Dr. WAKASAGI at HEI-RIVER(閉伊川ワカサギ博士)

森川海をつなぐ学び合いの活動を紹介します

里海探偵団が行く!―育てる・調べる海の幸 寺本 潔/佐々木 剛/角田 美枝子【編著】 165p

2022-11-10 | アーカイブ

1アメリカにおける海洋リテラシー教育

<海洋リテラシー=一般市民の海洋理解>

 「リテラシー」という言葉はあまり聞き慣れない言葉である。初めて聞く方も多いだろう。簡単に言えば,一般市民が自立して生きていくための必要最低限の知識・理解のことだ。例えば,漢字は小学校から中学校までの間に常用漢字1945字を習得することになっている。もし,常用漢字を習得していないとすると,日常生活で不都合が生じることになる。また,算数の加減乗除ができなければ,買い物ができない。このように,日常生活で支障をきたさないための必要最低限の知識・理解が「リテラシー」である。

 では,海洋リテラシーとはいったい何であろうか? それは,一般市民が持つべき海洋(河川,湖沼を含む)に関する必要最低限の知識・理解のことである。いわば海洋に特化したリテラシーといえる。

 

<海洋リテラシーはなぜ必要なのか?>

 今まではそれほど海に関したリテラシーはそれほど必要なかったかもしれない。しかし,最近になって水質汚染問題,地球温暖化,水産資源の問題など海洋をめぐる環境の悪化が深刻化している。こうした地球規模の問題は,一般市民一人ひとりの生活と密接に関わっている。しかし,多くの一般市民はそのことを十分把握できていない。なぜなら,海洋に関する理解を深める機会が少ないからである。海洋の問題を食い止めるためには,一人ひとりが海洋に興味関心を持ち,海洋を科学的にとらえ,水産資源や海洋環境に配慮する意識を持つための「海洋リテラシー」の普及が必要だ。

 

<海洋リテラシーの構築>

 こうしたことを受けて,アメリカでは海洋リテラシーを作ろうという声が高まった。海洋リテラシーを構築する経緯について次のように説明している。「すべての学問分野に於いて,海や水圏に関する科学はどういうわけか,かつ不思議なことにK-12教育(幼稚園から高校3年生まで)では不十分である。海や沿岸に関する概念や総合学習ではまったく教えられておらず,また,まったくカリキュラムや教科書,評価基準の中にも出てこない。海は我々の住んでいる地球の大半を覆い,地球上の生命のほとんどの産みの親であり,天候や気候にも影響を与え,我々の酸素の大半を供給し,多くの人類の食料供給源であることは明らかであるにもかかわらず,上述のことは事実なのだ。(中略)もし,海の科学が州や国家の科学基準から排除されることが続くのであれば海洋科学は社会的に取り残され,そしてカリキュラムに取り入れようとする努力は水の泡となってしまう。(中略)科学教育や地球の将来の健康について危惧を持つ人々は,科学教育の基準や評価についての研究を進めなければならない。」

 日本においても,義務教育における教科書には海洋に関する記述は3%であるという。また,高等学校のうち0.3%の水産系高校でのみ海洋の教育を扱っているにすぎない。残りの99.7%の高等学校は体系的な海洋の教育は実施されていないのである。

 

<インターネット会議>

 会議は,インターネット会議の形式を取り,2004年10月,2週間にわたりナショナルジオグラフィック協会がスポンサーとなって100名の海洋教育者や研究者により開催された。この会議は海洋リテラシーのよりよい定義づけをすること,関係諸機関からの提案をもとにした議論のプラットフォームを提供することを目的に実施された。この会議を受け,2005年にカルフォルニアのバークレーでワーキンググループによるミーティングが開催され,これらを経て,海洋リテラシー,海の概念の定義づけ,(K-12 教育における)海洋科学教育課程一覧表の作成が始まった。

 

<アメリカの海洋リテラシー教育の内容>     

 内容として7つの大項目と44の小項目に分けられている。すべての海洋リテラシーを持つ人はこれらの必要不可欠な原理を理解すべきであるとしている。

最重要原則(大項目)

  • 地球には多くの特徴を兼ね備えた大きな海がある。
  • 海やその海に生きる生物は地球の特徴を形作っている。
  • 海は天候や気候に大きな影響を与える。
  • 海のおかげで,地球には生物が生息できる。
  • 海は多種多様な生物や生態系を支えている。
  • 海と人間は切っても切れない深い関わりを持っている。
  • 海の大半は探検されていない。

 

<アメリカの海洋リテラシー教育の特徴>

 海洋リテラシーを作成するというこうしたアメリカの取組は,先進的な取組であるといえる。アメリカにはNMEA(National Marine Educators Association)という組織がある。NMEAは全米の海洋教育に携わっている学校の先生や水族館,大学,研究所などの教育を担当する方々で構成されている。ちなみに,学校の先生はteacherといい,教育に携わる方々はEducatorである。その中でも特に海洋教育に取り組んでいる教育者ををMarine Educatorと呼んでいる。NMEAは,総勢2000人程度の小さな学会であるが,毎年夏に年会が開催され,熱心な議論が繰り広げられる。実際に,NMEAの年会に2006年に参加し,アメリカの海洋教育の様子を伺った。このNMEAの年会では,全米から集まった海洋教育者によって,海洋教育に関するワークショップや実践報告がなされる。これらの実践報告はすべて海洋リテラシーに関連づけられている。アメリカの海洋教育の特徴を一言で言えば,海洋環境を維持するための科学的な海洋を捉える教育と言っていいだろう。

 そうした海洋科学教育を推進するために,組織的な取組が行われている。海洋リテラシーを構築する際にも,100名の研究者や教育者がインターネット会議に参加したが,その大半がこのNMEAに所属している。また,NOAAの組織との一部としてシーグラントがあり,またCOSEEという全米科学財団の支援を受けた組織もあり,これらがネットワークを組み,合衆国全体で組織的な取組を行っている。

 

2 アメリカと日本の認識の違い

<日本とアメリカの教育者の意識の違い>

 アメリカでは海洋リテラシーを構築し,全米の海洋教育に携わる教育者や研究者が海洋教育に熱心に取り組んでいる事がおわかりいただけたかと思う。ところで,アメリカの海洋教育者が魚食に対しどのように考えているのだろうか?アメリカ合衆国全体では国民一人あたりの水産物消費量は日本ほど多くない。確かに,このところ寿司ブームでアメリカでも魚を食べるようになったようである。しかし,アメリカ西海岸の代表的なスーパーマーケットの生鮮売り場を見ても,魚売り場のコーナーはほんの一部を占めるだけで,その中身もサーモンやマグロ,カキなど限られたものである。このように,海とのつきあい方の歴史や利用の仕方が異なれば,当然,海洋に対する認識も異なってくるだろう。海洋認識が異なれば海洋リテラシーに対する考え方も異なってくる。それでは,アメリカと日本での海洋に対する認識は,どのように異なっているのであろうか?

 

<教育者を対象としたアンケート調査>

 そこで,両国の海洋教育に携わる人々にアンケート調査を実施することにした。

① 海洋科学教育(水産も含む)は小中学校や普通高校においても必要である。

②  海に関心を持つことは国民にとって大切なことである。

水産・海洋教育が必要とされる理由は(以下10項目)?

 ③ 人類にとって必要なものだから

 ④ 科学教育の中でも重要だから

 ⑤ 海は食料生産の場だから

 ⑥ 海は様々な資源に恵まれているから

  ⑦ 海は科学的な探求の場であるから

  ⑧ 海はレジャーの場であるから

 ⑨ 海は私たちの人間生活に必要だから

 ⑩ 学問的に興味深いことがあるから

 ⑪ 海洋環境問題が深刻だから

 ⑫ 海はまだ未解明の部分が多いから

       (以上10項目)

⑬ 内陸で生活する人々にとって海の学習は必要ない。

⑭ 魚類等海洋生物を食べることにためらいはない。

⑮ 海藻を食べることにためらいはない。

⑯ 肉よりも魚のほうを好む。

⑰ 私は,常に海から恩恵を受けて生活している。

⑱ 海は命の母であることを実感している。

 アメリカでは,NMEA(全米海洋教育者会議)のメンバーにお願いした。NMEAの年会には,幼稚園から大学ならびに,水族館や博物館で海洋教育に携わっている教職員が集まってくる。対象に大会の一つの催しである「シーフェア」においてアンケート調査を依頼した。アンケート調査は質問紙を用いた対面式調査法で行った。

 日本では,日本には,NMEAのような海洋教育に関する包括的な組織がまだなく,海洋教育者に該当する教育関係者として,全国水産海洋系高等学校教育研究会に参加した教員を対象とすることにした。

 「全くその通りだと思う(4点)」,「そう思う(3点)」,「そう思わない(2点)」,「全くそうは思わない(1点)」,の4段階尺度を用いた。

 

<アンケートの結果>

 日米共に海に関心を持つことは国民にとって大切なことである(図5- ①,②)と考えているが,それはどのような理由からなのだろうか?

 アメリカでは,特に「環境問題は深刻である」(同-⑪)とする項目が最も高い値を示していることもからも,環境問題に対する意識が高いことが伺える。次に,「様々な資源に恵まれている」(同-⑥),「科学的な探求の場である」(同-⑦)と続く。

 

表2 水産・海洋教育に対する意識に関するアンケート項目

 

 これに対し,日本は「海は食料生産の場である」(同-⑤)という項目が最も高く,食料生産の場として最重要視している結果である。

次に「人類にとって必要」(同-③)「様々な資源に恵まれている」(同-⑥)「人間生活に欠かせない」(同-⑨)と続く。「環境問題が深刻である」(同-⑪)「科学的な探求の場である」(同-⑦)とする項目は上位にランクインしていない。また,日本は,「海はレジャーの場である」(同-⑧)という項目の数値が最も低い。

 

<“環境”それとも“生産”か>

 以上の結果から,両者の海洋に対するイメージが浮かび上がってきた。すなわち,アメリカの海洋教育者は,海洋は人類にとってかけがいのないものであり,様々な資源に恵まれているとしながらも,環境問題は深刻化しており,解決の方向を見いだす必要があると同時に,科学的な探求の場として重要視している。あくまで,科学の対象として海洋を見ているといって良いだろう。

 一方,日本は食料生産の場として大変重要であり,人類にとって必要なものであり,様々な資源に恵まれ,生活に欠かせないものであると考えており,レジャーの場ではなく,あくまでも仕事をもたらしてくれる場所として重要視している。アメリカの海=科学,日本の海=生活といったところか?

 

<魚食に対する認識>

 さらに,魚食についてであるが,「海藻を食べる」(同-⑮),「肉より魚を好む」(同-⑯)といった具体的な項目になると,これは,前述の必要性の結果からも明らかな通り,日本は海を食料生産の場として重要視しているからだ。さらに,「海からの恩恵を受けている」(同-⑰)の得点が高く,日本においては海と生活とが密着していることを物語っている。

 「内陸での海洋教育の必要性」(同-⑬)については,両者とも重要であると考えている。日本では,内陸地域は海洋教育が難しいとされるが,経済活動や人間生活による汚染物質や排水は,最終的にすべて海に流れてくるという観点から,海洋教育の機会を作っていくことが重要であろう。

 

<お互いの違いを大切に>

 以上のように,アメリカは環境問題,科学的な学問の対象として海を見ているのに対し,日本は生活の場,食料生産の対象として見ているのである。

ただ,日本の海洋に関する大学教育は,水産学部出身者がほとんどであり,食料生産と関連づけた教育が行われているのも事実である。その結果,水産高校の教員を対象とした場合,このような結果が出るのは当然といえば当然である(ただし,水産系高等学校には水産学部以外にも,商船学部などの出身者も含まれる)。これに対し,アメリカでは,生物学部の中にマリンバイオロジー学科が設置されているように,理学系学部の中に海洋系の学科が置かれている。そして,ここを卒業して海洋教育者や研究者になり,NMEAに所属する。教育者を養成する方法も,日本とアメリカでは大きな違いがあり,それが教育や考え方に大きな影響を及ぼしていると考えられる。

日本の水産教育の歴史をたどれば,100年前,漁業者は200万人を数えていた(アメリカは10万人)。漁民の生活向上のために,国の政策として漁業技術発展のために水産講習所が設立された。一方,時を同じくして,すでにアメリカ東海岸では水質の環境問題が深刻であった。そうした中,MBLが設立された。レーチェル・カーソンは,このMBLで海洋生物学を学んでいる。先ほど述べたシーグラントは,レーチェル・カーソンの著した沈黙の春がきっかけの一つとなっている。時代背景や歴史的背景の違いも,今日の高等教育に影響を与えていると思われる。

 さらに,現代の日本の海洋に対する考え方を決定づけているものは,1万年前から続く,海との関わりであろう。その例は,縄文時代の貝塚に見ることができよう。

長い間,海に関わってきた日本人は海洋資源を巧みに利用して,海と上手に関わってきた。もっと日本独自の海洋文化を世界に向けて発信することが求められるだろう。

一方で,科学的に海洋を捉えていくことも日本人にとっては重要な視点だろう。なぜならば,持続的に生産が可能な海洋環境を維持するためには,国民一人一人の海洋に対する科学的な理解がこれまで以上に必要になってきているからである。

こうした観点を,しっかりと里海学習に取り入れていくことが,これからの重要な課題なのだ。

 

3 アメリカにおける里海学習?の紹介

<サイエンスアカデミー>

 サイエンスアカデミーの活動を紹介しよう。カルフォルニア大学のバークレー校のローレンス科学館で行っているマリンサイエンスアカデミーという,大学が小学校に出向いて海洋教育を実践している出前講座である。アメリカ版の里海学習と言っていいだろうか。しかし,日本と大きな違いがある。それは何か?

 日本との大きな違いの一つは,小学生を対象に大学が主体となって海洋での体験活動を実施していることである。日本では,NPOなどが主体となっているが,このマリンサイエンスアカデミーでは,NSF(全米科学財団)の支援を受けて,大学職員が現場に出向いて体験活動を組織的に指導している。大学職員といっても,研究者ではなく,エデュケーターという立場で勤務する常勤の教育者である。大学がこのような形で教育に力を注いでいるのは,大学が学校教育に直接参加することによって,自分たちの研究の社会的評価が上がるということ,そして教育することによって将来の研究者と育てるという事につながるということが背景にある。

 二つ目はサンフランシスコ近郊のオークランド市にある学校に通う小学生たちは全く海で遊んだことがないことである。日本も,最近は少ないといわれているが,それ以上である。サンフランシスコ周辺は,カルフォルニア海流で冷たく,海水浴ができないと言うことも理由の一つであろう。

 三つ目として,科学の喜びを実感させることに大きなポイントを置いていることである。なぜ,このような海に行ったこともない子ども達がマリンサイエンスアカデミーに参加するのであろうか?その理由は,海はとても未知の世界であり,わくわく,どきどきという体験が,普段海とほとんど関わりのない生活をしている彼らにとって強烈なインパクトを与えるからである。マリンサイエンスアカデミーのねらいなのだ。発見する喜び,感動する喜び,自然を通して体で体験させる。日本でも五感を使ってといわれるが,ちょっとニュアンスが違う。日本は古来より,自然に親しむことで豊かな心をはぐくんできた,そのことが理科の目標として強調される。もちろん,発見する喜び,感動する喜びも同様に強調されるが,今回のアメリカでのイベントでは前者の部分はなく,発見する喜び,感動する喜びが強調される。

 この体験を通して,自分たちで新しい発見をする,すなわち科学をする喜びを実感するのである。この点が,重要である。こうした考え方は,既に50年前からR.カープラスによってラーニングサイクルとして提唱されている。それを長年にわたり実践している。実際に,本日参加協力した大学4年生のアレックスは,小学校の頃,海の体験プログラムを体験し,将来はマリンバイオロジストになりたいと強い希望を抱き,難関を突破してUCBに入学したという。すでにPHD進学を考えているようだ。

 四つ目は,海洋生物を食べないことである。食べると言うことは産業的に利用する,応用すると言うことに繋がる。タコをつかまえて喜々としていたが,日本のように,おいしそう,どうやって食べるという発言は全くなかった。日本では,科学的な喜びと言うよりは,どうやって食べるか?つまりどうやって自然から恵みをいただくかという考えの方が先行する。たとえ,東京湾のある地域で採れた魚でも。

 

<お互いを理解すること>

 これから大切になっていくことは,お互いのこうしたリテラシーの違いを理解し合うことであろう。まず,私たち日本人は,海の発見する喜び感動を通して科学の楽しさ喜びできるだけ多くの人々が体験すること,そして日本の独自の自然観をもっと海外の人々に紹介していくことであろう。このことが,持続可能な社会の実現に繋がっていくのではないだろうか?それがまさに「里海」学習なのだ。

 


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