バカバカしさも、ここまで徹底したら、感服に変わってしまいます。
100人の現在過去の文豪たちが、カップ焼きそば作成で競い合うという、空前絶後抱腹絶倒の面白さ!!
でも、そこにはたぐい稀なる著者の文豪たちへの愛情と、そこ知れぬ探求、文体の研究成果が現れている。
前書きから秀逸。
村上春樹が、もし本書のはじめにを書いたらで、エンターテイメントは開幕。
「この本には、カップ焼きそばの作り方について書かれている。それ以上でもそれ以下でもない。なんら実用性はないし、深い洞察があるわけでもない。初めから終わりまで、本当にそれしか書かれていない。毎年10月になるとノーベル文学賞が発表されるが、この本が受賞することはあり得ないだろう。脳減るぶんがく賞すら無理だ」
松尾芭蕉は「熱湯を 集めて流し 湯切りかな」
宇野鴻一郎は、食欲の喜びと題して「熱くなったお湯を容器に入れたら、麺が潤んできて、ソワソワしながら五分間待って湯切りをすると、麺がいやらしいくらい発達しているんです。麺がむっちりして、あたしの柔らかい唇が水気で濡れました。体が火照って、気持ちのいい震えが爪先から駆け上がってくるんです。なんだかパンティをかえたくなっちゃって、、、、、」
週刊文春は、「A氏は、慣れた調子で手のひら大のパックを二つ取り出す。かやくとソースだ。ごく普通の光景に見えるが、実はA氏が勤務している食品会社はそのカップ焼きそばのライバル会社。そのうえ、A氏はカップラーメンの営業担当しているというのだ。カップラーメンからカップ焼きそばに『ゲス不倫』していたとなると事態は穏やかではない。関係者は続ける、、、、、、、、、、、」
谷崎潤一郎は痴人の焼きそば、「、、、、、、、、、、私は焼きそばの記録と題する一種の日記帳を持っており、そこに食べた焼きそばの表情、出来上がった姿態の様子を委しく記して置いています。私の食欲は焼きそばに征服されており、肉体が痛切に焼きそばを要求します。私はその都度屈するのでした。、、、、、、」
100人の書き手が饗宴する、夢の切実な馬鹿本。
まさに見事な、美味しい出来上がりです。