ギリシャからの手紙を頂戴したのは、数日前だった。〇〇〇からの手紙といえば、カナダからの手紙である。しかし、令和の時代に♪ラブレターフロムカナダ♪というメロディを、くちずさむことができる人が果たして何人いることか。
ギリシャからの手紙もカナダからの手紙も、いずれも中身は遺産分割協議書である。
ギリシャからの手紙は、ギリシャに在留している日本人からのもので、ギリシャの領事館に行って認証文を貰う予定になっていた。。
カナダからの手紙は、カナダ国籍を取得した元日本人からのもので、カナダの公証人が認証する段取りになっていたので、認証文を訳すことができるかが不安であった。
しかし、中身を見てびっくり、英文とその翻訳文である日本語の文章も添えられていた。なんと日本語の読み書きができる公証人であった。辞書を片手に英文を翻訳しなけらばならないと覚悟していたが、その予想は覆された。思わず「ラッキー」と言ってしまった。。
そう言えば昨年は、台湾の戸籍が必要な相続登記も経験したが、鹿児島にいる日本語に堪能な方が、台湾の会社に翻訳を頼んでくれたので、なんとか登記を終えることができた。台湾の戸籍は漢字で書かれているので、内容は「ぼんやり」は読み取れるのであるが、あくまでもぼんやりであり、翻訳文がないと。内容を理解するのは不可能である。
海外がらみの登記は、話題としては面白いが、やっている最中は、それこそ必死である。
そこで、私のような平凡な司法書士は、とてもシンプルな相続登記でありますようにと思うのである。シンプル イズ ベスト(これも古いか)、言いたくるが、海外がらみの登記はとても、興味深いものである。
どのような形式の認証文が来るのか、又難しい漢字で書いてる台湾の戸籍も何が書いてるかを注意深く読んでいく作業は、苦労も多いが、戸籍の記載事項を知ることは楽しいことでもある。何よりも登記が完了したときの依頼者からのお礼の言葉が嬉しい。知る楽しみや、お礼の言葉があるから司法書士を続けられるのだと思います。
先日ギリシャから手紙が届いたが、その切手の図柄に驚いた。
オールが何本も伸びている昔(1世から5世紀頃???)の舟の絵で、その舟には目が描かれている。色も明るく、いかにも外国の異国の切手だと思った。
私も小学5,6年のころ切手を集めたいいたので、外国の切手を何度も眺めていたが、イギリスやフランスなどヨーロッパのものだったと思うが、確かな記憶はない。
そういえば、昨日、山下清展で昭和39年に開催された東京オリンピックの切手を見つけた。会場の説明書きによると、山下清も東京オリンピックの切手が好きで、何枚も収集していたそうだ。あのチャフフスカが平行棒で演技をしているものもありました。
ギリシャの切手を観て、また蒐集してみたいなぁ、という思いがよぎりましたが、少年の頃のような熱い気持ちにはなれないでしょうね。
でも、山下清と同じ趣味があったことが分かって、少し嬉しくなりました。
今から数年前、捜索願を出されていた山下清が、昭和29年1月に発見されたのが鹿児島だと知って、「山下清が鹿児島のどこに行ったのかを知りたくて」山下清関連の文庫本を数冊読み、そして画集を何点か観た。
本を読んで思ったのは、驚異的な記憶力の良さである。山下清は、日記のようなものをたくさん残しているが、それは放浪中に書いたものではなく、数ヶ月あるいは数年間放浪した後に書いているのである。
凡人には、昨日のことは思い出すことができても、その前のことは中々思い出すことができないものである。ちなみに、一昨日何をしたかを思いだして欲しい。
また、その絵の緻密さは、今さら私が書くまでもない。今回のチケットにもなっている「長岡の花火」には、一体何人の人を描いている要るのか。私には、描くことはおろか数えることもできない。まぁ、その気にもなりませんが。
画集を買って読んでみると「鹿児島にはこれまで5回来たことがあるが、6回目で初めて宿屋に泊まった」と記しています。6回目は絵の展覧会のために来ているので、当然宿泊はホテルだったでしょう。
山下清の描いた「竜ヶ水からみた桜島」には雪がかかれているので、鹿児島とはいえ相当寒かったと思うのですが、一体どこで眠ったいたのでしょう?