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およそ3200年前の
中空土偶が国宝になって世界を飛び回っています。
「発見された土偶は、高さ41.5cm、中空土偶としては国内最大です。
作りが極めて精巧であり、ミリ単位の薄づくりで紋様や構成も優れている」
ということから、縄文時代における「土偶造形の頂点」と評価され国宝に指定されました。
縄文人は「意識は無かった。」と以前書いていたが、意識が氷の上に現れてきたと言えるだろう?
同時に、縄文語のコトバの数も増え、ヤマト言葉と言われ土台が出来て来た時期だろうか?
全てのモノが共存 共生するという「縄文の心」は、保ちながらも、暗黙のうちに「人間」と言う意識が、とびだしてきた。
それは、人型(人)を強く意識し、それに「ヘビの霊力」を授けているのでは、と言えそう。
次いで、だんだんと、人の型に願いを託するようになった。
遮光器土偶と呼ばれるものに、当てはまらないだろうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/ce/c3d169e9598b0ba22a27524280a2640f.jpg)
その人型に、人間の意識が強く働き、多様に類似する形態(メタファー)で表現される様になった。
この様な仮説が立たないだろうか?
北黄金貝塚の縄文前期、中期には、意識は無かった。
『すべてのモノが生きていく』
人もすべてのモノと、共存、共生を貫いていた。
しかし、縄文中期、後期あたりから、少しずつ人が、前に出る様になって来たのかと思う。
『二分心』から、少しづつ抜け出しているのか。
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