イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その118☆まことの聖地「熊野・大斎原(おおゆのはら)」にて☆

2012-09-13 10:49:57 | ☆パワースポット探訪☆
                  


 少々古い話で恐縮ですが、2008年の11月24日から29日にかけて、イーダちゃんは、熊野の地の探索に赴いておりました。
 第一の目的は、ま、温泉ね。
 熊野には、日本最古の、世界遺産にまでなった、あの湯の峰温泉の「つぼ湯」がありますから。
 ほかにも「川湯温泉」とか「渡瀬温泉」とか、特A級の名湯はいっぱいある。
 温泉フリークであるイーダちゃんにしてみれば、これは、願ってもみない土地柄であります。
 ただ、この旅には、実は、それ以外の第二の目的というのもあったのです。
 それは、パワースポットの探訪というもの---。
 熊野というのは、古来より、ひとが生活を営む平地とは区別された「黄泉の国」として見なされていた、いわば特別な土地だったのです。
 ここの山々を越え、徒歩ではるばると巡礼すれば、心身にたまった垢が落とされ、それまでの罪業も負のカルマも綺麗に洗われ、罪人も病人も宿願の「再生」を果たすことができる、と代々信じられてきたのです。
 そーんな有難い土地は、残念ながら野蛮な東の国(注:イーダちゃんはその関東人です)には、いまだありませんや。
 いろんな歴史書や文芸書、あるいはオカルト文献なんかで、そっち系の知識をしこたま仕入れるのに余念のなかったイーダちゃんにとって、そんな熊野は、まさに憧れの大地であったのです。
 ですから、このときの熊野行は、自分的に凄く盛りあがりましたねえ!
 さて、このときの熊野行にあたって、僕がまず頭をひねったのは、滞在場所の確定でした。
 有名な場所だから、金さえ払えばいくらでもいい部屋には泊まれます。
 でも、せっかくの熊野古道巡礼の旅を、あまりにも俗世的な快適欲で汚しちゃうのもどうも気がひける。
 というようなわけで、イーダちゃんが最終的にセレクトしたのは、あの熊野神宮の宿坊だったのであります。
 ええ、あの熊野神宮の敷地内には、宿坊があったのです。
 その名も「瑞鳳殿(ずいほうでん)」!---なんと、有難くも気高い御名ではないですか。
 一泊の料金、3000円。しかも、駐車場代まで無料とくる。
 こりゃあ経済的じゃないですか。おまけに古道を歩くひとのために、巡礼用の杖まで貸しだしてくれるらしい。
 巡礼の旅人のための至れりつくせりの気遣いに満ちている、この博愛的なシステムを利用しないテはありません。
 で、イーダちゃんは、こちら、熊野神宮の宿坊「瑞鳳殿」さんに3泊することを決めたのでした。


                   
               


 そうして、2008月11月25日の夕遅く、白浜温泉と湯の峰温泉の「つぼ湯」を経由してきたイーダちゃんが、愛車でようやくこちらの「瑞鳳殿」さんにたどりつくと、うわ、思っていたよりずいぶん立派なところではないですか。
 木製の二階建ての、体育館みたいな造りの、古い建物です。
 でも、重い荷物の詰まったリュックをクルマから運びだした僕が、なにより先に感じたのは、建物に刻みこまれた歳月の重みというよりは、建物全体を含むこの土地全体に充満している「気」の厳しさのほうでした。
 ええ、クルマの密室空間から冷たい外気の外にでた途端、襟元がゾクリとしたもん。
 那須の北温泉の駐車場にきたときの空気と、ちょい似てる。
 そう、那須のあそこらへんも、いわゆる修験道の土地でしたから。
 ただ、こちらの場合、その厳しさの「度合い」が、それよりもややキツイ気がする。地霊というか、そういった厳粛な気配がビンビンするの。
 やはり、これは、神社の敷地内に建物が位置しているせいでせうか?
 ずーっとむかし、神代の時代には、神とひととは土地を住み分けて住んでいた、という話を聴いたことがあります。神社の敷地というのは、つまりは「神側」の土地、本来ならひとの住めない特別な神粋なのであって、むりにそこに住もうとしたら「障り」がある---ということは、ほん怖の「魔百合のショックレポート」を読んで学んではいましたが、本で読むのと実際に肌で体験するのとでは大ちがいです。
 ましてや、いま僕がここにこうしている神社は、ただの神社じゃない。
 あの「八咫烏」が創設したという、天下の熊野神宮なんですから。
 これほど濃密な気配に満ちているというのも、それは、ある意味当然かもしれない。

----しっかし、くる…うん、ここ、くるよなー……。

 とボヤキつつ、案内されただだっぴろい部屋内に荷物を広げはじめます。
 でもね、寝ながらビール飲みつつ読もうと思っていたお色気雑誌とかは、どうしてもリュックから取りだせなかった。
 おっかないんです。やりづらいんです。そんなことしたら、どっかの誰かにいまにも怒鳴られそうな気配がするんです。
 非常に厳しい視線に注視され、監視されているような、ふしぎな感覚---。
 この皮膚感覚は、僕がこの宿坊にいるあいだじゅう、ずーっとありましたね。
 だもんで、僕は、自分の精神世界内も清潔にするよう心がけないわけにいかなくて、Hなこともなるたけ考えないようにしてた。
 おかげで「瑞鳳殿」にいるあいだの僕の精神世界は、坊主のごとく清潔だったのです…。(^.^;>

 ただ、この夜の「瑞鳳殿」には、宿泊客は僕ひとりきりしかおらず、一応麩で部屋分けこそされているものの、本来は大広間の宿坊ですからね---麩をちょいとあけると、まっ暗闇の畳のスペースが延々と見えて---しかも、いまいったような峻厳とした「気」の満ちた気配でしょ?---このような部屋でじっとしてるのは、いささか怖くもありました。
 だもんで、暇にまかせて、僕は、「瑞鳳殿」の探検としゃれこんでみたのであります。
 でも、そーっとね---なぜなら、1Fは宿坊だけど、2Fはここ、宿坊勤めの坊さんが眠っているから---なるたけそーっと「瑞鳳殿」の1Fを探索したイーダちゃんが見た光景は、以下の通りです。


                
                


 おーっ! と、ここで、格闘技に興味のある方は、のけぞらなくっちゃいけません。
 僕ものけぞりました。
 だって、なんだってここに、あの植芝盛平先生のポスターがあるのよ---?
 (注:植芝盛平翁というのは、日本の合気道の草分け的存在。メチャメチャに強かった御仁。軍の兵隊と決闘してピストルの弾丸をよけたエピソードとかが目白押しの超巨星。あの「神業」塩田剛三氏の師匠でもあったひと)
 しかも、どう見ても道場みたいな、この畳の間はなーに?
 あとで判明したところによると、合気道の1年に1度の伝統のイベントは、ここ、熊野で必ず行われることになっているのだとか。
 しかも、僕のこの旅のメインの目的である「大斎原」で、それは通常行われる、というのです。
 そうとわかったとき、イーダちゃんは思わず膝を叩いちゃった。
 さっすが合気道、自然の「気」のパワーってのをちゃんと分かってるんだなあ、と嬉しかったですねえ。

 そうして、翌日の早朝訪れた「大斎原(おおゆのはら)」が、こちらです。
 まず、ページ冒頭の上のフォトを見てほしいなあ。
 あの、どう思います、これ?
 僕は、なんというか、この「大斎原」というのは、いままで訪れた夥しいパワスポ系の場所のうち、もっとも好きな場所のひとつなんです。
 だって、ここ、凄いんですモン---まず、ニッポン一の大鳥居ってのが凄い。
 この鳥居、上の部分に3本足の八咫烏の紋章が刻んであってね---下からそれを見上げたときの威容は、なんともたまんないものがある。
 それからねえ---なんと、この「大斎原」には、神社の社殿もなーんもないんです。
 ええ、「大斎原」って、基本的にからっぽの場所なの。
 より正確にいうなら、本来の熊野神宮というのは、長いことこの「大斎原」にあったんですよ。
 すなわち、長い歳月、多くの巡礼者にとっての「蘇りの聖地」でありつづけていたのは、現在の現・熊野神宮ではなく、元・熊野神宮であるところの、ここ「大斎原」だったのであります。
 ただ、明治22年の大洪水で社殿が全部流されちゃって、現在は、石祠が残ってるだけの場所になってしまったという塩梅。
 (「大斎原」の熊野神宮は、熊野川の中洲にあったのでした)
 でもねえ、ぱっとしない石祠のほかにはなんもない、このからっぱの場所が、どういうわけかとてもいいんです。
 僕は、現・熊野神宮の社殿より、はるかにこっちのほうが好きだなあ。
 まあ、論より証拠---次のフォトをどーぞ御覧下さい---。


             
             
          


 如何かな---?
 凛として、同時に限りない包容力をも感じさせてくれるような、稀有の自然のオーラを体感していただけたでせうか?
 率直にいっちゃいますと、こちら「大斎原」---僕的基準でいいますと、5本の指に入るほど超・好きなパワースポットのひとつなんです。
 峻厳と寛容とが同居してる。
 張りつめた厳しさと凪いだ微笑とが、おなじひとつところに同時に存在してる。
 もうほとんどマジックですよね? このような場所は、僕は、ほかに知りません。
 ええ、こちら「大斎場」さんは、僕的にいって、伊勢神宮のあの「内宮(ないくう)」さんに富士樹海、あと、長野伊那市の「分抗峠」に北海道の「サロベツ原野」、それから、あの下北半島の「恐山」なんかとおなじような、いわばスペシャルな場所なんですよ。
 あの世とこの世とが交錯して存在しているみたいな、摩訶不思議な異空間---。
 そこにいると、もういるだけでパラダイスといったような、一種の至福酩酊状態にいつのまにかなっちゃうの。
 この朝も、僕、あたりに垂れこめた霧が綺麗に晴れるまで、5時半からおよそ7時すぎまで、この「大斎原(おおゆのはら)」のなかをひたすらぶらついてましたもん。
 うん、あんまりこの地に満ち満ちた「気」の威力が素晴らしくてね---不正確な言葉ですみませんが、これは「気」とでもいうしかないんだなあ---ぶらぶらしたり、ときどき深呼吸してみたりするだけで、もうまったりと愉しいの。
 現世の汚穢に汚れきった細胞のひとつひとつが、じわーっとそろって蘇生してくる悦び、とでもいうんでせうか?
 とにかく、一瞬たりとも退屈なんかしないのよ。
 風が吹いて木の梢がゆれたら、なんかそれが「おお」って感じだし、曇りの雲の隙間から一瞬陽光が漏れてきたら、これまた神示のように「おお、そうか」なんて感じ…。
 かさこそ草を踏みしめて歩く自分の足音まで、なんかいつもより意味深であって…。
 とってもふしぎ、でも、なんだか背骨あたりからじんわりハッピー……。(^.^)☆彡

----ここはとんでもなくすごい。神さんは熊野神宮の境内ではなく、ここにいらっしゃる。鳥肌が立ってきて、金縛りにあったような感覚に襲われた。全国の霊域と呼ばれる場所にはずいぶん行ったが、近畿に関しては、三輪山とここに尽きる。(ある巡礼男性)

 むーっ、僕も同感ですね。
 写真だけ見ると、「なんだ、ただの原っぱじゃん?」と思うかもしれません。
 あーあ、ぜんぜんダサイじゃない、と、がっかりするひとも多いかもわからない。
 たしかに、石碑とかいくつかあるけど、それは、現・熊野神宮の社殿---書きもらしましたが、熊野本宮とこことの距離は、徒歩で10分あまりです---などと比べると、全然大したものじゃないし、物質的には、ここには大したものはないんだ、と、いいきってしまってもまあいいでせう。
 でも、ここはね、いって、実際に足を踏みいれてもらえば、勘のいいひとなら絶対分かるから---。
 なに、特別に勘がよくなくったって大丈夫---霊感も特に必要なし!---日常と非日常の堺の蝶番的部分にいささかなりとも関心のあるひとが行けば、ここ「大斎原」は、絶対に「なにか」を得られるスペシャルランクな場所であると、イーダちゃんは魂の奥底から深ーく確信しているのでおじゃります…。

 最後に、朝靄の煙る熊野川の美しい写真をひとつここに添えさせていただいて、この「大斎原(おおゆのはら)」関連の記事を締めくくりたいなあ、と思う不肖イーダちゃんなのでありました---。m(_ _)m


                                   

       「しかし、いつ見ても空の一角に大鳥居があるっていうのは、どんな感覚なんでしょうね? 地元のひとは違和感とかないのかな?」
       「いやー、僕等は生まれたときからそうだったから。空ってそういうもんだってのが刷りこまれているっていうか…。修学旅行で東京とかに泊まってると、む
      しろ鳥居がなくてなにかが欠けているっていうか、なんか落ちつかなかったですもん」
       「へえ…(ト感心して)」
                -----神宮地元のGS兄ちゃんとの会話より。








                


                         

 

徒然その117☆IN 箱根・かっぱ天国遊覧記☆

2012-09-10 14:00:00 | ☆湯けむりほわわん温泉紀行☆
                                


 Hello、全国の温泉ファンの皆さん、暑いっスね!
 最近、ブログの初心を忘れ、厄介な政治問題に走ったり、わけの分からんエアガン熱に走ったりで、本来の「温泉道」からいささか脇道に道草しすぎのきらいのある、不肖イーダちゃんです。
 ですけど、あのー 僕は、ここに書かないでいても、あいかわらず根っからの温泉フリークなのでありまして、そのへんの素の下地はまったく変わっちゃおらんのですよ。
 ただ、ときどき、ブログにUPするのがメンドいときがあって、そーいった不精がたまりにたまって現在に至ってしまったという、そのような不届きな理由でもって、ちょっとばかしご無沙汰になってしまったという次第。
 ですから、ご心配なくー、温泉は、僕、あいかわらず、ちまちまとマメにいってますよー!(^o^)/
 熱海に、伊豆湯ケ島に、湯河原に---ねえ?
 今回は、ちょい過去になりますけど、GW近辺に訪れた、箱根行の全貌であります。
 題して、「IN 箱根・かっぱ天国遊覧記」---興味ある方は、いざ、来たれい、と思いっきり門戸開放しちゃいまーす☆彡
 (舞台袖でペロンペロンと鈴が鳴る)

 初夏のその某日、イーダちゃんは夜勤明けでありまして、かなりまいっておりました。
 帰りの電車では、とちゅう何度も落ちそうになって、そのたびに気を引きしめて、かろうじて帰ってこれたくらい眠かったんです。
 帰ったら冷えたビールをきゅっとやって、すぐにベッドに雪崩れこもうと思ってた。
 なのに、どうしたことか、帰ってエアガンを撃っていたら、唐突に温泉に行きたくなったんですね。
 うん、そういえば、最近これっていう温泉にいってないもんなあ。
 あらためてそう思ったら、矢も縦もたまんなくなってきた。
 温泉ジャンキーの血がざわざわと騒ぎだし候---髭剃って、新しいTシャツに袖をぱっと通すと、イーダちゃんは、すでにもう電車に乗りこんでいたのでありました。
 一路、箱根へ!---
 箱根のナンバーワン温泉といえば、nifty温泉さんのクチコミページでしつこくいっていたように---僕は、イーダちゃんの名でnifty温泉さんにクチコミページをもっているのです、興味ある方は御覧あれ---姥子温泉の「秀明館」以外はないのですが、残念ながらあそこは泊まりがが不可なので、今回は泊まりができる温泉ということで、箱根湯本駅から徒歩3分の近郊の山にある施設、箱根湯本温泉「かっぱ天国」さんを選択しました。
 こちらは、熱海の「福島屋旅館」さん、那須の「北温泉」さんなどと並んで、イーダちゃん御用達、もっぱらのとこ最愛のお宿なんでありました---。(^o^)/
 ところで皆さん、箱根湯本温泉「かっぱ天国」ってご存知?
 こちら、箱根湯本の駅から、もう、すぐ見えるんですよ。列車降りて、進行方向に沿って、そのまま右手方面をちょっと見上げてもらえたら、さあさ、そこが自家源泉掛け流しの宿「かっぱ天国」なのだ!
 ま、まずは全景を見てもらいませうか---エッヘン(と何故か威張る)---。 





 左手・上のフォトは、箱根湯本駅から眺めた「かっぱ天国」さん---
 で、右手・上は、僕の借りた部屋「明神の間」から眺めおろした湯本駅の様子ね。
 左上写真の下の、のぼりのはためいてる坂を上がっていくと、ページ冒頭のフォトにいきつき、さらにそこから超・長の石段ロードをトコトコ制覇すれば、「かっぱ天国」さんのロビーに到着するという次第---。
 結構あちこち老朽化してますけどね、いいお宿ですよ---特にここ、風呂がよいの。
 あと、こちら、お値段が安いのも魅力。おひとりさま、素泊まりで5,400円くらいじゃなかったかな?
 その安さのせいで、最近、こちら、外人バックパッカーご推奨のお宿となりつつあり、外国のお客さんと一緒にバスする確率がとっても高いんです。
 僕もぜんぜん言葉の分かんないスパニッシュの親父さんなんかと、言葉の分からないなりの長風呂談義をやったことありますね。
 うん、じゃあ、そろそろ肝心のその湯っこのご紹介といきますか---。


           


 嗚呼、いいなあ!
 もー たまらん。いますぐ足首からぱしゃーっていきたくなっちゃう(ト悶えつつ)。
 こちら、掛け流しの単純泉。緑の多い箱根ならではの澄んだ空気がそのままお湯化したみたいな、実に素直な、屈託のない、いいお湯なんですわ。
 近郊にある、有名な温泉施設「天山」さんのお湯ともちょっとちがう。
 お湯の柔らかさに関しては、「天山」さんのお湯のほうに分があるようだけど、ことお湯の「かおり」の立ち加減に関しては、僕は、「かっぱ天国」さんのほうに軍配をあげたい気持ちです。
 いってみれば、まあいくらか野趣のあるお湯なんですよ。
 「天山」さんが京寄りの立ち位置だとするなら、「かっぱ天国」さんのお湯は、もそっと「東(あずま)」のかおりというか。そのへん、好みが分かれそうですね。
 ただ、掛け流しゆえ、こちらのお湯の日毎の温度は、常にビミョーに変化いたします---いささか熱すぎたり、あるいはぬるめだったり。
 ちなみに、左上写真の石段上部に立ってる赤いポッチは、小柄チックなかっぱ像ね。
 こちら、宿の象徴たるかっぱさんのイメージを、いろんなかたちで敷地のあちこちに散りばめているんですよ。
 なかなか芸が細かいではないですか。いつか、ロビー脇の休憩室の本棚に、飛鳥昭雄の「失われた異星人とグレイ『河童』の謎(学研)」を発見したときには、僕は、つい笑ってしまった。
 ただ、このGWのときの「かっぱ天国」行脚は、あいにくのこと、僕、夜勤明けでくたびれすぎていて、3時半ごろ宿について、風呂入って、部屋で寝転がったら眠っちゃって、気がついたらもう朝の9時すぎだったんですね。
 ピヨピヨピヨと鳥が鳴き、窓からは明るい朝日が爽やかにさしこんでいて。
 素晴らしい目覚めなんだろうけど、僕は、寝すぎのあまりやや呆然。
 ちょっと待てよ、夕飯も喰ってない、近隣の散策もぜんぜんやってない…。
 10時のチェックアウトまであとわずか。風呂もぱしゃっとしか入れないじゃないか。
 なに? じゃあ、俺は、わざわざひと晩ぐっすり眠るためだけに、ココにきたってか? と自問してみたり。
 てなわけで、このときの行脚は、自分的には、非常にあーん (ToT; ってな感じの行楽だったのでありました。


                   ×           ×           ×

 で、これはGWの過去話ですけど、それとはべつの近日にも、イーダちゃんは、この「かっぱ天国」さんに一泊してるんですね。
 なんか、あんまり行ってるんで、すっかり常連扱いされちゃって、宿の方から「ああ、○○さんなら電話番号とかいりませんから。いつもの○○っていってくれればいいですよー」なんていわれるのが結構嬉しかったり。
 この日は、夜勤明けじゃなかったんで、僕は、思う存分お風呂三昧を満喫することができました。
 ただ、この日は、なんと、箱根一帯は、キョーレツな嵐と雷に見舞われたのです。
 そうして、コンビニから帰って、風呂に入った夜の9時すぎ、「かっぱ天国」さんの露天風呂は、急激な嵐に襲われました。
 特に雷が凄かった。こちらの施設、露天でも屋根があるからいいんですけど、一度、近くに雷が落ちたときには、お風呂の電気がポンと飛びました。
 ふいの暗闇の訪れ。
 そして、それと入れかわりに轟く、ちょい上の女子風呂からの悲鳴。
 おお、あの娘だ、と思いました。
 そのお風呂に入るまえのロビーのところで、その若い女の子がロビーのおばちゃんとお話ししてるのを、僕、ちょっと通訳してあげたんですよ。
 まだ若い美人さんの彼女は、韓国からのバックパッカーでした。
 彼女の質問は、今日はずいぶん天気がわるいけど、明日、富士登山はできるだろうか? みたいな内容でした。
 僕は、うーん、何分天気のことだから保証はできかねるんだけど、この嵐が去って雨雲を全部散らしちゃうってこともないじゃないから、明日までいちおう登山の計画は保留して、朝いちばんの天気予報を見てから予定を決めたらどうか、と話していたんですね。
 悲鳴の主は、その彼女のようでした。
 そりゃ怖いでせう、異国の露天風呂にひとりで入っていたら---露店風呂だけでも彼女にしてみたら珍しい風習のはずだし、ましてこの夜は珍しく「かっぱ天国」にはお客が少なかったですからね---そこへ、いきなしのまっ暗、稲光状態の到来なんですから。
 こりゃあイカンと思い僕は声を張りあげて、

----ヘイ、ドント・ウォーリー! イッツ・オーライ!……ライト・ウイル・スーン・プット・オン……カゥズ、ドント・ムーヴ……ドント・ウォーク……ユー・シー…?

 すると、やや安心した声色の返事が向こうから、

----サ、サンキュー……ア、ア、アリガトウ……。

 彼女は、ぶきっちょな日本語をもういちどくりかえします。
 僕もそれになんか答えて、暗闇のなか、男湯の僕と女湯の彼女とのあいだになにかが通いました。
 とってもふしぎ、姿も見えないのに、暗闇伝いに互いの息遣いが伝わるような感触。
 雨はザーザー、稲光がぎらり---。
 明かりは一分ぐらいしてまた灯りましたけど、この暗闇風呂での一瞬のコミュニケートは、なんか、味わい深かったですねえ…。


            


 以上が箱根湯本温泉「かっぱ天国」さんに関するイーダちゃんのレポートの全部です。
 おっと。まだ「かっぱ天国」さんを訪れたことがないひとのために、こちらの施設のHPのアドレスを記入しておきませうか。

     箱根湯本温泉「かっぱ天国」HP  www.kappa1059.co.jp/ 

 施設自体は、そんな綺麗じゃない。あちこち老朽化してるし、部屋自体も廊下も超・ボロって感じです。(和室なんて、歩くと、畳がへこんで揺れますモン)
 ですけど、そりゃあそう、なにせ、ここ、外人バックパッカー御用達のお宿なんですから。
 ただね、お湯質でいうと、こちら、循環塩素入りの、箱根の大多数の高級宿のお風呂をはるかに凌駕しています。
 あと、緑も豊富---和室の窓からは、箱根湯本の駅と、小さな竹林なんかも眺められます。
 そうした意味で、通の、粋人のための宿といっちゃってもいいのかもしれない。
 あ。でも、料理はねえ、僕、いつも素泊まりで、ここで食べたこといちどもないんで、なんともいえません。
 我こそはと思われる方がいたら、是非にもチャレンジして、それぞれのハプニングを楽しまれるのがいいんじゃないか、と思います---。(^.^;>