イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その58☆鎌倉・恐怖の「百八やぐら」探訪☆

2011-03-06 00:15:55 | ☆パワースポット探訪☆
                            

 今回のページは小ネタ---2009年の夏ごろに凝っていた心霊スポットのお話です。
 場所は鎌倉…。鎌倉ってね、ふだんはあまり意識してなかったんだけど、実はすごい歴史スポットなんですよ。
 僕は現在関東在住でして、憧れの古都である奈良や飛鳥から遠くはなれて暮らしているわが身の不運を、いつもそれとなく不特定多数の人間にグチったりしてすごしていたのですが、よくよく考えてみたなら、自分がこれほど歴史臭ぷんぷんの古都近郊に住んでいる、という芳しい幸運に対してあえて目隠ししてたような気味もあるんです。
 しかし、どうして、また目隠しなんかしてたのか?
 これは、断言はできませんが、鎌倉という土地が本来もっている暗さが原因なんじゃないか、と思います。
 ええ、鎌倉って暗い土地だと思いますね。(鎌倉市民のひと、ゴメンナサイ)
 もちろん、ほかの町に比べて光量が乏しいなんてことはないのですが、この町を歩いていると、いつのまにか町のそこかしこに兆してるほのかな暗さに自分内の「何か」が反応して、身体の芯がかたくなってることに気づかされたりします。
 なんてことのない明るい路地なのに、なぜかしら身体の奥がぴんと緊張してる---。
 竹林。土塀。路地。坂道の寺の山門のまえを通りすぎたら、その緊張がふいにほどけて、いままで聴こえなかった蝉の声がわーんと聴こえてきてびっくりした、なんて経験が僕にはずいぶんありますね。
 そして、そのような経験をいちばんしがちな土地が、奈良でも京都でも飛鳥でもない、鎌倉なんだ、というこの事実が、僕の鎌倉観をやや特殊なものにしています。いうなれば、「警戒すべき土地」といった風な剣呑な印象。
 鎌倉、という地名を聴くやいなや、僕のなかのセンサーがいつでも警戒信号の電子音を鳴らすんですよ。
 それがどんなに仲のいい友達との、まったりした世間話のさなかだったとしても---。
 僕はまったく霊感とかなくて、いままで幽霊とか見たことはないんですが、もしかするとこれは一種の霊感なのかもしれないなあ---なんて、そんなときはつい思っちゃいますね。

 さて、この鎌倉行のときにイーダちゃんが参考にしたのは、例によって「本当にあった怖い話」のお抱え霊能者・寺尾玲子さんが、全国各地の霊場を訪問し検証するという企画でつくられた、「霊能者・寺尾玲子の新都市伝説-闇の検証1-(朝日ソノラマ)」でありました。
 このなかでたまたま鎌倉が取りあげられていたんです。
 このころは仕事が忙しく、なかなか思うように温泉に行けないイーダちゃんは、けっこうストレスがたまってたんですよ。
 どう考えても泊まりはむりそうだ、ならば、日帰りで近くの霊地訪問としゃれこんじゃえばいいじゃないか、といった手前勝手かつ発作的な決断だったように記憶してます。2009年の7月---まだ梅雨の明けきってない時期の鎌倉は、土の道が2、3日まえの雨の跡をまだ残していて、ところどころ柔らかくぬかるんでおりました。
 横須賀線の北鎌倉駅で降りまして、徒歩10分ほどのとこに臨済宗の建長寺ってでっかいお寺があるんですね。
 鎌倉五山の第一位とされている見事なお寺です。苔むしかたもハンパない。ここの山門をくぐり、境内を延々歩き、果てしない石段を登っていきますと、半僧坊って小さなお寺があって、さらにそこから急な登りの山道がつづいているんです。
 この道は、「鎌倉アルプス」とも、あるいは「天園ハイキングコース」とも呼ばれています。
 日祭日ともなると家族連れでにぎわいを見せる、いまでは人気のハイキングコースなんですが、実は、このコース、鎌倉時代のころには「風葬の地」として有名な場所だったんですね。
 むろん、身分の高いひとは火葬とか土葬にされてたのですが、金のない貧乏な庶民の大半は、ほとんどここに家族の死骸を置き捨てていったようなんです。それが当時の彼等なりの弔いだったんですね。
 風葬の土地というくらいだから、恐らくいまとは比べものにならないくらい淋しい場所だったんだろうな、と思います。
 日が暮れたら、死骸と骸骨とが怖くてたぶんもう歩けなかったでせう。カラスと山犬とかもいっぱい彷徨してて。生者じゃなくて死者の領域ですよね。いまじゃ、ちょっと首を伸ばすと草の茂みの隙から地上の家々の屋根が透かし見えるし、そんな荒涼の面影はとうになくなっちゃいましたけど…。
 で、半僧坊からしばらく歩いて、弔いの「十王岩」もすぎて少し進むと、道からいささか外れた、やや高めの丘陵付近に、目的の場所がありました。
 それが、「百八やぐら」です---ページ頭にUPした写真がそれですね。
 やぐらっていうのは、鎌倉中期から室町前期にわたって鎌倉を中心にしてつくられた、墓の形式のこと。
 鎌倉は山だらけで平地が少ないので、山の斜面に四角い穴を掘り、そこに遺骨を納め、仏像を建てたりしたそうなんです。
 実際にいってみると、「わっ。凄い…」と思わず黙りこむような迫力なんですが、この「百八やぐら」、ハイキングコースの地図にはまったく出ておりません。「十王岩」を行きすぎて、ふつうの道の領域からはみだした3メートルあまりの丘陵を登らないと見つからないから、たいていのハイカーはこのひっそりとしたやぐらの存在を知りません。やぐらなんてものがあることをまったく知らないまま、何度もここを行きすぎたハイカーのほうが数としてはずっと多いんじゃないでせうか…。
 とても、分かりにくい場所にあります。「十王岩」は有名で表示もあるんだけど、この「百八やぐら」に関しては、表示も立て札もゼロ。ですから、予備知識なしじゃ、まず見つからない。
 僕なんか、地図があっても見つけるのそうとう往生しましたもん。
 このへんかなあ? と見当をつけて、道の左手の丘陵を木のツルを握りながら登っていったら、なんか、スズメバチが行く手の番をしてるみたいにブンブンそのへんを飛びまわってるし。2、3回、ハチに追っぱらわれまして、なんとかしてまた引きかえして、やーっと丘陵を登りきりますと、いきなりそれがありました---やぐら、やぐら、やぐらがいーっぱい!

----うわ、ほんとだ…あったよ……。

 夏なのに背中がひんやり涼しくなりました。
 こんな風景、いままで見たことなかったですからね…。

 
              

 そのときの雰囲気と冷気、この写真からもいくらかは伝わるんじゃないでせうか。
 いや、凄いんですって---なにしろ現代的な加工がいっさいなされてない、中世そのままの風景でせう?
 なにもかもが変わりがちな日本では、こういうのって珍しいと思うんですよ。
 ええ、中世がそのままそこにある感じなんです。濃い緑のにおいと、中世のままの静寂っていうのかな。自分の靴が踏む草の音が、やぐらのなかの誰かに聴かれるような気がして、動作が自然にゆっくりと、雅になっていくのがふしぎでしたねえ。 
 やぐらのはしの柔らかい土の丘陵をゆっくり歩きながら、それぞれのやぐらのなかを覗いていったのですが、あんまり深く踏みこむのは暗くておっかないんで、どの場合もやや浅く、体重を後ろ脚に残しながらの前屈になりました。
 左の写真のように、なかに仏像があるやぐらの列を通ったときが、特に印象が強かったかもわかりません---だって、このやぐらのなかの仏像たち、写真を見ても判別できるかと思うんですが、どれひとつとして首がないんです---そう、彼等、全部が全部、首なしの地蔵だったんですよ…。

 霊感のほとんどないイーダちゃんがこれだけの恐慌をおぼえるこの場所を、本物の霊能者であるところの寺尾玲子さんが見たらいったいどうなるのか?

----うん、感じる。十王岩までは別にそうでもなかったけど、十王岩をすぎてからはけっこう感じるね。左右の谷に捨てたのかなあ。どちらも感じるのよ。右のほうが強いけど…。

 だそうです---さらには玲子さん、いつのまにか数珠を取りだして、それをぎゅっと握りしめたまま、

----あんまり…長居するところじゃないよ。

 とまでおっしゃったというんですから、これからこの地へ肝試しに向かおうって方はそのへん注意!
 最後に玲子さんの告げる、この地でいちばん危険な個所は、やぐら群のまえの山道の反対側の、樹木が鬱蒼と茂った谷のあたりだそうです。玲子さんは2度ほど、その谷に引きずりこまれそうな感覚をおぼえ、かなり気持ちわるかったとか。

----かなり邪悪な念という感じですね。たぶん…野盗とか罪人のような人達を処刑した場所じゃないかな…。

 ちなみに、そのあたりの土地は、いまも「地獄谷」と呼ばれてるそうです。
 念のため、そこの写真もUPしておきますか---。

                              

 うーん、たしかに濃ゆい残留思念めいた禍々した気配が、写真から感じられるような気も…。(xox;>

 鎌倉、やっぱり、おっかないとこですよ…(汗)。
 この「百八やぐら」のほかにも「化粧坂の切り通し」とか、鎌倉寿福寺にある「政子・実朝の墓」とか、さらにはなんにもない草っぱらみたいにがらーんとなった「東勝時跡の廃墟」とか---鎌倉って、まさに心霊スポットの目白押しなんです。
 興味のあるかたもないかたも、話のタネに1度は足を運んでおいて損はないんじゃないか、と思うんですけどねっ。(^^;


◆注:やぐら地蔵に首がないことについては諸説があります。博打打ちのあいだで地蔵の首をもって賭場にいくと必ず勝てるという評判が高まり、皆がそれを実行してるうちに、いつのまにかいまのようになっちゃったとか…。

 


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2 コメント

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やぐらについて (田代郁夫)
2011-09-21 12:18:15
はじめまして。
イーダさん、ブログ楽しく拝見しました。
わたしは「やぐら」を永年研究しているものですが、ちょっと気になったのでコメントを投稿します。中世都市鎌倉の周辺部がかつて風葬の地だったというようなことをはじめにおっしゃられたのは亡くなられた大三輪先生だったと思いますが、それはそれで厳密な意味ではなくそのような光景がみられたところもあったと思います。特に由比ガ浜や極楽寺をひかえた稲村方面の海岸地帯、腰越付近、名越付近などなど。しかし百八やぐらの付近は永福寺の支院や覚園寺の最奥にあたり、そのような空間とは思えません。やぐらは決して風葬の地などにいとなまれるものではないのです。円覚寺や建長寺の塔頭といった境内域(聖なる空間)に営まれていることからもおわかりいただけると思います。吉川弘文館から出版されている歴史考古学辞典の「やぐら」の項で、馬渕和夫さんが私の考えをまとめて下さっていますので、参考にして下さい。
朱垂木やぐらはご覧になりましたか。まだでしたら、探してみて下さい。
イーダさんのブログこれからも拝見させていただきます。
田代郁夫さんへ (イーダちゃん)
2011-09-21 17:11:58
>田代さん、このたびは丁寧なご指摘メールありがとうございます。
僕は、鎌倉の歴史に関してはまったくの素人で、「やぐら」に関しても浅い知識しかもっておりません。
ですが、実際にいってみると、知識欲を刺激されるのほど魅力のある場所であることは、まちがいないですね。
ご紹介の吉川弘文館の馬渕和夫先生の「やぐら」の項、近々必ず拝見させていただきます。
朱垂木やぐら、見ましたよ---あれは、大きくて凄かったな。入口の上部には文字を刻んだ跡があったのを覚えております。
いずれにしても、必要以上にスリラーに仕立てちゃったきらいのある僕のこんなブログに、このような専門的な忠告、本当に感謝です。
新たな知識を得ましたら、またこのページにも追記してみたいと思います。

いま台風15号が関東に接近中です---田代さんも気をつけて過ごされて下さい。<(_ _)>

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