ヨハネによる福音書3章1節~16節
人は新たに生まれなければ
ニコデモは、ファリサイ派に属するユダヤの最高議会の議員でした。ですから、ユダヤ当局の中枢にいた人物の一人であったと考えられます。ある夜、彼は、イエス様を訪ねました。夜だったというのですから、イエス様を敵視していたファリサイ派に属していたということもあり、人眼につくのを避けた、仲間たちに見られるのを避けたのでしょう。しかし、彼は、イエス . . . 本文を読む
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ルカによる福音書2章1節~20節
恐れるな
恐れは、誰にもあります。現在、恐れと不安の中にいます、とお答えになる方がこの中にどれくらいおられるでしょうか。私たちの日常には、平和な生活を脅かす多くの事件や事故があります。また、近年の自然災害も脅威です。地震や集中豪雨、竜巻、台風など大きな自然災害の脅威にさらされています。原発の問題も、もう無視のできない大きな脅威となってきま . . . 本文を読む
ヨハネによる福音書20章19節~29節
信じて生きる者に
私たちの人生には、不安や苦難は必ずといっていいほどやってきます。できれば、そのような機会は少なく、期間も短いことを祈ります。しかし、神様はそのような機会にこそ、イエス様との真の出会いを用意されています。そういった意味では、不安や苦難のときはキリストへの招きの時であり、人生のかけがえのないときであるかもしれません。弟子たちは、イエス様に出会 . . . 本文を読む
ヨハネによる福音書13章1節~15節
模範を示されたイエス様
このイエス様が弟子たちの足を洗われたという洗足の行為は、後々までも人々に語り継がれていったことでしょう。とても美しい、そして、とてもわかりやすいお話です。ですから、聖書にも収められている、そう思います。当時は、通常、足を洗うという行為は、奴隷の仕事でした。人々は、外出から帰ってくると足を洗う習慣があったようで、金持ちたちは、その足を洗 . . . 本文を読む
ヨハネによる福音書10章7節~18節
囲いに入っていないほかの羊も
イエス様は、ヨハネによる福音書の中で、ご自身のことをいろいろなたとえを用いて表現されました。いのちのパン、世の光、まことのぶどうの木、などです。ここではまず「私は羊の門である」と言われています。私を通って入る者は救われるとありますから、イエス様は救いへと至る門ということになります。羊は神様の創造された人間です。羊は、この門を出入 . . . 本文を読む
ヨブ記42章1節~6節
神の義
ヨブは、義人として神様の称賛を受けていました。ところが、彼は、神様の試みに遭います。サタンが神様に、彼は理由もないのに、神様を敬うでしょうか、神様がすべてを守り、祝福されているので、彼はそのゆえあって、神様を敬っているのです、と言ったのでした。それで、神様は、サタンに彼を試みに遭わせることを許したのでした。その結果、ヨブは、自分の財産であった数々の家畜を奪われたあ . . . 本文を読む
ヨブ記1章6節~22節
人が利益もないのに神を敬うでしょうか
このヨブ記は、信仰とはいったいどのようなものなのかを私たちに教えています。多くの宗教で人々は、信仰することで、多くの利益を得られると考えています。日本の多くの神社は、ご利益にも専門分野があります。学業、商売繁盛、結婚、離婚、就職、病気、農業、漁業、宝くじなど、さまざまにあります。そして、人々は、願う内容の、よりご利益のある神社を求め、 . . . 本文を読む
コヘレトの言葉3章1~11節
神のなさる業
箴言に続いて、知恵文学の一つだとされるコヘレトの言葉です。コヘレトとは何者であったのかは、1章の12節からのところに書かれています。ダビデの子であり、イスラエルの王として、エルサレムにいたとあります。13節には「天の下に起こることをすべて知ろうと熱心に探究し、知恵を尽くして調べた」そして、「太陽の下に起こることをすべて見極めたが、見よ、どれもみな空しく . . . 本文を読む
箴言16章1~9節
主が一歩一歩を備えてくださる
箴言(教訓の意をもつ短い区。戒めとなる言葉)は、旧約聖書のなかでも、ヨブ記、コヘレトの言葉などと同様、知恵文学というジャンルに含まれるものです。箴言の知恵は、基本的には道徳的教えとして理解されています。格言(簡単に言い表した戒めの言葉)を集めているといった様相をも呈しています。聖書のなかで、何か生きる上で、すぐ役に立つような言葉はないか、簡単に探 . . . 本文を読む
詩編137編
異教の地で
この詩編137編は、捕囚としてバビロンに連れて来られているイスラエルの民が、自分たちの悲しみや苦しみを歌い、敵への報復を願い、祈り求めているといった内容になっています。
「バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、わたしたちは泣いた」とあります。バビロンというのは、イスラエルの民にとっては、異教徒の国です。
彼らは、そのバビロンに国を滅ぼされました。そして、捕囚 . . . 本文を読む