イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その114☆ソビエト連邦という名のフェイク☆

2012-07-31 23:37:56 | ☆むーチャンネル☆
                            
            はじめに:中世の教会治世による暗黒時代、神の代理人による「教会」の支配は絶対でした。
                 現代人は、それを過去の迷信と笑いますが、果たしてそうでせうか?
                 僕は、「教会」の絶対的支配は、いまだつづいていると考えている人間です。
                 むろん、中世のような「教会」の宗教的くびきは、もう効力が切れています。
                 しかし、マスコミと資本をまるごと支配する、新たなる世界権力が、過去の「教会」の役を引き継いだとしたらどうでせう?
                 世界権力というのは、ロスチャイルド、ロックフェラーなどを中核とする、巨大な金融資本勢力です。
                 彼等・マイスターたちが、あらゆる世界史における戦争、金融相場、その他の事象を操作し、誘導しているというのに、
                 彼等の存在すら認めようとしない、現代史の巨大な矛盾。
                 マスコミは、この新たなる「教会」の広報誌として、彼等の足跡を巧みに隠蔽し、世界史はすべて偶然のたまものと謳い笑います。
                 これらの策謀を曝露するため、当記事は書かれました---。              


 こんばんは、皆さん---そして、お久しぶり!---仕事の多忙さと先ごろふいに去来した南蛮渡来のエアガン熱にうかされて、ここのところブログの更新をずーっとサボりつづけていた、不肖イーダちゃんです。
 先日、みずほフィルハーモニーというアマチュアのオケをたまたま聴きにいく機会があり、前回の記事でそのときのことを批評させていただいたのですが、その日のメインデッシュに指定されていた、肝心のショスタコーヴィッチの交響曲について、イーダちゃんの批評の筆があえて的を外して大回りの外円軌道を描いて逃げた、と感じられた方もひょっとしていくらかはおられたんじゃないでせうか?
 もし、貴方が、そう感じたのなら、貴方の感性はとっても鋭敏。
 ええ、前回、イーダちゃんは、あえてショスタコの批評から逃げたのです。
 何故か---?
 音楽を超えて、そこに政治の話がどうしても介入してきちゃうからです。
 特に旧ソビエト連邦の場合、僕は、政治を抜きにして音楽だけ独立させて語ることがどうしてもできません。
 ただ、それをやっちゃうと、楽しいはずの音楽の話が、ぜんぜん楽しくない政治のダークな話題にまるごと染められちゃう。
 あのー、それだけは、僕的にやりたくなかったんですよ。
 だもんで、まあ、ああやって「オブローモフ」なんか持ちだして、ちょいとスウェイバックして逃げたりもしたんです。
 僕は、素晴らしい音楽の宵を、汚らしい政治の垢で汚したくなかったの。
 ですから、前回、あえて遠回りして避けて通った、汚らしい政治の欺瞞の話を、今回はここでひとつに独立させて、粛々と語っていきたいと思います。
 そうですね、最初から枕をとっ外して、真相をズバリいっちゃいませうか。

----僕等の認識に歴史として刷りこまれたロシア革命というのは、実は虚構である。
   あれは、世界権力が、「事件」の真犯人を闇に閉ざしておくために作画した、一種のアリバイ工作---もしくは保護色みたいなモノなのであって。
   ロマノフ王朝を葬った第一次革命、及び、レーニンらのの10月革命の真相というのは、あれはね、アシュケナージ・ユダヤの勢力によるクーデターなんです。
   かつてのロシア帝国に一度滅ばされたハザール王国の生き残りのアシュケナージ・ユダヤの面々が、彼等の長年の宿敵・ロマノフ王朝に連なる、ロシアン・エスタブリッシュメントを滅ぼすために仕掛けた、決死の全面戦争だったんですよ。それが、ロシア革命の真相。
   その結果、ユダヤ勢力が勝ち、彼等は隠然たる「世界権力」となった。
   その歴史的事実の隠蔽と歪曲のために、共産主義という思想が、煙幕としてあえて利用されたというわけ。


 と、まあ大筋は、そのような流れでせうかねえ---?
 僕がはじめてコトの大筋を知ったのは、1994年の5月に出版された、宇野正美氏の「ユダヤで解けるロシア(三交社)」という著作からでした。
 この本は、ショーゲキだったな、僕的にはとても。
 現在の宇野氏の活動については僕はまったく否定的なんですが、20世紀のドン詰まりの90年代の末期に、これほどのタブー情報を世に出してくれた功績は、偉大だった、と思います。
 サイエンス・エンターテーナーの飛鳥昭雄氏も、たしか似たようなことを発言されているのを、いつかお見掛けしました。
 いま現在、ユダヤ問題というのは、世界史の最大のタブーとなっています。(世界権力の意向により、タブー視するようにうながされている、というほうがより正確な表現なんでせうけど)
 しかし、この問題を超・しつこくつっついていかないとね、真相なんてなにひとつ掴めやしないんです。

 いいですか?---かつて、6世紀から10世紀にかけて、中央アジアに「ハザール汗国」という国家があったんです。
 これは、陰謀論じゃなくて、純然たる歴史的事実です。
 この国家は、白系の遊牧民によって設立されたものであって、位置的に、東ローマ帝国の東、イスラム帝国の北という、非常に微妙な地政学上のポイントに位置しておりました。
 では、1992年のの読売新聞の記事から、重大情報の抜粋といきますか。

----ハザールは、6世紀から10世紀にかけて中央アジアにトルコ系の遊牧民が打ちたてた王国。最盛期の8世紀頃には、アラル海から黒海の北方にかけての一帯に勢力を誇った。西の東ローマ帝国、南のイスラム帝国の狭間にあって、8世紀にはユダヤ教に改修した。この頃イティルに首都が置かれた。
 ユダヤ教への改修は、公益のために流れてきたユダヤ人の影響があったほか、国の自立を守るためキリスト教とイスラム教のに大宗教勢力から距離を置く意図もあったとされる。
 10世紀にキエフ・ロシアに攻略されたのをきっかけに崩壊に追いこまれていった…。(1992.8.25.読売新聞、夕刊の記事より)

 これは別ソースからだけど、そのハザール汗国の地図のアップです。


              

 で、この広大なハザール汗国が滅んで、膨大な難民がでたんですよ。
 その白系のハザール難民を表す言葉が、いわゆる「アシュケナージ・ユダヤ」という呼称なんです。
 彼等は、聖書でいうところの、旧イスラエルの原住民・黄色系のスファラディ・ユダヤとは、まったく関係のない、あくまで宗教上のユダヤ人でしかないんです。
 しかし、現在の世界史は、彼等・白系ユダヤの民を「ユダヤ人」として総称してる。
 そして、聖書の時代のイスラエル住民とはまったく関係のない、血縁上でもまったく無縁の、白人の、宗教的なユダヤ人が、かのパレスチナの地にイスラエルを建国して、そこに勝手に住んじゃっているんです---。
 先祖代々からその地に住んでいた、パレスチナの素朴な人々を多量にぶっ殺して、そのうえ、その土地までも奪ってね。
 この巨大な暴力と矛盾---これこそ、正義に対する明確な裏切り行為であり、かつ正しい歴史認識に対する反逆である、といえるでせう。

 そして、この巨大な歴史的フェイクの上に、現代史は築かれているんです。 

 僕は、この種の歴史的認識なしに、現代史なんて語れっこない、と思う。
 いいですか、このビターな認識なしに語られる「歴史」なんて、いくら頑張っても、しょせんフェイクの子孫たる奴隷的立場から抜けれる道理がないんです。
 だって、まったくのうそを鵜呑みにして、そのうその生地をもとに、単なる事実の羅列を無表情に棒読みしてるようなものなんですから。
 そんなのが真性の歴史であっていいわけがない。
 ハザール汗国に関する深い研究も、アシュケナージ・ユダヤとスファラディ・ユダヤのちがいに対するより広範な理解も、いまよりももっともっと必要です。
 (注:この問題に関してご興味がおありの方がいたら、僕のブログ記事☆むーチャンネル☆に貯蔵中の、徒然その55☆イエス・キリストとは誰だったのか?☆をお読みください)
 なのに、いまじゃ、ほとんど皆無じゃないですか、こうした方面への研究は。 
 ええ、アカデミズムでは、いまだそっち方面の研究はタブーとされているんですよ。
 それを研究すると、「ユダヤ人差別だ」という政治的クレームが、その研究者を、どこからか必ず狙い撃ちしてくるんですね。
 これって中世における、いわゆるガリレオの「地動説」にあたる説なんですよ。
 神が許しても、教会は決して発表者を許さないという、あの理屈です。
 ユダヤ問題ってね---知っちゃあなんねえ、いってもなんねえ---見ざる言わざる聴かざるの三位一体、現代社会における最大のタブーなんですわ。
 ベストセラー作家であった宇野正美氏も、かつてそれに言明したことによって潰されました。
 ま、でも、彼はそれなりの大物でしたから…。
 そこいくと、イーダちゃんなんかは徒手空拳の、失うものなんかなんもない単なるお気楽野郎ですからね、興のむくまま気のむくまま、現代最大のタブーについてエイヤ! と袈裟斬りにしていきたい所存です。
 今回のテーマは、はじめにもいったようにロシア---ええ、一般に浸透しているボルシェビキ革命の歴史的虚偽について、徒然なるままに、青空を流れる白い雲のように語っていきませうか---。


                    


 まず最初に爆弾ネタの開示から---左上写真の、ソビエトの独裁者、有名なヨセフ・スターリンなんですが、彼が、実は、ウィーンのエドモンド・ロスチャイルド男爵の隠し子であった、というお話…。
 ロスチャイルドは、いうまでもなく欧州の真のキングであり支配者であります。
 彼等の血族の系図を順に追っていくと、世界中の会社のほぼ4割以上が、ロスチャイルド一族の所有であることが明らかになってくる、という恐るべき真相を暴いたのが、広瀬隆氏の91年の著作「赤い盾(集英社)」でした。
 そのロスチャイルドには、実は、隠し子がわんさかいて、彼の多くの隠し子たちが、姓を変え名を変え、それぞれ政治中枢の要職に就き、欧州政治の全般を巧妙にコントロールしている---といった噂は、僕も以前より耳にしておりました。
 これ、以前から、そこかしこで囁かれてきた、欧州水面下での深海ゴシップだったのですが、この説を、このほどネットジャーナリストのリチャード・コシミズ氏が、氏の最新の自費出版の書「リチャード・コシミズの新しい歴史教科書(ISBN978-4-904801-34-5)」のなかで、正式に発表しました。
 これは、まぶたパチクリもんの、もの凄い突っこみでしたねえ!
 でもさ、いわれてみれば、左上のスターリン写真を、中央のエドモンド・ロスチャイルドのお写真と見比べてみてくださいよ。
 ねっ、どう見てもそっくりじゃないですか?
 特に目尻のあたりなぞ---遺伝子は言葉より雄弁なり、ですか。
 なーるほど、そういうことなら、ボルシェビキ革命後のレーニンの後継ぎに、どうして、どこの馬の骨とも知れない、一介のユダヤ人・スターリンがわざわざセレクトされたのか、その理由もうなずけてきますもんねえ…。
 それらはすべて、少数の血族による事実上の超・独裁政治を、そう見せないための隠蔽戦略だったのですよ。
 我が国の政治形態のコトバを使わせてもらうなら、真の支配者が雇われ傀儡の背後に隠れて謀略の糸をひく、いわゆる「院政」という形態でせうか。
 彼等・ロスチャイルド一族がやったのは、そう、まさに世界的規模での巨大な「院政」だったのです…。


                    ×          ×           ×


 アシュケナージ・ユダヤの故国「ハザール汗国」は、10世紀の末、キエフ・ロシアの攻撃により滅ぼされてしまいます。
 そのときから、彼等・アシュケナージ・ユダヤとロシアは、旧来の天敵同士とあいなったのです。

----故国の仇、いいや、民族の敵、にっくきロシアめ!

 と朝夕に東方を睨むのが、亡国のアシュケナージの民族的習慣となってから幾星霜---滅びゆく故国から財産をもって命からがらさまざまな異国に逃亡したハザールの民のなかからも、苦労の末、経済的な成功を収めることのできた、いくつかの階層がようやく現れてきました。
 ドイツで金融業をはじめ、その後全ヨーロッパを制することになったロスチャイルド一族などは、そのもっとも顕著な一例でせう。
 ロスチャイルドは、欧州各地に自らの銀行を設立し、想像を絶するような大成功を収めます。
 経済的にいうなら、彼等・一族はまさに欧州の覇者となったわけ。
 ただ、彼等は亡国のハザールの民であるから、地元に定住している王族・貴族にはどうしても頭があがらない。
 まして、当時の世相においては、金融業というのは、シェークスピアの「ヴェニスの商人」に描かれたように、卑しい賤業とされてましたから、なおのこと肩身は狭い理屈です。
 元来は、土地を持てない難民なんですから、できる職種も必然的に限られてしまう。
 ま、金融商売くらいしかできなかったわけです---しかし、それで儲ければ儲けるほど、「このユダヤ人めが!」といわれ、迫害といじめの標的になってしまうという当時の世相。
 なんでもできる豪奢な富と、それと相反する権威への愛憎まじりのアンビバレンツな感情と…。
 ロシアで周期的に巻きおこるユダヤ人への排斥運動は、特に規模の大きなものでした。
 莫大な富を得て、男爵の地位を金で買い、巨大な発言権を手にしたロスチャイルドは、あるとき、このロシアの地における同族の不遇を見かねて、ロシアの主たるロマノフ王朝に妥協案を提言します。
 
----敬愛する皇帝閣下、かのロシアの地に、私の財力でもってシベリア鉄道の路線を敷きませう。これには、莫大な労力と金銭的な負担が伴いますが、なに、その分はすべて私、ロスチャイルドが負担します。鉄道が敷ければ、ロシアは今よりももっと潤えることでせう。ただし、そのような私からもささやかな願いが閣下にひとつばかりございます。ロシアにおける我が同胞、ユダヤ人への迫害を、いますぐにやめさせてほしいのです。閣下の威光と権威で、この野蛮な運動に足掛けをしていただきたいのです。私からの願いは以上です…。

 ロマノフ王朝のニコライ2世は、このロスチャイルドの提言を快諾しました。
 そりゃあ、ロシアにとって願ってもない、うまい話ですもの、これは。
 しかし、ニコライ2世は狡猾でした。パリ・ロスチャイルドが超・莫大な富を使役して、モスクワからウラジオストックまでの長大な、ロシア念願のシベリア鉄道が敷けたあとも、彼は、ユダヤ人の排斥運動を収めようとはしませんでした。
 そう、彼は、ロスチャイルドとの約束を反古にしたのです。
 怒り心頭のロスチャイルド(ま、これは怒りますよね)。
 以来、ロシアのロマノフ王朝は、ロスチャイルド一族、及び、全世界に散った、元ハザール汗国のアシュケナージ・ユダヤ全体の怨敵となったのでした…。

(もっともらしく書きましたが、17c以前のロシア王朝成立以前には、ハザール汗国のほうがロシア建国以前のスラヴ民族を責め、苛め、奴隷にしていたりしていたそうな。だもんで、ロシアがロマノフ王朝に統一されたときは、今度はハザールのほうが滅ぼされたってことのよう。なんと、この両者は、歴史の曙からすでに敵同士の間柄と運命づけられていたんですねえ)

 で、はじまったのが、かのロシア革命だったのでありますよ---。
 えっ? 資本論のマルクスだとかトロッキーとかはどうなんだ、ですって?
 もちろん、彼等は、実在してました。
 変わり者の家庭内暴君・件・甲斐性なしの癇癪持ちマルクスが「資本論」を書いたのも事実ですし、トロッキーが実在してたのもホント、そして、革命の始祖レーニンもむろん実在しておりました。
 ただし、彼等には、強力なスポンサーがおりました。
 悪魔みたいに金持ちのスポンサー---むろん、ロスチャイルド一族のことです。
 彼が、マルクスに「資本論」を書かせ、財力でそれを出版させ、世に広め(あのカール・マルクスもむろんユダヤ人です)、レーニンをジュネーヴから封印列車に乗りこませて故国に送りこんだのです---にっくきロシアを征伐するために!
 要するに、みーんな、ロスチャイルド商店の工作員だったわけですね、マルクスもレーニンもトロッキーもスターリンも。
 もちろん、出自も人種も考えぬいた、苦渋の末の選択でありました。
 だーから、彼等は、みな、アシュユケナージ・ユダヤだったんですよ---要するに、旧ハザールの末裔ね。
 まず、ロシア革命の始祖レーニン、封印列車に乗ってやってきたレーニンからいきますか---

 レーニンの本名は、ウラジミール・イリイチ・ウリャーノフです。彼の場合、母親がユダヤ人でした。ユダヤ教では、こういうケースでは、息子もユダヤと分別されるのが常ですね。

 20世紀最大の虐殺者といわれた、かの大スターリンは---

彼は、ヨセフ・ビサリオノビッチ・ジュガシビリ---これ、もろ、アシュケナージ系の姓じゃないですか。彼が、エドモンド・ロスチャイルドの妾腹の息子であることは、すでに前述しましたよね?

 さらに、革命の立役者にして大インテリゲンチャのトロッキーは---レフ・ダヴィーダヴィッチ・ブロンシュテイン、完璧無比のハザールなり…。

 さらにはね、こうした事実をアタマに置いたまま、この資料をちとご覧になってみて---


 レーニン 最高ソビエト議長 
 トロツキー 赤軍政治委員
 スターリン 民族政治委員 
 チチェーリン 外務政治委員 ロシア人
 ジノビエフ 内務政治委員
 ウォロダルスキー 新聞宣伝政治委員
 カウフマン 国家不動産政治委員
 シュタインベルグ 法務政治委員
 シュミット 公共事業政治委員
 リリアナ 物資動員政治委員
 フェニックシュタイン 難民定着政治委員
 ウォスタノレーニン 私有家屋没収政治委員
 ラリン 最高経済委員会議長
 クコルスキー 通商政治委員
 スピッツベルグ 文化政治委員
 ラドミルスキー 選挙管理政治委員
 ルナチャルスキー 教育政治委員 ロシア人
 シマスコ 保健政治委員
 プロトジアン 農業政治委員 アルメニア人

 これ、1917年に10月革命に成功したレーニンが、ソビエト政府の閣僚を指名したときの内訳なんだけど、なんと、19名中16名がハザール人! 当時のロシアの人口比率において、ユダヤ人の数は全体の5パーセントにも満たないにもかかわらず---。
 こりゃあ、誰がどう見ても、ロシア人のための政府なんかじゃないですよね?
 だって、肝心要のロシア国民の閣僚がふたりしかいないわけなんだから。
 こんなんで、ロシア人のための善政なんて敷けるわけないでしょ?
 実際、ソビエト政府は、ロシア人のための善政なんて行いませんでした。
 善政の代わりに彼等が行ったのは、独裁であり、ロシアの民の粛清でした。
 1930年代から権力を握った、ロスチャイルドの隠し子、ヨセフ・スターリンは、国中に密告を奨励し、両親を密告した少年を全国民のまえで表彰するようなクレージーな治世を行い、党が「思想的に誤っている」というレッテルを張ったロシア人を、次々と粛清していきました。
 その規模はぶっちぎりの世界一です---スターリンの統治した30年に及ぶ期間に、粛清され虐殺されたロシア人の数は、2000万とも5000万ともいわれています。
 異常すぎる---チンギス・ハーンの殺戮すら超えていると思われる、世紀のジェノサイドが、かの地・ロシアにおいて行われていたのです。
 これが、革命でせうかねえ?
 うんにゃ、どうにもちがうわなあ---これは、イタリアン・マフィアなんかがいうところの、リベンジでせう---当てはまりそうな正確な言葉をあえて見つくろうのなら。
 彼等、政府のトップは、自分たちがロシアという国の舵をとっている自覚は、まるきりありませんでした。
 むろん、そのはずです---彼等は、欧州のロスチャイルド商会の意向通りに、彼等の「旧ハザール汗国」を復活させたつもりでいただけなんですから…。
 その証拠に、スターリンの片腕と呼ばれたユダヤ人の補佐官、カガノヴィッチ(上段いちばん右手の写真)のお顔をご覧になってくださいな。
 彼・ラーザリ・カガノヴィッチは、旧ハザール王国の皇帝の血を引く人物なんですよ、実は。
 カガノヴィッチの古い姓は、カガン、これはハザールの言葉で皇帝の意味なんです。
 ソビエト政府は、彼等・新生政府の権威づけのために、旧ハザール国の直系の王族を、わざわざひっぱりだしてきたのです。
 もー 超・勝ち誇っているじゃあないですか?
 このソビエトで行われた、前人未到の虐殺の嵐を、後世の学者なんかは「思想の危険」だとか「純粋理論にひとが洗脳された場合の恐ろしさ」だとかいって分析していましたけど、どれも真っ赤なうそっぱちです。
 騙されちゃいいけません---思想は、この「ハザール・クーデター」の下手人を見えにくくするための煙幕であり、アリバイなんですよ。
 たとえ名探偵に真犯人を追求されても、その推理の矛先が、「思想」という無生物の壁でビタ止めできるような策略というか画策---せいぜいがそのような存在でしかないんです。
 マルクスの頭のなかで咲きほこった空想のユートピアは、現実の世界において、このように利用され、これ以上はないというくらいの、現世の地獄を現出するのに手を貸したのでした…。

 嗚呼、クラクラするくらい、ずる賢くて、陰鬱極まりない、淫靡なタクティスですねえ、こいつは!(X0X)/

 ただ、いまのロシアはちがいます。
 いまのロシアは、プーチンという優れたトップを筆頭に、長かった「ハザール人のくびき」から脱し、遅々とした歩みですが、「ロシア人のロシア人によるロシア人のための政治」を確実に実現しつつあります。
 凄い、プーチン・ロシアは立派です。
 我が国もいよいよしゃっきりして、「ロスチャイルド及びロックフェラーの糸引くハザールのくびき」から抜けないと、そのうちロシアみたいなことになっちゃうゾ、と警告して、長くなりすぎた当記事の締めとしませうか。

 読み通してくれてありがとう、イーダちゃんによるロシア史の真相報告は、以上です---。(^.^;>
 


 

 
 
 
 
 



 
 

徒然その113☆みずほフィルハーモニーのショスタコーヴィッチ☆

2012-07-20 19:15:52 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
                     


 2012年の6月30日、イーダちゃんは、みずほフィルハーモニーの定期演奏会にいってきました。
 前回このオケを聴きにいったときのメニューは、ベートーベンの第7とエルガーでした---指揮は、時任康文氏。
 今回のメインデッシュは、ぐっと趣が変わって、20世紀音楽であるショスタコーヴィッチ---。
 ショスタコさんはソ連邦の作曲家---あのスターリンの大粛清時代を、猜疑と密告の恐怖に怯えながら、なんとか生きのびることのできた、しかし、その代償として恐怖と不安に満ち満ちた、暗ーい生涯を送らざるをえなかった、受難と苦悩の大作曲家です。(凄え形容詞だなあw)
 たしか「収容所列島」のソルジェニーツインなんかと同世代なんじゃなかったっけ?
 ただ、僕的に正直にいわせてもらいますと、ショスタコさんっていうのは、どちらかというと苦手方面の作曲家なんでありまして、最初は「うーん」という迷いまじりのノリだったのですが、友人のオケのひとが、とにかく今回の指揮者はいい、だもんで是非きてみてくれ、というのでいってみたんですよ。
 場所は、文京シビックホール---こちらは、大江戸線「春日」駅下車徒歩2分、後楽園のすぐ隣り---25Fの展望台からスカイツリーがよく見える、超・近代的な施設です。
 そこの1Fの大ホールが、今回のみずほフィルさんの演奏会の舞台なのでありました。
 さて、そこで行われた第22回の定期演奏会では、どんな音楽が聴けたのか---?
 それが、今回のイーダちゃんのページのテーマなのであります---うまく表現しきれるかどうかは分かりませんが、当日感じたことの何分の1かでも正確な言葉に置きかえて、できるかぎりやってみたいと思います。


                   ×           ×           ×

 さあ、開演時間になりました---。
 それぞれの手に楽器をもったオケのメンバーたちが、舞台の両裾からぞろぞろと歩いてきます。
 何度体験しても、この本番まえの一瞬っていうのはワクワクしますねえ。
 オケのメンバーさんなんかも、きっとそのへんの心理はいっしょなのでせう。
 音あわせ。それから、譜面をちょっとめくってみたりの何気な動作のうちにも、各々の身中に漲っている、過剰なオーラをびんびんと熱く感じます。
 まして、僕がいたのは最前列の2列目でしたから、それらのオーラにあてられ、自然と身体が熱くなってくるのは、もう避けようがありませんでした。
 うーむ、落ちつかない、早いとこはじまらないかな、と思っていたら、おお、いいタイミングで当日の指揮者の登場です。
 舞台のむかって左の裾から---キビキビとした動作で森口真司氏がやってきました。
 観客の拍手。それから、オケのメンツの歓迎の足踏み。
 僕は、森口氏を見たのはこのときがはじめてだったのですが、見た瞬間、好感をもちました。
 なんていうか、「硬派」のカオしてるんですよ、この森口氏って。
 僕、彼を見た瞬間、

----おお、ショスタコうまそうな顔してる。こりゃ、今日は、買いだな…。

 なんて不遜にも思っちゃった。
 根拠なんてナッシング、でも、そう感じたのはホント。
 たぶん、ニンゲン、相性って想像以上に大きいんじゃないか、と思うんですよ。
 僕は、森口氏の、なんというか「鬼軍曹」的なカオが、見た瞬間から超・気に入ってしまったの。
 前回の指揮者、じゃっかんプレーボーイ的な佇まいを香らせていた時任氏よりもっとね。
 このひとのカオ、なんていうか昔気質の職人さん風なんですよ。
 音楽に対する素朴な確信に満ちた、なんとも力強い、一徹モノのいいカオをされてるの。


                  
                           上図:論より証拠、これが、森口氏だっ!

 僕はそれに射られたってわけ---で、期待に胸をぷうとふくらませたんです。
 その森口氏が大きく両手をふりあげて、ええ、緊張の一瞬、そして、冒頭の長ーい和音、つづいて角笛を模したホルンの牧歌的な歌が流れてきて、いよいよ音楽がはじまりました…。
 
 1曲目は、ウェーバーの「魔弾の射手」----
 この時点で、僕はもう結構ビックリしてました。
 だって、みずほのオケ、前回と音がまるでちがうんだもの!
 前の1月の時任氏のときは、オケは非常に中性的な---サイトウ・キネン・オーケストラみたいな、といったほうが分かりやすいでせうか?---透明な音をだしていたんですよ。(たぶん、指揮者は意識してそのような音を導いていたと思うんだけど)
 でもね、今回は、ウェーバーの1音目からもうちがっていた。
 音がね、熱かった。
 そして、ぐるぐるとうねってた。
 作曲者ウェーバーの意図しただろう、魔弾の射手の棲む、原始の深い森---その森のなかの冷気ってたぶんこんなんじゃないか、と思わせるような凛とした香りが、全体の音に混入して、音楽全体になんともいえない彩りと深みを与えていた、とでもいいますか。
 以前の演奏会のときには聴けなかった、優れた音楽だけがもっている、あの微妙な「魔」の気配が、オーケストラのかもしだすそこかしこの声部から、漏れだしてきているようでした。
 全体の音の透明度、流麗さ、綺麗さ、といった尺度では、恐らく前回の1.22のときのほうが上だったでせう。
 今回のみずほフィルの音は、あのときよりは濁って、ときどき音の縁がささくれだったりもしていたから。
 しかし、「音楽」としては、これほど生きた、説得力のある音は、そうそう出せないんじゃないかって気がしました。
 で、僕は、その音の奔流に呑まれ、軽い愕然状態に陥っちゃったわけ。
 たしか以前、敬愛する宇野先生のエッセイかなんかで、オケは指揮者によってぜんぜん音が変わっちゃうんだ、という意見を斜め読みした記憶はありましたけど、それを厳正な事実としてここまで見せつけられちゃうとね---いやー マジびっくりもんの体験でしたよ、アレは…。
 そして、オケのこのような音が最大限に発揮されたのが、

 2曲目のハチャトリアンの組曲「仮面舞踏会」だったんじゃないのかな---。
 これ、この日の演奏会の白眉だったのではないでせうか。
 もの凄くよかったもん---なんというか、このハチャトリアンってロシア派の作曲家さんの画風って、根本的にシュトラウス親子なんかのウィーン派閥とまるきり異なる風情があるじゃないですか?
 もともとの血の濃さの相違っていうか、燕尾服を着てても原始の血のたぎりはどうにも隠せない、みたいなスラブ民族独特のパトスの激烈さとでもいいますか。
 ええ、僕等がワルツと聴いてまず思い描くのは、主にウィーン派閥の、やや着崩した感じの、お午すぎのガーデンパーティーのひととき、みたいな優雅で瀟洒ななイメージじゃないかと思うんですが、このアルメニア人のハチャトリアンの場合、もそっと野蛮な要素を自分の作品内に意図的に注入している気がするんですね。
 そして、優雅の裏手にこっそりと封じこめた、この「野蛮」の気配を、あえて自身の作風の「売り」に仕立ててるってこと。
 ま、クレバーで効果的なな戦略ですわな。
 浅田真央のテーマとして有名になったあのワルツにしても、あれは、自身の作風をより光らせるために、シュトラウス派のワルツのイメージをあえて利用しちゃってる趣があるじゃないですか?
 優雅なワルツの器に、こーんな血のにおいのするタルタルステーキを盛ってみたんだけど、どうかしら? みたいな---。
 要するに、従来のワルツのイメージを、自分の引き立て役にちょちょいと利用しちゃったわけ。一種の確信犯ですよね---声部はシュトラウスの時代より断然ぶ厚くなってるし、それらの声部を重ねあわせたり、たぐり寄せたり、ときによっては片方の音の輪から片方をくぐらせてみたり、場合によってはきりきり舞いさせたり、なにをどうするのも自由自在、器量もセンスもじゅうぶんに持ちあわせた、腕達者な作曲家といった印象でせうか。
 そのようなわけで、僕は、あまりにスマートすぎて感じられる、この業師ハチャトリアンという作曲家をいままでそれほど好んではいなかったのですが、森口氏の指揮するみずほフィルの音で聴いてみると、このハチャトリアン、計算しつくされた達者さ、あざとさといった要素より、むしろ作曲者本来の血の熱さのほうがより大きく聴こえてくるの。
 これがその「仮面舞踏会」のワルツの楽譜ね---あいにくこれはオケ用のじゃなくてピアノ譜なんですけど---このほうが分かりやすいかと思うんで、ちょいと挙げておきませうか。


                       


 上記楽譜の4小節の前奏を終え、5小節目から「ミ-#ソ-ラ-シ-ド-#レ-ミー」という曲のテーマが、ヴァイオリン軍団のなかでめまぐるしい追いかけっこをはじめ、光と影の小刻みなその2重奏がだんだんに盛りあがっていき、それらの上昇ムーブメントの支流のすべてが13小節目からの「ミ・ミー#レ」という大きな吐息にはじめて結びつくところ---に、どうぞご注目ください。
 この曲のキモともいうべき最重要のこの部分で、聴いているお客にどんな種類のカタルシスを与えうるか、というのが、あらゆる指揮者とオケさんにとって最大の見せ場というか、いわゆる腕の見せどころだと思うんですが、この日のみずほフィルさんの奏でたこの部分は、とてもよかった、というか、いい意味で実にロマン派してましたねえ、この日のみずほさんは。 
 僕は、旧東ドイツの指揮者、ヘルベルト・ケーゲルの指揮するドレスデン・フィルでの演奏で、常々この曲を愛聴していたのですが、そのケーゲル氏---彼、東西ドイツ統合の後に拳銃自殺しちゃったあのケーゲルのことです---は、イコンの細密画みたいに精密に音楽を織っていくひとなんですよ。
 彼の指揮で聴くと、音楽は、自身の生命活動を一瞬停止させて、CTスキャンで輪切りにして撮ってみたんですけど、どお? といったような、ふしぎな静止映像のイメージを聴者の脳裏に届けてくれるの。
 要するに、汗のにおいがまったくしない特殊な音楽として仕立てているんですね。
 氷点下にフリーズドライされた鑑賞用の生命生花とでもいいますか---まあ、「死」のメルヘンというか、美しいけど、いくらか不自然な音楽なわけなんです。
 そこにいくと、僕の体験した6.30の森口氏は、熱かった---ええ、愚直なまでに熱かったですねえ。
 前回の指揮者・時任氏の目指した指揮が20世紀後半に流行した「客観的視座からの指揮」ならば、森口氏の指揮は、20世紀前半の、あのフルベンなんかに結びつく路線でせうか。
 とにかく熱いんですよ---そして、もの凄いリアルな生命感に満ちてるんです、オケの細かい音のひとつひとつまで。
 森口氏の指揮で聴くと、この仮面舞踏会のテーマは、行き場のないいくつもの焦燥が、逃げ場を求めてさまよっているうち、例の「ミ・ミー#レ!」になだれこんで一斉に歓喜する、みたいな---聖書のあの出エジプト記張りの、エネルギッシュなドラマとして体感されるの。
 なかんずく僕が魅せられたのは、演奏中の氏の背中の美しさでした。
 さきにも書きましたが、僕は最前列の2列目から舞台をずっと見上げてましたので、超・熱く指揮に打ちこまれている氏の背中がド迫力で間近に見えるわけ。
 その背中を眺めながら、僕がいちばんびっくりしたのは、氏の背中から「見栄」のかおりがまったく漂ってこないことでした。
 こういうのって、実は、あんまりないんですよ。
 音楽家っていったって、まあ俗世のニンゲンですからね---名人と呼ばれたい欲とか、より多くの観客を感動させ感涙させたい、といったような欲目はもっているのがフツーです。また、そいうった欲が皆無なら、競争の厳しい音楽業界のなかを、とても生き残ってはいけないでせう。
 お客をまったく意識しないというのは、音楽という客商売をやる上ではやっぱり欠点でしょうし、自分を実情以上に大きく見せたいというのも、舞台人としては、まあ当然の心理でありプライドなんだと思います。
 実際、前回の1.22のみずほの演奏会のときの指揮者・時任氏の背中は、たえず観客の存在に対してアンテナを張っているのが感じられました。
 これは、悪口じゃないんですよ---観客の反応を見ながら、音楽の装いを瞬間ごとに変えていく即興の才は、舞台人としてのむしろ必然でせう。
 森口氏にしてもそのへんは一緒---コンサート・マスターやそれぞれのオケのメンツに気を使ったり、ゲストのオケのひとをお客に紹介したりと、そのへんの手際におさおさ抜かりはありません。
 ただ、挨拶して、オケが鳴りはじめ、ひととび音楽が未知の大洋に船出すると---もう演奏ひとすじ---そのうちに夢中になって、お客のことなんてきっと忘れちゃうんでせうねえ、あれは。
 氏の指揮する背中から、見る見る世俗の垢が脱色していき、やがて現れてくるあの無心さ!---あれは、ちょっと美しかった。
 なんというか、僕は、氏の演奏する背を見つつ、「土佐の一本釣り」というむかしの日本映画を思いだしてしまった。
 ええ、大海原でカツオの一本釣りをする漁師の背中ってあんななんですよ。
 もう無我夢中---漁のまえはああしようこうしようとか色々と考えちゃいるんですが、いざ魚群に巡りあったら、もう甲板のうえは戦場ですから---ひたすら無心になって、荒海のうえで自身の竿だけを頼りに、海面下の獲物であるカツオと、一対一のタイマンで、ひたすら対峙していくしかない。
 氏の背中には、荒海上の漁師に共通する、その一種得がたい、無心の気配がたしかにありました。
 目に見えないその無心は、オケの各々のメンツに徐々に伝播していき、やがてオケの音のすべてが、森口氏始発の無心に染められて、ひとつの楽器として海鳴りのように鳴りはじめます。
 もの凄い迫力だったな、アレは…。
 僕は、オトコ・森口氏に魅了され、それからオケの強力な「鳴り」に魅了され、さらにはビオラとチェロ軍の低音のツッコミと追っかけに魅了され、総合的な絵師としてのアラム・ハチャトリアンという男の夢想にも魅了されました。
 金管も木管もよかった。
 みんな、夢中になって音楽してた。
 野性的なマズルカとギャロップがことに素敵でした。
 わりと知的でおとなしめに見えるオケの皆さんのどこからこんな野性が吹きだしてくるのかと訝ったくらい、うん、パンキーでキュートな演奏でしたよ、アレは…。
 惜しむらくは、チェロの谷口氏のソロが聴けなかったことかなあ。(前回のエルガーで、イーダちゃんは谷口氏のでしゃばらない、フルニエみたいに瑞々しいチェロのファンになっていたのでありました)
 うん、ひとことでいって、とてもアマチュア始発とは思えない、熱くて真摯でエスプレッシーヴォな音楽を聴かせてもらったわけでして、そのことに対してイーダちゃんは非常に感謝の念をもっている、と、ここで多くの方にお伝えしておきたいですね---。m(_ _)m

 で、プログラムのラストは、ショスタコーヴィッチの5番----
 だったのですけど、ここまできて察しのいい方はすでに感づいているかも分かりませんが、イーダちゃんは、ショスタコがむかしっからどうにも苦手なんですよ。
 理解しようとして何度も聴いたんですが、ブルックナーやシベリウスみたいには、どうしても夢中になれんのです。
 優れた音楽だっていうのは分かるし、繊細なうえにも繊細な機微を表した音楽だってこともまあ分かる。
 でもね---「おお、こんなとこまで音楽で表せるのか!」という音楽のひだを追っていくとさらに繊細淫靡なひだがあり、「おお、さっきより微妙で繊細な不安の表現がこんなところまで! 音楽でこんなことまでやれるのか…」と思っていたら、そのさきにもさらに超・繊細なひだがあり…。
 そーして延々とそのマトリョーシカ状態がつづいていくの。
 いくら繊細であっても、繊細針ばかりで布地をちまちまと縫いあげていくと、作品全体はシベリア平原のごとく大味になる、ということを、僕はショスタコ経由で知ったような気がします。
 やはーり、やはり彼は、ラフマニノフとおなじ純然たるロシアの作曲家だったのですよ!
 僕は、ショスタコを聴いていると、ゴンチャロフの「オブローモフ」を決まって思いだすんです。
 ペルシャのガウンを羽織ったオブローモフが、ベッドから降りてスリッパを履くまでまるまる一章もかかる、あの退屈で愛しい大小説「オブローモフ」!
 機敏で秀才、器用でなんでもできる天才ショスタコーヴィッチと、無為と退屈とを愛した、徹底的にアンチ・ロマンの、あのオブローモフ!
 表面上はまったく似ちゃあいませんが、両者の必然の共通項である「ロシア」という広大な土地の香りに、僕は非常に惹かれます。
 ショスタコはどうしても好きにはなれなくて、そのせいもあって森口氏とみずほフィルの好演にもかかわらず、第3楽章のラルゴではついついうたた寝をしてしまったことを、ここに正直に告白しておきませう。


                 ×           ×             ×

 ま、そのようなわけで、みずほフィルの第22回の公演は、とってもよかったのでありますよ。
 はじめて生のオケを聴いた同僚の女の子は、ハチャトリアンのワルツの躍動感にすっかり魅せられて、両頬を真っ赤にしていました。
 で、コンサートのあとには友人みんなで集まって、お茶飲んでおしゃべりしたりで非常に楽しい宵をすごすことができました。
 こういう時間がときどきあると、うーむ、生きるってなかなかいいもんだなあ、なんて改めて思ったりしちゃいます。
 こんな時間ばかり集めて人生を紡いでいけたらなあ、と一端は夢想したりもしたんだけど、もし、実際にそれをやったら、人生全体が平板な無為になっちゃって案外退屈かも、と思いなおし、明日以降の平板な日常に向け、「むう!」と改めて気張ってみせたりもする、公演帰りの夕映えイーダちゃんなのでありました---。
 

 あ。最後に森口氏関連の情報---いま、youtube に森口氏のリハーサル光景の映像がアップされています。
 これは買いですヨ。このフィルムのなかには、音楽に対する氏の確信、非凡なパッションなどがあますところなく表現されてると思う。
 興味ある方はご覧あれ---森口真司 youtube ですぐに到着できると思います。

 
                                    



 


 
 

徒然その112☆ベランダ鳩と闘う--でも、最後は涙の章(ToT)-☆

2012-07-01 22:38:21 | <がらくた小箱>
                           


 いい年をして阿呆だなあ、と思うんだけど、イーダちゃんはむかしっからガンが好きなんですよ。
 ただ、僕の時代はモデルガンの全盛で、いまみたいなエアガンというのは、まったくなかったんですよね。
 だもんで、20年以上、まあガンマニアとしてのブランクがあったわけ。
 でも、こないだ、まえの職場の同僚とたまたま飲みにいって、帰りにそいつのところにいったら、このエアガンがあったんですね。
 で、醉っぱらったまま撃たせてもらったら、これが凄いの---強力なBB弾が、まっすぐに銃口から弾きだされるうえ、なんと、自動式拳銃のスライドが自然とブローバックするんです!
 これには、マジびっくりしました。
 だって、火薬もなんも入れてないのに、ブローバックするんだもん。
 あとから聴いたら、それは、電動ガンという最新の機構をもった銃だったというんですけど、いやー、びっくりしました。
 そして、感動しましたね---命中精度もそーとーいいんだもん、これ。
 その週のうちに、熱に駆られて、一挙にエアガンを5丁も買っちゃいました。

 コルトの9ミリ、ダブルアクションのオートマチック、ダブルイーグル45AP---
 おなじくコルトの357マグナム・リボルバー「パイソン」の6インチ・モデル---
 重厚なクラシカルな雰囲気がたまんない、マルゼンの、超・美的なワルサーP-38に---
 米軍の制式拳銃、いまもっともトレンディーなガン・ベレッタ9ミリのM92F---
 そして、これはガスガンなんだけど、コルトの形式をそのまま採用して、競技用に銃身をにょーっと長くした、ユニークなAMT ハードボーラー…。

 あのー これ、書いてる僕は楽しくて、ほとんど至福状態なんですけど、読まされるほうは、たぶん、そうもいかんでせう。
 てゆーか、興味ないひとは、なにが書かれているかすら意味不明だと思う。
 だもんで、もそっとウンチク垂れたい気持ちをなんとか抑えて、うーむ、次、いきませう。

 そうして、最近の話になるんですが、今年の春あたりから梅雨にかけて、イーダちゃんは、なぜか眠りの浅い日が多くなってきたんですね。
 目が覚めてみたら、首のうしろから後頭部あたりがずっしりと重くてね---梅雨入りしたばかりのある明け方、何気に目をさましてみると、ガラスの外のベランダから鳩の声がしげく聴こえてくるの。
 クックー、クックーってね、もう延々やってる---。
 カーテンあけて、ガラス戸をがらりとやると、ベランダ上を2羽の鳩が小走りして、柵をすり抜けたと同時に空高くばさばさーって飛んでいっちゃった。

----ははーん、してみるとここ最近の俺の不眠の原因は、連中の仕業だったんだな…。

 と、不眠気味のイーダちゃんはやや唇をゆがめて、逃げていく鳩をじっと見送りました。

 ええ、このときから、イーダちゃん対ベランダ鳩との一戦がはじまったのです。
 管理人さんに聴くと、鳩公害っていわれている事象が、このマンションでも結構あるんだ、とのこと。
 特に、鳩がベランダに巣をつくっちゃうことがときどきあって、それがいちばん始末がわるい。そうなると鳩も居住権を主張して、もうちっとやそっとじゃ出ていかなくなっちゃう。だから、住人の方も心して、ベランダは清潔に掃除して、鳩が巣作りなんかできないようにしてくださいね…。
 ふーむ、と、その答えを耳にして、イーダちゃんの心は決まったのです。

----おーし、なら、いつも部屋に弾入のエアガンを用意して、鳩がきたらそれで撃ったろ…。

 えっ、野蛮ですか?
 そーかもねえ。けど、鳩っていつかせると、隣のベランダまで被害が及んだりして大変なんですよ。
 洗濯物が糞まみれにされて、干せなくなった事態なんかも過去にはかなりあったらしい。
 ならば、やらずばなるない---エアガン作戦の実施です。
 ただし、殺したり怪我させたりする意図はまったくないんで、威力のありすぎるガスガンは封印し、懲らしめのためのエアガンのみで対処することにしました。
 僕が特によく使ったのは、10才以上用の安物のトイガン、コルトのダブルイーグルでしたねえ。


                    
        上:著者の愛銃マルゼンのワルサーPー38。でも、これは、鳩に怪我させちゃうんで未使用なり。
 
 意識して耳を澄ませていると、僕のベランダはひっきりなしに鳩の居場所と化していることが、よく分かりました。
 くっくっーと聴こえると、忍び足でダブルイーグルを手に取り、安全装置を外し、スライドもがしゃっと引いて。
 それから、ガラス戸をあけ、エアガンをぱんぱん撃つ---!
 至近距離ですから結構当たるんですよ---当たるとびっくりして、飛行の軌道が咄嗟に変わったときなんかもあった。
 動物愛護の精神にはもとるのかもしれないけど、そういうときは結構嬉しかった。
 狩猟人として代々受け継いできた、人類伝統の狩猟本能の血が騒ぐ、みたいな感じです。
 1日に6度くらい、BB弾を撃ちこんだときもあった。
 でもね、この鳩さんたち、メゲないんですよ。
 撃っても撃っても、毎日やってくるの…。

----おいおい、勘弁してよ、怪我しちゃうゾ、お前らさぁ…。

 で、その朝、鳩声に気づいた僕がベランダ・ガラスをがらりとやったら、またもやそこに鳩さんが2羽---。
 すかさずパンと撃った。
 したら、1羽は、ぱっと逃げたんですが、ベランダの奥にいるほうの鳩が、なぜだかそこを動かない。
 一瞬、彼女と僕の目が合いました。
 普通だったら、こんなとき、まず逃走するのが動物の本能でせう。
 しかし、彼女は、そうしないの。
 
----おい、逃げろよ、撃っちゃうよ、おい…。

 顔をはずして痛くなさそうなしっぽのほうに、僕は狙いを定め、一発、ぱんと。
 彼女、びくっとなった---でも、動かない---きょとんと困ったような顔で固まってる---なんで?
 撃ってるイーダちゃんのほうに焦りが広がります。
 超・困った---けど、乗りかかった舟だし---もう一発!---様子見のBB弾をしっぽのほうに撃ってみる。
 でもね、まーだ彼女は動かない!
 トイガンの弾が2発、確実にあたってて、結構痛いはずなのに。

----ええ、マジかよー!? うそだろう、まいったなあ…。

 しかたがないので、ベランダから一時離れて、部屋の奥から木刀をもってきました。
 もちろん、それで叩くつもりじゃない、それでベランダ奥から鳩さんをそっと追いだす腹づもりです。
 手にした木刀を伸ばして、それでそーっと鳩さんを押すと、彼女、前のめりにトトトッと歩いて、やっと、ベランダの柵の外にでて、ぱたぱたぱたーって空に舞っていってくれた…。
 僕は、なんだかホッとして、彼女のいたベランダ奥を何気に見たら、息、とまりました。

----!

 だって、そこには、無数の小枝を集めてつくった、できかけの巣があったんですから。
 いままで旅行かばんの死角になってて見えなかったんですね。
 そして、そのなかには、産みたての白い、ちっちゃな卵がふたつ…。

----嗚呼、糞ッ…、このために、お前、あんなに身体張ってたのかよーっ…!

 胸、潰れそうになりましたねえ、なんか。
      

                 
        上左:鳩が巣作りしていたベランダ奥。旅行かばんで奥は見えなかった。  上右:小枝と卵ふたつ…。

 結局、巣になりそこねた小枝、全部掃いて、片付けて、割らないように卵チリトリに入れて、それ、ゴミ袋に入れて…。
 そのあいだ鳩の母さんは、やや遠くの階段の縁にとまってね、こっちの様子をそっと窺ってるの。

----くくくー、あらあら、あたしの子供たちは、どこにいっちゃったんだろう…? くくくのくー…。

 僕は、なんか目わあわせらていられなかったな---巣を破壊しちゃった罪の意識で。
 その日、日が暮れるまで、その鳩の母さんは、空っぽになっちゃったベランダに、何度もぱたぱたと様子見にやってきました。
 ええ、結果的に鳩公害を除去することはできたんですけど、でも、僕的には、非常に後味わるかったですね、この小事件は。
 その夜のビールの苦いことったらなかったな…。
 やっぱ、母ってスゴイっスよ、うん、あらゆる意味で。
 翌朝の早朝、仕事にでるときも、この鳩の母さんは、ベランダ近辺の階段の手すりにとまって、ベランダのほうをまだじーっと窺ってました---クックックッーと、例の調子で喉を鳴らしながら…。