つまをめとらば | |
青山 文平 | |
文藝春秋 |
上質な物語とはどのようなものをいうのであろうか?
読んでいて心が温かくなるもの,目頭が熱くなるもの,ほほえましくなるもの,読み終わった後にほんわかとした気持ちにさせられるものであろうか。
『つまをめとらば』にえがかれた物語は,この中のいずれかが満たされます。
結婚する前,「女性は,優しくて可愛い者」であると思っていたが,子供の成長と共にそれは大きな勘違いであることに気付かされる。
『人もうらやむ』男同士の友情に感激しながらも,夫を支える女性の気働きをほほえましく読み進むが,その結末は……。なるほど「人もうらやむ」ですね。
『つゆかせぎ』の中の一文です。「あらかたの男は,根拠があって自身を抱く。根拠を失えば,自身も失う」「女という生き物は美醜に関わりなく,いや,なにものにも関わりなく,天から自身を付与されているのではないか」まったく同感ですね。
『乳付』乳が出るのに乳を飲ませる子はいない。乳を飲ませる子がいるのに乳がでない。江戸時代,出産は,子供を産む母親も,生まれ来る子供も死と隣り合わせであった。そして,いつの時代にも男は仕事で苦労し,女は悋気をする。その悋気が誤解から生じたものであることが分かったときに,お互いをより理解し合える。読み進める内に,はからずも目頭が熱くなった。
『つまをめとらば』数年前に隠居した56歳の男性が,幼なじみの友人に久しぶりに再会し,家を貸して欲しいと申し出たところから物語は始まる。
禎治郎は,56歳になるまで結婚をしたことがないが,省吾は3度結婚を経験している。その3度の結婚がいずれも幸福な結婚ではない。
その省吾が振り返る。「ふつうの女などいない。振り返れば,幾も,紀江も,みなふつうだった。ごくごくふつううの女に見えて。周りの風景に溶け込んでいた。それが,…………」「女は,皆,特別だ」
江戸の昔から,不倫や,欝や,浪費はあったのだ。いつの時代にも人は同じような悩みを抱えながら,生きていくのかも知れません。
省吾は,省吾の家に下女の奉公をしたいと言ってきた,佐世という二十歳の娘,を見て,これは断らなければならないと思う。それは「なにしろ佐世は,罪のない童女のような顔を,罪ではち切れそうな躰の上に乗せていたからである。首の上と下との落差はあまりに大きく,……」。
楽しみを毎日味わうためには,一日に一つの物語を読めば良かったのだが,「次はどんな物語だろう」という気持ちが抑えきれずに,一気に読んでしまった。この本ほ,既婚者には絶対にお勧めです!!
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