平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2003年12月24日 さあ、ベツレヘムへ行こう

2006-05-29 19:31:51 | 2003年
ルカ福音書2章8~20節    さあ、ベツレヘムへ行こう (キャンドルサービス)  クリスマスおめでとうございます。クリスマスは、イエス・キリストのご降誕をお祝いする祭です。皆様と共に今晩、キャンドルサービス(ローソクに火を灯しての礼拝)を守ることができましたことを感謝します。特に、教会に今晩初めて来たという方がおられるでしょうか。とてもうれしく思いますし、皆様のお越しを心から歓迎致します。   . . . 本文を読む

2003年12月21日 キリストを喜ぶ者に

2006-05-29 19:26:52 | 2003年
マタイ2:1~12     キリストを喜ぶ者に  この3人の占星術の学者たちが、満天の星空のもとを、大きな星に導かれてらくだか何かに乗って、砂漠を旅していくようすは、絵になるものです。実際、絵画としても取り上げられたりしています。讃美歌などにも、材料として用いられています。しかし、お話自体は、ユダヤの王であったヘロデとのやり取りなどもあり、ちょっと人間くさいものがあります。でも、やはりクリスマス . . . 本文を読む

2003年12月7日 キリストの見つめられていたもの

2006-05-29 19:22:23 | 2003年
マタイ4:1~11   キリストの見つめられていたもの  アドヴェント(待降節)の2週目に入りました。私たちのためにこの世に来られたイエス・キリストは何を求めておられ、どのようなお方だったのでしょうか。悪魔の誘惑に遭われたという物語は、そのことを考える一つの材料を提供しています。まず、この物語の前にイエス様は、バプテスマのヨハネから、洗礼を受けます。  そして、イエス様が水から上がってきますと、 . . . 本文を読む

2003年10月19日 安息の年、ヨベルの年、解放のとき

2006-05-29 17:30:19 | 2003年
レビ記25章1~12節   安息の年、ヨベルの年、解放のとき  レビ記の25章は、安息の年の規定とヨベルの年の規定が述べられています。安息の年の規定については、これから神様が与えようとされている土地に入ってからの話です。また、ヨベルの年の規定もそうなります。安息の年の規定は、土地に作物を育てるとき7年目は、土地に安息を与えなさい、つまり、土地を休ませなさいという命令であり、また、ヨベルの年は、5 . . . 本文を読む

2003年10月12日 罪を贖う献げ物

2006-05-29 17:26:39 | 2003年
レビ記1章1~17節      罪を贖う献げ物  律法は、イスラエルの民が、聖なる者に一歩でも近づくために必要なものとして、神様から与えられたものでした。また、神様への背きの罪を教えるために、罪の何たるかを知らしめるためにも、必要なものでした。当時の周辺の国々の神々は、いったい何がよくて、何はよくないのか、はっきり示さない神々でした。明らかにイスラエルの神は異なっていたのでした。神様は、はっきり . . . 本文を読む

2003年10月5日 わたしは主である

2006-05-29 17:23:04 | 2003年
レビ記19章1~18節      わたしは主である  今日から旧約聖書のレビ記に耳を傾けてまいります。私たちは、イエス・キリストによる福音に与ったものとして、旧約聖書を読む意味は、どのようなところにあるのでしょうか。かつて、聖書が今のような形にまとめられるとき、ある学者は、旧約聖書は、キリスト教には、ふさわしくないと判断しました。私たちもまた、ときに、旧約聖書のこんな神様のこわいイメージは、キリ . . . 本文を読む

2003年9月28日 献げる者の恵み

2006-05-29 16:23:49 | 2003年
IIコリント9:1~15      献げる者の恵み  今日で、コリントの信徒への手紙は、終ります。私は、4月より、ほとんど日本バプテスト連盟の発行している「聖書教育」の聖書箇所に則って、その日の主日礼拝説教を行っています。コリントの信徒への手紙の1,2は、7月より始まりまして、9月、今日で終了です。その最後の箇所が、9章であることを思うとき、これは、日本バプテスト連盟は、最後に、その運動の要と . . . 本文を読む

2003年9月21日 弱さを通して与えられる力

2006-05-29 16:20:05 | 2003年
IIコリント13:1~10    弱さを通して与えられる力  私たちが、成長することは、望ましいことです。昨日よりは今日、今日よりは明日、という具合に、わずかでも成長を重ねていくことは、喜ばしいことです。たとえ、神様から、救われるときに、あなたの今ある存在それ自体がそのままで尊いと言われていても、私たちは、その神様の愛に応えたいと思いますから、キリスト者としての成長を願うわけです。  ただ、留 . . . 本文を読む

2003年9月14日 あなたがたはキリストの体

2006-05-29 13:40:08 | 2003年
IIコリント12章12~28節     あなたがたはキリストの体  本日は、敬老の日礼拝ということで、ご高齢の皆さんを特におぼえ、礼拝を守っています。今日のこの礼拝に、T姉が出席できるのではないかと、先週の初めには、思いました。岡兄の勤められている病院から専用の車を借りられるように準備もしてもらっておりました。月曜日に娘さんのS姉とお電話をしましたときに、最近、随分とお元気になられたということで . . . 本文を読む

2003年9月7日 キリストのために生きる

2006-05-29 13:35:14 | 2003年
IIコリント5章11~21節     キリストのために生きる  キリスト者が幸いだと思うのは、私たちには、生きる目的がしっかりと示されているという点です。それは大筋において、そうだということです。それは、自分自身のために生きるのではなく、イエス・キリストのために生きるということです。私たちには、この示された方向性は、とてもすっきりしていて、わかりやすいと思います。  神様から与えられた人生を自分 . . . 本文を読む