平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2012年5月6日 神様をのみ信頼する者に

2012-08-04 11:08:56 | 2012年
士師記4章1~16節
神様をのみ信頼する者に


 今日から士師記に入ります。私が致します説教は、そのほとんどが聖書教育が扱っているこの日の聖書箇所に則っております。その利点は、話す内容が恣意的(自分勝手に)にならずにすむというところにあります。それは、こちらがこのことを言いたいがために、聖書を逆に利用するという誘惑から解放されるということです。否、それとても、ときにはこちらの主張の根拠を聖書に求めることは、間違いではないと思いますから、そのこと自体を否定は致しません。
 しかし、いろいろの聖書日課など、与えられ続きものの聖書箇所に基づいてする、いわゆる講解説教は、その日与えられた聖書箇所を解説しながら、そこから読み取ることのできる神様からのメッセージを共に分かち合うわけで、それがよいと私のように主張の強い者には、このスタイルがいいかなあと思っているのです。
 しかし、今、教会にはこれこれの課題や問題があって、それを何とか解決していかなければならないということで考えるならば、それもまた、説教の役割の一つですから、そういった点では、このこちらのおかれている状況とは関係なしに、与えられた聖書の箇所から説教をするというやり方は、機を逸するということにもなりかねません。
 ですから、説教のスタイルも、課題を掲げ、テーマを掲げて、それに適応する聖書の箇所から説教をする課題説教と、私のように与えられた聖書の箇所を解説風、物語風に坦々と語っていく講解説教という方法とがあって、一長一短ということになります。
 それで、聖書教育では、今日から旧約聖書の士師記になっていますので、先日まで使徒言行録をやっていたのに、今日から急に旧約聖書になって、しかも士師記だなんて、困る、パウロはあのあとどうなってしまったの、そういう方もおられると思いますので、すみませんと謝らせていただきたいと思います。ただ、この10年間、ずっとこれできましたから、今さらといった感じもなきにしもあらずで、とにかく、すみませんと思いつきの感はありますが、今日は、お詫びしておきたいと思います。
 さて、士師記の士師というのは、イスラエルの指導者、いろいろな問題を裁く立場にある者でした。それらの人々の中には、戦争を指揮する者や預言者、裁き司、つまり、いろいろな訴訟を裁く裁判官のような役割も果たす者、なかには、サムソンのような戦士もおりました。士師が活躍したのは、イスラエルが、エジプトを脱出し、モーセに率いられてカナンに入ってからの時代です。
 周囲の国々は、王をいただいた王制をとっておりましたが、イスラエルは、一人の王によって国をまとめるという体制にはまだなく、12の部族が連合、協力して、いろいろな問題にあたっておりました。その時代、こうした士師と言われる指導者が現れ、それぞれの部族を、あるいは、イスラエル全体を導いたのでした。
 このときの士師の一人であったのがラピドトの妻であった女預言者デボラでした。イスラエルは、エフドという士師が死んだのち、またもや主の目に悪とされることを行いました。それで神様は、イスラエルの民を、カナンの王ヤビンの手に売り渡されたとあります。
 イスラエルの人々は、神様に背いて生きようとするとき、必ずといっていいほど、神様の戒めを与えられました。このときも、神様の目に悪とおぼしきことをしたので、彼らは、20年間、ヤビンの支配のもと、彼の圧政で苦しめられることになりました。
 それで、ついに、忍耐しきれなくなったイスラエルの人々は、神様に助けを求め叫びました。その叫びは、神様に届きました。デボラは、ナフタリ人(族)のバラクをケディシュから呼び寄せ、神様の命じられたことを告げました。バラクは、指揮官としてふさわしい立場にあったかその任にふさわしい人物だったのでしょう。
 その命じられた内容は、ナフタリ人とゼブルン人を合わせて一万人動員し、タボル山に集結させよ、というものでした。そして、そこで、神様が、ヤビンの将軍シセラとその戦車、軍勢をバラクに対してキッション川に集結させたのち、シセラをバラクに渡すというものでした。それをバラクは、デボラから聞いて、「あなたが共に来てくださるなら、行きます。もし来てくださらないのなら、わたしは行きません」と答えたのです。
 どうして、自分だけで、そのことを行動に移そうとせず、デボラも一緒に来て欲しいなどと言ったのでしょう。バラクは少々臆病になっていたということもあったでしょうが、デボラに命じたお方が、神様であるという認識が足りなかったということです。神様を信頼することができず、目の前にいるデボラを頼りにしてしまったのでした。しかし、そのときの状況を考えると、無理もなかったかもしれません。
 イスラエルは、20年もの間、圧政に苦しめられ人々は疲弊してしまっていたでしょう。集める1万人という兵も、日頃は、土を耕し家畜を飼っているような人々ではなかったでしょうか。それに対し、カナンのヤビンは、鉄の戦車900両を持っておりました。つまり、かなり強力な武器を装備していたということ、また、おそらく、そうした武器をあやつることのできる訓練された兵隊たちがいたということも想像できたでしょう。ですから、とても勝ち目があるようには思えなったでしょう。
 敵の力は、あまりにも強すぎて、だからこそ、自分たちはこれまで屈服させられてきたわけですから。それで、バラクは、一応、神様が命じたと言われることを行動に移すことはしますが、条件があります、デボラも一緒に来てください、と願ったのでした。そのことは、神様の目からよしとはされませんでした。デボラは、一緒に行きましょう、と答えましたが、続けて、「ただし、今回の出陣で、あなたは栄誉を自分のものとすることはできません。主は女の手にシセラを売り渡されるからです」と伝えました。
 戦いに勝利しても、手柄は、あなたのものになりませんよ、将軍シセラは、ある女の手に落ちることになります、そう答えました。これについては、17節からのところを読みますと、どういうことだったかはわかります。ヤビンの将軍シセラは、戦いに敗れて、逃げて、ようやく親しい関係にあったヘベルの妻ヤエルにかくまってもらうことになったのですが、そのヤエルの手によって、疲れて熟睡しているすきに頭に釘を打たれるという無残なやり方で、殺害されてしまうのです。
 それにしても、神様は、どのような方法で、イスラエルの人々が、まったく歯が立ちそうにないシセラとその軍勢を撃ち破られたのでしょうか。4章15節「主は、シセラとそのすべての戦車、すべての軍勢をバラクの前で混乱させられた。シセラは、車を降り、走って逃げた」とあるだけで、よくわかりません。
 しかし、5章のデボラの歌を読みますと、その間のいきさつがそれとなく想像できます。4節「主よ、あなたがセイルを出で立ち、エドムの野から進み行かれるとき、地は震え、天もまた滴らせた。雲が水を滴らせた」、21節「キション川は彼らを押し流した。太古の川、キション川が。わが魂よ、力強く進め」。4節からのところからは、地が震えんばかりに雷が鳴りわたり、雨が降ってきたことがわかります。それも、突然そのような状況になったのです。
 14節でデボラは「立ちなさい。主が、シセラをあなたの手にお渡しになる日が来ました。主が、あなたに先立って出て行かれたではありませんか」、それはどういうことだったかと想像しますに、タボル山に登っていたデボラは、ずっとそのときが訪れるのを待っていたと思われます。
 彼女は、空のようすを見ていて、そのときが来たことを悟ったのではないでしょうか。たとえば、黒い雲の固まりがあちらから近づいてきた。イスラエルの自然は、大きくは、夏の乾季と冬の雨季に分けられます。そして、雨季といっても年間たいした量の雨は降らないようです。
 ただし、最初に降る雨(これを射手<弓を射る者>ヨーレイと呼ぶらしいのですが)は、それくらいに強い雨が、夕立のようにどっと降ってきて、ときに、それは土石流のような状態にまでなるらしいのです。しかも、石地が多くて、水が土にあまり染み込まないので、あっという間に、濁流となるようです。それまで、キション川は、川といっても、乾季には、水は流れていないワジといった状況で、だからそこにシセラが率いる軍隊は集まっておりました。
 彼らは、山の上にいるバラクの軍勢を撃とうとやってきたのです。そうしましたら、山の上から、バラクの軍勢は攻め降りてきて、さあ、戦いというときに強い雨が降り出し、またたくまに、鉄の戦車は泥沼になったなかで動きがとれなくなり、水の勢いで流される戦車もでてくるありさまでした。それで、シセラは、戦車を棄て、逃げ出すということになってしまいました。そのあとは、先ほど、申しましたように、かくまわれた先で、殺害されるということになりました。
 ローマの信徒への手紙4章21節からのところで、パウロはこう言っています。「神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、(アブラハムは)確信していたのです。だからまた、それが彼の義と認められたわけです。しかし、それが彼の義と認められたという言葉は、アブラハムのためだけに記されているのではなく、わたしたちのためにも記されているのです。わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義と認められるために復活させられたのです」。
 パウロは、ここでアブラハムの信仰を述べています。アブラハムは、高齢になっておりましたが、子孫を海の砂粒のように、空の星のように与えるという神様の言葉を信じたとパウロは、とらえております。聖書を読む限りでは、アブラハムは、最初から最後まで、信仰の強い方であったかというと、そうでもありません。100歳になっていた彼は、さすがに、再び、こども誕生のみ告げを受けたときは、いくらなんでも遅すぎる、まさかとひそかに笑ったと書かれてあります。
 しかし、彼の人生をトータルでみるならば、確かに、神様のご命令に従い、行き先もわからぬまま新しい人生の歩みを始めたこと、ようやく与えられた息子のイサクを献げようとしたことなど、信仰の父と言うにふさわしい人でした。
 パウロは、とにかくここで、アブラハムのことをとりあげ、約束したものを実現させる力も、お持ちの方、その方が、神様であるという確信をアブラハムは、抱いていたのだ、ということを言いたいのですが、バラクは、そうした確信を持つに至らなかった、約束をいただいたけれど、それを成就してもらえるかどうか、そこまでの強い信頼を神様におくことができなかった、そういうことではないでしょうか。
 ですから、つい、目に見える頼りになる人、デボラが一緒に来てくれないならば、自分は行かない、自分は神様の言われることに手をつけることができない、そう言ったのです。ここでの、バラクに対する祝福というのは、神様のご命令(御言葉)に従ってことを成し、それをやり遂げたときに、その栄誉(手柄を讃えられること)を得るということですが、そうはならないことを告げられました。
 わたしたちは、聖書の神様の御言葉より、目に見えるものにどうしてもより頼もうとします。それは、わたしたちの弱さであり、また罪です。聖書に、イエス・キリストは、わたしたちの罪のために十字架にかけられた、また、そのキリストは、わたしたちが、義とされるために復活させられた、そのことを信じることは、目に見えないものにすべてを委ねることです。
 バラクは、目に見えない神様を信頼しきることができませんでした。むしろ、目に見える裁き司であった女預言者デボラにとことん頼ろうとしたのでした。その点、この平尾教会は、それぞれの信徒が自立し、しっかりと神様と向き合っておられ、つながっておられるので、安心です。牧師の仕事の第一は、御言葉を神様の御心のとおりに、それは無理でしょうが、できるだけ近い形で、お伝えすることだけです。牧師もまた、人柄も品位も、その他いわゆる道徳的なものもほとんどすべてが、他の信徒の方々と同じです。
 ただ、違うのは、召命感をいただいたということを信じ、それを教会の皆さんが認めてくださったということくらいでしょうか。ようするに、人間は皆、ちょぼちょぼで、同じようなものではありませんか。その人間を神様の御言葉よりも頼り過ぎることは、神様にはふさわしくないのです。
 神様を第一にする、神様の御言葉を信頼する、神様をのみ頼りとする、それは、私たち信仰者の大切なわきまえです。


平良師

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