goo blog サービス終了のお知らせ 

蹴球放浪記

緩まない、緩ませない。
横着しない、横着を許さない。
慌てない、「だ」を込める。

血迷った。

2008-11-18 20:06:48 | 舞台のこと

というわけで、「劇団ぎゃ」というカンパニーによる
「玉ノ井家のエンゲル係数」という演目を見学した話でも書こうか。

てか、このカンパニー、春の「紙風船コンペ」以来の表演だよなぁ。
あの時はさかいさんの一人芝居で、中国漫才(軽声)と落語を
絶妙なバランスで「男」と「女」のそれぞれのやばいところを表現できていた。
しかし、それぞれのスタイルをきちんと消化できていない物足りなさがあったかも。

それからゆきえさんはいろいろ外の仕事抱えて、さかいさんは結婚して、
いつのまにかこどもまでできた(らしい)。
「ぎゃ」はあの3人がそろって初めて「ぎゃ」たり得るのですが、まあ仕方ない。

というわけで今回はゆきえさんとみさかさんの二人芝居。
しかも演者にはそれぞれ違う台本が用意されていて、
お互いは別の台本の内容をまったく知らない(らしい)。
こっちはこっちで9月のくそ暑い中北九州でさかなさんを見学した帰り、
魚町のアーケードのところで携帯使って予約してたのです。
・・・一番後ろの席をとるために。

現実は一番見やすい(らしい)いす席部分のまん真ん中に「特別席」なんて
張り紙されて、そちらにどーぞ、といわれてすごく落ち着かない。
ねーさんに見つけられて「いや、血迷ったみたいで」というまではよかった。
さらにはがらぱのしいきさんやかわぐちさん、くろさいのかわはらさんやら、
おまけにはきららのいけださんまで勢ぞろい、
まるで「オールスター大華火大会」の形相、その真ん中に座るじぶん、
もっと落ち着かない。

そうしているとゆきえさんが手押し台車にみさかさんを乗っけて登場。
やおらマイクを取り出し、「愛の賛歌」をひとかまし歌う。
あのぉ、当人は「エディット・ピアフ」ののりで演ってるようですが、
じぶんは「丸太ん棒を持って居眠りしている客を突っついて起こそうとする
越路吹雪」にしか見えなかったです。
んで、じぶんを散々いじって、今度はギターを持って「さとうきび畑」を
もうひとかまし歌う。

このひとつの流れがどうもつぼにはまって大変笑わせてもらった。

そういう風にして場を暖めてから本題に入る。
こんどはみさかさんの体の線のきれいさに心を奪われる。
まるでできのいいお人形だよなぁ、後は足が細かったら
活躍の場が広がるのになぁ。

話の中身はいつものように殺人と狂気のお話。
ところどころ笑わせながら「あれっ、ひところしちゃった、うふっ」という
シリアスをしれっと演るその落差、さらにはみさかさんのすいーつ具合、
(餃子の皮にソフトキャンディを包むことが自然に見えたぞ)
さらにゆきえさんの天然具合があまりにもすごかった。

「実験劇場」という枠内でボリューム面の物足りなさだけが残念だった。

後、キューピー人形の「四条畷」、あれ自分の生まれたところ。
偶然とはいえ、そこまでいじられるたぁ、思いもしなかった。


じぶんは、あくまでも「じぶん」にしかなれない。

2008-11-17 21:47:56 | 舞台のこと

・・・よかったですね。
  心ゆくまで、気の済むまであの子を支えてあげてください。
  じぶんもおんなじような存在を終生支えていきますんで。
  以上、私信終わり。

さて、じぶんは大阪から福岡に来て、25年間別の名前を持っている。
大阪最後の2年間、おんなじ苗字の子がいて、それを区別するために
母が体操服につけるゼッケンの名前の横に「ひ」と書いちゃった。
で、福岡に来て、その体操服を使っていくからへんに言われるのですよ。

最初は何かすっごくからかわれてる感じがしてものすごくいやだった。
でも、中学になって、まあなんていうかいい意味でも、悪い意味でも
「じぶん」が出せるようになって、出していくようになると「自分の名前」じゃなくて
もうひとつの名前「ひー」が独り歩きを始めてしまって、
気がつきゃ、学校の先生までもじぶんをその名前で呼んでいる。

「まあいいか、それで」と思っていたらその後はなんかくそかたっ苦しい世界
ばかりに迷い込んで、「ひー」どころじゃなくなってきた。
・・・結果的にそれがじぶんをじぶんで窮屈にしていたのかもしれない。
その疲弊感が苛立ちとなり、ぱんぱんに膨れ上がってT親分言うところの
「悪い雰囲気」をいつの間にかまとっていたのでしょう。
その背景に「じぶんはなんとしてでも(以下略」というゆがんだ感情があったのかも。

そういうことを感じながら土曜、日曜と東京から岩井さんという
新進気鋭の書き手兼演出の人が来てのトレーニングキャンプに行く。
まず、挨拶して場所に入るといきなり、福岡の受け入れ先の人から
「昨日のぎゃ、いじられ席で云々」という話をかまされる。
・・・「血迷った話」が伝わるの早いなぁ。
それからコミニュケーション・ゲームやって、「誕生日」を題材にした
トリオのフリーコンビネーションを決め事少なめでみっちりやる。
まあ、じぶんのめがねが「金属疲労」で真っ二つに割れたりとか、
今までじぶんの中で抑えこんでいた「ひー」の「社会性」が「自然に出でて」たこと、
で、気がついていたらじぶんも、周りも「ひー」というじぶんを受け入れて、
面白がっていることをもう一人の自分が眺めていた。

一通り、トレーニングが終わって、競艇の場外で舟券買って
舞台の仕事以外のことをだらだら話して、いまさらながら今村豊の偉大さを
「競艇を知らないある一部分に秀でたものを持っている人を引き付けている」、
しかも特別競走最終日、優勝戦一個前の章典レースで見せ場がなかったとしても。
ということを感じ、じぶんもじぶんで表現のことでばきばきに頭使っているから
十分にあったまったところで競輪やら競馬を買うように「ワイド」で買って
あーでもねー、こーでもねーと話してたら一着三着の並びが来るのですよ。
・・・2レースやって900円突っ込んで返りが390円。
  まあいい、福岡競艇の払い戻し窓口に始めて行けたし、いい厄払いもできた。

結局、「ひー」は生まれながらにして「ひー」なわけで、
どげん無理して背伸びしても「ひー」にしかなれないわけで。
T親分もそこのところをちゃんと見てくれていることも理解できたし、
まあ、ぼちぼちやっていきますわ、ということで。


肉体の「言語化」。

2008-10-29 23:48:48 | 舞台のこと

「元気か、面出せ」と手紙出されたら行くしかないのです。
おまけに、最近よく通る場所に箱があるものだから驚いた。

というわけで、今日は自分の体捌きのお師匠さんが
月いち演ってる「肉体の劇場」という舞踏公演に出向いてきた。
・・・いろいろな意味で会うの2年ぶりなのですよ。
おととしの年賀状がお師匠さんの演ってる写真じゃなく、
干支の漢字を書いたもので「活躍を祈念します」と書かれたら
「ああ、当分違う道を歩くのかなぁ」と感じてしまったのです。
で、久しぶりにあって、挨拶して、近況を報告する。
余計なことまで話さなくていい、ということがうれしくて。

内容は二本立て。
最初の作品は「母性」というものを随所に見せ付けられた出来。
「女は強し、されど母はもっと強し」を上手に表現できていた。
子供生んで、育児して、その経験が体を通してうまく「言語化」
できていたから、なんだかうれしくてうれしくて。

次はお師匠さんの作品。
お師匠さんの持つ独特の世界観はそのままに、
そこから一歩踏み込んだ「老い」と「死」、さらにはその先にある
「現世でいろいろ受け取ったもの」をすべて剥ぎ取って、
もともと存在していた「たましい」に返るところまできっちりと
表現できていた。

やっぱり、お師匠さんとそのまわりに会うとすごくほっとするな。
また少しだけ同じ道を歩いているようで。

毎月、29日(「にく」の日)に定期的にあるので、ぜひ。


疲労困憊。

2008-10-02 20:59:41 | 舞台のこと

いや、まあ、日程つめつめで動くと、さらにやなはなし聞くと重たくなるねん。
金曜日は雨の予定がなんか晴れてる。
「くそ、面白くねーなー」と朝早くから長崎、それから北九州。
日付が変わるときに家について水だけ飲んで寝る。
土曜日はこれまた朝早く起きて金曜日こなす予定の仕事片つけて
ばたばたご飯食べて、ばたばた支度して佐世保。
疲弊した体を抱えながら家に帰り着く、あれ、晩御飯食べたな。
きっちり起きて日曜は熊本。
第七インターチェンジというカンパニー、久しぶりの新作「スラーヴ」を見学に。

・・・あべさん、演者としての「名前」変えたみたいだねぇ。
  それとも双子のお姉さんか妹かなぁ。
  変えたなら変えたと「ご挨拶」と「決意表明」を出していただければ
  よかったのですが。

さて、かめいさんらしいぐねぐねっぷりにこないだのスカウティングツアーで
東京の最新、最先端の要素を積極的に取り入れました、という出来。
八百屋舞台に、細かく入れ替わる3人の女の子、最初はどっかの集合住宅と
思わせて、だんだんと話を進ませていくにしたがって「淘汰の海にたゆたう民」と
いうノアの箱舟を隠しテーマにしたかなり深い話に仕上げちゃった。
もう少し密度のあるぎゅっとした箱でやれたらものすごくよかった。


のんびり、まったり。

2008-09-30 21:50:45 | 舞台のこと

さて、見学のお話、今日の演目はF's Companyというところの「ツキコイシ」について。

の前に、佐世保だ佐世保。
いや、この演目を見学する前にヤマナビ杯大分対ときお@九石ドーム
(この会社の名前も今日限り、なんか寂しいな)
に行って、その分の高速バスフリーパスを消化するために、
ついでにまだまだ状態悪かったのが残っていたので熊本渡って、
そこから佐世保に流れ込んだことがあった。
そのときの滞在時間が「水曜どうでしょう」という番組のハウステンボス編とほぼ同じ
10分間、ちょうど雨降ってたし、外に出るのも結局めんどくさいなぁと。
というわけで佐世保を味わう暇もなく福岡行きの高速バスに乗った。

さて、今回はある程度余裕もあるし、佐世保を味わうよ。
・・・なんかがさがさしてるなぁ、おい。
  あの糞女がまた流行を存在だけで作ろうとしているよ。
  そんなことする暇があったら本当の「幸せ」つかむための
  「学び」をちゃんとしろよな、できなきゃお前には本当の「幸せ」は来ないぞ。
  とバスの中でうとうとしながらむかついて、それをなだめているともう佐世保。

おなかすいたからコンビニで食料探そうとするが東スポが
目に付いてそれどころじゃない、アルカスという箱の喫茶店で茶でも飲もうか
とてくてく歩いて、軽く佐賀でのサマーミーティングであった人と挨拶して
お茶するにもなんだかな、ということで商店街までまた歩く。
街の真ん中に歴史のあるキリスト教会があるよ。
なんともいえない風景だ、少し横道にそれると海が見えるのですが
今日は重たいんでそこまで歩けない、商店街で休みながらご飯食べられるところを
目指そう、と考えても佐世保バーガー、レタスやトマト入っているから苦手だし、
讃岐うどん、というおなかの状態でもない、というところに見えたのは
「献血ルーム」、そこならジュースとおせんべいで何とかなるし、
血小板とってもらいながら横になってゆっくりできる、間隔も充分。
・・・はい、今日も社会貢献完了。

満ち足りた気持ちでアルカスに行って並んで、初めて雑談して
箱の中に入る。
・・・うあ、演技面のつくりは結構コンパクトにできているというのに
  客席スペースはこじんまりとしていて、そのうしろの空間がたっぷりある。
  なんともはや、贅沢な作りだなぁと驚いてみる。
が、結局はこの空間のつくりが物語を体にしみこませるには最高だった。
お話の中身は寂れた田舎町の寂れたデパートの屋上、
イベント係、といううまくいかなかった人たちの集まり。
学習障害の子と、なんかもがいている元案内嬢、脚本家の夢破れた人、
代表作はあるけれど最近ぱっとしない俳優さん、それをまとめるゆったりした人。
そんなチームが創立記念のイベントをみんなで協力して作ろうとするけれど、
雨が降ったりしてうまくいかない。
学習障害の子は結局、デパートを首になっちゃった、ちゃんと治療して
障害者枠でちゃんと受け入れるところで働けるようになったらいいなぁ。
そんなこんなあっても何とか生きている、ということをうまく表現できている。

見せ方もそのままじゃ、妙に硬くなりすぎるので隠しテーマの「スーパー戦隊」を
利用して所々笑わせてほっとする見せ方ができている。
・・・デパートの屋上でそういうショーを見ているんじゃないのか、という錯覚を
  なんか、感じてしまったのです。
なるほど、だから不用意に広いスペースを「あえて」使っていたのだな、と。
このお話はこういうスペースでこそ生きるお話かもしれない。
普通のある程度まで段を作って、ちゃんとした椅子のあるホールでは
慎重にやらないとお話の本質が壊れる可能性があるぞと。
そこをチェックするために、7月の長崎公演分にも行くべきだったのですが。

プレイヤーも「ハウスショー」でちゃんとキャラクターの削りこみ、磨きこみが
うまくできているなぁ、というムーブやマイムの出来。
このカンパニーはだんだんすごくなってきてるなぁ、そんな見後感。

 


日常生活の中に潜む「狂気」。

2008-09-29 16:38:01 | 舞台のこと

今日も見学のお話。

今回は二番目の庭というカンパニーによる「病気」という演目について。

の前にだな、時間が空いていて、仕事がのしかかってた分ひどく疲れていたから
バスのフリーパス使って長崎でゆっくりしました。
午前中の高速バスでごろごろして、路面電車をスマカ使える車両が来るまで
駅前の電停で待って、乗って、思案橋、丸山をぶらぶらして、こてんゆうという
ちゃんぽん屋を探しては見るが、見つからず、
近くにあったそこそこうまいちゃんぽん屋でちゃんぽんを食う。
こないだの四海楼に比べてとんこつがきついけど、まあ食べられるレベル。
しかしだな、店の空気がちょっとね、変なお香のにおいと本物のぷーある茶の
味に自分が負けました、ゆえに食べた気がしなかったです。
その後、さてお金おろすべ、と銀行行って、暗証番号忘れて、
途方にくれながらバスに乗り、途中で自分の銀行の支店を見つけて
暗証番号の解除を待つ間に番号思い出して、下ろして、一便早いバスで
小倉に向かい、北芸で用事を片付けて三萩野へ初めてバスで行く。

三萩野の交差点行けば、小倉の競輪場を行く道をずんずん行けば
まあ、何とかなるわけで、演目かかる箱もその途中にあった。
下が小さい酒屋の賃貸マンション、古かったのでエレベーターはなし。
えっちらえっちらと階段を上り、あるよ、というところの玄関までたどり着くと
芝居の音が漏れてる、うそ、時間間違えてたかと少しびっくりする。

ん、まあ三萩野うろうろして、ぼおっと考え事して定期便打って、
「もしかして日にち間違えてないよね」と心配になって、無事出来ていたことに
ほっとして、お金払って箱に「おじゃまします」をする。

・・・いや、まあ生活空間そのままじゃないですか。
無理に照明や音響を建て込むことなく、普通の生活空間にある
ちゃぶ台にリクライニングの座椅子、少し古めの洋服たんす。
冷蔵庫だって、流し台だって、ここで生活しているよ、という雰囲気。
で、テレビつけて普通のダラ感あふれる生活を一通り見せたあと
客入れが終わると普通の蛍光灯をぱちりぱちりと消してゆく。

この一連の導入で充分びびりました。
で、真っ暗な中でストーカー君がむちゃくちゃやって洋服たんすの中に隠れる。
そして日常生活が再開。
日常生活でやるように扉を開け、扇風機を回し、着替えて手を洗い、
コップを洗って冷蔵庫からお茶を入れ、飲みながらテレビを付け、一息つく。
そこから恐怖の始まり、別人格が現れてスーツケースにぶち込んだ
死体を風呂場でばらばらにして、(その肉を食べて)手首だけを冷凍庫にぶち込んで
だんだんと狂気に満ち満ちた表情になり、最初は平静を保とうとするが、
部屋をぐちゃぐちゃにして、食べては吐き、食べては吐きを繰り返す。
そう、これはまっとうな人間が間違いを犯して畜生になる瞬間じゃないのか。

で、またストーカー君が「悪魔祓い」という形で聖水巻き散らかして
お札ちぎって破いて火をつけるわ、畜生になった女の子の首を絞めて殺しちゃった。

女の子の関係は同性愛とか双子の姉妹とか見手によってどうとでも判断できる。
三角関係のもつれなのか、抜け駆けがあって殺してしまったのか、ということも
見手によってどうとでも判断できる。
12人しかいない濃厚な空間だからこそ出来る体験だった。


あまりにも、ソドミー。

2008-09-28 20:01:52 | 舞台のこと

疲弊感から少し抜け出したんで、先週、先々週見学した演目のお話を。

まずは、さかな公団というカンパニーによる「スカーレット悲島」からいこうか。

・・・いや、まあ、うかい先生、すげぇわ。
またふるさとの宗像、特に宗像大社から神湊、地の島、相の島、大島に
いるかのような空気が北芸小劇場に出来ている。
そういうような空気感を作り出せるのもひとつの才能なのかなぁ。

箱の作りはこれまた斬新。
真ん中に「神の棲む空間」を置いて、上手、下手に段々畑のように
サブの演技面をとって、平土間にメインの演技面を作っている。

時間の使い方も最近の傾向である
「深深夜枠(25時から28時まで)テレビドラマ」を意識した区切り方。
お話のまわし方も形式的な儀礼を柱に、時系列でなぞを膨らませていく
夜遅くまで仕事して、ご飯食べて、お風呂に入って、一休みしながら
食べ物が消化できるまでの時間に見るとすごくいいだろうなぁ。

お話の中身は近親相姦と、「神を護る人」の世代換えをめぐる
かなりスパイシーで、かなりソドミーなお話。
せれぶってゆうて、いろいろいい気になっている連中も一皮剥いたら
何ですか、自分と「肌が合う」人間は自分の外になく、身内だけだった、
自分と肌が合わない人間は邪魔だから消しちまえ、俺たちはアンタッチャブル、
だから何しても大丈夫だし、という普通に見ればえげつない、
けれど、せれぶにとってはごくふつうのこと。

・・・ああよかった、自分は普通の家に生まれて。

内容はものすごくよかったけれど、それを支える展開の使い方が
ものすごく過剰だった。
照明はひきつけ起こすほどデカデカだし、音響も重低音のロックを
大音響でびりびり響かせるものだからしんどくて、しんどくて。
ここをもう少し工夫してくれたらいいのですが。


ん、まあ、何とか落ち着いた。

2008-09-08 22:58:42 | 舞台のこと

というわけで、先週の見学のお話。

今度新しくできたUNIT RE16Xというカンパニーによる
「Quatttro~私の世界にはいつも彼がいます」という演目。
・・・今までの福岡のカンパニーにはない新しい作風だった。
どっか東京のカンパニーの作風にえらく近いところがあるな。
お話の中身だって、ラジオの売れっ子パーソナリティが事故で死んじゃって、
忘れかけてた約束を果たすために肉体借りてなんだかんだする、という
難しくいえば「輪廻転生」、「功徳は隠れて積むものだ」をおしゃれな設定、
おしゃれな台詞回しで何とか表現できてる。

問題は、その世界観、言葉の広がりを各プレイヤーがものにできるくらいの
力量があまりにも足りなさ過ぎだった、ということ。
キャラクターの理解、言葉に対する理解、背景を流れているものに対する理解、
みんなよくなかったので、結果「根性芝居」になって見にくかった。

次は土曜日、九大の演劇部による「スラップスティックス」という演目。
古きよき時代のトーキー映画にまつわる壮絶すぎるほどの
「プロ根性」全開のお話。
「身を捨てて浮かぶ瀬もある」をはるかに超えた「身を削って浮かぶ瀬もある」と
いうぶっ飛び具合が足りなかった。
これもまた技量がたりねぇなぁと。
あとなぁ、開演後、最初の山場でぞろぞろと徒党を組んで入ってきた
某大学の演劇部、それ意図的行為かな?
ついでに自分の列にいた関係者の親族らしき人、ピコピコデジカメ使いすぎ。
思わず「蛍さんはどこよ」と客席を探すから、しんどかった。

せっかくお金とって人様の前で何かできるわけだから、
少しでも技量を上げる手段として、個人的に北芸やらオフィスが主催する
トレーニングキャンプをうまく利用してくれたらいいな。
特に今度の11月に北芸である絹川先生のトレーニングと、来年あたりに
北芸であるかもしれない陰山先生のトレーニングはぜひ受けたほうがいい。
プレイヤーに大事な「体の遣い方、活かし方が」充分に詰まっている。
金と暇なら何とかなるから、大丈夫。


続・夏の終わりに。

2008-08-28 21:09:44 | 舞台のこと

昨日の続き、行きます。

のこされ劇場三というカンパニーによる「さかのぼれども、青」という演目。

「人生とは水より出でて、山を登り、そして水に戻る」ということを
うまく表現できた、と思う。
前作の「蒲団」のほうが「自分語り」がものすごくひどかったけれど、
今回は市原さんが経験した外の仕事で学んだことと、ドラマドクター、という
「外の目」がきっちり効いていていやみのない「自分語り」になっていた。

その証拠に自分が去年、おととしに経験した「じいちゃん、ばあちゃんの死」の
ことで自分、どんなこと考えて、どういう心持だったのだろう、ということを
自然な形でつらつらと思い出して、えりこねえさんからもらった
「ひとはなにかしら務めを果たして死ぬものだよ」という言葉を改めて実感できた。

だから、湿っぽい感じじゃなく「務めを終えた喜び」を女の子たちが
リズムよく歌い上げていたのかなぁと。

自分のルーツ云々よりも、まずは自分の務めを果たせ、それでいいじゃないか。


夏の終わりに。

2008-08-27 22:22:43 | 舞台のこと

秋の足音が少し早めにやってきた。
ほら、余計なことをするから(以下略。
自分も今日の今頃は東京へ向かう夜行バスの中だったのに。
現実はなかなかうまく回りません、正直悔しいです。

さて、今まで貯めに貯めてた見学のお話をしましょうか。

まずは「謎のモダン館」というカンパニーによる「王(きんぐ)たる者」

この演目は7月に一度長崎で見に行ったのです。
けれど、箱が少し大きくて物語の意味はわかったけれど、
凄みがうまく伝わらなかった。

今回は長崎でやった箱よりかなり小さくて密度の濃い箱だから、
物語の意味も、凄みも十分に伝わっている。
ある駅での待合室での一夜の始まり、という導入部分から、
実はこの駅は「三途の川の渡し場」へ向かう電車の駅だった、
その電車は「どうして死んだのか」ということをわからないと乗ることが出来ない。
三途の川への渡し場にたどり着いても自分の生き方、死に方を
はっきりさせなければ渡し舟にも乗せてもらえない、結構過酷だな、というところを
このカンパニーの持ち味である「言葉遊び」を十分に生かしながら見せている。

で、生前、たくさんの人を苦しめて自分だけいい思いをしていた人が
自分の犯した罪によって三途の川の渡し場にもたどり着かせてくれない、
たくさんの三途の川を渡ろうとする人に引導を渡す仕事を罪の重さに応じて
やらなければ渡し場にたどり着く電車に乗ることが出来ない。
ラスト前、その人はかなりかっこいいこといっているけれど、
行く人の罪よりその人の罪のほうが重かった、故にまたも電車に乗れず、
ラストで開き直りの歌を歌いながらベンチに横になる。
・・・これ、重いですよ。
しかもお盆の真っ只中だからいい宗教教育になっている。

はい、次は「非・売れ線系ビーナス」の「猫大爆発」
世の中の吹き溜まりにいるろくでなしの男と女。
宗教団体らしきところで集団生活をしている。
なんともいえない閉塞感を吹き飛ばすには爆弾テロしかないでしょ、
そこからろくでなしがゆるーく自分を解放して新しい人生を生きる、
という内容。
集中が20分以上続いたことと、色の使い方、箱の使い方に
田坂氏の「演出コンペ」と「クラブ・オブ・アリス」という二つの外仕事で
学んだことが良く出ていた、けれど内輪のばたばた感が少しひどすぎた。

のこされさんについてはまた明日。