マタイによる福音書2章1節〜12節
(キャンドルサービス)
ひれ伏して幼子を拝む
ヘロデ王の時代に、イエス様はユダヤのベツレヘムでお生まれになりました。そのとき、エルサレムに、遠くの東の方から占星術の学者たちがやってきました。彼らは、エルサレムにきたとき、町行く人々に訪ねました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです . . . 本文を読む
ルカによる福音書2章8節〜20節
さあ、ベツレヘムへ行こう
イエス様誕生の知らせの一報が、野宿をしながら、夜通し羊の番をしていた羊飼いたちにもたらされたというお話は、それを聞いた誰もが驚き、不思議に思ったことでしょう。当時、ユダヤ人の多くがメシア(キリスト、救い主)を待ち望んでおりました。ですから、そのメシアが生まれたという知らせは、誰もが大喜びしてもよさそうなものでした。
しかし、人々は、羊 . . . 本文を読む
マタイによる福音書1章18節〜25節
正しい人と正しくない人をつなぐイエス様
正しい人とはどのような人のことを言うのでしょうか。当時は、宗教的な規範だけでなく、生活規範ともなっていた律法を守る人のことでした。「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切 . . . 本文を読む
ルカによる福音書1章26節〜38節
主があなたと共におられる
マリアとはいったい何者だったのでしょうか。ダビデの末裔のヨセフのいいなづけであった人物です。それでは、なぜ、彼女がヨセフのいいなづけになったのでしょうか。その経緯についてはわかりません。マリアの親類にエリザベトという女性がおりました。エリザベトは、祭司ザカリアの妻でした。このザカリアとエリザベトは、二人とも神の前に正しい人で、主の掟と . . . 本文を読む
マラキ書3章13節〜24節
宝と呼ばれる者たちのなすべきこと
神様が、人々に言います。「あなたたちは、わたしにひどい言葉を語っている」。それを聞いた人々が言うのです。「どんなことをあなたに言いましたか」と。こうした会話は、私たちもよく致します。
私が、何をあなたに言ったというのでしょうか。えてして、傷つけた方は、傷ついた方のその傷がよくわからないのです。よく言われるように、人の足を踏んでいる者 . . . 本文を読む
マルコによる福音書11章1節〜11節
平和の主イエス・キリスト
今日は、礼拝の中で児童祝福式を行いました。招詞で読んだ箇所は、人々が、自分の子供を祝福してもらおうと、イエス様のところに連れて来たとき、弟子たちが、この人々、つまり、親と子どもたちでしょうか、彼らを叱ったというのです。当時は、子供と女性は、人の数にも入れてもらえないという時代でした。子供や女性の人権など、ほとんど考えられない時代でし . . . 本文を読む
ゼカリヤ書3章1節〜10節
晴れ着を着せてもらう民
ゼカリヤ書の3章は、第四の幻です。預言者ゼカリヤの見た天上界の法廷の場面です。
ところで、このゼカリヤ書の時代背景についてですが、紀元前587年、バビロニアに敗れたユダ王国は、エルサレムを破壊され、神殿を焼かれ、指導者たちが敵国(バビロニア)に強制連行され、大半の民衆が捕囚として連れ去られるという事態になりました。それから、50年が過ぎ、バビ . . . 本文を読む
詩編 130編1節〜8節
深い淵の底から神様をよび求める
詩篇の120編から134編は、「都に上る歌」とあります。そこで、「都に上る」というのは、毎年都エルサレムで行われていた3つの大きな祝祭への巡礼の旅を指していると言われています。そのような旅の途上で作られた、あるいは、そのときの巡礼の旅を思い起こして作ったということは考えられます。
そして、また、この120編から134編の「都に上る歌」と . . . 本文を読む
詩編 90編1節〜17節
人を塵に返す神
詩編の90編は、モーセの祈り、作とされています。詩編の作者は、このように誰それと明記されているものもあれば、作者不詳もあります。また、誰それと名前が記されていても、それは、本人とは別人が、その人の名前を使って書き記したものであるというものもあります。この詩編90編もおそらくモーセ本人の作ではないだろうという説があります。
しかし、読者である私たちは、そ . . . 本文を読む
第一コリント 14章33b節〜36節
女性は教会で黙るべき?
津和野(新幹線新山口駅から山口線で北上、別名「山陰の小京都」と呼ばれる端正な城下町。森鴎外・画家の安野光雅の出身地)。近くに青野山(標高908メートル)(どこから見てもお椀をかぶせたような山)がすぐ南にあり、小学生のころに地図で見つけていた山で、ずっと行ってみたかったのですが、二年前に津和野での教団西中国地区の牧師研修会の講師として招 . . . 本文を読む