泳ぐのに、安全でも適切でもありません集英社このアイテムの詳細を見る |
10つの短編から成るこの作品は、後者の作品群に属します。
そうして江國さん独特の官能ともいうべき表現が散りばめられています。
「温められた木と干からびたペンキの匂い、夜になると潮の匂いが俄然生気を帯びる。」サマーブランケット・50ページ。
「全部肉体になるといいな裕也くんと食べるものは・全部きちんと肉体にしたい。端だけ焦げたフォアグラを分けあいながら・肉汁がしたたるみたいな裕也の肉体、果汁がしたたるみたいなあたしの肉体。」うんんとお腹をすかせてきてね・45ページ。
なにげなく、さりげない生活の中に散りばめられる生きる重みみたいなもの。
「結局のところ私たちはみな喪失の過程を生きているのだ。貪欲に得ては次々失う。」うしなう・107ページ。
「わたしは世界に参加してなかったんだもの。自分の目でなにもかもみるっていうことだけど。」十日間の死・173ページ。
実際にアメリカの海岸にこの題名の標識があって、それを見て触発され、この短編ができたみたいです。
泳ぐのに、安全でも適切でもないって、生きていくっていうことそのものって作者は感じたのでしょうか。
ただし、この看板は、「禁止ではない」。
自分で選べってってね!!!
あえて、安全でも適切でもないところに飛び込んでいっている人たち・安全でも適切でもない瞬間を描いている物語。
山本周五郎賞を獲得した作品だけど、評価が分かれるでしょうね。
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