鹿児島市の司法書士喜山修三のブログ

相続や売買の不動産登記,会社設立や役員変更,債務整理,成年後見等を業とする司法書士事務所の所長の法律や日々の雑感を掲載。

椎名誠氏講演会in鹿児島

2009年11月29日 | Weblog
 日々の暮らしの中で「楽しみにしている日」があるのはいいことだと,つくづく思う。
 
私にとっては,11月28日というのが「楽しみにしている日」でした。そうですあの,椎名誠氏の講演会が,城山観光ホテルのエメラルドホール(エメラルドホールですよ)で開催されました。しかも入場料がただ。テーマは『世界はまだまだおもしろい 食べ物を中心にして』でした。

 開演50分前到着。通常せいぜい10分目にしか会場に行かないのですが,指定席でないというのと,できるだけ近くで聴きたいとの理由で,早めに行きました。

 約束の時間に登場した生椎名氏,顔が日に焼けて赤銅色になっており,精悍な顔つき。私より一回り上の世代であるにも拘わらず,髪の毛がふさふさしていて,とても60代半ばには見えません。しかもスリムである。

 話し方も穏やかで,紳士的である。文体から受けるイメージとかなり違います。しかし,考えて見れば氏は作家であり,落語家や漫才師ではないのだから,テンションが高くないのは当たり前の話である。

 話は一昨日に行ったという,網走のローソンでの話からお酒の話に移る。ビールと呼ばれるお酒の定義や醸造酒と蒸留酒の作り方,さらにオジサンやオバサンが足で踏んづけてワインを作る話から,次第にエスキーモーの話に移って行きました。

 公演が始まって30分頃からは,氏の表情も大分柔らかくなり,段々文体と一致してくるから不思議です。
 「エスキモー」という言葉は民族を指すのではなく,生肉を食べる人という意味の言葉であり,「イヌイット」というのが民族を指す言葉であることを知りました。いや,そういえばどこかで聞いたことがあるような。

 イヌイットがアザラシを仕留めてすぐに解体するのは,直後なら(体温が残っているから)素手で解体できるが,時間が経つと凍り付いてそれができなくなるからである。

 シベリヤやアマゾンには,トンボの様な蚊(おまえは蚊かと言いたくなうような蚊)が群れをなして飛び回る時期があり,シベリアでは油断して幾重にも顔を蚊に刺されたこと。

 コブラは心臓をとっても,動き回り,さらに15センチほどの長さに切り分けてもまだ動き回っている話など珍しい話にこと欠かない。
 
 中でも,氏が是非伝えたかったのは,水は無尽蔵にあるものではなく貴重な資源であり,水の管理を外国人に管理させるような事態は避けなければならないことと,長良川の河口堰のダムのようにダム建設は単なる金儲けの手段に利用されており,ダム建設は大切な川の形を変えてしまう,ということだったのでは。
 
 公演終了後,会場で購入した『新宿遊牧民』にサインをして貰い,握手をしたのですが,ごつごつとした男らしい手でした。できれば,氏のように世界各地を旅して回りたいと考えるのは,聴講者の共通の「思い」「想い」「願い」では・・・

 
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郷ひろみ さん

2009年11月29日 | Weblog
 椎名誠講演会を聴きに城山観光ホテルに行きましたら,ロビー中程に見覚えのある顔のポスター。

 なんだ,郷ひろみさんではありませんか。相変わらず黒々としたした髪に,引き締まった顔立ち。

 一度も会話を交わしたことはないのですが,テレビを通じて何度もそのお顔を拝見し,ときにはコンサートで直に見ているので,何だか知人の様な錯覚を覚えます。

 「クリスマスコンサート頑張ってネ」と(心の中で)思わずエールを送ってしまいました。
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超ポジティブ思考

2009年11月26日 | 心のもちよう,思い出
先日,NHKのラジオ放送で聞いた話です。しかも再放送だったのですが。

 大谷さん(全国骨髄バンク推進連絡協議会会長)は,千葉大学の大学院生のときに,慢性骨髄性白血病と診断されました。当時に当時の医療技術では,骨髄移植だけが,慢性骨髄性白血病の唯一の治療法だったそうです。

 骨髄移植の適合者としては,通常兄弟姉妹が多いのそうですが,大谷さんの場合は,残念ながらお姉さんが適合しなかったそうです。そこで骨髄提供者を必死に探したところ、奇跡的に母親と骨髄の型が一致することが判明(DNAが一致しないといけないので,通常は両親というのはあり得ないそうです)。

 しかし,移植手術の成功の可能性は1パーセントしかなく,7人の医師団の中で6人が反対し,残り1人の医師も賛成はしなかったとか。大谷さんのお姉さんが「1パーセントも可能性があるじゃないですか」というと,医師が「お姉さん,1パーセントしかないんです」説明したそうです。

 それでも,大谷さんはお姉さんの言葉に後押しされて移植手術を受けることを決心し,その手術が見事成功したという話でした。成功の確率が1パーセントの手術です。

 普通の人なら,「1パーセントの可能性しかない」というところを,「1パーセントもあるじゃないですか」とのいい方は,超ポジティブ思考と言えるか。あるいは無謀というか。

 そのとらえ方はひとそれぞれでしょうが,大谷さんがある意味強運の持主だったことは,間違いないでしょう。
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座席番号を搭乗口と間違える

2009年11月24日 | Weblog
 以前,知人の友人が,他人様の車を自分の車と間違えて(車の色も違ったそうです),鍵を突っ込んで開けようとしたという話を聞いて,ドジな奴と思ったのですが,人ごとではなかった。

 今朝伊丹空港で,鹿児島行きのJALに乗るために10Eの搭乗口に向かいました(研修会の帰りです)。私が入った出発ゲートからかなり歩くので,「遠いなぁー」とは思ったのですが,どこの空港でも鹿児島行きは端っこにあるので,そんなもんかと思いながらテクテク歩いて行きました。

 搭乗口の10番についたのですが,どうも様子が変です。窓の外を見ると青色のANAの飛行機ばかりで,次の搭乗手続きの行き先が「羽田」になっています。 

 「鹿児島と羽田が同じ搭乗口ってことはないよな。おまけにANAばかりだし。しかし間違いなく10番だよなぁ」と思いながら,係員の女性にチケットを見せながら「ここは10番搭乗口ですよね」と訊くと「ここはANAですから,JALは北側の建物になります」との返事。

 ガ~~~ン。そうです鹿児島では,JALもANAも同じ搭乗口ですが,伊丹では,搭乗口はおろか建物さえも違うのです。そういえば空港バスから降りたときに,これから乗る飛行機がJALであることを確認し,JALの建物行ったっけ。
ン~~~ン~~ン,わずか30分程前の行動なのに。

 ではどうしてそんな過ちを犯したか。先ず,お土産を買った後にプラプラ歩き回ったので,知らないうちにANAの建物まで来てしまったこと。次に本当の搭乗口は「23B」だったにも拘わらず,座席の指定番号「10E」を搭乗口と勘違いしたことです。

 やれやれち思いながら,それから24Aの搭乗口まで,肩で風を切りながら颯爽と歩いて行きました。イヤハヤ二枚目は,同じ間違いをしても格好いいから,様になります(誰のことだろう)。

 皆さん,座席番号と搭乗口をくれぐれも間違わないようにご注意下さい。それともこんなドジな間違いをするのは,私だけでしょうか。
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新焼酎

2009年11月20日 | Weblog
 昨日妻が買ってきたボージョレヌーボーを,妻とつまらなさそうにと飲んだというのはジョークで,楽しく飲みました。話題のペットボトル入りの奴です。

 ワインも,美味しいのですが,やはり鹿児島県人,少し飲んで,いつもの焼酎のお湯割りに転換。もうたくさんは飲めないので,気に入ったものだけを飲まなくては。

 こちらは新焼酎「夢尽蔵 安納」。やはり,ヌヴォーです。ほのかな芋の香りがうまい。 

 ウィキさんによると,ヌヴォーは当地の農民が収穫を祝ったのが始まりとされるそうですが,新焼酎は,何がきっかけだったのでしょう。
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お茶に黒砂糖

2009年11月18日 | Weblog
 とある本によると,当時の薩摩ではお茶に黒砂糖を入れて飲んでいたが,大久保利通は玉露茶にも黒砂糖を入れて飲んでいた,とあります。

 私は,紅茶に砂糖を入れて飲むことはありますが,お茶に砂糖を入れて飲んだことはありません。でも意外と美味しいかも。

 変な趣味と言うば,私の大学時代の友人は,ご飯にファンタグレープや牛乳をかけて,茶漬けならぬ,ファンタ漬けや牛乳漬けご飯を食べていました。本人は「美味しい」と言っていたが,私にはちっとも美味しそうに見えませんでした。

 以来,ご飯にファンタグレープをかけて食べている人を目にしたことはありませんが,中には,人に言えない○○漬けを楽しんでいる人もいるのでは。

 人の好みは千差万別ですから,奥が深~~~い。


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池袋で結婚式

2009年11月17日 | Weblog
 かつて,青江美奈が♪夜の池袋~♪と歌っていた曲がヒットしていましたが,その池袋に生まれて初めて行って来ました。池袋のホテルで開かれた姪の結婚式に出席するためです。

 西口にはそれほどの人はいなかったのですが,東口はもの凄い人数。まるでお祭りかコンサートの帰り道みたいに人で溢れていました。やはり経済発展の源は人の数でしょうか。

 結婚式はホテルの教会で行われたので,親族をはじめ多くの友人も出席することができました。日本人の宗教観は?などと難しい話はしません。

 新郎新婦ともの20代半ばとあって,披露宴は大変賑やかなものでした。先ず流れる曲が,普段テレビで耳にしている様な新しいもので,隠し芸も多くの友人が参加して賑やかである。イヤーおじさんは(まさしく,叔父さんは)びっくり。
 
 その会場の様子とは裏腹に,花嫁の父が(兄が)淋しそうに見えたのは,私の思い込みだだったのだろうか。

 これで姪の結婚式には3回,甥の結婚式には1回参加したことになります。私の頭髪が少しずつ薄くなるのは仕方ありません。運動会が終わって高鬼をして遊んだことがつい昨日のことのように思えますが。
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妻のツマラナイ夢

2009年11月14日 | Weblog
 女というのは,どうしてこう起こり得ないことを考えるのだろうと不思議に思うことがある。

 今日も,もしたくさんのお金があったらどうするということを妄想ししていた。「先ず脂肪吸引をし,美味しいものを一杯食べて,また脂肪吸引をする」と言う。

 アスカに乗って世界旅行に行きたいというのなら,夢を共有できるが,「夢が脂肪吸引とご馳走を食べることでは・・・トホ」

 あんたはお金がたくさんあったらどうしたい,訊くので「おまえと二人でいたい」と応えておきました。

 そんな妄想する時間があったら,○○をすればいいのにということは,言わぬが花である。
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フロールヨハン生徒作品展

2009年11月13日 | Weblog
 鹿児島市にあるブリザーブドフラワー教室「フロールヨハン・フラワー研究会」の生徒さんたちの作品展が、9日月曜日から13日金曜日まで城山観光ホテルで開かれています。

 ブリザードフラワーとは花の水分や樹液などを抜き去り、その代わりに人体に無害な有機物を花に染みこませて作られるので,もっとも美しく咲いている状態を維持している花です。

 ミニ講習会も開催していて,20分程度でクリスマスやお正月に飾る花束を作ることができるそうです。家元が,北ロータリクラブ会員の安田宏子さんですから,素敵な作品ができるのでは。

 チャリティ販売も行っていて,児童養護施設へ浄水器を寄贈する予定になっているそうです。 ブリザードフラワーやチャリティに興味のあり方は,足を運んでみて下さい。見学だけでも歓迎してくれると思います。
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事業承継でハッピーリタイアする方法(泉正人著)

2009年11月12日 | 
 一般的には,事業承継といえば,相続税対策は,株式は,遺言は,遺留分は,というように大変堅いというか,きな臭いというか,ややこしいイメージがつきまとうのですが,この本はそういうイメージを一新します。だから,ハッピーリタイア?

 国際弁理士として社員6人の弁理士事務所を経営した,著者のお父さんの事業承継にまつわる話です。

 ややこしい相続税や株式の話に入る前に,「仕事が命だ」と頑張って来た経営者に,事業承継の話をどのように切り出せばいいのか,大変ポジティブなヒントを与えてくれる本です。

 ややこしい相続税の話ももちろん大切ですが,それより何より,前向きな気持ちで,事業承継をしようと決心できるのが一番大切なことかもしれません。

 この本を読んで初めて知ったのですが,著者のお父さんは鹿児島県の出身で,10歳の頃に戦争で父親を亡くし,著者のお母さんが大島紬の機織りをしながら,お父さんと妹さんを育ててくれた,とあります。

 ん~~~ん~~ん,このような話を聞くと,まるで親戚のような,親しみを感じてしまいます。

 ということで,事業承継に興味のある方は,是非ご一読下さい。
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奄美自立論(喜山壮一著)

2009年11月11日 | 
奄美自立論

 県外の方と明治維新のことが話題になりり,あまりにも鹿児島のことを知らないで恥ずかしい思いをしたことは一度や二度ではありません。

 明治維新のことは歴史の教科書にも掲載されされるし,また明治維新のことを書いた歴史書や小説は,枚挙にいとまがありません。にもかかわらず・・・

 ところが奄美の歴史を書いた本は,明治維新のことを書いた本に比べれば極端に少なくなります(元々比べるのが無謀かも知れませんが)。

 そんな状況にあって,与論島で生まれた著者が奄美の歴史について渾身の力を込めて欠きました。

奄美の歴史や奄美について興味のある方は,是非ご一読下さい。「温故知新」奄美の歴史を知ることは,奄美の将来を考える上できっと役に立つと思います。

 著者は喜山喜山壮一君。姓が示すとおり,壮一君は私の従兄弟です。工学部出身の彼がこのような本を書いたのは,本好きの叔父の影響でしょうか。

 南方新社から好評発売中です。 

 
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安納芋とケラジミカン

2009年11月10日 | Weblog
 自身が与論島出身ということもあり,島や島の産物に興味があります。

 安納芋は,種子島産の芋で大変甘みのある美味しい芋です。先日種子島に行った折りにお土産に買って来ました。

 種子島では,安納芋で作った焼酎,『しま甘露』を呑みましたが,香りが良くとても美味しい焼酎でした。

 一方蜜柑は,ケラジミカンといいわれるもので,強烈な柑橘類の香りのするミカンです。味は,温州ミカンほど甘くはありませんが,程よい甘さで野趣に富む美味しい蜜柑です。こちらは喜界島産です。 

 安納芋を食べたことのある人は,ブログ読者の中にもいらっしゃると思うのですが,ケラジミカンを食べたことがある人が,果たして何人いるでしょうか?




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ゴルフの練習方法~孫正義氏の場合~

2009年11月09日 | Weblog
 以前,80台で回るある会社の社長が「入院したときに何かをマスターしようと考え,一月間ゴルフのビデオを見続けたら,ゴルフが上手くなった」と仰っていましたが,孫氏の場合も同じ方法です。

 孫正義氏とは,あのソフトバンクの社長のことです。以下PHP BUSINESS THE21からの抜粋です。

 「孫子はゴルフを始めて間もないころ『誰のフォームがいちばんきれいか』と周りから聞き出し,プロゴルファーのビデオを毎晩就寝前に見続け,共通項を見つけ出した。そして1年目でスコア90台,2年目で80台,3年目で70台の目標を定め,達成する。」
 
 凄い集中力です。その気になれば,プロテストも合格できるのでは。

 練習場に行くには,時間もお金もかかりますが,ビデオを見るだけならすぐに始められます。問題は,どれだけ集中し,何日間続けることができるかですネー。
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柿とフォーク

2009年11月08日 | Weblog
 
 飲み過ぎた日の朝は,気力がなく世紀末の気分で目覚めるのですが,今朝はその反対でとても爽やかな目覚めでした。

 テレビを見る時間も惜しく,朝から打ちっ放しに行って来ました。

 でそんな日曜日の昼食後,妻が柿をむいてきてくれたのはいいが,爪楊枝が添えられていました。

 「俺は,チャンとしたフォークで食べたいから,フォークを出してよ」と言うと

 「洗うのがめんどくさいから,これで食べなさい」との返事。

 「何がめんどくさいね。おまえの話を聞く方が1億倍くらいめんどくさいが!」と言い返したら,怒れれてしまいました。

 大和撫子って,神話でしたっけ? 
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秋の散歩道

2009年11月06日 | Weblog
 先日散歩をしていると,クスノキの枯れ葉が歩道に落ちて,歩く度にカサカサと乾いた音がしました。と同時に,突然中学時代の学校からの帰り道の風景が蘇ってきました。

 記憶とは不思議なもので,ふとした景色や音楽,あるいは音や匂いや手触りや色などで昔の記憶が鮮やかに蘇ることがあります。

 そしてその蘇る記憶は,何度も蘇るものもあれば一度きりの場合もあります。何度も蘇る記憶は楽しい出来事がほとんどで,悲しかった記憶や恥ずかしかった記憶はあまりありません。

 私が中学校三年生の時は,帰り道が同じで,仲の良かった友人と3人一緒に変えることが多かった。

 昭和40年代半ばの鹿児島市の歩道は未だ舗装されておらず,冬の乾いた季候では,強い風が吹くとホコリの舞う牧歌的な街でした

 冬になるとプラタナスの葉っぱが歩道に落ちて,その葉っぱの上を歩くとカサカサと乾いた音がしたものです。

 街ではシューベルトの『風』は流行っていたときで,その歌の♪ちょっぴり淋しくて 振り返ってもそこにはただ 風が吹いているだけ♪というフレーズが心にしみました。

 そのとき一緒に帰ったM君とGさんとは,大学を卒業してからはほとんど会ったことがありません。元気でやっているだろうか。

 
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