イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その211☆ なぜかアガサ・クリスティー ベストテン! ☆

2015-06-24 12:36:17 | ☆文学? はあ、何だって?☆

                            


 Hello、先日、箱根噴火調査に2、3日赴いたんだけど、人工噴火らしい証拠はあげられなくて、ややケションとなっているイーダちゃんです。
 しかし、まあ、それはそれとして、あんだけ人気のない箱根は未体験なんで、アレはある意味壮観でしたよぉ。
 特に早雲山に至るケーブルカーなんて、超・がらっがら。
 中国人の観光客幾組とネパールの坊さんくらいしかお客がいないんで、あれは、箱根を独占してるみたいで、ちょいと愉しかった。
 あと、強羅---地鳴りが、なんちゅーかもの凄かったのよ。
 強羅から大涌谷までは3キロくらいしか離れてないんで、臨場感はハンパないわけ。
 一軒だけあいてた駅裏のお蕎麦屋「手打ち蕎麦 春本」さん---ちなみに、こちらのお蕎麦、絶品でした(-_-;)---で尋ねたら、ゴーッっていう飛行機みたいな地鳴りが連日鳴りつづけてるんだとか…。

            
                 ↑超がらがらの強羅駅。ジェット機みたいな地鳴りがずーっとしてました。

 そりゃあまあ、そうなると家族連れのお客は引くわなあ、と、悄然と語るおじさんの顔を見ながら、僕はつい思ってしまった。
 観光で食ってる人達にしてみると、今回の火山騒動は、相当な打撃なんでせうねえ。
 ただ、問題があまりに大きすぎて、どうしたらいいかは分かりませんでした…。

 でもですね、実は、今回のテーマは、箱根火山じゃないのです。
 この箱根調査で、僕は、箱根湯本の定宿「かっぱ天国」に2泊したんだけど、この宿で僕はなぜかクリスティーに出会ったの。
 ええ、ミステリーの女王、聖書の次に読者をもっているっていう、あのアガサ・クリスティー---。
 「かっぱ天国」の宿泊棟には観光客向けの貸出用の本棚がありまして、僕、夜は湯浴みのあいまに本を借りて、それを流し読みしてたの。 そんなに本気で力入れて読んでるわけじゃなかったんだけど、その借りた本のなかにクリスティーのミステリーがたまたまあって、それがえらい面白かったんだ。 
 読んだのは「ポケットにライ麦を」と「予告殺人」---どっちとも超・面白かった!
 温泉湯治のあいまにミステリーって、いままでやったことなかったんだけど、これ、いいっスねえ。
 僕は、もー ハマってしまった…。
 
 で、それに触発されて、ここ1月ばかりのうちに、クリスティーを25冊、つづけざまに読んだんですよ。
 僕は、少年時から推理小説のファンなんだけど、クリスティーには正直疎かったの。
 あえて告白すると「そして誰もいなくなった」と「アクロイド殺し」と「オリエント急行の殺人」しか読んだことなかったんです。
 それまで、なんとなく彼女の作品って「軽い」なんて風に先入観もってたんですよ。
 なんでだろう? 当時の友人連の影響だろうか?
 そうして実際に読んでみると、彼女の作品が非常によくできてることに気づかされました。
 このひとって「ハズレ」がないのよ。
 どれ読んでもそれなりに面白く読めて、意外な犯人にびっくりさせられる。
 これは、単純に凄いことですってば。
 犯行トリックのバリエーションなんてもう1930年代にすでに出つくしてしまったはずなのに、彼女、共犯者とかいろんな切り口の手口を使って、作品の奥行を「ばぐーん」と広げているんだわ。
 あと、作家としての描写力---僕は、一時アメリカを風靡したヴァン・ダインのペダンチックなあの厭らしい知識の羅列なんかも案外好きなんですが、クリスティーの描写力は彼よりも一段上ですね。
 ヴァン・ダインは、自分の感性の升目に、キャラを閉じこめちゃうんですよね。
 だから、キャラがどっか窮屈げなそぶりで、あんま生き生きしてこない。
 理論派の先鋭みたいにいわれてるけど、僕、このひとは鏡花みたいな感性派だと思います。
 ディクソン・カーは、トリック重視しすぎ---小節全体のバランスがなんかヘン---あと、安っぽい魔術趣味が興をそぐきらいあり。
 エラリイ・クイーンは万能選手だと思うんだけど、あまりにもアメリカアメリカしてて、ちょっとゲーム臭が濃すぎる感じかな?
 そこいくと、クリスティーは進んでる。
 彼女、男性作家にありがちの、自分の世界観にキャラをむりやり閉じこめちゃうっていうアレをしないんだ。
 まずは、すべてのキャラを受容して、まずは彼等に自由にしゃべらせたり行動させたりして、そこから丁寧に物語を紡ぎだしていくわけ。
 ワンマンな指揮者が牽引するんじゃない、どっちかっていうとモダンジャズみたいなノリで物語全般が民主的に進んでいくの。
 むろん、彼女にも彼女なりの時代制約みたいなモノはあるんですが、彼女の場合、読み進めていくうちに、そんな時代臭はあんま感じなくなってきちゃう。
 隣町の友達の事件を見聞きしてるみたいな、なんだか身近なノリになってくるわけ。
 ニンゲンがよく書けてるんせいだと思います、特に会話が素晴らしい。
 会話のリズムっていうのか、そういうのが自然でとっても生き生きしてる。
 これ、若いときピアノ弾き志望だったのが影響してるのかしら?
 クリスティーの師匠筋にあたるイーデン・フィルポッツも、クリスティーのこの会話力は認めてたらしい。
 ただ、師匠のフィルポッツと比べると、やっぱ、クリスティーの作風はちがってますね。 
 フィルポッツの「赤毛のレドメイン家」とか「闇からの声」なんていうのは、僕は、豪華絢爛なオーケストラ・サウンドだと思うんですよ。
 彼、腕力ありますからねえ。
 むちゃくちゃ博識だし、それに追随するデッサン力も、人物造形も、丁々発止の駆け引きの表現も、あの江戸川乱歩が絶賛したように、どれもこれも素晴らしい。
 ただ、なんでだろう?---フィルポッツの作品って、やっぱ、ちょっと古びて感じられるんです。
 僕は、彼を読んでると(といっても読んだのは20年くらいまえだけど)、なんちゅーかスティーブンソンの「宝島」あたりを読んでる気にいつもなってくるの。 
 やっぱり古典のひとなんですよ、フィルポッツ氏は。
 いまいちシェークスピアを振りきれてないっていうか、読んでると、どっかで禁欲的なカトリック世界の過去臭が香ってくるみたいな---そこいくとクリスティーっていうのは、これは、ポップスなんです。
 シンプルでスピーディーで、なんともキャッチーな---。
 バックの和音ひとつにしてもフィルポッツみたいなオケのぶ厚い和音じゃなくて、シンプルなバンド編成だから、こっち的にも気軽に聴けるわけ。
 あと、古いひとのはずなのに、ふしぎなくらいふつんと過去から切れてるの。
 物語の展開も、4分の4拍子とか4ビートじゃなくて、彼女、完璧8ビートしてるしね。
 たしかに軽いよ、それは否定しない、でも、殺人犯の内面を解剖しすぎちゃったらドストエフスキーになってエンターテインメントの矩なんてすぐ越えちゃうし、陰気すぎるとこれまた読んでて息苦しくなっちゃうし、そのへんのバランス感覚っていちばん難しい部分なんじゃないかな?
 クリスティーがなにより秀でてたのはそこだ、と僕は思うのよ。
 推理小説の最高峰は、僕は、いまだエドガー・アラン・ポーしかいない、と思ってる。
 クリスティーは、ポーみたいな神経の塔の頂上を極めた天才じゃない。
 けど、彼女は、それに代わるモノをもってました。
 それは、ジャパニーズ・花板の包丁さばきみたいな、俊敏で、はしこく、華麗でいて極めて実利的・現実的な感覚というか。
 濃厚なロマンティスズムに染まらず・溺れず、あまりに功利的すぎるマキャベリズムにも流されない、ある意味クールな彼女独自の羅針盤のようなものなんです。
 これがあったから、クリスティーの作品は、いまも時のもたらす風化にも耐え、生きのびていられるんじゃないかしら?
 僕はクリスティーのこの感覚って、現代のマンガに通じてる部分も相当あるんじゃないか、と感じてもいます。
 この身軽な佇まいというか、自由でモダンな空気というのが、僕は、彼女の作品世界がかくも世界中で受け入れられている理由だ、と思うんだ。
 この女臭くない、なんとも肌触りのいい女性目線を感知愛好しなきゃ、それは、読書好きとして大損だって。

 ま、前口上はこれくらいにして---では、クリスティー作品のベストテンにいよいよいきますか---


                     <アガサ・クリスティー・ベストテン by イーダちゃん>

             1.そして誰もいなくなった
             2.五匹の子豚
             3.鏡は横にひびわれて
             4.ナイルの死
             5.ポケットにライ麦を
             6.オリエント急行の殺人
             7.ゼロ時間へ
             8.牧師館の殺人
             9.白昼の悪魔
             10. 復讐の女神



★1位の「そして誰もいなくなった」は、クリスティー・マニアからすると「ええ~っ!」と失望溜息モンのセレクトかもしれないけど、ごめんね、これだけはどうにも譲れない。
 赤川次郎もいってるけど、これ、やっぱり凄いっスよ。
 僕は、これ中一のときはじめて読んだけど、読み終えて茫然となったもん。
 小説のかたちはしてるけど、この作品の本質は手品ですよ。
 「アクロイド殺し」はアンフェアだと思っててどうしても認められないけど、これはちがうんじゃないですか?
 コンパクトでシャープに切れて普遍性もある傑作だ、と僕は思います。
 インディアン島に響きわたるマザーグースの歌が、不気味わるくて、もーワクワクもん。
 童謡殺人の先鞭をつけたのは、ヴァン・ダインの「僧正」だけど、この作品、完全に「僧正」を上まわっちゃってる、いわば決定版。
 むろん、必読! あしたのために読むべき比類なき傑作でありまする。
 
★2位の「五匹の子豚」ってのは、これは、僕の趣味セレクト。
 したがって、あんま一般性はないと思う、知名度もほかの夕名作ほどないし。
 でも、これ、傑作---回想の殺人ってジャンルは、ひょっとしてクリスティーの独創じゃないかもしれないんだけど---過去にテイの「時の娘」なんて秀作もありますからねっ---このジャンルをここまで成熟させたのは、やっぱクリスティーの功績でせう。
 僕は、この作品内で殺される、被害者の画家の濃ゆいキャラが、まず大好き。
 あと、当時の事件の関係者に皆手記を書かせて、それで小説を構成させちゃうなんて、なんか現代南米小説のパルガル・リョサの「緑の家」やプイグの「蜘蛛女のキス」みたいでカッコいいじゃないですか。
 それに、超・余韻の残る、クリスティーには珍しい、因果な「人生」の香る名ラスト。
 僕的には、この作品、贔屓筋にして推したいくらいの、とびきりの佳品なんですけど…。

★3位「鏡は横にひびわれて」---これは、完璧少女マンガですね。
 ニッポンに少女マンガってジャンルが誕生するはるか以前の少女マンガ。
 この作品の通奏低音としてたえず流れてる、テニソンの詩がなによりアンティックでいい香り…。
 僕、テニソンの詩は、最初に「赤毛のアン」で知ったのですが、シャルロット姫ごっこで溺れかける、あのアン・シャーリーのキュートな逸話が、どうしてもこの作品中にもこだましてきてしまって、とても客観的には読めなかったな。
 犯人の動機にはもう愕然!---これは、オトコには決して書けない種類の話でせう。
 ラストで自死しちゃったヒロインを、テニソンの詩の花束で見送ってやるのも、完璧少女マンガの見開き2ページのラスト手法をすでに先取りしてて、もうたまらんの…。
 とってもきめ細かい生地の香り高き秀作なり---あ。ちなみにイーダちゃんは、ポワロよりミス・マープルもののが好きであります。

★4位「ナイルに死す」は、誰もが推理小説って聴いたときに脳裏に閃くだろう、推理小説イメージの完成形。
 これぞ横綱って感じの、純正英国印の王道的作品でせう。
 舞台がエジプトっていうのもエキゾチックでよし---僕は「メソポタミアの殺人」も「カリブ海の秘密」なんてのも読んだけど、海外ものでは、これがいちばんいけてる気がします。
 セレブ観光旅行御用達の客船上でおこる密室殺人---これは、推理好きなら誰でも萌えるって(^^ゞ
 たしか、何度か映画化されてもいるはずです。
 トリックの出来もクリスティーものの白眉といっていい---まえから思ってたけど、クリスティーって共犯者の使い方がとても上手いっスねえ?
 あと、一端犯人と目された男の嫌疑が晴れて、新たな真犯人が探されはじめるんだけど、いざ事件が解決してみれば、最初に犯人リストからはずした最初の容疑者が実は真犯人だったみたいな---。
 そのあたりの複雑繊細な騙しの重層テクは何度読んでも凄いや。
 あ。これ、エルキュール・ポアロが大活躍しますんで、彼が好きなひとには特にお勧め。

★5位の「ポケットにライ麦を」は、僕をクリスティー世界に再び誘ってくれた記念碑的作品。
 作品的な出来は、クリスティーからすると平均的水準なのかもしれないけど、僕は、この作品の細部細部がとっても好み。
 庭の毒のあるイチイの美しい木々、ッサイコパスの殺人鬼、そして、クリスティー十八番のマザーグースの童謡…。
 犯人に騙され殺される、ミス・マープルの元女中さんがなんとも憐れでさあ…。
 事件がすべて終わったあとで、死んだ彼女からの遅れた、犯人の写真入りの手紙がミス・マープルのもとに届くどんでんラストが超・泣けました---。

★6位の「オリエント急行」は、中学のとき読みました。
 そのときはもう犯人知ってて読んだものだから、正直まったく面白くなかったの。
 でも、今回再読してみたら、これ、スゲーよくできてるねえ。
 フツーの推理小説の枠を超えようってクリスティーの野心が透かし見える、これ、傑作だ、と思いなおしました。
 ちょっと純文的な領地にまで踏みこんじゃってるお話ですよ、これは。
 雪で立往生したオリエント急行ってシチエーションも密室的に大変グー。
 読後のビターで複雑なな味わいは、クリスティー小説のなかでも白眉なのではないかしら? 

 ま、ね…、だいたいにおいてこんな感じかな?
 あ。「検察側の証人」「ねずみとり」なんて戯曲群も読んだけど、クリスティーの戯曲は、僕は、あまりにマンガチックな気がします。
 登場人物が、デフォルム効きすぎて、その結果あんまりキャラが立ちすぎてて、ちょっとしたギャグマンガみたいに思えてきちゃうのよ。
 最近評価の高い「春にして君を離れ」も一応読んだけど、うーん、これだったら僕はやっぱりジョイスとかガルシア・マルケスなんかのほうを取りますね。
 よくできてるポップスなんだけど、このテーマを扱うのに、ポップスの文脈だけだと、やっぱりなんか足りないのよ。
 ニンゲン内部のドロドロを描くなら、作者自身も地獄の泥をもっと被らなければ…。
 そういった意味での「狂気」が、クリスティーには欠けている、と僕的には感じられます。
 クリスティーってそこまで親切じゃないのよ---登場人物の内面の奥底まで侵入してって、そのまま心中するのも厭わないみたいな、そのような「詩人魂」は彼女のなかにはありません。
 クリスティーは、ランボーやゴーゴリみたいな怪物じゃない、なんちゅーか、もそっと一般人寄りのひとですよね。
 フツー基準に親切で、フツー基準に薄情で…。
 でも、だからこそ現代人の共感をこれほどまでに呼べるのではないでせうか---ねえ?

 なあんてずいぶん生意気なこといっちゃいましたけど、イーダちゃんは、クリスティー大好きですから、念のため---!
 仕事に疲れはてた寝床前、脇においた挽きたてのコーヒーをときどき飲みつつ、クリスティーのミステリーを読むときのあのパラダイス感覚---あれは、ちょっとほかでは味わえないくらいの、一種とびきりの娯楽なんですよ、僕にとって。
 ですから、クリスティーには感謝してます、とっても。
 最後まで軽やかなフットワークを失わなかった、そんなクリスティー女史にコーヒーカップ一杯分のささやかな感謝の念を捧げつつ、約ひと月ぶりのこの投稿記事もそろそろ閉めることにしたいと思います---お休みなさい---。