創世記 41章1節〜16節(17〜36参照)
神の告げるファラオの救いとは
侍従長の妻の偽証によって、牢獄につながれたヨセフは、そこでも、看守長の目にかなう者となり、獄中の人のすることは、すべてヨセフが取りしきるようになりました。それから、獄中に王の給仕役と料理役が、エジプト王ファラオに過ちを犯し、投獄されたのです。そのとき、侍従長は、ヨセフに彼らを預け、彼らの身辺の世話をさせたのでした。ヨセフ . . . 本文を読む
創世記37章12節〜36節
人の思いを超える神の摂理
ヤコブは、羊の群れを飼っていた兄たちの所へ行って、無事を見届け、様子を知らせて欲しいとヨセフに言いつけます。この時、ヨセフだけは、兄たちと一緒に行かず、ヤコブのもとにいたようです。ヤコブは、ここでもヨセフを他の兄弟たちと同じように扱うことはせず、ヨセフを大事に考えて、家にいるようにしていたのでしょう。ここらのヨセフとヤコブの会話には、日ごろの . . . 本文を読む
創世記37章1〜11節
心に留める夢
聖書では、その人物のこれからの人生について、夢が神様の御心を示していたり、神様の導きがそこから始まったりします。ヨセフは、よく夢を見ましたが、他人が見る夢を解くこともできました。フロイトは、夢分析というものをやって、夢が人間の深層心理にあるものを反映していることを説明しています。それを読んでみますと、なるほど、そういうことはあるだろうなあ、と納得させられます . . . 本文を読む