イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その105☆山野井泰史という生き方☆

2012-05-11 00:24:50 | ☆文学? はあ、何だって?☆
                        


 山野井泰史(やまのい・やすし)---彼のことを皆さんはご存知でせうか?
 奥さんの妙子さんとともに奥多摩の、家賃2万5千円の古い家屋にひっそりと暮らす彼は、目立ったりするのが嫌いな性格のせいもあって、めったにマスコミに登場することもありません。だから、知名度もそれほどないかもわかんない。
 しかし、実は彼、世界的なアルピニストなんです。
 こんな喩えはうまくないかもしれないけど、それこそ野球のイチロー級の、超・ド級のアスリートといってもまったく過言はないんじゃないか、と思います。
 彼が、どれほど桁ちがいのスーパー・アスリートなのか。
 わかりやすくするために、おおざっぱな氏の経歴を箇条書きにしてみませうか---。

          <山野井泰史>
    ソロクライマー。1965年4月21日東京生まれ。牡牛座。月は魚座。
    高校在学時よりアルパイン・クライミングに傾倒し、卒業後はアメリカのヨセミテなどでフリークライミングに没頭。
    1988年、23才、北極圏のトール西壁を7日間で単独初登。
    1990年、25才、パタゴニア、フィッツロイ(3,441メートル)冬季単独初登。
    1991年、26才、ヒマラヤ、ブロード・ピーク登頂。(小西浩文ら8人による極地法)
    1992年、27才、ヒマラヤ、アマ・ダブラム(6,812メートル)西壁冬季単独初登。
    1994年、29才、オペル冒険賞受賞。
    1998年、33才、ヒマラヤ、クスム・カングル(6,367メートル)東壁単独初登。マナスル北東壁、雪崩により撤退。(妙子夫人と)
    2000年、35才、ヒマラヤ、K2南南東リブ無酸素アルパインスタイルによる単独初登。文化科学賞スポーツ厚労省受賞
    2002年、37才、ヒマラヤ、ギャチュンカン北壁登頂。朝日スポーツ賞・植村直己賞受賞。

 ざーっとこうして書いてみましたが、これでも山野井さんの全業績の3分の1もいいきれていないのです。
 うんとこさはしょってみても、まったく輝きの曇ってこないこの燦然たる異能ぶり---登山のなんたるかを少しでも知っている方がこの業績を見られたら、絶句することほぼ間違いないでせう。
 それほどこれは人間離れした、怪物的な業績なんですよ。
 国内最強という地位はまず揺るがない、世界的に見ても、これは、5本の指に数えられる業績であるといわれているのです。
 えーと、一口に冬山登攀なんていうといくらかスポーティーにも響きますけど、実をいうと、これほど過酷で危険なスポーツってほかにないんじゃないのかな。
 一般に危険といわれているボクシングやF1レースと比較しても、冬山登攀の危険度は桁ちがいですもん。
 一時代を築いた我が国の誇るアルピニストの数多くが、生涯をこめて愛しぬいたおなじ山で亡くなっています。
 日本山岳会のドンだった小西正継さん、その小西さんに岩登りの技術を叩きこまれた、あの冒険家の植村直己さん、クライマーとしての頂点を極めた長谷川恒夫さん、その長谷川さんと競うようなかたちで亡くなった森田勝さん……。
 特に小西正継さんが会長を務めた「日本山岳同士会」においては、82年の段階で、正会員の3割が遭難死していた、という恐るべき死亡率を誇っておりました。
 なんと、死亡率が3割を超える!
 これは、もう正直いってスポーツごときのレベルじゃないですね。
 危険といわれるモータースポーツにしてもこれほどじゃない、これは、もはや戦争における「最前線」と同様の状態だといいきっちゃってもいいと思う。
 実際にいまさっき、僕は調べ物のついでに長野県警の「山岳情報」のページをちょっと覗いてきたのですが、そこには、南アルプスに入山したまま帰らない行方不明者の情報が連ねられていて、その冷酷でシビアすぎる生々しい事実の列挙に、反射的に目をそむけたくなりました。
 過酷とかそんなレベルじゃないですよ、これは。
 これほど「死」に近い業界っていうのは、「仁義なき戦い」のころの広島・呉のヤクザ業界とか、最前線の兵隊さん等以外には、あまりおられないのではないのでせうか---そんな危険極まる業界のなかで孤高のトップを張っていた、ソロクライマーの山野井さんとは、果たしてどんなお方なのか?
 当然、気になりますよね?
 僕もやっぱりこのあたりまでくると、彼の素顔がどんななのか確認したくなってきた。
 まずは、じゃあ、ちょいと失礼して氏のお顔を拝見をば---。


                       


 ただ、いちばんリアルに伝わるのはやっぱり映像系のメディアじゃないか、と思うんですよ。
 てなわけで、まずは氏に関する映像作品をいくつかここにご紹介---

  DVD「白夜の大岩壁に挑む ~クライマー山野井夫妻~ (NHKエンタープライズ)」

 こちら、もっとも最近の氏の業績を収めたDVDであります。
 このなかで、彼は、グリーンランドの「オルカ」という気の遠くなるような大岩壁を、奥さんの妙子さんといっしょに登ってる。
 つけくわえると、この山野井さんの奥さんの妙子さん、泰史さんより9つ上の年上女房であり、彼女自身、世界的に有名なクライマーなんですよ。
 要するに、彼等はふたりして、超・有能なクラライマー夫婦なんだってこと。
 しかも、妙子さんは、何年かまえの登山の凍症のせいで、両手の指が1本もないの。(足の指だけ2本残ってるということです)
 なのに、岩登りやってんの!---信じられないけど、これは事実---そのへんの詳細は、映像でそれぞれご確認なさってください。
 僕は、このDVD観ながら、いつのまにやら怠惰な腹這いから正座になっちゃってました。
 どうしてか、そうしないではいれなかったの。
 山の素晴らしさを語る彼等ふたりの顔は、そのくらい無垢で、美しく輝いて見えたんですよ。
 ああ、まだまだこの世は捨てたもんじゃない、世の中、偉いひとっているもんなんだなあ---と、なんだか心が洗われるような「清らかな」感触があったんです…。
 冗談いってるんじゃないですよ、イーダちゃんは大マジのつもりでいってます。
 山野井夫妻は超ファンですから、茶化すようなことは、とてもいえない。
 うーむ、さらには you tube で氏に関する動画はいくつかUPされているので、そちらのほうを参照されてもいいかもね。

 文書方面からも、いろんな近づきかたがあるかと思います。
 たとえば、新潮文庫からは沢木耕太郎さんが、この山野井さんをモデルに「凍」という秀逸なドキュメンタリーを書いてます。
 これ、山野井さんが瀕死の状態に陥った、超・過酷なヒマラヤのギャチュンカン登山の、リアルなレポートです。
 これ、フツーのレポートみたいに「客観的な中間位置から」じゃなくて、非常に山野井さんの近くに視点を置いて書かれた、稀有の出来のレポートでありまして、そうとういい線いってます---。
 実際、僕は、この「凍」でもって、山野井泰史というオトコにハマったのですし…。
 ただ、こういった映像や書籍で氏という人間について知っていくと、なにより驚かされるのが、彼等---山野井夫婦---の無欲さと、その質素で素朴な暮らしぶりなんですね。
 なんと、このご夫婦、ふたりあわせて年収が400万ないんですよ。
 ここでこんな下世話なことをいうのはよくないってことくらい、僕も承知してます。でも、あの天下のクライマー・山野井泰史さんがですよ、年収400万いかないってのは、これは、ちょっと…。
 外国じゃ、山野井さんクラスのクライマーなら、みんな王侯貴族みたいな生活してますもん。
 でも、山野井さんは、そんな小さなことに頓着するそぶりはまったくなくて、

----スポンサーとかがつくと、どうしてもそれに拘束されちゃうから…。本当はアタックしたくないのに、面子や義理のために、むりなアタックをかけなくちゃならなかったり---。そういうのは、もうやりたくないんですね。自分で登る山は、登りの決断も、中止の決断も、全部自分で下したい…。だから、自分で稼いだ銭だけで登ります。そのための節制は苦にならないですね…。

 そういってにこにこ笑ってる---家賃2万5千円の奥多摩の貸家の一室で…。
 奥さんの妙子さんにしても同様---両手に一本の指もない、世間的にいえばれっきとした「障害者」だというはずなのに、あっけらかんと明るくて、なーんのハンデ意識も感じさせない。自分たちの貸家の庭に、家庭菜園みたいな野菜畑をつくって、その収穫のために、指のない両手で扱いにくそうに鋏を使うさまは、偏見ぬきで、ひたすら嬉々として楽しそうなんですよ。
 ふたりそろって、生活の目標は、ひたすら「山」しかない。
 それ以外の欲は、せいぜい妙子さんの家庭菜園と料理好きと、山野井さんの虫飼い趣味---あとはふたりして、いまいる奥多摩のような、なるたけ自然に近い環境で暮らしたいという気持ちがあるくらい。
 さきほど述べた2002年の、ヒマラヤのギャチュンカンの登山では、奥さんの妙子さんが両手の10本の指を根元から失ったことは僕も書いたと思うんですが、実は、旦那の山野井さんのほうも、雪崩と凍傷とで、両手の薬指と小指を失っているんです。
 世界的アルピニストにとっての指!---これが、どれくらい重要なものなのか。
 もしかして、それは、ピアニストにとっての指と、おなじくらい重要なものかもしれません。
 実際、山野井さんも、凍傷で指を失ってから、アルピニストとしての自分の能力は過去の十分の一以下に落ちた、なんていってらっしゃる。
 しかし、だからといって、ふたりにこれほどの「貢物」をふっかけてきた運命のギャチュンカンに、山野井さんは、恨みごとのひとこともおっしゃろうとしないんです。

----ギャチュンカンは、うん、いい登山だった…。楽しかったよね?(奥さんの妙子さんのほうをちらと見て) 指を失くしたとか、生死の境をさまよったとか、そんなことは関係なしに、うん、充実してた、ギャチュンカンは…。

 これには、僕、マジでまいってしまった…。
 あまりにも無邪気に山について語る山野井夫婦の姿に接していると、そのうち、なにやら彼等夫婦が、現世のどんな王侯貴族より豊かな存在に見えてきちゃったんです。
 憧れ、賛嘆、そして、ほんのちょっぴりのジェラス…。

 ちっぽけだなあ、と思いました。彼等の輝きと比べて自分という存在があまりにも。
 生物として、このふたりは自分なんかよりはるかな高みにいて、信じられないくらい充実した生命の燃焼を行っている、と、なんか眩しかったりもしました。


       ×              ×              ×

 この山野井さんが、2008年の9月17日、自宅のある奥多摩で事故にあいます。
 それは、トレーニングで林道を走っていたら、いきなり子持ちのクマと遭遇し、襲われる、というとんでもないアクシデントでありました。
 以下は、山野井さんと親しいジャーナリスト、沢木耕太郎氏の著作からの引用です。

----山野井さんは奥多摩に住んでいるが、ある日、トレーニングのために林道を走っていると、曲がり角でクマとバッタリ遭遇してしまった。まずかったのはそのクマが子供を連れた母親だったことである。子供を守ろうと、クマはいきなり襲いかかってきた。山野井さんは勢いがついていたため急に回れ右ができず、クマに押し倒されるように山側の斜面に押さえつけられた。そして、眉間をガブリと咬みつかれてしまった。そのとき、山野井さんは咄嗟に判断したのだという。両手で押しのけると、咬みつかれたまま、額や鼻を持っていかれてしまうだろう。そうすると、復元は不可能だ。そこで、むしろ、クマの頭を片手で抱きかかえるようにして、反対の腕の肘で殴ったのだという。すると、咬んでいた歯を離してくれた。その隙に転がり出た山野井さんは、必死に逃げた。ところがクマも追ってくる。もう少しで追いつかれそうだったが、途中でふっと追ってこなくなった。後に残した子供が心配だったのだろうと、山野井さんは言う。
 なんとか家に戻ったが、奥さんの妙子さんは北海道に行っていて不在である。そこで、山野井さんは隣の住人に救急車を呼んでくれるよう頼んだ。救急車からヘリコプターに移され、青梅の病院に運び込まれると、九十針も縫う大手術をすることになった。その結果、顔面はなんとか復元できた。
 私が見舞いに行くと、山野井さんはこう言って笑った。
「あのクマは運が悪かった」
 自分は野生のクマを抱くという滅多にないことができてよかったけれど、あのクマは自分に出会ったばかりに地元の猟友会の人に追われることになってしまったから、というのだ。そして、さらにこう続けた。
「うまく逃げてくれるといいんだけど……」
                                                           (「ポ-カーフェイス(沢木耕太郎)」より)

 とっさにクマに組敷かれたときのこの冷徹な計算---山野井さんは、そのとき恐怖のあまり叫んだといっていますが---は、幾多の「山」の修羅場を踏んで生き抜いてきた、世界的登山家ならではの判断でせう。
 僕等一般人は、とてもまねできそうにない。
 しかし、さらに驚くべきはその先です。
 自分の顔面を回復不能なまでに壊したかもしれないクマに向かって、

----うまく逃げてくれるといいんだけど…。

 えっ…。ハア---!?

 猟友会よ、自分の顔をこんなにしたクマを撃ち殺し、仇をとってくれ---とか、フツーならそっち方面的な、復讐譚コースについ気持ちが流れていきそうになるもんじゃないですか?
 ところが、この山野井泰史という男のなかでは、感情は、そのようなありきたりな、コルシカン・マフィア=コースを辿らないのです。

----うまく逃げてくれるといいんだけど。

 この何気なセリフは、ほんの一瞬で、僕の内部の深い部分まで貫きました。
 以来、僕は、このグレートな登山家・山野井泰史の引力圏内に、ずーっと囚われっぱなしの捕囚状態ってわけ。


                                                 

 山野井泰史さんは、凄いです。
 予測不能の引き出しが、あっちにもこっちにもやたらあって。
 そのどこを開けても、ピカピカな山野井さんが、マトリョーシカみたいにいくらでもまろびでてくるんですから。
 驕りを知らない、謙虚で、勇敢な冒険家、山野井泰史の名を、どうかご記憶ください。
 この雑文が、貴方と山野井泰史さんとを結びつけるなんらかの契機にでもなってくれれば、僕にとってそれ以上の喜びはありません---。(^.^;>





 

 
    

 


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3 コメント

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私も泰史さんと妙子さんを世界一尊敬してます。 (たま)
2012-07-24 23:06:26
文章がお上手ですね!私もまさに同じ気持ちです。山野井夫妻に憧れて、去年からクライミングも始めました。これからもこっそりと山野井夫妻を応援しましょうね♪
たまさんへ☆ (イーダちゃん)
2012-07-26 22:19:29
たまさん、力の出るカキコありがとうございます! 山野井夫婦に憧れる人間は結構いるかもとは思うのですが、実際にクライミングをはじめちゃう、というのは、偉いですよ、これは。
いいなあ。きっと面白い世界なんだろうなあ。
ええ、山野井夫婦を応援していきましょう!(^o^)/
突然失礼します (はすいけ)
2012-08-17 17:37:05
山野井泰史で検索中たまたま見つけて読ませていただきました

僕も数年まえ『凍』を読み
山野井泰史に惹かれました

僕自身
人として
生きていく意義や理由や…と
考えるコトがあります

彼の行動や発言は
そーいったことを語っているのではないのに
なんとゆーか
感覚として
凄まじい勢いで
飛び込んできました

あんなに穏やかにしているのに
ほんの短い人の一生で
猛烈に『生』を燃やしている








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