春の陽気に誘われて、郊外にヒカンザクラを見にに出かけた。鹿児島市はおそらく20度くらいまでは気温が上がったのではないだろうか。
当然女房もいくものと思ったが、仕事が忙しいと断られた、
そこで、郊外までの一人旅である。家の近くの煙草屋に行くのが旅なら、ドライブも立派な旅である。
ソメイヨシノは咲いていなかったが、ヒカンザクラが真紅の花を咲かせていた。この時期この赤赤とした桜を見ると、春がそこまで来ているようで、心が和む。 階段を下りていると、立派な白木蓮の木が、まるで並木道のように続いていた。
これほど多くの白木蓮の木を見たのは初めてかも知れない。
かつて若い頃、ここで愛を語り合ったり、別れを告げたりしたカップルがいたのだろうか。一人旅だと、こういう問いかけには誰も答えてくれないものである。
朝、テニスをした帰りに、女房から言いつけられた弁当と金柑を買いにおいどん市場寄った。駐車場は相変わらず混んでいたが、待つことなくスムーズに車を止めることができた。
店の入り口の右手側でアオサを売っていた。その時は「アオサか」としか思わなかった。買い物を終えて、店を出ようすると、今度はそのアオサに心が動いた。ふと潮の香りのする、アオサを具にした味噌汁が脳裡に浮かんだ。
私が幼い頃、今から50年以上前の話であるが、与論島の海の岩場ではアオサがとれた。アオサの収穫はとても根気の要る作業であり、味噌汁にして一口で飲み込む量のアオサを取るのにどれくらいの時間がかかるのであろう。気の遠くなる時間が必要である。
それほど時間がかかるにも拘わらず、私が小学生の頃、与論島に住む祖母は春になると名瀬市に住む私たちにアオサを送ってくれた。そのアオサの潮の香の香ばしかったことは、今でも舌と脳が鮮明に憶えている。
祖母は、私が小さい頃から正真正銘の「おばあちゃん」であった。しかし、今ふり返って考えると、アオサを送ってくれていた頃の祖母の年齢は、今の私とほぼ同じくらいである。が~~~ん。
今の私に、孫のために(孫はいないが)アオサを取ってきてくれと言われたら、直ちに断るでしょうね。今さらながら、祖母の愛をしみじみ感じる土曜日の午後である。