感染症診療の原則

研修医&指導医、感染症loveコメディカルのための感染症情報交差点
(リンクはご自由にどうぞ)

MPHとMBAの意義

2011-08-29 | 志し高く(特派員便り)
Taro先生は現在日本に一時帰国中で、各地のER当直や大学に出没しているそうです。

9月に再度渡米(帰る?)、また闘魂外来のために帰国したりもするそうです。

先日、沖縄で開かれた闘魂祭りを「うちの大学でもやりたい」メールがきているそうなので、そんな活動も楽しみですね。

さて。Taro先生は留学して名門MPHコースに在籍しながらMBAコースもとるという、なんといいますか、フツウの人は考えないactionに挑戦しておりました。

まず、無事MPHコース修了です。おめでとうございます。

-------------------------------------------------------------------------------------

MPHとMBAの意義

ご報告が遅くなりました。この5月、エモリーでの2年間のMPH(Master of Public Health: 公衆衛生学修士)過程が終わりました。あっという間の2年でした。卒業の喜びは意外になく「次に進もうぜ」と言う感じです。そういえば日本で医師免許を取った時も同じような感覚でした。自分にとっては一つの課程を終える時は既に次への通過点に過ぎなくなっているのかもしれません。もうひとつの学位、オーストラリア・ボンド大学でのMBA(Master of Business Administration: 経営学修士)は来年に卒業を調整しました。

エモリーでの2年間は大学院で学ぶことが臨床の仕事より優先する、臨床医らしからぬ日々でした。しかし、得られた経験や期間はかけがえのない財産でした。

最近MPHやMBAキャリアを目指す医療関係者が増えてきていると聞きます。すばらしい航路と思います。ただ学位取得のため大学院に入る前の情報が少ないため、大学院を目指すモチベーションの判断にも困る方も多いのではないでしょうか。今回はこの2つの学位について自分なりの感想を書こうと思います。

MPHやMBAは大きめのタイトルである一方、あくまでMaster(修士)の学位です。もしDoctor Degree(MDやPhD)を持っているならば、取ること自体でアカデミックなキャリア上では大きなアドバンテージにはならないと思います。最も大事なことは、自分がそこで学んだ経験をどう生かしてどんなアウトカムを出していくか。それが定まっていなければせっかくの留学も方向性を失い味気ないものになってしまいます。目的を明確にして学ぶ/目指すこと、それがMPHやMBAで学ぶ上での本質と思います。入学後も幅広い科目数に興味が分散して目的がぼやけがちになることもありますが、最も自分が面白くてやりがいがあるか、それをつきつめて考えることが大事だと感じます。
卒業後のキャリアについては以前にも書きましたが、MPHやMBAホルダーの一般的な仕事である必要はありません。私はそのoutlierの良い例で、臨床医としての視点からMPH/MBAの訓練に大きなメリットを感じたためにそれを学ぶことを決めました。

さてここで、私なりの両方の学位の各論にふれてみます。

MPHを臨床医の立場から見ると、臨床医としての一対一の関係から、公衆衛生的な一対多数の視点に立った俯瞰的な視野も得る訓練になるという点で意義が大きいと思います。その広い視点を持ちつつMPHというパッケージで得られた視野を臨床や研究に反映させることができれば、自分の仕事が世界の潮流のどのような位置づけにあり、また医師としてどのようなアクションが今後必要になってくるのかが見えます。それは、臨床医としてのクリエイティブな活動の起爆剤になりえるものです。MPHのパッケージの中にある疫学や統計などの方法論だけを単に学びたいのであれば、時間と経済的負担をかけて(海外の)大学院にわざわざ通う必要はありません。もしやるのであれば、できたら海外のon campusで、そこに集った多様な文化背景の学生たちと、疫学、国際保健、政治経済など様々なトピックを題材に議論して楽しむ。それが面白いと思います。また、公衆衛生学の中で中隔となる疫学については、海外まで行かずとも日本には国立感染症研究所の実地疫学専門家養成コース(FETP)のようにより実践疫学に重きを置いたプログラムもありますので、こちらもお勧めです。
MPHの学位自体はMastersの学位の中でも有名なのでキャリアパスには僅かながら役立ちますが、それは「お、MPHやったんだね」と言う程度のものかもしれません。ただ、それを持っていることは疫学や統計、国際保健などの公衆衛生の基本的な共通言語の概念を共有できると言う通行手形のような信用証にはなるでしょう。

さて、今度はMBAです。MBAでは、日本において医師の訓練では全く触れる機会のない知的環境に身を置くことになります。MBAがガチの臨床医にとって意義があるとしたら、それは次の2点です。まず、思考様式の多面的な訓練が臨床スキルのブレイクスルーを与えること(診断学や治療など)です。例えば経営が傾いた一企業を再生させるための戦略を考え抜く訓練が、まわり回って診断力のブラッシュアップになります。例えば、とある有名飲食店の経営復興、高齢者向け健康ツアーのベンチャー企業を成功させるプランを既存のエビデンスを背景に考える訓練がありました。その思考過程は難症例に問診・診察などあらゆる手を尽くして立ち向かうのと同様の一連の診断・治療過程と同様の経緯を辿りました。その経験をふと臨床に照らしてみた時、情報収集の網羅性を高める方法や診断アプローチの選択に柔軟性と迅速性を与える方法を発見したのです。非常に面白い経験でした。
もう一つのMBAの意義はいわゆるMBAで想像される様な、個人、人材、組織のマネジメント・リーダーシップの力を鍛えることです。医師はチーム医療の中で場合司令塔的立場になることが多く、リーダーシップを学ぶことは決して損になりません。その意味でも臨床家がMBAで学ぶ環境に身を置く意義はMPH同様、極めて大きいと実感します。

このように、MPHやMBAも臨床医の仕事に厚みを増す可能性を秘めていそうです。

クリエイティブな仕事のことを前述しましたが、クリエイティブな仕事を達成する上での大事な要素の一つに“知的バックグラウンドを広くすること”が挙げられます。自分の専門からベクトル的に離れたテーマまでをどれだけカバーしているかによって、イノベーションを生み出す可能性が広がります。日頃から自分の中でずっと考え続け、追究している何らかの個人的テーマ(例えば私なら「診断学」です)の新しい発見について、それを他のどこか別の領域での類似性を発見する事を通して新しい領域へのブレイクスルーを切り開くことができるのは、この他分野への精通と理解による所が大と思います。このことは、古くはダーウィンの「種の起源」の創出が数多くの他分野の知識や文化をベースとしていた例ひとつとっても想像できそうです。
この項では臨床医の“臨床以外の勉強”についてMBAやMPHを例に挙げていますが、別にどんなことでも良いと思います。文学でも、歴史でも、音楽でも、野鳥観察でも。それぞれが臨床と違う、しかし臨床に生きる新しい視野が得られるはずです。

今回はエモリー卒業記念リポートとして、後輩に役立つ内容と思い書いてみました。

今後ですが、しばらくは日米を往復します。日本では教育活動も行っていますので、どちらかでお目にかかるかもしれません。もちろん特派員ブログは継続です。今後とも応援よろしくお願い申し上げます。

----------------
Taro先生、ありがとうございました。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 臓器移植でHIV感染(台湾) | トップ | 不活化ポリオワクチン情報 »
最新の画像もっと見る

志し高く(特派員便り)」カテゴリの最新記事