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蹴球放浪記

緩まない、緩ませない。
横着しない、横着を許さない。
慌てない、「だ」を込める。

さあ、始まりだ。

2009-02-21 23:41:57 | 舞台のこと

 オフィスの親分が「ポンジュースをぽんプラザにおきたい」という話を
してたので、ちょうど、われらが愛媛の看板スポンサーなので、
愛媛FCにうまくお金を落とす仕組みと絡めてできたらいいな、と考える。
ポンジュースが応援ボトルを作って、それを一定量うちのオフィスが
捌くように仕向けられたらおいしいよな。

 そういうことはさておき、きょうは熊本GKKの初稽古。

 何とか仕事がけりついて、安心して熊本へ。
それでもいらいらしてしまい、刃出してしまう。
県立劇場に寄って、いろいろ変更作業をやって、
女性センターで熊本オールスター「リンコのうた」を見学。

 …前の年の「ビバ、マンマ」の流れを引き継いで、というか
「なぜ、わたしはそうなったのか」というお話。
やっぱり、人間にはそれぞれ、重大な使命があって、
それを果たすためには神様はあらゆることをなされる、という
ことを目の当たりにした。

 それからむらきのねえさんと少し雑談して、宿に戻って、
トレーニングの場所に出る。 
初めてひとつところに集まって、しっかり読むことに。
まずは、自分のアプローチングを出しながら、読む。
…案の定、まとまってない。
一度「壊す」作業に入ることに。
自分のアプローチングを壊して、逆目でやる。
それから少しずつ調整作業。

 次はどうなる。
終わって、いろいろ雑談しながらバンプをきっちり取る。
まあ、いい座組みだ。


一筋縄じゃ、いかない。

2009-02-12 21:42:05 | 舞台のこと

 ケンミンショー、まじおもしれぇわ。

 それはさておき、熊本GKK、意外に骨のあるホンに当たった。
読めば読むほど、奥の深さを見せ付けられる。
・・・単なる「家族のお話」と思ったらやけどしてしまう。
  いかにその奥深さをどう伝えて行けるかどうか、技量が試されている。
  それができるから、ここに呼ばれたわけで、やるしかない。


よんでみる。

2009-02-09 23:04:31 | 舞台のこと
 家だと、集中が切れたときに触れるものがたくさんある。
・・・そういう状況だと「物語」がきちんと体に入ってこない。

 佐世保で詰めなきゃいけない用事もあるし、宮崎遠征で買った
バスのフリーパスも一日余ってる。
高速バスの中は余計な情報が入ってこない「密室」なわけで、
「物語」を効率的に体に入れていくにはちょうどいい場所。
鹿児島、とか長い距離だと少しだれてしまう、というか
その日の晩御飯までには帰れない。
佐世保、長崎だったらちょうどいい塩梅で晩御飯までには帰れる。

 というわけで、福岡から佐世保まで一通り読んで、
佐世保のバスセンターに着いて、あるかすでチケットを仕入れて、
またバスセンターに戻ると福岡行きと長崎行きが並んでる。
読んでしっくりこないから、引っ張られるように長崎行きに乗る。
またさらに読み込んで、「ああ、そういうことか」と勘所をつかんで
カステラ屋で菓子を買って、福岡行きのバスに乗って、
仕上げの読み。

・・・想像以上にかなりえげつない話だ、これは。

 にしてもだ、例の糞女が自分の「身体言語」という
「芸」の「活かし方」に行き詰まって、とうとう「偽」の「人生」を
「本」という「商品」にして「切り売り」し始めたぞ。

・・・例の本、「読んで」と渡されたら、じぶん読まずにゴミ箱ぶち込みますんで。

差はあまりなかった、らしい。

2009-02-02 20:45:25 | 舞台のこと

 福岡フェスの目玉企画、「演出家コンペ」の公開プレゼン審査の結果が出た。

意外、といえば意外、順当と言うと「うーん」という結果。

 例年通り「書類審査」前の「実質応募」がどれくらいかわからないけれど、
去年から一つ多い5つが公開プレゼン審査に進出。

・・・・ ここから先は機密上「少しぼやかして」書いています。・・・・

Aはまあ、チェーホフを「やりなれている」強みが出た。
Bはものすごく「新鮮」な「会話劇」に仕上げてる。
 ・・・ ここまでは見手の自分でもすんなり次に進出と決められる。・・・
Cはとにかくプレゼンの段階で穴が多くてしんどかった、ゆえに「消し」た。

 問題はDとEのどちらを「ふるい落とす」ことになるか。
どちらも「物語」をちゃんとした形で「掘り下げて」理解しようとする姿勢が
十分に出ていたように見える。
方法論は「言葉」を「掘り下げる」か、「言葉」を「身体言語で補う」かという
真逆のアプローチングだったけれど。

 また今年も「次段階に十分な態勢で臨めるか、否か」というところが
ふるい残った、ふるい落ちたを決めたと思う。
去年はプレゼンから公開審査まで3ヶ月、今年は少し余裕があって4ヶ月。
公開審査でフルを求めるのは酷だとしても、8割の仕上がりで来てほしい。
それならば、プレゼンの段階で5割以上の出来を感じさせないとまずい。
・・・ただそれだけ。


また、ばたばたし始めた。

2009-01-31 22:54:50 | 舞台のこと
朝、いつものように起きて、ぼおっとして、
昼過ぎに大橋の南市民センターへ。
きょうは福岡フェスの目玉企画になりつつある、
演出家コンペのプレゼン審査の日。

 また今年も一般審査員という形でスカウティング作業をする。
今年はこれから一緒に仕事をしそうなところが多く混ざっていたので
不思議なくらいやりにくかった。

 まあ、「育てる」という意味ではちょうどいい塩梅だけど、
見手にとっては「枝葉末節」にこだわりすぎる言葉のやり取りに
少しいらいらしてダッシュで外に出て、博多駅までタクシー。
それからJRで熊本水前寺。

 県立劇場企画の選考会に少し遅れて入る。
なんかコミニュケーション・ゲームから入るのかなぁと思ったら
「戯曲講読講座」の前半戦のようにチーム組んで組み立て。
それから一本やって、面接という名の都合聞き。
日程にきちんと合わせられるように努力はします、としかいえない。

終わって、迷いながら宿に入り、お風呂に入って、
桂花でご飯食べて無線LANに苦しんでこうしてお話を書いている。

・・・まぢで疲れた。 

「白い博学」と「黒い博学」。

2008-12-15 20:23:53 | 舞台のこと

・・・果たしてわたしはどっちだ?

NTRのマヤさん追悼号で気になる表現が。
「白ぺだん」と「黒ぺだん」というところ。
おにいちゃん、前提としての「ぺだんてぃっく」という言葉の意味を知らない。
というか、その言葉が体にしみこんでいない。

その後の言葉で「自分が身につけてる知識をどう使うか」ということの違いらしい。

「白ぺだん」というのは自分の博学さを「他人をよき方向に導く」ため使うこと。
逆に「黒ぺだん」というのは自分の博学さを「他人を貶める」ために使うこと。

何でこんな言葉を思い出したか、というと最近また沈静化してた
例のサイトでの「カンパニーの新しい試みに対する過度の非難」が
また酷くなってる。
T親分のように「自分の立ち位置」がきちんとあって、
「立ち位置」から出た言葉だからこそ、「辛い評価」も意味がある。

で、例のサイトで「辛い評価」らしきものをまた連発してる連中は
「自分の立ち位置」はどこにあるのだろう。
ただ自分がたくさんのいい物を見て、勉強してきたことを自慢したいだけでしょ、
「こういうものでなければいけない」というものがあって、そこに合わないものは
徹底的にこき下ろして「貶める」ことがただ大好きなだけで。
・・・これって、「黒ぺだん」そのものじゃないですか。

自分、「黒ぺだん」という態度にものすごい嫌悪感を感じていたのでしょう。

たかが演劇、されど演劇。
たかがサッカー、されどサッカー。

もしかしたら、「灰ぺだん」なのかもしれない、わたしの立ち位置は。


茶碗の中にある「宇宙」。

2008-12-04 00:38:09 | 舞台のこと

そういうことを改めて感じさせることができるのが茶道の凄み。

というわけで「劇団衛星」という京都のカンパニーによる
珠光の庵」という演目の話でもしましょうか。

この演目を福岡でもやるよぉ、という話を一年前から聞いて、
というか、このカンパニーの演目で「大陪審」という今のニュースに
すごく合った観客参加型の舞台があって、それを北芸まで行って見に行くぞ、
ネットで予約して、お金を銀行振り込みで入れて、e-チケットだから
メールでIDをもらって、さああとは行くだけ、次の日は西鉄で飛ぶ劇だ、
と思ったら、自分も憎んでいて、相手も自分を憎んでいた母方の祖母が
前の日にぽっくり逝って、通夜、葬式だよ。
「邪魔しやがって、ああ腹が立つ」ともやもやしてたのをまた思い出した。

そんな話はこっちにおいといてチラシを初めてぽんプラザのオフィスで
見たとき、正直、出遅れたか、とびびってしまった。
「一日二回公演のみ、一公演あたり25人限定、会場電話のみ申し込み、
 希望者多数の場合は抽選」と自分にとってハードルの高すぎる内容。
けれど、行きたいんだから仕方がない、勇気を振り絞って電話する。
あとは神様が自分に必要とあらば来い、というし、必要でなければ
来なくていい、というわけで。
結果、神様が自分に必要だから来い、という連絡をもらい、
お金を入れて、あとは行くだけ。
(あとからカンパニー経由でメールによる申し込みもできる、と聞いたがまあいい)

当日は家から自転車でゆっくりと行く。
箱が昔、玉屋というデパートの社長さんが作った住居兼茶室を公園として
整備して、「日本文化を伝える」空間になっているものだから
庭がすごくきれいで、実際に使っていた茶室も手入れがすごく行き届いていて、
ああ、このまま何時間も何も考えず、この中でぼけーっとしたいなぁ、
この空間に自分の体全部を溶け込ませたいなぁ、と思っていたら、
「準備ができました」と案内が来て、公演「空間」に入る。

・・・空間のつくりがすごくうまい。
いろいろ「習字」で書いたものがあちこちに張ってあってとくに「貞治、お疲れ」は
つぼにはまった、そんなのを眺めて緊張をほぐすとどこからともなく
プレイヤーが表演部にやってきて「場を暖める」ムーブマイムを始める。

お話の中身は室町時代半ばから終わりらへんのものすごく退廃していた時期、
京都で流行の「闘茶」をお寺でこっそり「開帳」していたところから始まる。
(この時代から「お寺」と「博打」は切っても切れないものなのですね)
茶道の心得のある上の妹に後日その話をすると「茶歌舞伎」ということを
言っていたが、まあいいや、その賭場が開帳してから勝ちっぱなしのなぞの男。
来る者来る者お金を巻き上げられ、とうとう仕舞いには胴元までもすってんてん。
困った胴元、「闘茶の達人」村田珠光を呼ぶことに。
・・・これがまあ、嫌味なくらいかっこいいのですよ。
「俺様は勝負に飽きたけれど、どうしても、というから来てやった」感が
すごく出ていて、なぞの男に「ずっと茶を飲み続けていたから
味覚も麻痺しているだろう、何ならここにまとめて茶を出してすべて当てて見せよう」
と半ば挑発してすべて当ててしまい、なぞの男が将軍様だと正体までばらす。

しかし、こんなすさんだことやってたらくたびれるし、もやもやはたまる。
で、困った珠光は胴元であるお寺の和尚、一休禅師に教えを請うことに。

ここから、プレイヤーと観客のグルーヴ感が一気に高まってくる。
「禅の本質」である「宇宙と私」、「私と宇宙」の距離感が話を追うごとに
激しく動いてきて空間の陰翳の使い方もあるけれど、すべてが一体となってくる。
すべてが一体となったところで、みんな一緒に座禅を組んで、
道が開けた、「宇宙と私」、「私と宇宙」を確かめるための「道具」として
「茶」というものを使う、そのやり方を考えたから、という展開でみんなで茶を飲む。
本当に茶碗の中にある茶を通じて「私」と「宇宙」がつながっていた。

京都の文化がなせる演劇を見せていただいた、という見後感。


天神の歴史は西鉄の歴史。

2008-12-01 20:34:10 | 舞台のこと

ということなのでしょう。

ギンギラ太陽’sというカンパニーによる「天神開拓史」を見て、
そのことをさらに強く感じた。
期間中、昔の福岡の絵地図がロビーにかかっていて、「純粋な」福岡市は
きちんとした密集のイラストが入っていたけれど、そこから少し外れた
旧筑紫郡、早良郡、糸島郡、糟屋郡の一部を「合併した」部分は
何も書いていない、ただ未開の地という扱いだった。

ぼおっと福岡の町の成り立ちを思い出していると、
いつものように開演前の「バス軍団」による記念撮影会兼
「客をいじって空気を暖めよう」大会に突入。
いつもは上段とかでそういったいじり、いじられを眺めていたけれど、
今回は何の因果かぴあのプレオーダー、配席されたのは平土間サイドの
「準客いじりゾーン」、平土間センターの「客いじりゾーン」はカンパニーの
先行予約らしい、これ今回の発見。
通路際なものだから、なんというか、バス軍団から頭突きかまされぇの、
会話のバンプとって取られてをやってお話しに入る。

天神、という町ですら、一歩離れたら田んぼ以外何もないところ、
それを九州一の大都会にまで「育て上げた」西鉄は偉大だ。
そこまでにたどり着くには「赤字」という恐怖、「先進性を続ける」という恐怖、
あとやっかみだ、なんだいろいろあったよね、というお話を箱いっぱいに使って
お客さんの集中を切らせない工夫をちりばめながら見せている。
さらに、「戦争は愚かだ」というメッセージを隠し味に効かせて、
「栄枯盛衰」という教訓的なものも加えてきちんと見られるお話になっている。

あの後、「西鉄名店街」が「天神コア」になって云々、のお話とか
路面電車がなくなって、ライオンズがなくなって、福岡の文化がなくなって、
とかいろいろな話が動いていくのですが、続きは次回の講釈で。


さてと、さくさく行くよ、さくさく。

2008-11-26 20:53:57 | 舞台のこと

いろいろしんどい状況があったんで少しおいてた見学のお話を。

まずは「演劇関係いすと校舎」というカンパニーによる
メガネの人、将棋の人。」という演目。

北九州で「スローペースの演劇」をやってるカンパニーがある。
しかも自分の住んでいる家を改造して箱まで作っている、それだけでもすごい。
というわけで一度見てみたかったな、と感じていた。
今回、自分が見に行った箱はそこではなく、八幡、というところの
昔、銀行だった建物がアートスペースになったところでの公演だったけれど。
その場に自分が降り立ったのは、何年ぶりだろう。
・・・まだあのころをいい意味で振り返るには時間がかかりそうだ。

しかし、いい箱を選んだものだ。
そして、箱の形をうまく「物語」に合わせている。
まるで「ちょい伝統校」にある、倉庫兼多目的教室らしきものに
段を作って、椅子を据え付けて、その中の様子をお見せしました、という出来。

お話の中身はそのちょい伝統校でまったりやってる将棋部での
たわいもない青春物語。
あんまり将棋に青春かけているわけでもなく、放課後、暇で暇でたまらない。
けれど、外でぶらぶらするところはないし、日が暮れるまでどっか集まって
暇でも潰そうかぁ、という空気ができている。
そこに定番の甘く切ない恋愛、というものを効かせて、
さらに「メガネからコンタクト」への「変化」という仕掛けを使って、
女の子が「こどもからおとな」へと少しずつ変わっていく切ない空気までも
秋の始まりから冬の始まりの温度感まで再現している。

自分にとって、そういったものを感じたことがなかった分、
うらやましくもあり、切なくもあり、でも懐かしくなった。


せつねぇなぁ。

2008-11-25 20:47:37 | 舞台のこと

いつものように報告書出して、あいさつ回り行って、
オフィスにご機嫌伺いに出る。
NTRの最新号が出たよぉ、というから一度パラパラしておかないと。

マヤさんの追悼特集だったからなおさら。

最初はクロサイのかわはらさんときららのいけださんと
アントンの人とわだちの人の座談会。
・・・そういえば、こないだ、8月の小倉ではご迷惑をおかけしました、と
 ぽんプラザでいけださんに頭下げて、いつものようにご機嫌伺いして 
 帰りのエレベーターに乗ったとき、かわはらさんが降りてきたのは
 そういうことだったのか、と合点がいく。
 きらら版「星の王子さま」の装置についての話し合いだったかなぁと
 最初は思っていたけれど。

本当にすごか人だった、と感じさせる内容。
「高いレベルの学びをいとも簡単にやってのけて」、
さらにその才を福岡の舞台芸術にすべて捧げて、
いや、捧げつくしての人生だったのですね。
・・・真似できねぇよ、じぶん。
それでも、じぶんなりに工夫してアプローチングするけれど、
まだまだ足元にもおよばねーや、もっと修練と鍛錬をやらなければ。

その修練と鍛錬をするにしても、自分の状況が嵐のようになって、
行きまくることがうまくできやしない、体かお金、その両方がいろいろあって
辛くなって、調子を崩してしまう。
まあいい、自分なりにやるしかない、やるしか。