演題が「今を生きる力」とする五木寛之の講演会がありました。
私にとっての五木寛之さんは,「青春の門」「風に吹かれて」「ゴキブリの歌」「大河の一滴」の作者であり,大塚博堂の歌で♪あなたに借りた 五木寛之 返すためにだけ 借りた本です♪と歌われた作家でもあります。
五木寛之さんと渡辺淳一さんの言葉は,乾いた砂が水を吸い込むように,私の感性に自然と染みこむので,反論することを忘れてしまいます。そう,一歩間違うと盲信の可能性があります。
私自身,五木さんの幾冊かの本を読んでいます。かねてか「機会があれば是非会って見たい」と思っていた作家の一人ですから,願い事の一つが叶った感じです。願えば叶うでしょうか。
昭和7年生まれの五木さん(申年で干支が私より二回りも上なんです)は,背筋を伸ばして凛とした姿勢で,90分間よどむことなく講演をされました。これにはホントびっくり。
一緒に行った母が「頭がいいがぁー,私もあの人の10分の1でも脳みそがあれば良いのに」とつぶやいていました。
話の内容は,秘密です。というのはジョークですが,やはり五木さんが本で書かれていることで,今がどのような時代で,その時代を生きていく姿勢について話されました。なので,詳細は『親鸞』を初めとする五木さんのここ20年?くらいの本をお読み頂ければ,と思います。
講演内容は,演題から想像した私の予想と大まか一致していました。逆にいうと,本に書いていることと違うことを話す筈がありません。では,何故わざわざ時間を費やしてまで講演会に行くのか。
それは,本を通して著者と会話をしているので,「会いたかった」という一言に尽きます。本を読んで,あるいはラジオで話を聴けば聴くほど会いたいという想いが募るのではないでしょうか。恐らくそういう魅力を持った作家です。
背筋を伸ばした凛とした姿勢は,「何時間歩いても平気」だということを,ごわごわした髪は「半年に一度(最近は季節に一度)しか洗わない」ということを容易に想像させるので,読者としては「本に書いていた通りだな」なんて,訳もなく納得したりするものです。
ホント,何だか,初めてお会いした(見た?)という気がしませでした。機会があったら,また行きたいものです。
私にとっての五木寛之さんは,「青春の門」「風に吹かれて」「ゴキブリの歌」「大河の一滴」の作者であり,大塚博堂の歌で♪あなたに借りた 五木寛之 返すためにだけ 借りた本です♪と歌われた作家でもあります。
五木寛之さんと渡辺淳一さんの言葉は,乾いた砂が水を吸い込むように,私の感性に自然と染みこむので,反論することを忘れてしまいます。そう,一歩間違うと盲信の可能性があります。
私自身,五木さんの幾冊かの本を読んでいます。かねてか「機会があれば是非会って見たい」と思っていた作家の一人ですから,願い事の一つが叶った感じです。願えば叶うでしょうか。
昭和7年生まれの五木さん(申年で干支が私より二回りも上なんです)は,背筋を伸ばして凛とした姿勢で,90分間よどむことなく講演をされました。これにはホントびっくり。
一緒に行った母が「頭がいいがぁー,私もあの人の10分の1でも脳みそがあれば良いのに」とつぶやいていました。
話の内容は,秘密です。というのはジョークですが,やはり五木さんが本で書かれていることで,今がどのような時代で,その時代を生きていく姿勢について話されました。なので,詳細は『親鸞』を初めとする五木さんのここ20年?くらいの本をお読み頂ければ,と思います。
講演内容は,演題から想像した私の予想と大まか一致していました。逆にいうと,本に書いていることと違うことを話す筈がありません。では,何故わざわざ時間を費やしてまで講演会に行くのか。
それは,本を通して著者と会話をしているので,「会いたかった」という一言に尽きます。本を読んで,あるいはラジオで話を聴けば聴くほど会いたいという想いが募るのではないでしょうか。恐らくそういう魅力を持った作家です。
背筋を伸ばした凛とした姿勢は,「何時間歩いても平気」だということを,ごわごわした髪は「半年に一度(最近は季節に一度)しか洗わない」ということを容易に想像させるので,読者としては「本に書いていた通りだな」なんて,訳もなく納得したりするものです。
ホント,何だか,初めてお会いした(見た?)という気がしませでした。機会があったら,また行きたいものです。