、翔べなきゃあ、いったいなんのための音楽ですか?
 そういった僕的な願望を最大限に満たしてくれるのが、モーツァルトの音楽なんですよ。
 ですから、イーダちゃんは、モーツァルトの音楽を全力で愛します。
 今日はK.464、明日はK.595、あさってはK.361、しあさっては…。
 
----天使たちが、神をほめ讃えるお勤めの時間に奏でる音楽は、もっぱらバッハだろうが、休憩時間にみんなで奏でるのは、ぜったいモーツァルトだと思う。(カール・バルト)

 うん、僕もそう思うな。
 モーツァルトはマジ素敵ですもん。ひとりぼっちの人間が孤独な長い人生を歩んでいくうえで、これより上等な友はおよそ考えられません。
 いま、スピーカーからアマデウス・カルテットのK.464のメヌエットが流れてます。
 流麗で、かすかな憂いと苦みに満ちた音楽の歩みようが、なんかたまんない。
 黄金色のエクスタシーが、窓辺のカーテンを静かにゆらしています。
 音楽の流れの背後に、モーツァルトの白い顔が透かし見えるようなこんな夕べ、ああ、あの娘もモーツァルトを好きになってくれたらいいのになあ、とイーダちゃんはひとり揺り椅子にもたれながら、暗い窓にこころもち顔を寄せてみるのでありました---。(^o-ζ