イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その96☆みずほフィルハーモニーのベートーベン☆

2012-01-30 01:39:57 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
                       


 2012年の1月22日、イーダちゃんは、みずほフィルハーモニーの第21回目の定期演奏会にいってきました。
 場所は、神奈川のパルテノン多摩の大ホール。
 開演時間は、午後の2時。
 友人が管楽器のセクションにおりまして、その応援みたいな感じでいった会だったんですよ。
 オケ自体はあくまでアマチュアのオケでありまして、客演の指揮者には、小澤征爾のアシを勤めたこともある時任康文氏というセレクト---。
 ま、ぶっちゃけていうなら、つきあい3分・好奇心7分みたいな感じで訪れたコンサートだったのですが、案に反して、この演奏会、音楽的にとってもよかったの。
 僕、演奏のとちゅうで1回、泣きましたから---。
 内田光子のシューベルトでも、アリシア・デ・ラローチャのモーツァルトでも、イーヴォ・ポゴレリッチのショパンでも泣いたことなんかないんですが、みずほフィルのベートーベンでは、ええ、恥ずかしながら泣いちゃったのでありますよ。
 ふむ、それくらい印象深い、とってもいい演奏会だったんですよ---。
 ただし、誰かから、

----へえ、でもさ、その演奏のどこが、どんな風によかったの?

 と素朴に問われれば、なんとなく立ちどまってしまいそう。
 そういうことってたまにありません?
 自分的にはしごく自明なことなんですよ---自分内での「好き好き度数」も、それが自分内でどのくらい重要部門に位置するのかも分かりすぎるくらいに分かってるくせに、それを、いざ見ず知らずのひとに説明してみようとすると、これが案外難しいってことにふと気づく---みたいなね。
 ひとにモノを伝えるって、ねえ、実はこれ、けっこう難しいことなのかもしれません。
 けどね、当ページの今回の目標ってそれなワケ---あの日のみずほフィルの演奏はどうしてああもみずみずしく、魅力的に響いたのか?
 それを、このささやかなページでもって、これから検証していきたいイーダちゃんなのでありますが、まあこの件についていささかなりとも興味のおありの方がおられたら、それなりに肩の力をぬいて、最後までお付きあいいただけたら嬉しいなあ、なんて風にいま思っています---。


                     


 さて、こちらの会場であるパルテノン多摩っていうのは、新興都市・多摩センター駅から徒歩5分のところにある、市民のための多目的ホールでした。
 思ってたよりそうとう大きいの。
 全席自由席ということになっていたので、なるたけいい席に陣取ろうと、僕は、開演前から大ホールのガラス戸まえに並んでいたんだけど、その際否応なし気づかされたのが、このコンサートにきているお客全般の客層のよさでしたね。
 お客さんのひとりびとりが、実に凪いだ、柔らかい表情をされているんですよ。品がよくって、ひそやかで。
 服装はもう、いわずもがな---ひとことでいって、さすが天下の「みずほ」関係者! といったような風情をおちこちからかもしだしておられるんですよ。
 イーダちゃんの出自は残念ながらそれほどいいほうじゃないんで、こういうハイソな香りは、じゃっかん階級的コンプレックスを刺激されます。ほんのりジェラスと邪の香り、とでもいいますか。矢沢栄吉のライブにいって、絶対に道を譲らない偏屈な男たちと鼻を突きあわせて「あ”~!」と呻りつつ睨みあう、なんてガラのわるさが、逆に懐かしく思いだされちゃったり。
 ま、クラッシックのコンサートってわが国ではだいたいこのような漂白室的イメージなんですが、客層の清潔感になんとなくあてられて、もくもくと不健全なことを考えはじめていたら、幸い、いいタイミングで待ちあわせていた女友達が現れてくれまして、「おお」と挨拶とかしてたら、じき会場入りでした(笑)。
 前から5列目の中央の席に、僕等3人で陣取りまして、パンフを見ながら、オーケストラの入りを待ちました。
 開演前のちょっとたまんない時間ですよね---何度経験してもこの時間帯の芳しさは格別---やがて舞台の両袖からオーケストラのメンバーがそれぞれ楽器をもって入場されまして---拍手---編成は舞台の向かって左に第一、第二のヴァイオリンがならび、右の袖にチェロ、ヴィオラなんかがならぶ、いわゆる「アメリカン・スタイル」の配置です---で、指揮者の登場---しばしのチューニングのあと、さあ、いよいよ演奏の開始です!

 § 1曲目は、ヴェルディの歌劇「ナブッコ」序曲

 実は、僕、この段階で結構びっくりしちゃったの。
 うまいんです、このオケ、音が綺麗---濁らない、透明感のある、なんともいい音をだすんですよ。
 といってもヴィブラートばりばりの肉汁たんまり、いわゆるイタリアン歌姫タイプの美音じゃない。
 清潔感のある、押しつけがましくない、どちらかといえば秀才タイプの抜けのいい音なんですけど、この種のオケによくある、杓子定規にせかせかしているようないじましいところはぜんぜんなくて。
 うん、会場の音響自体もとってもよかったですね。
 1曲目にこんな派手めのイタリアものを持ってくるあたり、たぶんオケとしての美味しいとこをコンパクトに見せつけるつもりの、一種のデモンストレーションとして選ばれた曲なんだろう、とあらかじめ予測してはいたのですが、そのこっち予測を軽々と超える上出来レベルの演奏に、音楽グルメとしてのイーダちゃんの頬は、もうほくほくと自然にゆるんじゃってましたね。
 わけてもピアノからピアニシモに至るまでのこのオケの弱音レンジの広さには、のけぞりました。
 このあたりで僕は当日の指揮者---時任康文氏の力量にもう敬服してました。
 フツー、こうまで音量のコントロールに気を使っていたら、神経質で意地悪なかたちに音楽の相が寄っていきがちになっちゃうものなのに、このひとの場合、そうはなっていないんです。
 神経質と精緻とのあいだの尾根の細道を、音楽が実にいいバランスをとって、インテンポですたすたと歩いていくの。
 うーむ、カッコよし。(ト呻る)
 カルロス・クライバーみたいな天才型のパッション音楽とは出自も風貌もちがってるんですが、この時任シェフの先導するみずほフィルハーモニー鍛冶軍団の整然たる職人的な仕事ぶりには、魅了されました。
 曲のあらゆる部分にわたって、非常に清潔で、ていねいな音出しが心がけられてました。
 どんな部分でも決して流さないのね---フォルテはちゃんと譜面通りの長さをきっちし出しきって、しかも、なんら慌てることなしに、音楽全体の呼吸のテンポをあくまで保持した上で、譜面の次の新たな流れに「生きた」音楽を紡いでいくの。
 とてもよかった---ヴェルディにしてはやや几帳面で、オリーヴオイルがいくらか少なめかなあ、とも思ったけど。(笑)
 あ。あと、このオケさん、ファゴットと金管の音がめちゃ柔らかかった---忘れないうち、この事実も追記しときませう。


 § 2曲目:エルガーのエニグマ変奏曲

 私見によれば、エルガーのこちらの曲、この日サイコーの出来栄えだったんじゃないでせうか。
 僕はそれまで、この曲がこんなに素直で抒情的なものだとは、まったく思ってなかったんです。
 もっとはっきりいわせてもらうなら、うーむ、完璧な駄曲だと思ってた。
 そのせっかちな決めつけ先入観が、お蔭でくつがえりました。その件についちゃ、お礼を申しあげなくちゃ。
 そもそもこのエルガーってひとは、僕は、デュ・プレのチェロコンではじめて知ったような、遅い出逢いの作曲家だったんですが、まあそれなりにわるくはないけど、飛び抜けた、凄い作曲家だって認識はぜんぜんなかった。
 いまもって、そのような認識はまったくありません。
 だいたい、このひと、ドヴォルザークみたいに達者なメロディメイカーでもぜんぜんないしね、オーケストラレーションのなかに胸中深くから滲みでた、自身のメロディを織りこんでいく筆使いにしても、いちいち地味っぽくて華がないんですよ。なんか、イングランドの荒野みたいな田舎道で、うすら寒い冬の朝、陰気な顔をして曇り空を見上げている地元のお百姓といったような、どこか運命論者じみたペシミステックな風情が、曲のそこかしこから感じらるんですわ。
 スマートさ、機知の輝き、情熱のたぎり---といったような語彙は、このひとの辞書にはありません。
 このひとの体内時計は、たぶん、対人間社会用にあわせて細々と微調整されてはいないんです。
 このひとの時計は、むしろ長期的なスパンでもって、大いなる自然と対峙したときにだけ、秒針が進むように調整されているんでせうね。
 こうなると必然的に、このひとの顔は世捨て人の相貌を帯びてくることになる。
 実際、音楽のキャンパスからも、その種の翳りめいた暗褐色が多用されていることは、誰にでも気取れるのではないのかな?
 ええ、ひとことでいうなら、僕は、このひとの本質っていうのは風景画家だと思ってるんですよ。
 当時、流行を極めていたストラヴィンスキー、あるいは興隆のさなかにあった前衛的な無調音楽なんかの風潮にくるりと背を向けて、ひっこんだ田舎の土地で、音による素朴なデッサンをひたすら描きためていった、寡黙な音楽職人・エルガー---。
 このような武骨なひとの音楽を演奏するのに、みずほフィルハーモニーというのは、ひょっとして理想的な楽器なのかもしれない、と演奏のあいだじゅう僕は感心させられっぱなしでした。
 日本人の心象に、エルガーってなんか合ってるんですよ。
 ジャスト・フィット---馬があうっていうのかな? ジョークじゃないよ、マジですよ、ためしに両者の共通項をアトランダムに挙げてみませうか。
 寡黙で自己表現が下手、全体的にぶきっちょなところ---。
 いくら熱くなって歌っていても、その最高潮の歌の峰においてもどことなく謙虚でシャイな香りを切り放せないところ---。
 論理より情を重んじ、自然に対してもひとに対しても細やかな気配りを忘れないところ---。
 ほらねっ、エルガーと日本人とのあいだの心理的な距離って、そうとう近いものがありそうでせう?
 ま、相性がよさというのもたしかにこの極上演奏の一因だったんでせうけど、みずほフィルがこの午後に描きだしたエルガーの心象風景が、それくらい僕の心をとらえたというのはまぎれもない事実なのでありました。
 特に、第9変奏の変ホ調のアダージョ、あと、チェロが全編にわたって抒情的な哀歌を奏でつづける第12変奏、ト単調のアンダンテは、絶品でしたねえ。(チェロの谷口氏が実にいいソロを奏でてくれました。でしゃばらず、矩を踏みこえることもない、実にささやかで控えめな演奏なのに、説得力が凄いの。心の隙から静かに染み入ってくるようなあの独特のアーティキュレーションは、あ、もうちょい長いこと聴いていたいのにな、と思ったほどでした)
 あのとき、僕の瞳には、イングランドの夕暮れの情景がはっきりと映っていたんですよ。
 なんか会場の椅子の座り心地がわるいなあ、とその午後はずっと気にしていたイーダちゃんなのですが、その瞬間には、椅子のことなんか綺麗さっぱり忘れ果てていましたもん。
 コンサートでああいう忘我の瞬間をもてるというのは、僕にとって僥倖であり、なによりの喜びなんです。
 そういう意味でみずほフィルの皆さんには、いまもって大変感謝してるんですね、僕は---。


 §3曲目:ベートーベン 第7交響曲

 しかししかし、この日のメインディシュはエルガーじゃない、ベートーベンだったのです。
 しかも、ワグナーが「舞踏の聖化」と呼んだ、あの第7交響曲---。
 オケに、この曲において重大な役割を演じる、新たなオーボエの面子が舞台の裾から登場してきます。
 うーん、どんな音楽を聴かせてくれるのかなあ? とステージと観客のあいだに、やや緊張の気配が走ります。
 やっぱ、そのあたりがベートーベンなんですよね---エルガーとはちがう種類の音楽なんだなあ、と今更ながら実感。
 時任マエストロが指揮棒をひゅっと振りあげて、それを中空で一瞬ためて---
 沈黙---。
 それから、ひと呼吸おいて導入部のAの総和音!
 つづいて、第1オーボエが曲の動機を高らかに歌いあげ---さあ、いよいよ音楽のはじまりです。
 ベートーベンの第7は、知っての通り、長ーい、しつこい序奏がついてるんですよね。
 それを、時任シェフとみずほフィルのメンバーは、ほんと、ていねいに、1音1音を大事に紡いでいきました。
 ただ、ていねいはていねいなんだけど、そこに思い入れが乗りすぎないように、非常に注意されてましたね。序奏の段階で音楽が熱くなりすぎないよう、重くなりすぎないよう、全体的なバランスにとても気を使ってられた。
 ここまでていねいな仕事ぶりを見せられちゃうと、聴くがわの僕等の心境も、ふむふむ、それで? と、いやがおうにも舞台に引きつけられるってなもんです。
 で、181小節から、いよいよ8分の6拍子の、あのテーマがはじまるの。
 ちょいとドタバタした田舎っぽいドイツのワルツって感じなんですけど、ここ、曲全体でも非常にいい部分なんですよね。
 うんうん、と僕は楽譜を思いだしつつ、目をとじて聴いていたんですが、テーマの演奏がフルートから第ヴァイオリンに受けわたされるあたりで、「あれ!?」っと思ったの。
 音がね、急に変わったんです。
 練習して、美学的に磨かれきったすべすべの額縁から、いきなり「生のままの感情」が多量にあふれでてきた感じ。
 僕はびっくりして、

----あっ、破れた…! と、とっさに思いました。 

 はっとなって舞台を見直すと、なんか、いままで椅子にゆったりと深めに座っていたオケの面々が、みんな、さっきより心持ち前のめりになって楽器を弾いてられるんですよ。
 ええ、それは、整然としたインテンポを守っていたオケが、それまでの歩みの圧力に耐えきれなくなって、いきなりダッシュをかけて駆けだしたみたいな印象でした。
 僕のやや下世話な表現を許してもらえるなら、エルガーまではこのオケ、

----これが、我々の思うところのエルガーです。この寂寥と哀愁、慈愛と郷愁の繊細な香りを、ぜひ嗅ぎわけてみてください…。

 といったような感じだったんですよ…。
 いわば、限りなくプロフェッショナルに近い、冷静で、沈着な演奏だったわけ。
 それが、ベートーベンの主題提示部がはじまると、たちまちバリバリ前ノリの、別人のような演奏集団になっちゃったんですよ。

----誰がなんといったって、僕ちゃんは自分が思う通りのベートーベンを弾くんだい! そうして、ベートーベンっていうのは、こーゆー音楽なんだい…!

 思わずたじろぐアチチ演奏!
 全員の精神年齢が20くらい若返っちゃった感じ---でも、僕的にはこの野蛮リターン、厭じゃなかったですよ---というより、このひとたち、こんなにベートーベンが好きなんだ---きっと小学生のころからレコードなんかもたっぷり聴きこんで、大人になってオケの団員になったら是非にも自分なりのベートーベンを弾いてやろうと思っていたにちがいない。そして、その機会が「いま」訪れたんだ、と思いましたね。
 うん、まったくもってはじけてました---ただ、この爆発は、舞台で見てないと分からない種類の爆発だったと思う、録音じゃ恐らく伝わらないんじゃないのかな?
 この時点では、僕は音楽に圧倒されてました。
 第1楽章の中途、音楽が徐々に短調に翳っていくあの部分で、つい涙をこぼしたりしてしまったのがその証拠です。
 あそこのジワジワ翳っていく音楽の表情は、あまり好きになれないベートーベンの音楽のなかでもわりかし好きな部分です。
 常々、シューリヒトの演奏で愛聴してたあそこの部分は、ええ、生で聴いてもなかなかよろしゅうございました。
 ただ、2楽章をすぎて、3、4楽章もその調子で音楽が運ばれるとね---なんというか音楽からちょっと振り落される---みたいな事態にだんだんなってきちゃったんですね、心理的に。
 ステージの熱狂がいくらか遠く感じられはじめた、というのかなあ?
 とっても熱い、気持ちの入ったいい演奏なのに、心がこころもち観客席のほうにとどまってしまって、ステージまで届かない引いた状態っていうか---。
 それを考えると、生演奏っていうのは、ほんと、難しいものですね。
 ひとりだけ熱狂すればいいってモノじゃない、醒めすぎてても興醒めだし、型にとらわれすぎると今度は窮屈だ…。
 うーむ、まるで漱石じゃないですか、これは---。(笑)
 
 いっしょにいったピアノのうまい女友達は演奏後、

----ベートーベン、しっつこーい…。3楽章も4楽章も、これでもか、これでもかとくり返すもんだから、くたびれちゃった…。

----うん、あの勝ち誇りかたって、やっぱりかなり凄いよね。あれは、つくづく体力だよなあ…。毎日、肉喰ってる人種じゃないと、あそこまでは勝ち誇れないんじゃないのかな…?

----肉ぅ? 肉かあ、なるほどねぇ…。

----そういう意味でいうと、やっぱり2曲目のエルガーがオケにいちばんフィットしてたって印象だよねえ。あのペシミズム風情が、ニッポン人の根暗部分に共鳴して、互いによく共振しあったっていうか…。

----うん、そうそう、あのエルガー、よかったねえ…。

----うん、よかった。あとラストのアンコールにエルガーの「威風堂々」をやったじゃない? あの整然とした淡泊さが、もしかしたらこのオケのいちばんの持ち味じゃないか、なんて風にちょっと思ったな…。

----あ。あたしもあたしも…。あたしはアレがいちばんよかった…。

 ああ、でもね、誤解なきよう---ラストのベートーベンにはたまたま振りおとされちゃったけど、演奏会としては、とってもいい演奏会だったんですよ。
 オーケストラ、アマチュアとは思えないくらいうまかったし---。
 なによりプロずれしてない、素直な表現には、心を打たれるものがありました。
 下手だったら、第一、僕、泣きませんよ…。
 演奏会後、菅楽器のセクションにいた奏者のコと待ちあわせて、少し飲みました。
 みんなで乾杯して、ワイン飲んで、音楽についてしばし語らって……結果、とっても有意義で、愉しい時間をすごさせていただくことができました。
 こういう時間って、人生で味わいうるいちばんの贅沢じゃないかしら?
 というわけで、そういった素敵な機縁を惜しげもなく振りまいてくれた「みずほフィルハーモニー」の皆さんに対して、僕は、エルガーの部分でもいったけど、いまもって多大な感謝の気持ちを持ちつづけているんですよ。
 6月末にやるショスタコの5番にも時間があけば行ってみたいもんだなあ、その際には是非また Good Music をよろしくお願いしまーす、なんて厚かましくも思っているわがままイーダちゃんなのでありました…。m(_ _)m
 
 



 

  

  

徒然その95☆<猪木 VS ロビンソン戦>のアナルシス☆

2012-01-22 22:19:41 | ☆格闘家カフェテラス☆
                       
             ----ゴングが鳴った…。やはりイノキはゴッチが言うように、それ以前に闘ったジャパンのレスラーとはまったく
             違っていた。私がその後に闘ったジャパンのレスラーを含めても、やはりナンバーワンだっただろう。
              (ビル・ロビンソン「高円寺のレスリング・マスター 人間風車 B・ロビンソン自伝:エスターブレイン社」より)



 えー、今回は思いっきしむかしの昭和プロレスの話をば!---1975年の12月11日、新日本プロレスのリング上で行われた伝説の名勝負「アントニオ猪木 VS ビル・ロビンソン」戦についてウンチクをたれたく思っているイーダちゃんなのであります。
 ただ、あまりにコレ古い時代の話だから、

----ええ、37年もまえのプロレスの話だって!? 正気かよ。

 とあきれるひとも多少はでてくるんじゃないか、と思います。
 ところで、いまのひとはこの試合のことをどれくらい知っているもんなんでせうかね?
 僕なんかの時代のいわゆる猪木ファンの立場からすると---注:僕はちがいます、僕はこのころからテーズのファンでありました---この試合を知らずして猪木を語るべからず! みたいなノリがだいぶ濃かったように記憶してます。
 実際、この試合ってマジ画期的なモンだったんですよ。
 国際プロレスの常連だった英国のテクニシャン、ビル・ロビンソンの実力は誰もが知ってましたし、また、彼の場合、人気も凄かった。
 猪木の当時の師匠であるカール・ゴッチと何度か時間切れ引き分けの死闘を繰り広げていましたし、その技々は、誰が見ても分かるような別格級の「斬れ」を宿してました。
 あのゴッチとも引き分けた、ヨーロッパ最強の男が猪木と闘う---!?
 これは、みんなが夢中になるのもむりないですって。
 ちなみに、当時の猪木と親日末期の、維新軍とかと闘っていたころの落日の猪木といっしょにはしないでね、くれぐれも。
 両者は、僕にいわせれば真赤な別人ですわ。
 全盛期の猪木は、それくらい神がかっていたんですよ。
 美しい若いライオンみたいだった。なんというか、それこそオーラがちがってたのよ。
 21世紀に入ったころ、漫画家の板垣恵介さんとかほかの方とかが、「猪木なんて大したことないよ。ヒクソンとやったら猪木なんて1分でやられちゃうよ」とか発言したのを何度か耳にしてはいたのですが、僕はそうした意見に組すことがどうしてもできませんでした。
 いやいや、猪木はいいレスラーだと思うぞぅ---(いくらか小声で)---。
 もっとも、猪木が世界最強だとは僕もたしかに思いやしません、全盛期のテーズやダニー・ホッジなんかのほうが、強さの点では明らかに上にいた気がする。
 しかし、その猪木が格闘家として弱いか、になると、これは少うし別問題じゃないか。
 あれだけトレーニングをしてて、しかも、素質に恵まれている猪木がどうして弱いだなんていえるんだ? いいや、決して弱くはないはずだ、というのが、まあ僕の当時の立ち位置だったわけ。
 ただ、その意見に同調してくれるひとが、当時はちょっと少なかったんですね---ほら、時代がちょうどグレーシー一辺倒のころで、プロレスに加担するのは手垢にまみれた保守政治家に投票するのと同様、みたいに見なされていたときのことだったから。
 そんなこんなでもやもやしていたら、ちょうど2004年に、折よくビル・ロビンソンの自伝が出版されたんですね。
 で、そのなかで、実力者・ロビンソンが、猪木のことを非常に高く評価していたんです---シューターとして、レスラーとして。
 これが、僕は非常に嬉しかった…。
 たしかにアントニオ猪木さんは、一社会人としてはめちゃくちゃすぎるキャラの男かもしれません。
 会社の金を自分の事業につぎこんじゃったり、腹心をあっさり切り捨てたり、部下を裏切ったり---たしかに破綻してる---それは、否定しない。
 しかし、社会人としての顔とリング上のレスラーとしての実力は、これは、まったく無関係ですもん。
 猪木は強かった、と僕はいまでも思っています。
 アリも、ロビンソンも、ゴッチも、テーズも口を揃えてそういってるのに、それをそこそこの素人連中がわけ知り顔で否定するなんておかしいよ、というのが、いいですか、今日の僕の立ち位置ですので。
 僕はぜんぜん猪木信者なんかじゃありません、しかし、今回はそっち寄りのサイドから、レスラー猪木の真の実力に光を当てていきたいものだ、と考えております。
 ロビンソン戦は、あくまでそのための触媒のつもり。
 世界公認のロビンソンの「フッカー」としての実力のフラッシュでもって、対戦相手の猪木の真の実力を影絵のように照らしだし、あぶりだしていこうというこの戦略(タクティス)…。
 うーむ、このもくろみがうまくいきますかどうか、さあさ、皆さん、お立合い、お立合ーい---(^0^)/


                 ×            ×             ×


 あ。この「猪木VSロビンソン」戦ね、実は、プロレス名勝負の典型ともいわれている試合なんですよ。
 2002年には、こちら、新日本プロレス創設以来のベストバウトに選ばれたりもしています。
 いわば、名勝負クラッシックス---既に殿堂入りも決定した、超・名士といった役どころ、ですか。
 ところが、あとからのインタヴューなんかを調べてみると、あらら、猪木さん、この試合になにやら不満気な面持ちなんですよ。
 猪木さん的にいうなら、いつものように試合展開を自分でプロデュースできなかった、そのあたりにどうも悔いの残る試合であったらしいんですわ。
 えー、こんないい試合だったのに? と僕なんかは思うんですが。
 試合相手のロビンソンにしても、試合後のインタヴューは大変爽やかなもんでした。

----どうだい、いい試合だったろう? テクニックでは私のほうが勝っていたと思うが、イノキというのは大した奴だ。これから凌ぎを削っていくライバルになっていくんじゃないのかな…?
 
 うーん、さっぱり、いいなあ。ロビンソンはスポーツマンですね!
 ところが猪木さんはそうじゃない、スポーツマンシップといっしょに芸術家的な気風も宿してる猪木さんは、一般的なアスリートよりナルシスティックで気難しいきらいがあるのです。
 特に、グラウンドでの展開をコントロールしきれなかった、という部分が、猪木さん的には過去においてあまり例のなかったこともあり、どうしてもそこが「悔恨」のツボにひっかかってしまうようなんですね。
 もっとも、この点は、いかにロビンソンというレスラーが強かったか、という逆証明にもなる事実だと僕は思うのですが。
 なお、この試合には「立会人」として、テーズとゴッチというプロレス界の二大巨頭がともに招待されておりました。
 そのテーズ氏の試合評が面白いんで、ちょっと書き抜いておきませうか。

----…レスラー仲間でフッカーと怖れられていたロビンソンには非常に興味があり、ゴッチと二人でその卓越した技の数々を絶賛しあったが、とにかく技のキレでは圧倒的に猪木を上廻っていた。対して猪木は無尽蔵のスタミナでロビンソンの息切れを待ち、60分時間切れ寸前に決めたオクトパスで辛うじて引き分けに持ち込んだ。内容的には僅差でロビンソンがリードしていたが、実力的にはまず互角と言ってよく、私自身、「現役でいる間にロビンソンと一戦交えておこう」という目標ができた…。(ベースボールマガジン「鉄人 ルー・テーズ自伝」より)

 さすが鉄人---無尽蔵のスタミナなんてうまい表現だなあ。
 ダム、ライ(まさしくその通り)、この試合は、粘っこい猪木のグラウンドとサブミッションの展開を、ロビンソンの剃刀テクがときおり激しく切り裂き、新たな局面をきりひらいていく---といったような流れが基本になっていたと思います。
 ひとことでいうなら、「粘り腰・猪木 VS 稲妻ロビンソン」といった感じかな?
 もっとも、猪木の粘っこいグラウンドの流れを断ち切るロビンソンの技が、そのたびごとにあんまり鮮やかなんで、全般的にどうしてもロビンソンのほうに光があたって見えちゃったという感じはありましたねえ。うん、いつでも彼が試合の主導権を握り、立場的にも常時一歩リードしてるみたいに見えたというのは本当です。
 対して、猪木のイメージは、光ではなくて影でした---地味だけど強烈なサブミッションで、あくまで粘っぽく水面下からロビンソンを追い、隙に乗じてロビンソンの艇を撃つ隠密舟といった役どころ。
 さて、そんなふたりの技の絡みが実際にどんな展開をたどって進んでいったのか---猪木サイドとロビンソンサイドに分けて図にしてみましたので、まずはそれを御覧あれ。
 

                     


 そうなんです、猪木の光った箇所、ロビンソンの光った箇所をこうやって比較観察してみると、猪木が光ったのは主に粘り腰のグラウンド展開において、ロビンソンが光ったのは瞬発系の大技とかの瞬間に多かった---といったさきほどの第一印象にまたしても逢着してしまうんですね。
 たとえば、猪木がこの試合中、最初に輝いたシーンはどこか?
 僕は、それって試合開始の4分すぎ、両者手さぐりの状態からロビンソンに決めた、フロントのフェイスロックのときじゃないかと思います。
 これは、がっちし入ってました。(ページ冒頭にUPしたフォトがそう。参照あれ)
 フロント・フェイスロックは、84年にUWFのリングで藤原義明がはじめて決め技として使い、その後ようやく実戦的なコワイ技として観客に認知されていくのですが、それまではこんな地味な技で試合を「決める」なんておよそ考えられないことだったのです。
 実際、猪木もこの技で試合を「決め」ようとはしていない。
 しかしながら、この技で決められたほうのロビンソンにしても、かつてこの技に関してこのようなコワイ発言をしていたことが過去にあったんです。

----私がもしリングで相手を殺すつもりなら、フロント・ヘッドロックの体勢からのFLをやるね。自分の上腕を相手の左ホオ骨に食いこませて、そのまま持ち上げるように締めれば、首の骨なんて簡単に折れるからね…。(92年2月発言)

 そして、この試合の冒頭において、猪木さんが名刺代わりに使用したのは、まさにそのようなフェイス・ロックなのでありました…。
 これって強烈な自己紹介ですよね?
 恐らく、この時点で猪木さんはロビンソンに、シュート・レスラーであるところの自分を身体でもってこう表明したのです。

----おい、俺はこういう技を知っていて使えるレスラーなんだからな。ナメるなよ…。

 で、ロビンソンはすぐさま猪木のこのボディ・メッセージを了承したわけ。
 試合後10分すぎ、ロビンソンは、ロープ際から電光石火のサイド・スープレックスでいきなり猪木を場外に放り投げ---1975年の時点でこのように危険な投げっぱなしスープレックスを使うレスラーは、彼以外にはいなかったのですよ---このメッセージに対し誠実に返信します。

----OK。そっちがその気ならこっちもいくらでも行くからな。そっちこそナメるんじゃないぜ…。


                                                 

 ハ、ハードボイルド!---これって震えがくるくらい高度で濃密なコミュニケーションじゃないですか。
 両者の鍛えぬいた技と火傷するようなプライドの高さに、イーダちゃんはクラクラ痺れます。
 ほんの開始10分でコレだもん---この試合がいまもって名勝負と語り継がれてきているのは当然だと思いますね…。


                              ×            ×            ×


 さて、そのようにしてお互いの実力を探りあい、さまざまな技で相手が「シュート」であると確認できたふたりは---その具体的一例:猪木が4分すぎに「決めた」フェィスロックをロビンソンは5分すぎ、猪木の顔面の右目下の急所に手をあてるという「裏ワザ」で外そうとしています。その痛みから猪木はF.Lをいちど解くのですが、まったく動揺せず、再度F.Lを仕掛けてていくあたりは「シュートレスラー猪木」の面目躍如たるところ、是非とも注目してほしい場面です。映像を所有してるひとは確認必須!---試合開始10分すぎ、ロビンソンが放った場外へのサイドスープレックスを皮切りに、新たなる試合展開にもつれこんでいきます。
 それは、名刺交換が終ったふたりが、いよいよ万を持して己の手の内を見せあいはじめるような展開でした。
 試合開始4分で放ったフェイスロックではロビンソンをそーとー苦しめた猪木でしたが、立ち技系だとロビンソンの瞬発力と非凡な運動神経に阻まれ、どうしても後手にまわりがちだった事態にやや焦れてきたのか、ラフっぽい仕掛けをする展開が徐々に増えてきたのです。
 ロビンソンも気が強いもんだから、そのたびにボクシングポーズなんて取って、リング上にさっと緊張が走る場面が幾度となくあって---そんな流れがふっととまったある瞬間、ロビンソンが何気に猪木の背に周ると---
 あっ、と思った瞬間、ハイアングルの振子式ワンハンド・バックブリーカーが、見事に猪木に決まっておりました。
 これは、いま見ても電光石火の一撃でしたね。
 全盛時のテーズのバックドロップ級のすばやさ!
 まさに抜き身の一発---バックドロップっぽいフェイントをかけてからの入りだっていうのも効いた。
 身体が異常に柔軟な猪木だからこそ、なんとか3カウントは逃れらたんですが、これは、猪木サイドからすると、ひょっとしてこの試合中いちばん危機的な場面だったのではないでせうか。
 事実、猪木はのちのこの場面を自身でこう回想しています。

----あの一発が苦戦の原因だった…。

 ええ、当時のロビンソンのこういったスープレックス系ワザの切れ味は、それっくらいハンパじゃなかった。
 ここ、ひょっとしたらこの試合全体の最大の山場だったかもしれません。
 「あっ。やられた」と必死に逃げる猪木と、ここが勝負どころと何度も体固めに固めようとするロビンソン…。
 悔しいけれど、あれは、猪木の投げを完全に凌駕してましたねえ。猪木のバックドロップはたしかに華麗でしたけど、どっちかというと天性の柔軟性に頼った「ふにゃあ」って感じの動きじゃないですか? でも、ロビンソンのはビシッ、ドーン! の筋金入り、それこそ「斬れ」まくりの投げでしたから。
 えーっ、投げ技ってこんなにシャープで速いんだ、と当時僕は小学生だったのですが、観戦しながら唖然とした記憶がありますね。


                         


 このワンハンド・バックブリーカーは、ホント、強烈でした。
 猪木の積極的な動き、これでしばらくは完全にとまっちゃいましたからね。
 それから逆エビの攻防が互いにあって、17分すぎ、ロープ際の猪木に背後から何気にボディーシザースにいったロビンソン---その油断した足首にうえから自分の両足をかぶせるようにして、猪木がレッグ・ブリーカーにいったんですね。
 正確には、これ、変形のヒール・ホールドだそうです。
 これが、決まってた!
 うん、強烈に入ってましたね。
 ロビンソンの尋常じゃない苦しみようと、その肌の紅潮加減を見れば、誰でもその点は了解できるかと思います。
 20年後のU系の団体で大ブレークするあのアブナイ技を、このとき猪木はすでに披露していたわけですよ。
 身体を入れかえたロビンソンが逆さ押さえこみみたいなブリッジをして、結局この変形ヒールホ-ルドは外されちゃうんですけど、5分すぎに決めたフロントのフェイスロック、あと、20分すぎに決めたヘッドシザースとともに、僕は、この3大基本技がもっともこの試合中ロビンソンを苦しめた技なんじゃないのかな、と解釈しているんです。
 そう、こうやって試合の流れをひとつひとつ追っかけていきますとね、猪木がロビンソンを追いつめたのは、とてつもなく地味めな技が多かったってことがだんだんに分かってくるわけ。
 ガス灯時代のプロレスじゃないですけど、猪木ってレスラーの本領はもしかしてそういうところにあるのかなあ、と思えてきたりもします。
 そう、猪木の理想とするプロレスって、もしかして飛んだり跳ねたりなんかまったくない、とてつもなく地味で粘っこいグラウンドが延々とつづくような、こんな試合なんじゃないのだろうか。
 だって、試合のこういう展開になると、猪木が心底嬉々としてくるのが分かるんですもん。
 うーん、猪木ってレスラー、実はそうとうに地味なんですよ。
 色に喩えるなら「鈍色」?
 スープレックスや喧嘩殺法なんていうのも、もしかしたら自分のそうした本質的芸風を認識したうえで、プロとしての幅を広げるためにあえてレパートリーに取り入れた蛍光色なのかもしれない、なんて余計な邪推なんかもしてみたくなってきます。
 ま、想像ばかりが先走りすぎてもなんですんで、このあたりでリアリズムに回帰、17分すぎに猪木が決めたレッグブリーカー(実はヒールホールド)のフォトでも御覧になってくださいな---。


                         


 いままでの論旨の流れを、このあたりでちぃーっと整理してみませうか---。
 えー イーダちゃんはこの「猪木 VS ロビンソン戦」に関して、見るべきポイントが両サイドごとに3ポイントづつある、とまあ考えているわけなのでありますよ。
 それは、猪木サイドからすると、

 一、5分すぎのフロント・フェイスロック。
 二、17分ごろに決めたレッグブリーカー(正確には、変形のヒールホールド)。
 三、20分すぎに決め、25分すぎまで締めつづけたヘッドシザース。

 ロビンソン・サイドからすると、

 一、10分すぎにロープサイドから繰り出した、場外へのサイドスープレックス。
 二、15分ごろいきなり決めた、電光石火のワンハンド・バックブリーカー。
 三、52分ごろ、試合の終盤で繰り出した、猪木の首がグシャッとなった、危険なジャーマン・スープレックス。

 試しに、両者の三番の技写真を、下にならべて比較観察してみませう。
 この試合全体を象徴する両者のレスリングの本質と差異点が、この2枚の写真からそれこそ炙りだしのように浮かんでくるのが見えてきやしませんか?


        


 僕は、見えてくるように思います…。
 
 あのルー・テーズは、かつて「私には、バックドロップよりもダブルリスト・ロックの方がずっと重要だった」とか、「もし、たったひとつの技しか使わないでレスリングの試合をしろといわれたら、私ならダブルリスト・ロック(ヨーロッパ流にいうならチキンウイイング・アームロック、日本流にいうなら腕絡みですか)を選ぶ」なんて驚くべき発言をしています。
 恐らく、猪木にしても、それと似たようなことを感じていたのではないでせうか。
 プロとして、客を沸かせる卍固めは大事で重要だけど、実戦的なサブミッションという見地から考えたなら、自分的には、フェイスロックやレッグブリーカー、あるいはヘッドシザースなんて基本技の方がずっと重要だった---みたいにね。
 むろん、猪木はそんなこと、どこのメディアでも一言もいってないのですが、僕はどうしてもそんな風に感じてしまうのです。
 このページで試合終盤に猪木の決めた、あの劇的な「卍固め」にあんまり触れず、ページ冒頭にがちがちのフェイスロックのフォトをUPしたのもそのためです。
 僕には「卍固め」よりも「フェイスロック」のほうが、いつでもより「猪木的」な技として自分内チャンネルに映っていたのですよ。
 うーむ、ところでこの本能的な僕的察知、貴方はどう思われます?
 なに、根本的にズレている? 完璧な的外れもいいとこですって?---あららら、がっくしだ。
 それとも、実は、貴方も以前から薄々とそんな風に感じていらっしゃった?
 だとしたら凄く嬉しいな---このあたりの機微を察知して共感してくれるひとがいることを知るのは、僕にとって大きな喜びです---こーんな趣味的な独断ページをはるばる編んだ甲斐もあるってなモンですねっ。(^.^;>


                        ×          ×           ×

 大好評に迎えられたこの「猪木 VS ロビンソン戦」ですが、残念ながらロビンソンが新日本のリングを去ってしまったため、両者の顔合わせはこの一回きりになってしまいました。
 うーむ、無念なり…。
 現在、ビル・ロビンソン氏は74才---1999年に元プロレスラーの宮戸さんが東京・高円寺に設立した、U.W.F.スネークピットジャパンのヘッドコーチとして、伝統のキャッチ・アズ・キャン・レスリングの普及のために、日夜頑張っておられるとのことです。

        www.uwf-snakepit.com/affiliation.html  

 凄いなあ、一生レスリングづくしの人生なんて!
 超・輝いてる---めちゃ、格好よし、です。
 なお、こちら、一般の人間も通うことのできるジムです。打撃も教えてるらしい。
 ランカシャー・スタイルのレスリングに興味のある方は、ええ、是非にも訪ねてほしい、と思いますね---。
 


                      




 


                 

 
                        

徒然その94☆病気の冬の日☆

2012-01-13 23:36:22 | スケッチブック
              


 あのー ワクチン打ってたのにA型インフルエンザになっちまった頓馬なイーダちゃんです。(ToT)
 いま、蒲団にて療養中---噂のおクスリ「タミフル」を飲んで、ひっそりと世間から冬眠してます。
 熱だして寝込むなんてマジひさしぶり!
 小学校1年のときに水ぼうそうで寝こんだときのこと---
 4年のときに愛知の豊川の家で寝こんじゃって、ずっと天井を見てたときのこと---
 そんな超・遠い過去の追憶が、枕辺にふっと去来したりして、自分ながらややびっくり。
 
----ふむ、すると病はひとを詩人にするというプルーストの説は、あれはけっこうリアルなんだな…。
 
 てなことを勝手に思ったり、いい気なもんです。
 ふだん、寝たきりのひとの世話なんか日常的にしてるくせに、いざ自分もおなじ境遇になってみないと、ニンゲン、全然他人のことなんて分からないもんなんだなあ、そうか、こんなに不自由なんだ、と超・痛感。
 「他人事」と「自分事」とのあいだには、太古のむかしから、深くて暗ーい河が流れておじゃるようですなあ。
 いったいどうやってこの無常の河に橋を掛けたモンでせう?
 あまり体力的にPCに向かっていられないので、熱が7度代に下がったとき、うつ伏せに寝ながら絵を画いてみ申した。
 題して「病気の冬の日」---。
 僕なんかはまだ元気が残ってるから、障子や庭までの距離がこんなもんで済んでるけど、もう何年も寝たきりのひととかだと、障子と庭への距離はいかばかりのもんなんでせうかねえ?
 距離とかそーゆーレベルをとっくに超えちゃって、蒲団と庭との畳の境にグランド・キャニオンみたいな渓谷ができてたりね。
 あるいは、蒲団と障子のあいだが無限の星空で遮られていたり…。
 想像するのが、なにか怖いような気がぞくりとしちゃいました---。
 
 ま、今回はこの病床の女の子のように病気につき一回休みということで---では、そろそろくたびれてきたんで、お休みなさい---。m(_ _)m
 
               

徒然その93☆一本歯の下駄で散策すれば…☆

2012-01-05 22:09:13 | 身辺雑記


                       


 イーダちゃんの知り合いにはどういうわけか、太極拳の師匠とかムエタイ・マスターとかがやたら多いんですよ。
 僕はどちらかというとクラッシックな良識人ですから、彼らコテコテの格闘技野郎どもとは一線を引いて付きあっているつもりだったんですけど、ま、そのような環境に生息してますと、フツーに話していても最先端の格闘技理論とか身体操作技法の情報なんかが自然と耳に入ってくる機会が多いわけ。
 そんな話題のなかでいちばん驚かされたのが、いわゆる「ナンバ歩き」に関してのものでした。
 「ナンバ歩き」ってご存知?
 これは、ひとことでいって、江戸から明治にかけての時代の過度期に、日本人の「身体の動かし方」が革命的に変化した、という考え方なんです。
 うーんと、わかりにくいか…。
 じゃあ、もうちょいとぶっちゃけて---あの、江戸期の人間ってどうやら現代人みたいに走ることができなかったようなんですよ、といきますか。
 すると、当然貴方は、はあ? といっていぶかしげに僕の顔を見ることでせう。
 走ることができなかった? まさかあ、うそだろうって疑惑のまなざしで。
 ところがこの「ナンバ歩き」の仮説、あながちでたらめでもないようなんです。
 実際、1877年の西南戦争のときには、政府軍の民兵が走れなくて、薩摩の兵に追っつかれていっぱい殺されてるんですね。
 有名な吉原炎上の絵のなかでも、ふいの火事にパニクった庶民は、みんな両手を高くあげて走ってる。
 なぜに高々と両手をあげるのか?
 これは、常日頃、ナンバ的な、いわゆる「ねじらない」身体の使い方をしていると、そのようにしないと走れない風に自然となっちゃうっていうんですよ。
 西南戦争のときには、庶民のそういった癖がモロに戦争結果に現れてしまった。
 で、泡喰った明治政府は、国の基礎教育にドイツ風の行進と体操とを早急に取り入れたって次第…。
 ちなににこの仮説を主張してるのは、舞踏研究科の武智鉄二氏、古武術家の甲野善紀氏、ライターの織田淳太郎氏等々---彼等は、日本の古武道や舞踏、剣術や能などに残されている動きと姿勢の研究から、当時のひとびとの生活所作の動作を演繹したのです。
 
◆足軽が槍を構えたまま戦場を疾走して、槍の穂先がぶれないでいれたのはなぜか?(現代風の走り方ではぶれてぶれて、槍で刺すどころではなくなってしまうというのに)

◆古武道で固く戒められている「居着き」の概念---「居着く」ときは斬られるときと、武道の世界では古来よりいわれているのです---ならば、「居着かない」動きとはどんな動きなのか?(現代風に力んで、それから筋収縮を行うというアクションでは、力んだ瞬間、必然的に「居着いて」しまうはずなのに)

◆江戸期の飛脚は、1日に50里(200キロ)の距離を軽々と走破したという。そんな破格の運動能力を可能にした究極の身体操作とは?

 これら3つの設問の答えが、ことごとくこの「ナンバ歩き」---過去の我々ニッポン人が用いていただろう古来の身体操作---に帰着するというのが、彼等の総括的な結論なんでありました。
(注:ちなみに、僕が「ナンバ」と出逢ったのは10年以上むかしのことで、いまじゃそーとーに市民権を得た概念になっちゃってるように思うのですが、もし「ナンバ」というモノにここではじめて出逢い、かつ興味を覚えたといった方がいらっしゃいましたら、武術家・甲野善紀氏のこちらの映像→ http://youtu.be/DC66NZj8pJ4 なんかがお薦めです)
 「ナンバ歩き」では、なるほど、いま風には走れないかもしれない、しかし、身体をねじらない、この古来の身体の操作法を用いれば、いままでできなかった身のこなしが簡単にできるようになったりするようなのです。
 予備動作とタメがまったく不要になるような、この革命的な「ナンバ歩き」---武道でこれマスターしたら、それこそ敵なしじゃん、こりゃあ、面白そうじゃないか、と興奮しましたね。
 実際、彼等のもとには、この「ナンバ」的な身体操作を教わりに弟子が多数集まり、そのなかには1流のスポーツ選手やオリンピックのメダリストなんかも結構いたりするんですから、これは、ちょっと見過ごすわけにはいきません。
 正確な「ナンバ歩き」といったものがどのようなものかよく把握はできないにせよ、現実的にここまでの目に見える効果をあげている以上、それによる有効性はどう見ても「有意」と判断すべきでせう。
 「ナンバ」の権威である甲野氏にいわせると、「ナンバ歩き」の本質とはひねらない歩きのこと。
 ひねらず、蹴らず、身体全体を倒すように前進していく歩き方---。
 これを学ぶには、むかし修験者たちが履いていた「天狗下駄」、いわゆる「一本歯の下駄」を履いて実際に鍛錬してみるのがよろしい。それが、もっとも手早く「ナンバ」式の身体動作を学ぶことのできる、アイテムのひとつなんだから---とくる。
 これは、やってみずばなりますまい…。(^o-☆v
 で、知人の太極拳使いの勧めに従って、浅草ひさご通りにある老舗「まつもと履物店」というお店にいって、会津桐製の一本歯の下駄を2足購入したのが---お値段は一足あたり4500円くらいだったように記憶してますね---あれは、うーん、何年前のことだっけなあ…?
 あいにくのこと記憶はあまり確かでないのですが、ま、このときより「イーダちゃんの一本歯の下駄散歩」の歴史がはじまったというわけなのであります。
 でもね---町中をこの高下駄でコツコツ歩くって、自分でやってみるとわかると思うんだけど---案外コレ、勇気がいるんです。
 一本歯の下駄ってケッコー高さがありまして---いま計測してみましたら、なんと15センチもありました!---身長175センチの僕がこれを履くと、単純にいっても身長190センチ越えの即席ジャイアントになるわけでして。
 これだけでもそーとー目立ちます。
 なのに、いささか不安定な、ねじらないゆらゆら歩きでせう? さらには下駄の歯と道路のアスファルトがあたってたてる、コツコツいう、聴き慣れぬ独自の固い音! で、「なんだなんだなんだ?」と音のほうを向くと、なにやら怪しい男が、わけのわからない天狗みたいな珍しい下駄を履いて歩いてくるわけでせう?
 これは…見ますって、どう考えても---。
 僕だって道のむこうからそんな輩がやってきたら、興味津津に観察しちゃうと思う。
 だもんで、そういった好奇のまなざしをなるたけ避けやすくするために、最初は朝方の散歩に的をしぼって、一本歯の下駄を使用することにしたのです。

 特に2010年夏からの失業時代には、よくこの下駄散歩を実施しました。
 最初はアスファルトの一般道を多く歩きましたが、そのうち近場の鶴見川沿いの歩道を歩くことが増えてきました。
 朝の6時すぎになると、9月ごろならもうじゅうぶん明るいんですけど、秋が深まるにつれ、この6時の空がどんどん暗くなっていくんですよね。夜明けがどんどん遅くなっていって、道ですれちがういつものランニング兄ちゃんの吐く息も白くなり、そのうち裸足のまま下駄を履くのが辛くなってくる。
 僕は、足袋を履いて、この寒気を凌ぐことにしました。
 走ったり回転したりするのは、そのうち自在にやれるようになりました。
 しかし、この一本場下駄っていうのは、斜め傾きに弱いってことに、だんだん気づきはじめました。
 アスファルトの道で普通の運動靴でいると、知らず知らず自分の胴体をひねって、身体の傾きを無意識に調整していたんですね。
 ところがこの一本歯の下駄で歩行していると、バランスを取りつつ、そのように身体をねじる操作が非常にやりにくくなるのです。
 わけても前後の傾斜じゃなく、左右の傾斜が圧倒的に立ちにくいの。
 むりが効かないというか、テンテンテンと無意識に傾斜下のほうに身体がすぐに流れていってしまう。

----嗚呼、「居着き」たくても「居着け」ない…。なーるほど、だから、これが「居着き」をなくすための稽古になるっていうわけか…。

 と気づいて、なんとなくにんまりしちゃったり---。
 あと、土の坂道がむずかしかったです。
 固いコンクリートだと階段だろうが坂だろうが一向に平気なんですが、これが、落ち葉がいっぱい落ちている土の道なんかだと話がぜんぜん変わってきちゃう。
 僕、土手を駆けのぼるとちゅう、雑草に下駄歯をとられて、何度も転げ落ちたりとかしましたもん。
 もう泥まみれになっちゃって、40半ばもすぎていったい何をやってるんだ! といわれそうですが、このときの修行は結構楽しかったですね。

 ただ、勇気をだして、下駄歩きの理由を聴いてくる好奇心旺盛な方も、たまにはいらっしゃいました。
 そーゆーの、中高年のおじさまタイプに多かったですね。
 最初は遠くから珍しそうに見てるんです。でも、それからすぐに決心して、すれちがいざまにこっちにこう笑いかけてくるわけ。

----やあ、こんにちは…。珍しいですね、その下駄は?

 ええ、こんにちは、と僕は彼が話しかけてくるのを今か今かと待ってましたから、用意していた答えは、まあいっぱいあるんですよ。

----これはね、古武道の稽古なんですよ…。

----へえ、古武道の?(トおじさんは好奇心に目を輝かせて)

----ええ、こうやって不安定な歩行に慣れて、身体の遊びを取っていくっていうんですか? それが目的の練習なんです。

----はあ。でも、見てると、なんか天狗みたいじゃないですか。びっくりしたな。いつもこのへんを歩いてるの?

----ええ、雨じゃなければ大抵は…。おじさんは毎日このへんを?

----ええ、僕はもうウォーキングは日課みたいなもんだから…(と会話はまだ弾むが、このへんでカット)…。

 てな感じで下駄をネタに顔見知りの輪が広がっていったり---練習の目的とはちがっていたけど、こういうのはこういうので楽しかったです。

 んが---そーでもないエピソードもちょいありました。
 それは夏---しかも、そのときは朝じゃない真昼に、川沿いの一般道を歩いていたんですよ。
 そしたらね、住宅地の庭で遊んでいた子供に、いきなり水鉄砲でぴゅっと水をかけられたの!
 これは、びっくりしました。
 腹は立たなかったけど、これは黙っていたらこの餓鬼共(人数はふたりでした。たぶん小学生)のためにならないと思い、怒ることにしました。

----コラ! なにするんだ。

----……。(シマッタという顔。でもすぐうつむいちゃう)

----おまえの親に話してやる。いきなりこんな無礼なことをしてきたってな。さあ、会わせろ。

----……。(ますます深くうつむいて)

----黙っててもダメだぞ。許さんぞ。

----…すみませんでした…。

----おろ。悪かったと思ってるのか?

----はい…。すみませんでした…。

 といってふたりしてしんみり頭を下げるので、ま、いっか、と思い、

----もうするなよ! 

 といってこの夏の日の寸劇は終ったわけなんですが、よく考えたら、彼等・子供たちが僕めがけて水鉄砲を撃ったという心理、実をいうと、僕にはやや共感できるものがあったんです。
 子供って「異界」に敏感な動物ですから---。
 あと、現実のプラマイ計算において、結構小狡いクレバーな部分ももっている---それが子供の両面---自分の属している世界の目上の大人には、まちがってもそんなことはやりません。
 ということはすなわち、そのときの子供らの目には、一本歯下駄姿の僕は、彼等の住む世界のいちばん外側の縁にいる、浮浪者とか不審者といったいわゆるアウトサイダー・ランクをさらに踏みこえた、ほとんど妖怪レベルの存在として映っていたのではないか、とイーダちゃん的には思えたの。
 彼等にしてみれば、道のむこうから、いきなし予想もしてなかった「異人」が、ふいうちみたいにポンと現れて、超・驚いちゃったー! というのが案外素朴な深層だったのではないでせうか。
 そのようなとき、理性より本能ですばやく対処しがちな子供としては、そりゃあ、水鉄砲ぐらい撃ちますよって理屈は、僕的には非常に分かりやすいんですけど。
 うわー、とびっくりして、のけぞって、その自分ののけぞり加減がおかしくて、つい笑う。
 そのとき、たまたま手にしていた水鉄砲の引き金を引いちゃったというのは、ほとんど、コレ、衝動です。
 しかも、どっちかというと、コレ、敵意寄りじゃなくって、親愛始発の衝動なんじゃないのかな。
 僕には、なんとなくそんな風に感じられました…。
 だから、あのとき、わりと簡単にあの子供らを許しちゃった、という部分も実はあるんですよね---。
 てゆーか、このときの彼等の心のメカニズムって、ある意味とても祝祭的だ、と貴方、お思いになりません?
 僕は祝祭的だと思うなあ。
 祝祭的という語感がいかついなら「お祭り的」といいかえてもいい。
 イーダちゃんはお祭り大好きニンゲンですから。 
 あのとき、僕と子供らのあいだに、実は、目に見えないお祭りの橋がかかっていたとしたら、どうでせう?
 子供らは、フツーのニンゲンには見えない橋のカーヴにあわせて、ぴーひゃらぴーひゃら水鉄砲を撃った。
 で、それが僕にシャーッてかかった。
 だとすると、これは案外ファンタジックな、一期一会の素敵なコミュニケーションではないですか。
 僕はね、このときの小事件をそんな路線で解釈したいんですよ---。(^.^;>

 なんの話をしてたのか、分からなくなってきちゃったな…。(笑)
 ま、ただの一本歯の下駄の話なんですけど---一本歯の下駄を侮っちゃいけません---一本歯の下駄はいいですよ。
 なにより武道の鍛錬になる。
 バランスボールと併用して用いれば、これは、それだけで身体の使い方のトレーニングになってくれる。
 身体の使い方が変わってくると、調子のいいときなんか、歩いてるだけでなんか背筋のラインが超・気持ちいい、みたいな快感をときどき味わえるんですよ。
 それに、身体が割れてきさえすれば、肩こりは減るわ、姿勢はよくなるわ、で---もういいことづくめ。
 作家の荻野アンナさんなんかも、これ履いて、いつも料理してるようなことを何かの著書に書いてられました。
 あと、美術的価値もケッコーあると思うよ。
 冒頭のフォト---これのバックは早朝の日産スタジアムなんですけど、ねっ、バックの大スタジアムに引けを取らない風格を、この下駄さんは宿してるとお感じになりません?
 というわけで現在、イーダちゃんは、この下駄を履いての歩行術にちょっとばかし凝っているのでありますよ。
 この記事に触発されて、浅草ひさご通りにさっそく買い物に出かける、お調子者の「下駄仲間」がひとりでも増えてくれればいいなあ、なんて虫のいいことをいま考えたりしてるんですけど…。(^.^)/


P.S 申し遅れましたが、明けましておめでとうございます。
    今年、2012年は、いいいよ波乱と勝負の「旬」の年となりそう。
    「影の世界政府」企画の世界大戦プロジェクトは、まさに今年が勃発予定だと聴いています。
    いまさっき、さっそく北朝鮮のクーデター情報なんかも耳に入ってきました。
    それについて、いま中国では大騒ぎになっているらしいね。
    これに関しては、米国指導のジャパニーズ・マスコミは、相変わらずの完黙を決めこんでおりますが。
    あと、第二オーム事件の予兆もチラリとでてきたね。
    うーん、どこまでマジネタなの? それともガセなの? どうなるのかなあ?
    いずれにしてもマスコミの撹乱情報に踊らされないよう気をつけて歩きませう。
    戦争で儲けてる勢力が衰退し、平和を愛するまともなひとびとが舵を取れる世の中に早くなりますように!
    今年もよろしくお願いします---。m(_ _)m