イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その150☆イーダちゃん、加賀温泉に夢破れ、近江で鮒寿司を喰らい、その仇討とす!☆

2013-09-29 14:23:55 | 身辺雑記
                          


 というわけで金沢「香林坊」で楽しい一夜をすごしたイーダちゃんが翌日目指したのは、むろんのこと「温泉」!
 せっかく石川くんだりまできたんだから、温泉入んないでどーすんのって高揚心地なのでありました。
 幸い、翌日の天気は晴れ---金沢駅近郊の○○ホテルの高層の窓に差しこむ朝の光を見て、イーダちゃんは思わずほくそえんだものです。
 うわ、ラッキー、と。(^o^)>
 ところが、下調べなしのこの思いつき温泉プロジェクトは思わぬ結末を迎えるのです。
 最初は僕、金沢駅からJRに乗って、小松にある加賀温泉郷の顔のひとつ、粟津温泉ってとこを目指したんですよ。
 粟津温泉って駅で降りて、ここ、またバスを乗り継いでいくのよ。
 で、たどり着いた町は、いかにも温泉地って香りがにほいたつ、もー 超・いい風情の温泉どころ…。
 もー 好みって感じの、いい意味でのひなびた温泉地。
 ここ、あの有名な世界最古の宿「法師」があるとこなんですよ。
 そんなわけでイーダちゃんはもうこの粟津温泉街を歩きながら、雰囲気だけですでにはしゃいじゃってね、地元のひとが勧めるこちらの共同湯「総湯」ってとこをまあ訪ねてみたわけなんですよ、これが。
 料金は420円。
 いつも旅には冬山登山のような大きなリュックをしょっていくイーダちゃんを見て湯番のオバちゃんは、

----あ。お兄さん、そのリュックじゃロッカーに入らないから、そこらへんに置いておくといいよ。あたしがときどき見てるから。

 なんて牧歌的なことをおっしゃって…。
 そうか、都内なんかとちがって、ここじゃ置き引きなんかもないんだ、と、それ聴いてますますホワ~ンとしたイーダちゃんが夢見心地で服脱いで、湯処のガラス戸いそいそとをあけると----

 塩素でした。
 ツーンとね、鼻が曲がりそうな塩素の香り。
 愕然としました。
 けど、それを信じたくなかったんで一応掛け湯だけして、肝心の円形のお風呂に肩まで浸かってみると…
 嗚呼、完璧無比の塩素湯ぢゃないっスか。

----ダミだ、こりゃ!

 3秒で出ました。
 がっかりしたというより、むしろ哀しかった。
 というのはね、石川って、水がとてもいい土地なんです。
 僕が前日に泊まった金沢のホテルでも、そこ、水道水で温泉じゃないのに、水の質があまりにいいために、僕、ほとんど温泉気分でそのホテル湯を満喫できたほどですモン。
 着替え処の温泉の泉質表を見ると、うん、たしかに「条例により衛生のため塩素を投入しています」の文字が確認できます。
 身体が乾くのも待たずに服着て、あっというまにこの「総湯」を後にしました---それこそ逃げるように。
 宿のオバちゃんが驚いて、

----あら、もう出るの? もっとゆっくりしてけばいいのに。

 なんて親しみの声かけてくれるのも逆に哀しかった。
 曖昧に笑って、僕、この粟津温泉を去るしかなかったですねえ。
 もうね、10分だってこの地にいたくなかったの。
 3秒浸かっただけでも、塩素の投入さえなければ、この温泉がいかに極上の温泉だったかくらいはすぐ分かる。
 全国でも誇れるくらいのお湯ですよ、ここの単純泉は。
 ただ、いいですか、いかにグレートな温泉にしてもね、塩素を入れれば温泉は必ず死ぬのです!
 本来の温泉の質がいかにスーパーだったかが感知できるぶんだけ、僕あ、哀しかったなあ。
 もー マジ泣きそう(T.T)
 最近、不正選挙の訴訟に乗りだして、さまざまなところから脅迫めいたことをいわれても屁のカッパのイーダちゃんなんですけど、この塩素温泉にはひさびさ「太宰のように」しこたま傷ついちゃいました。

----汚れっちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる
  汚れっちまった悲しみは たとえば塩素の極上湯……

 あーん!<(TyT)>
 僕、帰りのバスの待ち時間も待ちきれずに、帰りの7キロの田舎道、歩いて踏破しちゃったほどですもん。
 いやー まいりました---こんなにまいったのは、島根の玉造温泉のあの「長楽園」事件以来のことでした…。
 (この件に興味ありげの奇特なお方は nifty温泉のイーダちゃんのクチコミページを参照のこと)



       
        その超残念な共同湯・粟津温泉の「総湯」                  傷心の帰りの田舎道。路肩の水路をメダカが泳いでいたよ。


 でも、まあせっかく北陸まできたんだからと気を取りなおして、今度は、おなじ加賀温泉郷の山中温泉ってとこにいったんです。
 JRの加賀温泉って駅で降りて、またまたバスを乗り継いでいくんです。 
 こちら、あの芭蕉が訪れて、歌まで詠んでいる、いわば加賀温泉郷の老舗的存在なんですね。
 いくらか町的な山城温泉をいきすぎて、さらに曲がりくねった道をいき、山の香りがツンと濃くなったころ、よーやくバスは目的の山中温泉に到着しました。
 わあ、と思いましたよ。
 バスを降りたら、いかにも山の上の田舎町って風貌の温泉町がとーんとひらけてて…。
 しかも、この町並、一軒一軒の家々にまでなんともいえない統一感があるんです。
 俺たちはこうやって歴史ある山中温泉を代々守ってきたんだゾっていってるみたいな---。
 家々の黒々しい瓦屋根の並びが、それから、町並に染みついた温泉町独特の濃い雰囲気が、もうたまんない。
 ちょっと恍惚としながら、イーダちゃんは、この山中温泉街をぶらぶら散策してね、それから、ジモティーに道を尋ね尋ねしながら、この山中温泉の顔である共同湯「総湯」を目指したと思いねえ。
 山中温泉の「総湯」---それは、全国的に有名な温泉教授が、西の飯坂温泉とまで評したことのある、温泉好きにとって聖地のひとつでもある共同湯なんです。
 こちら、町の中心にある、森光子劇場って立派な建物のすぐ隣りにあってね。
 それはそれは素晴らしい威容なんですわ---共同湯まえの足湯では大勢の観光客がみんな足湯を楽しんでいるしね---コンクリートと石造りで建てられた、この巨大な共同湯をまえにして、温泉好きなら誰だってじっとしていられるはずがありません。
 僕も心からワクワクしてね---この「総湯」の暖簾をくぐったわけなんです、はい。

                 
                 上図:その山中温泉「総湯」(写真は女湯)。こんな立派な外貌なのに…

 この「総湯」、内部の造りもたまらなくレトロでありました。
 森光子劇団の芝居のポスターが壁に貼ってあって、むかしの音楽がいい感じに流れてもいて。
 浴場の二重戸をあけて、掛け湯の設備があるのも素晴らしい。

 でもね、残念ながら、ここも塩素湯でした。

 僕は、今度は5秒で、ここ、出ました…。

 ほかの旅館をあたってみたら、ひょっとしてそんなことはなかったのかもしれない。
 塩素湯じゃない、ちゃんとしたお湯で営業してるお宿もあったのかもしれない。
 そういえばいつか、鹿児島の紫美温泉を訪れたとき、噂の紫美温泉共同浴場は残念無念の塩素湯だったのに、そのお隣りの旅館「紫美荘」は噂通りの「神の湯」をちゃんと保持してらして、非常に感動したことがあったことなんかが思い出されもします。
 でもね、この日は、これがイーダちゃんの限界でした。
 がっかりしすぎてね、もう温泉に入ろうって気力そのものが、なんか萎えちゃったっていうか…。
 時間的にもふたつの温泉を訪ねたことで、時間も6時間以上使ってましたからね。
 本来ならどっちかの温泉に泊まっていくプロジェクトだったんですけど、それもなし---そんなわけでイーダちゃんの加賀温泉訪問は、非常にショボイ結末を迎えたのでありました---はあ…。

 加賀温泉駅についたらもうすっかり夕方になってまして、JRに乗ってとりあえず米原までいきました。
 知っての通り、米原駅ってなんにもない処なんですわ。
 かろうじて駅前のビジネスホテルで宿とって、それから、一軒だけある駅前スーパーに夕食の仕入れにいって…。
 で、買い物籠にカップ麺とか入れてレジにそれをドカンと置いた刹那、ふいにある都市伝説を思い出したんですよ。
 それは、滋賀では、スーパーにも鮒寿司を置いてあるっていう内容の伝聞でした。
 鮒寿司というのは、クサヤと並ぶ、日本一臭い食品のひとつ。
 鮒の腹にお米をつめて、その鮒をドバーッと樽に入れ、そのまま1年も2年も発酵(腐敗)させるわけ。
 琵琶湖産のが有名ですよね---でも、僕は、まだそのクッサイ鮒寿司を食したことがなかった。
 だもんで、まあダメ元でレジのおばちゃんに聴いてみたわけです。

----あのー 米原ってたしか滋賀、ですよね…?

----はあ、そうですけど(おばちゃんは当然怪訝顔)…。

----あのー じゃあ、こちらで鮒寿司って扱ってらっしゃいます…?

----ええ…、置いてあるはずですけど…。

----マジ? マジっすかあ…!

 喜び勇んで小走りで鮒寿司パックを置いてある売り場までいきましたとも。
 売り場のおじさんに鮒寿司の食い方を聴いてみる。
 なんでも、洗ったりせずにそのまま食えるらしい。
 米が腐って麹状になってて、そこが特にクッサイから、好きなひとでも麹だけは取っちゃうとか。
 しかし、超好きなひとだと、麹にお茶かけて、お茶漬けにして食っちゃうとか…。
 ちょっとハードルが高げなことをいわれるんですよ、はい。
 でも、僕、そのときは舞いあがってましたから---で、超ウキウキしながら、あらためてそれをレジにもっていったら、さっきの売り場のおじさんがなぜかまたレジにいらして、

----お客さん、売る側のわたしがいうのもなんですが、わたし、実は、鮒寿司、苦手なんですよ…。

----あらまあ、そうなんですか…。

----ですが、やっぱり地元の名産品ですからね。都会のひとがチャレンジしてくれるのは嬉しいんですよ。

----ええ、チャレンジしてみます。

----ぜひ、チャレンジされてください…。ただ、麹は、ほんと、臭いですから。決してむりせんよぅに…。

----ありがとうございます…。

 で、ホテルの部屋帰って、缶チューハイといっしょに、いそいそと鮒寿司のパックをあけたんですね。(記事トップ参照)
 そしたら、ツーン!
 鼻の曲がりそうな濃ゆい酒カス臭が、もう部屋中にツーン!
 一瞬だけ、腰が引けそうになります---しっかし、昼間の温泉の塩素臭にくらべたらこんなのなんてことない! と自らを奮いたたせ、その鮒さんの一切れを口に放ってみると……

----あら。旨いよ、コレ…。旨い!

 酒カスの濃ゆい香りとチーズの臭みが入りまじったような独自の腐臭のなか、肝心の鮒さんは意外とシャキッとした歯ごたえがあってね、うん、僕的には非常にコレ、うまかった。
 クッサイといわれてた麹も充分イケル。
 なにより鮒さんの一切れ一切れに染みついた、酸っぱいような、苦いような、微妙かつキョーレツな、一種コクのある風味がたまんない。
 鮒さんのアタマもコリコリ食えたし、クサイといわれていた麹だってお茶漬けにして、ブラボー、あっというまに完食しちゃったよー---。


         

 いやはや、満足---でしたねえ…。
 というわけで加賀温泉郷との闘いにはいいところなく敗れ去ったイーダちゃんでしたが、滋賀の鮒寿司食いで温泉の仇を見事討てたのでありました。
 滋賀に再訪する楽しみがまたひとつできたということで、ま、終わりよければすべてよし---今夜はこのへんでおいとましたく存じます---お休みなさい---マル…。m(_ _)m
 



 

徒然その149☆金沢シティー「香林坊」の夜は更けて…(ロスチャイルド夜話)☆

2013-09-24 04:54:25 | 身辺雑記
                       


 9月の上旬、本来はNY行きの予定があったんですが、あいにくのことその予定がキャンセルになっちまったんで、前々から申請していたこのひさかぶりの休暇を利用して、旧友のいる金沢までそそっといってまいりました。
 北陸最大の古都・金沢シティー---。
 実は僕、56豪雪の年、まだ初々しい17才の高校生の折り、10か月だけこの金沢シティーに住んでいたことがあるんです。
 ですから、この、ほぼ30年ぶりの金沢再訪には、なんとも感慨深いものがありました。
 駅前のレンタサイクルでママチャリを借りて、高校のとき受験で利用していた図書館にいってみたり、懐かしの母校に寄ってみたり、かつて住んでいた平和町の住居跡にいってみたり…。
 30年ぶりの金沢シティー、ずいぶんあちこちが変わっておりました。
 平和町の僕が住んでいた借家は、駐車場になっちゃってました。
 あと、JR金沢駅のなんという近代的な変わりよう…!
 変わっていないのは市中を貫く犀川の滔々たる流れと、香林坊のどこか北陸北陸した佇まいだけでした。
 時のうつろいというのは、マジ、無常なものなり。
 犀川大橋の中央のベンチ付近で、僕は、眼を細めて、ひさびさに会ったこの旧友・金沢シティーとの再会を噛みしめました。
 ジョン・レノンの死んだ80年の12月8日、馴染みのライヴハウスに駆けつけようと、息せききって自転車でこの大橋をわたったことが懐かしく思い出されもします。
 そのライヴハウスも、いまはもう跡形もない。
 初めてバート・ヤンシュのレコードを買った、馴染みだった地下のレコード店も当然ない。
 記憶のなかのそれらの雑然とした香林坊の裏町は煙のように跡形もなく、それらに代わって、プチ原宿みたいにお洒落なお店群と109のビルとが「せせらぎ通り」なんていう新たな観光名所を構築しておりました。


                        
                     その金沢・香林坊の新名所「せせらぎ通り」より著者

 金沢シティー再訪の夜には、金沢の旧友・介護の道の大先輩であるMと、市いちばんの繁華街「香林坊」へと飲みにでかけました。
 金沢の海の幸は、さすが北陸って感じの新鮮極まりない美味なものでしたが、僕がいっちゃん印象深かったのは、実は、2件目に訪れた香林坊の裏筋にある「マルティニ」って名の渋いBARでした。
 MがこちらのBARを知っていたので、その関係で案内してもらったのですが、こちら、とてもいいお店でした。
 なにしろ、ここ、マスターがすっごい博識!
 僕等、カウンターで Miles Davis の kind of Blue を聴きながら、たまたまロスチャイルドの話をしてたんですよ。
 ロスチャイルドっていうのは、いうまでもなくヨーロッパのあらゆる層から「あのお方」と囁かれる、現代世界のオーナーにして支配者でもある、スファラディー・ユダヤのあのロスチャイルド男爵のことです。
 (なぬ? ロスチャイルドをご存知ない? うーむ、そーゆー方は、おとといにでもまたおいでください。広瀬隆の本やらリチャード・コシミズ氏のブログを訪ねて勉強しなおしてからの再訪を心よりお待ちしております。ロスチャイルド抜きには、ヨーロッパや近代史のことはひとつも語れない、というのが本当なんですから)

----でさー、俺ら、仲間内でいいワイン買って、部屋でそれあけるっていうのを恒例にしてたわけ…。そうなるとだんだん舌も肥えてきて、必然的に興味だってでてくるじゃん? そしたらさ、そのうち見つけちゃったんだよ、いわゆる、究極のワインってやつを…。

----究極のワイン…? なんや、それ…?

----それがさ、ロールシルトってワインだったんだよ。仏蘭西産の超・極上ワイン。超旨いらしい。いちばん安くて一本20万円…。ちなみにロールシルトって銘柄はドイツ語読みでさ、英語で発音すると、これ、「ロスチャイルド」になるんだよ…。それ知ったときには正直たまげたね。なんだ、おまえ、表にさっぱりでてこないから、もしかしたら幻かも、なんて思いかけたことも何度かあったけど、そうか、こんなとこに隠れてたのかって…!

 そんな風にカウンターで話してたら、マスターがさりげなく、こう声をかけてきたの。

----あの、お客さま、お話のとちゅうで失礼ですが、そのロールシルトの現物なら当店にもございますよ…。

 僕的には、もう「エーッ!」でした---思ってもみなかったもん。

----お客さまのお背の、後ろの段のところ、御覧になってください。そう、そこ…そこから2本目と3本目のところにあるのが、ロールシルトのワインですよ。どうぞ、手にとってよく御覧になってください…。

 マスターのうながすまま指定された瓶をとってみたら、うん、たしかに…ロールシルトです…。
 僕、ここで初めて1本20万の幻のワイン「シャトー・ムートン・ロートシルト」の現物を拝みました。
 「シャトー・ムートン・ロートシルト」は、ワインの名門中の名門である、仏蘭西ボルドー産の超高級ワイン。
 毎年、最上のアーティストにラベルの絵を画いてもらう、というユニークな企画でも有名なこのワイン、なんとあのピカソやシャガール、ウォーホールやバルディスなんて超一流も、ここのラベルを手がけてるんですね。
 そのなかでももっとも有名なシャガールとバルディスの瓶が2本ともこちらにあったので、イーダちゃんは、なおさらびっくり!(゜o゜;;
 1970年産のシャガールのにもそーとーびっくりしたけど、ロリータ柄で有名な1993年もののバルディスのモノホン瓶を見れたことには、もう脱力もののびっくり二乗でした。
 僕、しばし黙って、瓶を見つめちゃいましたもん。
 写真も撮った。
 ただ、映りわるくていささか見にくいんで、ネットから引っぱってきた同瓶のフォトを2点脇にあげておきませう。


   

 代々、あらゆる動乱と戦争のフィクサーとなりつづけてきた王侯以上の王侯---
 というか、ほとんど現代社会のマイスターといってもいいくらいの超・存在---
 メンデルスゾーンやナポレオンや日露戦争のバックにもいた彼等・特権階級中の特権階級者「ロスチャイルド」!
 けれども、どういうわけか彼等は必ず歴史の蔭にいて、表に姿を表すことをよしとしなかった…その彼等と書面やネットのなかのバーチャルじゃなく、生で対面したのは、正直、これが初めてでありました。
 うーむ、と瓶を見つめて、僕、唸っちゃいましたね…。

----そうか、やっぱり、あんたら実在したのか…。それにしても、こんなところに足跡残していたとは…。盲点だった、ワインなんて読めなかったよ…。
 
 あのー 話やや飛ぶけど、巨匠・宮崎駿さんの初期アニメに「カリオストロの城」ってあるじゃないですか?
 あれにでてくるカリオストロ伯爵っていうの、僕は、ロスチャイルドがモデルじゃないか、と常々思っていたんです。
 実際よりだいぶ小粒に描かれているけど、アレ、いまでもちょっとそうじゃないかって思ってる。
 広瀬さんの本を読めば誰でも分かるかと思うけど (広瀬隆「赤い盾」集英社) 、世界中の大企業の7割は実質彼等「ロスチャイルド」の所有物なんですよ、いまも。
 99%のマスコミがその事実をいかに大衆から遠避けようとも、それは、もうあちらさんの家系図を追ってくだけで証明できる動かしようのない厳正な事実なんであって。
 あの聡明な宮崎さんが、それを知らないわけがない。
 うむ、まちがいなく宮崎さんは知っていたと思うぞぅ…。

 まあ、そっち系の話題に深入りする気は今回はあまりないのですが、この夜の「ロートシルト」との出逢いが、僕にとって非常に忘れがたい思い出となったのはたしかですね。
 酒もうまかった。
 旧友との話も面白かった。
 介護の話もたっぷりできたし、30年前に住んでいた懐かしい借家の跡地も見れた。
 それから、なにより染みたのは、その夜の飲み会のしまいに、なんと旧友Mの次女のMさんが、酔っぱらった我々ふたりのコンビをクルマで迎えにきてくれた、という一幕でした。
 これは、染みた…。
 あの学生時代、いっしょい馬鹿やってさんざんに遊びまくってた旧友の娘さんが、よもや親父さんの連れをクルマで迎えにくるほど成長されているとは…。
 光陰矢の如しとはまさにコレ---年賀状で見るかぎりは、まだまだ子供さんだと思っていたんだけどなあ。

 というわけでMに娘さんのMさん、今回の金沢行ではつくづくお世話になりました---。m(_ _)m
 ヨコハマに帰ったら、ソッコーで生シウマイ、クール宅急便で送ります。
 ただ、晩秋の香林坊、ひと、ちょっと少なかったねえ。
 あと、街が全体的のトーンが微妙に暗かったのが、僕的には印象に残っています。
 市いちばんの「大和」デパートが、夜7時ちょうどにシャッターを降ろしちゃったのにもびっくりした。
 全体的に、ひと、いなくて、チャラ男系のホストっぽいのが、やたら街角に目立ってたねえ。
 彼等、あんなんで商売になるのかしら?
 などというどうでもいい心配を時折チャラ見せながら、あまりにも私的な当ページをそろそろ閉じたく思います。
 さて、余った日取り、イーダちゃんは加賀の温泉郷を目指したのか、それとも、その他のパワスポを再び探訪したのかどうか?
 それらすべての疑問符は、あいにく次回にもちこしです。
 しかしながら、イーダちゃんにとって、金沢はやっぱり特別な場所なのですよ---その特別な夜を特別な手法でもてなしてくれた金沢の旧友のMと香林坊の「マルティニ」のマスターに向け、感謝の思いをこめつつ、いま、キーボードからおもむろに両手指を離した、初秋の深夜のイーダちゃんなのでありました…。
    (下写真:香林坊のBAR「マルティニ」 076-233-1991 石川県金沢市柿木畑5-8阿部ビル1F)


                                 
 
 
 

 

徒然その148☆歌姫の系譜(藤圭子から Billie Holiday まで)☆

2013-09-16 04:08:37 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
                     
                     ----何もなかった、あたしの頂上(てっぺん)には何もなかった……。(藤圭子)


 藤圭子が、死んだ---。
 死に場所は新宿。投身自殺だった、と聴いた瞬間こう思いました。

----ああ、やっぱりな…。

 藤圭子は、特にファンってわけじゃありませんでした。
 なにより、世代がちがいすぎた。
 彼女の全盛期は60年代の終わりごろから70年代の初頭、つまりは万博あたりまででしょ?
 そのころ僕はまだほんの小学生でしたもん。
 テレビでやたら彼女の唄が流れてるのはそりゃあ見てましたし、そのころのトラックの運ちゃんたちが「藤圭子、命!」みたいなステッカー(?)をつけて道路を爆走していたのもよーく覚えちゃいます。
 けど、「怨歌」なんてあまり僕的には馴染めなかったし、恋愛だってかけらもキョーミなかったからね。
 当時の僕が夢中だったのは、「ウルトラセブン」であり、「アポロ計画」であり、「新幹線」やら「キーハンター」なのでありました。
 だから、藤圭子イコール完璧に「路傍のひと」であったのですよ。
 僕の生活圏外に咲く、珍しい遠くの花って感じ。
 でもね、「圭子の夢は夜ひらく」だけは例外だった。
 あれ、はじめてテレビで聴いたとき、僕は、テーブルで漫画書く手を休めて、つい見入っちゃいましたもん。

----赤く咲くのは芥子の花
  白く咲くのは百合の花
  どう咲きゃいいのさこの私
  夢は夜ひらく

  十五、十六、十七と
  あたしの人生暗かった
  過去がどんなに暗くとも
  夢は夜ひらく…

 なんとなく、カウンターにつっぷしている酔っぱらいの愚痴めいた内容ですよね、コレって?
 夢は夜ひらくっていうのは、いいなおせば、夢は夜しかひらけないってこと。
 昼の光から排除された日陰者特有の「お水」っぽい世界観が、そこはかとなく香ってもきます。
 この歌のなかの「あたし」は、夜見る夢のなかじゃないと自己実現できない自分の卑小さを自嘲してるみたいな気味もある。
 自嘲に、愚痴に、いまいった水商売、あと、酒とオトコと香水の匂いなんかもちょっとする。
 そんな酒場の愚痴っぽい歌詞の連鎖を束ねるキーワードとしての「夢は夜ひらく」---どんな文脈もこのコトバで結んで、しかも、この結び目が執拗にくりかえされるから、しまいにはこのフレーズ自体が呪詛みたいな、独特の翳りをもって聴こえてくる仕掛けとでもいうか。 
 けど、肝心なのは、そんな歌詞やからくりうんぬんじゃない、なにより肝心なのは、藤圭子そのひとの声でした。
 藤圭子の肉声!
 骨太で、ゆるぎがなくて、なんともいえないブルージーな翳りに満ちた、圧倒的な声の強靭さ。
 彼女、容姿自体が日本人形みたいに綺麗だったんで、なおさらその声の存在感は際立って聴こえました。

----こいつ、なんてふてぶてしい声で歌うんだ…!

 僕の第一印象は、それ。
 不幸のなかに居直ったような彼女独自の怨念じみたたたずまいは、同時代の石田あゆみや美空ひばりなんかより、はるかに肉感的に、かつリアルに見えました。
 ええ、そのときブラウン管からふいにたちのぼってきた「藤圭子」という現象は、茶の間でだらだらとしていた僕の安逸気分をたちまちのうちにに剥ぎとって、幼年時の僕に、大人社会の残酷なまでの赤裸々な人生裏事情を、これでもかとばかりに強引に突きつけてきたのでありました…。

 あのー ひとことでいって、僕はね、この「圭子の夢は夜ひらく」って本質的には子守唄だと思うんですよ。
 いろんなことで傷ついて、昨夜も今宵も酒に逃げ、カウンターに泣きながらつっぷしている、全国各都道府県の、あらゆる酔っぱらいたちのためのララバイ…。
 心底傷ついたひとには、建前ばかりの明るいポップスなんか通用しない。
 というより、彼等の耳自体が、その手のモンは、もうおのずから本能的に忌避しちゃう。
 彼等が受け入れるのは、彼等自身が自分たち同様「こっちがわ」からの発信だと同意できるものだけ---彼等、敏感ですよ、「あっちがわ」の似非同情、高みからの綺麗事なんててんで相手にしてもらえない---要するに、自分たち同様に傷ついた「同族」の呻き以外はまあ認めてもらえないわけ。
 そのような彼等の夜毎の苦悶をなだめ、なんとか寝かしつけてくれる歌が、藤圭子のこの「圭子の夢は夜ひらく」って歌だったんですね。
 心に傷をもつそんな底辺の無数の人々が、自らの胸中の煮えたぎる苦悶を抑え、一晩の安楽な眠りを得るために、この藤圭子というシンガーの声を必要とした。
 そうした構造が、この時代の「藤圭子」という現象を支えていたんじゃないか、と僕は思います。

 さて---では、そんな底辺大衆の夢に支えられた藤圭子というのは、どんな女だったのか?

 シンガーとしていうなら、これは、もう超一流というよりないですね。
 あの異様な説得力は、誰が聴いてもすぐわかる。
 僕みたいな三文楽師(イーダちゃんはギタリストでもあります。詳しくは、youtube iidatyann で御覧あれ!)なんかじゃ、まず演奏するとき、だいたい音を置きにいっちゃうんですね。楽譜に「あわせて」、あるいは、理想とする音楽の姿かたちにあわせて、ひとつひとつの音を置きにいっちゃう。
 これ、音楽におけるいちばん陥りやすい「熟練」って罠なんですけど、これやっちゃうとダメなんです。
 自分とその理想とのあいだにどうしても紙一枚のギャップが生まれ、そこから疑惑の隙間風がぴゅーって吹きこんでくる。
 そして、それが、根本的な説得力の欠如って結果に結びつくわけ。
 ほんとにいい歌手は---天性の音楽家は---そんなことまちがってもやりません。
 藤圭子クラスの生まれながらのシンガー---注:ピアニストならホロヴィッツやコルトーみたいな面子をここで思いうかべてください---は、理想の音楽形なんて見ちゃいない---彼等がそのとき見てるのは、自分の裸の心ひとつきりなんです。
 計算なんかしちゃいない。
 そりゃあ人間だから、歌うまえはある程度の計算くらいならあるのかもしれないけど、いざ歌いはじめるとそんな俗世の損得勘定は、綺麗さっぱり見事なまでに飛んじゃうんですよ、彼等・天才族って。
 一般人の歌とは位相がちがう。
 売りあげのために、名声のために、金のために歌うんじゃない。
 じゃあ、自分のために?
 そうかもしれない、でも、たぶんそれだけじゃない。
 僕は、超一流の表現者っていうのは、基本的に「巫女」なんだと思ってる。例外なくね。
 損得じゃないんです---チヤホヤされたいがためにやってるんじゃ全然ない---彼等・彼女等は、歌いはじめると、そのような俗世の自分のキャラが全部消失するの。
 そういった人格が去ったあと、彼等のなかに現れるのは、どことも知れぬ異界との通路です。
 彼等は瞬時のうちに、そこからの伝播のための純粋な楽器と化し、憑かれたような口調で、おのおのの眼で見てきたものについて粛々と語りはじめるんです…。

----それは、何? 背後から差しこんでくるそれの名って…? 

 僕はね、「業(ごう)」だと思う。
 藤圭子は、声帯やテクニックや名誉欲で歌ってたんじゃない、彼女の背後にいる「業」が、理性が留守になった彼女のうつろな身体を凛と鳴らして、彼女の代わりに朗々と歌っていたんだって。
 うん、僕等は、彼女の歌声越しに、彼女の運命の無常のパノラマもひょっとして一緒に聴かされていたのかもしれない。
 ひとことでいって、一般レベルの人間じゃないのよ。
 いうならば、かの卑弥呼から綿々と継承されてきた巫女の降臨劇とでもいうか。
 彼女らは、能のワキなんです---自分を捨てて、霊を呼び覚ますわけ。
 で、降臨した霊の背後から、ごうごうと業の風が吹いてくる。
 それが、そのまま彼女の歌になる。
 だから、あんな凄味があったの。
 だから、あれほど異様な説得力でもって、聴いてる僕等の胸をぎゅっと締めつけてきたの。
 でも、これは藤圭子限定の話じゃない、ていうか、歴史に残るほどのいい歌手、歌姫ってみんなそうなんじゃないのかな? 
 たとえば、あの Billie Holiday…。
 それから、伝説のブラジルの歌姫、歌の精みたいだったエリス・レジーナ…。
 彼女らは、みーんな、人間業以上の凄味で歌うことを許された、ある種スペシャルランクな巫女巫女星人でした。
 彼女らをくくる共通頁は、「不幸」と「孤独」と「夭折」---。
 藤圭子は、飛び降り自殺。
 エリス・レジーナは、ある朝、突然ベッドで冷たくなってた。
 ビリー・ホリデイは、加度の麻薬と飲酒による衰弱死。
 まるで役目がすんだら中の命をすっと抜いて捨てられちゃう定めの、玩具の自動人形のような彼女らの死にざまに、イーダちゃんは言葉を失います。

 お。参考までに彼女らのフォトもちょっちあげておきませうか---左からビリー、右がエリス・レジーナです。


       

 エリス・リジーナ(右)は、わりと若いころの元気な写真だけど、ビリーのこれ、なんか老婆みたいでしょ?
 彼女、この写真時、まだ45よ!
 なのに、この抜け殻みたいな衰弱ぶり---てゆーか、死相がもう完璧顔面全体に兆してる。
 そうして、彼女、明らかに自分のそうした運命、悟ってはりますよね?
 でも、自身の最後の一滴まで絞りとろうと、なお生命を絞りつくして歌ってるのよ、スゴイ……。

 ここで僕が例によって川端康成をもちだしてきても、あながち牽強付会にはならんと思うのですが。
 川端さんは、いまさらここで僕なんかが解説する要もないくらい有名な、ノーベル文学賞の受賞後、栄華のさなかで謎の自殺をとげた、日本屈指の大文豪です。
 彼を紹介する場合、「雪国」やら「片腕」なんかの名作を通って川端文学への諸端とするのがオーソドックスな道のりなんでせうが、僕は、それ、案外遠回りなんじゃないか、と常々思ってる。
 彼を紹介するなら、まず、顔ですよ。
 論より証拠---まあ、覚悟決めて、この川端顔面を御覧になってください。

      

 どうっス? 「うげっ」て思ったっしょ?
 それくらいこれは放送禁止級の、ヤバ~イお顔です。
 安手のスプラッターを数ダースならべたよりはるかに怖いこのお顔…。
 個人の「業」がそのまま顔面になりかわったみたいなこんな強烈顔は、僕は、このひと以外に知りません。
 このお顔のなかに封じこまれた絶望の総量は、僕は、もう無常観なんてコトバすら越えちゃってるようにも感じます。
 あの「眠れる美女」や「散りぬるを」なんかの投げっぱなしの絶望傑作群を生んだのは、こういう顔だったのですよ。
 特に川端さんを表象してるふたつの絶望マナコにご注目あれ---これは、人相学的には「アレクサンドロスの瞳」と呼称されているタイプの瞳であって、この瞳をもったひとは、かつてこの瞳を所有した世界史の有名人・かのアレクサンダー大王のような、不幸で孤独な最後を遂げる、といわれています。
 (このヘンの情報に関してもそっと詳しく知りたい方は、僕のまえのブログ記事、 西洋占星術への誘い ☆徒然その13☆フランツ・カフカとお月さま  を参照されたし)
 川端さんは作家であり、さきほどから僕が話している藤圭子やビリー・ホリデイとは他業種の方なんですが、そうした表面的な区分けから離れて、もっと本質的な面から眺めるなら、僕は、この方、藤圭子と同種の、いわゆる「巫女系」の藝術家だったんじゃないか、と思っているんです。
 ええ、川端さんと藤圭子は、よく似てる。
 この世の栄華を極め、お金も名声も腐るほどあるのに、ちっとも幸せそうに見えず、いつも孤独で、淋しげな目をしてこの世の荒野を漠々とさすらい、最後には絶望と乾きの因果に絡みとられ、自らの生命を絶ってしまう…。

 川端さんは、晩年、しきりに藤圭子に会いたい、とおっしゃっていたそうです。
 週刊誌の記事でそれを読んで、ああ、そうだったんだろうな、と納得しました。
 川端さんは、藤圭子の歌声に、まちがいなく同種のにほいを嗅ぎつけていたんですよ。
 いわれてみれば、僕が冒頭に挙げた藤圭子のフォトの瞳にも、川端さんの瞳ほどの濃さではないにせよ、それとまったく同種の「翳り」が秘められているのを見ることできるように感じます。
 
----ああ、そうか…。藤圭子もあの「アレクサンドロスの瞳」の持ち主だったのか。じゃあ、あんな死にかたをするのも仕方なかったのかもしれないな…。

 荒野---藤圭子やビリー・ホリデイの瞳は、この世を寄る辺ない荒野として見ていたんですね、きっと。
 信じられるモノなんてなにもない、生きることへの根拠も、動機も、愛着も、なんにもない、でも、仕方ない、こうして産まれてきちまった以上は、なんとかやりくりして死ぬまで生きていくことにするか。
 しかし、虚しいなあ、この世って。
 淋しいなあ、背骨のあたりが今日もすうすう寒いなあ。
 死ぬまで生きていきたいけど、最後までこの道を歩きつづける自信は正直ないんだよなあ…。

 彼等、「巫女族」の作りだす藝術は、非常に特異です。
 でも、なんだろう、あの異様な説得力は? 
 藤圭子の絶唱も、ビリー・ホリデイの「Don't Explain」も、なんともいえない迫真力で、いつも僕を打ちのめします。
 彼等の藝術にはてんで「救い」がない、けれども、生と死の狭間で唄われた彼等の「白鳥の歌」のなんという美しさ!
 この美しさばかりは、どうにも否定のしようがないですね。
 どんなに建設的な藝術も、彼等「巫女族」の無常の声にあてられたら、瞬時にその輝きを掠めとられてしまう。
 なぜ?
 僕は、絶望自体を美しいとは、まったく思ってはおりません。
 絶望なんて単なる物理現象で、美醜を論じること自体ナンセンスだと思ってる。
 しかし、絶望を歌いきる彼等「巫女族」の歌声と表情は、たとえようもなく美しい…。

 そう、肝心なのは、ニンゲンのその心性なんです---ニンゲンの心自体がそう作られてるっていうか---「善」よりは「悪」のほうが、そして、「愛」よりも「絶望」のほうが、どういうわけか舞台映えするんです。

 僕の心も、もちろんそっち仕様で作られています。
 闇、罪、醜聞、自殺---そういったスキャンダラスには、人並み以上に惹きつけられちゃう口でして。
 でもね、僕が藤圭子族の芸術家にやたら惹きつけられるのは、彼等が単に絶望してたからじゃなく、その絶望のなかでなんとかもっとマシに生きたいと希求してたからじゃないか、と思うんですよ。
 彼等は、あがきにあがいた---最後がたまたま自死に終わったにしても、あがきつづけたのは厳正な事実。
 そこに彼等のニンゲンとしての、誠実かつ赤裸々なドラマがあったわけ。
 大事なのは、あくまでそっちがわ。
 暗闇のなかであがきつづけた、彼等の生の苦闘の記録そのものです。
 絶望のなかでその種のドラマがよりくっきりと見えやすくなるからといって、絶望や死自体に、ニンゲンの心を惹きつける特別な魔力がある、なんて必要以上に美化したり買いかぶったりするのはまちがいだと思うな。
 絶望、自死---そんなのはただの現象であり舞台背景であって、なんでもない。
 そこに至る道のとちゅうで、どれだけそのひとが真剣に苦闘したか、思いきり悪あがきしてみせたか---僕が知りたいのは、ただその一点です。
 藤圭子の歌は---最後には負けちゃったかもしれないけど、そういったニンゲンの暗黒面への落下に対するプロテストでありブルーズであった、と僕は考えます。
 ビリー・ホリデイにしても同様---境遇と運命に対し、彼女は彼女なりに懸命に抗ったのです。
 川端さんにしてもことはおなじ。あれだけ聡明なひとが、絶望や死自体を美化するなんて風の安手のトリックに騙されるはずがない。
 彼等はたまたま有名な藝術家だったから、彼等自身の生の苦闘が、僕等の見えやすい位置にあったわけであって。
 また、彼等の場合、「アレクサンドロスの瞳」に表象される、特異な業と運命的歪みといったものがあったから、一般の市井のニンゲンとくらべて、苦闘のドラマがよりドラマチックなものになり、その見栄えのよさゆえ一層喧伝されることなった、といったようなこともいえそうです。

 けどね、市井の無名の庶民のなかにだって、ひとの数の分だけ、人生の苦闘のドラマは当然あるんです。
 つまり、僕等はひとりびとり、みーんなブルースマンなんですよ。
 イエス、僕等はみんなブルーズマン!
 日常の生活で、僕等は、みーんなある種のプロテストソングを歌っているの---楽器と喉を使わない、もっと別種の歌いかたでもって。
 僕は、苦闘からの解脱、みたいな新興宗教めいた方向性には一向に惹かれるものを感じません。
 というより、癒しも安逸も平和も、この血みどろの苦闘のなかにしかない、と思ってる。
 ですから、闘いませう、苦闘しませう、皆さん! 
 その抗いの血脈こそが、ニンゲンの生活であり、詩であり、歌なんだ、とイーダちゃんはこのごろ漠然と思いはじめているのでいるのでおじゃります…。

 なんか、だんだん、手前勝手な青臭い哲学もどきになってきちゃったんで、野暮に陥るまえに、ここらで筆を置きたい、と思います。
 藤圭子の弔いのつもりで編んだこんなわがままいっぱいのいい気な記事が、藤圭子一歩手前の誰かさんの目にとまり、なんらかの心の触媒にでもなってくれれば幸甚です---。<(_ _)>