うべプラネタリアン

プラネタリウム解説の活動を通じ、いろいろ感じたことをさまざまに語りたく....

金子みすず 再び...(11141)

2011年05月20日 19時41分28秒 | うべプラネタリアン
なべて詩人は星好きだというのは私の持論だが、そのベスト5に金子みすずさんも
入ってくるだろうし、井上靖さんはすでに天文学者だ。野尻抱影さんしかり、山本一清さん達。
あ、きりがない。つまり、てんぶん学だから。
星好き人の独特の臭いはもちろん作品の中にちりばめられている。それを嗅ぎ分けるのは得意だ。
金子みすずさんは「星とたんぽぽ」の中にはっきりと昼間の星をうたっているし、
「日の光」の中では、光の本質は影を作ることだと看破している。あざやかである。
最近縁あって改めて詩集をひもといたら、空間はもとより時間のテーゼにも言及していることが
読みとれた。彼女の詩の特徴が、視点の違いからくる、おもしろさと優しさにあることは
有名な「大漁」をあげるまでもない。外から見る視点自体が極めて天文学的なのだが、
おもしろいのは、空間的視点のみならず、時間の経過に対して恐怖感に似たつらさが散見できることだ。
全てのものが過去のものになってゆくことへの病的なまでのこだわり。
たとへば....

「かぐやひめ」

竹のなかから
うまれた姫は、
月の世界へ
かえっていった。

月の世界へ
かえった姫は、
月のよるよる
下見て泣いた。

もとのお家(うち)が
こいしゅて泣いた。
ばかな人たち
かわいそで泣いた。

姫はよるよる
変わらず泣いた、
下の世界は
ずんずん変わった。

爺さん婆さん
なくなってしもうた、
ばかな人たちゃ
わすれてしもうた。

最後のフレーズの切り落とし方は絶品だ。
どうしようもなく過去のものになって行く事象に対し、あの優しさの究極では、
こうした切り落とし方しかないのではないか。
金子みすずの詩にこよなく美しい曲をつけて歌う魅力的な歌姫ちひろさんは、
どう読むだろうか。



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