ルカによる福音書1章26節〜38節
主があなたと共におられる
マリアとはいったい何者だったのでしょうか。ダビデの末裔のヨセフのいいなづけであった人物です。それでは、なぜ、彼女がヨセフのいいなづけになったのでしょうか。その経緯についてはわかりません。マリアの親類にエリザベトという女性がおりました。エリザベトは、祭司ザカリアの妻でした。このザカリアとエリザベトは、二人とも神の前に正しい人で、主の掟と . . . 本文を読む
マラキ書3章13節〜24節
宝と呼ばれる者たちのなすべきこと
神様が、人々に言います。「あなたたちは、わたしにひどい言葉を語っている」。それを聞いた人々が言うのです。「どんなことをあなたに言いましたか」と。こうした会話は、私たちもよく致します。
私が、何をあなたに言ったというのでしょうか。えてして、傷つけた方は、傷ついた方のその傷がよくわからないのです。よく言われるように、人の足を踏んでいる者 . . . 本文を読む
マルコによる福音書11章1節〜11節
平和の主イエス・キリスト
今日は、礼拝の中で児童祝福式を行いました。招詞で読んだ箇所は、人々が、自分の子供を祝福してもらおうと、イエス様のところに連れて来たとき、弟子たちが、この人々、つまり、親と子どもたちでしょうか、彼らを叱ったというのです。当時は、子供と女性は、人の数にも入れてもらえないという時代でした。子供や女性の人権など、ほとんど考えられない時代でし . . . 本文を読む
ゼカリヤ書3章1節〜10節
晴れ着を着せてもらう民
ゼカリヤ書の3章は、第四の幻です。預言者ゼカリヤの見た天上界の法廷の場面です。
ところで、このゼカリヤ書の時代背景についてですが、紀元前587年、バビロニアに敗れたユダ王国は、エルサレムを破壊され、神殿を焼かれ、指導者たちが敵国(バビロニア)に強制連行され、大半の民衆が捕囚として連れ去られるという事態になりました。それから、50年が過ぎ、バビ . . . 本文を読む
詩編 130編1節〜8節
深い淵の底から神様をよび求める
詩篇の120編から134編は、「都に上る歌」とあります。そこで、「都に上る」というのは、毎年都エルサレムで行われていた3つの大きな祝祭への巡礼の旅を指していると言われています。そのような旅の途上で作られた、あるいは、そのときの巡礼の旅を思い起こして作ったということは考えられます。
そして、また、この120編から134編の「都に上る歌」と . . . 本文を読む
詩編 90編1節〜17節
人を塵に返す神
詩編の90編は、モーセの祈り、作とされています。詩編の作者は、このように誰それと明記されているものもあれば、作者不詳もあります。また、誰それと名前が記されていても、それは、本人とは別人が、その人の名前を使って書き記したものであるというものもあります。この詩編90編もおそらくモーセ本人の作ではないだろうという説があります。
しかし、読者である私たちは、そ . . . 本文を読む
第一コリント 14章33b節〜36節
女性は教会で黙るべき?
津和野(新幹線新山口駅から山口線で北上、別名「山陰の小京都」と呼ばれる端正な城下町。森鴎外・画家の安野光雅の出身地)。近くに青野山(標高908メートル)(どこから見てもお椀をかぶせたような山)がすぐ南にあり、小学生のころに地図で見つけていた山で、ずっと行ってみたかったのですが、二年前に津和野での教団西中国地区の牧師研修会の講師として招 . . . 本文を読む
ルツ記4章
七人の息子にまさる嫁ルツ
ナオミが嫁のルツを連れてベツレヘムに戻ったとき、ナオミを知っている町の女性たちは、ナオミさんではありませんかと声をかけました。夫と二人の息子を失って帰って来ていたナオミは、自分のことをナオミ(快い、愉しみ)などとは呼ばないで、マラ(苦い、苦しみ)と呼んでくださいと言い、「全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです」、「全能者がわたしを不幸に落とされたのです」と . . . 本文を読む
ルツ記 3章
神の慈しみとルツの真心とボアズの敬意
ナオミは、ベツレヘムへ帰る道すがら、二人の嫁に言いました。「自分の里に帰りなさい。あなたたちは死んだ息子にもわたしにもよく尽くしてくれました。どうか主がそれに報い、あなたたちに慈しみを垂れてくださいますように」(ルツ記1:8)。
また、ナオミが嫁ルツからボアズの親切について聞いたとき、言った言葉が「どうか、生きている人にも死んだ人にも慈しみを . . . 本文を読む
ルツ記2章1〜12節
生者、死者を問わず、慈しみを惜しまれない神
ナオミは、悲しみのなかをモアブ人の嫁ルツを連れてベツレヘムへ戻ってきました。彼女は、挨拶に来た町の女性たちに、自分をナオミ(快い、喜び)などと呼ばないでマラ(苦い、苦しみ)と呼んでくださいと言い、「全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです」、「全能者がわたしを不幸に落とされた」と嘆きました。しかし、だからといって神様はおられないと . . . 本文を読む