イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その163☆ コルト・ディテクティブ・スペシャルに花束を ☆

2014-01-20 03:10:49 | エアガン小唄
           


 あけおめ!
 去年、いろいろと精力的に動きすぎた反動で、いま現在ヒッキー中のイーダちゃんです。
 どうです、皆さんは、それぞれにいいお正月をすごされましたか?
 僕あ、いまのところヒッキー中なので、あんまり動いちゃおりません。
 ただ、そのことに関しちゃあ、悲観してないな。
 というか逆に、降ってわいたような、この久々の怠けヴァケーションを、結構楽しんじゃってます。
 ヒッキー周期になると、Classic音楽にハマるか、温泉を巡るか、エアガンに凝るかの三択が、だいたいにおいて僕の生活パターンなんですが、今正月はたまたまエアガンにハマってるってわけ。
 しかも、ハマってるのは、とっても古い銃---いままで歯牙にもかけてこなかったリボルバー系の、なんとスナブノーズ属である、あのコルト・ディテクティブ・スペシャルの380ってんですから、こりゃまた自分でもビックリだ。
 なんでまた、スナブノーズなのか?
 ここで銃の知識のない方のためにひとつ付けくわえておきますと、スナブノーズ---注:この言葉の意味は獅子鼻、もしくは猪鼻、短い鼻を意味する俗語だそうです---っていうのは、50年代から80年代あたりまで、おもに米国の警察や探偵のあいだで使われていた、携帯しやすいように銃身をあえて短くした、小型で軽量の回転式拳銃なんです。
 この手のリボルバー(回転式拳銃)の利点っていえば、なにより頑丈で壊れにくいところ。
 精密なルガー・タイプのオートマチック(自動式)なんかじゃ、砂漠にいったらたちまち銃じゃなくて、ただの無能な金槌になっちゃうところなんだけど---オートは構造上砂塵に弱いのデス---頑丈なリボルバーだとそんなことはない。
 砂漠でもじゅうぶん武器として機能できる。
 そんなタフなリボルバーの泣きどころは、構造上、連発がせいぜい5、6発しかできないところ。
 5、6発撃てればじゅうぶんじゃないか、と僕なんかは思うんだけど、最近の向こうさんの犯罪事情は凄まじいモノがあるようで、犯罪者連中が最新の15~17連発のGUNをどうも当たり前のように携帯してるんだそうな。
 これじゃあ、取り締まる側の分がいくらなんでも悪すぎる。
 というわけで、いまじゃアメリカのポリスもみーんな17連発の実戦的な最新のグロックで武装してて、スナブノーズなんてほとんど博物館行きの過去の銃だって風に区分けされつつあるってことぐらい、僕だってそりゃあ分かっています。
 自分的にも、どーしていまさら白亜紀風味のスナブノーズに惹かれるのか、とんと分かんない。
 でもね、ハマっちゃったんだよなあ、これが…。

 去年の師走の末に、たまたま寄ったエチゴヤ横浜店で、つい衝動買いしちゃったんですけど、このディテクティブの380、もって帰ってきて、箱あけて、握ってみると、なんというか実にいいんですよ。
 僕は60年代の生まれなんで、少年時代に観た同時代の映画は、やっぱりニューシネマ系が多かったんですね。
 で、いささかアンチックなこのGUNのグリップをぐいと握って、かのGUNの重みを掌に感じつつ、そのスナブノーズの美しい肢体を眺めるともなく眺めてみると、過ぎ去った70年代の時代の芳しい香りが、トリガーガードのあたりから「ふうわり」とこっちに舞いあがってきたんです。
 たとえばそれは、スティーブ・マックイーンが主演した、68年のアメリカ映画の名作「ブリット」のラストの空港でのコルト・コブラ(ディテクティブ・スペシャルの軽量型拳銃)の発砲シーンだったり---あるいは、71年の米画「フレンチ・コネクション」のなかで、無骨なジーン・ハックマンのでっかな右手にしっかりと握られていた、コルト・ディテクティブ・スペシャルの記憶内映像だったりします。
 僕は、とりたててアメリカン・アクション映画が好きってわけじゃない。
 どっちかというと、そっちの方向性とは逆のベクトルの映画にばかりこだわりつづけてきた男です---エリセの「ミツバチのささやき」だとか、フェリーニの「道化師」だとか、ノルシュタインの「話の話」だとか……。
 映画の本筋はそっち側にあり、というのがまえからの持論だし、いまでもおんなじように思ってます。
 ですけど、男として生まれてきた以上、やっぱりとびきりのアクション映画なんかは、どうにも無視できない細胞内の事情があるわけでして。
 そんなわけでゆさぶられちゃったんだなあ、古くからのガンマニアの本能的な血脈を。
 それまでは僕、実をいうとリボルバーは嫌いだったんですよ。
 でもね、実際にタナカさんのコルト・ディテクテイブ・スペシャル(ヘビーウェイト)をこうして所有してみると、そのあまりの機能美に思いもかけずクラクラきゃったんですよ、はい。
 うん、機能美というのが正しいな。
 オートにはない、なんともいえないこの硬派で艶美な曲線美に、イーダちゃんの視線はじわじわと吸いこまれていきました。

----う、美しい…(ため息)…。

 シンプル極まりない回転式の弾倉、その表面に刻まれた六つのフルートの愛らしい窪み、そうして、チーフスペシャルみたいに小さすぎず、もうちょっと大ぶりに、射手にむかってやや張りだして作られている、キュートなヒップみたいなグリップ。
 それらに加えて、あまりにも特徴的な、携帯のため2インチまで短く切りつめられた、あのスナブノーズの銃身。
 僕は、S&W系の大型リボルバーはいまも苦手でありまして、手を出そうという気にはなかなかなれないんですけど、このディテクティブ・スペシャルに関してはもう例外、完璧に趣旨替えしましたね。
 たまんないですよ、リボルバーってやっぱりGUNという道具の原点なのだ、と思い知らされた感じです。
 ただね、握ってみると、このGUN、思っていたよりかなり大きかったんですよ。
 そうっスね、例としてちょっと手持ちのワルサーと並べてみませうか----


          

 ねっ、案外でっかいもんでせう?
 スナブノーズの拳銃って刑事や探偵の携帯用だから、僕は、軍用のP-38なんかに比べるとはるかに小さいんじゃないか、とまあ先入観みたいなモノをもっていたんですが、その先入観は見事に裏切られました。
 ディテクティブ・スペシャルは、結構でかかった。
 数値にしてみると、こーなります。 
     
   コルト・ディテクティブスペシャル
●ダブルアクションリボルバー
●弾丸:38スペシャル
●全長:178mm
●全高:118mm
●重量:660g
●装弾数:6発

 対するワルサーのデータは以下の通りです----

   ワルサーP-38
●セミオートピストル
●弾丸:9mm×19パラベレム
●全長:216mm
●全高:138mm
●重量:1000g
●装弾数:8発

 いくら小型の携帯用だからといってもリボルバーはあくまでリボルバー、回転式の弾倉が嵩張るせいで、やっぱりオートと比べるといくらかでっかめにできてるんですねえ。
 参照までに、イタリアのGUN・ベレッタM1934(380ACP)と一緒に撮ったフォトも1枚挙げておきませう。
 オートがいかに小さくコンパクトになりうるかという、これは、適例じゃないか、と思います。


         

 S&Wのチーフスペシャルなんかだと、ディテクティブよりさらに小型にまとまってるんです---ただし、その分装弾数は削られて、チーフの装弾数は5発がやっとです---が、それにしてもオートのあの薄さにはちょっとかなわない。
 そのへん、やっぱりリボルバーという機構の限界を感じざるを得ません。
 しかし、まあ、機構がいわば剥きだしになったこのリボルバーってタイプのガン、いままで気づきませんでしたが、なんというかなかなか魅力的じゃないですか。
 僕は好みでいうなら完璧オート派なんですが、もし護身のために銃を一丁選べといわれたら、たぶんリボルバーを選択するんじゃないかと思います。
 なにしろこのリボルバーってやつ、あまり維持に手間がかからない上---オートに不可欠なあの面倒な分解清掃が要らないんですよ、なんと!---ほとんど引き出しのなかなどに放りっぱにしてても、いざというときにはちゃんと機能してくれるっていうスグレモノなんスから。
 頑健。
 砂埃もなんのその。
 さらには、不発も怖くないし、ジャムる恐れもとほとんどないときた。
 これは、機械として優秀ですよ、どう考えたって。
 僕は以前クルマでLA近郊のオークランドの閑散とした田舎道をドライヴしたことがあるんですけど、そのときに感じたのは、

----わあ、こんなに家々が離ればなれの超・田舎に住んでいたら、ポリスなんて到底頼れないゾ…。自分で自衛しなくちゃ、うん、銃が欲しいよなあ、ガンが2丁に、あとライフルが1丁ばかしいるかなあ…?

 あんなに広大なアメリカの大自然のなかにいて、こんなことを考えるのは不謹慎かもしれませんが、皮膚感覚としてそう感じちゃったのはどうしようもないホント。
 あとになって、アメリカの田舎を旅してきたほかの知人と話したとき、彼、拳銃になんかまるで関心のないまっとうなオトコだったんですが、その彼にしてもやっぱり僕同様銃が欲しいと旅のあいだずっと感じていたそうです。
 してみると、僕等がそろって銃を欲しがったりした心情は、きっと僕等始発のものじゃない、アメリカのあの広大すぎる大自然のほうに、僕等・旅人の不安と孤独感を際立てるなんらかの要因が潜んでいた、と考えたほうがよさそうです。
 うん、僕の短い旅なんかじゃ到底結論づけるなんてムリなんですけど、あのあんまり広大すぎる大自然に対峙しているあいだじゅう、僕がふだんよりずっと「淋しさ」ってモノを意識していた、というのは事実です。
 古い西部劇なんかのなかで、旅のカウボーイが旅のとちゅう、夜の砂漠の一角で焚火しながらひとりで野宿して、毛布にくるまれて眠る間際に、何気にガンベルトのピースメーカーに触れてみる、なんてシーンがふっと思いだされもするんですが、あの心理、ものすごくアメリカ的だと僕は思うなあ。
 超・広大なアメリカ大陸のまんなかにぽつんといると、ニンゲン、なんだか無性に淋しくなってきちゃうんですねえ。
 自分って存在があまりにもちっぽけで、はかないものとして感じられてくるの。
 淋しいはコワイ。
 コワイはひとり。
 で、ひとりの淋しさから逃れようと、おもむろに手元の愛銃に手を伸ばして、なんとなくその鋼鉄のボディに触れてみる。
 アメリカであれだけS&Wやコルトのリボルバーが興隆を極めた理由ってのは、そこらへんにあるんじゃないか、とイーダちゃんは何気に思います。
 焚火が消えかけの肌寒い夜明けまえ、広大な砂漠の片隅でふと心細くなったとき、つい触れたくなるのは、絶対にリボルバーですよ。
 ワルサーやグロックがいくら高性能な名銃だからって、オートじゃダメ。
 ベレッタM92Fも、エリートのファイブセブンも失格、気取り屋のCzなんかじゃなおさらいけない。
 オートってたしかに機能的かつ合理的な完成されたメカですけど、こと人肌って見地から観ると、やっぱりどこかデジタル風味っていうか、佇まいからしてお洒落に決まりすぎてて、ちっとばかし薄情です。
 僕は、リボルバーっていうのは、バーボンやコーンスープなんかと一緒で、アメリカの「情」---いわゆるお袋の味みたいなもの?---を体現しちゃってる存在だと思う。
 だから、世界中のポリスが制式銃をオートに変えちゃっても、世界中の軍隊からすべてのリボルバー属が一掃されても、アメリカはリボルバーを手放さないんです。
 リボルバーって特別なんですよ、アメリカにとって---。
 ひょっとして、アメリカって国家のアイデンティティめいた存在なのかもしれない。
 だって、ピースメーカとならんでアメリカを代表する拳銃のひとつに、コルトの357マグナムの「パイソン」ってあるじゃないですか?
 ねえ、「パイソン」ですよ、「パイソン」!
 メイフラワー号に乗ってはるばるやってきた貧乏な移民連中が、はじめて広大な新大陸を目にしたとき、まず目撃したのは、その大陸を埋めつくすほど膨大な「パイソン」の群れだった、という話を聴いたことがあります。
 この伝説が事実だったとすると、祖先から受け継いだ遺伝子のいちばん奥深くの引き出しに隠されているような、これほど郷愁を誘うネーミングってほかにあるでせうか?
 僕は、ないと思う。
 このネーミング、たぶん、確信犯でせう。
 西部を開拓---注:僕はコレ、侵略だとずっと思ってますけど---して、いまの国歌を建国した開拓民の子孫であるところのアメリカ国民が、この馨しい単語の響きを耳にしてクールな心象を保てるはずがない。
 アメリカ国民なら誰だって、激しくゆさぶられるに決まってる。
 そういう意味あいでいくと、コルト社って命名の名人ですよ。
 だって、「ピースメーカー」でしょ? 「パイソン」でしょ? さらには「ガバァメント」でせう?
 ちょっとうますぎ---コルト社にはお抱えの詩人でもいたんじゃないの?---性能的には明らかに優っていると思われるライバルのS&Wが、最後までコルト社の牙城を崩せなかった原因は、案外そのへんにあったんじゃないかって僕は思います…。


                            ×            ×            ×

 さて、そのような視座から追っていくと、スナブノーズ属などという種は、実は、独自のアメリカ内幕史というものを問わず語りのうちに耳打ちしてくれている銃なんじゃないか、と僕なんかはつい感じちゃう。
 スナブノーズ属というのは、リボルバー系のなかでも決して花形の銃じゃありません。
 同じ銃でも、コルト・パイソン357マグナムとかS&GM29の44マグナムみたいな人気銃じゃ決してない。
 Jazz Man的にいうなら、優秀なサイドマンって役どころですかね。
 使えるやつなんだけど、なんちゅ-か、いまいち「華」がないわけ。
 立ち位置がやや地味系というか、バックの色彩が何気にいつも鈍色だったりしてね。
 このような地味めなコンシールドガンがいきなり脚光を浴びはじめたのが、かの70年前後にはじまった、いわゆるアメリカン・ニューシネマ系の映画のなかだったのであります---。
 ニューシネマというのは、60年代にはじまったベトナム戰爭による社会荒廃を反映して、いままでみたいに無邪気にアメリカン・ドリームを信じられなくなった人々によって作られた、ちょっとざらざらした手触りの、ややビターな、そして、いくらか疲れて猫背気味の、けど、リアルなタッチの、幻滅4分現実5分に夢1分の、新しいタイプの斬新ムービーなんでありました。
 具体的にいうと、「イージーライダー」だとか「俺たちに明日はない」とかあのあたり。
 いままでのクラッシクな映画術で撮られたら、スナブノーズは正直出番なんてなかったんですよ。
 だって、レンズ映えのするスターはほかにいっぱいるもの---「ピースメイカー」に「ガバァメント」に「ハイパワー」…。
 ところが、ロマンチックなハッピーエンドの映画術とは一味ちがう、まったく新しいビターなリアリズムのニューシネマ系のカメラで撮っていくと、思いのほかこのスナブノーズ属は映えたんだなあ。
 悪にまみれた市警のなかで孤立しつつも、あくまで犯人を追いつづける「ブリット」刑事とか、巨大の麻薬組織を相手にちっぽけなディテクティブ・スペシャルをまっすぐに向けて咆哮する「フレンチコネクション」のポパイ刑事だとか…。
 彼等の手に握られたいかにも地味げな風情のスナブノーズは、僕の目にはもの凄くカッコよく見えた。
 ええ、派手派手の「バントラインスペシャル」より、それに、あの「ダーティーハリー」の大ブームを巻きおこしたヒーロー拳銃の44マグナムよりもね。
 物語のラスト、苦闘の銃撃戦の末、犯人をやっと射殺した彼等ニューシネマのヒーローたちの表情には、それまでのクラッシックなハリウッド・ヒーローの顔に盛られていた喜びの輝きはかけらもありません。
 そこにあるのは、

----ああ、終わった…。

 という任務完了の達成感と、いくばくかの疲労、あと、またしてもひとを殺めてしまったといういくらかの罪悪感まじりの虚脱感だけ…。

 それに、凶悪犯ひとりを射殺したところで、現実世界での巨悪の進行と興隆とはとめどようもないくらいに圧倒的なので、ひとりの男性でしかないヒーローは自らの無力感に歯噛みしつつ、エンドタイトルの流れはじめた、夕陽側の観客席の方角を見るともなく眺めてみる---。
 ニューシネマ時代の刑事ドラマは、だいたいにおいてこんなたそがれタイプのエンディングが多かったように記憶してます。
 うーむ、いま見てもリアルですって、コレ。
 そうして、このようなタイプのヒーローの手に握られていたスナブノーズのGUNも、主人である彼等と同じように、リアルで寡黙なうつ向きがちの風情をかもしだしてました…。
 中学生の僕は、それに共感し、彼等の手に握られたスナブノーズのGUNにもおなじように共感しておりました。
 最近、ひさかたぶりに過去のニューシネマの刑事モノをいくつか見直す機会があったのですが、それらを見終えたときの感触は、中学時代のそれとあんまり変わりなかったですね。
 気がつけば、物語の同じ場面で熱くなっている自分がいる。
 ニンゲン、時代が変わっても根本的には成長なんてしないんだってことでせうか、これは?(笑)
 まあ、いいや---このへんで僕の愛好する刑事モノのニューシネマのいくつかを紹介して、このスナブノーズGUNへのオマージュ記事をそろそろ終わりにしたいと思うんですが、いかがかな?

 ひとつめは、これね---1968年、ピーター・イエーツ監督、スティーブ・マックイーン主演の「ブリット」---僕、マックイーンの大ファンなんスよ、実は。
 後期の「ゲッタウェイ」は2流アクションだと思うけど、この「ブリット」は1流です。
 やたらに安っぽくバンバン撃ちあわないところが、特によろしおす。
 そのへんのストイックな鈍色展開が後半生きてきて、ラストの空港での銃撃戦では、「これぞマックイーンだ!」と呻りたくなるくらいの、壮絶な色気を映画全体で発散させてるのが見もの----


                    

 ふたつめは、野蛮で野卑なジーン・ハックマン糞刑事の駆けまわる、71年のアカデミー賞受賞の名画「フレンチ・コネクション」----


                   

 みっつめは、ややマイナーなれど珠玉の作品、あのフレンチ・コネクション」の制作陣が企画制作した、ロイ・シェイダー主演の「ザ・セブンアップス」---超・シブいったら!---あのー 僕、このキネマ、個人的にすっごい好きなんっスよ。
 僕的には、イチ押しの作品だな---最後に凶悪犯を射殺したときのバディー(ロイ・シェイダー)の徒労色の濃い顔が、なんともたまらないんだ。
 注:ちなみに、この映画内でロイ・シェイダーが使用してたのは、S&WのJフレームのスナブノーズに、大型用のグリップをつけたものです。


                      
 

 てなよなわけで、今宵のスナブノーズ語りもそろそろお開きにしたく存じます---長らく読んでくれたひと、ありがとう---お休みなさい!---(^.-y☆




 

 

 

 
  

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (不知火です(艦並感))
2015-01-07 13:54:50
コルト・ディティクティブスペシャルはジェームス・エルロイの原作映画によく登場します。ブラックダリア事件前後のLAPDの制式拳銃だったからだとか…他で私が知っているのは成田良悟のライトノベル原作のアニメ、Baccano!でナポリ系犯罪組織カモッラのマルティージョ・ファミリーの構成員が使用したり、相手の拳銃を蹴り上げて奪い取るアクションにも登場しました。因みにディティクティブスペシャルは弱小犯罪組織の構成員やチンピラ程度の悪人も結構使ってたみたいです。 他にもブローニングポンプアクションライフルをモデルにした連発小銃過渡期のイロモノなども登場してました。
不知火さまへ (イーダちゃん)
2015-01-07 22:35:40
不知火さま、カキコありがとう。
ジェームス・エルロイ贋作映画か。LAPDの制式銃だったのですか。知らなかった、凄い知識ですね、不知火さんは。
今度、成田良悟読んでみますね。

うーん、いま的にいうと、ディテクティヴは古い銃だと思うんですよ。
なんといってもあのグロックの登場以来、ガンの歴史ってまるで変わっちゃいましたから。
ちょっとまえの刑事映画なんかには、やたら出てきてたんですよ、やつ。
でも、いまじゃね…マイナーな古文的ガンと化しちゃったのかもしれません。
たしかに、アレで、グロックに向かう気にはなれんもんなあ。むりだもん。
でも、僕は、やっぱディティクティヴの風情、とっても好きなんすよ。
銃としちゃあチーフのほうが優れてるのかなあ、とはよく思うんですが、コルトのデザインセンスって凄いっスよ。
ガヴァメントなんかもそうだけど、あの「無骨美」とでもいうのかな?
あれはちょっと超えられないもの。
グロック、ベレッタ…うん、美的には、まだ超えれてないなあ。
まったく新しい視座から参入してきた、FN 5-7 なんかのほうがいいセンいってるかも。
どうなんでしょうかねえ…。
Unknown (不知火です(艦並感))
2015-01-09 17:35:53
Baccano!も時代は作者の別の小説、デュラララ!!のキャラも登場する現代編、シリーズ一連のバカ騒ぎの発端となった不死の酒の登場経緯を語る1700年代編と色々ありますが大抵の話で語られるのは大恐慌後のアメリカが舞台の話です。銃器の他にも古いフォードやアールデコの建物、スピークイージー、アルカトラズ刑務所みたいなレトロなアメリカを代表するものが出てきます。後以外と92Fは砂に強いですよ。湾岸戦争では普通にバカバカ撃てたそうだし、続くイラクでも問題は出ませんでした。ただ強装弾に極端に弱いだけで…まあリボルバーには敵いませんが… 92Fは歴代ベレッタファミリーの中で初めてアメリカを意識した感じがします…あくまで自分の感想ですが…イタリア的な美しい女性的なデザインとアメリカ式の操作方式が良い具合にミックスされて…擬人化するなら俺っ娘。男勝りの女の子と言うか…武骨で強烈なデザインを求めるならIWIジェリコ941が良いと思います。デザートイーグル似のスライドにCzをモデルにしたフレーム。野生的な荒々しさと精密な時計の様な機械的な美しさを組み合わせたスタイルです。残念な事に知名度がすさまじく低くアニメ、カウボーイビバップでしかメインを張らせてもらえませんでした。以前はハドソンからガスガンが販売されていたのはご存じでしょう。結果は中学校の頃に自分に何か特別な力があると信じて書いた黒歴史設定ノートや、高校生が書いたライトノベルのヒロインを凌駕する忘れたい存在になったことは周知の事実です。リアサイトが嵌め込まれてるだけ、矢鱈ガスが漏れる、セイフティのマークやドットが塗られてない等々…コアなファンが結構いるので今でも再販の声が高いモデルでもあります。因みに私もその中の一人。イスラエル国防軍の制式拳銃ですがIDF自体拳銃は自費購入に近いので人気のグロックやハイパワー等の玄人好みの拳銃が多かったり…因みにセイフティは92FやM39と同じです。ハドソンのガスガンは金剛型戦艦の魔改造を越えるくらいの改造しないと無理です。

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