平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2012年4月8日 生きておられる方

2012-07-28 14:15:06 | 2012年
(イースター礼拝)

ルカによる福音書23章55節~24章12節
生きておられる方


 イエス・キリストの復活、これは私たちキリスト者にとっては欠くべからざるものです。パウロは、コリントの信徒への手紙一の15章の14節で、「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」と言っています。17節でも「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。
 そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」。パウロは、イエス・キリストの復活を強く信じていた一人でした。私たちキリスト者たちは、イエス・キリストがよみがえらされたという復活信仰に生きています。
 イエス・キリストの復活については、二つの方法で、そのことを知ることができます。一つは、聖書に書かれてあること(人々の言い伝え、福音宣教によって知らされる)を通して復活の出来事を知るという方法です。もう一つは、生きておられるイエス・キリストとの出会いによって、そのお方のことを直接に知るという方法です。
 キリスト者たちは、おそらく、この二つの体験をいずれもしているはずです。パウロももちろんこの二つのことを体験させられました。
 まず、聖書における復活の日の出来事を見てみましょう。4つの福音書が、報告していることは微妙に異なります。今日、私たちに示されているテキストは、ルカによる福音書ですので、その記述に従って考えてみます。イエス様が、十字架につけられた日、その遺体の引き取りを願い出たのは、ユダヤの町アリマタヤ出身の議員であったヨセフという人物でした。
 彼は、「善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった」、とありまして、イエス様を捕え、裁判にかけ、殺害する計画に対して反対していたということが、読み取れます。彼は、遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩を掘った墓の中に納めました。その日は、安息日の前日であり、夕方になりかかっていたものと思われます。このヨセフのあとについて墓まで行ったのは、イエス様と一緒にガリラヤからついてきていた婦人たちでした。
 彼女たちは、当時のしきたりに従って、香料や香油をイエス様の遺体に塗りたいと思ったでしょうが、その日は既に時間がありませんでした。また、次の日は、安息日でしたから、「婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ」とあるとおりでした。ですから、いくら急いでも日曜日の朝早くということになりました。
 ルカによる福音書の8章1節から3節に彼女たちのことが記されています。「すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。12人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラのマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた」と書かれています。
 つまり、イエス様と一緒に活動を共にしていたのは、12人の弟子たちの他に、12人と同じくガリラヤから一緒についてきた婦人たちがいて、彼女たちの中には、イエス様から病を癒していただいた人々もいて、自分たちの財産を売り払って、彼らに奉仕していたというのです。いわば、女性の弟子たちだったといってもよいでしょう。
 彼女たちは、イエス様が十字架におつきになったときに、男の弟子たちは、すでにイエス様が捕えられた時点で、逃げてしまっていて姿のないなか、少なくとも11人の弟子たちが近くにいた記述はルカにはありません。「イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた」とありまして、彼女たちだけは、このときもイエス様がどのようなことになるのかをずっと見守っていたのでした。
 そして、安息日が終わり、週のはじめの日(日曜日)の明け方早くに、準備しておいた香料を持って墓に行きました。そうしましたら、既に入口の大きな石が転がしてありました。当然、道々、あの大きな入口のふたになっている石をいったい誰が、のけてくれるだろうか、そのようなことは考えていたでしょう。確かに、他の福音書には、そのようなことを婦人たちが心配していたことが記されています。
 しかし、彼女たちは、そこで思いとどまることをしませんでした。遺体ではありましたが、一刻も早いイエス様との再会を願っていたのでしょう。何としてでも、香料を塗ってさしあげたいと思ったのでしょう。少々の差し障りは、大丈夫とふんだようです。そうしましたら、彼女たちの思いどおり、石は既に転がされていて、中に入ることができました。イエス様を求める思いが、私たちに閉ざされているかに見える道も開けさせることを暗に示しているようです。
 しかし、中に入ってみますと、そこには、イエス様の遺体はありませんでした。目的を失い、彼女たちは、途方に暮れてしまいました。そのとき、輝く衣を着た二人の人がそばに現れ、彼女たちに、「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか」。
 イエス様は、生きておられる、だから、死者が葬られている墓にはいない、復活されたのだ、ガリラヤにおられたころ、お話になったではないか、思い出してみなさい、と言います。あのとき、イエス様が言われた言葉は、ルカによる福音書の18章32節、33節に出てきます。「人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する」。
 そこで、彼女たちは、イエス様の言葉を思い出したとあります。それは、そのイエス様のお言葉とおりにことが起こったのだと信じたということではないでしょうか。それで、彼女たちは、これらの一部始終を11人の弟子たちとほかの人々に知らせたのでした。
 このことを知らせたのは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであったと、記されています。なかでも、マグダラのマリアの名は、どの福音書に出てまいりますが、ルカでは、7つの悪霊を追い出してもらった女性だったと書かれています。イエス様への感謝の気持ちは人一倍持っている女性だったのでしょうか。彼女たちは、見たこと、聞いたことを信じて、それを語り伝えました。
 ところが、このことを聞いた使徒たちは、この話がたわごとのように思われたので、婦人たちを信じませんでした。先週の使徒言行録で、ペトロが解放されることを祈っていた弟子たちでしたが、いざ、解放されて戻ってくると、それを伝えた女中の話しを信じることをしませんでした。
 イエス様が、生前言われていたことが、実際に起こったという出来事なのに、その話しを彼らは、信じることはなかったのでした。婦人たちは信じたのに、弟子たちは信じない、女性たちは信じたのに、男たちは信じない、婦人や女性たちに比べて、一見冷静である弟子、男たちの不信仰を、聖書は、責めているかのようです。
 それでもペトロは、立ち上がって墓へ走って行きました。そして、墓の中へ入り、そこに亜麻布しかないのを見て、驚きながら家へ帰っていったとあります。ペトロは、イエス様が生前言われていたことが実際に起こったのだとは思わないで、ただ驚いて帰っていったというところまででした。墓に行ったペトロでしたが、そして、墓が空っぽになっているのを見たペトロでしたが、それでも、復活の出来事を信じるまでには至りませんでした。
 聖書は、このあと、エマオへ向かっていた二人の弟子たちにイエス様がお姿を現されたことを告げています。聖書は、これでもかこれでもかと、復活してイエス様が弟子たちにお姿を現される場面を設けております。人伝えで聞いただけでは信じない弟子たちに、イエス様は、直接お姿を現されて、復活をお示しになられるのです。
 さて、こうした聖書に記されている復活の物語をとおして、私たちは、イエス・キリストの復活の出来事を知らされます。そして、もう一つは、私たちの人生において、今生きて働いておられるイエス様との出会いによって、知らされるイエス様の復活があります。こちらの出来事は、まさに私たちが信仰に入る導きを成してくださったイエス様、聖霊のお働きとも言ってよいかと思います。
 例えば、パウロが、キリスト者たちを迫害していたとき、ダマスコ途上で、どうしてわたしを迫害するのか、と問われ、パウロに出会われたイエス様などはまさにそうだと言えます。多くの人々は、イエス様の姿を見たわけでも、声を聞いたわけでもないのですが、イエス様を心に強く感じ、イエス様の十字架を信じ、イエス様に従っていく決心をしたのです。
 そこには、生きて働かれたイエス様のお力がありました。それだけではありません。人生の節目節目で、あるいは、人生の大嵐のときに、また、人生の絶頂期のときに、イエス様は、私たちを慰め、励まし、導かれ、戒められ、希望を与え、それからの歩む道を示してくださったのです。
 私の場合は、小学生の4年生の頃に兄に誘われて鹿児島教会に行ったのが、はじめでした。それから、教会学校に通い、高校生の1年生のときに、アメリカから伝道グループが来られていて、それを迎えての集会の終わりに決心をしたのでした。何もわかりませんでしたが、ただ、イエス様が私のために十字架におかかりになってこと、そのイエス様:が復活したことを信じて、イエス様に従ってくるようにと招かれたことをおぼえています。
 それから、大学3年生のときに、神様は、ほんとうに私を信仰の道に真実に導いてくださいました。それは、サークル活動で2年間ほど、教会に行けなくなり悶々としていた私に教会へ戻ってくることを迫られました。それから、次は、私が大学を卒業した年に、イエス様は、牧師として、ご自分に従ってくるように私を招いてくださいました。しかし、そのときには、私は、イエス様の招きにお応えすることはできませんでした。しかし、私が32歳のときに、中学校の教員をしていた私に、ついに、イエス様は、牧師として立つようにと厳しく導かれたのです。教員としても少しだけ、生徒たちとの距離のとりかたがわかり、仕事もおもしろくなってきた頃でした。しかも、4人のこどもが既にいて、1年前に家を建てたばかりのときでした。
 しかし、神様は、そのときが、真実にイエス様に従うための招きの最後の機会だと私にお示しになられたのでした。私は、こうして、二度、三度と、神様から離れそうになったとき、戻ってくるようにうながされ、牧師として、神様に真実に従うように促されるなど、生きたイエス・キリストとの出会いをされられてきたのでした。
 それから牧師になってからは、なお一層、生きて働かれるイエス・キリストの御業をずっと見せられてきました。富士吉田でもそうでしたし、こちらに来てからもそうです。このたびの大名クロスガーデンのヴィジョンも主イエス・キリストが与えてくださったヴィジョンでなくて何でしょうか。
 イースターは、2000年前に、十字架にかかられたイエス様が、三日目によみがえらされた日、復活祭ですが、しかし、それは、今このとき生きて働いてくださっている、この私と共におられる復活のイエス様を新たにおぼえるときでもあるのではないでしょうか。
 わたしたちは、いつまでもエス様を死者の中に捜すようなことをしません。御使いは告げました。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」。復活の生きておられる主が共におられます。


平良師

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