健康楽園。

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私は驢馬に乗って下着をうりにいきたい。

2009-12-01 | 読んでみた。finding.
わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい (ちくま文庫)
鴨居 羊子
筑摩書房

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なんと、驢馬に乗るのか?
戦前1925年に生まれて1955年にランジェリーデザイナーとして独立した鴨居羊子さんの本。
女性企業家のはしりの方だったのではないでしょうか?
読売新聞社の記者をしていた鴨居さん。
いつかは物つくりとしてみたいと思い続けて、夢を大切に育てた見事な半生記。
記者である自分自身に甘んじて、埋没することなく、記者という仕事を冷静に分析しています。
「他人が作ったものを批判するのは私自身はもうたくさんだ。私はただペンという道具に成り下がっていた。先輩のデスクは単なる「机」に成り下っている。」
「痛いときは痛い、欲しい時は欲しいという、まだ怒れる若者たちは生まれていなかった。」
「「闘いの経験の無い者に闘争の怒りを教えることはできなかった。空腹であっても空腹だと自覚できないサラリーマン記者が一匹狼たちの闘いを毎日空転させていた。」
と、周囲の記者たちを見る目も厳しい。

また、明治の賢婦夫人の信念に凝り固まった母親との確執も凄まじい。
そして、日本社会とのギャップも感じていた。
「世の中は結婚以外にも多くのことを「目的意識」に結びつけるクセをもっていて、何々のために・何のために「目的」のための奴隷のようである。」
「前提、ここでは当然のように愛が結婚の手段につかわれている、これで何が純粋だろう?恋愛はまるで結婚のための約束手形みたいなものである。」

「この徹底した対立のおかげで私は多分新しいものをつくる意欲がおきたにちがいない。」
「反逆の魂みたいなものが育てられていったに違いない。友達ヅラした母親より明治の母親の気骨を敵ながらアッパレだと私はいまも思っている。」

そして「チュニック」というブランドを立ち上げる。エジプト人が初めて着た衣服の意味だそうです。
起業してからの、いろいろな手探りの製造・販売のエピソード。
デパートなど、販売店との交渉。
ワコールとの折衝。
だんだんと認められ、売れていく手ごたえ。
「この金と人間の交渉が生み出した愛に似たものを大事にしなければならない。」

痛快な女性立志伝・起業の物語りです。読むと、力が湧いてきます。
コメント
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